第1743号 6 / 21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

♪♪5月集会in東京2021特集♪♪
●5月集会の憲法分科会の感想  緒方  蘭
●貧困・社会保障問題分科会に参加して  有野 優太

●平成24年九州北部豪雨による国家賠償請求を退けた最高裁への抗議  板井 俊介

●コロナ禍における働き方についての雑感  江見  毅

●メーデーなど労働運動等のあり方についての問題提起  小林 徹也

●司法修習23期のもう一つの闘い  安部 千春

●「単独親権制」は、なぜ廃止されないのか?  後藤富士子

●『特攻最後の証言』を読む  大久保賢一


 

5月集会の憲法分科会の感想

東京支部  緒 方   蘭

 憲法分科会にリアル参加した団員の中で、本部次長を除くと、65期の私が一番期が下だったということで、原稿の依頼をいただきました。せっかくの機会ですので、普段感じていることも含めて自由に書かせていただきます。
 今回は、日本共産党国際委員会事務局次長の小林俊哉さんをお招きして、バイデン政権の対中政策をどう見るかについて、過去の米中関係も踏まえながら丁寧にお話していただきました。現在の米中関係が競争的ではあるが協力する面もあるという点を再確認するとともに、北東アジアでは対話の枠組みができておらず、日本が米中関係にどうかかわっていくかが問題になるという点も考えさせられました。
 日本の外交問題の背景には日米安保体制の問題があり、アメリカが東アジアや世界においてどう動こうとしているのかによって日本の安全保障は大きく左右されます。憲法学習会で「中国や北朝鮮が攻めてきたらどうする?」と聞かれることが多いですが、私は中国や北朝鮮が攻めてくるリスクよりも、日本がアメリカの戦争の片棒を担がされて戦争に巻き込まれるリスクの方がもっと高いと思います。
 また、憲法の条文のすばらしさや立憲主義の重要性を説いても、米軍基地はなくならず、日本がアメリカの戦争に巻き込まれるリスクもなくなりません。結局は、日米安保体制の問題に行きつくと感じています。
 しかし、必ずしも全ての若手の団員の先生方と日米安保 体制に関する問題意識を共有できていないように感じることもあり、正直、歯がゆく感じています。
 分科会では、土地利用規制法案に関する問題点の紹介と討議もありました。初めて軍事目的によって私権を制限する法案が出たという整理が的確でした。SNSなどで問題点を指摘し拡散する必要がありますが、私は身分や信条を表明することに抵抗があり、先日も生命保険の担当者から弁護士なのかと聞かれてもとっさに「違うと思います」と答えてしまうような性分で、外部への発信は苦手です。しかし、もういよいよSNSという重要なツールから逃げてはいけないと感じました。
 分科会の最後に、コロナ禍での運動の工夫として、神奈川支部が昨年に続き今年も5月3日に「おうちで憲法集会」と題してYouTubeチャンネルでウェブ学習会を行ったという紹介がありました。
 私のように内向的な秘密主義者も変わらなければならないと痛感した憲法分科会でした。

 

貧困・社会保障問題分科会に参加して

神奈川支部  有 野 優 太

1 自己紹介
 団員の皆様、はじめまして。1月から横浜法律事務所にて執務しております、73期新人の有野優太(ありのゆうた)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。この度は、唯一(?!)の現地参加の新人として、ご指名いただきましたので、貧困・社会保障問題分科会の感想を述べさせていただきます。
 本分科会では、琉球大学の上間陽子先生のご講演と各地の団員からの活動報告がなされましたが、本稿では、紙幅の都合上、前者のみを取り上げさせていただきます。
2 2つの調査の結果―被害実態と傾向―
 上間先生から、「沖縄の女性たちの学校・家族・生活―沖縄の女性調査より―」と題して、沖縄における若年女性の実態についてお話しいただきました。
 上間先生は、2010年代初頭の集団レイプや暴力団による売春強要の事件において、少女たちが10代で大人扱いされ、被害者であるにもかかわらず「お酒を飲んでいたのが悪い」「中学生になればわかる」などとバッシングを受けている現状に疑問を感じ、子どもの生育環境を明らかにする必要しようと考えました。
 そこで、先生は、沖縄の若年女性を対象として、沖縄風俗業界で働く若者の調査と若年出産女性調査を行いました。すると、別々に行ったことはずの2つの調査でしたが、その協力者の重なりが大きかったそうです。
 すなわち、彼女らの多くが、初めて働いた仕事が風俗業界であって、定位家族もしくは生殖家族に問題を抱えており、DVや性暴力等の被害に遭っていたのです。
 また、上間先生によれば、調査結果を分析すると、彼女らの状況には、①ピアグループ(同世代の子とのつながり)の有無と②実母との関係の良好性が大きく影響しているそうです。すなわち、ピアグループがあると、彼女らは、お互いに悩みを吐露したりしつつも、決して深入りはせず、一定の距離を保ちながらも、お互いに励まし合うような関係性をつくっていくことができる。また、②実母との関係が良好であると、妊娠・出産・育児という大変な時期に実母のサポートを受けることができ、状況の安定につながるのです。
 その結果、①も②も充足する>どちらかは一方は充足する>①も②も充足しない、という順に、現在、置かれている状況が厳しくなっているといいます。
3 支援の問題点―大人に相談しない、言葉が出ない―
 上間先生は、彼女らへの支援が進まない理由として、彼女らは、誰か(大人)に話して自分の抱えている問題が解決できるとは思っておらず、ひとりで困難から逃れようとしているがために問題が見えづらいことを挙げられていました。
 また、彼女らは「言葉が出ない」、すなわち、被害について語り始めると「手、出されるとかもあったから」「怒ったらバーンみたいな」というように、言葉が隠されてしまうといいます。
 そして、彼女らのこのような状態にあることに対する理解が不足しているがゆえに、行政や施設の大人が配慮を欠く言動をしてしまうこともあるそうです。
4 弁護士は女の子たちによってとても遠い存在
 上間先生は、DVや虐待からの救出、慰謝料や養育費の請求など、弁護士に関わってほしい問題は山積されているといいます。しかし、以前、離婚事件で弁護士に依頼したことがある子に話を聞くと、彼女は「弁護士事務所はとにかく怖い」と言っていたそうです。
 その原因として、上間先生は、「彼女らは攻撃に弱い。マウンティング(知識をアピールすること)によって彼女たちはフリーズしてしまう。外見上は、頷いて分かった顔をしているが、頭の中ではパニックを起こしている。それを察してあげる必要がある。また、声質の鋭さや話のリズムにもっと敏感になった方がよい。」といいます。
 また、先生は、結論を急ごうとせず、話を包括的に聞くことも必要だといいます。上間先生も初めから被害について聞くことはなく、むしろヒアリング項目にすら挙げていないそうです。しかし、話を聞いていく中で、彼女たちの方から、次第に語ってくれるのだそうです。上間先生は、話を聞く際、否定しない、彼女ら自身に言葉を見つけさせる、過剰な評価は避け、賛否は示さないが興味はあることを示すといったことに注意しているといいます。たとえば、摂食障害の子に対しては、「つらいね。」「食べたら落ち着くの?」「ほかにも(ストレスを紛らわせることを)してた?」「そういう風にして乗り切ってきたんだね。」と語りかけるそうです。
 上間先生は、最後に、以上の点に配慮できる、子どもが怖がらない弁護士がもっと増えてほしいというようにおっしゃっていました。
5 感想
 本稿ですべてを取り上げることができないのが惜しいですが、本講演中では、随所に上間先生と若年女性との実際のやり取りが引用されており、彼女らの置かれている現状をまじまじと感じることができました。上間先生のご指摘は、私にもまさに当てはまる部分があり、今後、DVや虐待等の被害を受けた方の相談に乗る際には、特に意識していきたいと思いました。

 

平成24年九州北部豪雨による国家賠償請求を退けた最高裁への抗議

熊本支部  板 井 俊 介

 2021年6月4日、最高裁判所第二小法廷(草野耕一裁判長)は、平成24年7月12日未明、阿蘇地方から熊本地方にかけて発生した集中豪雨(平成24年九州北部豪雨)により、白川下流域に設置された農業用水取水口に端を発し、熊本市が管理する馬場(ばば)楠堰(ぐすぜき)用水路に設置された転倒堰(てんとうぜき)(熊本市東区石原)から大量に流出した排水が、ゴルフ練習場の外壁を突き破って破壊したことに基づき、当該ゴルフ練習場の運営会社が原告となり、熊本市を被告として国家賠償法2条営造物責任を問うて提起した国家賠償請求事件において、原告の請求を一部認容(42万3705円の支払を命じた)熊本地裁判決を取り消した福岡高裁判決を追認し、原告の上告受理申立てを退ける決定を下した(最高裁判所令和3年(受)第90号)。
 一審の熊本地裁判決は、①昭和59年大東水害最高裁判決の判断枠組みを普通河川の場合にも基本的に踏襲した平成8年7月12日平作川水害最高裁判決の判断枠組みを採用しつつ、②原告の主張を裏付けた今本博健京都大学名誉教授の意見書の内容について「本件被害当日の状況を合理的に説明するもの」で、同教授の意見は「多くの水理模型実験の経験に基づいた定性的な検討の結果」であって「十分に説得力がある」と判示して、これに反する大本教授の見解は「合理性に疑問がある」と否定した上で、③「本件転倒堰が完全に倒伏する」状況においては流末水路沿いの建物に被害を与える危険性があった」が、それは本件用水路等に構造上の問題があったとする一方で、その危険性は、流末水路の合流点付近に高さ2m程度のシルを設置していれば防げたと判示して、「流末水路が満水となった状況で本件転倒堰が倒伏した場合、排水を管理できずに本件駐車場に排水が一気に溢れ出す構造となっていた点については、同種規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていなかったと言わざるを得」ず、「本件水路等の設置又は保存の瑕疵」があるとして、国賠法2条の営造物責任を肯定した画期的判決であった。
 これに対し、控訴審である福岡高裁は、6年もの歳月を費やして慎重に審理した熊本地裁判決を、僅か1回の審理のみで覆して原告の全面敗訴を言い渡した。これはまさに水害行政の怠慢にお墨付けを与えたものであったが、今回の最高裁決定は、さらに、司法の立場から治水行政を改める数十年に一度の機会を自ら放棄したものである。
 一審熊本地裁判決は、水害訴訟における従来の司法判断が不十分であったことを直視し、専門家意見に依拠しつつ、たとえ一部であっても行政の河川管理に瑕疵があったことを明確に肯定したものである。同一審判決は、これまでの我が国の水害訴訟の裁判例を見る限り、少なくとも2~30年に一度しか登場しないような極めて画期的な請求認容判決であった。この判決は、今後の我が国の河川管理の在り方について一石を投ずる役割を果たすものとして重要な意義を有するものであったため、判例時報2468、2469合併号にも掲載されている。
 昨今の地球温暖化に起因する気候変動は、我が国にも影響を及ぼし、昨年7月4日の球磨川大氾濫をはじめ、九州・沖縄地方に限らず、全国各地で河川の大規模な氾濫を招きうる集中豪雨が多発している状況にある。また、これに応じて、福知山(京都)、岡山県真備町、また、直近では多摩川など、各地で水害訴訟が提起されている。
 この中にあって、最高裁判所は、数十年前の先例に囚われることなく、現代的テーマに応じた新たな境地を開く判断を示す姿勢が期待されていた。しかしながら、何らの判断も示さないまま現実から逃避した今回の上告不受理決定は、現在、あるいは将来、各地で係属する水害訴訟の審理に影響を与えることを恐れ、2~30年に一度の熊本地裁判決を評価せず、これを直ちに取り消した福岡高裁判決を追随するものであって、我が国における三権分立制度の根本を踏みにじるものであり、断固抗議する。
 しかしながら、私たちは、今回の決定を経てもなお、今回、被害が発生した馬場楠堰用水路をはじめ、全国各地に存在する農業用水路等の適正な管理を求めるとともに、河川等の氾濫によって、同様の被害が再発しないことを求めて闘う全国の住民らの闘いにエールを送るとともに、住民目線に立った河川行政の実現を求めて、今後とも行動したい。

 

コロナ禍における働き方についての雑感

大阪法律事務所  江 見   毅

1 エッセンシャル・ワーク
 最近読んだ本に斎藤幸平著「人新世の『資本論』」があります。本書はグローバル資本主義を終わらさなければならないという主張で、その根拠として地球環境破壊に対する著者の強い危機感があります。
 特に印象に残ったのは、ライフスタイルである「帝国的生活様式」ではなく、そのような消費を可能としている「帝国的生産(●●)様式」を見直さなければならないという点です。自然環境に合わせて生産と労働を抜本的に見直す必要があること。そして脱成長、持続可能な経済への移行促進という観点から、五つの構想が示されています(同書299頁以下)。その一つに「エッセンシャル・ワークの重視」が掲げられています。エッセンシャル・ワークが評価される社会を目指して「自主経営の試み」や「生産過程の民主化」に言及されています。
 コロナ禍において、エッセンシャル・ワーカーは様々な注目を集めました。これらの方々は人間の生存に必要不可欠であるにも関わらず、概して低賃金、長時間労働を余儀なくされています。しかし、これらの方々の賃金引上げなどの声はあまり聞かれません。
2 ブルシット・ジョブ
 そんな時、雑誌記事で内田樹氏が「誠に痛快な本」と評されていたデヴィッド・グレーバー著「ブルシット・ジョブ」(岩波書店)を知りました。ブルシット・ジョブとは、斎藤氏の本でも言及されていますが、この本の副題にもあるとおり「クソどうでもいい仕事」だそうです。具体的に、マーケティングや広告、コンサルティング、金融業など、高給をとっている職業が代表格です。これらは重要そうに見えるものの、社会の再生産そのものにほとんど役に立っていないそうです。
 最近よく言われるように、日本は世界的に見て生産性の低い国になっています。最大の理由は意味のない仕事に忙殺されていることにあるようです。内田氏の評によれば、この1年間、リモートワークが導入されたことで、多くのブルシット・ジョブが可視化され、長時間通勤やだらだら続く会議も多くはやる必要のないことであったと人々は気づいたと。そして、自分たちの仕事見直す新しい概念を提示している、と書かれていました。
 この本、気になって手にしたくなりましたが、価格は4,000円超で購入を躊躇し、地元の図書館で調べてみると、貸出予約人数は31人!とありました。世間の関心の高さに驚くと同時に読むことをしばらく諦めました。
3 運動としての難しさ
 話は戻って、齋藤氏のエッセンシャル・ワークに対する主張はその通りです。しかし、これらを個々人に還元して考えた場合、具体的にどう行動していけばよいのか正直悩みます。
 私自身のことで言えば、この春の農繁期も実家の農作業の手伝いに帰っていました。その度に、これが生活の手段であれば、本当に大変だと思います。例えば、父親が、ほうれん草が畑にあるから持って帰るように言います。でも、これ案外面倒です。土から引き抜き、根本や葉の土の汚れを水洗いし、雑草を取り除かなければなりません。自家消費ではここまででよいのですが、市場で売買をするためには、規格内であること、同じような大きさのものをそろえて袋詰めまで必要となります。ここでようやく店頭で目にする「商品」になります。土づくり、種まき、日頃の世話、出荷までの時間と労力を考えれば、ほうれん草一束の店頭価格、100円そこそこで利益はどうなるの?と思わざるを得ません。
 このようなことは世の中のあらゆる商品に言えます。特に人権問題にもなった、アパレル業界を下支えしているのは劣悪な環境で働く途上国の子どもたちや女性労働者です(斎藤氏の言われる資本主義の外部化の一例)。日々このような環境下で働いている方にとって、斎藤氏の主張は総論で賛同できても、各論ではなかなかそうはいかないのではないでしょうか。つまり、現在自分が置かれている環境を変える方向に動くのではなく、現状の「使用価値」をほとんど生み出さないとされている仕事(=ブルシット・ジョブ)のほうが高給であるため、できるだけそれに近い分野に労働力を供給した方が合理的と考えるのではないでしょうか。少なくとも私自身、目先の利益からそのように考えてしまいます。とりわけ、今日、明日の生活にも困っている方は、現状を変えるのではなく代わりを見つける方向に動いてしまうのではないかと
思います。この辺り、実際の運動に結びつけるのがなかなかに困難だと感じる点です。
 否定的なことを書いてしまいました。ただ、困難な分野においても変革者となるリーダーや地道に活動されておられる方々はおられます。私自身は、そんな活動を支える一助となるようなことができれば、と考えています。
 ここまでダラダラ書いてきて、こういうくだらない文書作成自体がブルシット・ジョブの典型例じゃないのか!と我に返りました。

 

メーデーなど労働運動等のあり方についての問題提起

大阪支部  小 林 徹 也

 すでに一昨年のことなのですが、大阪で、このようなことがありました。
 弁護士のみならず、労働組合や学者も会員となっているある団体の機関誌に、僕は、大阪で行われている従前のメーデーのあり方について疑問を呈した投稿をしました。詳細は割愛しますが、概要、演奏される曲が若い労働者に馴染みのない古いものばかりだし、旗を掲げてシュプレヒコールをしながらのデモも一般市民から違和感を持たれるのではないか、例えば若い人に馴染みのある新しい曲を含めたり、デモ行進も各自が自由にするなどして、もう少し若い労働者や一般市民に親しまれるような形に変えてはどうか、というものでした。
 ところが、これを読んだ労働組合の幹部が、この組織の執行部に面談を申し入れ「これはこの組織の公式見解か」、「内容はともかくこのような主張はメーデーの実行委員会に参加して行うべきものだ」と申し入れたのです。執行部としても労組の関係悪化を恐れたのでしょう、僕の原稿は、次の号で、この申し入れの紹介と共に、僕に事前の確認・了解もなく、撤回されてしまいました。
 昨年12月18日の赤旗の記事によれば、労働組合の組織率について、全労連は1万3000人減の51万1000人とのことです(厚労省調査)。
 労働事件や大規模訴訟に勝利するには、もちろん緻密な法的検討は不可欠ですが、他方で、やはり労働運動等を前提とした世論の力は大きいと思います。ご存知のとおり、裁判所は、負かせようと思えば、稚拙で不合理な理由であっても容易に労働者を敗訴させます。他方で、世論の力があれば、少々法的理論に難があっても「飛躍して」原告を勝利に導きます(労働事件ではありませんが中国残留孤児訴訟の神戸地裁勝訴判決で実感しました)。従って、労働運動の中心となるべき労働組合の組織率を上げることは喫緊の課題だと思います。
 そのなかで、例えば一般市民に広く見られるメーデーの持ち方は無視できないものだと思います。ところが、大阪のメーデーでよく歌われる「翼をください」はすでに50年以上前の曲ですし、いわんや「インターナショナル」などは一般市民には到底馴染みもないものでしょう。デモ行進でのこぶしを上げながらの「~政権を倒せ」といったシュプレヒコールに対する違和感もよく耳にします。
 さらに、メーデーに限らず、よく労働組合の集会などで歌われる「がんばろう」なども「男のこぶし」「女のこぶし」「闘い」といった歌詞が、LGBTQIを含め多様化した性や、多くの「がんばれない」弱者の存在を前提とした時、本当に多くの労働者の心に響くものなのか、違和感を持たれないかは(結論はともかくとしても)議論する必要があるように思います。
 ところが、少なくとも、僕の認識では、大阪では、労働組合も交えて忌憚なく議論ができる雰囲気はありません。上記のような意見を言うと、例えば「労働組合の歴史、伝統、文化を否定している」などという反論まであり、合理的で冷静な議論は難しい状況です。
 さらに、労働事件等の弁護団活動が弁護士本位の、弁護士の自己実現の手段となっていないかも、自分の過去を振り返って反省するところがあります。
 僕もかつては、国労関係の事件、クラボウ思想差別事件などたくさんの労働事件を扱いました。そのような中で、僕自身、夜遅くまで長時間の弁護団会議をして、そこに当事者を付き合わせることが当然と考えていました。むしろ、そのようなやり方に充実感を持っていたように思います。しかし、今思うことは、多くの労働者にとっては、家族と過ごす平穏な生活、安定・充実した仕事が目的であって、長時間の弁護団会議や街頭宣伝を含む「闘い」はそれを実現するための手段に過ぎず、これらがない(あるいは出来るだけ短い)に越したことはないのです。ところが、今でも僕の周囲には、何度も会議を入れて、それに当事者を付き合わせることが当然であり、それを回避するための手段(メール、zoom会議など)は「邪道」と考える弁護士も多いように思います。もちろん、目の前に当事者がいれば疑問点はすぐに聞けますから、弁護士の都合だけ考えれば極めて「効率的」でしょう。しかし、そのような負担を強いることが、長期的スパンで見た時、労働運動の前進にとって「合理的」かも忌憚なく議論する必要があるように思います。
 もちろん、労働運動について部外者の弁護士が口を出すべきではない、というご意見もありましょう。しかし、現実問題として、労働運動と弁護士による法的な協力は車の両輪でありそれぞれが合理的・効率的に前進するためには双方が忌憚のない意見を交わすことが必要だと思い、問題提起させていただく次第です。 
 僕自身、このような意見を言おうとすると、「角が立つ」、「わきまえたほうがよい」と煙たがられることが多いのです。しかし、急速に価値観の多様化が進む中、労働組合の組織率の低下傾向を見るにつけ、惰性でこれまでのやり方を続けるのは、多くの市民に理解を得られないと思いますし、さらには、団に加入しようと思う弁護士にも影響を与えるのではないでしょうか。結論はともかくとしても忌憚のない意見交換が出来る雰囲気を団員が率先して作ることが重要だと思います。

 

司法修習23期のもう一つの闘い

福岡支部  安 部 千 春

東大生7月入所問題
 1969年4月、私は司法研修所に入った。私は「あべ」なので席次が一番で仮のクラス委員になった。
 5月、クラス委員の正式の選挙があった。誰かが「安部ちゃんでいいんじゃないの」といい出し拍手で私に決まった。
 6月、久保利英明氏が昼休みのクラス討論で言った。(この頃はよくクラス討論をしていた)「みんなも知っているとおり、東大生闘争のために今年は卒業が遅れた。その東大生を最高裁は7月に司法研修所に入所させようとしている。東大生の中に東大を中退し4月に入所して来た人もいる。(元日弁連会長の宇都宮健児氏も元官房長官の仙石由人氏もこの時に東大を中退した)東大生の七月入所は東大生だけの特別待遇である。法の下の平等を追求する法曹になる者が法曹になる前から特別優遇を受けるのはおかしい。二十三期司法修習生四組の名で、今司法研修所では東大生の七月入所について疑問の声が上がっていることを七月入所組に知らせよう」
 反対者もいなかったのでクラスで採択し、七月入所予定の東大生に手紙を送った。
民裁教官からの恫喝
 突然、民裁教官から松戸寮にいた私に電話がかかってきた。
 「君達が東大生に出した手紙のことで最高裁が怒っている。明日の日曜日に松戸寮にクラスの全員を集めて東大生へ謝罪文を出すようにしなさい」
 「クラスの皆んなで決めたことです。今さら謝罪文など出せません」
 「君がいやならA君を電話に出しなさい」
 A氏が電話に出て、翌日松戸寮にクラス全員を集めた。
重々陳謝の決定
 A氏が民裁教官からの電話を皆んなに伝えた。
 私は藤井氏に意見を求めた。藤井氏は福岡県の鵜崎社会党知事の下で副知事を務め、すでに60歳を越え経験豊富だった。
 私 「こんなことでは首にはならないと思いますが」
 藤井氏「手紙を出しただけで皆んなが首になることはないでしょう」
 けれどもクラスのほとんどが謝罪文を出そうという意見であった。そこで私は云った。
 「皆んなが謝罪文を出すというならしかたがない。けれども四組一同に括弧して安部千春は除くと書いてくれ」
 すると中村鉄五郎氏がいった。
 「俺も安部ちゃんに付き合う。安部千春と中村鉄五郎は除くと書いてくれ」
 すると誰かが言い出した。
 「安部ちゃんは誤解している。この手紙の首謀者は久保利だ。安部ちゃんはクラス委員として司会をしていただけだ。安部ちゃんが反対しても安部ちゃんは処分はされない。処分されるのは久保利だ。その責任を安部ちゃんが取れるか」
 確かに久保利氏が首謀者で私は付和雷同組にすぎない。私が反対したことで久保利氏が首になることはないと思ったが仮に久保利氏が処分されたら責任はとれない。
帰郷
 翌日私は何もかも嫌になって福岡県の実家に帰った。
 しかし無断欠席をすると私が処分される。そこで父に松戸寮に「チチキトク、スグカエレ」と電報を打ってくれと頼んだ。
 父は「俺はピンピンしているのにどうしてそんな電報を打たせるのか」私は「理由は帰って説明するからとにかく打って下さい」頼んだ。
 何日か後、中村鉄五郎氏が迎えに来た。
 「安部ちゃんが怒るのもわかるけど、皆んなは安部ちゃんのように潔くはなれない。安部ちゃんは司法試験で苦労しなかったかも知れないが、皆んな苦労した。妻や子がいる人もいる。生活がかかっている。安部ちゃんは若いし結婚もしていないので研修所などやめてやると考えているだろうが、安部ちゃんが辞めてしまうとクラスの皆んなは負い目を背負って法律家になることになる。せっかく皆んな理想に燃えて法律家になろうとしているんだから、研修所に戻って来てくれないだろうか」
 私は研修所に戻った。

 

「単独親権制」は、なぜ廃止されないのか?

東京支部  後 藤 富 士 子

 民法の「親権」についての条文の冒頭に「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」と規定されている(第818条1項)。ところが、父母が未婚や離婚で「婚姻中」でない場合には「成年に達しない子は、父又は母の単独親権に服する。」と規定されている(第819条)。
 なぜ、父母が「婚姻中」でないと単独親権になるのか、合理的な理由が思い浮かばない。むしろ、憲法第14条が禁止する、「社会的身分」により「社会的関係」において差別するものではないか。また、憲法第24条2項に定められた、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した」法律という点でも、明らかに反している。
 「親権」は、戦前の民法にも規定があった。戦前は家父長的「家」制度であり、「戸主」(「家に在る父」または「家に在る母」)の単独親権であった。
 ところが、「家」制度は日本国憲法第24条に抵触するので、廃止された。「親権」についていえば、婚姻中は「父母の共同親権」となり、未婚や離婚の場合の単独親権についても「父母のどちらか」という点で、性に中立となった。問題は、単独親権者を決める方法である。まず、父母の協議によるが、協議がまとまらなければ、家庭裁判所が決めることになった。
 ちなみに、戦前の「家」制度の下では、国家との関係で、「家」は自治体であった。だから、単独親権であっても、国家が介入することはなかったのである。それが、「家」制度の廃止によって「家」という自治体も完全に破壊され、夫婦親子という「核家族」は国家の直轄領地になったというわけである。
 一方、「親権」の法的意義について、民法には正面から規定した条文がない。そのことに法律家が疑問すら感じないできたのは驚くべきことである。
 当該子の養育について何の責任も負わない官僚裁判官が、なぜ父母のどちらか一方を単独親権者に指定して、他方の親の親権を剥奪できるのか?
 実質的な正当性を示せないのに、条文で規定されているからといって、疑問も持たずに無責任な単独親権者指定ができてしまうところに恐ろしさを覚える。ちなみに、憲法第76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている。
 ところで、ドイツ基本法第6条2項では、ワイマール憲法に由来する「子の養育及び教育は、両親の自然の権利であり、かつ、第一次的に両親に課せられる義務である。国家は、両親の活動を監督する。」という規定がある。すなわち、「親権」は、両親の自然の権利であり、国家は両親が第一次的に課せられている義務の履行を監督するという構造である。
 「家」制度の廃止によって国家の直轄領地になってしまった日本の「家族」であればこそ、このような規定が必要である。それには、民法第820条を総則に置き、第1項「子の養育及び教育は、両親の自然の権利であり、かつ、第一次的に両親に課せられる義務である。」、第2項「国は、両親の活動を監督する。」と改正すべきであろう。それによって、「家」制度の名残である単独親権制を廃止できる。
(2021年5月8日記)

 

『特攻最後の証言』を読む

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 岩井忠正さん(100歳)と岩井忠熊さん(98歳)兄弟が語り合う『特攻最後の証言』が出版されている(河出書房新社)。「特攻隊」の生き残りである二人が「私が犯した過ちを、二度と繰り返してはいけない」、「戦争の無意味さを後世に伝えなければいけない」と語り合っている。
 忠正さんは「回天隊」、忠熊さんは「震洋隊」という「特攻隊」に所属していた。「回天」というのは魚雷の3倍もの爆薬を搭載して、敵艦に突っ込んでいく特殊兵器で、脱出装置などはついていない。宮本百合子の『播州平野』は「…搭乗した特攻隊員で還るものはなかったし、大洋までいったものさえなかった。人間魚雷の多くは粗製で途中で爆発し、沈んだ」と描写している。
 忠熊さんの「震洋」は、ベニヤ板製の高速艇で頭部に250キロの炸薬を仕掛け、敵艦隊に体当たりする兵器だという。米軍上陸を阻止するために輸送艦などを水際で撃沈する兵器として期待されていたそうである。けれども、米軍は震洋艇の存在を知っていてsuicide boatと呼んで防御方法を講じていたという。忠熊さんは、「青年たちの命」が武器として使われた。「これでは日本は勝てっこない」と思いましたと語っている。
 忠正さんは、「伏龍隊」という特攻部隊にもかかわっている。米軍の本土上陸作戦を想定し、潜水服を着用して上陸地点の海中に潜み、竹竿の先に取り付けた機雷で、敵の上陸用舟艇を攻撃する部隊だという。この伏龍の潜水服を身に着けて海中に入ると背中に重量物を背負っているので常に前かがみにならなければならない。見えるのは前方数メートルの海底だけ。目標の敵の上陸用舟艇を見ようとすると海底にあおむけにならなければならない。そうすると、背中に重量物を背負っているので、裏返しにされた亀のようになり、いくらもがいても何の動作もできなくなるという。「こりゃきっと漫画から思いついたんだぜ」と兵士に批判されていた。
 忠正さんは、人間魚雷の「回天」と人間機雷の「伏龍」を体験した稀有な存在として、「伏龍」は「回天」よりも馬鹿げた兵器だった。「大和魂」などといって人をだまして死に追いやるとはけしからん!と腹が立った。当時、ほとんどの兵士は「日本は負ける」と思っていた。だけど、口に出すことはできなかった、と述懐している。
 米軍は、本土上陸作戦も考えていた。米軍は核兵器を開発し、それを実践で使用した。他方、日本軍は「漫画から思いついた」と揶揄されるような戦闘を考えていたのである。日本軍の何とも情けない非科学性と非人道性がここにある。大日本帝国は、陸軍も海軍も、兵士を「鴻毛より軽く」扱っていたのである。
 ところで、二人は「日本軍は負ける」と考えていたようだし、忠正さんは「ほとんどの兵士が日本は負ける」と思っていたとしている。もちろん、兵士たちがどう思っていたかのアンケート調査などはありえないし、あったとしても、本当の気持ちを回答するとは思われないから、当時の日本軍兵士たちの心情は推測するしかない。けれども、二人とも「日本軍は負ける」と思っていたのである。
 二人の父親は陸軍少将である。満州事変が起きた時には退役していた父親に第一報が寄せられ、父親は「やったか!しめたっ!」と叫んだという。他方では、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」や河上肇の本があったという。そして、共産党弾圧について「天皇陛下をないがしろにした罪で捕まったの。でもね。この人たちは決して悪い人たちではないのよ。戦争が起こらないように運動したり、生活で困っている人たちを助ける運動をしている人たちなのよ」と話してくれる兄嫁もいたようである。
 忠正さんは、あの戦争は侵略戦争だ、日本は必ず負けると確信していたけれど「特攻隊」に応募している。そして「死ぬ覚悟をしているのに、なぜ戦争に反対しなかったのか」と悔やんでいる。仲間は少なからずいたはずなのに、組織だった反抗もせず、沈黙を続けてしまった。天皇制に疑問を呈するだけで、治安維持法で捕まってしまう当時の風潮に無意識に加担してしまった。沈黙は中立ではない。風潮に迎合することで戦争推進者になっていた。それが私の「戦争責任」だと思うとしている。そして「どんな時代でも、ハッキリ意見が言える人間に」と呼びかけでいる。
 二人が幼年期、青年期を送っていた日本では、治安維持法下で多くの共産党員やそのシンパが逮捕され、拷問され、殺され、投獄されていた。今、香港では民主派の人たちが、香港国家安全維持法の下で、中国政府に対する抵抗運動を展開している。忠正さんたちの呼びかけは普遍的内容を含んでいる。けれども、その実行は決して簡単なことではない。まさに命がけのことなのだ。私たちは、香港の民主派に対する共感と合わせて、日本の治安維持法下の被害者の運動(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)にも関心を払わなければならない。
(2020年8月16日記。2021年5月31日補正)

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