第1745号 7/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

♪♪5月集会in東京2021特集♪♪
● 5月集会の労働・貧困分科会の感想  大橋 百合香

♪♪建設アスベスト訴訟特集♪♪
●建設アスベスト訴訟、最高裁で勝訴!  福山 和人
●建設アスベスト訴訟 最高裁判決の歴史的到達点―公害訴訟・じん肺訴訟の到達点を踏まえて―  村松 昭夫

●馬奈木参考人意見 信毎コラム「斜面」で紹介、土地利用規制法につき  松村 文夫

●離婚後共同親権制度について慎重な議論を  岡村 晴美

●「法律婚」神話と「戸籍」の物神化  後藤富士子

●ブレジンスキーは妻を起こさなかった―核兵器禁止条約の普遍化を急ごう―  大久保 賢一


 

5月集会の労働・貧困分科会の感想

京都支部  大 橋 百 合 香

 初めまして、今年1月より京都第一法律事務所に入所し、自由法曹団に入団いたしました、73期の弁護士の大橋百合香と申します。新人団員ということで、原稿の依頼をいただきありがとうございました。5月集会について、私は労働分科会と貧困分科会に参加しました。個人的に印象に残ったことや考えたことを書きたいと思います。
 5月集会の労働分科会では、労働者概念について、ドイツの裁判例の紹介などもされながら、学習院大学の橋本陽子先生にお話いただきました。最近では、ウーバーイーツ配達員の労働者性の問題など、労働者概念についてはホットな話題ですので、興味深く講演を聴かせていただきました。
 特に印象に残った話は、クラウドワーカーの労働者性が肯定された事案です。クラウドワーカーの契約形態は業務委託契約ですので、本来的な意味での労働者にはあたらないと思えます。しかし、労働者性が肯定された理由は、時間的場所的拘束性があったこと、継続的な契約関係があったことが重視されました。契約形態は業務委託契約でも、事実上の拘束性によって労働者概念は広がり得るという判断だと思います。このお話を聞いて、自由な働き方を求める労働者の声は日本でも根強いので、今後ますます多様な形態の働き方が増え、そして労働者概念も広がると思いました。実質的には労働者としての保護を与えられるべき人たちが、使用者の勝手な都合で必要な保護を受けられないことはあってはならないと思うので、日本でも実質的な労働者についての正しい判断が確立され、労働者性の概念が広がれば良いと思います。
 5月集会の貧困分科会では、琉球大学の上間陽子先生に、沖縄の女性調査をした中で得られた、未成年で風俗で働いている子どもや性暴力を受けている子どもの様々な事例をお話いただきました。
 いずれの子どもたちも、正しい知識がないために、劣悪な労働環境で働くことを余儀無くされている状態でした。そのような子どもたちに正しい知識を与えることが大切だと思いました。上間先生は、子どもが話しやすい弁護士が必要とおっしゃられていました。私も、そのような子どもたちに親しみやすい弁護士として、何かアクションをおこし、正しい知識を伝えたいと思いました。
 今年の5月集会は新型コロナウイルスの影響もあり、オンライン開催でしたが、来年は先生方の講演を会場で聴き、他の団員の先生方と感想などを語り合えたら良いと思いました。

 

建設アスベスト訴訟、最高裁で勝訴!

京都支部  福 山 和 人

1 2021年5月17日、最高裁第1小法廷は、建設アスベスト訴訟(神奈川1陣、東京1陣、京都1陣、大阪1陣)について、国と建材メーカーの責任を認める原告勝訴判決を言い渡した。
2 最高裁は、国責任について、①屋内作業者に対しては1975年10月1日から2004年9月30日まで、②吹付作業者に対しては1972年10月1日~1975年9月30日まで、防じんマスク着用と警告表示の義務付けを怠った責任があると判断した。また最高裁は、警告表示義務は、物の危険性又は場の危険性に着目した規制であって、危険物を扱う者が労働者か否か、或いはその場で作業する者が労働者か否かで危険性が変わるわけではないとして、それらの規定は労働者のみならず、労働者でない建設作業従事者も保護していると正面から認めた。建設業界においては、コスト削減のために実態は労働者と同じなのに、形式上独立事業者扱いとされる一人親方が約3割にも上るが、彼らは「労働者」でないため労働法の適用外とされ、そこに労働災害が多発していた。安衛法の射程範囲を「労働者」以外にも拡げた今回の判断は、建設業界の構造的問題にメスを入れただけでなく、あらゆる産業で「雇用によらない働き方」が蔓延している下で、働く者の保護にインパクトをもたらすものといえよう。
3 企業責任についても、最高裁は、主要なアスベスト建材企業8社について、吹付作業者に対しては1972年10月1日から、屋内作業者に対しては1974年1月1日から、各建材の販売終了時まで、警告義務違反を認めた大阪高裁判決を維持し、共同不法行為責任を認めた。
 長年にわたって多数の現場で作業してきた原告にとって、加害企業や建材の特定が難しく、因果関係の立証が企業責任追及の壁になっていた。原告らは、アスベスト建材に関する国交省データベースに基づいて各職種毎の主要取扱建材を明らかにし、次に原告本人尋問の結果や被告の反論も踏まえて取扱建材を絞り込み、さらに建材の市場占有率(シェア)資料に基づいて、シェア上位企業の建材が現場に到達した可能性が高いことを主張立証した。最高裁は、その主張立証の合理性を認め、石綿建材の到達の立証は不要として立証責任の転換を図り、被告企業らに民法719条1項後段の類推適用による共同不法行為が成立するとした。これは共同不法行為論の新たな地平を切り拓くものと言える。
4 大きな意義ある判決だったが、他方で、屋外工の救済が認められなかったこと、違法期間を昭和50年以降に限定したことは大きな問題点だ。政治による分け隔てのない解決が求められる。
5 最高裁判決を受けて、翌5月18日、原告団・弁護団は菅首相から謝罪を受け、国との和解に関する基本合意書に調印した。6月9日には、石綿被害建設労働者給付金支給法が成立し、来年4月までに施行される見通しである。未提訴の被害者も今後は裁判を起こさずとも、最大1300万円の給付金を支給されることになった。裁判によらない早期解決を求めていた被害者らにとって大きな成果だ。ただこれは全面解決ではない。主犯とも言える建材メーカーが参加しておらず、今も訴訟で争い続けているからだ。この点では、附則2条に「国以外の者による・・・補償の在り方について」検討課題とする定めが置かれたことが重要だ。これは企業を巻き込んだ全面解決をかちとる橋頭堡となるだろう。
6 2008年の東京一陣提訴から13年、2011年の京都1陣提訴から10年の長きにわたる闘いに一つのけじめがついた。この事件は約7割もの被害者が志半ばに亡くなる大変辛い事件だった。今日の成果を亡くなった方々の墓前に捧げたい。
 京都弁護団としても引き続き2陣訴訟の全面解決、埋もれている被害の救済のために全力で奮闘する決意である。

 

建設アスベスト訴訟 最高裁判決の歴史的到達点―公害訴訟・じん肺訴訟の到達点を踏まえて―

大阪支部  村 松 昭 夫

1 最高裁判決と画期的な成果
 去る5月17日、最高裁(第一小法廷)は、東京1陣、神奈川1陣、京都1陣、大阪1陣の4つの建設アスベスト訴訟において、国の責任では一人親方等に対する関係でもその責任を認め、建材企業の責任では建材企業らの共同不法行為責任を認める判決を出した。不当な部分があるものの、大枠では建設アスベスト被害者の救済を大きく前進させるものであった。
 また、最高裁判決を受けて、翌日には、菅首相が原告団代表に謝罪し、国との間で、既提訴の原告らを泉南型国賠と同水準で和解解決すること、及び、未提訴の被害者の関係でも、簡易迅速な救済を図るために、行政認定によって国が最大1300万円の賠償金を支払う制度を創設することなどを内容とする基本合意が締結され、6月9日には同制度の立法化も図られた。建材企業が既提訴の和解も制度への資金拠出も拒否したことから全面解決には至らなかったが、画期的な成果であることは間違いない。
 以下においては、今回の最高裁判決が、国責任の点でも建材企業責任の点でも、長年の公害訴訟やじん肺訴訟の到達点を踏まえた歴史的到達点を築くものであったという点に絞って紹介したい。
2 国の規制権限不行使の責任
 薬害訴訟を除いて、生命・健康に対する被害救済を求める国賠訴訟において、国の規制権限不行使の責任が認められるようになったのはそんなに古いことではない。その嚆矢は、2004年6月の筑豊じん肺訴訟最高裁判決である。同判決は、国の規制権限の行使は、その健康を確保することを主要な目的として、できる限り速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく、適時にかつ適切に行使されるべきとする判断基準を示して、国の規制権限不行使の責任を認めた。アスベスト訴訟においては、2014年10月の泉南国賠最高裁判決がこの判断基準を踏襲し、石綿工場内での被害防止に関して国の規制権限不行使の責任を認めた。そして、本件では、防じんマスクの使用義務付けや警告表示(建設現場での警告掲示も含め)義務付けに関する国の規制権限不行使の責任を認めた。同時に、警告表示義務が物の危険性に着目した規制であり、その物を取り扱うことにより危険にさらされる者が労働者に限られない、また、警告掲示義務が場所の危険性に着目した規制であり、その場所で作業する者であって労働者に該当しない者も保護する趣旨のものと解するとして、安衛法の趣旨、目的に着目して一人親方等に対しても国の規制権限不行使の責任を認めた。こうした法律の文言に拘泥することなく法の趣旨、目的を重視し被害救済を拡大する判断は、2004年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決が、熊本県漁業調整規則の趣旨、目的から熊本県の規制権限不行使の責任を認めた判断を踏まえたものである。今回の最高裁判決は、国の責任において、じん肺訴訟や公害訴訟の到達点をさらに一歩進め、集大成として歴史的到達点を築いたものと言える。
3 建材企業の共同不法行為責任
 企業の共同不法行為責任、とりわけ、民法719条1項後段の類推適用で被告企業らの集団的寄与度責任を認めるという方向は、大阪・西淀川公害訴訟判決など都市型複合大気汚染事案で下級審判決が積み上げられてきていたが、これら訴訟は地裁判決後に企業側と和解解決が図られたことから、この点に関して最高裁が判断することはなかった。今回の最高裁は、こうした長年の下級審判断を重く受け止め、719条1項後段の趣旨を踏まえてその類推適用によって建材企業らの集団的寄与度責任を認めたものである。この点でも、今回の最高裁判決は、公害訴訟の到達点を踏まえた歴史的到達点を築いたものと言える。
 建設アスベスト訴訟の評価においては、以上のような視点からの検討も重要である。

 

馬奈木参考人意見 信毎コラム「斜面」で紹介
土地利用規制法につき

長野県支部  松 村 文 夫

 信濃毎日新聞は、長野県において中央三大紙より購読部数が多く、県内の世論に対する影響力が大きいものですが、そのコラム「斜面」(朝日「天声人語」の信毎版)に馬奈木団員の参議院参考人意見が取り上げられました。
 6月17日付で、土地利用規制法(案)に関してのものですが、切り出しは、アニメ映画で戦前スケッチをしていた女性がいきなり憲兵によって絵を取り上げられた場面をあげ、「要塞地帯法」によって地帯外で広範囲に禁止されていたことを紹介した後に、次のとおり記述しています。
 弁護士の馬奈木厳太郎さんは、参院内閣委員会の参考人質疑でその条文を読み上げた◆「戦前の法律でさえ何をしてはいけないか具体的に示している」。自衛隊や米軍基地などの周辺の土地利用を規制する法案の審議である。「安全保障の名目で市民を監視下に置く発想はまるで戦前だ」。そう批判したうえで、条文の曖昧さをついたのだ
 そして、ひき続いて「斜面」は、次のとおり馬奈木さんの発言を引用して締めくくっています。
 ◆重要施設の機能を阻害する行為も明示されていない。市民運動への圧力など乱用の危うさがつきまとう。「全てを閣議決定や政令に委ねるなら国会はいらない」。馬奈木さんの訴えも馬耳東風か。与党は深夜に法案を成立させ国会を閉じてしまった。お寒い民主主義の現実にがく然とする。
 私はこれを読んで、団員の奮闘が地方紙にも影響することをあらためて痛感しました。
 また、このようにアニメから入り、馬奈木さんの発言を引用して締めくくった「斜面」は、説得力があり、このような文章を私も書きたいを思いました。
 なお、「斜面」は、団員の意見陳述を引用して、県内の大衆的裁判を紹介してくれることがあります。

 

離婚後共同親権制度について慎重な議論を

愛知支部  岡 村 晴 美

 現在、日本は、離婚の際に父母の一方を親権者と定める、単独親権制度をとっている。これに対して、離婚した父母の双方が親権者となる離婚後共同親権への法改正を求める声がある。しかし、離婚後共同親権が導入されるようなことがあれば、その枠組みを利用して、DVや虐待の加害者が、元配偶者や子どもへの支配を継続し、深刻な事態を引き起こすことが推察される。DVや虐待の被害者にとっては脅威である。
 離婚後共同親権をめぐっては、推進派議員である嘉田由紀子参議院議員が、今年4月21日に行われた親権に関するオンライン集会で、DV保護施設の所在地に言及するという不祥事が起こっている。嘉田議員が参議院法務委員会の質疑でも引用する『実子誘拐ビジネスの闇』という本の目次には、「世にもおそろしい実子誘拐の真実」「ハーグ条約を“殺した” 人権派弁護士」「家族を壊す日弁連という危険分子」「DVシェルターという名の拉致監禁施設」「“敵”がたくらむ全体主義社会」等という扇情的な言葉が並び、いわゆる人権派弁護士に対する攻撃的な内容を含んでいる。何故、唐突に人権派弁護士が登場するのかといえば、「どうして原因もないのに女性が子どもを連れて家を出るのか」という問いに対する答えとして、「人権派弁護士による洗脳」と説明する必要があるからである。曖昧な幕引きとなったが、DV被害に対し、「軽視」ないし「敵視」をしてきたことからすれば、起こるべくして起こった不祥事である。
 DV事件を被害者側で受けていると、これでもかというほどの業務妨害に遭う。それはもう宿命のようなもので、勲章だと思って耐えてきた。しかし、離婚後共同親権という「正義」のもとで、それは確実に暴走している。「連れ去り」「実子誘拐」という過激な言葉で、子連れ別居の厳罰化を求め、代理人弁護士に対して誘拐罪の教唆犯として刑事告訴する。「連れ去り弁護士」「拉致弁護士」などとSNS上で実名を挙げて攻撃する。民事裁判、弁護士会への懲戒請求を繰り返す。駅前、家庭裁判所前、弁護士会館前にとどまらず、法律事務所前で、「離婚弁護士―!汚い金をもうけて飯はうまいんか。出てこんかい。」などという攻撃的な言葉による街頭宣伝。離婚後共同親権を求める人たちの行動は過激さを増している。
 「共同親権」と聞くと、協力し合う関係のように思われがちだが、「共同でないと親権を行使できない」ということを意味している。転居や進路、歯列矯正などの決定を、離婚後も話し合って決めることが要請され、話し合いで決まらなければ、裁判所で決めることになる。「共同」のためには、「友好的」であることが求められ、DVや虐待の主張をして、その立証に失敗すれば、「非友好的」とみなされて加害者に親権が認められてしまう。その弊害の大きさから、欧米では「共同親権」制度の見直しがすすんでいる。
 離婚後の子の監護に関する事項について、民法766条1項は、「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない」と定めている。離婚後においても、良好な関係にある夫婦が、子どもを共同で監護することは現行法で認められており、家庭裁判所の実務上、面会交流は、禁止制限事由がない限り広く認められる運用がなされている。子どもの最善の利益にかなうのであれば、どんな共同監護も、どんな共同養育も可能であるというのが日本の制度であって、欧米と比較して制限的ではない。
 基本に立ち返るが、DVの本質は「支配」であり、「暴力」は手段である。そして、手段としてふるわれる「暴力」は身体的なものに限られない。精神的暴力、性的暴力、経済的暴力を受けることによるみじめな気持ちは、日々蓄積することで確実に心を壊す。DVをみて育った子どもの脳に有害な影響を生じることが、科学的に明らかとなっており、面前DVは、子どもに対する虐待である。「子どものために離婚しない」という時代ではなく、子どもがいるからこそ、その連鎖を断ち切らねばならない。DVについての正しい認識が広まってきたことは女性に自立を促すようになった。しかし、女性が新たに自立を果たすために、「家」から逃げることは勇気がいる。離婚後単独親権制度は、家父長制からの離脱を後押しする機能をになってきた。離婚後共同親権に反対・慎重な立場での発言は、執拗な嫌がらせを招くことが予想され、当事者が訴えることは非常に困難である。しかし、だからこそ、DVから逃げることを萎縮させる制度の導入の危険性を訴えたい。そして、このような告発は、弁護士にとっても勇気がいるものであることを付言する。

 

「法律婚」神話と「戸籍」の物神化

東京支部 後 藤 富 士 子

 「選択的夫婦別姓」や「同性婚」の主張は、「事実婚」の不利益を甘受したくないとして、あくまで「法律婚」の待遇を求めている。それは、自己のアイデンティティーを国家の保護の下に置こうとする一方、「事実婚」差別を置き去りにする。まるで「名誉白人」になろうとするように。
 そこで、「法律婚」と「事実婚」に共通する「婚姻」とは何か?を検討してみよう。
 民法第739条1項は「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」とし、第2項は「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人2人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と定め、第740条は「婚姻の届出は、第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に違反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」としている。これが「法律婚」の成立に必要な要件である。但し、婚姻の「効力」として定められている「夫婦同姓の強制」(第750条)も「婚姻届出の受理」(その他の法令の規定に違反しないこと)というゲートの前に「要件」に転化する。考えてみれば、まことに奇怪な法律である。要件と効果がトートロジーで、まるで「山手線」ではないか。
 一方、憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定めている。すなわち、成立要件は「両性の合意のみ」である。「合意」により成立することは当たり前であるが、「合意のみ」としていることに重大な意味がある。この点で、「戸籍法の定める届出」と「受理」を婚姻の効力発生要件とする民法の規定は、そもそも「合意のみに基いて成立」という憲法の規定に明らかに反している。しかも、「婚姻適齢」「再婚禁止期間」などの「要件」に加え、「その他の法令の規定に違反しないこと」が受理の要件とされることによって、婚姻の成立要件は「合意のみ」とはかけ離れたものになっている。また、「婚姻」の中身については、「同等の権利を有する」という関係であり、「相互の協力により維持する」というものである。
 このように、憲法第24条1項に基づけば、民法も「事実婚」でいいのではないか? 現に「事実婚主義」の法制を採用している国もある(たとえば中国?)。
 そうすると、「法律婚」は、もはや神話というほかない。ちなみに、「大辞林」で「神話」を引くと、「人間の思惟や行動を非合理的に拘束し、左右する理念や固定観念」とある。
 戸籍制度についても、いろいろあって、もはや国家のフィクションと成り下がっている。
 たとえば、他人に勝手に婚姻届出されて受理されると、婚姻無効確認訴訟によらなければ是正できないうえ、訴訟係属中に原告が死亡した場合、訴訟は当然終了となり、戸籍上の夫婦関係を覆すことはできない(最高裁平成元年10月13日判決)。
 また、「嫡出推定」(民法第772条)の関係で、夫だけが嫡出否認権をもち(第774条)、それは訴えによって1年以内に行使しなければならないから(第775条、第777条)、それを怠ると、嘘でも戸籍上は「嫡出子」が確定する。一方、非嫡出子については「その父又は母がこれを認知することができる」と定められているが(第779条)、母子関係は、原則として母の認知を待たず分娩の事実により当然に発生するというのが確立した判例であり、父は、認知しなければ父子関係は発生しない。しかも、子からの認知の訴えは、父の死亡日から3年を経過すると提起できなくなる(第787条)。そのうえ、認知によらないで父子関係存在確認の訴えを提起することはできないとされている(最高裁平成2年7月19日判決)。
 「AID=非配偶者間人工授精」で生まれた子は、民法第772条により嫡出子として戸籍に掲載される。しかも、「特別養子」の場合と異なり、精子提供者が誰か分からない。母の夫が戸籍上の「父」となり、生物学上の父は不明である。なお、2020年12月に成立した「卵子・精子提供の親子関係特例法」では、当事者の真摯な訴えにもかかわらず、子の「出自を知る権利」が置き去りにされている。
 2003年に成立した「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」により性別変更して異性婚として法律婚をした夫婦がいる。妻が人工授精で出産したとき、その子は「嫡出子」かが争われた。戸籍上の父が子の実父で
ないことは明らかである。当初、法務省は嫡出子と認めなかったが、「AID」で生まれた子が嫡出子とされていることとの比較で、嫡出子と認めるに至った。
 こうしてみると、戸籍制度は必ずしも「血統」を重視せず、場合によってはそれを隠蔽したり反するものとなったりしていることが分かる。それにもかかわらず、「法律婚」神話とセットになって、「戸籍」は物神化(偶像崇拝)されている。ちなみに、「大辞林」で「物神崇拝」を引くと、「人間みずからがつくりだした商品や貨幣がかえって人間を支配し、人間がそれらを神のように崇めること」とある。
(2021年5月19日)

 

ブレジンスキーは妻を起こさなかった―核兵器禁止条約の普遍化を急ごうー

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 現在、1万3千発以上の核兵器が存在している。
 一発の原爆による広島での1945年12月末までの死者数は約14万人±1万人である。1944年2月時点での広島市の人口は33万6483人だから、41.6±3%の人が死亡したことになる。
 この死亡率を現代に当てはめると、地球上の人口は約78億人と推計されているので、5か月弱で、約32億人が死亡することになる。まさに「壊滅的人道上の結末」である。この計算は、人間が人間に対して現実に行ったことをベースにしているという意味で、空想的なものではない。
「人影の石」
 死者の割合が高いだけではない。原爆は「人影の石」を残している。「銀行の石段に腰を掛け開店を待っていた人が、原爆の閃光を受け、逃げることもできないままに、その場で死亡したと思われます。強烈な熱線により、石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰かけていた部分が影のように黒くなって残りました」とされている石の階段のことである。
 ついさっきまでそこにあった日常が、突然、理不尽に、抗いきれない力によって奪われることは、誰にとっても耐え難いことである。その日常を奪うものが、天変地異であれ、国家であれ、狂気であれ、悪意であれ、事故であれ、身を引き裂かれるような想いに駆られるであろう。私はそんな目に遭いたくない。だから、せめて核兵器をなくしたい。
誤警報
 私が核兵器をなくしたい理由はそれだけではない。核兵器は、意図的な使用だけではなく、人間の間違いや機械の誤作動で使用される可能性があるからである。
 クリントン政権下の国防長官ウィリアム・ペリー(『核のボタン』朝日新聞出版)は、「冷戦期に核の応酬になりそうだった最大の危機は、意図的に計画された攻撃によってではなく、悪い情報や、不安定な指導者たちや、誤警報によるものだった」としている。その一例。
 1980年6月、カーター政権時代のことである。安全保障担当大統領補佐官ブレジンスキーは、深夜、軍事顧問から電話を受けた。ソ連の潜水艦が220発のミサイルを米国に向けて発射したというのである。ブレジンスキーはソ連の発射と攻撃目標を確認するように指示し、報復攻撃ができるように戦略空軍に核搭載爆撃機を発進させるよう告げた。再度の電話は、ソ連のミサイルは2200発ということだった。全面攻撃である。彼は妻を起こさないと決めた。30分以内にみんな死んでしまうだろうからである。その後、3度目の電話が来た。誤警報だったというのである。そして、その原因は45セントで取り換えのきくコンピューターチップの欠陥だったという。
 もし、誤警報との確認が遅れていたら、米国のソ連に対する先制核攻撃が行われていたことになる。それに対するソ連からの報復が行われ「相互確証破壊」が現出したであろう。ソ連はなくなったけれどロシアは存在している。事態は何も変わっていないのである。
 私たちは、核大国の意地の張り合いやつまらない事故によって、その日常を突然奪われるかもしれない世界に生きているのである。私はそんな世界を変えたいと思う。
禁止条約の発効
 1月22日、核兵器禁止条約が発効した。核兵器は、開発も実験も保有も移譲も使用も使用するとの威嚇もすべて禁止されたのである。その背景にあるのは、いかなる理由であれ核兵器が使用されれば「壊滅的人道上の結末」が起きるので、核兵器は廃絶しなければならないという思想である。核兵器は、毒ガス(化学兵器)や細菌(生物兵器)や対人地雷やクラスター弾などと同様に、使ってはならない兵器、持ってはならない兵器とされたのである。ここには歴史的転換がある。被爆者は「核兵器の終わりの始まり」だという。私もそう思う。
核抑止論
 けれども、米国は禁止条約には「致命的欠陥」があるとしている。日本政府は、禁止条約は「国民の生命・財産を危険に晒す」としている。核兵器は自国の安全を確保する切り札なのに、それを禁止するなどとは許しがたいという論理である。核兵器は安全と秩序を維持するための物だという核抑止論である。この姿勢を変えなければ、私たちは、いつまでも、核兵器の影におびえ続けなければならないことになる。
 その恐怖から解放される法的枠組みが禁止条約である。禁止条約は、締約国に、まだ条約に署名をしていない諸国に対して、条約への加入を働きかけ、条約を普遍化するよう命じている。また、市民社会に対しても、締約国会議への参加を呼び掛けている。その呼びかけに応え、生まれたての禁止条約を健やかに成長させなければならない。
核兵器はなくせる
 地震や津波をなくすことはできない。ウィルスをなくすこともできない。けれども、核兵器はなくすことができる。物理的にも政治的にも可能である。もちろん、その知識や技術は残るだろうけれど管理は可能である。現に、ピーク時には7万発はあった核弾頭は1万3千発台まで減っている。「核のボタン」を押す権限は神様によって与えられたのではなく、人民の負託によるものであると擬制されている。人民の意思が変われば核兵器はなくせるのである。
 そのためには、私たち一人一人が、核問題を「他人事」ではなく「自分事」として考え行動することが求められる。核兵器廃絶は、被爆者の切実な願いというだけではなく、自分自身の問題であることを忘れてはならない。
 禁止条約に署名し、批准する政権を樹立しなければならない。そのためには、そのような意思を持つ議員を当選させなければならない。「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は「核兵器のない世界を実現するため、『核兵器禁止条約』を直ちに批准する」との政策を政党に提言している。この政策を掲げる政党を前進させることは「核兵器のない世界」に近づくことにつながるであろう。
(2021年4月2日記)

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