第1756号 10/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

  - 自由法曹団物語、百年史年表の感想 -

  • 自由法曹団物語30話  小笠原  里夏
  • 「自由法曹団100年史」について
    -まだお読みでない方に   今村  幸次郎
  • 【寄稿】自由法曹団百年によせて-現場主義と創造的法学による人権の確立  井上 英夫
  • 性刑法改正の方向性  齊藤 豊治
  • 「台湾有事」の何が問題か・補論
    -ND「台湾問題に関する提言」批判  松島   暁
  • 「負けたら学べ!」 
    上条貞夫先生の学習会に参加して  伊須  慎一郎
  • 労働者の要求に寄り添うとは-第2回「先輩に聞く~労働事件をどうたたかってきたのか、これからどう闘うのか」
    (上条貞夫団員の講演)を聴いて  笹山   尚人
  • ☘ 事務局長日記 ☘(不定期連載)  平松  真二郎

 

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- 自由法曹団物語、百年史年表の感想 -

 

自由法曹団物語30話

静岡県支部  小  笠  原  里  夏

光と闇
 表紙カバーの赤色がとても美しい本です。地を這うような闇と、その上から淡い輝きを広げていく光とが描かれているようです。
 30のどの物語にも、司法をリードし、社会を変えていく団員の力強い活動と、行く手を阻む巨大な理不尽とが、交互に立ち現れます。勝ったと思ってもまた次の困難が襲ってきて、決着がつきません。
 「自由法曹団物語」は、人間の尊厳をかけて果敢にたたかう優秀な団員の成功談がずらりと収録されている書籍だと思っていました。けれども実際のところ、30の物語のほとんどが、まだ話の結末を迎えていません。主人公の団員や当事者の方々は、まだ舞台を降りることなく、新たなストーリーを展開し続けています。
 この長く続くシビアなたたかいに団員が挑む物語は、ハッピーエンドを期待する読者にとっては、少しハードかもしれません。しかし同じ仲間の団員としては、物語の行方は知っておきたいところです。
「別の歴史」をつくる物語
 第1章はじめの物語は、9.11、アフガン戦争・イラク戦争とこれに正面から向き合った団員の活動記です。「21世紀の幕が開けたとき、」から始まる冒頭の一節は、スクリプトのスケールの大きさを予感させます。
 「団員の目」からみた9.11は、私にまったく新しい意味合いをもって迫ってきました。
 9.11が起きた当時、司法試験浪人だった私は、テレビ画面の向こうで起きている信じられない光景をただ呆然と見ているだけでした。
 しかし、まさに同じ時、戦争を起こさせるものか、暴力の連鎖を断ち切らねばならないとの思いで、この世界史レベルの出来事に食い込んでいき、戦争を起こさない「別の歴史」をつくろうと奮闘した団員がいるのです。
 20218月末、アフガン戦争開始から約20年。テロとの戦いに勝利することなく米軍はアフガニスタンから完全撤退しました。米軍による侵攻と駐留が続いた20年間で犠牲になったアフガニスタン人は約24万人と言われています。多くの米兵も戦死しました。そして今アフガニスタンは再び大きな混乱に見舞われています。アメリカが始めた「テロとの戦い」は完全に間違いでした。
 それが明らかになった今、20年前に「別の歴史」を団員がつくろうとしたこの物語を読むことには、大きな価値があると思います。
30の物語へのリスペクト
 弁護士になって、そして団員になって17年間が経過しようとしています。子育てにかこつけて弁護士人生のほとんどを「なんちゃって団員」で過ごしてきた私も、昨年から支部の事務局長に任ぜられ、団の活動に以前よりはコミットするようになってきました。
 そうした中で多くの偉大な団員の存在を知るようになり、30の物語に登場する主人公たる団員の中に、敬愛し、あるいは親愛なるお名前を発見することができます。
 既によく知っている事件や取組みもたくさんあります。けれど普通の事件報告からは伝わりにくい、情熱や迫力が、物語からは立ち上ってきます。それを感じ取るのが物語を読む醍醐味のひとつです。
 30の物語に登場する団員の尽きることのないエネルギーや闘志、チャレンジ精神、大きな仕事を成し遂げるための頭脳、創造力、行動力にはただただ圧倒されます。そして、そこから生まれるドラマにも胸をうたれます。
 団員なら誰だって、毎日の弁護士業務の中で「物語」をつくっていると思うのです。30の物語から受ける感動は、大きなインスピレーションとなって、自分が主人公の物語をつくるのに役立つのではないかと思います。これは普通の事件報告を読み聞きしただけでは得られない有機的な効果だと思います。
それにしても
 冒頭の一節を読んだ時には、あまりに本格的な筆致であったため、編集委員会がゴーストライターを雇ってこの本を制作されたのかどうかが気になって仕方ありませんでした。あとがきによれば、自前であるようです。団員の底知れぬ才能には感服するほかありません。
 自由法曹団物語が多くの人の手にわたることを願います。

 

「自由法曹団百年史」について-まだお読みでない方に

東京支部  今  村  幸  次  郎

  ご案内のとおり、団は、創立100周年を記念して、「自由法曹団物語-人間の尊厳をかけてたたかう30話」、「自由法曹団百年史」、「自由法曹団百年年表」を出版しました。本稿では、まだお読みでない方向けに「百年史」をご紹介し、推薦したいと思います。
 「百年史」は、1921年の神戸造船所争議事件の調査活動から始まった団の100年を振り返り、そこから団の将来を展望する書です。
(1) 1921729日、神戸の川崎・三菱造船所争議団に対する警察隊による人権蹂躙事件が発生しました。その調査のため、東京の弁護士14名が現地に集合し、官憲へ抗議しました。これらの弁護士は、絶対主義天皇制国家の支配に苦しむ労働者、農民らの人権擁護のために闘う同志に広く呼びかけました。同年820日、これに賛同した約70名の弁護士が東京・日比谷の松本楼において発会式を開き、自由法曹団が結成されました。
 団の創立から間もない1925年、治安維持法が制定され、1928年には、最高刑が死刑に引き上げられました。搾取反対や人権擁護の活動は、政府による激しい弾圧を受け、19294月には、日本共産党の党員・支持者約300名が一斉に治安維持法違反で検挙されるという事件が起きました。団員らは、治安維持法違反で検挙、起訴された被告人の弁護活動に立ち上がります。しかし、政府・警察権力は、これら弁護団の公判での弁護活動それ自体が治安維持法違反だとして、19339月、布施、上村ら17名の団員弁護士をいっせいに検挙しました。その後、起訴された団員らは有罪判決を受け、1934年以降、団の活動は事実上休止状態となりました。敗戦後いちはやく、団は、19451110日に再発足大会を東京会館で開催し、活動を再開します。
 団員は治安維持法違反の公判をどうたたかったのか。敗戦後、団はどう再出発したのか。詳しくは「百年史」第1章をお読みください。
(2) 敗戦後、日本の民主化と権利闘争は急速に高揚し拡大しました。しかし、1949年には東西分断が決定的となり、中国で共産軍が政府軍を追い詰める等の情勢から、アメリカは日本を反共の前線基地にと考えました。そのため、GHQと日本政府により、国内で様々な反共工作が行われました。
 1949817日、東北本線松川駅付近で列車脱線転覆事故が発生し、乗務員3名が死亡しました。当局は、当初から、共産党の犯行を示唆し、地元の国労、東芝労組の組合員が相次いで逮捕、起訴されました。全く身に覚えのない「犯罪」を自白させられた被告人たちの弁護に立ち上がったのは、大塚、岡林ら団員弁護士でした。一審は、死刑5名を含む全員有罪判決。二審も、3名を無罪としたものの、他は死刑4名、無期2名、懲役刑11名という不当判決。しかし、そこから、被告人、家族、支援者、文化人、国民を巻き込んだ大衆的裁判闘争が旺盛に展開されます。証拠の捏造・隠蔽等の権力犯罪をあばき、1959810日、最高裁大法廷による二審判決の破棄差戻しという逆転を勝ち取りました。
 団と団員は、一審の全員有罪判決をどう乗り越えたのか(政府によるレッドパージが続く中、団内から自主解散論も提起されました。)。大衆的裁判闘争はどのようにたたかわれたのか。全員無罪判決(196188日仙台高裁)後の権力犯罪への責任追及はどのようなものだったのか。詳しくは、「百年史」第2章をお読みください。
(3) 1960年の安保闘争を経て、学生運動が高揚しました。
 60年代後半には、「極左暴力主義集団」と言われる学生による他の学生等に対する暴力事件も起きていました。そんな中、デモや闘争の際に逮捕された「極左」学生に対する弁護活動をめぐり、団内で激しい議論が行われました。折からの団規約改正問題と「極左」学生への弁護のあり方をからめて、一部の団員から団に対する激越な批判が提起されました。事実に基づくものではありませんでしたが、「団は日本共産党の指示に基づき『暴力学生』の『弁護拒否』を決めた」、「計画されている規約改正はこうした『弁護拒否』を合理化するためのものである」といった批判が繰り返されたのです。
 これに団はどう対応し、どのように議論して、現在の規約第2条に到達したのか。詳しくは「百年史」第3章をお読みください。第3章は、坂本修元団長の(おそらく最後の)論稿に基づくものです。
 「団が(規約改正問題から)得た最も大きな成果は、世代や党派の違いを超えて、全団員が、戦前、戦後の団の闘いの歴史をつかみ直し、『何のために、誰の人権を、誰とともに守るのか』という『団の弁護』の基本的なあり方を自分のものにし、そうした志を共有する弁護士の集団としての団の団結を維持、強化していく決意を固めることができたことである。」(「百年史」83頁)-団をこよなく愛した坂本元団長の私たちに対するメッセージのように思えます。
(4) その後の公害・薬害事件、刑事弾圧・思想差別・女性差別・非正規切り・新自由主義とのたたかい、平和と憲法を守る運動、21世紀における未来を展望する取組み等々は、「百年史」第4章~終章をお読みください。
 この機会に「百年史」をお読みいただき、団が100年にわたってこういうことをやり続けている団体であること、自分がその一員であることについて、改めてそれぞれ考えてみるのもいいのではないかと思います。

 

【寄稿】

自由法曹団百年によせて-現場主義と創造的法学による人権の確立 

いのちのとりで裁判全国アクション共同代表
日本高齢期運動サポートセンター理事長
金沢大学名誉教授  井 上 英 夫

自由法曹団結成百年、おめでとうございます。
 「自由法曹団と団員が権力の不正を許さず、人々の人権を擁護し、この国と社会の民主的変革をめざして、人々とともに歴史の歯車を前に進めるようとするたたかい」の記録、『自由法曹団百年史』を拝見していると、新井章、藤原精吾、高野範城さん、そして石川県の梨木作次郎弁護士はじめご一緒にたたかった多くの方のお顔が浮かびます。皆さんの平和主義、国民主権そして基本的人権確立のためのたたかいに感動を覚えています。
 私は、早稲田大学大学院で野村平爾先生にプロレーバー労働法学、「権利としての社会保障」を小川政亮先生、そして沼田稲次郎先生には唯物史観・社会法学を学びましたが、労働災害の民事賠償裁判から研究と運動生活を始めました。野村先生からは、判決文を読むだけでなく、現場に行き、原告・弁護士の話を聞きなさいと強く言われ、岡村親宜さんを訪ね、お世話になったわけです。
 社会保障裁判については、『百年史』の第6章「90年代以降の規制緩和・国家改造と権利闘争」の3「社会保障削減と反貧困運動・集団裁判の闘い」で詳しく記述されています。私は、朝日訴訟には遅れた世代ですが、その後の堀木訴訟以降ここで取り上げられた裁判とくに近年の生活保護引き下げに対する生存権裁判、いのちのとりで裁判、年金引き下げ訴訟等多くの集団訴訟に参加してきました。さらに、社会保障にとどまらず、玉野事件・ALS患者在宅投票訴訟はじめ障害のある人の参政権保障、ハンセン病問題検証会議、最高裁の「特別法廷」問題調査等にも参加してきました。
 その中で自由法曹団の多くの方たちとともに闘ってきました。とくに渕上隆・黒岩哲彦さんには、いのちのとりで裁判・年金裁判で何度も金沢に足を運んでいただいています。
 さらに千葉県で起きた母娘心中事件に取り組み荒井新二・山口一秀さんと『なぜ母親は娘を手にかけたのか』(旬報社、2016年)を編集、日本の生活保護・社会福祉そして住宅政策の貧困に切り込んできました。
 なお、同章の4が「平和・憲法・基地をめぐる30年」となっていることは、編集の皆さんの慧眼を表していると思います。すなわち、憲法前文は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と平和的生存権をうたっています。
 ここに、恐怖とは戦争やテロ、暴力であり、欠乏とは飢餓や貧困です。したがって戦争・軍備を放棄した憲法9条と貧困を克服する社会保障を国民の権利・人権とし国の義務と明言した憲法25条は、まさに一体、車の両輪と言えるでしょう。
 この視点は、9条偏重ともいうべき平和的生存権論そして自由権と社会権の二分論を前提にした自由権の社会権への優位という、学会から裁判所、そして法曹界を支配している「通説」、実は抜きがたく時代遅れの人権・憲法論を根底から覆すことになるでしょう。
 自由法曹団百年史の「発刊にあたって」では、「団が重視してきたのは、人々が受けている人権侵害に対して、その現場で調査・確認した事実に基づいて、ひろく人民と団結して闘うことです。それが自由法曹団の原点であり、一貫した立場です。」とあります。また、1022日開催の自由法曹団100周年記念のつどいは、「挑戦と創造-人間の尊厳をかけて-」をテーマとしています。
 今年6月、若手、中堅研究者の皆さんに私の古希記念論文集『社会保障裁判研究 現場主義・創造的法学による人権保障』(矢嶋里絵・田中明彦・石田道彦・高田清恵・鈴木 靜編著、ミネルヴァ書房)を刊行していただきました。
 記念論文集としては異例ですが、私が「社会保障裁判研究と創造的法学」の一文を寄せ、「現場・現地主義を貫き、実態に基づいて、解釈を変え、法律を変え、場合によっては憲法を変え新しい人権も創造していくという創造的法学の立場」を提起しました。
 アウシュビッツ、南アフリカ、インドネシア・バンダアチェ、中国四川省、東日本大震災・津波・原発事故そして各地の餓死、孤立・孤独死、介護・病苦殺人、津久井やまゆり園事件等々、国内外の戦争・貧困・災害・事件現場を訪れ、人間の尊厳と人権について考えてきました。その経験の集大成として自由権と社会権を総合した新しい人権として「住み続ける権利」を提唱しています(『住み続ける権利貧困・災害をこえて』新日本出版社、2012年)。
 さらに、現場・現地すなわち人々の生活実態からますます離れた机上かつ「法解釈偏重」の社会保障「判例」研究に対して、現場からの社会保障裁判の創造を訴えました。とくに、70年以上前に制定された憲法25条の「最低限度」に固執し、朝日訴訟、堀木訴訟最高裁判決を後生大事に「判例」として固守している裁判官たちにも向けたものです。
 憲法25条についていえば、最低限度の生活も「健康で文化的」であることを強調すべきですが、さらに国際人権規約がいうように「十分な生活」を保障すべき時代であるということです。誤解を恐れずに言えば、人々の生活が変わり、国際的、国内的に人権が目覚ましく発展している現在から見れば現憲法は時代遅れです。しかし、憲法を改正する必要はなく、国際人権条約の内容を憲法解釈、政策、立法、行政に生かしていけばよいのです。
 こうした視点から、表題のごとく、1980年以降、人々の裁判運動・裁判創造により膨大な数に発展した主要社会保障裁判を取りあげ、現場・生活実態から現代の人権保障を創造し確立することを訴えています。
 この現場主義・創造的法学は、まさに自由法曹団の方向と軌を一にするものと思います。内容はチラシを付けました。普及版は高額ですが、私・執筆者の紹介で二割引きになります。研究書をこえ裁判創造の手引書でもあります。『自由法曹団100年史』『年表』『自由法曹団物語』そして藤原精吾さん等と編集した『社会保障レボリューション-いのちの砦・社会保障裁判』(高菅出版、2017年)と併せてご一読いただければ幸いです。
 朝日訴訟原告の朝日茂さん、養子となり訴訟を承継した健二さんの口癖は「権利はたたかう者の手にある」でした。
 ご存知のように、日本国憲法97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、 これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定しています。 ここに「努力」は英文ではstruggleまさにたたかいにほかなりません。さらに、12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と国民に厳しい「不断の努力義務」を課しています。
 自由法曹団100年の歴史は、「人権のためのたたかい」「不断の努力」であり、『百年史』はその「成果」にほかならず、さらに今後将来に向かって人権そして憲法を守り発展させる礎となるものと確信します。
 付け加えれば、自民党の憲法改正草案では、この97条は全文削除となっています。
 あらためて、自由法曹団、団員の皆さんに敬意を表し、人権保障確立による真の平和実現のため、ますますのご活躍をお祈りします。

 

 

性刑法改正の方向性

大阪支部  齊 藤 豊 治

  法務大臣の諮問を受け、10月から法制審議会の部会で、性刑法の第2次改正の法案作りが始まる。今回の諮問では、法律要綱案の提示には至らず、部会で法案が作成されていくことになる。現時点では立法の方向性がきわめて重要である。今回は、改正で最も重要な課題である強制性交等罪の暴行・脅迫要件の見直し、不同意性交罪の新設に絞って、問題を提起したい。字数の制限のため、理由の詳しい説明は別の機会に譲る。
(1)不同意性交罪を新設する。
 現行の強制性交等罪は、男女差別の強い社会において、一方的に被害者に抵抗を期待するものとなっている。その処罰の空隙のしわ寄せは社会的弱者でもある被害者に集中しており、被害者に沈黙を強い、被害者の責任を問う結果となっている。現行法の解釈を拡大するという運用対応論は限界に達している。
(2)不同意性交罪の法定刑
 この法定刑は、強制性交等罪の5年以上の懲役刑よりも軽くし、下限を引き下げるか、取り払い、他方で懲役刑の上限を設けるべきである。
 刑罰が重すぎる場合、犯罪成立要件の判断が抑制的となり、起訴猶予の増大など、法適用が不活発になる可能性が高い。不同意性交を立法化した諸外国の最近の立法例でも、その大多数は不同意性交罪については最も軽い法定刑を定めている。不同意性交罪の行為態様は暴行・脅迫よりも侵害性の低い行為態様を列挙し、法定刑は例えば、懲役10年以下とする等が考えられるであろう。
(3)不同意性交罪と強制性交等罪と二元的構成
 不同意性交罪の構成要件に暴行・脅迫を含めることは、現行法の運用における混乱を不同意性交罪に持ち込み、法運用の安定を阻害する。暴行・脅迫それ刑法において犯罪となる侵害性の高いものである。不同意性交罪を暴行・脅迫周辺の侵害性が軽微な行為態様を要件とする独自の犯罪類型とすることで、暴行・脅迫を要件とする強制性交等罪の運用において、無理な拡張解釈を行う必要性も解消される。
 不同意性交罪と強制性交罪とを二元的構成とし、両者は守備範囲と刑の重さを異にした規定とし、かつ隣接した存在とすることが、過不足ない処罰と安定した法の運用をもたらすであろう。
(4)不同意性交罪の行為態様
 日常用語並びにわが国の刑法その他の既存の刑罰法規で採用されている行為態様および諸外国の最近の立法の動向を参考にして、規定すべきである。
 「威迫」、「威力」、「欺罔・偽計」、「錯誤の利用」、「精神の衝撃」、「不意打ち」などが行為態様の例示的列挙として考えられる。「欺罔」について、被害者に「相手方の同一性」および性的行為という「行為の性質」の錯誤が生じている場合につき、準強制性交等罪の成立を肯定する一連の判例がある。そのほかに、避妊措置に関する欺罔や、HIV感染等に関する不告知も問題となる。
 暴行・脅迫を不同意性交罪の行為態様とすべきではなく、強制性交罪を存続させ、その行為態様として維持する。
(5)受け皿規定
 受け皿に関しては、「その他不同意を推認できる方法」とすることが望ましい。「その他その意思に反する方法」という規定では、内心の意思によって犯罪の成否が決定されるという誤解を生じる。
(6)準強制性交罪の段階設定
 強盗罪は「昏睡させる」ことが構成要件となっており、昏睡状態に乗じる行為は窃盗罪に当たるとしている。準強制性交罪に関しても、抗拒不能の状態を性的意図で作出したうえで性交等を行う類型(作出型)と単にそうした状態に便乗して性交等を行う類型(便乗型)とを段階的に区別するべきである。明治13年の旧刑法では、作出型のみを処罰し、便乗型は規定していなかった。作出型と便乗型とは、違法性の程度が類型的に異なるのであり、作出型は重い類型とすることが相当である。
(7)強制性交等罪の加重類型の創設
 強制性交等罪のうち、とくに悪質性の高い行為態様のもの については、強制性交等罪の加重類型とすることを検討すべきである。加重類型の行為態様としては、性的同意年齢に達しない年少者への犯罪、集団的な犯行、凶器を利用した暴行・脅迫、性的意図を有した逮捕・監禁状態の作出、特別公務員の性的な陵虐などを規定するべきであろう。

 以上を整理すると、不同意性交罪は強制性交等罪に代替するものではなく、両者は併存し、相互補完の関係とする必要がある。不同意性交罪の法定刑は、強制性交等罪の5年以上の懲役刑よりも相当に軽いものとする必要がある。強制性交等罪は、行為態様の侵害性に応じて、基本類型と加重類型とに区分することが望ましい。
 団では性刑法改正に関して賛否が分かれている。反対論の人々には、日本の性刑法の規範がもつ女性差別的な構造を理解してほしい。改正促進論の人々には、一律の重罰がきわめてバランスを欠くものであり、大量の不起訴を生みかねないことを理解してほしい。団として一堂に会して議論を重ねる場が必要であろう。

 

「台湾有事」の何が問題か・補論-ND「台湾問題に関する提言」批判

東京支部  松 島   暁

 看過できない問題を含む提言
 前稿「『台湾有事』の何が問題か-台・中・米をめぐる情勢と課題」(団通信1775号)を脱稿後に新外交イニシアティブ(ND)の「台湾問題に関する提言戦争という愚かな選択をしないために」に接した。
 この政策提言にどの程度の説得力があるか不明ではあるが、同政策提言の執筆者には柳澤協二氏が入っており、柳澤氏は、自由法曹団もその構成団体の一つである「改憲問題対策法律家6団体連絡会」のオンライン勉強会の講師に招かれ、本提言とほぼ同様の話しをされており(講演内容は「法と民主主義」560号に掲載)、一定の影響力があると考えられるところ、同提言には重大な問題点が含まれており、看過できないと判断した。
台湾は大国間のパワーゲームの駒か
 提言は、「台湾は、米国から見れば民主主義の象徴であり、一方、中国から見れば国内統一の象徴であって、両者の間に妥協の余地がない。そこに、米中の戦争が懸念される理由がある」との書き出しで始まる。この一節に本提言の問題点が凝縮されているように思う。本提言における台湾は、米国にとって民主主義の象徴、中国にとっての国内統一の象徴とはされるが、台湾にとっての台湾という視点が終始欠落している。
 台湾にとっての台湾とは何か。2300万の人々が台湾で現に生活しており、国連からの追放にあいながらも自らの力で戒厳令を打破し、政権交代を含む民主化を成し遂げた地域共同体が存在するという事実である。この事実に目を向けることなく、米中の視角から戦争の危険を論ずる本提言は、台湾という存在を米中の大国間のパワーゲームの駒としてしか扱っておらず、その出発点において誤りを犯すものである。
台湾独立が問題の起源か
 また提言は、中国の武力行使を思いとどまらせるためとして、「問題の起源は、台湾側に独立をめざす底流があり、それに対し中国が不断に軍備を増強し、その行使を否定しない姿勢をとっていることにある。その一方で米国は、台湾との政治的関係を強化して、徐々に事実上の独立国として扱う『政治的現状変更』を試みている。これが中国を刺激し、更なる軍拡に走らせる悪循環が起きている」と現状を認識し、「抑止」とともに「安心供与」が必要だとしている。
 この一節は提言の現状認識を端的に示すものである。戦争の危険の要因を台湾独立派の存在とそれに手を貸す米国という構造で論ずる([台湾独立派の存在中国の軍備増強・強硬姿勢の招来、米国の現状変更(独立国扱い)中国の更なる軍拡])。しかし、この現状認識は、中国の近時の「政治的現状変更」の試みに目を閉ざす一方、戦争の危険の根源は台湾独立だというに等しく、ここから導かれる安心供与は結局、「台湾独立の放棄」あるいは「台湾との連携の抑止」となるであろうが、台湾の人々にとって到底受け入れられるものではない。
中国の主張を丸呑みする提言
 提言の現状認識を招いた要因は、台湾にとっての台湾という視点の欠落とともに「一つの中国」論という中国側の主張を丸呑みした結果であると思われる。
 提言は、「両者(中国・台湾)の共存がかろうじて保たれてきたのは、米・中の政治指導者が『一つの中国』という極めてデリケートな認識によって両岸の安定を図ろうとしてきた」からだとし、「台湾問題の平和的解決」のためには、短期的には、「一つの中国」の認識と「台湾独立の不支持」の方針を再確認することであり、中期的には、中国が武力行使以外の選択肢を持たない状況を作らないよう、関係国が慎重に行動することであるという。しかし、これでは、北京政府の言う「一つの中国」を丸呑みせよというに等しい。
「一つの中国」の含意と両岸の平和
 米、中の「一つの中国」の理解は単純ではない。ニクソン訪中に際しての米中共同声明(上海コミュニケ)では、中国側が、「中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、台湾解放は中国の国内問題」だと主張したのに対し、米国は「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を重ねて あきらかにする」とされた。米国は中国の主張を認識し異論はとなえないが、台湾の武力統一は認めないとしているのである。そして後者の米国政府の関心を具体化したのが上下両院で圧倒的多数で可決成立したいわゆる「台湾関係法」である。同法は「(中国との)外交関係樹立の決定は、台湾の将来が平和的手段によって決定されるとの期待に基づくもので」、平和的手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試みは、合衆国の重大関心事と考え、「必要な数量の防御的な器材および役務を台湾に供する」とした。
 これまで両岸関係がかろうじて維持されてきたとすれば、それは「台湾が独立に走らない」ことと同時に「中国が武力統一の挙に出ない」ことが条件だった(米国の「曖昧戦略」はこの両者に対する米国の対応を曖昧化することで両岸の安定を目指す戦略だった)。
 この関係を不安定化させているのは、台湾なのか北京政府なのか、それともワシントンなのか、何が主たる要因で、何が副次的要因なのかが見定められなければならない。
 台湾研究の第一人者若林正丈氏は『台湾の政治-中華民国台湾化の戦後史[増補新装版](東京大学出版会2021)のあとがきで「台湾に『台湾の地域的政治主体性』の成長をはぐくみそだてた価値、他国の者も共感できるような価値が損なわれない将来が続くことを衷心より願うのみである」と記されている。まったく同感である。

 

「先輩に聞く 労働学習会シリーズ」第2回 講師:上条貞夫団員(東京支部)- 感 想 -

 

「負けたら学べ!」上条貞夫先生の学習会に参加して

 埼玉支部  伊   須   慎   一   郎

  2021107日、自由法曹団創立100周年の取り組みの1つとして開催されている大先輩から労働事件を学ぶ企画に参加しました。講師はドイツ語に堪能で理論家の上条貞夫先生。私は、是非、上条先生の話しを生でうかがおうと、30分前に団事務所に到着しました。すると、上条先生が、大きなキャリーバックを持っていらっしゃいました(実際は岸事務局次長が持ってきました)。その中には、最初に負けた山恵木材の記録や、先生が書かれた論文、手控えのノート等がぎっしりと詰まっていました。紙は茶色になっており、先生がたたかってこられた歴史の重みを感じました。
 講義が始まると、当初の予定は1時間でしたが、1時間20分を過ぎたあたりで、先生が、もう少し話したいから、あと10分いいですかと言われ、結局、2時間近く数々の著明事件の顛末や裏話しをうかがいました。その中で、私が学んだのは次のことでした。
(1) 最初に負けた山恵事件は、最高裁で勝訴したが、会社が倒産して復職できず、最後に、労働者から最初の保全手続で勝ってほしかったと言われた。「負けたら学べ」で一生懸命巻き返して勝つことができたが、最初に事件を的確に把握することが重要である。上条先生は、今でもメールで相談が来たら、その日のうちに回答し、一晩考えて足りなければ追加のメールをするということでした。私は、忙しさにかまけて、色々なことが後回しになっていますので、先生を少しでも見習いたいと思います。
(2) 困難事件に勝つためには、「労働組合の要求が正しく、労働者本人が頑張れば、弁護士も頑張らなければならない」。先生は、勝つためには、とことん学ばれ、要求と頑張りにこたえてきたので、全国各地の多くの労働者、団員に信頼されていることが分かりました。ドイツの文献を読んで、変更解約告知なるドイツで四半世紀前に葬られた〇〇(講義の後の発言ですが、明記できません)の理屈を日本で認めるわけにはいかないと熱く語られました。私は、外国語の文献まで調べることはとてもできませんが、もっとアンテナを張って論文や専門書を読まなければならないといけないと思いました。
 先生が忌避専門の弁護士だと紹介されたことがあるとおっしゃられたので、講義が終わった後、何回くらい忌避申し立てをしたことがあるのですかと、おそるおそる聞いてみました。先生は2030回かなあ、とおっしゃられました。それだけ、困難事件の中で裁判官とも対峙してきたのだと受け止めました。先生は、講義が終わると大事な資料を大きなキャリーバックに丁寧にしまい、帰られました(もちろん、実際に持って帰るのは岸事務局次長)。私は旬報の今村先生、並木先生から一杯やりましょうかと誘われましたが、鷲見先生を見習ったわけはありませんが、禁酒中。足早に江戸川橋駅に向かうと、上条先生に追いつき、先生と電車に乗るまで数分お話させていただきました。私が持株会社の使用者性を争っています、難しくて悩んでいますと相談したところ、上条先生も同種事件を担当されているとのこと。先生、色々と教えてくださいとお願いしたところで、先生は電車に乗られました。
 上条先生、ありがとうございました。
 執行部の先生方、素晴らしい企画だと思いますので、引き続き、よろしくお願いします。
 なお、翌日、この私の団通信の原稿案を読んでいただいた鷲見先生からお電話があり、鷲見先生も親会社の使用者性につき、都労委に救済申立てをされているということで、先生から朝日放送事件最高裁判決の見方につき、アドバイスいただきました。鷲見先生も、ありがとうございました。

 

労働者の要求に寄り添うとは-第2回「先輩に聞く~労働事件をどうたたかってきたのか、これからどう闘うのか」(上条貞夫団員の講演)を聴いて

東京支部  笹 山 尚 人

 2021年10月7日、表題の規格で、同じ事務所の上条貞夫弁護士の講演を視聴しました。
1 上条講演の概要
(1) 上条貞夫団員は、1932年生まれ、御年89歳。司法修習11期、弁護士63年という大ベテラン。そして、今なお現役。
 私が東京法律事務所に入所した2000年、小島成一元団長は既に引退状態でしたが、渡辺義雄、坂本修、そして上条さんの3名は現役でした。渡辺さん、坂本さんはその後実務から離れましたが、上条さんだけは弁護士業務を今も継続しています。
 渡辺さん、坂本さんが2020年に次々と逝去され、事務所の創設当時を知るのは上条さんだけになってしまいました。そんな上条さんの講演ですから、聞き逃すわけにはいきませんね。
(2) テーマとしては、上条さんが長いキャリアの中から労働事件のたたかいについて語るというものです。上条さんは、山恵木材、東洋酵素、日立・田中、スカンジナビア航空、日本航空、小学館、文化放送、第四銀行、青森銀行、みちのく銀行、NTT西日本、北都銀行、函館信金、米内沢病院、一橋出版マイスタッフ、建設公団共闘・弾圧、旭川学力テストの各争議、事件の教訓について語りました。
 とくに、判決で負けた事件でその後それをどう跳ね返したのか。そこでどんな討議が行い、弁護士は何を工夫したのか。それらが圧巻であったと思います。
 おそらく主催者は1時間程度の講演を予定していたと思われますが、これだけの話しのために、100分を超える長い話になったのは、致し方のないことと思われます。
2 上条さんの話されたこと
(1) 限られた時間で多くの事件について語られたので、一つ一つの事件の内容や取り組みについてもっと突っ込んで聞きたいと多くの視聴者は思われたかなあと思います。
 私は、以前突っ込んで聞いたことのある話も多くあったので、上条さんの言いたいことが理解できるような思いがしていました。
(2) 上条さんの言いたいことは、労働者の要求に徹底して寄り添え、ということに尽きますよね。
 そして、弁護士はよく間違う。それを、労働者や、仲間や、学者のみなさんとの議論の中でただしてもらう。この姿勢を貫け、と。
(3) しかし、これは、言うは易く行うは難し。
 労働者の要求を掴めているか。労働者が口にしたことをただ信じるだけで要求に寄り添ったことになるのか。要求として言われたことに納得はできるが、法的にどうしようもないと思えるときにも、本当にたたかうのか。いつも迷います。
3 上条さんの言われたことを敷衍して
 上条さんの言われたことを、ご一緒した経験から敷衍してみます。
(1) 2000年の登録直後の日本労働弁護団の総会で、上条さんはみちのく銀行最高裁判決を勝ち得た功績で労働弁護団賞を受賞されました。その帰りの道中、上条さんからみちのく銀行事件の教訓を聞きました。組合員の置かれた被害実態を徹底して明らかにしたこと。そこから導かれる要求を徹底して詰めたこと、でした。
(2) 2003年、一緒の弁護団でたたかっていた京王新労組の争議で、賞与請求裁判で敗訴判決を受けてしまいました。その後開かれた組合のバーベキュー大会、責められるに決まっているので行きたくないと私が相談したところ、上条さんは、「そういうときこそ行くべきだ。組合員の嘆きを全て受け止め、一緒に泣くんだ」と言われました。
(3) 2008年だったか、ある組合が残業代請求の相談を持ち込みました。消滅時効が完成している事案でした。私は止めた方がと思ったのですが、労働時間管理の杜撰さ、残業代不払いの実態を改善するとの組合の要求の強さから、こういう事件こそやろうと上条さんが言ったので闘いました。時効主張の濫用論で闘いましたが、結果は敗訴でした。
 でもこの争議で組合は強くなりました。執行部中心の運動になってしまったことの反省を口にして運動の強化をすると組合は総括しました。
(4) 2010年、同じ組合で解雇争議が発生しました。本人を職場に戻すという確固たる要求のもと、裁判と組合の粘り強い運動のもと、復職の道が開けてきました。でも会社案は、子会社への復職案でした。激論になりました。上部団体は子会社案で受けるべきと言い、組合の委員長は現職に復帰できないのでは意味がないと泣きました。最も重要なことはなにか、それは、職場に戻って、職場の労働条件改善のたたかいを継続すること、と要求討議がまとまり、子会社への復帰の和解となりました。
 上条さんがそこまで読んでいたわけではないと思いますが、残業代裁判をたたかって強くなった組合が、その後の解雇争議を闘い抜けたと思います。4 というわけで。。。
 日々上条さんのそばにいて、一緒に働きながらこうした経験をして、上条さんとじかに議論できる私たちは幸せです。団員のみなさんは、講演の文字起こしを団がしてくれるはずなので(?)、ぜひそれを読んでください。

 

事務局長日記 (不定期連載)

平 松 真 二 郎

 本号が皆さんのお手元に届くのは10月21日。明日は自由法曹団100周年のつどいです。そして明後日が総会です。
 今後,私の原稿としては,11月1日号には集いと総会の報告を掲載し,その後,正式な退任のご挨拶を掲載してもらう予定になっています。不定期連載で始めたこの事務局長日記,新事務局長が引き継いでいくものと思いますが,ひとまず私が執筆するのは最終回になります。
 小賀坂幹事長は,就任あいさつ(11月21日号)「『自由法曹団・愛』みたいな…」で,100周年を迎えるにあたって「ただ自分の存在と役職とが何らかの化学反応を起こして、少しばかりの彩りをもたらすことくらいはできないだろうかという程度の思いはある。」と書いています。同じ就任あいさつで,私たちが「団」とよぶことについて「そこに一種の「人格」を表しているように思えてしまう。」と書き,これは,100周年動画で「団員は、自由法曹団のことを、愛着と自負の念をもって団と呼びます」というナレーションとして採用され,「つどい」開催前に早くも化学反応を起こしています。幹事長は,明日のつどいでは,総合司会を担います。明日で新たな化学反応が見られることを期待しています。
 そして前号(1555号)で幹事長は「頼りない幹事長のせいで苦労も多かったのではないかと思う」と書いています。
 そんなことは全然なかったです。就任早々,桜を見る会前夜祭の問題が安倍前首相の秘書の略式罰金で幕引きとなろうとしたとき,2020年12月常幹で東京簡裁に略式で処理せず正式裁判とするよう職権行使を求める申し入れをしようと言いだし,開けて月曜日の午前9時に東京簡裁令状部に申し入れに行きました。私は,ホントは言い出しっぺに,引き受けさせることは嫌いなんです。それが常態化すると言い出す人がいなくなるから。幹事長が言い出して,幹事長は横浜在住だから朝9時に東京簡裁にホントに来るんですか(朝寝坊な私は朝9時に裁判所に行く,それだけで拒否反応です),と思いましたが,有言実行の幹事長は,日曜のうちに申入書を作成して,朝9時に東京簡裁に現れました。幹事長は,頼りになるんです。
 前号では,「ほとんど本部の活動に関わっていなかった」とも書いていますが,ホントは,幹事長に就任されて,団本部が取り組む様々な活動のキャッチアップのためにかなり時間を使っていたのではないかと思います。
 2021年3月1日号から団通信をリニューアルしてA4版横組みとなりましたが,実は,これは,2020年4月の広報委員会で検討を始め,2020年7月常幹でリニューアルに関する議論があり,2021年10月実施を念頭に準備を進めることになっていました。その後,総会準備もあり,事務局長の生来怠惰で面倒なことは先送りする性格のために,2021年1月実施に先送りし,その実現も困難となっていたところに,2020年10月総会で小賀坂さんが幹事長に就任され,早く実施しないといつまでも実施できないだろうということで,2021年2月11日号でそれまで継続していた各地支部特集が一段落するのを機に3月1日号からリニューアルした次第なのです。きちんと検討準備して実行する。それが執行部の責任と教わったと思います。
 「幹事長と事務局長という関係で文字通り二人三脚でやってきた」,そう言ってもらえることをうれしく思います。
 それはそうと,総会後の新執行部人事が固まっていません。あー,どうしよう。2022年の5月集会の引き受け支部も決まっていません。2022年総会の日程も固まっていません。おまけに開催場所も。
 いろいろやり残したまま,お先に退任します。後はお任せします。頼りない事務局長ですいませんでした。 

 

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