第1757号 11/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

 【自由法曹団100周年記念のつどい・総会の報告】

◆自由法曹団100周年記念のつどい
 「挑戦と創造-人間の尊厳をかけて」が開催されました  平松 真二郎

2021年自由法曹団100周年東京総会が開催されました   平松 真二郎

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●沖縄高江への愛知県警機動隊派遣は違法」住民訴訟、
  名古屋高裁での逆転勝訴判決のご報告  吉田 光利

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ 継続連載企画)

●「障害年金請求門前払いの違法性」時効消滅障害年金支払請求訴訟        藤原 精吾
●「第1回 労働問題学習会
 ―豊川義明団員の裁判闘争・労働委員会闘争のご経験から学ぶ」  砂原  薫
●「核戦争に勝者はない」の再確認
 ―バイデン米国大統領とプーチンロシア大統領の 共同声明―   大久保賢一
●東北の山(2)~ 鳥海山   中野 直樹

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自由法曹団100周年記念のつどい
「挑戦と創造-人間の尊厳をかけて-」が開催されました。

前事務局長 平  松  真  二  郎

 2021年10月22日,東京の日本教育会館一ツ橋ホールにおいて,自由法曹団100周年記念のつどい「挑戦と創造-人間の尊厳をかけて-」が行われました。周年のつどいとしては,はじめてのこころみとして,会場とオンライン(Zoomウェビナー)を併用して開催いたしました。会場参加者は134名,オンラインの参加者は260名の合計394名の参加でした。
 つどいは,小賀坂徹幹事長,中瀬奈津子団員の司会で進行しました。
 吉田健一団長のあいさつに続いて,第1部として自由法曹団100年の歴史を振り返る動画「人権を掲げ続けた自由法曹団100年の歩み~民衆とともに激動の21世紀を切り開く」が上映されました。
 動画では,自由法曹団が結成されて以来,戦前は,権力による労働者・農民などに対する弾圧,その弁護救援をすること自体が治安維持法違反に問われ獄につながれても,人権擁護の歩みを進めてきたこと,戦後は,日本国憲法のもとで平和と民主主義の実現,人権擁護の取り組みを続けてきたことが紹介されています。そして,21世紀に入ってからも団は「『憲法と平和』を守る」活動,「人権侵害に抗して民主主義を貫く」活動,「市民の命と尊厳を守る」活動,「労働者の生活と権利を守る」活動,「ジェンダー平等,マイノリティの権利を守る」活動など多様な活動を続けていることが紹介されています。
 動画は,YouTube団本部チャンネルにて視聴いただくことができるよう配信いたします。
 引き続き第2部では田中優子法政大学名誉教授に「自由をどう活かすか」と題して記念講演をいただきました。
 講演では,「誰もが自由を生き抜ける多様な社会の実現をめざす」ために真に自由な思考と行動である「自由を生き抜く実践知」が求められていること,そして,憲法は,基本的人権を保障しているが,いつどのようなことで障害が起こるのかわからないから「自由及び権利」を保持するために「不断の努力」が必要であり,憲法を言葉だけで終わらせず,真に活かしていくためには,いかなる人であっても一人の個人として向き合い,誰もが自由を生き抜くことができる道を開き続けることが必要であることが話されました。
 第3部として,各支部作成の動画と団員のスピーチを織り交ぜて「全国の団員たちの取り組み」が報告されました。
 全国の団員の取り組みの中から,つどいでは以下の団員から発言がありました
    鈴木雅貴団員(福島支部)から「福島原発事故被害救済の取り組みについて」
    青龍美和子団員(東京支部)から「コロナ危機と女性,非正規労働者」
    小川秀世団員(静岡県支部)から「袴田事件再審請求 ねつ造証拠,そして偏見とのたたかい」
    喜田崇之団員(大阪支部)から「コロナ危機と貧困・社会保障問題の取り組み」
    水谷陽子団員(愛知支部)から「性的マイノリティの人権課題にたいする取り組み」
    村田智子団員(東京支部)から「性暴力被害に対する取り組み」
 動画の作成をした支部は上映順に,京都支部,九州ブロック,沖縄支部,大阪支部,茨城県支部,女性部,北海道支部,神奈川支部の8支部です。
 それぞれの動画に各支部の特徴が現れています。どれも力作でした。神奈川支部の動画の最後に,100周年のつどいを目前に急逝した篠原義仁実行委員長の在りし日の講演の様子が取り上げられています。
 動画とスピーチを通じて,団員がいつの時代も多様で困難な課題に向き合い,創造的な取り組みを実践してきたこと,さらに新たな課題への挑戦も始まっていることがお分かりいただけたのではないかと思います。
 最後に自由法曹団100周年事業実行委員会事務局長の加藤健次団員から閉会のあいさつがあり,つどいは無事終了しました。

 

2021年自由法曹団100周年
東京総会が開催されました

前事務局長 平 松 真 二 郎

 2021年10月23日,東京都千代田区の日本教育会館一ツ橋ホールにおいて,自由法曹団2021年創立100周年東京総会が開かれました。本総会では,昨年の兵庫・神戸総会に引き続き,会場とオンライン(ZOOM)を併用しての開催となりました。会場参加者は89名,オンライン参加は170名,合計259名の団員が全国から集まり,活発な議論が行われました。
 総会の冒頭,森孝博団員(東京支部),緒方蘭団員(東京支部)の両団員が議長団に選出され,議事が進められました。
 吉田健一団長の開会挨拶に続き,東京支部黒岩哲彦支部長の歓迎の挨拶,日本弁護士連合会荒中会長,全国労働組合総連合小畑雅子議長,日本国民救援会中央本部岸田郁事務局長,山添拓日本共産党参議院議員からご来賓の挨拶をいただきました。また,本総会には,全国から合計53本のメッセージが寄せられました。
 続いて,恒例の古稀団員表彰が行われました。今年の古稀団員表彰の対象者は31名で,うち,加藤文也団員(東京支部),塚原英二団員(東京支部),田中隆団員(東京支部),安藤友人団員(岐阜支部)が会場参加,小林譲二団員(東京支部),上山勤団員(大阪支部),関戸一考団員(大阪支部)がオンライン参加されました。参加された古稀団員には,吉田健一団長から表彰状と記念品の目録の授与に続いて,ご挨拶をいただきました。
 午前の議事として,まず,選挙管理委員の高橋寛団員(東京支部)から団員からの団長推薦候補の届け出がなく,9月18日常任幹事会での推薦に基づき団長に吉田健一団員(東京支部)が無投票で再任されたことの報告がなされ,幹事候補の信任投票につき,オンライン参加者には郵便投票が実施されたことが報告されました。
 続いて,小賀坂徹幹事長から本総会にあたっての議案の提案と問題提起がなされました。議案書に基づき,私たちが現在直面している課題として気候変動問題に言及したうえで,治安警察問題委員会で議論を重ねてきた「死刑制度の廃止を求める決議」について,改憲阻止の取り組み,民主主義や表現の自由を守るたたかい,労働者の権利を守るたたかい,切り捨てられ続ける国民生活を守るたたかい,団組織の体制強化・団財政の見直しなどについて問題提起がなされました。さらに予算・決算の報告がなされ,鹿島裕輔団員(東京支部)から会計監査について報告がなされました。
 次に全体会発言として,オンライン参加の①谷萩陽一団員(茨城県支部)から控訴審において,検察官による取り調べの違法を認めさせ,さらに国及び茨城県の上告を断念させた布川事件国賠訴訟勝利判決の報告,②田巻紘子団員(愛知支部)から沖縄高江のヘリパッド建設の反対運動の取り締まりのために愛知県警からの機動隊の派遣について違法性を認めさせた高江ヘリパッド機動隊派遣違法住民訴訟愛知訴訟の報告,③中野直樹団員(神奈川支部)から,100周年を記念して刊行した「自由法曹団物語」と「自由法曹団100年史」「百年史年表」の普及とこれらの書籍の普及の訴え,④豊川義明団員(大阪支部)から団のこれまでの伝統を承継して,さらに団活動を発展させていくための経験交流の学習会の呼びかけの発言がありました。
 昼休憩を挟み,全体会発言として各団員から以下のテーマで発言がなされました。
 ⑤ 山口真美団員(東京支部)「9条改憲阻止の取り組みの到達点」
 ⑥ 松島暁団員(東京支部)「『台湾有事』とは何か,台湾情勢と私たちの課題」
 ⑦ 仲山忠克団員(沖縄支部)「辺野古新基地建設問題の現状」
 ⑧ 小野寺義象団員(東京支部)「桜を見る会を追及する法律家の会のとりくみ」
 ⑨ 岩佐賢次団員(大阪支部)「表現の不自由展をめぐる問題への取り組み」
 ⑩ 大久保賢一団員(埼玉支部)「『核兵器も戦争もない世界』の実現を」
 ⑪ 馬奈木厳太郎団員(東京支部)「重要土地利用規制法の問題点」
 ⑫ 加藤健次団員(東京支部)「新型コロナ対策本部の活動と今後の課題」
 ⑬ 冨田真平団員(大阪支部)「シフト制労働の問題点」
 ⑭ 菅俊治団員(東京支部)「デジタルプラットフォームで働く者の権利を守る:ウーバーイーツ配達員の労働者性と労働法」
 ⑮ 中野和子団員(東京支部)「雇用によらない働き方 公文中労委事件解決報告」
 ⑯ 高橋寛団員(東京支部)「東京地評『働く者の権利討論集会』について」
 ⑰ 森卓爾団員(神奈川支部)「『死刑制度の廃止を求める決議(案)』について,提案に至った経緯と趣旨の説明」
 ⑱ 守川幸男団員(千葉支部)「『死刑制度の廃止を求める決議(案)』に対する賛成及び補強意見
 ⑲ 小川達雄団員(京都支部)「死刑制度廃止を求める決議(案)」について
 ⑳ 小口克巳団員(東京支部)「民医連外科医師えん罪事件」
 ㉑ 小林善亮団員(埼玉支部)「少年法改訂と5年後見直しを阻止するために」
 ㉒ 遠地靖志団員(大阪支部)「2014年教科書検定基準の改定と閣議決定による教科書の記述訂正の問題点」
 ㉓ 岡田尚団員(神奈川支部)「横浜におけるカジノ阻止はどうやってできたか」
 ㉔ 太田吉則団員(静岡県支部)「法制審で進められている民事訴訟のIT化 特に新たな訴訟制度導入の議論の問題点」
 ㉕ 高木健康団員(福岡支部)「生活保護門に取り組むようになったいきさつ」
 ㉖ 藤原朋弘団員(東京支部)「生活保護パンフレット改善運動の取り組み」
 ㉗ 大住広太団員(東京支部)「デジタル改革法の問題点」
 ㉘ 永田亮団員(神奈川支部)「ヘイトスピーチ,反差別に対する取り組みについて」
 ㉙ 油原麻帆団員(東京支部)「ロースクール生・学部生向け学習会での講師を務めた経験とその経験から考える団の将来問題について」
 ㉚ 西田穣団員(東京支部)「団費の削減の必要性と団通信の紙媒体の廃止について」
 これらの発言以外にも,佐藤真理団員(奈良支部)から「NHK奈良裁判(放送法順守義務確認等請求訴訟)の報告」,藤木邦顕団員(大阪支部)から「大阪における維新とのたたかい―住民投票・コロナ対策・表現の不自由展をめぐって-」,西晃団員(大阪支部)から「団の総力を挙げて辺野古新基地建設阻止を」,オンラインで毛利正道団員(長野県支部)から「気候危機に関して委員会での取り組みを強化すべき」の発言通告がありました。
 討論の最後に小賀坂徹幹事長がまとめの発言を行い,とりわけ旺盛な団活動を継続していくために団本部執行部体制の強化の必要性が訴えられました。規約5条に基づき,活動報告及び決算について承認,活動方針及び予算について採択されました。
 続いて,以下の8本の総会決議が採択されました。
 1 死刑制度の廃止を求める決議
 2 決議(自由法曹団創立100周年にあたって)
 3 日本政府に核兵器禁止条約の署名及び批准を求める決議
 4 日本政府に対し辺野古新基地建設の断念と普天間基地の即時撤去を求める決議
 5 「国民の裁判を受ける権利」を蔑ろにする民訴法改正を許さない決議
 6 出入国管理制度の抜本的改善を求める決議
 7 新自由主義に基づく国民の命と暮らしを軽視する政治から脱却し,貧困と格差の是正に取り組む政権を樹立するために全力を挙げて奮闘する決議
 8 福島第一原発事故被害の全面救済及び原発ゼロ社会の早期の実現を求める決議
 7 選挙管理委員会の山田聡美団員(東京支部)から,幹事の信任投票の結果につき,候補者全員が信任された旨の報告がなされました。
 引き続き,総会を一時中断して拡大幹事会を開催し,規約6条に基づき常任幹事を選任し,幹事長の互選を行い,小賀坂徹団員(神奈川支部)が幹事長に再任されることを確認し,ひきつづき,平井哲史団員(東京支部)を事務局長に選任し,事務局次長の選任が行われました。
 退任した役員は次のとおりで退任の挨拶がありました。
   事務局長   平松真二郎(東京支部)
   事務局次長  辻田航(東京支部)
   同      太田吉則(静岡県支部)
   同      馬奈木厳太郎(東京支部)
 新任の役員は次のとおりで,それぞれ挨拶がなされました。
   事務局長      平井哲史(東京支部)
   事務局次長     永田  亮(神奈川支部)
 再任された役員は次の通りです。
   団長        吉田健一(東京支部)
   幹事長       小賀坂 徹(神奈川支部)
   事務局次長     大住広太(東京支部)
   同      岸  朋弘(東京支部)
   同      安原邦博(大阪支部)
 最後に開催地支部である東京支部幹事長金竜介団員による閉会挨拶をもって総会を閉会となりました。
 今総会も,多くの団員・事務局の皆さんのご参加とご協力によって無事総会を終えることができました。総会で出された活発な議論を力に,コロナ禍の中で,国民に自己責任を押しつける政治から,自由と人権が守られる社会の実現を求める取り組みに尽力して行きましょう。
 最後になりますが,総会成功のためにご尽力いただいた東京支部の団員,事務局の皆さま,関係者の方々に,この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

沖縄高江への愛知県警機動隊派遣は違法」住民訴訟、名古屋高裁での逆転勝訴判決のご報告

  愛知支部  吉 田 光 利

 愛知県民200余名は、2017年7月、愛知県警の機動隊派遣に伴う給与の支出は違法であるとして、名古屋地裁に住民訴訟を提起した。
 2020年3月18日、請求棄却の判決が言渡された。
 原告ら愛知県民は、名古屋高等裁判所に控訴し、本年10月17日、逆転勝訴判決が言い渡された(名古屋高等裁判所民事第1部倉田慎也裁判長、永山倫代裁判官、入江克明裁判官)。
 なお、高裁判決後、原告らが中心になって、愛知県に対し上告を断念するよう訴えていたものの、愛知県が上告をしたことから、闘いは最高裁に移ることになった。
 愛知県公安委員会事務専決規程は、本件のように機動隊を派遣する場合、その中でも、特に「異例又は重要」と認められるものについて、「あらかじめ公安委員会の承認を受けてこれを処理しなければならない。」と定めている。
 一審判決は、本件の機動隊派遣について、後日紛議を生ずることが予想され、社会的反響が大きいものであったから、「『異例又は重要』であると評価される余地を否定できない」として、本件派遣決定には「あらかじめ公安委員会の承認が得られていないという点で瑕疵(違法性)を帯びていた」と認定した。
 しかし、事後的(派遣後)に開かれた愛知県公安委員会において、本件の機動隊派遣について、異論が出なかったことを理由として、「事後的に承認が得られたことで、瑕疵は治癒された」として、本件派遣決定の違法性を否定し、原告らの請求を棄却した。
 一審判決を受け、弁護団は、控訴審において、公安委員会の手続的瑕疵(公安委員会の事前承認を経ていないこと、派遣後に開かれた公安委員会は事後承認といえるようなものではなかったこと)について、これまで以上に主張立証すべきと考えた。それに伴い、名古屋大学稲葉一将教授に公安委員会の手続的瑕疵を含む一審判決の問題点を指摘する評釈論文の執筆を依頼し、同評釈論文を証拠として提出した。それと共に、本件派遣決定当時の公安委員長であった入谷正章弁護士(愛知県弁護士会元会長)の証人尋問を申請した。
 控訴審では、ほかにも、白藤博行専修大学教授の意見書、稲葉一将教授の意見書も提出した。
 裁判官はそれらを受け、入谷証人の尋問を採用した。
 控訴審において、尋問が行われることは珍しく、かつ、一審判決において違法の疑いがあるとされた公安委員会の手続的瑕疵に関わる尋問であったことから、私達の士気はこれまで以上にあがった。
 入谷証人は本件の派遣に関し、「異例又は重要と認められるもの」はあらかじめ公安委員会の承認を受ける必要があるという規程自体知らなかった、また、他県から派遣要請があればそれに応えることは当然であり、派遣が違法といわれる言われはないと述べるなど、現実は警察が公安委員会を管理しており、公安委員会が警察を管理するという公安委員会の本来の制度趣旨が形骸化していることが浮き彫りになった。
 また、警察が意図的にせよ、過失にせよ、間違うことがあるから、それを防ぐために公安委員会が存在しているはずなのに、警察は間違わないという無謬性(むびゅうせい)が、警察、公安委員会組織全体で染み付いていることも期せずして明確になった。
 高裁判決は、違法な支出命令を行った当時の警察本部長に対し、地方自治法242条の2第1項4号ただし書きに基づき、機動隊員らに支払われた時間外手当相当額である110万3107円の賠償命令を行うことを愛知県に命じた。なお、請求額は1億3363万9152円(その大部分は基本給)であったが、それらについては、派遣の有無に関わらず、支給されるものであるから、損害とは認められないとされた。
 その理由について、要旨、愛知県公安委員会事務専決規程において、警察官の派遣が異例又は重要と認められる場合には公安委員会の承認を受けなければならないと定めており、本件派遣は、異例又は重要と認められる場合の中の「その処理によって後日紛議を生ずることが予想され、かつ、社会的に反響の大きい事案に関するものであったということができるから、愛知県警察本部長が専決により派遣を決定したことは違法である。」とした。
 それを踏まえ、派遣後に開かれた公安委員会において「これが専決によって行われたことの手続的違法について想到していなかった(※考えが及んでいなかった)ことが認められ、上記報告の際に愛知県公安委員会において実質的に審議を行って事後的な援助同意を行い、あるいは専決したことに対する追認を行ったものと評価することはできない。」とした。
 その上で、結論として、「本件各派遣決定が愛知県公安委員会の実質的意思決定に基づくものと認めることはできず、本件各派遣決定は、専決で処理することが許されないものであったのに専決をもって行われたものであって違法であるといわざるを得ない。」とし、一審判決の判断を改めた。
 また、高裁判決は、派遣された機動隊数百名が現場で行った住民の座り込みの強制排除の違法性を厳しく批判した。2016年7月22日未明に機動隊員らが行った米軍北部訓練場ゲート前の車両、テントの強制撤去に法的根拠は見たらず違法である疑いが強いと述べ、これを目的とした沖縄県公安委員会による機動隊の派遣要求には重大な瑕疵があると断じた。
 警察による検問やビデオ撮影等の行為についても、「その適法性あるいは相当性については疑問が生じ得るところである」と指摘した。
 高江で行われた警察権力の過剰行使と人権侵害の事実について総括した点は非常に大きなものである。
 弁護団は、今回判決を言い渡した倉田裁判長が本年10月いっぱいで定年による退官だと聞き、その前に判決が出されるよう、退官時期をにらんだスケジュールを組んだ。実際に倉田裁判長は本稿執筆時点で退官している。倉田裁判長の退官が、本判決に影響を及ぼしたのか知るよしもないが、結果的に、逆転勝訴判決が得られたことはとても喜ばしいことである。
10 現在も、辺野古では新基地建設工事が続き、高江ではオスプレイが飛び回り、有害物の不法投棄などの米軍の違法な活動は後を絶たない。
 これらを止めることがオール沖縄、オール愛知の最大の目的である。沖縄の問題は私たちの問題、沖縄の空に平穏が戻るまで、闘いは続く。

 

コロナ禍に負けない!(継続連載)貧困と社会保障問題に取り組み たたかう団員シリーズ ⑪

 

「障害年金請求門前払いの違法性」 時効消滅障害年金支払請求訴訟

  兵庫県支部  藤 原 精 吾

2021年9月15日 名古屋高裁金沢支部第1民事部判決(国上告)
1 事実の経過
 石川県在住のFさんは、生まれて8ヶ月の時、囲炉裏に落ちて手に大やけどをし、右手の指を全部失った。がんばって働き続け、障害年金のことなど思いもしなかった。1943(昭和18)年生まれで20歳の時には障害があったので1974(昭和49)年に2級の年金受給権が発生していた。1988(昭和63)年、麻雀で中坊公平弁護士がFさんの手を見て、年金をもらっとるかと尋ね、もらってないなら請求しろと教えられた。そこでFさんは年金裁定請求に社会保険事務所に行ったが、「初診日の診断書がなければ受付はできない」と云われ、次に身体障害者手帳を持参したが、「関係ない」と言われ、その後28年間、12カ所の社会保険事務所を回ったが、窓口で追い返され続けた。
 2016(平成28)年6月になって、ようやく受け付けられ、5年分の年金を支給された。しかし2011(平成23)年3月以前の年金権37年分は「時効消滅」として支給されなかった。これに納得できなかったFさんは、再審査請求棄却を経て、5人の弁護士を訪ねたが「勝ち目がない」と相手にされず、やむなく2018(平成30)年本人訴訟を提訴した。その後社会保険労務士を通じて私が代理人となった。
2 裁判の争点
(1)障害年金受給権の消滅時効進行の始期は何時か
(2)国による消滅時効援用が信義則に違反するか
(3)初診日の診断書を持参しなければ、請求用紙すら渡さずに受付を拒否したことは違法か
3 事件の背景(このような問題は稀ではない)
(1)年金(特に障害年金)についての情報不足
 Fさんは45歳で中坊弁護士に聴くまで障害年金のことを知らなかった。厚労省の2016(平成28)年調査によれば、障害年金について知らない人が全体の42.3パーセントもいる。
制度的問題(年金の時効消滅)
 請求が遅れることは何をもたらすか。請求が遅れても権利発生時に溯って年金が支払われるなら問題はない。しかし、会計法の規定で、国に対する請求権は5年の時効で、援用を要せず権利は消滅するという取扱いをしてきた。年金は裁定を受けなければ受給できないのに、裁定前に時効だけが進行するのは矛盾であると争われたが、最高裁は年金は本人がその気になれば何時でも裁定請求ができるとして、国の取扱いを追認した。その結果、年金受給権があることを知らなくても、消滅時効は進行するとの取扱いがされる。
 2006(平成18)年、「消えた年金問題」が発覚し、「時効年金特例法」が制定された。記録訂正された年金には時効を適用せず、さらに2007(平成19)年7月7日以降発生の年金受給権については、時効援用を要することにした。そしてどのような場合に時効の援用をすべきでないのかについて平成24年に「時効を援用しない事務処理誤りに係る認定基準」を発し、窓口で誤った説明などがあった時に限り、時効を援用しない取扱いをすることにした。しかしFさんの年金には遡及適用されない。
(2)初診日の証明方法と診断書の提出
 年金裁定を受けるためには初診日の確定が必須である。それは受給権の発生日と保険加入要件、及び保険料納付要件を確認するためである。
 現在の国年法施行規則では、裁定請求に診断書の添付は必ずしも要せず、「初診日を明らかにすることができる書類」としている。にも拘わらず、社会保険事務所や市町村の年金窓口の対応は、「初診日の診断書をもってこなければ受付ができない」という上から目線の対応が続いていた。平成27年に厚労省が行った「年金事務所等の窓口実態調査(覆面調査)」裁定請求用紙すら渡さないという社会保険事務所が77パーセントもあることが明らかとなった。
4 裁判所の判断
 一審金沢地裁判決(2020(令和2)年11月13日)は、国の主張をすべて認め、用紙不交付、請求受付拒否をしたことに違法性はない、として請求を棄却した。
 その理由として、初診日を明らかにする証明方法を教える職務上の注意義務があるとはいえず、診断書なしで受付拒否をしたことに違法性はない、また時効援用は信義則に反しないとした。
 これに対し今回の名古屋高裁金沢支部判決は、控訴人が社会保険事務所を訪れた際に障害名を「右手瘢痕拘縮」とする身体障害者手帳を持参していた。これと控訴人の右手を見れば、診断書がなくても初診日の認定には必要十分であり、「身体障害者手帳は関係ありません」などと述べて裁定請求書さえ渡さず裁定請求を断念させたことは違法な職務執行であり、過失もある、として国家賠償請求を認めた。
 年金受給権の消滅時効進行の始期と時効援用の信義則違反年金受給権の消滅時効は、2017(平成29)年の最高裁判例に従い、権利成立時から進行するとした。また本件社会保険事務所の対応は、国年法及び同法施行規則の誤った解釈に基づき違法ではあるが、その誤りが国の統一的な取扱に基づくとはいえないので、最判2007(平成19)年判例にいう国の消滅時効の主張が信義則に反し許されないと場合には当たらない、とした。
5 この事件から何を学ぶか
 年金請求を思い立って33年後にようやく請求が認められたが、国はさらに上告を提起している。憲法25条に基づく年金の権利が手続的、制度的に十分保障されていないことを明るみに出した。

 

- 感 想 -「先輩に聞く 労働学習会シリーズ」

 

「第1回 労働問題学習会 ―
豊川義明団員の裁判闘争・労働委員会闘争のご経験から学ぶ」

愛知支部  砂 原   薫

1 豊川義明団員のご紹介
 少し時間が経ってしまったが、2021年9月9日、ベテラン団員から労働事件の経験を学ぶシリーズ企画である「先輩に聞く~労働事件をどうたたかってきたのか、これからどうたたかうのか~」の第一回が開催された。第一回の講師は大阪支部の団員の豊川義明団員であり、全国各地から40名を超える団員が参加し、大いに盛り上がった。
 豊川団員のプロフィールについては、団通信1753号で大阪支部の中西基団員が詳しくお書きになっているので、ここでは省略する。代わりに、筆者にとって法科大学院の恩師である豊川団員の、法科大学院時代の思い出話を少しさせていただこうと思う。
 豊川団員は、法科大学院で労働法の教授として教鞭を執られていたが、豊川団員の講義は単に労働法の法律知識一般を学ぶというものではなく、そもそも労働とは何か、労働者の権利はどこから導かれるか、という本質から考えるものであった。
 中でも、豊川団員が繰り返し強調されていたのが、「人間の尊厳」という考え方である。豊川団員は、日本国憲法から労働者の権利保障について説き、人間の尊厳が尊重されなければならないのだと強く訴えておられた。この考え方を前提に、労働法の法律知識や裁判例についても講釈されるため、豊川団員の労働法の講義は、哲学的でありながら、非常に実践的でもあった(労働法初心者の筆者には、十分理解しきれないところも少なくなかったが…。)。
 このように、豊川団員は、人間の尊厳と日本国憲法で保障される基本的人権の尊重のためのものとして労働事件を捉えておられ、実際に弁護士として数々の事件を闘われてきたのである。
2 労働学習会でのお話を聞いて
 前置きが長くなってしまったが、労働学習会での豊川団員のお話は、法科大学院での講義を思い起こさせるようなものであった。
 まず、豊川団員がこれまで取り組まれてきた数々の事件について、お話があった。学習会で取り上げられた事件は、朝日放送事件、ビクターサービスエンジニアリング事件、松下PDP事件、名村造船事件、エミレーツ事件、奈良学園大学事件、東亜ペイント事件、関西電力事件といった、判例百選や教科書等に掲載されているものも多々あり、学生の頃はただ「すごい先生なんだなあ。」と思っていたのが、自身が弁護士になって、改めて豊川団員の弁護士としての功績の大きさに感銘を受けた。
 豊川団員は、個々の事件について、どのような論点が問題になり、どのように法律構成を検討し、主張立証を行ったか、判決のどこが問題なのか、といった点についてお話いただいたが、大変意義深く、とても1回の学習会では時間が足りない内容であった(個別の事件ごとに学習会を開催してもよいと思うので、今後機会があったら是非お願いしたい。)。
 そして、豊川団員のお話は、個々の事件の講釈にとどまらず、人間の尊厳と基本的人権の尊重のためにどのように闘ってきたのか、という裁判闘争・労働委員会闘争の歴史を振り返るものでもあった。
 それぞれの事件について、一つとして同じ事案はない。各事案の事実関係の中から新しい問題を見いだし、事実と憲法規範、法律と格闘し、判例を形成していくという法の創造が、人間の尊厳と基本的人権の尊重という法の正義の実現のために非常に重要であり、弁護士を含む法曹にとって大変やりがいのあることなのである。このような信念の下、長年闘い続けている豊川団員は、まさに有言実行の法曹なのだと、今回の学習会に参加して改めて思った。
 豊川団員は、年齢や修習期、事務所の垣根を越えて弁護団運営をされているとのことで、筆者のような若手にも一緒に事件をやろうとお声がけくださり、豊川団員を含めた数人の弁護士で労働事件に取り組む機会をいただいた。この事件の打合せでも、豊川団員は、個々の事実も事実関係の全体像もよく把握された上で、依頼者の権利救済のための法規範を検討されておられて、法の創造を実践されていた。不発言は不参加に同じというお言葉は、大変耳に痛いものであったので、筆者も事件の全体像をより正確に把握して、積極的に発言できるよう、法の創造ということをつねに意識して事件に取り組んでいきたい。
 今回の学習会で語られた豊川団員の法曹としての理論と実践は、労働事件に取り組む弁護士だけでなく、弁護士を含む法曹にとって、法曹としてあるべき姿勢を示すものであった。そして、法曹としての初心に立ち返らせるものでもあった。きっと、豊川団員は、法曹を志した初心を持ち続けて、実践に移してこられた方なのだろう。まだ弁護士になったばかりの筆者ではあるが、豊川団員の示す法曹像を目指して、初心を忘れることなく、今後の弁護士人生を闘い抜きたいと思う。

 

「核戦争に勝者はない」の再確認
―バイデン米国大統領とプーチンロシア大統領の共同声明―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 バイデン大統領とプーチン大統領は、2021年6月16日、ジュネーブで、以下のような共同声明を発表した。
 私たち、ジョー・バイデンとウラジーミル・プーチンは、両国は緊張が高まった状況でも共通の目標に向かって成果を上げられるということを確認した。その共通の目標とは、戦略的な領域で不測の事態が起きにくいようにし、軍事衝突、核戦争の脅威を減らすということだ。
 新戦略兵器削減条約(新START)を延長できたのは、私たちが核兵器の管理に尽力していく姿勢を示した一例だ。今日、私たちは核戦争には勝者はなく、絶対に始めてはいけないという原則を再確認した。
 この目標に基づき、両国は近く戦略的安定への対話を始める予定だ。よく考えられた強固なものになるだろう。この対話を通じ、将来の兵器管理、リスク削減策についての基盤をつくっていきたい。
 ここでは、不測の事態が起きにくいようにし(起きうることは予見されている)、軍事衝突、核戦争の脅威を減らすことが共通の目標とされている。また「核戦争には勝者はなく、絶対に始めてはいけないという原則」が再確認されている。
 この原則の再確認や、核戦争の脅威を減らすことに反対する理由はない。本気で取り組んでもらいたいと思う。その願いを込めて、ここでは「核戦争には勝者はなく、絶対に始めてはいけないという原則」が最初に確認された時のことを振り返り、目標達成のために必要なことを考えてみたい。
「核戦争には勝者はなく、絶対に始めてはいけないという原則」の誕生
 この原則が誕生したのは、1985年11月のドナルド・レーガン米国大統領(当時)とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長(当時)のジュネーブ会談の時である。この時の共同声明に次の一節がある。
 双方は,枢要な安全保障問題についての討議を行い,平和の維持に対するソ連と米国の特別の責任を認識して,核戦争に勝者はなく,また,核戦争は決して戦われてはならないことにつき意見の一致をみた。双方は,ソ連と米国との間のいかなる紛争も破滅的な結果をもたらし得ることを認識しつつ,核戦争又は通常戦争の如何を問わず,両国間のいかなる戦争をも防止することの重要性を強調した。双方は軍事的優位の達成を求めない。
 大きな政治的決断が行われたのである。
 当時、レーガンは、SDI(戦略防衛)構想を描いていた。ソ連のミサイルがアメリカに到達する前にそれを迎撃し破壊する防衛網を宇宙に広げるという構想である。「スターウォーズ計画」ともいわれていた。
 ゴルバチョフは、レーガンとの会談で、この構想は核軍拡競争の継続であり一層危険度が増す。懐疑と不安は強まり、それぞれが相手を追い越さなければと心配になるだろう。だから、核軍拡競争をやめて核兵器の保有を減らすための出口を探したいと提案した。ゴルバチョフは、レーガンは「会話が堂々巡りをしているような状況でさえ、礼儀正しく友好的に振る舞おうとしていた」と回想している(『ミハイル・ゴルバチョフ』朝日新聞出版)。
会談の成果
 この合意を契機として、1987年、中距離核戦力(INF)全廃条約が調印され(1988年発効)、戦略兵器の「制限」から「削減」に進んだ第1次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)が1991年調印され(1994年発効)、第2次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)が1993年に調印された(未発効)。
 この合意が成立した1980年代の中ごろ、世界の核弾頭数はピークに達していた(1986年約7万発)。その後、米ソの冷戦は終結(1991年)をはじめ、様々な政治情勢の変転はあるが、現在では約1万3千発となっている。その数は、人類社会に「壊滅的な人道上の結末」をもたらすに十分であり、早急の廃棄が求められるけれど、厳格な検証の下で、大幅な削減が行われてきた事実にも着目しておきたい。核兵器の削減が、物理的にも、政治的にも可能なことが確認できるからである。
まとめ
 今回の声明では「核戦争には勝者はなく、絶対に始めてはいけないという原則」が再確認されているけれど、36年前のレーガン・ゴルバチョフ声明では触れられていた核戦力の半減についての言及はない。また、核戦争の脅威を減らすとはいうけれど、核兵器の廃絶については何も語られていない。
 二人は、「核戦争の脅威は減らす」としている。また、「将来の兵器管理、リスク削減策についての基盤をつくる」ともしている。であれば、その抜本的な方法としての核兵器廃絶を視野に入れるべきであろう。
 現実に使用可能な核兵器やミサイル防衛網を突破できる兵器の開発を進めながら、このような声明を発出することは偽善でしかない。勝者のありえない核戦争の危機から脱出するためには、まずは核兵器依存政策を改めることであろう。
 両大統領は「核戦争の脅威」の元凶は米ロ両国であることを忘れてはならない。
  (2021年6月23日記)

 

東北の山(2)~ 鳥海山

   神奈川支部  中 野 直 樹

秋田・五月集会
 2003年5月24日~25日、秋田温泉で五月集会が開かれた。当時事務局長だった私は、団通信で、「―有事法制成立間近の緊迫した情勢の中、過去最高の569名が参加」とのタイトルで報告文書を書いていた。ホテルのキャパシティに収まらない人数で、日頃は布団等の納戸としていると思われる部屋まで客室に活用した。そこに割り当てられた参加者から、同じ参加費を支払っているのに、と厳しい苦情とお叱りを受けたことは苦い思い出である。
 2日間で13分科会がもたれ、前日の㉓日には、プレ企画として新人学習会、事務局員交流会、「これからの自由法曹団を考える」が開かれた。超密な大宴会には「なまはげ」が登場してサプライズを演出した。
 昨今からは想像も難しい昔話だ。
山の旅
 東北は残雪と新緑が美しい季節だった。ホテルにザックとスキー板が届いていた。三木恵美子(神奈川支部)、南雲芳夫(埼玉支部)、畑純一(和歌山支部)の司法試験受験勉強仲間から声がかかった。鳥海山に山スキーで登ろう。私は当時山スキーの板と靴を持っていなかったので、ゲレンデスキー板とブーツで挑戦することとなった。計画書には、「南雲、畑は山スキーで上り下り、中野はゲレンデスキーを担ぎ登山靴で上り、下りは滑る。三木は、途中までスキーを担ぎ、自信がなくなった時点でデポして残り壷足上がり下り」と記されていた。ちなみに計画書の冒頭に目的条項があり「鳥海山の大自然の中で鋭気と体力を養い、明日の弁護士活動に備える。」と大義がうたわれていた。
 秋田駅からJR羽越本線に乗り、羽後本庄駅で由利高原鉄道(第3セクター)おばこ号(気動車)に乗り換えた。鳥海山山麓をはしり終着駅は矢島駅だった。そこからタクシーで祓川登山口(標高1175m)に着いた。駐車場から荷を背負って100mほどで祓川ヒュッテに入った。無人小屋で、この日はわれわれだけだった。
 18時20分過ぎ、夕食の用意ができて宴会をしているときに揺れがきて、建物がきしみ、窓ガラスがガタガタガタときしみ続いた。長かった。後で聞くと、宮城県沖を震源とする地震は秋田新幹線を止め、半日観光をした団員、事務局員で帰路に苦労された方が少なからずいた。
東北一ののっぽ
 秋田県・山形県の県境にある独立峰で、それぞれから秋田富士、出羽富士と呼ばれる。地図をみると、山頂の周囲はすべて山形県に属する。新山2236ⅿは東北の最高峰である。七高山(2229ⅿ)が登山者の目指す山頂となる。秋田側の登山口は、祓川、大清水、鉾立、山形県側の登山口は大平、一ノ滝、滝ノ小屋と数多い。深田久弥氏の日本百名山では、海辺の吹浦駅から歩き始めたというから標高差2200ⅿを登る苦労があった。
 鳥海山からは東方に子吉川、西方に白雪川、南方に日向川、月光川などの美しい名の川が流れ、1994年にその上流の枝沢に岩魚釣りに入渓したことがある。
 祓川ヒュッテから山頂までは標高差約1000ⅿで、夏路コースタイム登り3時間半、下り2時間20分となっている。
大雪渓を登る
 翌朝5時出発。やや薄雲がかかるが青空が勝っていた。ヒュッテ前の竜ヶ原湿原に雪解け水がたまり、その水面に残雪を被った鳥海山が逆さ富士に映っていた。三人は山スキーを装着し、私はスキーブーツをザックにいれ、重いゲレンデ板をザックサイドに縛り付けて背負い、歩き始めた。
 私は山スキーによる登山を間近にみるのは初めてだった。斜度に応じて、ストックでビンディングを操作し、靴のかがとの高さ位置を調整する様子を見ながら便利なものだと感心した。途中の休憩で南雲さんの靴と板を借り、お試し歩きをしてみた。
 山スキーの3人はペース合わせをしながら登っている。私の方は板が重いほかは普通の登山であり、先行した。七ッ釜避難小屋は屋根から下が雪で埋まっていた。ここから斜度がきつくなり、山スキー組は右に左にとじぐざぐが大きくなった。残雪が豊富で地肌の多くは隠れていた。残雪期の山は遠くからみるとモノクロトーンの斑模様が美しい。しかし、残雪を踏む登山者にとっては、眼を楽しませ、心を励ましてくれる新緑も花々もなく、その単調さに倦んだ。雪はほぼ山頂まであった。山頂部は雪が融け、ごつごつとした溶岩の塊に腰掛けて昼食となった。
雄大な雪原を滑る
 下山はもちろん滑走である。滑るとなるとゲレンデ板の方が厚く重い分だけ安定している。私は勢いよく滑り出し、一歩、一歩と踏み跡を付けてきた山頂直下の雪面を一気に滑降した。途中から左側にトラバースし、大雪路を七ッ釜まで滑り降りた。ここから下は降った雨が雪面に無数の深い溝を刻み、波打つような状態であり、ターンも思うようにならず、ただ単調に滑りおりるしかなかった。
 山スキーはスキー滑走の爽快感とともに、下山時間を圧倒的に短縮するという長所がある。私も後年山スキーの道具を購入し、乗鞍岳、立山、白山、富士山の山頂に立った。
 山遊びのメニューを増やしてくれた3人に感謝の旅だった。

 

 

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