第1758号 11/11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●トヨタ自動車過労自死事件逆転勝訴判決(名古屋高裁2021.916)の報告  梅村 浩司

●守口市学童保育指導員雇止事件(共立メンテナンス事件)で、
 大阪府労働委員会が救済命令!  愛須 勝也

●自由法曹団百年史年表「正誤表と改訂と普及の3つのお願い」  荒井 新二

●2021年総選挙結果を受けて「世迷言」  井上 正信

【就任挨拶】
事務局次長就任あいさつ~人手不足との向き合い方~  永 田  亮

 100周年つどい・総会感想文】
「団100周年記念のつどいと団総会の感想」  大橋 百合香

●NLG総会をズームで覗く・・・国際ズーム会議初体験記  井上 洋子

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組み たたかう団員シリーズ 継続連載企画)
米原市生活保護業務検証委員会委員の委嘱を受けて  木村  靖

●分語り-ある女性の婚姻に寄せて-  川上 麻里江

●弁護士が活躍する社会―「弁護士の養成」と「法の支配」  後藤 富士子

 

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トヨタ自動車過労自死事件逆転勝訴判決(名古屋高裁2021.916)の報告

愛知支部  梅 村 浩 司

 2021年10月2日の中日新聞は、「トヨタパワハラ自殺労災判決確定」「企業の一社員でもかけがえのない社員です」とのタイトルで、本件に関する記事を、社会面で大きく載せています。その中に、下記のようなくだりがあります。
 「妻は朝5時にテレビをぼーっと眺め、朝食もほとんど食べなくなった夫の姿を覚えている。『上司に罵声を浴びせられる。自信喪失になる。』そう話す男性に、妻は労働組合に相談することを勧めた、と話す。普段は穏やかな夫が、この時だけは「それだけはだめだ。首になる」と声を荒げ、勤務を続けた。翌2010年1月20日に家を出たまま帰宅せず、2日後に山中で遺体で発見された」。
 この男性は、トヨタ自動車の本社にある駆動系の部品製造の生産技術部に所属し、CVJという自動車部品(エンジンの動力をタイヤに伝えるもの)を製造する生産ラインを改造する業務を行っていました。2008年9月のリーマンショックにより、トヨタは、アメリカ市場縮小に伴い赤字に転落し、極端な経費削減や、残業制限・残業禁止を行っていました。そうした時期に、この男性は、新型プリウス関連業務や、中国関連業務を担当していました。当時、自動車販売が落ち込む中で、プリウス人気だけは急速に高まり、予約が集中しました。アメリカ市場に頼っていたトヨタは、出遅れていた中国市場での販売拡大を図っていました。男性の担当業務は、とても重要なものになりました。しかも、会社からは、経費をかけないこと、新しい取組をすることを強く求められていました。しかし、これが難しく、問題を抱えることになりました。不具合が多く発生し、期限が迫る中、残業もできず、男性は厳しい状況に追い込まれました。さらに、製造ラインのある工場側からは厳しい指摘を受け、頼りなるはずの上司からは支援を受けることができませんでした。それどころか、直属の上司2人から、約1年のあいだ、他の労働者がいる広いオフィスで、大声の叱責を受け続けていました。このような中、男性は2009年10月ころにうつ病を発症し、2010年1月に自死しました。
 本件は、男性が担当した業務が困難なものであったか、上司からのパワハラがあったかが争点でした。そして、男性が亡くなって11年の歳月が流れた2021年9月16日、名古屋高等裁判所は当該自死の業務起因性を、初めて認めました。上記たった2つのことを明らかにするのに、11年かかりました。
 パワハラは、行った上司、見ていた同僚が口をそろえてなかったと言えば立証は困難になります。死人に口なしです。
 この男性の業務内容は、専門的かつ高度なもので、企業秘密にもかかわるものでした。したがって、具体的にどのような業務であったのか、どのような問題が生じていたのかは、第三者には簡単には分かりません。仮に分かったとしても、専門的すぎてその評価ができません。企業秘密と専門性の壁により、上司や同僚労働者が「たいしたことなかったです」と言ってしまえば、それで終わりでした。
 トヨタは、証拠保全でも、労働基準監督署の調査でも、重要な資料は企業秘密を理由に白紙同然の白塗りしか提出せず、全く協力しませんでした。豊田労働基準監督署の聴取において、当該上司も同僚労働者もパワハラはなかった、男性の業務はたいしたことはなかったという主張で一致していました(これは、後の証人尋問でも一貫していました)。
 私たち弁護団は、男性の受けたパワハラや、男性が行っていた業務内容を知っている3人の労働者(3人ともトヨタを退職している労働者)を見つけ出しました。そして、陳述書の作成や証人尋問で、協力していただきました。また、取消訴訟では第三者にあたるトヨタに対する文書提出命令申立を行い、約1年かけて、男性作成の週報・議事録、男性の担当業務の日程表を開示させました。そして、上司や同僚労働者への反対尋問で、一定の業務内容を明らかにさせました。この結果、高裁で逆転勝訴となりました。
 亡くなった男性は、パワハラについて労働組合に相談したらと勧める妻に、「それだけはだめだ。首になる」と言っています。その発言は、本来、職場環境を良くしていかなければならいはずの労働組合が、会社と一体となっている姿を示すものです。そして、現役の労働者は、労基署の調査においても、証人尋問においても、パワハラに口をつぐみ、業務内容に関しても本当のことを言いませんでした。以上の状況は、トヨタの企業風土を象徴するものと言えます。
 先の中日新聞の記事では、「トヨタは、2017年にあった入社3年目の男性社員=当時(28)=の自殺について、上司のパワハラとの因果関係を認めて遺族と和解。豊田章男社長が遺族に直接謝罪し、企業風土に問題があったとの認識から再発防止の徹底を誓う。」と記載されています。「ストレスによる管理」といわれるトヨタ生産方式を前提とした労務管理は、パワハラを生じやすい環境を作っています。トヨタにおける問題のある企業風土は、長年にわたるトヨタの生産システム、労務管理等と結びついたものです。それだけに、その企業風土を変えるのは大変なことだと思います。この判決が、トヨタの企業風土の改善に少しでも役立つことを願っています。

 

守口市学童保育指導員雇止事件(共立メンテナンス事件)で、大阪府労働委員会が救済命令!

                      大阪支部  愛 須 勝 也

組合の申立てをすべて認める完全勝利命令
 大阪府労働委員会は、2021年10月14日、守口市学童保育指導員雇止め事件(共立メンテナンス事件)について、共立メンテナンス(以下、「共立」)の不当労働行為を認め、①指導員の原職復帰・バックペイ、②団交応諾、③謝罪文の手交と本社及び関西支店、守口営業所へのポストノーティスを命ずる完全勝利命令を出した。
労働委員会が異例の「附言」

 共立は、日程調整した上で設定した期日に欠席を繰り返し、組合の労組法上の適法性についても、団交拒否についての先行事件(2021年4月に中労委の棄却決定で初審命令が確定)において適格とされたにもかかわらず、同じ主張を繰り返した。このような共立の態度に対し、府労委は「労働委員会制度の趣旨を全く理解しようとしないものであって、断じて容認できるものでない」と附言した。
守口市による学童保育の民間委託と、だまし討ちのような雇止め
 守口市は50年以上、学童保育を運営してきたが、西端勝樹市長(維新)は民営化を打ち出し、2019年4月1日から共立による民間委託(5年)が開始された。従前、指導員は1年更新の非常勤嘱託職員とされたが、民間委託に伴い、市は、「現在の指導員をそのままにしてほしい」という声を無視できず、指導員を事業者の職員として採用するように表明し、仕様書においても、「採用機会の確保に配慮すること」とし、委託契約時の特記仕様書においても、「転籍希望者は必ず雇用すると事業者が示した決定方針については誠実に履行する」とされた。このようにして、共立への転籍を希望した指導員全員が、期間1年の有期雇用契約を締結した。
 ところが、民間委託が開始されるや、共立は、指導員が保護者会や学童保育連絡協議会(学保協)に関与することを嫌悪し、関与を禁止した。そして、これを団交申入れの中で批判した組合を嫌悪する姿勢を強め、団体交渉申入れに対して、組合規約の提出を求め、提出した規約の内容が労組法に抵触するとして団交を拒否するに至った。
 そこで、組合は、2019年9月、府労委に不当労働行為の救済命令を申立てた(「先行事件」)。
 ところが、共立は、先行事件の継続中、雇用期間満了の直前に、それまで何の注意もされていない些細な出来事を持ち出し、指導員に「注意書」なるものを交付し、13人の指導員を雇止めにした。そのうち、12名が組合員であった(組合4役全員)。
 なお、先行事件については、2020年4月20日、府労委は団交応諾・謝罪文の手交・ポストノーティスを命じた(その後、中労委は、2021年4月26日、共立の再審査を棄却し、中労委命令が確定。その後、大阪府を始め大阪府下の自治体や共立が仁和寺前ホテル建設を予定する京都市で入札の指名停止処分が相次いだ)。
地位確認訴訟の提起と、救済命令の申立て
 雇止めされた指導員10名は、2020年5月15日、大阪地裁に地位確認訴訟を提起した。この雇止めは、組合嫌悪の不当労働行為であることは明らかであったが、組合員は公然化されてなかったために、組合員であるが故の不利益取扱いであると立証できるかという問題があり、組合員と弁護団、大阪自治労連は議論の末、同年8月6日に申立てたのが本件である。市直営時代、正規指導員42名のうち41人が組合に加入しており、非組合員は、僅かな指導員経験しかないのに真っ先にアドバイザーとして採用されたA氏(元警察官)だけであった。組合は、共立はA氏を通じて、誰が組合員であるか把握していると主張した。
雇止めは組合員が故の不利益取扱である
 府労委は、①学童保育の運営に指導員は不可欠、恒常的に必要であり、基幹的役割を担っていたことから、受託期間中は、雇用契約終了をもって直ちに契約終了させることを予定していたとはいい難い、②仕様書、特記仕様書の内容から、共立が受託している間は継続的に就労できると期待するような状況にあった、③会社説明会で直営時代からの指導員については、市での実績を引き継ぐような姿勢を見せていたこと、④指導員らは7~36年の間、継続して勤務していること等から、雇用契約更新の期待は「極めて強いものであった」と認定した。この点は、労働契約法19条の更新に対する合理的期待が争点となっている地裁においても大いに利用したい。
不当労働行為意思の立証
 最大の難問であった「組合員が故の不利益取扱」について、命令は、Aアドバイザーを通じて、また、組合の要求事項や組合員の言動等から組合員であることを容易に推認できたし、大阪地裁で共立が提出した準備書面の記載内容からも、組合らが組合に加入を認識していたことがうかがわれるとして共立の主張を排斥した。共立は府労委では代理人をつけなかったが、訴訟では、代理人弁護士が指導員らの組合加入を認識していたことを認める主張をし、組合の内部文書などが証拠として提出されたことから、これらの被告準備書面を含め府労委に証拠提出した。府労委は、組合活動を理由として雇用契約を更新しなかったと認定し、労組法7条3号、4号の不当労働行為も認めた。
守口市の責任は重大
 民間委託しても、学童保育の実施主体は、守口市のままである。ところが、守口は、共立による団交拒否や雇止め等の違法行為が繰り返されても、共立を指導しない。民間委託によって学童保育は大きく変質させられ、保護者は部外者として保育室にも入れてもらえない(コロナを口実にしているが)、新型コロナで学校が臨時休業となって混乱する中でほとんどの担任が入れ替わり、子ども達も戸惑い、保護者の連帯も弱まり、単に子どもを預けるだけの場所になってしまっている。この事件は、全国で広がる民間委託の行く末に警鐘を鳴らす。「子ども達のところへ戻してください」をスローガンにたたかう指導員の1日も早い職場復帰を実現するため、引き続き、全国からの支援をお願いしたい(弁護団は、城塚健之、原野早知子、谷真介、佐久間ひろみと当職)。

 

自由法曹団百年史年表
「正誤表と改訂と普及の3つのお願い」

東京支部  荒 井 新 二
(年表作成責任者)

 団創立100年記念事業出版の「自由法曹団百年史年表」に皆様から評価・注文・訂正など様々な意見を頂きました。取りたてての苦情はなく、概ね好評でした(が、装丁を褒めるものが多かった)。3年ほどの難行苦行でしたが、その甲斐があったと胸を撫でおろしております。ともあれ丁寧に読んでくださる方が多数おられたことがありがたく、この場を借りて感謝したい。なかで訂正と普及に関しご意見等を頂いた発行3ヶ月を経た今、団員の皆様に以下に「三つのお願い」をします。
1 正誤表を「団百年史年表」に付けて
 本通信に本年10月末時点までの「正誤表」を載せました。本文の収録事項の記載を直接訂正していただくか、コピーのうえ切り取って年表の表紙裏にでも貼り付けていただきたい。本文への本格的な反映は、将来の改訂で行う予定です。この誤記数が多いと見るか、少ないと見るかは続者のご判断に委ねます。編著者として一言、弁解すれば「完璧を求めたらこの種の本は、いつまでも完成しませんよ」との熟練編集協力者の言に触発され迷う気持にエイ・ヤーとけりをつけて出版に踏み切った次第です。今回の正誤の開示は、幾分恥ずかしいことですが、後で言う「学術書」としての効用と誇り(?)に伴う精確さを重視して、早めに訂正を行いました。
2 今後の改訂―「未来に開かれた年表」
 1刷りは、もう残部僅少(100弱)です。増刷や改訂が必要となるでしょう。この「百年史年表」が今後の百年間、続く訳もありません。賞味期間もそう長くはないでしょう。10年後あるいは30年、50年の区切りに大幅な年譜(収録事項)が追加される筈です。その時に年表内容の過不足を踏まえ、本格的な改訂が行われてしかるべきでしょう。「はしがき」で触れたように、本格的な団「正史」の基礎作業の一環です。当初から未来に開かれた年表と意識して作成しました。収録されなかった過去の事件・取組みや各地の団員の活動を掘り起こし、今からでも資料収集、記録化の作業を地道に続けていくべきでしょう。一層の充実を目指し長期的な視点で(デジタル化とその活用を含め)、データーの収集、整理、意見集約をしておいた方がよいと考えます。
3 具体的な普及の実行
 「団百年史年表」のこれからの普及について、いくつか提案します。500ないし1000ほどのある程度纏まった部数の注文が本部宛にあれば増刷り・改訂などをして普及をすすめていく計画です。
① 団内での活用 これから入団する団員にもれなくお渡ししたらいかがでしょうか。入団の際に本部から、丁寧な歓迎のあいさつの代償として進呈することを提案したい。一瞥してこれから入る団の歴史をイメージ的に「感じとれ」、何よりの団案内になるでしょう。団内扱いは、一部1000円(送料別)で頒布しています。あわせて各地の支部集会や市民集会などでの頒布・活用も検討ください。団の姿を参加者に理解してもらいましょう。ついでに言えば、100年中央集会はこの度一応終わりましたが、これから各地で支部総会等に併せて団百年行事を開くことも、決して遅すぎることはありません(100年に1度のこと、これまでも周回記念集会が1年遅れた歴史もあります)。せっかく各地でつくられたビデオなどと一緒に楽しい集会になると思います。そのとき参加者に気軽なお土産として配るのも立派な活用です。
② 社会活動家など周囲の方への普及 お近くで団に対する関心の高い方(非団員弁護士を含む)に団員経由で普及下さい。団年表は「はしがき」にあるように人民の「社会運動」「大衆運動」の歴史・記録です。社会活動家や労働組合・住民団体、政党など、裁判当事者・支援団体の皆さんに、自分たちの運動が歴史に刻まれていることを実感して貰うことは大切です。今後とも確信を持って運動を進める糧なり、あるいは礎なりにしていただけるのではないでしょうか。
③ アカデミズム・弁護士会への寄贈 大学・研究者あるいは弁護士会等に対しご寄贈を検討ください。ご購入をしていただければ何よりですが、「学術書」としては廉価で団内扱いは、とても廉価です。団員から個人的に寄贈するのが適切でしょう。団本部では既に少数ですが実行済みで、寄贈先などでお迷いの場合は団本部(柴田氏)にお問い合わせください。
④ 公共への貢献 最後に特別な要請です。全国で多数ある大小の各地公共図書館に閲覧の希望申込をして いただきたい。引用文献や索引をつけましたので、「学術書」として評価がそれなりにあって、図書館での購入リストに載り易いと思われます。11月13日の図書新聞に私のインタビュー記事が載りました。前途ある、が裕福でない青年達が開架棚にふと、団年表を目にして団の存在と伝統・歴史に興味をもつ、そういう心躍る場面を想起し公共図書館の利用を夢想します。

 

2021年総選挙結果を受けて「迷言」

広島支部  井 上 正 信

 立憲民主党枝野代表が辞任を表明した。総選挙前の議席を大きく減らしたことへの責任を取るためだ。
 立憲民主党内では共産党との野党共闘路線を見直す力が働くであろう。市民連合はこの事態にどう動くのだろうか。
 どう考えてもこの選挙結果には合点が行かない。立憲民主党は小選挙区では議席を伸ばしたが、それを上回る議席減が比例区で生じていた。立憲民主党を支持していた連合の組織票が、共産党との野党共闘を前にして「逃げた」との見方があるが、たぶんそうかもしれない。
 しかしこれだけは指摘したい。枝野代表は野党共闘路線をどれだけ本気で、腹をくくって推し進めようとしたのか強い疑問と不信感が残るのだ。結局連合にも「いい顔」をしながら、共産党の「リアルパワー」も欲しいという、右顧左眄するような腹をくくった取り組みではなかったようだ。連合が共産党との野党共闘を嫌っていることは彼も十分わかっていたはずだ。選挙応援の際に志位委員長との写真を撮らさずその場を離れたように、あたかも「頭隠して尻隠さず」のような中途半端なことをやったからこのような結果を招いたと思う。むしろ腹をくくって、野党共闘により連合の反共路線を修正させるくらいの取り組みが欲しかった。
 小選挙区では、野党共闘による候補者一本化(ほとんどの選挙区で立憲民主党へ一本化)した結果、選挙情勢が激戦となり、野党統一候補が競り勝った選挙区が多い。敗北した選挙区でも、惜敗率がかなり高かった。それでも野党共闘路線に否定的な見解が立憲民主党内に広がっているのであろう。
 野党共闘では一番割を食ったのが共産党だ。どこまで「お人よし」なのだろうか。衆議院解散後の短期間に政権構想まで合意したのは、ある意味共産党志位委員長の力業であったのか。共産党は少し急ぎすぎたのではないのか。野党共闘実現のために小選挙区の候補をたくさん取り下げた。そのため比例区の選挙運動に制約を受けることになった。共産党の比例区の得票数、率とも大きく減らす結果に結び付いたと思われる。
 私は市民連合の6本の柱、20項目の野党共通政策は大変優れた内容であるとおもう。しかしこれを支えるべき政党基盤、国民の支持基盤があまりにも脆弱ではなかったのではないだろうか。
 むろん選挙期間があまりにも短すぎたという技術的な問題はあるだろう。しかし、政党基盤と国民の支持基盤の脆弱性は、選挙期間の長短という技術的な問題ではないだろう。
 市民連合の共通政策をどこまで国民へ浸透させるか、これを実現する政党基盤をどのように強化させるのか。この二つが今後求められる課題であることは分かっている。共産党はもっと地力をつけてほしい。民社党は泡沫政党であってはならない。立憲民主党内に、野党共闘路線を広げなくてはならない。
 私は政党人ではないので、今後野党各党がどうするのかは任せるしかないが、共産党は連合政権構想を実現するのであれば、もっと地力を付けなければならないことは明らかだ。維新の会や公明党の後塵を拝するようでは、この国の未来はない。
 市民連合は、共通政策を国民の理解と支持を広げる活動が必要であろう。共通政策は、この国が20年以上にわたり国民所得が低迷し、今や韓国の一人当たりの所得よりも低い体たらくを克服する、富裕層とその他の国民の資産と収入格差を縮める、平等で自由・公正な多様性社会を作る、気候危機を克服する、武力紛争をなくし平和で安全な国と世界を作る、核兵器を廃絶するなど、わくわくするような内容であるし、政権交代により実現可能な政策だ。
 今の自公政権が続けば、国民は政治に対する期待を失い、政治的なニヒリズムに支配され、それが自公政権だけではなく、野党にも向けられ、本来は日本社会を変革する力がある国民のエネルギーが失われてしまう。私たちが知らない間に中国との武力紛争の当事者にされてしまいかねない。戦争被害を受けるのは私たちであるにもかかわらずだ。
 戦前のことを言えば「またか」と思われそうだが、私には今の国民意識の状態は、1930年代の状況にダブって見える。柳条湖事件(満州事変)、満州国建国と満州支配、それに引き続く盧溝橋事件、上海を舞台にした日中戦争の本格化までは、戦場が中国本土であるため、国民はその実態を知らされず、知るすべもなく、戦勝に沸き、南京陥落(占領)際には全国「ちょうちん行列」で祝勝ムードと戦争への精神動員がなされた。しかしながらすでに当時の我が国の戦争遂行能力は限界に近づいていたのだ。そのため国家総動員法が施行されて、我が国の国民は戦争遂行のために動員され、不自由な生活を強いられることになった。戦争を遂行するため、国民が根こそぎ動員され(徴兵年齢の引き上げで、中・高年男性や知的障害のある人まで徴兵され、子供たちは勤労動員として軍事工場で働かされ、食料品は配給となり、隣組により相互に監視された)、台所の金偏が付く食器類からお寺の鐘まで供出され、山の松の木が伐採されて松の木の油で戦闘機を飛ばすように、国民の汗の最後の一滴まで絞られたのだ。今振り返れば、「笑い話」と間違えてしまうだろう。それでもまだ戦争被害を受けるかもしれないなどと考える人はいなかった。そう、サイパン陥落までは。
 当時と異なり、現在の戦争はミサイル戦争だ。ごく短時間で攻撃を受ける。それもいきなり引き起こされる場合もあるのだ。
 私はこのようなことを見たくもないし、その被害を受容する気もない。これを引き起こさないためには政治を変える、野党連合により政権を交代させるしか手段はない。市民連合の共通政策には、これを実現させる希望がある。私の役割は、この共通政策を国民へ広げることであるし、これを実践するしか道は残されていないと思っている。
 共通政策と野党共闘に強い期待を持っていただけに、選挙結果に対する失望は大きかった。どうやって気持ちを立て直すかまだその途上だ。気持ちを切り替えるためには、今考えていることや思いを書くことが一番のクスリだ。そこでこのような「世迷言」を書き綴ってみた。団の仲間の忌憚のない意見を聞きたい。

 

事務局次長就任あいさつ
~人手不足との向き合い方~

神奈川支部  永 田   亮

1 ごあいさつ
 このたび事務局次長に就任しました、神奈川支部66期の永田亮です。神奈川支部では、4団体集会の実行委員長を行ったり着ぐるみの中に入って街宣を行ったりと精力的に活動をして参りました。
 新任次長が自分1人という悪目立ちをしておりますが、ひとまずこの1年間、神奈川の小賀坂幹事長を支えるべく頑張ります(2年目については次長ひとりになっては困るので今は考えないようにします)。よろしくお願い致します。
2 差別をなくす取組みを頑張りたい
 弁護士になって以降、建設アスベスト訴訟、過労死弁護団、ヘイトスピーチ問題などを中心にいろいろと取り組んできました。あらゆる理不尽と向き合う、という意味で弁護士としてのやりがいを感じますし、各種人権課題に取り組む自由法曹団の一員としての自負も感じています。
 特に、今の日本にはあらゆる差別がまん延し、社会の分断を招くとともに閉塞感のある状況が作り出されてしまっています。ヘイトスピーチや入管問題から浮き彫りになった外国人差別、夫婦別姓訴訟などからも見られる女性差別、LGBT理解促進法が速やかに成立しないという性的マイノリティに対する差別意識、ワイドショーが火種となったアイヌ差別などの民族差別など枚挙に暇がなく、個々人の人格権や人格的自律を保障する憲法の理念の実現のためにも差別解消のための取組みは不可欠です。
 また、中国脅威論や北朝鮮脅威論の根底にはアジア人に対する差別意識があるからこそ、とも感じます。こういった差別意識に基づく脅威論を根拠とした軍備拡張や改憲論議はなんとしても止めなければなりません。
 私自身も含め、昔からある差別から最近取り上げられるようになった新しい差別まで勉強不足の部分も多くあり、自由法曹団員であってもその差別意識や偏見などを持っている人は少なくないのではないか、と思います。自分自身を見つめ直して、被害者や当事者の声を聞いて、あらゆる差別がないさまざまな人を包摂した社会作りを自由法曹団として打ち出せていけたらいいなと思います。もっとも私1人では到底できませんし、次長の人数も少ないので、皆様ぜひご協力のほどよろしくお願い致します。
3 団活動の改善もしたい
 次長の人数の話になりますが、率直に申しまして、3人退任するのに新任が1人と聞きまして、「人気ないんだなぁ」と思った次第です。また、総会の際の壇上で執行部のジェンダーバランスが極めて悪いことにも気付き、不安を覚えたのも事実です。
 若手団員の中には、次長就任で収入がどうなるか、という心配はあれど、自由法曹団員として日々さまざまな人権活動に取り組んでいる弁護士であれば、少なからず中央のダイナミックな取組みには興味があるのではないか、チャンスがあればやってみたいと思っている人はまぁまぁいるのではないか、とは思っています。
 じゃあなぜ後任が見つからないのか、ジェンダーバランスがこんなにも悪いのか。
 新任が見つからないからと、同期に「次長を一緒にやらない?」と聞いたら、「子どもがまだ小さくて厳しい」と言われました。結局のところ、①次長に就任すると月に5回は会議が増えて、委員会の議事録を取ったり、意見書の起案をしたり、という実働部分での負担面の心配、②そういった事務負担増と夜の会議や泊まりの会議などによる家庭生活面の心配、にあるのではないでしょうか(まだ実態を知らないので適当に言っています)。
 持続可能な活動を考えたら、「子どもが小さくても全然大丈夫だから一緒にやろうよ」と言ってあげたいし、女性でも担いやすい体制にしたいし、人権擁護の法律家団体としてそういう「人に優しい」団体でありたいと思います。
 Zoom会議中心になって、夜の会議や泊まりは減ったと思いますが、今後のことを考えたらコロナが収束したとしても当然継続すべきだと思います。運営上の課題などは多様性があったほうがいいですから、精力的に活動されている女性部に声をかけてご意見を頂いたりしていきたいです。
 他にも、当面は4人しか次長がいないのですから、これを機に負担軽減(もしくは所掌事務の明確化)とかも進められたらいいので、空気を読まずにいろいろと提案をしてみたいと思います。
 「こうして欲しい」とか「こういうのであれば参加できる」といったご意見があったら忌憚なく執行部までお寄せください。 微力ではありますが、みんなにとって居心地がよく盛り上がった自由法曹団にできるよう頑張りますので、引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

 

「団100周年記念のつどいと団総会の感想」

京都支部  大 橋 百 合 香

 10月22日の自由法曹団100周年記念のつどいと、10月23日の団総会に、73期の団員として京都から参加させていただきました。現地には100人以上の団員の先生方が参加されていたと思います。
 1日目は、自由法曹団が100年間、戦って勝利を勝ち取ってきた歴史を学ぶことが出来ました。原発訴訟で、訴訟自体は現在30個以上もあり、いくつかの勝訴判決を勝ち取ったこと、刑事で再審無罪を勝ち取ったこと、生活保護の引き下げや、年金減額に反対し、アスベスト訴訟でも勝訴判決を勝ち取ったことなど、自由法曹団が100年もの間、大きな功績をあげたことがわかりました。100周年記念のつどいでは、勝訴判決の映像が連続で流れましたが、その裏には団員の先生方が何度も会議を重ね、もの凄い苦労があったのだろうなあと思いました。
 次に、法政大学名誉教授・前総長の田中優子先生の記念講演を聴かせていただきました。田中先生のお話で、選択的夫婦別姓は、選べる自由を主張しており、いろんな夫婦の形を受け入れるという意味では多様性を認めており、自由に生きるということは、多様性を受け入れることであるというお話が特に印象に残りました。自由な社会の実現ために、選択的夫婦別姓や同性婚等、多様な家族形態が認められて欲しいと思いました。
 全国の団員の先生方の取り組みの動画では、それぞれの支部が個性に溢れており、楽しく見ることが出来ました。特に、各支部で若手の団員の先生方のコメントもあり、若い先生方の活気も感じました。袴田事件で、は、弁護団会議に支援者の方々も毎回出席し、法曹の常識を覆して、支援者がねつ造を暴いたという話も感動しました。
 2日目は、議案書の内容を中心に、1人1人の団員の先生方が活発に意見を述べておられました。特に印象に残った話としては、シフト制労働者の問題で、コロナ禍でシフトを減らされた労働者が生活苦で非常に困窮しているのに、休業補償がないという問題があることです。シフトを減らすにしても、最低労働時間を決めたり、休業補償の制度を作ったりするべきではないかという意見がありました。シフト制労働者の保護がもっと手厚くなれば良いと思いました。
 また、死刑制度についてのお話も特に印象に残りました。内閣府による世論調査では、死刑賛成は8割にものぼるというお話でした。しかし、仮釈放がない終身刑が認められれば、死刑を廃止してもいいという声もあり、死刑を廃止した上で自由刑をどうするかの議論をすべきではないかという意見もありました。えん罪の危険もあるので死刑は廃止すべきだと思います。死刑を廃止するかの問題と、自由刑をどうするかを分けて考えた上で、死刑廃止の意見が活発になればよいと思いました。
 総会では、若い団員がもっと増えて欲しいという話もありました。私自身も、若手団員の先生方と自由法曹団を活気づけていければよいと思いました。

 

NLG総会をズームで覗く・・・国際ズーム会議初体験記

大阪支部  井 上 洋 子

 アメリカのナショナルロイヤースギルド(以下、NLGと略します)の総会は、新型コロナウィルス感染拡大のせいで、2020年からウェブ開催になっています。2021年も同様でした。参加費(125ドル)を払って登録すればズームで参加できます。アメリカに渡らなくてもアメリカの会議に参加出来るという点でズームは便利です。しかし時差があるため、日本では真夜中から早朝の会議となり睡眠時間と重なるため、この壁を越えるのは大変です。そこで、一人で参加しても結局寝てしまうだろうと考え、団本部にみんなで集まって、半分は楽しみながら、NLGの総会を聞こうという無謀なことになりました。
 2021年10月16日(土)午前1時から午前5時のプログラムを視聴することになり、平松事務局長、岸朋弘本部次長、安原邦博本部次長、薄井優子専従事務、私が参加しました。
 テーマは、アメリカのアフリカ起源の人々に対する警察の構造的な差別についての調査報告でした。調査委員会はNLG、NCBL(the National Conference of Black Lawyers 1968設立)とIADL(the International Association of Democratic Lawyers 1946設立)の共同で組織され、12名の委員が44事例を調査したそうです。
 しかし、最も英語の良く出来る安原さんはすでにアルコールに浸り終わってくつろいでおり、通訳の用に耐えませんでした。幸い、NLGのズーム講演では話している言葉が英語字幕で出たので、私の聞き取りが不十分な部分は文字で補い、一生懸命聞き取ろうとしました。しかしそれも午前3時には限界となり、薄井さんと二人、女性陣は宿に帰りました。岸さんは、「英語が全部はわからなくても、とにかく最後まで聞く」と言って、その後午前5時まで聞いたようです。岸さんのチャレンジ精神には素晴らしいものがあります。
 私が聞いた範囲では、警察暴力によって息子を失った親の陳述がなされ、ジャマイカの委員が、被抑圧者の状況を正しく認識しないことによる暴力の亢進、女性に対する蔑視的侮辱的視点からくる暴力や圧力、精神障害者の行動への無理解による暴力の惹起など、警察の暴行を類型化して話していました。また警察官の胸につけるビデオ撮影装置や警察を調査対象とする民間委員会の活用などについても話していました。インドの委員は、アメリカにおける人種差別と警察の暴力の歴史をひもとき、今日につなげていました。
 私レベルではこの程度の大まかなことしかわからないのですが、インドの委員は60代後半から70代とお見受けする女性で、いろいろな役職を経験している方のようでしたので、この方がここまでの地位を築くまでのインドにおける人生はどのようなものであったのかを知りたい気持ちになりました。また、ジャマイカの委員は明るい日差しの中の駐車した車の中からの参加で、インドの暗い夜の部屋とは対象的で、気分が明るくなる風情でした。
 会議はschedというアプリで管理されており、どの会議に出るかを予めスケジュール登録しておけば、当日はボタン一押しでズーム参加でき、自分の情報を誰に(講演者か視聴者か)どこまで開示するか(顔写真、氏名、プロフィールなど)を登録できる、カラフルで使いやすい優れものでした。
 ズーム参加も面白かったですが、リアル参加であれば、NLGメンバーとの食事会などで、アメリカの社会政治情勢などよもやま話しができたり、現地の風景や雰囲気から感じたりわかったりすることがあるので、コロナが終息したら、みんなでアメリカへ行こうね、と約束して解散しました。
 以上、国際ズーム参加のおのぼりさん的報告で恐縮です。

 

コロナ禍に負けない!(継続連載)貧困と社会保障問題に取り組み たたかう団員シリーズ ⑫

 

米原市生活保護業務検証委員会委員の委嘱を受けて

滋賀支部  木 村   靖

 私は、2021年8月19日に米原市から米原市生活保護業務検証委員会委員(以下、単に「検証委員会委員」という)の委嘱を受けました。この検証委員会の検証対象事件は次のとおりです。
 令和元年12月24日22時35分頃、米原市健康福祉部社会福祉課で生活保護を担当する職員が、長浜市内の路上に駐車中の自動車内において、被害者の頭部、腹部を包丁で切りつけ、殺害しようとした殺人未遂事件で、当該職員が令和元年12月25日に逮捕され、その後、令和2年1月15日に殺人未遂事件として起訴され、令和2年12月22日に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けたというものです。
 この事件の判決理由において、裁判所は、犯行に一定の計画性と殺意があったことを指摘した上で「被告人は、休職者が複数出るような過酷な職務環境の中、自らも不調を来し複数回にわたり精神科を受診し職場にも相談したが十分な環境整備が行われることがないままに長期間の休職を認められることもなくケースワーカーとしての職務を続けた。令和元年10月からは同僚が休職したことにより被害者をはじめいわゆる困難案件約20件を含め、約140件ものケースを主担当者として担当することになった。」との認定をし、このような過重な負担が自己の許容量を上回るものであると感じながらも仕事を続けた末に、精神的に追い詰められ思考力や判断力が一層低下し、視野が狭くなる中で本件犯行に及んだものと本件犯行の動機を認定しています。
 このような判決の指摘を受けて、米原市ではこの事実を重く受け止め二度とこのような事件を起こさないために、この事件を客観的かつ公正な第三者の立場から検証し、再発防止対策を議論し、今後の執務執行に向けた対策を検討するため、検証委員会を条例設置されたものです。検証委員会を開催するにあたって、米原市が、弁護士を検証委員会委員の一人として委嘱したことは、刑事事件についての専門的な意見や考え方を大切にして再発防止に役立てようとしたことによるものといえます。又、刑事資料の収集にも役立てようとの考えもあったと思われます。現に公判で明らかとなった事実関係や加害者である職員が感じていた米原市の組織体制の現状を正しく理解し、事件の検証を行うとともに再発防止対策を検討するための一つの資料として公判記録の取り寄せ手続を行い供述調書や公判調書の取り寄せ、事実確認をする資料の提供に貢献しています。再発防止対策の検討、策定はこれからですが、意義ある内容となるように検討委員会委員として尽力していきたいと思っています。
 現在、検討委員会委員の立場からは外部に対して述べることの範囲は限られているので本稿もそのようなものとして御理解下さい。いずれ検証委員会の報告がまとめられ公表された段階で、機会があれば改めて報告したいと思います。

 

自分語り-ある女性の婚姻に寄せて-

北海道支部  川 上 麻 里 江

 何を唐突に、と思われるかもしれないが、私は、血族から祝福されない結婚をした者の一人である。
 反対される理由は幾らでもあった。政党職員だから。経済力が乏しいように見えるから。私と比較して学歴が低いから。医療法人を退職し、地方議員の予定候補なぞをやっていたのが、働くことから逃げたように見えるから。そこに、何が私にとって幸福か、つまり私の人格を尊重してくれるとか、責め立てたり意図的に傷つけたりしないとか、干渉をしすぎないとか、とにかく安全に暮らせるとかといった視点は、一切存在しなかったのである。
 したがって私は、婚姻の自由を行使した。それは今にして思えば、この世界で健全に生き残るため、差し迫るような思いで選択した行動だった。
 ある高貴な生まれの女性の、婚姻の自由が話題になって久しい。件の女性は、私が本稿を書いている今日(2021年10月27日)、数年越しの想いを実らせて、愛する人とともに朝を迎えたそうである。たいへん喜ばしいことであるが、それには数々の有形無形の犠牲を伴ったと聞いている。私などは、婚姻の届出そのものは容易であったし、何より、私の血族を除く周囲の人たちはこぞって祝福してくれたから、彼女たちに比べれば大した障壁はなかったというべきであるが、それでも、傷つかなかったといえば嘘になる。まして、特殊な家柄を理由に、不特定多数の見知らぬ他人から干渉を受け、誹謗中傷を浴びせかけられながら、鋼の心で寄り添いあい、意思を貫いた彼女とその伴侶には、敬意さえ抱かずにはいられない。
 もし私が彼女の立場であったらどうしたか、など、まったく見当もつかない。しかし、これだけは言うことができる。自ら選んだ人との結婚を実現させたことは、それだけで、途方もない価値を持っている。一億円のお金でも、光り輝くティアラでも敵わない、自由そのものの言い尽くせぬ値打ちである。「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」と、切実な言葉を選んだ彼女の気持ちが、私には痛いほどわかる。
 この感覚は、何らかの形で自由を剥奪されたことのある者、あるいは他者と比べて自由が少ない環境に置かれた者でなければ、共有することが難しいのかもしれない。自由の価値をわからない者が言う。「公人でありながら」「税金を遣わず、自分で働いて暮らしてから主張しろ」…。彼女が好き好んで公人に生まれた事実はないし、税金で養ってくださいと頼んだこともないのが明らかであるのに。この国には憲法というものがあって、職業も、学問も、住む場所も自由が保障されていることを知りながら、自分たちだけは、そのほんの一部だけでも享受しようとすれば四方八方から攻撃される…。「札束で引っ叩かれるような」という比喩が、これほどしっくりくることもなかろう。人間らしい自由、私の人生が間違いなく私のものである、という感覚を取り戻すためなら、異国の地で働きながら暮らすことだって、一時金を辞退することだって、惜しくなかったはずである。
 このコロナ禍で、あらゆる人に保障されていたはずの自由が、事実上失われる事態が数多く起こった。“不要不急”の楽しみの提供を生業とする人たちは、営業の自由を。旅を生き甲斐とする人たちは、移動の自由を。老人ホームや病院にいる近しい人と会う自由、仕事帰りに呑んだくれる自由、集まる自由、学ぶ自由、マスクなしで深呼吸する自由…。さまざまな制約に息を詰まらせ、寛容さを失う人もいる。しかし、私たちがコロナ禍から学ばなくてはならないのは、今まで空気のように存在していた自由がなくなった世界とはどのようなものか、改めて想像を巡らせてみることではないだろうか。居酒屋が閉まった街で「路上飲み」に繰り出す人々の群れを、画面越しに眺めた私は思った。「なんだ。みんな自由が好きなんじゃないか。」
 彼女の結婚に納得できない人は、ぜひ想像していただきたい。宴会や旅行やコンサートさえ我慢するのはつらいのに、一生に一度の結婚すら自由にならないなど、あなたは耐えられるのか。そのような苦痛に、誰かをして耐えさせることに、どのような正当性があるというのか。
 なお、実際に「駆け落ち婚」を選んだ私自身の現在についていえば、一片の悔いなし、というのが心からの本音である。たとえ将来、結果として破綻を迎えるとしても、同じであると言い切ることができる。きっと彼女も同じであろう。その理由は何よりも、私が誰と家族になるのか、誰と生きていくのかを、私自身で決定できたことに、無上の価値があったからである。私は今、確かに私自身の生を手に入れ、自分の足で歩んでいる。
 庶民の暮らしは大変かもしれないが、ここには燦然と輝く自由がある。その自由を守るため、不断の努力を続ける人々の足跡の一つとして、このたびの出来事を歓迎したい。
 ようこそ、憲法のある世界へ。そしておめでとう小室眞子さん。

 

弁護士が活躍する社会―「弁護士の養成」と「法の支配」

東京支部  後 藤 富 士 子

1 弁護士になるのになぜ「国営修習」を強制されるのか?
 日本の弁護士は、戦後の統一修習制度しか知らないから、所与のものとして改変不能と思いこんでいるように見える。言うまでもなく、統一修習制度は、判事補・検事・弁護士を養成するもので、養成対象を絞るために司法試験がある。そして、修習制度の容量には限りがあり、現在は年間1500名程度とされている。
 しかし、弁護士が活躍する領域は、社会的には無限といってもよい程に広大であり、「司法」の領域に限定されない。しかも、その社会的存在価値は「民間人」であることにある。そうすると、そもそも弁護士になろうとする者に均質の国営修習を強制することはおかしいのではないか。そのうえ数が豊富ではないから、多様性に欠けることを免れない。実際にも統一修習の期間やカリキュラム内容が著しく劣化しているから、この法曹養成制度を続けていたら、司法の機能は自滅するかもしれない。
2 ロースクール制度の核心的意義 ― 法曹資格の一元化
 アメリカのロースクール制度は、ロイヤーである弁護士を養成する高度な専門大学院である。ロースクールで初めて法律を学ぶのであり、ロースクールの学生は全員、学士課程で法律以外の分野を専攻している。期間は3年制で、コロンビア大学ロースクールの場合、1年生のカリキュラムはすべて必修科目からなっており、不法行為、契約、民事訴訟法、刑事法、財産法、憲法の一般基礎科目のほかに、特定の分野を通じて法律を学ぶ入門コースとして「法と経済」「フェミニズム法学」などの「パースペクティブズ」と呼ばれる科目がある。その他、判例法を解釈するだけでなく、行政府レベルの規制と行政府の司法課程を解釈するための「規制国家の基礎」という科目もあり、医療、電気通信などの特定産業の規制に重点をおく。1学年終了後は、3年生に「法曹倫理」の受講を義務化している以外、必修科目はなく、自由選択科目のみとなる。
 司法改革前の韓国の法曹養成制度は日本とよく似ており、司法試験を経て司法研修院(日本の司法研修所に相当)を修了すると、予備判事(日本の判事補)、検事、弁護士になることができる制度であった。しかし、1990年代に入って、国際化にうまく対応できる多数の弁護士の育成が大きな課題として登場した。金泳三大統領は、国際競争力を高めるために法曹人口増と専門性を備えた弁護士需要に応じるためロースクール導入を決めた。2007年に法学専門大学の設置・運営に関する法律が制定され、2009年に25のロースクールが開校したが、ロースクール設置大学は法学部を廃止しなければならず、アメリカのロースクールに倣って、学士課程で法律以外の分野を専攻したうえでロースクールで初めて法律を学ぶ。そして、同年8月頃に弁護士試験法が制定されてシステムが完成した。つまり、ロースクール修了者は弁護士試験を受けて弁護士資格を取得するのである。その結果、2018年度から旧制度である司法試験制度が完全に廃止され、2年間の修習制度も2019年に終了して、「法曹一元」が実現している。
 こうしてみると、ロースクール制度は民間人である弁護士を養成するもの  であり、その核心的意義は「法曹資格が弁護士に一元化される」ことにあるといえる。すなわち、国営統一修習制度は、ロースクール制度と両立しないのである。
3 「統一修習」によってもたらされる「弁護士の弱体」
 アメリカや韓国のロースクール制度をみると、多様な背景をもつ学生に高度な法律専門教育を施すのだから、法律家の人的資源として質量ともに日本は比べるべくもない。しかも、その法律家は弁護士である。そして、検事や判事は、弁護士有資格者から選任されるのだから、検事や判事の資質は弁護士の資質に押し上げられるのであって、「弁護士の弱体」など無縁である。
 私は、司法における当事者主権を実現すべく、「弁護士の弱体」を何とか克服したい。そのためには、「国営統一修習」から解放され、多様で高度の専門性を備えた弁護士を養成する制度を熱望する。
 (2021.9.7)

 

 

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