第1765号 2/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●「試練に立つ権利ある民衆の弁護士の物語」を読んで  安原 邦博

●2022年1月7日2+2共同発表文を読む-台湾有事を想定し、日米の共同軍事態勢を作る宣言(上)  井上 正信

●「公権力の行使」と「法の支配」-「司法権の優越」の原理  後藤 富士子

●墨黒々と「核廃絶」とわれ書きぬ駅頭に立つ嫁のたすきに  大久保 賢一

●東北の山(4)~ 裏岩手連峰  中野 直樹


 

「試練に立つ権利 ある民衆の弁護士の物語」を読んで

大阪支部  安 原 邦 博

 「裁判官殿、どうぞ好きな刑を言い渡して下さい。私には慈悲を乞う気持ちなどありません。また自分のしたことを反省したり後悔したりなどもしていません。これからも、何度も何度も繰り返すつもりです」(アーサー・キノイ著、菅野昭夫団員訳「試練に立つ権利 ある民衆の弁護士の物語」(以下「本著」)328頁。以下、頁数は本著の頁数を表す)
 これは「民衆の弁護士」(People’s Lawyer)であるアーサー・キノイ氏(アメリカ)が被告人として法廷に立たされ有罪を言い渡された際に敢然と述べた言葉であり、この場面は、本著が叙述する、キノイ氏の困難あふれる「民衆の弁護士」としての冒険譚(Odyssey)のクライマックスである。
 この言葉を読むのは、キノイ氏が、1940年代後半から1960年代にかけて何度も何度も繰り返された、議会や行政だけでなく裁判所までもが加担する剥き出しの権力による数々の弾圧(「共産主義者」とみなした者を片端から検挙し犯罪者化する法令を作り濫用するという、想像しやすいものに留まらず、裁判官までもが集会に乗り込んできて「この集会を解散し、こいつらをおっぱらえ」と主催者に怒鳴り立て、それを拒否すると一緒に連れてきた警察署長に命じて主催者らを逮捕させたり(193頁)する弾圧)に対し、何度も何度も繰り返し立ち向かった経験を共有した後である。
 キノイ氏のいう「民衆の弁護士」とは、単なる代理人ではなく、すべての人の自由や平等つまり尊厳のため、正義が必ず勝利することを確信して誇り高く闘い続ける民衆の一人をいうに違いない。本著はとても濃厚であり消化しきれていないので、今回の感想はこの一文のみとし、今後折にふれて読み返したいと思うが、本著を初めて読んで印象に残ったキノイ氏の言葉を、再読の際の心覚えとして、また未だ読まれていない方のために書き留めておきたい(それぞれの言葉が発された各物語を読み解けば、その言葉が真に意味することを読み取れるはずである)。
「民衆の弁護士にとっての首尾不首尾というものは、必ずしもその訴訟で勝訴したか敗訴したかということではない~本当の意味の成功不成功は、その闘いに参加している民衆の士気と理解がそれぞれの法的な活動によって高められたか否かということにかかっている」(58頁)
「もっとも重要な観点は~法廷闘争が、民衆の闘いを擁護し前進させるについていかなる役割を果たすのかということである」(72頁)
「『どっこい、そんなに早くおれたちを非合法化できるもんだと、思ってもらっちゃ困るぜ。おれたちはあらゆる手段をとって闘うんだ』と言い返せるように、何らかの行動をとるのが、われわれの弁護士としての仕事である」(104頁)
「法的な概念の理論や制度が永遠の生命をもっているなどという意見にまひされてはならない。労働者のために活動している弁護士にとって、『永遠』といえる唯一のものは、より良い生活を求めるこうした民衆の闘いだけなのだ」(114頁)
「弾圧やヒステリーがどんなに激しかろうが、時として勝利を得ることは可能~たとえ不利であっても、勝利を確信して戦わねばならない」(117頁)
「権力の本当の狙いを暴露する反撃を組織することを、弾圧された人と同一視されることを恐れるあまり、躊躇するようであれば、民衆の側に勝利の展望はほとんどまたは全く存しない」(131頁)
「反動または前進のいずれの時代であろうと、社会進歩の核心は、民衆自身の自主的な力と強さにかかっている」(166頁)
「ある個人の人生をおしつぶそうとする権力の弾圧と闘うときには、その個人のための闘いをその権力自身に対する全体的な闘争の一部として結合できるかが、勝利の鍵である」(175頁)
「運動は金で売り買いされるべきものではない。また、運動の方針や戦術は、資金援助者によってたがをはめられるべきではない~運動は、塹壕にたてこもる権力に対し効果的な闘いを挑むすべての人々のものであり、誰の所有物でもないのである」(198頁)
「どんなに小さな法廷闘争の勝利であってもそれが闘う民衆の士気にとって~重要である~権力は無敵ではなく、断固として闘えば勝利する」(212~213頁)
「古い判例がノーといっているからわれわれに為すべきことがないなどということを、法律家として受け入れるわけにはいかない~運動を遂行していくために法的な救済が必要なら、その方法を見出すことが弁護士の任務であり、これ以外の答えは存しない」(226頁)
「われわれの究極の役割は、民衆の運動に奉仕する法理論を創造する優れた専門家であるばかりでなく、政策決定に参加し、その実現を援助するという点で、運動の自主的で平等な構成員として、みずから政治的役割を担うのである」(279頁)
「弁護士らしい手法とは、実は、『そのものずばりを言う』やり方~最高裁での弁論で肝心なことは、闘いにおいても同様なのである。すなわち、事実を衝くということである」(294頁)
「憲法上の権利を守る任務を課せられた民衆の弁護士は、同様にそうした権利を放棄することをいさぎよしとせずむしろそれらの権利を擁護することを責務と考えている、法曹界のより保守的な層と接近することを学ばなければならない~忍耐強く説得力をもって討論~自分だけが正しいという独善的な傲慢さを押さえつけることを、学ぶ必要があ」る(320頁)
「新たな意識の高揚と大衆的なエネルギーの高まりのみが、すべての人々の自由と幸福追及を保障する未来への道を切り開く」(350頁)

 

2022年1月7日2+2共同発表文を読む ―台湾有事を想定し、日米の共同軍事態勢を作る宣言―(上)

広島支部  井 上 正 信

 2022年1月7日発表された日米安保協議委員会(2+2)共同発表文(以下単に共同発表文と表記)を、昨年3月2+2共同発表文、同年4月日米首脳共同声明と比較しながら読んでみた。
 それからわずか10か月の間に、台湾有事での日米の軍事一体化がこれほどまでに進展しているのか、と思わせる内容であった。
 2021年3月2+2共同発表文と比較して、台湾有事から進展する対中国武力紛争を想定して、日米の軍事一体化に大きく踏み込んだ主な個所は以下の個所である(ゴチック体は井上による)。
第2段落 
「閣僚は、変化する安全保障上の課題に(中略)国力のあらゆる手段、領域、あらゆる状況の事態を横断して、いまだかつてなく統合された形で対応するため、戦略を完全に整合させ、ともに目標を優先づけることによって、同盟を絶えず現代化し、共同の能力を強化する決意を表明」
第4段落
「閣僚は、地域における安定を損なう行動を抑止し、必要であれば対処するために協力することを決意」
「閣僚は、地域の平和と安定を損なう威圧的な行動に関するデータを収集・分析するための取り組みを通じたものを含め、情報共有の取り組みを強化する意図を共有」
第8段落
日米は、今後作成されるそれぞれの安全保障戦略に関する主要な文書を通じて、同盟としてのビジョンや優先事項の整合性を確保することを決意した。日本は、戦略見直しのプロセスを通じて、ミサイルの脅威に対抗するための能力を含め、国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意を表明した。日米は、このプロセスを通じて緊密に連携する必要性を強調し、同盟の役割・任務・能力の深化及び緊急事態に関する共同計画作業についての確固とした進展を歓迎した。」
第9段落
「閣僚は、アセット防護任務、共同の情報収集、警戒監視及び偵察(ISR)活動、実践的な訓練・演習、そして、柔軟に選択される抑止措置(FDO)、戦略的なメッセージを含む協力の深化を歓迎した。閣僚はまた、日本の南西諸島を含めた地域における自衛隊の態勢強化の取り組みを含め、日米の施設の共同使用を増加させることにコミットした。」
第12段落
「閣僚は、低軌道衛星コンステレーションについての議論を継続することも含め、宇宙状況把握、機能保障、相互運用性並びに、宇宙への、宇宙からの及び宇宙における深刻な脅威への共同対処に関する協力を深化させていくことで一致。」
第13段落
「閣僚は、極超音速技術に対抗するための将来の協力に焦点を当てた共同分析を実施することで一致
「閣僚はまた、共同研究、共同開発、共同生産、および共同維持並びに試験及び評価に関する協力に係る枠組みに関する交換公文を歓迎
 以上のゴチック体で表記した箇所は、日米による対中武力紛争を想定して、平素から情勢緊迫時、重要影響事態、存立危機事態に至るあらゆる状況において、切れ目のない日米共同の軍事行動をとることを合意するものである。しかも平素から最先端兵器の共同研究・開発の協力を合意する協定(MSA協定)を締結している。
 2021年3月2+2共同発表文では、中国の威圧的な軍事行動に懸念を表明し、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するにとどまっている。 
 共同発表文は、日米共同作戦計画を策定して、「必要であれば対処する」と述べて、日米が共同で戦うと宣言するものとなっている。
 2021年3月2+2共同発表文では、日米同盟の役割・任務・能力について協議して、安全保障政策を整合させ、拡大抑止を強化するための緊密な連携にコミットする、と述べているが、きわめて抽象的な努力目標のような合意である。
 他方共同発表文は、2021年3月2+2共同発表文の抽象的な合意内容を、具体化するものとなっている。
 我が国の防衛力強化につき、共同発表文は2021年3月2+2共同発表文にはない「抜本的に強化」と述べており、我が国の防衛力強化につき、きわめて強い政治的決意を表明している。
 わずか10か月間にこれほどまでに具体的で踏み込んだ共同発表文になった背景事情はどこにあるのだろうか。
 共同発表文では、米国による世界的な戦力態勢見直し(GPR)の完了を引用しているが、2021年3月2+2共同発表文では、これがまだ進行中であることを述べている。GPRは2021年11月29日に完了したことがペンタゴンのプレス発表で分かっているが、その詳しい内容は軍事秘密となっている.
 共同発表文で、ここまで踏み込んで具体的に日米軍事協力を合意した背景の一つに、このGPRの作業完了が挙げられる。しかし、GPRは大方が予想したほど、米軍の世界的な戦力態勢で対中軍事態勢強化へ大きく転換させたものと評されていない。
 日米間の2+2で政治的な合意に至るには、それまでの間に日米の軍事協力(情報共有、共同演習、共同作戦計画策定、装備のインターオペラビリティ―向上、軍事技術の共同研究など)が、軍事の現場で進展していなければならない。
 そうでないと閣僚級といっても両政府の合意である以上、それだけの政治的決意を表明するだけの現場での積み重ねが必要だからだ。
 ではそれは何であろうか。2021年は、日米共同演習の内容が、米国の対中軍事態勢・戦術(海兵隊の遠征前方基地作戦EABO、陸軍の多領域作戦MDO、空軍の迅速戦闘運用ACE,海軍の武器分散コンセプトDL)を実践し、自衛隊との連携を向上させるものとなっていることに注目したい。
 いくつかの特徴的な共同演習は以下のようなものがある。
・オリエント・シールド2021-1 2020.10.26~11.6
 米陸軍と第3海兵師団との伊江島でのMDOとEABOの連携・同期訓練、日米統合共同演習キーンソードの一環として組み込まれる
・オリエント・シールド21 2021.6.24~7.9
 陸自と海兵隊陸上部隊との共同演習で、過去最大規模3000名、奄美大島での共同対艦・対空攻撃訓練を含む。
・自衛隊統合演習(実動)  2021.11.19~11.30
 防衛及び警備に係る自衛隊の統合運用について演練し、領域横断作戦を含む自衛隊の統合運用能力の維持・向上を図る(統幕ニュースリリース)。
 三自衛隊3万名動員、第3海兵機動展開部隊・第7艦隊・太平洋空軍が参加、南西諸島有事での部隊の展開、兵站支援訓練。中城港湾・石垣港・祖納港(与那国島)を使用。沖縄本島八重垣山頂で電子戦訓練、水陸機動団によるブルービーチでの離島奪還訓練とそれへ米軍参加。
・リゾリュート・ドラゴン 2021.12.4~12.17
 陸上自衛隊の領域横断作戦(CDO)と米海兵隊の機動展開前進基地作戦(EABO)を踏まえた日米の連携向上のための訓練(陸幕ニュースリリース)。海兵隊EABOと陸自CDOとの初の共同訓練。
・令和3年度 日米共同方面隊指揮所演習(日本)(YS-81) 2021.12.1~12.13
 従来の領域に宇宙、サイバー及び電磁波といった新領域を加えた自衛隊の領域横断作戦と米陸軍のマルチ・ドメイン・オペレーションを踏まえた日米の連携向上のための練成訓練、これまでの日米共同方面隊指揮所演習(YS:ヤマサクラ)及び本年6~7月に実 施したオリエント・シールド21における指揮機関訓練と実動訓練の連接に係る教訓を踏まえ着実に成果を累積(陸幕ニュースリリース)。
 これらの日米共同演習は、米軍の対中軍事態勢・作戦を自衛隊と連携する双方の能力向上を目的にしている。
 第3段落において、「日本は、(中略)防衛力を抜本的に強化する決意を改めて表明」している。これは、昨年12月臨時国会で成立した補正予算で、防衛費を7000億円計上し、当初防衛予算と合わせて6兆円を超したこと、自民党からGDP2%を上回る防衛予算を要求されていることが背景となっている。来年度の本予算とその後の補正予算で、これを上回る軍拡予算になることが想定される。
 共同発表文において、「緊急事態に関する共同計画作業についての確固とした進展」と述べている。4項で述べた日米共同演習の目的の一つは、日米共同作戦計画を作ることにある。これらの共同演習を通じて、緊急事態に関する共同計画作業についての確固とした進展があったというのである。現時点では共同作戦計画策定作業は完了していないが、今後日米間での共同演習を積み重ねながら完成させることになる。
 共同発表文では対中軍事作戦計画とは述べてはいないが、間違いなく対中共同作戦計画である。朝鮮半島有事を想定した日米共同作戦計画は、すでに2001年9月には完成しており(2001年8月4日ジャパンタイムズ)、2002年12月16日の2+2で調印されている(2004年12月12日朝日新聞)。
 CONPLAN(概念計画)5055と称されている。CONPLANとは、戦域統合軍司令官が作成して、統合本部議長が裁可した最高レベルの作戦計画であり、それをさらに詳細にしたものがOPLANで、これには時系列戦力展開データが含まれているとされている。
 したがって、共同発表文で言及した「緊急事態に関する共同計画」は、朝鮮半島有事ではなく、台湾有事をきっかけにした対中日米共同作戦計画しかないはずである。(続く)

 

「公権力の行使」と「法の支配」―「司法権の優越」の原理

東京支部  後 藤 富 士 子

1 行政機関は終審として裁判を行うことができない
 9月23日の新聞報道によれば、スリランカ国籍の男性2人が、難民不認定の処分を通知された翌日に強制送還されたため、処分取消を求める訴訟が起こせなかったとして、各500万円の賠償を国に対して求めた裁判の控訴審判決で、「憲法32条で保障する裁判を受ける権利を侵害した」と認め、2人に各30万円の支払いを命じた。これは、行政処分そのものについての訴訟ではなく、公務員の不法行為により生じた損害の賠償を求める国家賠償請求訴訟であり、2人の請求を棄却した1審判決を破棄している。
 2人は2014年12月、仮放免更新の定期出頭で東京出入国在留管理局を訪れたところ、その場で、以前から手続していた「難民申請の不認定に対する異議申立て」の棄却を伝えられ、翌日早朝に強制送還された。しかも、その異議棄却決定は40日以上前に出ているのに知らせなかったという。なお、「異議申立て」中は送還されないし、棄却されても司法の判断を求めて訴訟を提起できる。
 40日以上前に出ていた棄却決定を知らせなかった点について、1審判決は「原告の提訴を妨害する不当な目的はない」としていたのに対し、控訴審判決は「訴訟の提起前に送還するため、意図的に棄却の告知を送還直前まで遅らせた」と認定した。そして、「訴訟を起こすことを検討する時間的猶予を与えなかった。司法審査の機会を実質的に奪うことは許されない」と入管の対応を批判している。すなわち、1審判決は、「違法な権利侵害」について「故意・過失」を超える「不当な目的」を不法行為の要件にしていることが分かる。
 しかし、憲法76条2項は「行政機関は、終審として裁判を行ふことができない」と規定していることに照らすと、訴訟提起の時間的猶予を与えないこと自体で不法行為は成立すると解される。ちなみに、日本国憲法の司法は、民事事件、刑事事件だけでなく、国民と公権力の間の法的争訟である行政事件についても通常裁判所に属する「司法権」に含まれるうえ、憲法の最高解釈権が司法裁判所にある点で「司法権の優越」が採用されている。これは、まさにアメリカ型の司法であり、戦前のドイツ型司法が革命的変革を遂げている。それにもかかわらず、実務運用において、法制度がないがしろにされているのである。
 なお、控訴審判決でも、認容される賠償額が極めて低額であるうえ、国家賠償法では公務員個人の責任が問われないため、違法な公権力行使を抑制できずに野放しにされている。結局、「強制送還したもの勝」であり、司法はあまりにも無力である。
2 「布川事件」国賠判決 ― 違法な取調をさせないために
 1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件「布川事件」で再審無罪が確定した桜井昌司さんが国と県に対して損害賠償を求めた訴訟において、原告が設定した争点は8項目に及ぶ。このうち、「警察官の取調」を違法とする点で1審判決(2019年5月)と控訴審判決(21年8月27日)は同じである。
 判決で認定された警察官の「違法な取調」は、「母親が『早く素直に話せ』と言っている」などと嘘を言ったことに加え、ポリグラフ(嘘発見器)検査で「供述はすべて嘘と判明した」と、事実と異なる内容を伝えたことである。この取調により、桜井さんは「心理的動揺の下、虚偽の自白をした」とし、その取調について「社会的正当性を逸脱して自白を強要する違法な行為」と断罪されている。
 このように、何が「違法な行為」かが認定されている以上、その行為主体も特定される。それにもかかわらず、賠償責任は県のみが負い、取調警察官は何らの責めも負わない。国家賠償法1条1項で国や公共団体の賠償責任を規定し、同条2項で当該公務員に故意または重過失があったときに求償権を有するにすぎないとされている。そして、公務員個人に対して賠償請求できないとするのが確立した判例である(昭和30年4月19日第三小法廷判決等々)。
 そもそも国家賠償法は憲法17条に基づくものであり、損害賠償により被害の救済が図られることが眼目とされている。そして、公務員が公権力の行使に当り軽過失により違法に他人の権利侵害をした場合、当該公務員の個人責任を問わないことによって委縮による行政の停滞を回避することが立法趣旨とされている。
 しかし、現実に問題になっている公務員の違法な公権力行使は、その違法の重大性、被害の甚大性、さらに被害者感情をも勘案すれば、加害行為者の責任が不問にされることは著しく正義に反する。また、そのような違法な行為が繰り返されないようにするためには、直接、当該公務員に対する賠償請求が認められるべきである。
 桜井さんも述べているように、54年も経ってから賠償金をもらうことよりも、「違法な取調」を根絶することの方が切実であろう。

(2021.10.5)

 

墨黒々と「核廃絶」とわれ書きぬ駅頭に立つ嫁のたすきに

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 この歌は、私の母の姉が1987年(昭和62年)に詠んだものである。その伯母は1913年(大正2)生まれで、今年108歳で天寿を全うしている。この歌は、74歳の時の作品ということになる。丁度、今の私と同じ齢である。
 伯母は、34年前、駅頭で核廃絶を訴える息子(私にとっては従兄)の連れ合いのたすきに、「核廃絶」と墨書していたのである。そして、従兄の奥さんは、そのたすきを掛けて、道行く人に「核廃絶」を訴えたのであろう。
 私がそのことを知ったのは、伯母が93歳の時に従兄によって編集された「こしかた」と題する冊子だった。伯母の弔辞を準備するときにその冊子を紐解いたら、その歌のところに付箋がしてあった。15年前の付箋である。
 伯母は、34年前に「核廃絶」を願い、行動していたのである。しかも、その想いは、伯母一人のものではなく、従兄の妻のものでもあったのだ。
 私は、その伯母たちと核兵器廃絶を語り合ったことはない。私は私なりに「核廃絶」を願い、それなりの活動をしてきたと思っているけれど、子どものころから私を可愛がってくれた伯母たちが、そのような行動をしていることは知らなかったのだ。しかも、15年前、この歌に接していながら、それを題材にして語り合うこともしなかったのだ。
 私は、埼玉で生活していたし、伯母たちは信州で生活していた。じっくりと語り合う機会がなかったといえばそのとおりかもしれない。けれども、なぜか、私は、私の活動に、何かが足りなかったような気がしてならないのである。
 「核廃絶」は被爆者の想いだけではなく、全ての人々に共通する課題だなどといいながら、伯母たちと交流していなかったことに対する何とも言えない無念さが襲ってくるのである。その無念さは、多分、自分の想いを、近くにいる人たちに素直に伝えることをしないで、同じ思いを持っている人たちとの間だけでしか共有してこなかったという反省につながるのかもしれない。何か中途半端さが残ってしまうのである。私は、私の想いを率直に伯母たちに語るべきであったように思えてならないのである。
 その無念さはあるけれど、それから34年経った今、「核廃絶」への大きな一歩となる核兵器禁止条約が発効している。「核廃絶」と黒々と墨書した伯母の想いやそのたすきを掛けて駅頭に立った従兄の配偶者の想いが、現実になりつつあるのだ。伯母の74歳の時と私の74歳の今とを比べれば、世界は、間違いなく「核廃絶」に近づいているのである。
 34年前の伯母たちの行動が決して無意味ではなかったことは、この事実が物語っている。私も、この34年間、「核廃絶」を願っていた。「くらしに憲法を生かそう」というスローガンと合わせてである。
 核兵器禁止条約が発効しても、核兵器国や日本政府は、核兵器は必要なものだとして、蓮絶しようとしていない。禁止条約は、国民の生命と財産を危険に晒すとさえ言っている。けれども、彼らの悪あがきにかかわらず、核兵器は違法とされ、廃絶されるべき存在とされたのである。
 最初からの大河はない。大地にまかれた一粒の麦は、砂漠を緑に変える。「核廃絶」を願う人々のささやかかもしれないけれど、たゆまぬ営みは、間違いなく、大輪の花を咲かせつつあるのだ。
 伯母は、79歳の時、「老い先を短きものとあきらめず新品種の桃苗植ゑて」と詠んでいる。「桃栗三年柿八年」といわれるとおり、桃の苗を植えてから実を結ぶまでに、 何年かの年月がかかることは誰でも知っている。伯母はそのことを承知のうえで、79歳の時に、新品種の桃の苗を植えていたのである。その苗は成長し、実をつけた。私はその桃を味わっている。信州の桃は美味いのだ。そのことについてのお礼も言わないままだった。
 現在、74歳の私は、伯母の逝った年まで、まだ、3~4年ある。それまでに、できるだけ早く、核兵器を廃絶しなければならない。どこかの無責任な大統領のように「私が生きている間は無理かも…」などと言うわけにはいかないのだ。今、この時にも、核弾頭はいつでも発射できる態勢にあるのだから。これからも「核廃絶」の営みを続けたいと思う。34年前、伯母がその筆先に込めた想いに想いを馳せながら。

(2021年7月18日記)

 

東北の山(4) ~ 裏岩手連峰

神奈川支部  中 野 直 樹

東北の紅葉人気ランキング
 毎年紅葉便りがもっとも早く届けられるのは北海道・大雪山だ。東北の山々はブナを始めとする広葉樹林が多く黄色が主体の紅葉となる。紅葉の美しさにとって、黄色や朱だけでなく、針葉樹の緑の存在も貴重だ。
 山々で出会う東北の山愛好者と紅葉の見所の話をすると、多くの方から三ツ石山の紅葉のすばらしさが語られる。ネットで東北の紅葉名所と検索をすると、1位・磐梯吾妻スカイライン、2位・三ツ石山、3位・栗駒山・・・との人気ランキングが表示される。確かに、三ツ石山付近の紅葉は、岩手山を置物にして、朱や黄色の紅葉樹と低木の松・笹の緑が気ままに織り交わった錦のじゅうたんを敷き詰めたような見所である。
 三ツ石山は八幡平地域の南の端で、岩手山の西側(盛岡からは裏側)に位置する。ここから北に向けて標高1500m前後の奥羽山脈の主稜線が延びる。
 2013年10月19日午前7時、前日、姫神山に登って松川温泉・狭雲荘で懇親を深めた4人は、村松いづみ、村井豊明、中野、浅野則明の順に裏岩手山連峰縦走に出立した。
三ツ石馬蹄縦走コース
 という看板がでていた。そこに「岩手山と八幡平の中間にあり、お花畑・湿原・原生林と東北の山ならではの奥深さを感じさせるコース。地熱発電で有名な秘湯松川温泉を発着とする周回コース」と大変わかりやすく説明されていた。村井さんの計画書では、松川温泉からまず三ツ石山に登る右回りとなっていたが、左回りでいくこととなった。出発地の標高が870m、標高差741m、コースターム8時間40分は変わらない。稜線にでてわかったが、左回りの方が常に岩手山を観望しながらの歩みとなった。
 登山道には落ち葉が重なり、落ちた分だけ頭上の木々の葉は寂しくなっている。標高1300mを超えると道脇に雪が見え始めた。すでに初雪が降ったんだ。左手に岩手山が頭を出し始めた。白く冠雪している。東北の紅葉は10月初めが盛りであり、10月後半となると冬仕度になっている。
 標高1500m台の源太ヶ岳、大深岳までくると、岩手山が、どうだ、と圧倒的な存在感を示した。大深岳の手前の分岐で右手(北方向)に向かうと4時間ほどで八幡平山頂(1613m)に着く。連峰というが、ゆるやかな起伏のうねりである。この稜線の西側が玉川の源流域であり、大深岳の直下から流れ出す大深沢に釣りに入って、竿をたわます大物岩魚に興奮したことが思い出された。
北東北の山仲間
 八幡平の山頂の右手に森吉山が端正で堂々の姿を見せているし、ずっと先には白神山地、岩木山、八甲田と思われるシルエットが展望された。左(東南方向)に向くと、乳頭山の頭の部分、秋田駒ヶ岳の火山ドーム状の男女岳が目立った。その右奥には白く化粧した鳥海山が雲の上に浮島となり、東北一の高さを誇っていた。
 さらに左へ回ると、岩手山の山塊の巨体が視野を占め、その右側の奥に早池峰山、左に小さく姫神山が見えた。岩手山は南部方富士とも言われる。現役の火山として流れ出た溶岩が表面を覆っており、盛岡から観る岩手山は北(八幡平スキー場)側が富士山のように削ぎ落ちた山体線となっていることからである。岩手山の噴火は、岩手山の男神が早池峰山の女神に横目を使うことに、姫神山の女神が嫉妬して引き起こすものであるとの言い伝えがあるそうな。
縦走路
 は、ほぼ平坦な尾根につくられ、笹と這い松も刈り込まれており、歩きやすい。常に360度の展望に眼をやりながら快調に進んだ。お目当ての1つであった三ツ石山付近の紅葉の舞台はとうに終幕し、木々は来年の春到来を心待ちにしながら冬に備えている。
 岩手山がぐっと間近くなってきた。盛り上がっている三ツ石山は格好のビューポイントだ。北東北の山々と対話ができる。まるでケルンのように巨岩が積み重なり、トレッキングをしている人たちはそこに上がって写真を撮っている。私たちも同じ行動をする。
いかつい岩手山
 三ツ石山からいったん三ツ石湿原に下って、そこから網張スキー場の上部の稜線を経て登山道が延びている。地図をみると、登山道沿いには、「地熱あり」「大地獄」「硫気ガス」「鬼ヶ城」と話題豊富な説明が続く。こちから望む岩手山は複雑な地形で、あちこちに噴火口があることと噴石・溶岩が造形をしているものだろう。
 私たちからみると左手(北側)端が最高峰の薬師岳(2038m)である。薬師岳から右側は、あたかも円錐型の上部を斜め下方向に刀ですぱっと切り落としたような平らな斜線となっている。そして途中から浸食された荒々しい岩陵が盛り上がっている。そこが鬼ヶ城と言われているあたりだろうか。
別れとなった雨
 三ツ石山の分かれで、左折し、三ツ石湿原を一三時二〇分に経て、一四時四五分登山口に着いた。この夜は松川荘に泊まった。建物は古いが、大露天風呂は一浴の価値がある。
 翌日は車で八幡平に向かったが、とうとう村井さんの雨男が参上して雨が降り、山の旅は終わりとなった。その後村井さんと山に同行する機会がなかった。そして、村井豊明弁護士は闘病生活となり、2020年4月、旅立たれた。
 村井さんの山の愛弟子だった浅野さんは村井さんの開設した法律事務所を継いだ。ご遺族の村松いづみさんから私に連絡があり、村井さんの愛用したファットスキー板(新雪用幅広)とスキーウエアを私が形見としていただくこととなった。

【写真提供:中野直樹団員】

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