第1768号 3/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●陸上自衛隊(第五陸曹教育隊)パワハラ自死事件の熊本地裁判決  板井 俊介

●この様な事は知っていますか-規制庁の中間取りまとめ-  広田 次男

●アメリカ帝国主義の視点からの中国・台湾問題と国際連帯  笹本 潤

●2022年度防衛予算の分析―台湾有事を想定した中国との武力紛争への備えの視点から(下)  井上 正信

●「同性婚」と「選択的夫婦同姓」-「法律婚」の多様化を考える  後藤 富士子

●性刑法の改正-運用対応論の役割の終焉と法改正の必要性  齊藤 豊治

●自由法曹団百年史  永尾 広久

●『労働法律旬報』と自由法曹団  城塚 健之

●自著『「核の時代」と戦争を終わらせるために』を語る  大久保 賢一

■事務局長日記①(不定期連載)     平井 哲史


 

陸上自衛隊(第五陸曹教育隊)パワハラ自死事件の熊本地裁判決

熊本支部  板 井 俊 介

1 自死への予見可能性を否定した熊本地裁判決
 2022年1月19日、熊本地裁第3民事部(中辻雄一郎裁判長)は、陸上自衛隊西部方面隊に所属していた陸士長であった当時22歳の男性自衛官が、3等陸曹に昇進するにあたって必ず履修しなければならないとされる第五陸曹教育隊(当時、長崎県佐世保の相浦駐屯地内に存在したが、現在は、久留米に存する)に平成27年10月に入学した直後、上司である教官から、いじめに値する執拗な嫌がらせ的な指導を受けた上、さらに「生きていても意味がない」「お前のような奴を見ていると殺したくなる」という言葉を用いられた結果、同月7日未明、学生宿舎のトイレにおいて自死したという事件につき、国に対して、父母らに220万円の慰謝料の支払いを命ずる判決を言い渡した。
 平成27年10月の事件発覚後の平成29年4月、上司である教官ら2名に対して、被害者に対して不適切な指導をしたとして、それぞれ停職10日、同6日の懲戒処分が下され、また、平成30年8月23日付けで、被害者の自死は、違法な指導に基づく適応障害によるものとして公務災害であると認定された事案であったが、熊本地裁は、「上官らが直接指導にあたったのは2日のみ」「違法な指導の時間は短時間に止まる」「上官らは、それ以前には被害者のことを全く知らなかった」ということを理由に、被害者の自死までは予見できなかったとして、自死への責任は否定した。
2 極めて稀な証人尋問
 この訴訟において、被告国らは、①上官が、被害者の入学当初から、被害者が上官の部屋に「入室」しようとするのに対し、根拠なき難癖をつけて数えきれないほど追い返した、②にもかかわらず、100名以上の学生らの前で挙手をさせて吊るしあげた、③被害者に対して「お前のような奴を見ていると殺したくなる」と言った、といった違法な指導の事実を否定していた。
 これに対し、私どもは、事件発生当時、被害者学生と同じ立場にあった学生(現役自衛官)を法廷に呼出して尋問を行った。その結果、ある学生は、被害者の自死の直前、被害者の口から「上官から殺してやりたいと言われた」と直接聞いたと証言した。別の学生も、同時刻ごろ、「被害者が上官から『殺してやりたい』と言われたと認識している」と明確に証言した。
 これらの証言は、かつての上司、あるいは、国にとっても明らかに不利に働く証言であるところ、現役自衛官らが、臆せずに真実を述べたものであった。率直に言って、自衛隊を含め、公務員に関する事案において、部下が上司にとって不利な証言をすること自体、極めて稀なことである。
 その結果、熊本地裁は、①根拠なき難癖による「入室拒否」の繰り返し、②100名以上の学生らの面前での吊し上げ、③「殺してやりたい」発言の存在を認めた。事実認定の部分に関する限り、上官が、自らの責任を回避するためにあえて虚偽の証言を行ったことを認めた。この点は、評価に値する箇所である。
3 安全配慮義務違反は認めず
 しかし、熊本地裁は、①根拠なき難癖による「入室拒否」の繰り返し、②100名以上の学生らの面前での吊し上げについては、安全配慮義務違反はないとした。しかし、判決理由においても、「被害者の入室の仕方に落ち度や誤りはなかった」と述べており、そうだとすれば、そのような指導は、嫌がらせ以外の何物でもなく、そのことを理由とする100名以上の学生の面前での挙手も、被害者にとっては精神的に追い込まれる指導であったといえ、違法とされるべきであったことは明らかである。この点は、是正されるべきである。
4 自死に対する予見可能性について
 本事案は、第五陸曹教育隊への入校後、2日目に自死が発生した事案であり、過去の事例(さわぎり、たちかぜ自衛隊いじめ自死事例)との比較でも、確かにパワハラ行為から自死までの期間は短い。
 しかし、「パワハラ行為から自死までの期間が長いか、短いか」という点は、当該被害者にとっては自ら左右しがたい事柄であり、上官から「お前のような奴を見ていると殺したくなる」と迫られる行為に至っては、上官の命令は絶対的と言われる自衛隊内部においては、極めて強烈な体験であり、精神的苦痛を強いられる行為であって、このような行為の積み重ねにより、隊員が適応障害などの精神疾患を発症するに至って、自死に至ることがありうることは、所与の前提とされなければならない。
 来るべき控訴審では、この点を是正させるべく、民法学者との連携を図り目下控訴審の準備中である。団の諸先輩方が境地を切り開いてきた自衛隊いじめ問題であるため、報告の意味も込めて本投稿をさせて頂いた次第である。
 なお、念のため、本件については、佐藤博文団員(札幌)、西田隆二団員(宮﨑)、井下顕団員(福岡)らにもご助言を頂いているので、この場を借りて御礼申し上げる。平成20年4月17日、画期的な名古屋高裁自衛隊イラク派兵違憲判決を勝ち取った全国のイラク派兵差し止め弁護団は、その後、各地で自衛隊内部でのいじめ問題等に取り組んでいる。このような闘いが、自衛隊内部の諸問題を少しでも改善させる動きにつながることを願い、この闘いをさらに継続したい。

 

この様な事は知っていますか-規制庁の中間取りまとめ-

福島支部  広 田 次 男

 2021年3月・原子力規制庁は、爆発事故から10年を経過した福島第一原発の現状について「中間とりまとめ」を発表した。そのなかで、国民に全く知らされて来なかった事実が2点存在する。
 第1は、2号機、3号機の原子炉の上蓋から、7京ベクレルのセシウム137が発見されたこと、第2は、1号機、2号機のベント配管が排気筒の先端まで届いておらず、排気筒の根元で止まっていたことである。
 第1の問題について、中間取りまとめの発表直後に安斎育郎先生(立命館大学名誉教授)にTELした際、私が「ケイ」というと、安斎先生は「㎏のケイか」というので、「京都のケイです」と答えると、先生は暫く絶句し、やがて「恐るべき数字だ」という言葉であった。
 原発事故の際に、外部に漏れたセシウム137の総量は、1.2京ベクレル、そのうち8割は海に流れ、2割に相当する0.3京ベクレルが地上に降り注いだ。
 7京ベクレルは、原発事故の際に、東日本全域に降り注いだ全量の23倍超という、正に恐るべき量である。
 この数値は、鋼鉄製の格納容器の上にある地上高29.5mのコンクリート製の上蓋からの検出で、原子力規制委員会の更田委員長も「下にあると思っていたデブリが、原子炉の上にあったという事だ。」と驚きの声を上げている。
 第2の問題については、同年3月3日の参議院予算委員会での答弁概略によれば、「今となっては、何故、1、2号機のベント配管が排気筒の根元までしか設置されていないか、如何なる設計思想でそのような結果になったのか不明である」となっている。
 原発施設に関する工事は、常にその設計思想、即ち、どのような意図、目的で当該工事を行ったのかが何十年たっても、明らかにできる体制が求められている。
 何故ならば、原発施設に於いては、修理、撤去などは繰り返し必要とされ、当該工事がどのような意図、目的でなされたものかが明らかでなければ正確な修理も安全な撤去もできないからである。
 耐圧ベント工事の実施は1999年であり、令和3年3月時では、工事施工後22年弱である。
 たかだか22年しか経過していない時点で「設計思想が分からない」と回答する東電には、原発の管理、運営能力を決定的に欠いていると言わざるを得ない。
 当弁護団は、この事実に注目すると同時に専門家による検討が必要と考えた。
 A氏は原子力プラントの設計の仕事、特に原子炉格納容器担当に約15年間、大学の講師を務めた後に、現在はB県の原子力安全、防災専門委員会の特別委員を務める、原子炉、特に格納容器についての専門家である。
 弁護団内に専門チームを結成し、勉強会を重ね、約8か月の月日を要して意見書と補充意見書を取り纏め、仙台高裁での1月26日の期日に提出した。この8か月間は文系の弁護団と理系のA氏との難解な原子炉の構造についての議論の積み重ねであり、A氏の負担は大変なものであった。
5 意見書の概要であるが、第1の7京ベクレルの問題については、
(1)早急な解決が求められている使用済燃料処理工程が更に遅れる事。
(2)原子炉建屋の損傷に伴う放射性物質拡散のリスク。
(3)撤去工事に伴う放射性物質拡散のリスク。
(4)結局、その存在自体が、原告らを含む周辺住民にとって大きな脅威である事。
 の諸点を指摘している。
 第2のベント配管の問題については、東電のシビアアクシデント対策が全く形骸化し、実効性を欠いた飾り物にすぎなかった事を以下の諸点により論証している。
(1)ベントラインの汚染のメカニズムの解明。
(2)格納容器耐圧ベントラインからの水素の流出経路。
(3)格納容器耐圧ベントの設計の考え方。
(4)耐圧ベントラインの系統構成は極めて脆弱である事。
 補充意見書に於いては「中間とりまとめ」の記載から離れ、福島第一原発設置以来の諸々の事蹟により、東電には原発を管理、運営する誠実さが決定的に欠落している事を指摘して論証している。
 この意見書、補充意見書の提出に対して、東電は「反論書は6月の期日までに」との回答であった。反論書面の準備期間の長さは、東電の危機意識の表れとも受け取れる。
 意見書、補充意見書ともに、関心のある方については、無償で提供します。
 御希望の方は御一報ください。

 

アメリカ帝国主義の視点からの中国・台湾問題と国際連帯

  東京支部  笹 本  潤

 この間の自由法曹団内の中国・台湾問題の議論に際して、私の国際平和の運動経験から意見を述べさせていただきます。
1,情勢認識について
 中国の台湾侵攻の危険性についは、習近平の台湾統一への公式発言はありつつも、やはり国際政治というものは、国同士相互に影響を与え合っているものなので、アメリカ(や日本)の動きをもう少し大局的に見ないといけないかと思います。
 オバマ大統領の時は、Pivot to Asiaと言って、ヨーロッパからアジアに軍事的比重を重視する転換をしました。トランプ大統領の時代になってからは、さらにインド太平洋戦略を具体化して、中国、北朝鮮、ロシアを除くほとんどすべてのアジア諸国と軍事的分担の要求も含む軍事的連携を具体化し(ネパールなど小国も含めて)、完全に中国包囲網を国務省のインド太平洋戦略報告書で公表しました。さらにコロナの時代には、トランプは中国たたきをして米中対立を激化させました。その後バイデン大統領になってからも、QUAD, AUKUSの軍事的連携も強化し、ヨーロッパ、オーストラリア、インドも巻き込んで軍事的動きを強化しています。
 当然中国もそのような動きを知った中で、自国の政策を作るわけですから、習近平の政策は、これらの米国の動きの「反動」としての面があると思います。
 また、現実問題として、米国は、東アジアに巨大な米軍基地を日本と韓国(+フィリピン)に有し、核兵器も配備できる状態にして、1950年以降、中国や北朝鮮に脅威を与え続けてきました。この「軍事基地の存在が与える脅威」は非常に大きいものです。私は北朝鮮の核・ミサイル問題の原因もそこにあると思います。北朝鮮の場合は韓国、日本の米軍基地、軍事演習によって、ずっと核兵器や軍事侵攻の脅威を与え続けてきました(斬首作戦など)。また、米国は少なくても2000年以降は、台湾への武器供与を行ってきており、一つの中国を肯定しながらも、米国の議員が台湾と交流するなどの状況は中国も知っています。
 これに対し中国の軍事化はどうでしょうか。確かに南シナ海への軍事的拡張については、それ自体は非難されるべきで、米国の航行の自由作戦に対する反動の面はありますが、中国は国際仲裁裁判所の裁定に従うべきです。IADL(国際民主法律家協会)も2017年に東京で、裁定に従うべきという国際会議を持ちました。しかし、外国に軍事基地を持つという点ではどうでしょうか。中国は、米国のカリフォルニア沖やマイアミ沖に中国の軍事基地は作ってはいません。アメリカはキューバ危機の時は、キューバにミサイル基地を作っただけであれだけの大騒ぎになりました。しかし米国は日本と韓国に巨大な軍事基地を作っています。最近The United States of War(David Vine著)という本が出て、そこでは、仮想の地図が載っています。中国、北朝鮮、イラン、ロシアの外国軍事基地がアメリカ本土をぐるっと囲んでいる図です。しかし、現実はそれと同じことを米国はヨーロッパ、中東、南アジア、東アジアに軍事基地やリリパッド(中継)基地を作って中国を包囲しているのです。今や米国の外国軍事基地は800あり、中継基地など入れるともっと多くの包囲網を世界中に張り巡らしています(2017年に団沖縄支部と韓国・民弁との交流会でそのことは報告させていただきました)。
2,国際的働きかけ、連帯について
 そう考えると、政府レベルでは、中国のみでなく、中国と米国(+日本)の双方に働きかけて、軍事衝突を起こさない要求をしていくのが適切かと思います。ただ、私たちは権力を持っている政府機関ではないので、なかなか実効性のある行動は難しいかもしれません。国連の安保理は米中の拒否権がありますが、国連事務総長に働きかけるという手はあるかもしれません。最近米国「国連軍」の国連旗の違法使用ついて、IADLとCOLAP(アジア太平洋法律家連盟-私が事務局長)で国連事務総長に書簡を出しました。ウクライナ・ロシア問題でも事務総長は動いています。国連憲章6章では紛争の平和的解決原則がありますから、それに基づき動いてもらうよう働きかけるのです。
 他方、民間レベルの連帯については、法律家レベル、民衆レベルとが考えられます。IADL・COLAPはまだ中国や台湾とは具体的なつながりは持てていません。ただ、民間レベルでは、中国本土の学者やNGO(政府系ですが)とも連携をとった方がいいかと思います。中国のNGOは確かに政府の方針と同じですが、違うところもあります。紛争を起こさないという点は、中国政府よりも強調しています(GPPACの活動で)。北朝鮮の朝鮮民主法律家協会はIADL・COLAPに所属していますが、法律家として共同していけるところは多くの点で共同しています。米国に対する見方はほぼ同じです。現在COLAPは、北朝鮮に対する国連憲章違反の経済制裁問題に取り組もうとしています。
 わたしも中国、台湾の安全保障関係の人々と具体的なつながりがあるわけではないので、何かすぐにできるわけではないのですが、中国、台湾、日本、米国の法律家や民間人レベルで平和的解決を探り、提言するような企画あるいは継続的活動ができるといいと思います。2017年にIADLが東京で南シナ海問題に対する国際専門家会議を開催しました。中国の法律専門家も会議直前まで参加予定でしたが、最後に海外渡航の許可が出ずに、ドタキャンされたことがあります。そのためベトナム、フィリピン、日本、英国の参加者で会議を持つことになってしましましたが、やりようによってはそのような国際会議を持てる可能性はあります。(ちなみに、NGOレベルでも、中国のNGOは台湾のNGOが同じ会議にいること自体に反対して(「一つの中国」)、会議が進まなかった経験があり、台湾を会議に招待すると難しい問題があることも事実です。)
 そもそも平和に関する問題は国際問題ですから、団も日本政府に働きかけるだけでなく、外国政府や国際社会、海外の法律家・NGOに働きかけ、そして共同する方法を作り出していくことを強化するといいのではないかと思います。私ももちろん団員(常幹)としてできる限り協力するつもりです。(2022.2.23)

 

2022年度防衛予算の分析―台湾有事を想定した中国との武力紛争への備えの視点から(下)

広島支部  井 上 正 信

ミサイル防衛
 ミサイル防衛はわが国ではこれまで、防御兵器であるから専守防衛に資すると位置付けて説明されてきました。既に2兆円を超える予算をつぎ込んでいます。今後我が国が敵基地攻撃を行なおうとする場合、相手国からの反撃を想定した装備になりますので、先制攻撃に資する装備という性質を帯びてきます。敵基地攻撃とセットでミサイル防衛能力を高めようとしています。
 まや型護衛艦(2隻)へ搭載する長距離艦対空ミサイルSM6の取得(202億円)、最新式のPAC-3MSE取得(600億円)、イージスシステム2基の艦船搭載型への変更(58億円)、レールガンの研究(65億円)、高出力マイクロ波照射技術の実証研究(72億円)が挙げられます。
 専門家が驚いたものに、レールガンの研究があります。高圧の電流により生じた磁場の中を弾丸が極超音速で発射される未来兵器です。しかし米軍は先んじて長年開発研究を行った結果、実現不可能と断念した代物です。装置の巨大化や高速で弾丸が発射されるため、砲身の摩耗が早く実用に向かなかったようです。無駄な予算となるでしょう。なぜこのような代物が予算化されたのかわかりません。
 高出力マイクロ波兵器は、敵のレーダー、通信施設、攻撃兵器のアンテナや電磁的隙間から、マイクロ波を侵入させて、敵の装備を無力化する装置です。敵ミサイルや攻撃ドローンによる飽和攻撃があれば、現有のミサイル防衛では対処不可能なため、高出力マイクロ波兵器の開発を進めようというものです。それにより、敵ミサイルや攻撃ドローンの誘導装置を無能力化し、同時多発的な飽和攻撃へ有効に対処しようとするものです。ⅲ
第3 台湾有事での最前線=南西諸島
1 台湾有事で日米同盟の下、自衛隊が米軍と台湾防衛作戦に参加すれば、中国は確実に南西諸島の日米の軍事拠点を攻撃してきます。南西諸島の島嶼部では、奄美大島、宮古島に陸自の対艦、対空ミサイル部隊をすでに配備し、2022年度内に石垣島へ同じ陸自基地が作られ、2023年度には沖縄本島の第15旅団の第51連隊勝連駐屯地へ陸自対艦ミサイル部隊が配備され、同年度に与那国島へ電子戦部隊が配備されます。南西諸島を、中国軍にとって突破できないバリヤーにするものです。
 台湾有事では、機動旅団となった第15旅団の第51連隊が南西諸島へ事前配備の機動展開を行い、16式機動戦闘車で敵上陸部隊を迎え撃つ態勢をとり、電子戦部隊を集めて、敵レーダーや敵人工衛星への電子戦攻撃を行い、小型の輸送艦で兵站支援を行いながら、中国軍に対してクロスドメイン戦闘を行います。
 米海兵隊、米陸軍の小規模の部隊(電子戦部隊、対空・対艦ミサイル部隊、中距離対地ミサイル部隊、通信、兵站部隊を伴う)がこれらの島嶼部へ事前配備されて、自衛隊と基地を共同使用しながら、遠征前方基地作戦(海兵隊)、マルチドメイン戦闘(米陸軍)により中国軍との戦闘を行います。基地の共同使用についても、2022年1月7日2+2共同発表文へ書き込まれています。
 九州や北海道、その他の本州の機動師団・旅団も南西諸島へ増援のため機動展開を行います。その際馬毛島は後方支基地としてフル稼働するはずです。九州では、佐世保の水陸機動団が、佐賀空港に配備されたオスプレイに搭乗したり、LCACを積載したおおすみ型輸送艦に乗船して、島嶼奪還作戦を行います。
 中国軍とのこのような戦闘では、短期間に膨大な弾薬を消費しますので、弾薬の事前備蓄は極めて重要になると思います。22年度予算では弾薬備蓄に21年度12月補正を含めて2480億円を計上しています。
 海兵隊の遠征前進基地作戦(EABO)にしても、米陸軍のマルチドメイン戦闘にしても、南西諸島の島嶼部へ事前配備された小規模の部隊に対して、中国軍が激しい攻撃をしてくることを想定しており、部隊が生き残って作戦を継続するため島嶼内を移動し、カムフラージュし、さらに島嶼間を移動しながら戦う戦法です。この作戦の肝は、台湾侵攻作戦を行う中国軍に対して、攻撃の標的を増やして作戦を複雑にし、且つ台湾侵攻兵力をそちらへ振り向けることで、台湾侵攻作戦を遅延させること、その間に米本土やハワイからの増援部隊を待つというものです。
 南西諸島の島嶼部の陸自の基地を米軍部隊と共同使用すれば、当然自衛隊部隊への攻撃を想定せざるを得ません。陸自部隊も増援態勢と兵站支援が極めて重要になります。
 2021年度12月補正と2022年度本予算の防衛予算は、以上に見たように、本格的に自衛隊と米軍とが南西諸島で中国との戦闘を行うための準備をするものとなっています。
 私はこの間、いくつかの弁護士会の勉強会に参加し、台湾有事と南西諸島での日米の軍事作戦がどのようなものになるのかを、いくつかの論文や資料の図などを使って説明してきました。しかし防衛予算ではそれがどのように実現されようとしているか、これまではほとんど言及していません。
 防衛省が作成した防衛予算説明資料(我が国の防衛と予算-令和4年度概算要求の概要、防衛力強化加速パッケージ~「16か月予算」として編成~令和4年度防衛予算の概要)を基にして、防衛予算を、台湾有事を想定した武力紛争への備えという視点から整理してみました。
 それにより、我が国の防衛政策、自衛隊の防衛態勢が具体的にどのような内容、構想となっているかを、幾らかでも可視化できたと考えています。残念ながら、衆議院予算委員会での本年度防衛予算についての議論は極めて不十分です。昨年12月臨時国会での補正予算の審議は、会期が短期間であったこともあり全くと言ってよいほど防衛予算には言及されていません。まるで防衛予算は「アンタッチャブル」であるかのようです。
 この防衛予算で実行しようとしている、台湾有事に伴う南西諸島有事を想定した自衛隊の軍事態勢は、南西諸島へ住む人々の平和と安全を奪うものですし、九州を含む本土に住む人々の平和と安全を脅かすものです。
 南西諸島は、本土からはるか離れた離島です。そこに住む人々の避難については、22年度本予算では何ら顧みられていません。まるで、政府を挙げて「南西諸島捨て石作戦」を容認しているように見えます。
 今年の参議院選挙後、次の参議院選挙や衆議院選挙までの間3年間は、国政選挙はないため、憲法改正のための「黄金の3年間」とささやかれています。
 憲法改正の目的がこのような南西諸島での日米の共同した作戦行動をとるためであることは間違いないでしょう。そのような憲法改正をさせてはならないと考えます。

ⅲ 防衛装備庁技術シンポジウム2015「高出力マイクロ波技術について」

 

「同性婚」と「選択的夫婦同姓」――「法律婚」の多様化を考える

東京支部  後 藤 富 士 子

1 「同性婚」カップルの姓
 「同性婚」を合法化するということは、法律婚として認めることを意味する。
 しかるに、「同性婚」の場合に「夫婦」とは呼べないし、カップルが同姓になることもない。一般には「別姓」カップルと考えられている。
 しかしながら、同性婚カップルにおいて「同姓」を称したいと望むこともあり得るだろう。その場合に、「同姓」を称することを禁止する理由はないように思われる。異性婚と差別しないで扱うというなら、婚姻によって「同姓」を名乗りたいという気持ちは肯定されるはずである。
 すなわち、同性婚カップルの場合、原則は別姓であり、同姓を選択することも可能という制度設計になる。
2 「選択的夫婦別姓」は少数派になることを選択させるもの
 導入賛成派が多数になったといわれる「選択的夫婦別姓」であるが、自分が別姓を称するかというと、それはまた別問題である。現状は、96%の妻が旧姓を捨てて夫の姓を称する法律婚をしている。それで、「選択的夫婦別姓」制度が導入されたからといって、果たして別姓夫婦が過半数の多数派になるだろうか?すぐには無理でも、長年経てば多数派になるのだろうか?
 「選択的夫婦別姓」という制度は、「夫婦同姓」の原則を前提としている。つまり、夫婦別姓を選択するのは「例外」としての少数派であることを自認している。換言すると、法律婚の少数派になることを選択させるのである。これでは、いつまで経っても別姓夫婦が多数派になる道理はない。
 翻って、結婚前の旧姓を保護しようとする法益が「個人のアイデンティティ」というのであれば、夫婦別姓が原則になるべきであろう。そうすると、夫婦同姓が選択制になる。しかし、その場合に同姓夫婦が多数派になったとしても、別姓夫婦が「少数派を選択させられる」という理不尽とは無縁である。すなわち、「法律婚」に夫婦別姓を取り込むには、「選択的夫婦同姓」にすべきである。
3 「法律婚」の多様化
 現行法の「法律婚」は、がんじがらめの要件にしばられて、硬直した画一性が貫徹される。「夫婦別姓」が法律婚に取り込まれにくいのは、そのためである。
 一方、「選択的夫婦同姓」制度は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という憲法24条の二大原則を充足する法律婚である。しかも、別姓夫婦も同姓夫婦も差別なく共存しているから、法律婚の多様性をもたらす。それは、同性婚を法律婚に取り込む道を準備するのではなかろうか。(2022年2月2日)

 

性刑法の改正-運用対応論の役割の終焉と法改正の必要性

大阪支部  齊 藤 豊 治

 約1年前、1695号で私は、現行法の基礎にあって解釈運用をコントロールしている家父長制・男子世襲制の問題性を指摘した。この小論は、第2弾の投稿であり、改正作業の現状と課題を検討したいとおもう。
1.暴行・脅迫要件と貞操義務
 法務省の検討会では、性刑法の改正に関する議論が進んでいる。最も注目される課題は、現行法にある暴行・脅迫要件を廃止すべきか否か、である。
 暴行・脅迫要件をめぐっては、従来から論争が行われている。判例・通説は暴行・脅迫の基準として、抵抗(抗拒)が著しく困難なほどの強い暴行・脅迫という考え方をとり、それがなければ、強制性交罪や強制わいせつ罪は成立しないとしてきた。もっとも、強制わいせつに関しては、性器等への挿入を必要とするわけではなく、胸や臀部への性的接触でも犯罪が成立するため、抵抗の著しい困難という要件は、運用では緩和される傾向にあった。しかし、不意打ちの後ろからの接触も、抵抗を困難にするという程度という基準そのものは、放棄されてきたわけではない。
 抵抗困難の程度に達しない暴行・脅迫であれば、被害者がたとえ、①内心は同意していなかったが、フリーズして言動により不同意を外部に示すことができなかった場合、②被害者は抵抗したが、それを屈服させるような強度の暴行・脅迫ではない場合、③被害者が抵抗したが、その抵抗は犯行を断念させるような強い程度のものではない場合、強制わいせつ罪や強制性交罪は成立しないとしている。
 判例・通説は、女性が性的攻撃を受けた場合、拒絶を意思表示するだけではなく、強く抵抗するのが当たり前であるという考え方を基礎にしている。性的攻撃に対するこの抵抗義務は、どこからきているのであろうか。判例・通説は、この義務を尽くしていない女性に対して、刑法は保護するに値しないというわけである。性的攻撃の被害者は、大半は女性であるから、抵抗義務は貞操義務を前提にしている。貞操義務は、男子世襲制、家父長制のもとで、夫以外の者との性交渉を禁止し、夫や家のために夫の子どもを産むという役割に由来するものといえよう。この点に関しては、団通信の1695号の私の投稿を参照していただければ、幸いである。
 抵抗義務は、殺人や傷害では主張されない。例えば、男らしさを強調するのであれば、「殺されそうになった男は、必死になって抵抗すべきであり、それが男というものだ」。抵抗しなかったら、殺人罪や傷害罪にはならない、といった考え方は、受け入れられていない。性的攻撃に関してのみ、貞操義務を求める考え方は、家父長制、男子世襲制にルーツを持ち、それがいまなお、強い拘束力を持っている。「いやよ、いやよも好きのうち」という言葉は、女性を馬鹿にした露骨な女性差別であり、人間的尊厳を否定するものであるが、それがなお強い影響力を持ち、流布しており、判例・学説にも影響を与えている。
2.「暴行・脅迫」要件の緩和論
 暴行・脅迫要件の削除は、2017年の改正の過程でも議論された。しかし、「運用上、すでに事実上不同意だけで処罰されている」という議論もあって、見送られた。すなわち、「暴行・脅迫は諸般の事情から判断されており、強度の暴行・脅迫でなくても、抵抗できない状況があれば、強制性交罪は認められている」というのである。さらに、「通常性交に伴う有形力の行使があれば、暴行・脅迫を認めている」とも主張されている。
 私は、2017年改正に関連する論文の中で、「法律で明確に暴行・脅迫の要件を廃止しないのであれば、状況は少しも変わらない」という批判をおこなっていた。運用上は暴行・脅迫の要件は有って無きがごとくであるから、それを削除する必要はないという考え方は、現在の法務省の検討会でも現れており、議論が行われている。
 そうした改正不要論は、批判を免れない。第1に判例、通説は、「抵抗を著しく困難にする程度の強い暴行・脅迫」でなければならいとしてきた。この判例は、明確に変更されているのであろうか。判例を検討すると、抵抗しなかったことから犯罪不成立とされた事件は、決してまれではない。まして、立件されないケースが無数に存在している。抵抗するのが「経験則」であり、抵抗がないから犯罪不成立だとした最高裁判事の意見さえある(最高裁平成21年4月14日、平成23年7月25日)。もし、運用において、単純不同意で足りると解するのであれば、従来の判例との抵触が生じる。
 第2に、運用で単純不同意性交を処罰しているとすれば、それこそ罪刑法定主義違反であろう。「暴行・脅迫」を法律上は明記しているのに、それがない場合にも運用では犯罪の成立を肯定しているとすれば、それこそ、罰条にない処罰を行っていることになる。われわれは、刑法規範のイロハである罪刑法定主義に立ち返る必要がある。
 第3に、性交に通常伴う物理的な力(有形力)の行使は、強制性交に必要とされる暴行・脅迫とは質的に異なるものである。前者を強制性交罪に必要な暴行とみることはできない。暴行・脅迫は、強制わいせつや強制性交の手段であり、普通の性交にともなう有形力の行使では足りないということができる。
 現行法の解釈・運用で単純不同意の場合であっても処罰できるとする議論は、運用対応論ということができる。この運用対応論は、2017年以降の判例の混乱状況を生み出した主要な原因とみてよい。名古屋地裁岡崎支部の無罪判決をはじめとする一連の無罪判決は、私が指摘した通り、「何も変わらない」状況を生み出し、混乱の種をまいた。それに対して、被害体験者の女性たちが声をあげたのは、当然のことである。
 実質的にも、単純不同意を処罰していることを評価するのであれば、むしろ、法改正によって、単純不同意性交罪を設けることが必要不可欠である。現行法では、構成要件の犯罪個別化機能は著しく弱体化していると言わざるを得ない。
 運用対応論が、暴行・脅迫要件を緩和しようとしたこと自体は、肯定的に評価できる。それは、抵抗義務を緩和するものであり、家父長制の貞操義務への批判を内在化させており、性的自由、性的自己決定を重視するという近代化の流れに即応している。しかし、それは、あくまでも現行法を前提とするにとどまるものであり、内在的な限界があるといわねばならない。そうした運用対応論のアプローチは、歴史的役割を終えている。
3 準強制わいせつ罪、準強制性交罪の活用論
 176条、177条で暴行・脅迫要件を緩和して運用することは、困難であることから、あらたな対応として、178条1項の準強制わいせつ罪、同条2項の準強制性交罪を適用するべきであるとの議論があり、一定の影響を持っている。岡崎支部の事案は、178条2項の準強制性交罪で起訴された事案である。条文を確認しておこう。「人の心神喪失もしくは抗拒不能に乗じ、または心身を喪失させもしくは抗拒不能にさせて、性交等をした者」を基本類型である強制性交罪に準じて、その法定刑で処罰するという趣旨である。1項の準強制わいせつ罪に関しても同様な規定が置かれている。
 なるほど、この準類型を用いれば、「暴行・脅迫」の要件を回避して、不同意の場合に処罰できることになりそうであり、運用上これらを活用すれば足りるということになりそうである。しかし、このアプローチも、やはり大きな問題をかかえている。
 第1に、基本類型に頼ることができないから、補充的な類型である「準」類型を用いるということ自体が、立法として構造的な欠陥を有すると言わざるを得ない。準類型は、あくまで補充的な規定であるはずである。
 第2に、心神喪失もしくは抗拒不能に「乗じる場合」とそうした状態を「作り出した場合」とで、同じ扱いにするというのは、果たして妥当であろうか。後者の方が違法性も高く、避難の程度も高いのではないだろうか。日本の最初の近代的な刑法は、明治13年刑法(旧刑法)であるが、それは心神喪失状態を作り出す類型のみを規定していて、「乗じる」類型は含まれていなかった。明治40年の現行刑法は、「乗じる」類型をも取り入れており、双方は同じ法定刑が定められている。両方の行為態様は責任だけではなく、違法性評価においても、本来は区別すべきものである。現行の「準類型」は、罪刑の均衡、比例の原則に反するといっても過言ではない。
 第3に、強制わいせつ罪および強制性交罪の暴行・脅迫の程度については、前述したように、判例・通説は「抗拒を著しく困難にする」という程度と解しているのに対して、準類型では「抗拒不能」と明記している。学説では、基本類型と平仄を合わせて「抗拒不能」の文言を緩和し「著しく困難にする」というレベルに緩和する学説も有力である。しかし、法文の文言上の制約を無視した、解釈による処罰の拡大であり、罪刑法定主義違反もそしりを免れない。
 第4に、準類型は、具体的な行為態様ではなく、抽象的一般的な内心の状態もしくは内心の能力を意味する文言を用いており、安定した法運用を保障するものとは言えない。行為態様による限定が有効に行われておらず、心情処罰の疑いがある。おのずから、捜査および公判では、内心状態に踏み込んだ厳しい取調べが行われ、セカンド・レイプを惹起する温床となりうる。
 単純不同意罪の立法に関して、客観的要素による認定が保証されていないという批判があるが、準類型に関しては、この批判がより一層当てはまる。
 準類型の構造的な欠陥を考慮すると、不同意性交罪を新設すべきであり、その際には、可能な限り、客観的な行為態様から認定できるように法改正を行うのが妥当である。
4.結論
 このように、現行法の運用による解決は、基本類型である176条、177条であれ、準類型である178条1項であれ2項であれ、運用によって対応するという弥縫策は、罪刑法定主義違反、構成要件の個別化機能の不全、比例の原則の無視、心情処罰に陥っている。
 運用対応論は、直した「抵抗を著しく困難にする」という基準の事実上の修正を意図しており、それは性的自己決定を重視するという性刑法を近代化するという積極的な意味を持っていた。しかし、そうしたアプローチのもつ限界、矛盾は無視できない。運用対応論は、その歴史的役割を終えたと言わざるを得ない。

 

自由法曹団百年史

福岡支部  永 尾 広 久

 1921年に誕生した自由法曹団は100歳になった。誕生したきっかけは、神戸の造船所での労働争議において労働者が官憲から殺傷される事件が起き、東京から弁護士たちが駆けつけ、調査と抗議行動をしたことにある。
 戦争が近づくなかで、被告人を弁護すること自体が治安維持法違反として処罰の対象とされ、ついに団員弁護士は戦争中は活動を休止せざるをえなくなり、歴史的には空白の期間となった。それでも、戦後すばやく雌伏していた団員の弁護士たちは活動を再開し、松川事件のような弾圧・謀略事件で犠牲となった被告人の弁護人となり、また、活発な労働争議にも積極的にかかわっていった。
 自由法曹団が重視している大衆的裁判闘争とは、権利侵害をはね返し、要求を実現するため、知恵と力を集め、事実と道理によって裁判所を説得し、幅広く市民の共感と支持を得ながらすすめるというもの。
 私が弁護士になってまもなくのころ、自由法曹団員の弁護士は全弁護士の1割を占めていました。ところが、新人の入団が少なくなり、今や4万人をこす弁護士総数のなかで比率は5%、2000人となっています。全国42の支部があり、もちろん福岡にも支部があります。全九州の支部をまとめた九州ブロックの代表をいま私がつとめています。
 自由法曹団が創立されたころの弁護士の名簿を見ると、歴史的に名高い弁護士が数多い。片山哲、長野國助、山崎今朝弥、真野毅、三輪寿壮、鈴木喜三郎、黒田寿男、神道寛次など…。布施辰治は、3.15共産党員大量検挙事件の法廷での弁論によって弁護士資格をはく奪されたうえ、被告人(共産党員)への手紙の郵送が郵便法違反(公安を害する)などで起訴されて有罪となり、禁固3ヶ月の実刑判決を受けて豊多摩刑務所に収監された。
 同じように日本労農弁護士同事件で逮捕・起訴され、懲役2年、執行猶予2年の判決を受けた梨木作次郎は、戦中は新聞配達や材木店での肉体労働をしていた。ところが、敗戦直前の8月10日に日本敗戦必至という話をジャーナリストから聞いて、すぐに丸の内に事務所を借りて再起を期した。
 いやはや、なんと前向き、かつ積極的な取り組みでしょうか。梨木弁護士は、私が弁護士になってからも、元気に自由法曹団の会議に参加しておられました。北海道の夕張炭鉱で災害事故が発生したときには、すぐにも現地へ調査団を派遣すべきだと総会で熱弁をふるわれたことを今も鮮明に覚えています。
 戦後の自由法曹団の再発足大会が開かれたのは1945年11月10日のこと。150人の弁護士が集まった。
 松川事件のとき、被告人面会をする弁護士は、警察の盗聴器に警戒せよという申し送りを受けていた。同じようなことは、最近でも、ときどき起きています。
 若々しい弁護団が新しい刑事訴訟にのっとって積極的な弁護活動をすすめていると、古い弁護士層やマスコミの一部から「行き過ぎ」だと批判(非難)された。マスコミは権力と一体となって被告人を列車転覆の犯人たちと報道していた。それでも、弁護団に袴田重司・仙台弁護士会長(県の公安委員でもある)も加入して、弁護団の幅を大きく広げた。
 自由法曹団の弁護士たちは労働事件、公害事件そして選挙弾圧事件に積極的に関わり、労働者や市民とともに貴重な成果をあげていった。そのなかで政策形成訴訟とも呼ばれる、新しい法律を国会で制定させる取り組みもすすめた。
 100年の歴史が330頁にぎゅっと圧縮されている、ずっしりと重たい本です。とりわけ若い団員のみなさんには、ぜひ読んでほしいと思います。

 

『労働法律旬報』と自由法曹団

大阪支部  城 塚 健 之

 『団百年史』の巻末資料「自由法曹団の発行物」に『労働法律旬報』(労旬)の創刊号の写真が載っているのをご存じですか。そこには「自由法曹團編集」の文字が。知らなかった。労旬は、最初は団の機関誌だったのです。
 また、『団百年史年表』をみると、1949年11月5日に、
「団編集の『労働法律旬報』が発刊される(近代評論社発行)」
 という記事が出てきます。1949年11月といえば、松川事件が発生した直後の時期です。
 そして次に、1951年3月15日に、
「団編集に係る『労働法律旬報』No.50に人権相談所として次の場所と所長が「告示」される。恵比寿人権相談所(所長佐々木茂)・千葉県市川相談所(安部正一)・代々木相談所(布施辰治)・呉相談所(原田香留夫)」
 という記事が出てきますが、その後、労旬に関する言及はありません。
 他方、労旬2022年1月合併号(2000号記念号)4頁では、編集長の古賀一志さんも、労旬は「自由法曹団の機関誌」として産声を上げたと書いておられます。
 そこで、古賀さんにお尋ねしてみたところ、産別会議機関紙『労働戦線』の1949年11月3日号に掲載された「近代評論社」(現在の旬報社の前身)の広告の中に、当時の上村進幹事長の「創刊の言葉」が掲載されていることを教えていただきました。
 そこには、以下のように記されています。
「自由法曹団では、さきに全法協、民科法律部会と共同で『人民の法律』を発行しましたが、法律闘争の激化により、雑誌だけでは、いろいろの点で勤労者諸君の要望を充分に満たすことが出来ず、この旬報を創刊いたしました。この機関紙で通信の形式で迅速に法律闘争の生きた資料を皆さんにお送りできます。これを最大限に活用されて、反動政府や日経連等の違法な法律攻勢を撃破されんことを切望します。」
(これは旬報社デジタルライブラリーで公開されている『産別会議・全労働機関紙 復刻版』に載っています。)
 これに触発されて、『自由法曹団物語 戦後編』(1976年)を引っ張り出してみたところ、なんと85頁以下に労旬誕生のいきさつがちゃんと書いてあるではありませんか。昔読んだはずなのですが、頭に残っていませんでした。
 ちなみに、何でも知ってる(はずの)同僚の谷智恵子さん(30期)に聞いてみたところ、やはり「全然知らなかった。」とのことでしたので、こういう事情は存命の団員でご存じの方は少ないのかもしれません。
 その後、労旬は、1951年10月上旬号から団の編集を離れ、多くの学者や団外も含めた広範な労働弁護士に育てられて、労働者・労働組合の権利を守るもっとも由緒正しい法律雑誌に成長し、今日に至っています(どういう事情で団の編集を離れたのかは、『自由法曹団物語 戦後編』にも書かれていないので、分かりませんが)。
 ところで、近年、団員で労旬を購読する人が減っているようです。これはゆゆしき問題だと思います。せっかく団の先達が創られた遺産です。団員たるもの、まずは労旬をちゃんと購読して旬報社の経営を支えてあげてください。もちろん、これを読んで勉強するに越したことはありませんが、それはちょっと勘弁してという方は、自分のことは棚に上げてもいいので、若手に(強力に)勧めてあげてください。特に2022年1月合併号(2000号記念号)は、「労働法のこれからについて語ろう」と題して、西谷敏教授が労働法における自由と自己決定について、毛塚勝利教授が平等取扱法理について、これまでの著作のエッセンスを手際よく紹介し、これを受けて後進の研究者が対話を試みるという特集が組まれており、知的刺戟を受けること請け合いです。ついでに、旬報社の出版物は多方面に展開されていて、興味深いものも多く、こちらもお勧めです。新しいところでは、『渡辺治著作集』(Ⅰ期9巻、Ⅱ期7巻、全16巻)の刊行がスタートしています。
 それはさておき、歴史というものは、ときどき掘り起こさないと、すぐに埋もれてしまうものだということを実感した次第です。

 

自著『「核の時代」と戦争を終わらせるために』を語る

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 1月22日付で『「核の時代」と戦争を終わらせるために』 (「学習の友社」) を上梓しました。核兵器禁止条約発効1周年を祝してこの日付にしました。昨年8月6日に出版した『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(同社)とは姉妹本です。
共通するテーマ
 共通するテーマは、核兵器と戦争をなくしたいし、それは可能だということです。前書のサブタイトルはー「核の時代」を生きるあなたへ―、本書のそれは―「人影の石」を恐れる父から娘への伝言―です。背景にあるのは、私の核兵器に対する恐怖心とそれから解放されたいという希求です。
 私は、抗えない力で私や私につながる人たちの命や日常が奪われるのが嫌なのです。それは、誰でも同じだろうと思うのです。その不幸を最も無慈悲にもたらすのが核兵器だということは誰でも知っていることです。
核戦争を望む勢力はない
 だから、核兵器国も「核戦争は戦ってならない」としていますし、核不拡散条約(NPT)は「全面核軍縮」を柱の一つにしているのです。岸田文雄首相も「核廃絶はライフワーク」としています。核戦争を容認したり、核兵器を歓迎する勢力は表立っては存在しないのです。
 けれども、核兵器は現在も13000発ほど存在するし、米ロは「警戒即発射態勢」を整えているのです。この態勢は、実際にミサイルが発射されていない場合でも警報が発せられればミサイルが発射されるのです。もちろんそのミサイルを呼び戻すことはできません。現に、警報が発せられた事態は何回も起きています。今まで地球が吹き飛ばなかったのは「ラッキーだっただけ」といわれています。
 だから、核兵器禁止条約(TPNW)は、核兵器のいかなる使用(事故、誤算、意図的)も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、核兵器を全面的に禁止し、それを廃絶するとしているのです。「核持って絶滅危惧種仲間入り」という状況が継続しているのです。
核兵器禁止条約に反対する勢力
 ところで、核兵器国も日本政府もこの条約を敵視しています。その理由は、禁止条約が核兵器の抑止力を否定しているからです。核兵器が自国の独立と平和、そして、国民の命と財産を守っているのに、それを否定することは、国民の安全をないがしろにすることだという論理です。核兵器は国家と国民の安全ためには必要不可欠な道具だとされているのです。これが核抑止論です。こうして、核廃絶は、世界に安全が訪れるまで先送りされるのです。それが「私が生きている間は無理かも」という言い逃れなのです。
核抑止論者との対抗
 このように、私たちのたたかいの相手方は、核兵器礼賛論者ではなく、核兵器廃絶は必要だとしながら、核兵器廃絶を限りなく先延ばししている者たちなのです。端的にいえばオバマ元 大統領や岸田首相たちなのです。彼らは核廃絶論者のように振舞うし、それを礼賛する勢力もあります。ノーベル平和賞委員会や日本のマスコミなどです。私は、核兵器に依存しながら核兵器廃絶をいう諸君は、核兵器をフリーハンドで使用できると考える勢力、例えばトランプ前大統領よりはましかもしれないと考えることは危険だと思っています。アタリが柔らかい分だけ正体が見えにくいからです。けれども、その危険性を言い立てて、彼らを排除することも避けたいと思っています。核廃絶を言うのであれば、それを実践させようと思うからです。彼らも、自分で言ったことを否定することは避けたいでしょう。誰でも「嘘つき」にはなりたくないからです。
軍事力容認論者との対抗
 ところで、日本国憲法9条の制定過程で原爆も考慮されていました。幣原喜重郎もマッカーサーも被爆の実相を知っていたので、核兵器を戦争で利用することは、文明を滅ぼすことになると認識し、非軍事・非武装の9条を構想したのです。もちろん、そのことを認識しない勢力もあったし、マッカーサーも朝鮮戦争時には原爆使用を進言しましたが、原爆投下が9条の成立に影響を与えたことは間違いないのです。大日本帝国の加害や日本人の被害の影響ももちろんありましたが、「核のホロコースト」の影響を無視することは、大事な論点を見失うことになるでしょう。
 それが今、政府は核兵器を安全保障の守護神としているのです。岸田首相は米国の核の傘は、北朝鮮、中国、ロシアに対する「護身術」だと言っています。しかも、9条改悪も同時進行させているのです。
2冊の本の内容
 この2冊の本は、核抑止論者と改憲論者との対抗のために書かれています。そのベースにあるのは、私の核兵器と戦争に対する恐怖と嫌悪と反核平和への願望です。その想いを共有する人たち、とりわけ若者たちへのエールも記述しました。
 特に重視したのは、核抑止論に対する批判と核兵器と9条の関係です。今、最も求められているのは、人類社会に「終末」をもたらす核兵器の必要性を言い立てる論理に対する批判と、核兵器廃絶と9条擁護との関連を認識することだと考えているからです。自衛のための武力行使とそのための戦力保持が容認されるのであれば、核兵器廃絶は困難になります。核兵器は「最終兵器」だからです。他方、9条が国際社会の共通規範となれば、核兵器は存在しなくなります。一切の戦力が存在しなくなるからです。核兵器廃絶と戦争の廃絶は、核兵器がなくても戦争はできるので別の問題ですが、密接な連関はあるのです。だから、核抑止論者や改憲論者に対する批判をしています。核兵器の必要性や改憲を恥ずかしげもなく開陳する連中は結構いるのです。そして、それだけではなく、徹底した9条擁護派ではないけれど、反核・平和を実現したいと考えている人たちへの注文を、共感とともに、出しておきました。協力が必要な人たちだからです。
お願い
 私は、今、人類は絶滅危惧種にあると考えています。絶滅するとは、現在だけではなく過去も未来も失うことです。この危惧は決して私だけの杞憂ではありません。元々そのような危惧を表明していた賢人はいたし、米国の科学者たちも「終末」まで100秒という警告を発しているからです。彼らは、核兵器を開発したけれどその使用に反対した科学者たちの系譜にある人たちであり、決してカルト集団ではありません。「核兵器は文明を終わらせかねない人類初の創造物」であることを知っている人たちなのです。彼らは、また「気候変動、生物学的脅威、人工知能……地球を脅かす新たな問題は山ほどあります」とするだけではなく、偽情報の急速な拡散も、人類の存続を脅かす事柄のリストに加えているようです。「人類の滅びの気配を感じ取る」という川柳はこういう状況を反映しているのでしょう。
 私は、こういう時代にあって「座して死を待つ」のではなく、「ハチドリの一滴」であろうと「ごまめの歯ぎしり」であろうと、可能な抵抗と提案をしておきたいのです。
 そうすることが、中国や北朝鮮の脅威を煽り立て、話し合うことを拒否して、この国を戦争へと駆り立てている勢力に対する基本的な対抗策となると考えるからです。『「核の時代」と憲法9条』(日本評論社・2019年)と合わせてご一読ください。

(2022年2月6日記)

事務局長日記①(不定期連載)

平 井 哲 史

 就任して早4か月が過ぎました。
 昨年の総選挙で立憲野党側が前進することを夢想し、楽観的な見方を持ちながら就任したので、その後の展開はもう『天国と地獄』のような感じです。
 総選挙の小選挙区候補者で「憲法」を重要課題として位置付けて選挙公報に載せていた人は共産の候補を除けばほぼおらず、岸田内閣の閣僚に至っては首相を含めて誰一人として憲法の「け」の字も出していません。そのような状況で遮二無二「改憲ありき」で突き進み、これに一部野党も乗っかろうとしている国政の状況は「いつかきた道」を想起させます。
 事務局長の立場で心配なのは、こうした動きに対抗する署名や学習会運動があまり広がっていないこと。コロナ禍で開催がなかなか難しいことが大きいのですが、「ここでやったよ」という報告に出会うことが少なく、もやもやしています。
 そうこうしているうちに経済安保法案は出るわ、警察法改定案は出るわ、民事訴訟のIT化関係等各種対応が必要そうなものが出てき、辺野古基地をめぐる状況が厳しくなっていく中、海外では台湾情勢が緊張し、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。都度、声明を出す等の対応を迫られ、ただでさえ少ない事務局体制の中で正直執行部は疲弊しそうです。なので、各種声明の起案や要請・街宣等の共同行動についての執行部の負担を軽くすることができないかな~と思案中です。
 事務局長の仕事のすべてをご紹介はできませんが、常幹を含め月3回の会議のほか、委員会の会議への参加、他団体との共同の会議への参加などとにかく会議が多い(前任の平松事務局長はほぼ全部出ておられたようですが、そこまではとてもできません。)。そのほか諸団体から求められる連帯挨拶の起案が月数本、ときどき団長声明下書きの起案、常幹議事録の調製、専従事務局との相談、諸々の内部マネジメントにかかる相談・協議と、まぁやることが尽きません。個人的にも新宿区政の改善のための取り組みを若い人たちや議員と一緒にやるほか、東京1区での取り組みにも部分参加したりしており、当然、通常業務を圧迫することになります。が、過去に2度事務局次長をやった経験から、何をどうしたらよいのかはある程度体得しており、そこはなんとかやりくりできているかなというところです。
 なった以上は何か新しい取り組みができないかと努力中ですが、実を結ぶかはまだまだこれから。引き続きよろしくお願いします。

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