第1774号 5/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●守口市学童保育指導員雇止め事件和解-原告・組合側の全面勝利  原野 早知子

●「表現の不自由展 東京 2022」の開催成功について  辻󠄀田  航

●「攻められたらどうする」と「国際紛争への関わり方」について  矢﨑 暁子

●【書評】「経済戦士」の父との対話 俳句にみる戦時下の人びと(大川真郎著)  佐々木 猛也

●【書評】松井康浩『原爆裁判 核兵器廃絶から被爆者援護の法理』(1986年 新日本出版)を学ぶ  黒 岩 哲 彦

●【書評】自由法曹団物語を読んで  永尾 広久

■次長日記(不定期連載)

◆原稿大募集! 事務局長 平井 哲史


 

守口市学童保育指導員雇止め事件和解-原告・組合側の全面勝利

大阪支部  原 野 早 知 子

1 裁判・労働委員会事件双方について全面解決
 守口市の学童保育クラブで勤務する指導員らが、市から業務委託された共立メンテナンス株式会社(以下「共立」)から大量に雇止めされ、地位確認等を求めていた事件について、2022年4月18日、大阪地方裁判所第5民事部(窪田俊秀裁判長)にて、原告ら及び守口市学童保育指導員労働組合(以下「組合」)と共立との間で、和解が成立した。
 雇止めについては、裁判所と労働委員会で係争しており、本和解により、原告ら・組合と共立との紛争を全面解決したものである。
2 学童保育の民間委託からわずか1年で雇止め、裁判・労働委員会闘争へ
 守口市の学童保育事業は長年公設公営であったが、市は、2019年4月から、同事業の管理運営を共立に業務委託した(期間5年)。
 共立は、市直営時代の学童保育を承継し、転籍を希望する指導員全員を雇用することを謳って受託事業者に選定されたが、運営開始後は、市直営時の保育内容を一方的に変更しようとし、その後退を懸念する原告ら組合員との間に対立を生じた。共立は組合を嫌悪し、団交申入れを拒否したので、組合は2019年9月、大阪府労働委員会(以下「大阪府労委」)に救済申立てを行った(以下「団交拒否事件」という)。
 すると、共立は、業務委託開始からわずか1年後の2020年3月末、原告らを含む13名もの指導員を雇止めした(以下「本件雇止め」)。13名中12名が組合員であり、組合役員は全員が雇止めされた。
 本件雇止めは、学童保育の現場から組合員を徹底排除するために行われたものであり、また、共立の運営に対し、市直営時代からの学童保育を維持しようとの立場から、疑問や意見を呈してきた原告ら組合員を、不当に嫌悪したことによるものだった。
 原告ら9人は、2020年5月、大阪地裁に地位確認等請求訴訟を提起し(本件事件)、さらに同年8月、組合は大阪府労委に不当労働行為救済申立を行った。
3 2度の労働委員会での勝利から裁判所での和解へ
 先行する団交拒否事件について、2020年4月に団交応諾命令が出された。共立は、中央労働委員会(以下「中労委」という)に再審査を申立てたが、2021年4月に棄却された。共立は、大阪府をはじめとする府下の自治体及び京都市から入札参加資格の停止措置を受ける中で、取消訴訟提起を断念し、初審命令が確定した。
 さらに2021年10月12日、大阪府労委は、本件雇止めについても、①雇止めした組合員らを原職又は相当職に復帰させ、賃金相当額を支払うこと、②組合との団体交渉に応じること、③誓約文の手交及び掲示(ポストノーティス)を命じる救済命令を出した。命令は、有期労働契約が更新される合理的期待を認め、雇止めが不当労働行為であると断ずる組合側の全面勝利だった。共立は、中労委への再審査申立も、取消訴訟提起も行わず、同命令が確定した。大阪府労委命令により、守口市や京都市において二度目の入札資格停止処分がなされ、特に京都市の処分は命令履行まで解除されない重い処分となり、共立が同市仁和寺前で進めてきたホテル建設計画は事実上ストップされた。
 命令確定を受けて原告らと組合は、共立に対し、直ちに職場復帰させることを求めたが、共立は、賃金相当額を振り込むだけで原職復帰は頑なに拒否した。原告らは、大阪地裁での和解協議で、粘り強く救済命令を踏まえた解決を求め、最終的に、組合も利害関係人として参加して、労働委員会事件を含め全面的に解決する和解が成立した。
4 和解内容と勝因
 和解内容は以下のとおりである。口外禁止条項を入れることは断固拒否の姿勢で交渉に臨み解決金額を含め、一切口外禁止の付かない和解となった。
①共立は、雇止めをめぐり紛争となり、訴訟が係属し、大阪府労委から雇止めを不当労働行為と認める救済命令が確定したことを受け止め、原告らに対する雇止め通知を撤回する。
②2020年3月31日限り、原告らと共立の労働契約が会社都合退職により終了したことを確認する。
③共立は原告ら及び組合に対し、本件命令に基づき支払った既払額を除き解決金7800万円を支払う。(解決金額は、既払額と合わせると約1億3450万円である。)
④共立は、組合に対し、大阪府労委が命じた文書を手交する。
⑤共立と組合は、労働組合法の趣旨に則って団体交渉を行うことを約束する。
 解決金額は、雇止め後、共立が受託した残りの期間(4年)労働契約が継続した場合の賃金総額(残業代、賞与も含む)を上回る金額である。職場復帰こそ実現しなかったが、裁判で獲得しうる最大限のものを大きく超える全面的な勝利和解である。
 原告らは市直営時代から長年(9年半~36年)勤務していたが、共立との雇用契約は一度も更新されておらず、この点が最大の障害と予想された。合理的期待を認めた大阪府労委の救済命令を踏まえ、雇止め後4年分の賃金を超える解決金を勝ち取ったことにより、このハードルをクリアしたものといえる。不当な雇止めとたたかう全国の有期雇用労働者を大きく励ますものである。
 共立は、組合を徹底的に嫌悪・否認し、労働委員会手続も軽視し、大阪府労委の期日には、先行事件で1回出頭した以外、全く出頭しなかった。これに対し、大阪府労委は厳しく、雇止め事件の救済命令の末尾で、共立の姿勢を「断じて容認できない」と附言したほどだった。また、先行する団交拒否事件の中労委命令、雇止め事件の大阪府労委命令を受けて、その都度自治体から入札停止措置の行政処分が出されたことは、共立を解決に向かわせる契機となったと考えられる。訴訟と労働委員会を並行して全力で闘ったことが、最終的な勝利に繋がった。
5 残された課題-自治体業務の民間委託について
 原告らの雇止めはコロナ禍の最中に強行され、ベテラン指導員が大量に雇止めされた学童保育クラブは大混乱に陥った。しかし、守口市は、共立への委託後も学童保育の実施者であるにも関わらず、「指導員の雇い主は共立だから」と言い、共立に対し指導を行うこともなければ、事態を解決しようと努力することもなかった。本件雇止めは、共立が労働法を無視して行ったものではあるが、元はといえば、学童保育を業者に丸投げした守口市の無責任な姿勢に起因している。
 学童保育は、子どもの発達や安全を保障する事業であり、担い手であう指導員には高い専門性が求められる。ところが、共立は、指導員の専門性など全く考慮することなく、原告らを雇止めした後は、「経験不問」「誰でも可能な仕事」として求人を出していた。私企業は人件費を低く抑えて利益を出そうとするものであり、企業に運営を委ねる限り、経験のあるベテラン指導員(比較的には待遇が高い)を継続的に雇用することとは相容れない。共立のやり方は無茶苦茶で極端であったが、「良心的」な企業を受託先に選定し、自治体が適切な指導・監督を行えばそれで足りるとも思えない。学童保育のような公益性の高い事業を、民間委託すること自体の是非が改めて問われている。
 学童保育に限らず、自治体業務の民間委託は、昨今の大きなトレンドである。共立は自治体業務受託を一事業分野として位置づけ、守口市以外の多くの自治体でも多様な業務に参入している。しかし、民間委託を安易に行えば、共立のような企業の参入は避けられず、行政の混乱や住民の不利益をもたらしかねない。守口市の学童保育で起きたことを教訓に、民間委託に対する問題意識を広げていくことが今後の課題である。
(弁護団は、城塚健之・愛須勝也・谷真介・佐久間ひろみの各団員と当職)

 

「表現の不自由展 東京 2022」の開催成功について

東京支部  辻󠄀 田   航

 報道でご存知の方も多いと思いますが、「表現の不自由展 東京 2022」が本年4月2日~4月5日に国立市で開催され、無事に会期を終えることができました。
 事務局弁護団として開催の準備に関わってきましたので、報告いたします。
1 弁護団の結成
 東京での表現の不自由展は元々、2021年6月25日~7月2日に都内の民間ギャラリーでの開催を予定していました。しかし、右翼などからギャラリーに対する妨害が発生し、ギャラリー側が開催困難との意向を示したため、延期を余儀なくされました。
 延期時点では弁護団は結成されていませんでしたが(関与している弁護士は1名のみでした)、より強固な弁護団が必要という方針から、2021年8月に(事務局)弁護団が結成されました。その後の人員拡充を経て、最終的に弁護団は10名となりました(うち9名は東京支部の団員。)。
2 開催に向けた準備
 まず、新たな会場の選定を行いました。従前の経緯から会場は公共施設を使う方針となり、展示スペースや地元市民とのつながりなど踏まえて、国立市の「くにたち市民芸術小ホール」に決まりました。
 市の条例や会館の規定を調査した上で、9月下旬に会館利用を申し込むと、スムーズに予約は完了しました。その後、10月頃から会館側と開催方法等についての話し合いが始まりました。
 会館側も、大阪での裁判所決定は理解していたため、使用許可の取消しという選択肢は持っていませんでした。ただ、一時は会館側が警備対応などについてサボタージュするかのような発言をし、開催が危ぶまれることがありました。これに対しては、実行委員会と弁護団が粘り強く交渉し、また文書での申入れも行った結果、最終的には会館側も警備に協力的になり、市や警察も交えて警備体制を構築することができました。
 こうして、2021年3月25日、会場の情報解禁と予約開始(完全予約制)に至りました。情報解禁後、国立市に対して多少の抗議があったようですが、4月1日、市はHPに「くにたち市民芸術小ホールで開催される展示会に関する市の考え方について」という見解を出し、中止する考えがないことを明確に示しました。
3 脅迫への対応
 開催準備と並行して、実行委員会への脅迫の対応も行いました。
 延期前の2021年6月~7月にかけて、1つのアドレスから実行委員会に対し、脅迫的な内容を含むメールが送られていました。そこで、弁護団から久保木太一団員と私が同行し、警察署に被害届の提出しに行きました。
 警察対応が難航することも予想していましたが、良い意味で予想に反し、捜査が行われることになりました。捜査の結果、12月5日には兵庫県在住の男性会社員が逮捕され、報道もされました(その後、略式手続で罰金刑)。
4 会期中の警備体制
 会期中は実行委員会と弁護団のほか、会館の敷地外を警察が、敷地内を会館職員と(会館が依頼した)警備会社が警備を行いました。敷地外の警察は、多い時で100名以上いたように思われます。
 また、弁護団が東京の弁護士に協力を呼びかけた結果、弁護団以外にのべ約50名の弁護士による見守り体制を構築することができました(大部分が東京支部の団員。)。
 危険物対策としては、会場で警備会社が手荷物検査と金属探知機での検査を実施したほか、郵便物等も会場に届かないように手配しました。
5 実際の妨害
 結論から言えば、警備体制の甲斐もあってか、会期中に開催に支障が出る程の妨害行為はありませんでした。
 まず、会館前に公園があったため、使用許可を取って街宣を行う右翼グループがいました。使用許可の関係もあってか、公園での街宣が行われたのは初日と2日目(土日)の午前中~昼過ぎのみだったようです。
 また、会場周辺の道路で右翼の街宣車が街宣(実態としては絶叫)をしていましたが、いわゆる中型や大型の「街宣車」が来たのはこれも土日のみで、平日の会期はスピーカーを積んだ軽自動車(軽街宣車?)しか来ませんでした。街宣車には警察車両が張り付くとともに、警察官が騒音測定器で測定し、一定の音量を超えると中止を求めていたようです。
 さらに、右翼らしき人物が数名、正式にチケットを予約して展示を観賞したようですが、会場でトラブルを起こすことはありませんでした。
 なお、私も警備参加中に彼らの街宣を耳にしましたが、批判する点は主に、天皇の肖像か慰安婦問題でした。後者の慰安婦問題は、韓国朝鮮人差別や女性差別などの複合的問題ですので、差別問題への取組みの重要性を実感しました。
6 まとめ
 今回、無事に東京での展示が完遂できたのは、やはり従前の大阪や名古屋での経験が経験を活かせたことが大きかったと思います。また、東京支部の団員を含む多くの弁護士から協力を得て、強力な警備体制を構築できたことも重要です。簡単にまとめると、全国の支援者や弁護士の「団結の力の勝利」と言えましょう。
 そして、自治体や警察が判例の求めるレベルの対応をきちんと取れば、「表現の不自由展」を問題なく開催できるということが実証できました。東京での開催成功が、他の地域での開催にもつながっていくことを願っております(実際、いくつかの地域では準備が進んでいるとのことです。)。
 なお、個人的にも、今後また表現活動の妨害事案に関わる機会があれば、今回の経験を活かしていきたいと考えています。

 

「攻められたらどうする」と「国際紛争への関わり方」について

愛知支部  矢 﨑 暁 子

1 国際紛争が起きると、「同じように日本が攻められた場合にどうするか」という問題と、「この国際紛争を解決するために日本は何をすべきか」という問題とが同時に持ちあがります。本稿は、これらをひとまとめにせず、それぞれ個別かつ具体的に論じた方がいいんじゃないかという問題提起です。
2 「攻められる」場面
(1)まず、「日本が攻められたら」という場面についてです。日本国内で民族独立運動が起きる可能性は(残念ながら、かもしれませんが)皆無でしょう。そのため、ウクライナや旧ユーゴスラヴィアのように、日本国内の一部が国家として独立を宣言して本国と敵対し、それを理由に集団的自衛権や「人道的介入」として他国から「攻められる」、という事態は想定しがたいといえます。
 他方、国家間の紛争に日本が軍事介入した場合や、一方当事国に加担するアメリカに日本が協力した場合に、他方当事国から「自衛権」を行使されて「攻められる」可能性はあります。
 また、領域をめぐっては、隣国である中国、韓国、ロシアとの間で紛争を抱えています。このうちロシアは北方領土に軍隊を配備して軍事演習も行っているので、これに日本が抗議し、軍事衝突に発展するという事態はあり得ます。
 このように「攻められる」場面を区分けして考えてみると、他国から「自衛権」を行使される場合か、領土問題が激化する場合に分類できるといえます。
(2)「自衛権」を行使される場合は、基本的にはミサイル等による爆撃が想定されます。爆撃された場合は、私としてはもうどうしようもないと考えます。ミサイルや爆弾は一発だけ落とされるわけではありません。イラクやウクライナの例を見る限り、日本の軍事力の中枢である東京はもちろん、全国の主要な基地のある地域も数日のうちに瓦礫の山となるでしょう。民間人の殺害は戦争犯罪ですが、誤射や誤認を理由に住宅街が破壊され民間人が殺害されるのは目に見えています。インフラ施設や病院への「誤爆」も起きて、停電、断水、交通麻痺も起き、介護の必要な友人や被後見人は命を落とすでしょう。名古屋から北九州まで歩いて行ければ朝鮮半島までボートで逃げ出す希望がありますが、歩行が不自由な親には無理です。
 反撃すれば為政者のメンツは保てますが、その分必ず戦闘は長引きます。相手は安全な場所からミサイルを撃っている一方、日本の住民は体育館で避難生活を送ります。相手の国やその同盟国が一発もミサイルを撃てなくなるまで戦うのでしょうか。あるいは、いつまで?国連軍が出動するまででしょうか。「勝てない」戦闘を続けることに政治責任はないのでしょうか。空爆被害者への補償はどうするのでしょうか。一刻も早く停戦すべく相手の要求に耳を傾け、他国に仲裁を要請し、「自衛」の口実を無くすのが一番だと考えます。日本が他国の紛争に介入した結果として「自衛権」を行使されたのであれば、すぐに手を引くべきでしょう。相手が支配権を主張する領域に進出した結果軍事衝突に発展したのであれば、当該紛争地から撤退すべきでしょう。
(3)領土問題が激化した場合には、紛争地に軍隊が上陸してくる事態が想定されます。それにとどまらず、「日本であることが明白な領土」に他国の軍隊が上陸してきた場合に、軍隊により力づくで追いだすかどうかは難しい問題です。この場合、相手は国連憲章を完全に無視しているので、どの地域に上陸してくるか限定がありません。そうすると、「北海道だけが戦場になるからいいや」(よくない)とはいえず、全国各地が戦地になり得ます。周囲を海に囲まれた国で、どこから上陸されても対応可能な状態を作ることは大変ハイコストです。どこまで防御力を高めれば安心できるでしょうか。私としては、民族自決権を理由とせず他国の領土を占領統治する事態が起きるとは思えず、そのような万が一の事態に対して莫大な予算を投入し続けることには賛成できません。
 もし他国の軍隊が上陸してきて占領統治を始めたとしても、市街地での銃撃戦を行うような「自衛戦争」もしてほしくありません。民間人殺害につながるからです。たとえ「負け犬のような降伏」だと評されても、占領軍がのさばり自由が奪われるとしても、死ぬよりはまし、というのが私の価値観です。
(4)占領統治などせず、日本を焼け野原にして住民をみなごろしにしたい、というジェノサイド目的で攻撃された場合には、交渉の余地はありません。やむなくあらゆる手段で抗戦し海外に住民を逃がしながら国連軍の出動を待つことになりましょう。
3 国際紛争に日本がどう関わるか
 この分野は不勉強ですが、集団安全保障は軍事力による紛争解決のみを規定しているわけではありません。日本としては、難民の受け入れ、救援物資の支給や医療や建築チームの派遣、停戦協議の呼びかけや仲裁国となった国への支援等をすることが考えられます。紛争が起きる以前から、戦争犯罪処罰の仕組みを強化したり、国連安保理の5大国拒否権問題を解消したり、東アジアに紛争解決機関を作ったり、各種兵器の禁止条約を作ったりといった努力も必要です。他国との関係では、互いを批判しあい抗議しあいながら経済的・人的交流を続け、軍事衝突はしないという「仲良くならない平和主義」を提唱します。こうした「平時」の努力をこそ「備えあれば憂いなし」と言いたいです。

 

【書評】「経済戦士」の父との対話俳句にみる戦時下の人びと(大川真郎著)

広島支部  佐 々 木 猛 也

 大川団員は、1941年3月12日午前7時23分、体重960匁の男児として出生した。
 父大川真澄氏は、大阪薬学専門学校(現・大阪大学大学院薬学研究科・薬学部)を卒業後、1年間の志願兵を経て、株式会社武田長兵衛商店(現・武田薬品工業株式会社)に入社した。
 俳号を「立花」とし、39歳の生涯のなかで3327句を残した俳人でもあった。
 その年5月、陸軍薬剤中尉に任官し、軍務として、中支への出張を命じられた。
 そこで目にしたのは、3年半前の日中戦争で皇国日本が奪い取った上海、南京、漢口などの街と人、自然だった。南京事件が明るみ出たのは戦後の極東国際軍事裁判のなかだったので、南京市民・難民に対する銃殺、大量虐殺、強姦、金品略奪、放火などの蛮行を知ることはなかったが、中国民族の生活力に驚き、強烈な印象を受けたようである。
 1か月余りの行程にあっても、句を詠み、大尉から借りた18世紀前半を舞台とする恋愛小説を読む読書家でもあった。帰国後、招集解除となった後、武田薬品に復帰した。
 その年12月、大日本帝国は、英国領マレー半島・コタバル(現・マレーシア)などに上陸して侵攻し太平洋戦争を始め、続いて真珠湾を攻撃した。
 餓死や戦病死は、戦没者の6割を占めていた。南方の戦域で戦う兵士たちにとってマラリア対策は最重要課題だった。
 1925年以来、オランダ領インドネシア・バタビア(現・ジャカルタ)郊外で、マラリアの特効薬キニーネの原料キナの木の栽培を手掛けてきた武田薬品は、キナ園を再開し、キニーネ生産工場を取り戻し生産にあたった。
 シンガポールを陥落させた日本軍は、南方軍防疫給水本部を設置した。
 マラリア、破傷風などの研究と感染症対策として戦場での汚水を「医療用石井式濾水機」によって濾過し、飲める水を供給することを任務とした。
 兵士たちはこの水でキニーネを飲んだ。ここにいう石井とは、731部隊を率いていた石井四郎中将である。
 会社から、「南方派遣第一陣経済戦士(非戦闘要員)」として選抜されたエリート社員立花は、1942年5月5日、約100社の派遣社員約1000人とともに、廣島・宇品港を出港する太洋丸に乗り込みバタビアに向かった。そして、亡くなった。
 著者は、物心が付いたころから亡き父と向き合ってきたに違いない。僕が原爆と向き合ってきたように。「心の旅路」を歩み、愛情深い父として、感性豊かな俳人としての大川立花を蘇らせ、生き返らせた。
 母は、夫に関する実に多くの資料を集め残した。
 本書は、これを基に、立花の句を紹介し、日記を引用し、親族や交流のあった俳友たち、武田薬品の人たちの物語とし、戦争の悲惨さを訴える。
 芭蕉、其角、一茶、山口誓子、金子兜太らの句も載る。著者の豊富な俳句の知識が詰まっている。
 1964年4月、僕らは、大阪ガス株式会社に入社した。新入社員学習会に向かうバスの最前列にいた僕の横の席に大川くんは座った。彼は、声を掛け、問いかけ、在学中、共に司法試験を受けたこと、「権利の放棄について書け」との筆記試験で失敗したことを互いに知った。
 このとき、父は戦死したとポロっと口にした。それ以上話さなかったし、問うこともしなかった。今初めて、大川くんの俳句についての造詣の深さと父真澄氏の真実を知った。
 入社3年後、二人は司法修習生となったが、白山寮では、なぜか、同じ部屋を貸与され、松戸寮でも同じだった。ふるさと南紀・古座町の彼の家の裏を流れる古座川で、二人で泳いだことを思い起こす。
 1969年、僕らは、加藤充法律事務所(現・大阪法律事務所)を職場に選び、事務所で用意してもらった八尾市の借家で、彼が2階に、僕が1階に住んで生活した。彼は掃除を担当し、僕は朝食を準備した。
 借家住まいは、先に結婚した者が居を続けると決めていたので、10日遅れの僕は、奈良県斑鳩町に移住した。
 共に81歳になった今、二人は、相談することもなく、くしくも、おのおのが戦争の無責任さを書にした。
 大川くんは、僕の小著「原爆 捨てられない記憶と記録」の書評を書いてくれた(団通信1769号)。
 そして、本書の書評を僕が書く。
 両書に共通するのは、戦争について考え続けてきた一度きりの人生の物語であり、許しがたい為政者たちの告発の書でもある。
(大川真郎著「『経済戦士』の父との対話」 浪速社刊 四六版233頁 定価1,500円+税)

 

【書評】松井康浩『原爆裁判 核兵器廃絶から被爆者援護の法理』(1986年 新日本出版)を学ぶ

東京支部  黒 岩 哲 彦

 ロシアのウクライナ侵略と戦争犯罪の実行行為が継続している今、松井康浩弁護士の『原爆裁判』を学びたい。同書は、私にとっては、東京大空襲訴訟の闘いで最良の教科書だった。
 松井康浩弁護士は、1973年度・74年度の日本弁護士連合会事務総長や日本民主法律家協会代表理事を務められた。松井康浩弁護士は1955年4月に原爆被爆者下田隆一氏らの代理人として東京地裁に原爆裁判を提起し、1963年12月7日に東京地裁は米国の原爆投下を国際法違反と判断した。原爆被爆者が原告となって訴訟を提起し、裁判所の判決において「原爆投下を国際法違反と判断した」ことは、世界に例がない。この判決は、国際会議でも、国際的法律文書においても「下田(原告下田隆一の姓)ケース」の判決として引用され、国際司法裁判所が1996年7月に国連総会に対し与えた「核兵器の使用と威嚇に関する勧告的意見」の判決文の中でも、この原爆判決は「下田ケース」として引用された。
原爆裁判の東京地裁判決
≪学者の鑑定意見≫
 原爆投下が国際法に違反をするかについて国際法学者の安井郁教授(原告申請)、高野雄一教授(被告国申請)、田畑重二郎教授(被告国申請)が鑑定人として採用されて、宣誓のうえで鑑定書が作成された。被告国が申請した田畑教授は、原爆投下が無防守年に対する無差別爆撃となること、威嚇爆撃となること、および不必要な苦痛を与えていることの3側面から国際法違反を論証した。原告が申請した安井教授は、攻撃方法としては、無差別爆撃であり威嚇爆撃であることによって国際法に違反するとした。
≪東京地裁判決は原爆投下の国際法違反を宣告≫
①基本姿勢
 「もとより、国際法が禁止していないかぎり、新兵器の使用が合法であることは当然である。しかしながら、そこにいう禁止とは、直接禁止する旨の明文のある場合だけを指すものではなく、既存の国際法規(慣習国際法を条約)の解釈及び類推適用からして、当然禁止されている場合を含むと考えられる。さらに、それらの実定国際法規の基礎となっている国際法の諸原則に照らしてみて、これらに反する場合をも含むと解さなければならない。けだし、国際法の解釈も、国内法におけると同様に、単に文理解釈だけに限定されるいわれはないからである。」
②戦闘行為に関する国際法
 「無防守都市に対しては無差別爆撃はゆるされず、ただ軍事目標の爆撃しかゆるされないのが従来一般に認められた空爆に関する国際法の原則であるということができる。」「広島も長崎も無防守都市であることは公知の事実である。」
③原子爆弾の非人道性
 「原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反をしているということができる。」
 なお、本書の資料編は東京地裁の判決文全文と3人の国際法学者の鑑定書の全文が紹介をされている。
ロシアの戦争犯罪の首謀者と実行正犯者・共犯の処断を
 松井康浩弁護士は「原爆裁判の法理を発展させ、国際法違反の戦闘行為のみならず、侵略戦争そのものを戦争犯罪として、その首謀者に対しては、単にその損害を賠償ささせるだけに止めずに、戦争犯罪人として処断を求めなければならない」と喝破された(『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』(1968年 三省堂新書)。
 原爆裁判の法理を発展させることは、ロシアの違法行為を目撃している私たちの責務である。

 

【書評】自由法曹団物語を読んで

福岡支部  永 尾 広 久

 家屋明渡執行の現場で、荷物の運搬・梱包のためにやってきた補助業者の男性は、居間で母親(43歳)がテレビで中学2年生の娘の運動会の様子を見ているのを目撃した。その横に当の娘がうつ伏せになっている。
 母親は男性に、「これ、うちの子なの」と画面に映る娘の姿を指さした。そして、運動会で娘が頭に巻いていた「鉢巻きで、首を絞めちゃった」と言い、「生活が苦しい」、「お金がない…」とつぶやいた。娘は死んでいた。母親に首を絞められたのだ。母親は自分も死ぬつもりだった。まさしく母子無理心中になりかけた場面である。
 8月末に、退去・明渡の強制執行の書類が留守中に貼られていた。母親は、この強制執行の日、ぎりぎりまで娘と一緒にいたかった。自分だけ死んで残った娘は国に保護してもらうつもりだった。娘を学校に送ってから死ぬつもりでいると、娘が母親の体調を心配して学校を休むと言ったので、計画が狂った。裁判で母親は、なんで娘を殺すことになったのか…、分からないと言った。
 こんなことが現代日本におきているのですよね…。読んでいて、思わず涙があふれてきました。
 夫と離婚して母親は中学生の娘と二人で県営住宅に住み、給食センターのパートをして暮らしていた。元夫が養育費を入れてくれないと生活できない。生活保護を申請しようとしても、「働いているんだから、お金はもらえないよ」と言われ、ついにヤミ金に手を出した。家賃を滞納しはじめたので、千葉県は明渡を求める裁判を起こし、母親は欠席して明渡を命じる判決が出た。その執行日当日、母親の所持金は2717円、預金口座の残高は1963円しかなかった。
 母親は家賃減免制度を知らなかった。また、判決と強制執行手続のなかで、県の職員は母親と一度も面談したことがなかった。この母親には懲役7年の実刑判決が宣告された。
 私も、サラ金(ヤミ金ふくむ)がらみの借金をかかえた人が自殺してしまったという事件を何件、いえ十何件も担当しました。本当に残念でした。来週来ると言っていた女性が、そのあいだに自殺したと知ったときには、「あちゃあ、もっと他に言うべきことがなかったのか…」と反省もしました。生命保険で負債整理をするといケースを何回も担当しました。本当にむなしい思いがしました。
 この千葉県銚子市で起きた県営住宅追い出し母子心中事件について、自由法曹団は現地調査団を派遣しました。その成果を報告書にまとめ、それをもとにして、千葉県、銚子市そして国に対して厳しく責任を追及したのでした。同時に、日本の貧困者にたいするセーフティネットの大切さも強調しています。
 創立100周年を迎えた自由法曹団の多種多様な活動が生々しく語られている本です。現代日本がどんな社会なのかを知るうえで絶好の本です。私は、一人でも多くの大学生そして高校生に読んでほしいと思いました。
 2004年3月30日、社会保険事務所に勤める国家公務員が警視庁公安部に逮捕された。その逮捕直後の家宅捜索の現場にはテレビ局がカメラの放列を敷いていた。
 罪名は国家公民法違反。起訴事実は、衆議院議員選挙に際して、自宅周辺地域に「しんぶん赤旗号外」を配布した行為が公務員の政治的活動を禁止した国家公務員法に違反するというもの。
 最高裁判所は、猿払(さるふつ)事件で、一審・二審の無罪判決を覆して有罪判決を出していたが、憲法学界も世論も厳しく批判していた。なので、その後、37年間も国公法違反で起訴された人はいなかった。
 裁判(公判)前に証拠開示をめぐって弁護団は裁判所で法にもとづいて要求してがんばった。そして、ついに裁判所は証拠開示命令を発した。その結果、検察官はしぶしぶビデオテープ等を提出した。すると、警視庁公安部は1人の国家公務員の私生活について、のべ171人も投入して尾行・追跡調査をしていた事実が判明した。
 私も、そのビデオ映像を見ましたが、そこに投下された莫大な労力に呆れ、かつ、怒りを覚えました。要は、国家公務員が休みの日に私服で自宅周辺の地域に全戸配布のビラ入れをしているというだけの話です。そのビラは合法ビラですから、現行犯逮捕できるようなものでもありません。
 平日は2人から3人、土日・祝日は公安警察官が私服で11人も尾行していました。たとえば、2003年11月3日は捜査官11人、ビデオカメラ6台、自動車4台です。盗撮しているビデオカメラは、黒っぽい肩掛けバックに入っていて、網のかかった丸穴からカメラのレンズで撮影していました。こんなことを29日間、のべ171人の公安警察官がしていたのです。まるで凶悪犯人でもあるかのような扱いです。この人は、ただビラを休日に配ったというだけなんですよ…。警視庁公安部というところは、よほどヒマをもてあましている役所のようです。こんな部署に税金をつかうのはムダの極致でしかありません。即刻、廃止せよとまでは言いませんが、大ナタをふるって人員と予算をバッサリ削減すべきです。
 問題なのは、私も見たビデオ映像の扱いです。弁護団はテレビ朝日に裁判所で得た映像を提供した。しかし、それは、刑事訴訟法の「目的外使用」にあたる可能性がある。弁護団は、懲戒請求されたら受けて立つと覚悟を決めた…。幸いにも、懲戒請求はされなかったようです。
 そして、刑事裁判です。一審(毛利晴光裁判長)は腰が引けていて、罰金10万円、執行猶予2年の判決。もちろん、控訴。東京高裁(中山隆夫裁判長)は、弁護団が忌避申立したほどの強権的な訴訟指揮をしたものの、判決は「被告人は無罪」としたのです。被告人のビラ配布行為には常識的にみて「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を損なう抽象的危険すらなく、このような行為を罰則で禁止することは憲法31条に違反するので無罪としました。被告弁護側の完全勝利。このあと、最高裁は、上告棄却したが、その理由は構成要件に該当しないので無罪とするというもので、中山判決よりは後退していた。残念ですが、中山判決の意義は消えません。
 自由法曹団の弁護士たちは、選挙運動における国民の選挙活動の自由を守って全国で取り組みをすすめています。そのなかで公務員の政治的活動の自由の拡大も主要課題の一つとして取り組んでいるのです。
 それにしても、このビデオ映像は、公安警察は日常的に市民の政治的活動を監視している現実を示すものとして、広くみられるべき価値があるものと思います。ぜひ、ご覧ください。
 日本の裁判官は、もっと実名で批判されるべきだと私は考えています。この本では、たとえば名古屋地裁の内田計一裁判長の呆れた訴訟指揮が厳しく批判されています。裁判官が交代したときに弁論更新をすることになっています。原告側弁護団が、更新弁論の時間をきちんと確保してほしいと要望したところ、名古屋地裁の内田計一裁判長は、…
 「今日は、何もできないということになりますか?」
 「更新弁論をするなら、今すぐ、5分与えるのでやりなさい」
 弁護団が口々に抗議して立ち上がると、内田裁判長は黙って時計を見つめ、「更新、するんですかしないんですか」と言い切った。弁護団が、このような訴訟指揮に抗議すると、「既に法的見解はもっています」と平然と、答えたのでした。予断をいだいていることを告白したのです。このような、とんでもない裁判官が幅をきかせているのが現実ですが、たまに気骨のある裁判官もいます。名古屋高裁の青山邦夫裁判長、その一審段階の田近年則裁判長です。
 自衛隊のバグダッドへの輸送活動は、その実態に照らして憲法9条に違反すると明断しました。すごいことです。大変な勇気がいったと思われます。
 福岡でも憲法の意義を劇にして市民にアピールしている「ひまわり一座」がありますが、広島にも「憲法ミュージカル運動」が長く続いて、すっかり定着しています。初めの脚本を書いたのは廣島敦隆弁護士。そして、その後、なんと25年ものあいだミュージカルの脚本を書き続けたのです。それには人権感覚の鋭さと、ユーモアに満ちたものでなくてはいけません。よくぞ書きあげたものです。しかも、午後1時の開場なのに、昼12時ころから人が並びはじめ、観客は階段通路にも座る人で一杯になってしまうほどでした。
 出演するのは、主として広島市内の小学生からお年寄りまで…。毎年、5月の本番までの2ヶ月半のあいだ、連日、「特訓」を受けていたのです。大成功でした。この20年間で、集会に参加した人は1万5000人、そして、この集会(ミュージカル)の出演者とスタッフはのべ2500人。とんでもない力が広島の憲法ミュージカルを支えてきました。
 自由法曹団は、この100年間、一貫して市民とともに憲法の平和的条項そして人権規定を実質化させるために取組んできましたが、その取り組みの一つがここで紹介したものです。
 『時の行路』という映画(神山征二郎監督)を福岡でみました。2008年9月、リーマンショックを口実に日本の自動車メーカーは一斉に非正規労働者を「派遣切り」しましたが、このとき、トラックメーカーのいすずも栃木工場と藤沢工場で812人の派遣社員全員を首切りました。いすずは派遣会社との労働者派遣契約を契約期間の途中で解約し、それを受けて派遣会社が派遣社員を解雇したのです。11月14日に解雇して、年末までの寮からの退去も求めました。もちろん、いすずだけではなく、トヨタは7800人、日産1500人、マツダ1300人、スズキ600人、日野自動車500人という大量の首切りでした。
 これに対して、いすずでは労働組合JMIUの支部が4人の派遣社員で結成され、会社(いすず)とのたたかいが始まったのです。自由法曹団の弁護士たちが組合を応援しました。
 この2008年12月末には、東京・日比谷公園で年越し派遣村が取り組まれ、マスコミも大々的に報道しました。自由法曹団の弁護士たちも派遣村運営の実行委員となって連日泊まり込みをして支えました。この派遣村が大々的に報道されたこともあって、多くの人が関東周辺から歩いて日比谷公園までやってきて救いを求め、また救われたのでした。それでも27歳の男性が所持金2200円となり、JRに飛び込み自殺するという悲しい事件も起きてしまいました。
 いすずで結成された労働組合支部は雇い止めの不当性を訴えて裁判に踏み切りました。ところが、東京地裁(渡辺弘裁判長)は、会社側の主張を全面的に認め、雇い止めを有効と判断したのです。もちろん、ただちに控訴しましたが、東京高裁は、社長などの証人申請を全部却下して、控訴棄却。最高裁も上告を受けつけなかったのでした。
 映画「時の行路」はハッピーエンドの話ではありません。日本の司法が大企業に有利で、労働者に対してあまりに冷たいという現実をありありと示しています。ところが、裁判に負けても主人公の表情は、人としてやるべきことをやったという明るい表情を最後まで崩しません。なので、その意味では暗い、悲惨な結末ではありませんから、救われます。
 そして、現実にも労働組合JMIUはいすずと交渉して争議を全面解決させ、主人公のモデルは市会議員としての活動に転じたというのです。捨てるカミあれば、拾う神もあるということなのでしょうね。
 大企業の自分勝手な使い捨てを許さないという闘いが今もあること、そして、それを自由法曹団の弁護士たちが支えていることが、よく分かる本です。ぜひ、ご一読ください。

 

次長日記(不定期掲載)

永 田  亮(神奈川支部)

 次長日記とは何か。原稿のオーダーを受けてから、何を書いたら良いのか悩み始めました。就任して半年と活動の総括をするにはまだ早いような気がしますので、最近、筋金入りの鹿島アントラーズファンのパートナーの影響でよく見るようになったサッカーと差別の話をしたいと思います。
 月に1~2回はカシマスタジアムに行って観戦していまして、お気に入りの選手は右サイドバックの常本佳吾選手です。
 サッカーは世界各国にプロリーグがありますが、どのリーグにも外国籍選手(当該リーグの母国外出身者)が活躍しており、外国籍選手の迫力あるプレーなくして、今のサッカー人気はないと言って良いでしょう。
 一方で、Jリーグでは、2014年に観客席入り口に「Japanese Only」という人種差別的な横断幕が掲げられ、大きな問題となったことはみなさんも記憶にあるかと思います。
 Jリーグに限らず、サッカー界においては、選手間での人種差別的発言や、サポーターによる差別的発言などは昔から問題視されており、あらゆるリーグが差別を許さないことを公式に明言しています。
 それでも、例えば日韓戦のニュースのコメント欄を見れば、見るに堪えない差別的コメントが並ぶなど、本来であればフェアに楽しめるはずのスポーツの場にもかかわらず差別意識が現れやすいというのが実情と言えるでしょう。
 このような差別に対する取組みとして、例えばJリーグでは、3つのフェアプレー宣言、というものを行っており、①ピッチ上のフェアプレー、②健全な経営を目指すファイナンシャル・フェアプレーに加え、③差別根絶などの社会的責任を果たすソーシャル・フェアプレーを宣言し、「クラブにコンプライアンス・オフィサー」を専任させたり、研修システムの構築と実施、差別的な事態が生じたときの組織体制整備などを進めています。また、毎年9月には「JFAリスペクト・フェアプレーデイズ」と題して、対象試合の両チームキャプテンが、差別・暴力根絶に向けた「リスペクト宣言」を読み上げる取組みも行われています。かつての横断幕事件の対象として無観客試合の処分を受けたチーム(損失額は3億円以上だとか)も、差別撲滅宣言をし、差別撲滅のためのプログラムも進め、サポーターへの啓発も続けています。
 国際的にも取組みが進められていて、ヨーロッパでは「欧州サッカー反人種差別行動」としてサポーターに向けて人種差別事件の情報提供や、反人種差別行動やイベントへの情報提要などが行われていますし、例えばドイツのブンデスリーガでも、過去の差別事件の反省もあり「人種差別に居場所はない」とのキャンペーンが全国区で行われ、その看板がドイツ全土のスタジアムに貼り出され、サポーター自身が自主的に反人種差別活動に取り組むようになったとされています。
 SNS上での外国籍選手への差別発言も続いていますが、2021年、Jリーグのあるチームは「なりすまし」による差別投稿に厳正に対処することを表明したり、Jリーグ自身が総務省と共同してセミナーを開催するなど、差別に対する取組みは日々続けられています。
 それでも差別はなくなりませんし、SNS上での外国籍選手への差別発言も続いています。多くの人が無意識的に差別意識を持っている、それが試合という場で現れてしまう、ということをしっかりと理解し、1人1人が差別をなくしていくためにしっかりと考えていくことが必要です。
 差別をなくすためにできることを考えていくきっかけに、スタジアムにサッカーを見に行くのもオススメでスタジアムグルメも楽しみの一つです。サッカーはなぁ・・・という方は、ぜひ5月集会の差別問題対策委員会の分科会(5月22日(日)15:10~)にご参加ください。みんなでいろいろ考えましょう。

TOP