第1782号 7/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●山添拓団員・仁比そうへい団員の当選バンザイ!!  池上 遊

●仁比ネットと熊本の活動  板井 俊介

●支部内で「全員参加型平和主義討論会」を開催しました(前編)  小笠原 里夏

●7月27日の「第5回 先輩に聞くシリーズ学習会」では、こんな話をします  岡田  尚

●京都ウトロ地区の歴史とヘイトクライムを考える学習会に参加して  大島 麻子

●改憲阻止へ、取組報告  平井 哲史

●木村晋介さんの問題提起に応える  大久保 賢一

●ウクライナ問題で考えたこと- 木村団員の批判に応えつつ(上)  松島 暁

●法律家が安全保障政策を議論する(下)  井上 正信

●東北の山 ⑥ 森吉山  中野 直樹


 

山添拓団員・仁比そうへい団員の当選バンザイ!!

福岡支部  池 上  遊

1 仁比そうへい団員当選のためにしたこと
 本腰を入れて支持拡大をするようになったのは公示日の直前からでした。法律相談、打ち合わせ、電話かけ、携帯電話にある連絡先にメール、SNS、なんでもやりました。街頭での宣伝は1回だけ、公示日の夜、小倉駅前でスピーチを頼まれました。
「前回の衆議院選挙では、北九州から自民党の議席をすべて失わせました。
 みなさんが変化を起こしたのです。
 自民党の人たちはびっくりしたと思います。
 もう一度この北九州から変化を起こしましょう。
 共産党の「にひ そうへい」さんは、たたかってくれる弁護士です。
 一人でも多く、私たちのために働く議員を増やしましょう。
 同じ事務所の弁護士として
 戦争をしない政治にするために
 自民党の議席を少しでも減らすために
 私は「にひ そうへい」さんを応援します。
 みなさんもぜひ応援してください。」
 というような話をしました。YouTubeにも上がっているようです。
  投票日当日まで、投票済みの方でも家族、知人にらに広げてください、とお願いしました。
 依頼者の中には何人も支持拡大をしてくださる方もいて、その方々からいただくリアクションもとてもうれしく感じました。また、選挙運動最終日の街頭での宣伝にわざわざ来てくれる依頼者の関係者もいました。事務所をあげて粘り強く支持を訴えているのが広がっているなと感じながら当日を迎えられたと思います。
2 仁比団員の未明の当確
 今回の参院選は、山添・仁比団員の属する共産党にとって、事前には決して楽観視できる情勢ではなかったと思います。東京都選挙区は、候補者が乱立し、有名人も多数立候補していました。個人的には、ささやかながら東京に住む家族に投票と支持拡大を依頼していました。また、比例区は、この間の参院選で共産党はじりじりと得票数を下げてきていました。仁比団員が選挙に出るたびにその数字を確認してきましたし、今回は本当に厳しいたたかいになると覚悟していました。
 そのような中で、午後8時、開票開始ほぼ直後に山添団員の当確が出たときは、本当にうれしく感じました。山添団員が国会で積み上げてきた実績が広く知られていることが実感できましたし、仁比団員もこれに続け!と開票速報を眺めていました。
 とはいえ、仁比団員が立候補する選挙ではその結果が確定するのは毎回、朝方のことで、今回も午前6時過ぎ、当確が決まりました。
 結果を見てみると、仁比団員の個人名での得票が36,098票と当選3名中、2番手になるほど、にひネットを中心にこの間取り組んできた個人名の押し出しが効いたのだと思います。全体の比例得票数が厳しい結果となったにもかかわらず、当選を決めることができたのは、奇跡のような大成果と誇らしく感じます。私の手元の集計では、仁比団員のエリアである中国・四国・九州・沖縄では、2019年参院選に比べ2021票減少させているのですが、それ以外の地域で4754票増やしていました。
 前者の減少を少なく食い止めたこと、エリア外の団員弁護士への呼びかけが浸透したこと、これが奇跡の成果につながったのだと思います。
 この場を借りて、全国の団員のみなさまには、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
3 仁比団員を活用してください!!!
 改憲勢力に対し一気に突き進む弾みをつけさせてしまったこの選挙で山添拓団員に加え、仁比そうへい団員という団員弁護士を2人も国会へ送り込むことができたことは希望の光だと思います。ぜひ、全国の団員のみなさまには、それぞれの事件、運動で、仁比団員を活用して(こすりたおして)団員弁護士の議席をさらに輝く強固な議席にしてもらいたいと思います。私からは法テラスの報酬見直しもお願いします。
 今後とも仁比団員へのご支援をなにとぞよろしくお願いします!!

 

仁比ネットと熊本の活動

熊本支部  板 井 俊 介

1 待ちに待った仁比さんの当選

 九州・中国・四国ブロックを背負う仁比聰平団員の当選を期して、早期から仁比ネットで団結した結晶が、今回の当選に至ったと思う。仁比先生には、今後、熊本では水俣病問題、球磨川の水害問題をはじめ、大きな役割があると思う。是非、私たちで支えたい。
 熊本では、かつて中選挙区時代に候補者として活動した加藤修団員が「私の決意」と題して仁比団員への支持を訴えた。また、団員弁護士以外にも仁比リーフを配布して支援を呼びかけた。今回の選挙で、私自身は、これまでの人生で最も頑張ったと思っているが、ユーチューブ動画にも出演して、以下のメッセージを述べた。
 「仁比そうへいさんは、私どもの先輩弁護士であり、まさに、名もなき市民とともに『身体を張って闘う』弁護士であります。
 私たちの社会は、今、大きな岐路に立っています。しかし、目先のことではなく、数十年後を見据えた時、徹底して「民」の立場に立つ日本共産党の存在は不可欠だと実感しています。
 しかし、私が何よりも訴えたいことは、国会で真正面からの論戦で力を発揮するのが、仁比そうへいさんだということです。私は、仁比そうへいさんより、国会での論戦の上手い議員を見たことがありません。
 それほど、仁比さんが国会にいるのといないのとでは、私たち市民にとって、大きな違いなのです。かならず、仁比さんを国会に送りとどけなければなりません。皆様、ご支援、どうぞよろしくお願い致します。」
2 今後の課題
 ただ、今後に向けて課題は多い。前回2019年の参院選における熊本県内の仁比そうへい団員個人の得票は、2,122票であった。北九州の吉野高幸団員から、「熊本は少ないので頑張るように」との激を頂き、倍増を意気込んで全力を尽くした。しかし、今回は、熊本県全体で60票減の2,062票であった。
 内訳をみると、概ね都市部では票を伸ばし、町村で減少している。町村の高齢者の得票が減った可能性もあるが、まったく楽観できない情勢である。仁比団員が、メディアに登場する機会をいかに増やすかという視点も必要になると思う。
 言いたいことを言うだけになったが、今後とも、是非、全国の団員で、仁比団員と山添拓団員の活躍を後押しする活動を造り上げたいと思っている。

 

支部内で「全員参加型平和主義討論会」を開催しました(前編)

静岡県支部  小 笠 原 里 夏

1 はじめに
 事務局長に平井哲史先生が就任されてから、稀に、同事務局長からナイショの事務連絡(もっぱら要請)が支部にダイレクトで届くようになりました。ある経緯で、今年の当支部の支部総会における企画内容が団本部に漏れ(冗談です)、改憲問題への取り組みの活性化に熱い情熱を注がれている同事務局長から、ぜひ団通信に投稿をと促されました。ご期待に応えられるかどうか甚だ自信がありませんが、今年実施した支部総会企画について、支部事務局長の立場からご報告したいと思います。
2 ウクライナ問題を取り上げないわけにはいかない
 静岡県支部では毎年6月第4週の週末に支部総会を開催しています。
 支部総会の開催前には運営委員会を開催して、支部総会の内容や進行を協議します。毎年、本部執行部から団長や幹事長をお呼びして情勢報告をいただくことと、各団員による事件報告を行うことが慣例ですが、今年は2月に発生したロシアによるウクライナへの軍事侵攻の問題について支部総会で是非取り上げるべきだとの意見があり、同問題をテーマの一つとすることになりました。
 問題は、この重要なテーマをどのような形で取り上げたらよいかということでした。外部から講師をお呼びして記念講演をしていただくのは、日程的にも当日のタイムテーブル的にもタイトだということになり、内々で平和主義の問題に関する討論会をしようではないかという話になりました。
 支部内の討論会は裁判員裁判制度導入前に実施したきりで、15年ぶりくらいです。仲間内での討論会は面白そうですが、企画は手間がかかります。最も乗り気だった西ヶ谷知成団員の力を借りて、具体的な案を考えていきました。
3 企画立案には手間がかかります
 ウクライナ戦争を受けて、日本の軍事化や軍事同盟強化を訴える声が強まっている現状をどう捉えたらいいか、ということをテーマにし、憲法9条を堅持して軍事化の流れに反対する立場にたつAグループと、日本の平和を守るためには軍事力と軍事同盟の強化が不可欠だと考えるBグループとに分けて討論する、というのが企画のベースでした。
 このタイミングで団の5月集会の特別報告集が手元に届きました。冒頭の小賀坂幹事長の「問題提起」を読み感動した私は、このウクライナ問題に関する幹事長の論考をAグループの基本路線とし、これに自民党の「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」をBグループの基本路線としてぶつけてもらう形で討論会を進めようと考えました。
 静岡市出身の小賀坂幹事長には昨年に引き続いて本部執行部として支部総会に出席していただくことになっていました。そこで幹事長にAグループの論者として討論会に加わっていただくことの了解を得ました。これで企画の華を確保しました。
 各グループ3名ずつの論者に登場してもらうことにしたのですが、人選案を運営委員会で報告すると、「年齢層が高い」とのイタい指摘があり、若い団員にも論者として参加してもらうことになりました。白羽の矢が立ったのは、3年目の桐山圭悟団員と、つい2ヶ月前に弁護士になったばかりの上村拓夢団員。断られるのを覚悟で出演交渉したところ、2人とも二つ返事で快諾してくれたので、天にも昇る気持ちでした。これで、この企画はどう転んだって盛り上がるだろうと予感しました。
4 意見交換の場を創る。
 しかしこの時点で既に支部総会まで3週間足らずの時期になっており、正直、時間的余裕の点からも、企画立案者の能力的にも、討論会の内容を充実させる方向で企画を詰めていくことは難しいだろうと思いました。そこで討論会そのものに力点を置くというよりは、討論会をネタにして、ギャラリーとして参加している一般支部団員にも各々の意見を披露してもらうことで、支部内で活発な意見交換をする機会を確保する、ということを本企画の意義として位置づけることにしました。果たしてこのような位置づけをしたことは大正解だったと思います。
 企画のタイトルは、「全員参加型平和主義討論会」となりました。(後編に続く)

 

7月27日の「第5回 先輩に聞くシリーズ学習会」では、こんな話をします。

神奈川支部  岡 田  尚

 (1)事件の本質を長いスパン(縦軸)、広いフィールド(横軸)で捉える、(2)大事件にする(ということは普遍的課題と結びつける)、(3)基準は、法理もあるが何より道理あるいは社会的妥当性に関して
 2001年2月、川崎の㈱池貝(1983年6月、44名の指名解雇を断行した池貝鉄工が商号変更)が東京地裁に民事再生手続き申立て。同年4月、全員に解雇予告(ということは、指名解雇されて原職復帰した人は2回目の解雇)。イケガイユニオン(JAM)は、解雇容認、退職金50%で会社と協定締結。JMIU池貝支部は、地裁に地位保全仮処分と工場仮差押、労働委員会に不当労働行為申立て。2002年3月29日、地裁で和解成立(解雇撤回、15名雇用、退職金70%、解決金1億5100万円)。
 この闘いを小泉構造改革の柱である「銀行の不良債権の早期最終処理」の先取りと位置付け、法廷闘争と別に興銀に対する要請行動をくり返した。2001年6月1日付けの週刊朝日は、「銀行が切り捨てる企業」の表題のもと特集記事で池貝をとりあげ、私の談話も掲載された。組合員の1人がTBSテレビの小泉純一郎首相と討論する特番に出演した。
 解決金は、組合が2億円、会社が1億円と主張し、最終的には1億5100万円で決着。5100万円の出どころは、興銀の被担保債権の遅延損害金相当額。裁判長が会社に「興銀に遅延損害金分をまけろと交渉して欲しい」と要請。誰よりも法律に一番厳格な裁判官が、法的には労働債権より優先する銀行の担保権に対し、労働者のために泣いてくれ、と言ったわけである。
 正に、道理が法に勝った一瞬であった。和解調書には、再生手続きに陥った経営責任を問い、前社長の謝罪文を別紙で添付させた。それにしても、破産寸前の会社がよくぞ解決金1億円と提案したものだ。
 (6)「事実」で勝つと言う場合の「事実」とは何か、(7)「事実」と「真実」は違うのか、(8)この事件で問われているものは何か(事件の本質)を把むに関して
 1986年12月、国鉄の分割・民営化の直前、横浜貨車区人材活用センターで助役に暴行したとして、国労組合員5名が公務執行妨害罪・不退去罪で逮捕、勾留され、3名が起訴された。1993年5月、全員無罪判決、一審で確定。仕事を取りあげていながら不必要な「命令と服従」を殊更に強調する助役を国労組合員が取り囲み抗議した。助役の腕に自分の腕を通したり、腰にしがみついてきた助役を横にふったり等の身体接触も当然ある。この事実を主張するのか、主張するならどういう風にするのか、が弁護団としての悩みであった。
 余剰人員としてのレッテルを貼られ、まるでスクラップのように人活センターに収容されるという絶望的な状況におかれながらも、それでも仕事に対する真面目さとひたむきさを失わない姿こそ、立場を超えてすべての人の共感と感動を呼ぶ。
 このような労働者の人間像を法廷で描き切ったときはじめて、被告・弁護団の主張全体に血がかよい、生命が吹き込まれる。
 なぜ助役の一方的通告に対して思わず部屋を出て話し合いを求めたのか、なぜ労働者が人活センター収容の根拠について執拗に質問を繰り返したのか、なぜ助役の「命令と服従」という答えに労働者が怒りの声を上げたのか、なぜ助役執務室のなかに入り話し合いを求めたのか等々。事件の一連の経過が、たんなる事実の羅列ではなく、生身の人間の必然性をもった行為として、意味づけられ真実性をもってくる。
 いったん被害者とされる助役との体の接触を認めてしまえば、それを根拠に暴行を認定されてしまうのではないか、との危惧は、事実の掘り下げや把握がいまだ不十分なところから出てくるものである。冷静に考えれば、本件のような具体的状況のもとで、体の接触が全くなかったということは、逆に不自然であり、弁解がましく聞こえる。しかし、事実に対する強い確信がなければ、これを積極的に述べることは躊躇される。
 このようなレベルに達してはじめて、体の接触と暴行とは、法律論を超え、人間の行為としても、質的に決定的に違うものであることを力強く主張することができるようになる。
 刑事裁判では、あくまでも証拠と論理にもとづいて事実を究明し、事件の本質を明らかにすることが大切である。これを十分に行なわず、単に被告人の人間像を描くことのみに力を注ぐことは、お涙ちょうだい式の人情論か、せいぜい情状論でしかない。
 一般化はできないが、本件のような事件では、被告人の人間像を描き出すことは、重要で不可欠な事実論そのものである。

 

京都ウトロ地区の歴史とヘイトクライムを考える学習会に参加して

京都支部  大 島 麻 子

 2022年6月24日18時より、差別問題対策委員会の連続学習会企画として、「京都ウトロ地区の歴史とヘイトクライムを考える学習会」が、団本部とZOOMでのハイブリッドで開催されました。京都在住の私も、ZOOMを利用して参加させていただくことができました。
 講師の具良鈺弁護士は、ウトロ地区のご出身で、2009年に大阪弁護士会に登録され、在特会による京都朝鮮学校襲撃事件等の弁護団で人権問題に取り組みながら、米国NY大学ロースクール、英国エセックス大学、高麗大学で国際人権とヘイトの研究を行い、現在はソウル在所の米国企業に勤務しておられます。学習会では、ご自身の経験と豊富な知識をもとに、ウトロ地区の歴史、放火事件、ヘイトクライムについての日本の課題など、多方面から講演いただきました。以下、簡略ではありますが、ご講演内容の報告と感想です。
2 ウトロ地区の歴史
 北海道でなく京都にウトロ?と思われる団員もおられるかもしれません。ウトロ地区は、1943年頃、京都軍事飛行場建設の労働に従事させるため、朝鮮人労働者とその家族が暮らす飯場(寄宿舎)が作られ、敗戦後も、行き場を失った方々がそのまま生活するようになった地域です。インフラの整備等は全て自前で、そのため生活環境は劣悪だったものの、皆が自然に助け合い、声をかけあう温かい雰囲気だったそうです。1989年、ウトロ地区の売却を受けた不動産業者が、住民を被告とする建物収去土地明渡訴訟を起こし、2000年、最高裁で住民側の全面敗訴が確定してしまいます。しかしながら、国際社会への働きかけや支援により、2012年に日本の行政とウトロ町内会がまちづくりの基本原則を合意し、2016年に市営住宅工事が開始し、2018年から第1期の住宅への入居がはじまり、記念行事も開催されました。2021年6月には、ウトロ平和記念館の基本構想が発表されます。
3 放火事件
 その直後の2021年8月、ウトロ地区で放火事件が発生し、看板をはじめとする歴史的資料が焼失してしまいます。当初、警察は、「この地区は盗電が多い」「漏電による失火」など、事実無根の理由で不審火として処理したそうです。しかしながら、名古屋の民団及び奈良の韓国学園への放火事件で逮捕された被告人が、ウトロでの放火も自白したことから、本件も放火事件として「発覚」することになります。マイノリティが被害者の事案では、捜査の端緒の場面でも、こうした構造的レイシズムがよく起こるとのことです。
 この3件の放火事件の対象は全て在日コリアン関連施設であり、かつ、被告人は公判でもあからさまな差別的意図を供述していました。しかしながら、被告人からは謝罪や反省の言葉は一切なく、検察の論告でも、「差別」という言葉は避けられていたそうです。
4 ヘイトクライムに対する日本の課題
 ウトロ地区での放火事件は、まさに典型的なヘイトクライムであり、国際的には、ヘイトクライムを人権上の問題と位置付け、様々な基準で差別的動機を認定し、量刑に反映させている国があるそうです。しかしながら、現在の日本の法律上、差別的な動機を量刑に反映させるような明文の規定はありません。もっとも、現在の刑事裁判でも動機の悪質性は量刑上考慮されているので、差別的動機を量刑において重く反映させることは可能なはずです。しかしながら、上記のとおり、検察官は、ヘイトクライムという本質的な部分には向き合おうとしません。
5 最後に
 講師の講演に加え、放火事件の傍聴をされた神原団員からの補充の報告や活発な質疑応答があり、充実した学習会でした。実は、私は京都出身ではないこともあり、ウトロ地区の存在を知ったのは弁護士になってからで、恥ずかしながら具体的な歴史については初めて知ることでした。また、京都で在特会の事件が発生した当時、弁護団に入ったものの、いわゆる名ばかり弁護団でしかなく、全く実働していませんでした。昨年、とある事情から平和の少女像の展示にかかわることとなり、また、今年の5月集会のヘイトスピーチ問題分科会に参加し、あらためて、このまま「無知」「無自覚」でいてはいけないと思い、この学習会に参加しました。8月21日の現地調査にも参加する予定です。

 

改憲阻止へ、取組報告

東京支部  平 井 哲 史

 当事務所には弁護士・事務局全員が参加するMLのほか、所内憲法委員会のMLがあり、それぞれで必要な情報共有をはかっています。その中から、事務局員の林美乃里さんの投稿を、ご本人の了解を得て、取り組み報告としてご紹介させていただきます。
1 署名の取り組み
「林美乃里です。たよりに同封させていただいた改憲反対署名の戻りが、本日(6月28日)時点で1633筆となりました。署名に同封されているお手紙には、『私も地元の新婦人で頑張っています。お互い頑張りましょう』や、『自民党の改憲の圧力に恐怖を感じています』といったお言葉のほか、『いつもはこうした署名に協力していますが、ウクライナとロシアの戦争をみて、9条がこのままでいいのか気持ちが揺らいでいます。今回は署名を見送ります』というお手紙もありました(差出人不明)。
 ロシアの侵略の様子など毎日ニュースで目にするなか、今まで平和活動に協力してくれていた方の中に日本の軍事力に不安と戸惑いが広がっていることを感じました。
 戦争をしない、させないためには9条こそ守らないといけないという主張を、内輪から広げないといけないですね。引き続き集計を続けていきます。」
2 今後の発信をどうするか
(改憲阻止に向けて、どういう層に、どういう呼びかけ、働きかけ、が必要と考えるか。そのために何をするか、という平井からの問いかけに対して。ちょっとだけぼかしてます。)
「林みのりです。前回のみんなの会事務局会議の中で、〇さんから『今の若い世代には署名そのものに抵抗があるのでは』という問題提起がされました。これだけ個人情報保護が意識されているなか、氏名と住所をどこの誰とも分からない団体に教えないといけないことにハードルを感じるのも当たり前だと思います。
 街頭宣伝や署名活動は身一つでできる行動ですから、主体者としては手軽なのですが、受け取る側は参加しにくくなっているのでしょうね。
 10代、20代が参加できるような発信媒体に変えていかないと、こちらが時代に取り残されてしまうな、という危機感はずっとあります。
 四谷姉妹がウケているのも、手軽に、気軽に憲法に触れられるところが良いのだと思います。
 私が小学生くらいの時はテレビで「真剣10代しゃべり場(番組名うろ覚え)」という番組をNHKでやっていました。同じくらいの年齢の人達がひとつのテーマであれこれ議論する様子が新鮮でしたし、『自分の考えをこんなに言ってもいいんだ』という衝撃もありました。その後自分もいろんな人と意見交流する楽しさを知りました。
 こういう「議論の場」を設けるとか、もしくは議論している様子を見せる機会を増やすことが4割を振り向かせることに繋がらないかなと思います。
 例えば戦争賛成派、反対派に分かれてディスカッションするところをYouTubeで流すとか。(重くならないように、漫才みたいな軽い感じで)」

 

木村晋介さんの問題提起に応える

埼玉支部  大 久 保 賢 一

本稿の目的
 木村晋介さんが、団通信1781号で「憲法前文の理念の『かつてない揺らぎ』にどう向き合うか」という論考を寄せている。「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」というリアリティが揺らいでいるから「新鮮で具体的で積極的な議論」をしようというのである。私は、木村さんのこの論考の背景にあるのは、憲法の非軍事平和主義に対する懐疑と「平和を望むなら戦争に備えよ」という古典的な発想だと受け止めている。「木村さんは昔から変わっていないな」と思う。私は、軍事力が幅を利かしているからこそ、憲法の非軍事平和主義の徹底を求めるけれど、木村さんは「転進しよう」と提案しているのである。この違いは方向が真逆なので時間をかけても意見の一致は見ないであろう。 
 それはそれとして、ここでは、木村さんが提起している今年1月3日の核兵器国5ヵ国の首脳声明をどう考えるかについて応答することにする。(他の二つの問題提起について付言しておくと、日米同盟を重点的に批判することは引き続き重要だし、日本が国連の常任理事国になることをバイデンが支持したことなどほとんど無意味だと考えている。)
 最初に結論を述べておけば、この声明はまやかしである。以下、その理由を述べる
声明の概要
 声明の冒頭は「我々は、核戦争は勝つことができず、決して戦ってはならないことを確認する。核兵器の使用は広範な影響を及ぼすので、核兵器が存在する限り、防衛目的、侵略の抑止、戦争の防止のために役立てることを確認する。我々は、このような兵器の更なる拡散を防止しなければならない」とされている。
 続けて「我々は、核の脅威に対処する重要性を再確認し、二国間および多国間の核不拡散、軍縮、軍備管理に関する合意を維持し遵守する。我々は、核不拡散条約(NPT)第6条を含む義務にコミットしている」とした上で、「我々は、核兵器の意図しない使用を防止するための国内措置を強化する。我々のいかなる核兵器も相互に、あるいは他のいかなる国家にも向けられていないことを再確認する」としている。
 結びは「我々は、すべての国にとって安全性が損なわれない『核兵器のない世界』という究極の目標に向けて、軍縮の進展により安全保障環境を構築するために、すべての国と協力していく。我々は、すべての人を危険に晒す軍拡競争を防ぐために、二国間および多国間の外交的アプローチを引き続き模索する。我々は、相互に尊重し、互いの安全保障上の利益と懸念を認識した上で、建設的な対話を追求する」とされている。
「核戦争は戦ってはならない」の意味
 声明は、核戦争は戦ってはならない。核軍拡競争は全ての人を危険に晒すとしている。そのことは余りにも当然のことであって「何を今更」というところである。
 核戦争に勝者はないし、戦ってはならないという合意は、1985年のレーガン米国大統領(当時)とゴルバチョフソ連共産党書記長(当時)との間で確認されていたことだし、昨年の米ロ首脳会談でも再確認されている。核軍拡競争が人類社会を危険に晒すことは誰でも知っている。だから、NPTや核兵器禁止条約が存在し、米ソ(ロ)間での核軍縮交渉も行われたのである。そして、1986年当時の7万発の核弾頭数に比べれば1万2千台まで減少してきているのである。
 それでもなお、全人類にとって危険な状態が続いているのでどうするかが問われているのである。もし、本気で「戦ってはならない」というのであれば、核兵器をなくす方策こそが語られるべきであろう。核戦争ができるのは核兵器国だけなのである。声明は「拡散の防止」は言うけれど、自らの核兵器の放棄は言わない。むしろ、核兵器の必要性を強調しているのである。
核兵器は抑止力
 声明は「核兵器の使用は広範な影響を及ぼすため、核兵器は、防衛目的、侵略の抑止、戦争の防止のために役立てる」としている。「広範な影響」というのは核兵器禁止条約がいう「壊滅的人道上の結末」の生ぬるい言い方であろう。声明はその結末を知りながら、核兵器に依存するというのである。5ヵ国は核兵器を使用するとの意思を持っているのである。結局、声明は国家安全保障のために核兵器使用を選択しているのである。そのことは「すべての国にとって安全性が損なわれない『核兵器のない世界』という究極の目標に向けて、軍縮の進展により安全保障環境を構築する」とか「相互に尊重し、互いの安全保障上の利益と懸念を認識した上で、建設的な対話を追求する」という部分にも表れている。核兵器廃絶は究極の目標とされているのである。それは「今はなくさない」という言明である。
 1980年の国連事務総長報告『核兵器の包括的研究』は、国家安全保障のために核兵器の使用を不可欠の要素とする理論は、国連憲章の理念である「法を通しての平和」と両立しがたいとしていた。
 また、2010年のNPT再検討会議では「核兵器の完全廃棄が核兵器の使用あるいは使用の威嚇を防止する唯一の保証であることを再確認する」と合意されている。この合意には5ヵ国とも参加していた。
 核戦争の危険をなくすための抜本的な方法は核兵器をなくすことだということは誰にでもわかる理屈である。にもかかわらず、彼らはなくさない理由を言い募っているのである。
NPTは6条も含め遵守している?
 声明は「我々は、核不拡散条約(NPT)第6条を含む義務にコミットしている」としている。6条は、核軍拡競争の停止、核軍縮に関する効果的な措置、国際的管理の下での完全な軍縮に関する条約についての交渉義務を規定しているが、声明は、この条文にコミットしているというのである。もし、彼らがこの条文のとおりに振舞っているのであれば、そもそも核兵器禁止条約は必要なかったであろう。5ヵ国が6条を遵守しているというのは「我々のいかなる核兵器も相互に、あるいは他のいかなる国家にも向けられていないことを再確認する」としていることと同様にあからさまな嘘である。
 ただし、5ヵ国がすべての合意を無視しているとはいわない。二国間あるいは多国間の条約が遵守されているケースもあるからである。「合意は拘束する」の法格言は、国際法上だけではなく人間社会の厳然たる掟であって偉そうに言うほどのことではない。
 また「核兵器の意図しない使用を防止するための国内措置を強化する」などというのは余りにも当然であろう。猛犬をつないでおくのは飼い主の義務である。それでも鎖が切れることはありうるのである。
軍縮交渉は可能か
 声明は「軍縮の進展により安全保障環境を構築するために、すべての国と協力していく」などとしている。けれども他方では、核兵器の増加や機能向上のために多額の予算を計上し、核兵器使用の敷居を下げている。北朝鮮やイランにはあれこれ注文しているけれど、自国の核兵器にはしがみついている。ウクライナや台湾での軍事的対決を強めている。東シナ海や南シナ海での覇権主義的振る舞いに及ぶ国もある。安全保障環境を悪化させているのは彼らである。
 「軍縮の進展」だとか「安全保障環境の構築」などとどの口が言うかである。もしそれを言うなら、せめて、全てのICBMから核弾頭を外してからにすべきである。
まとめ
 そもそも、核兵器で対峙しながら安全保障環境を整えることは事柄の性質上無理である。にもかかわらず、こんな声明を出すのは何か思惑があるに違いないと考えるのが自然であろう。私は、彼らは自分たちも核軍縮に気を配っているというポーズをとっているだけだと考えている。核兵器禁止条約が発効し、第1回目の締約国会議も開催されることに「対抗しよう」としたのであろう。禁止条約は核抑止論を否定しているのでそれを普遍化することは絶対避けたいからである。
 「仲の良くない」5ヵ国が共同声明を出したのは、NPT体制は彼らの特権を保証しているからである。そういう意味では5ヵ国の利害は共通しているのである。グテーレス国連事務総長が評価しているのは、せめてその程度のことは言わせたいからである。少しでもいいところがあればそれを褒めてやるのも「大人の対応」である。
 私のこの5カ国声明に対する評価は以上の通りである。木村さんも「これで核戦争は回避される。核軍縮が進む」などと楽観していないようだけれど、核戦争を回避するためには核兵器を廃棄することが唯一の確かな方法だし、それは可能だということも視野に入れてほしいと思う。(2022年7月13日記)

 

ウクライナ問題で考えたこと- 木村団員の批判に応えつつ(上)

東京支部  松 島  暁

 木村晋介団員は、団通信の1772号、1776~1781号と度々投稿され、活発な議論を展開されています。その中には私を名指しで批判されているものもあり、木村さんの提起もふくめて、一度、ウクライナ問題について自分の考え整理しておくのも悪くはないと考えこの一文を作成しました。
 私の基本的立場ですが、ロシアのウクライナ侵攻が国連憲章・国際法に反する違法な行為であること、開戦と戦闘行為及び国際政治上に生じたすべての結果についてプーチンが責任を負わなければならないことは当然だということ、しかし、そのことと何ゆえ戦争が起きたのか、プーチンが開戦を決意した要因は何かを明らかにすることは別だという前提に立ちます。
1 NATOの東方不拡大約束はあったか(1772号)
 木村さんは、ゴルバチョフの発言などを根拠に東方不拡大約束はなかったという立場かと思います。私は、不拡大約束はあったと考えています。私が依拠したのは、シフリンソン「欧米はロシアへの約束を破ったのか―NATO東方不拡大の約束は存在した」
(フォーリンアフェアーズ2014年12月号)と岡崎研究所の「プーチンを勢いづけるバイデンの失言と西側分裂」
(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25639)
 というコラムです。いずれも文書による約束は存在しないことを前提に、前者はそれでも約束は約束、後者は口頭のそれは約束に値しないという立場です。なお、当時のアメリカ外交が対ソ強硬派と融和派のダブルトラックであったことを指摘する研究者もいます(吉留公太「ドイツ統一交渉とアメリカ外交―NATO東方拡大に関する「密約」論争と政権中枢の路線対立」(神奈川大学国際経営論集))。
 論争は論争として継続中ではあるのですが、NATOの東方拡大政策などそもそもなかったとか、それは虚構だというのであれば格別、拡大政策が存在し、それを誘因にウクライナ侵攻をプーチンが決断した以上、リアリズムの観点からは、不拡大「約束」があったかなかったかはさしたる論点ではないと考えています。
2 ロシアはNATOの東方拡大を容認していたのではないか(1777号)
 これに関連して、ロシアはNATOの東方拡大を容認していたとの見方(これは1の不拡大約束問題の裏返しのような論点ですが)主張されています。西欧開明派的な傾向の強いゴルバチョフであればロシアを含めたNATOを構想したかもしれませんが、現政権プーチンが、NATOの東方拡大政策を容認しない以上、この点もあまり意味のある論点とは思いません。(なお、歴代指導者中、プーチンは2位の人気、1位はスターリン、欧米の言いなりと見られたゴルバチョフは最下位でロシア国民にはきわめて不人気です。)
 冷静崩壊後のNATOとロシアを扱った谷口長世『NATO―変貌する地域安全保障』(岩波新書)によれば、ロシアがNATOに融和的態度をとっていた時期があることは事実ですが、ただその場合もそう単純ではなかったことも紹介されています。
3 NATOについての評価は正しいか(1772号)
 NATOそのものをどう見るかは前述の1、2とは異なり重要かつ本質的論点だと考えます。私は、NATOがアメリカを盟主とする帝国主義同盟であり核軍事同盟だと捉えています。この点ではIADLの評価に近く、木村さんとは評価が違います。
 この点を論じ始めれば膨大な紙数が必要となるので、2つだけを指摘します。
 先ず、NATOがその成り立ちにおいて、ソ連に対する核同盟として出発したという点にあります。第2次大戦後の西欧諸国が、共産主義・ソ連を脅威・仮想敵と捉え、通常兵力の不足を核共有によって補おうとしたのがNATOの出発点であり、その基本コンセプトは冷戦終結後も継続したまま今日に至っています。(007シリーズの中に、犯罪組織によって奪われたNATO軍保有の核爆弾をショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドが奪い返すという作品があったかと思います。)安倍元首相による近時の「核共有」発言や岸田首相のNATOオブザーバー参加の動きについては、NATOの基本コンセプトを東アジアにも応用し、中国を仮想敵と考えこれを包囲する核軍事同盟(アジア版NATO)形成の一環だと私は見ています。
 2つ目は、冷戦後のNATOの行動です。これまでNATOが軍事介入し武力行使を行った例としては、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボの戦争、アフガン戦争やリビア内戦などがあります。9.11を口実にアフガニスタンに対し非対称の戦争を仕掛けたのがアメリカに率いられたNATO軍でした。セルビアの意思を無視しその一自治区であったコソボを一方的に国家承認したうえで、首都ベオグラードへ空爆をしたのもNATO軍でした。NATOのセルビア攻撃は、今回のロシアのウクライナ侵略に際しての自己正当化の論理としてプーチンによって援用されました。私にはNATOの行動が、単に国連憲章にふれる程度の行動とは思われませんし、NATOの方がましだとも考えません。
4 ロシアと接する国は緩衝地帯となって中立たるべきか(1772号)
 木村さんは、私が「ロシアと接する国は緩衝地帯となって中立であるべき」だと言っているかのように記されていますが、私は、ウクライナが緩衝地帯として中立を守るべきだと言うつもりはありませんし、ましてやポーランドについてもそのようなことを言える立場にもなければ言うつもりもありません。
 私が言ったのは、地政学の論理からは(プーチンの思考回路では)、大陸国家が自国防衛を図る際、敵国との間に緩衝地帯を置くべきだと考えていること、そのような論理で外交安全保障政策を立案する国(ロシア)が存在するという事実を指摘したものです。そして、そのように思考し行動する国が現に隣国として存在するとき、その現実を踏まえ、利害得失・善悪正邪等々を勘案したうえで、その時の指導者や人民が自国の将来、自らの進む途を選択する以上、その選択は尊重されなければならないと考えています。そして、その選択をした指導者はその結果について責任を負うことになるとも私は考えています。
 フィンランドが今回の事態を受け中立政策を転換、NATO加盟に踏み切りました。世界7月号の柴山由里子報告によれば、社民党所属の首相の方針転換の決断は早かったのに対し、中道選出の大統領の決断は慎重だったとあり、それ程簡単に方向転換がなされたわけではなかったことを窺わせます。個人的には、フィンランドの旧来の立ち位置は貴重なものと考えていましたので、政策転換は残念ではあるのですが、やむを得ない選択だったと考えています。「NATO=軍事同盟」ゆえ加盟すべきではないとの立場ではありません。また、このような結果となったことについてもフィンランドの決断の原因をつくった者としてプーチンは責任をとらなければならないと考えています。
5 NATOはロシアにとって脅威か(1777号)
 木村さんは、NATOがロシアにとって客観的脅威とはなっていない旨を書かれています。しかし、軍事行動に出るか否か、戦争するかどうかにとって重要なことは、脅威があるかどうかが問題なのではなく、脅威だと感じているか、脅威だと思わせる事実が起きているかどうかの方が大事な問題だといえます。
 民主国か独裁国か、行為が正当かどうかを問題とするリベラルの立場からは、客観的に脅威と言えるかどうか、脅威と評価することが「正しい」かこそが問題なのでしょう。ロシアのいう「脅威」なるものは、侵攻を正当化する口実に過ぎず、ロシアの行動は弁解の余地のない蛮行であることを論証するための論理的な前提作業として必要なのかもしれません。しかし、正しいか正しくないかで戦争するのではなく、国益を保護するために戦争する必要があるかどうかで決断するというのがリアリズムの立場です。
(続く)

 

法律家が安全保障政策を議論する(下)

広島支部  井 上 正 信

5 法律家が安全保障防衛政策を論じる際の立場
 通常、国家安全保障、防衛政策は国家の独立、死活的な国益防護が主要な目的です。安全保障防衛政策の結果、他国との武力紛争になった場合、その犠牲は国民が被ります。現在南西諸島を中心にして進められている台湾有事の際の対中国武力紛争を想定した日米の軍事態勢は、もし抑止が破綻して武力紛争となった場合、真っ先に南西諸島の住民が多大な犠牲を払うことを意味しています。
 私たち法律家は、市民一人一人の基本的人権擁護を使命としています。ですから、私は安全保障防衛政策を国民、市民の平和と安全を守るという立場から考えたいと思います。
 安全保障の専門家の議論の特徴は、軍事的合理性を重視し、それを制約する憲法を無視します。法律家は法の支配を大切にして憲法が許容する安全保障防衛政策を選択すべきと考えます。
 憲法前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないよう…この憲法を確定する。」とは、おそらくこのことを述べたものと理解します。
 日弁連は、「戦争は最大の人権侵害である」という認識をコンセンサスにしており、これまで何回かの人権大会、定期大会の宣言、決議でも述べており、「人権のための行動宣言」の中でも述べています。これも同じ認識と理解しています。
 そのように考えた場合、果たして中国は我が国の「脅威」なのか考えさせられます。台湾有事=我が国有事と述べる安倍晋三氏などの有力政治家がいます。本当にそう言えるのか、私は違うと思っています。
 台湾の市民から見れば、中国は万一台湾が独立の動きを実際に始めた場合には、武力侵攻の選択肢をとる可能性を否定していませんので、台湾市民から見れば中国は条件付きの「脅威」なのかもしれません。
 日本にとって中国が「脅威」となるシナリオは、中国が台湾へ軍事侵攻し、その際日米は台湾防衛のために軍事支援をする場合のみです。これ以外はありません。我が国がこのシナリオを採用しなければ、中国は「脅威」にはならないはずです。
 そもそも我が国と中国とは、1972年日中国交正常化以来の日中関係の基本原則が合意されており、それが何回かの首脳会談等を経て4つの基本文書が作られています(日中共同声明、日中平和友好条約、日中共同宣言、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明)。最後の共同声明では、「互いに脅威にならないことを確認」しています。これは現在までどちらも破棄するとは述べていませんので、現在の日中関係を形成している基本原則です。
 国家の安全と国民、市民の安全とが対立する場合、私たちはどの立場をとって行動するのか、その判断が求められます。とてもむつかしい、いろんな議論がある問題です。できればこのような選択を迫られたくありません。
6 「脅威」に対して軍事的抑止力で対処するという選択肢
 「脅威」に対して軍事力で抑止するという考えがあります。その考え方は、相手の「脅威」より自分の「脅威」の方が勝っていることを示そうというものです。それにより相手の「脅威」が現実化することを防ぐことができるという理屈です。いわゆる「抑止力論」はそのような考え方です。
 他方で、相手が「脅威」であれば相手を「脅威」にさせない方策を考える立場もあります。「脅威」というものが、相手の力と意思を掛け合わせたものでなので、相手の意思を変えることができれば、相手の「脅威」を削減することができると考えることができます。
 相手の力を削減することは、軍縮協議ですから、二国間では達成不可能で、多国間軍縮交渉が必要です。
 相手の「脅威」度を削減するためには何をすべきか。自分の方がもっと強い「脅威」になろうとして、相手がそれを受け入れて、それ以上の「脅威」競争から降りることはまず考えられません。中国は米国にとって戦略的競争相手であるくらいですから、日米同盟によりこちらがいくら上回る「脅威」になろうとしても、中国がそれに対抗することをあきらめるはずはありません。これでは互いの「脅威」は高まる一方です。
 そうすると相手を「脅威」にさせないためには、外交政策により相手の意思に働きかけるしかありません。どのように働きかけるのでしょうか。
 武力紛争を避けるためには、その原因を取り除く外交が必要です。台湾問題に引き直して考えれば、中国は台湾の独立は武力行使をしても防ぎます。しかし、それ以外に中国が台湾へ武力侵攻する選択肢はありません。台湾は独立する選択肢は持っていません。台湾世論でも独立を支持する意見はごく少数です。米国も日本も、台湾有事は避けたいと考えています。
 ですから、台湾問題にかかわる当事者はいずれも武力紛争を選択しようとしているのではありませんが、互いに根深い不信と対立の歴史があります。
 中国は現台湾政権を担う民進党は独立勢力であるとみているはずですし、米国による台湾への軍事援助や有力政治家が台湾を訪問、ワシントンで米台安全保障対話をしたり台湾周辺海・空域での日米軍事演習を行うことは台湾独立を援助しているし、台湾が独立志向を強めるとみているはずです。
 日米は、習近平政権は武力で台湾を併合する可能性が高まっているとみています。
 このように互いの不信は根深いものがあります。この不信を取り除くための外交努力を我が国がどのようにして尽くすのか、真剣に考えなければならないはずです。その際台湾問題だけでなく朝鮮半島問題や、南シナ海での中国とASEAN諸国との紛争は、常に連動する問題であることから、北朝鮮問題を巡る6者協議の復活と併せて、ASEAN諸国との協力も必要になると思います。
7 「挑発」という言葉を安易に使用しない
 マスコミ報道では、北朝鮮が弾道ミサイルを発射すれば、「挑発」と言い、中国空軍機が台湾防空識別圏へ進入すれば「挑発」と表現します。私たちもこれに慣らされて、何の疑問も持っていません。
 しかし、北朝鮮の「挑発」、中国の「挑発」は、日本海などでの米韓合同演習、日米合同演習に対抗するものですし、台湾海峡周辺海域での日米共同軍事演習や、台湾への米国有力政治家の訪問、毎月1回行われる米海軍イージス駆逐艦の台湾海峡通過に対抗するものです。
 これらの日米間の動きについては、マスコミ報道は決して「挑発」とは言いませんが、中国、北朝鮮から見れば「挑発」です。北朝鮮や中国の「挑発」という言葉の語感として、こちらは何も「悪さ」をしていないのに、中国や北朝鮮が一方的に「悪さ」をすると、知らずしらず心に刷り込まされます。これにより将来危機が到来した時には、中国・北朝鮮「悪玉論」となり、彼らと戦争するための正当化理由にさせられる恐れがあります。
 戦争をするには必ず政府は正当化する理由を国民に示さなければなりません。日常的に中国・北朝鮮の「挑発」を聞かされておれば、危機の際に国民の意見、思想を総動員することを可能にするでしょう。
 抑止論は相手の「脅威」を強調することがあっても、こちらが相手にとって「脅威」となっていることは考えようとしません。「挑発」もこれと同様です。物事を冷静に見ることという意味には、相手の「脅威」を相対化し、一旦距離を置いて公平に見ることも含まれます。
 次号は日本の安全保障防衛政策が形成された歴史を振り返ってみます。

 

東北の山 ⑥ 森吉山

神奈川支部  中 野 直 樹

「森吉山四季の詩」 
 秋田のアマチュア写真家の富樫弘氏が刊行した写真集が手元にある。副題に「美しい自然の記録」とあるが、移ろう四季、気象、植物、空気、水、太陽の組み合わせが創り出す一瞬の美しさをとらえた作品が130点、目を引きつける。その一枚一枚が富樫氏を引きつけてやまない森吉山の自然の魅力を発している。赤いモヒカン刈りが特徴のくまげらの生息する森にもレンズが向けられている。
阿仁マタギ
 森吉山は北秋田の内陸に位置し、緯度的には八幡平、岩手山と並ぶ奥羽山脈の一員である。麓の阿仁町は、独自の儀式や習俗をもって猟銃を用いて集団で狩猟を行うマタギ文化で知られている。独立峰の周囲にはいく筋もの谷が刻まれている。そのうちの1本、打当(うっとう)川には岩魚釣りで入渓したことがある。ここは大物が釣れる。「四季の詩」には、名がついて愛でられている滝がいくつも紹介されている。冬期には山頂稜線のこめつがが樹氷モンスターに化ける。
 阿仁には江戸時代に産出銅日本一の鉱山があった。
私の森吉山歩き
 2019年9月28日、和賀岳登山をおえて角館から北上して道の駅あに、に車を止めた。峠越えの山中を走る道中には、缶ビール仕込みに当てにしていた酒屋・コンビニがなかった。その寂しさに耐えかねてさらに20分ほど車を走らせて阿仁町の中心まで出向き、駅の近くですでに店終いをしている酒屋の扉を叩いた。快く缶ビールの売買が成立し、道の駅に戻って、この日登ってきた和賀岳歩きを思い返しているうちに眠りに着いた。
 翌29日早朝、嫌な音がした。車の屋根を打つ雨音だった。6時に起き、湯を沸かしレトルトカレーの朝食。ネットで気象情報を得るとしばらくで雲が去っていくとのこと。期待をしながら待つが、なかなか雨が上がってくれない。9時、待ちきれず移動開始した。私が選んだルートは、森吉山の南側につけられた中村コースで、マイナールートである。車で林道を走るが登山口が見つからない。一度、下って今夜の宿に入って尋ねた。どうも見落として通過してきたらしい。ついでの説明では、登山道は整備されていない、とのことだった。
 林道を戻ると確かに登山口があった。駐車場がないので道端に車を寄せて、9時半出発。雨はあがってくれたが、霧が深い。このコースは昭文社の地図によると登り3時間10分、下り2時間30分と書かれている。雨があがってくれただけでもありがたい、稜線にでる昼ごろには晴れるだろう、と何事も前向きに考えようと言い聞かせながら山道を歩む。
 登山道はしっかりしていた。ブナの林の中を歩くときは快適だった。ところがいったん林が途切れると、下草天国。濃密に腰あたりまで伸びているものだから、ポールでかき分けかき分けの動作が延々と続くこととなった。しかも雨がもたらした露がたっぷりとついているので重いし、容赦なく身体を濡らした。スパッツをつけているものの、じわっと靴下まで浸水し始めた。当然、高度があがれば疎林になるので状況は悪化するばかりだった。往生すること極まりない。整備をしていない、ということはこのことだった。
 山に登っているのか、草分けをしているのか分からない時間が経過し、12時45分、ようやく山頂に着けた。ガイドブックには、さえぎるもののない雄大な眺望、秋田駒ヶ岳から鳥海山、さらには男鹿半島から白神山地まで、東北の遠い山並みの山座同定を楽しむことができる、と夢中の撮影が期待される言葉があった。しかし、現実のそこは霧中だった。
 「秋田県立自然公園 森吉山 一四五四米」と記された木の柱、三角点、頭がとれてしまった石仏の写真を撮って、早々に同じ山道の下りとなった。描写する出来事といえば、一五時三〇分に林道に出るも、登り口と場所違いであり、車の在りかを探しまわるのに三〇分を要してしまったこと。
 山登りはいつもうまくいくわけではない。今日は2百名山を登ったという結果だけだった。いつか花の名山ぶりを見に再来したい、と思いながら、打当温泉に向かった。
マタギの湯
 秘境の宿の玄関を入ると、立ち上がった大きなヒグマが天に向かって咆哮していた。もちろんはく製。「ごんた」の名がついている。なぜツキノワグマの世界にヒグマが。1980年代にマタギをテーマにした映画が制作され、この地がロケ地になり、北海道登別温泉クマ牧場出身のヒグマのごんたが巨大なニホンツキノワグマを演じたそうだ。その後北海道に帰らず、近くに開設されたクマ牧場で余生を送り、寿命を全うした後、はく製として保存されることとなった、というくだりのようだ。
秋田内陸縦貫鉄道
 角館から鷹巣まで雪深い山間部を走る。国鉄分割民営化に伴い第3セクターとなった。乗り鉄マニアがマタギの湯に日帰り湯にきていた。調べると、6時過ぎに最寄りの「阿仁マタギ駅」に下り気動車が到着することがわかった。私は、翌朝早起きして、朝飯前に、車で阿仁マタギ駅に向かった。朝霧が出ていた。刈取りの済んだ田には稲がはさがけされ、マタギ駅の前の田んぼにたくさんの人々が立っているのが霧通しで見えた。一瞬、こんな早くになんだといぶかしんだ。さらに近づくと、リアルな案山子だった。「かかし祭り」の看板が出ていた。
 6時08分、白地に赤いラインがはいった一両の車両が停車し、南の角館に向かって走り去った。感覚に反して「下り」方面と記載され、時刻表をみると一番車両は5時27分だった。にわか撮り鉄となった。

写真:提供 中野直樹団員
【和賀岳から望む森吉山 手前は田沢湖】

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