第1783号 8/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●労働者性を争う事件で勝訴しました!  諸 富  健

●生活保護引下げ違憲東京国賠訴訟(通称:はっさく訴訟)勝訴判決について  木 下 浩 一

●支部内で「全員参加型平和主義討論会」を開催しました(後編) 小笠原 里夏

●沖縄県知事選挙への御支援を訴える  仲山 忠克

●全国のみなさんへのお礼・・・仁比そうへい団員の当選  堀 良一(にひネット)

●こんにちは。にひネットです!  にひネット事務局 吉元・久保

●参議院選挙の結果を踏まえて  木村 晋介

●ウクライナ問題で考えたこと-木村団員の批判に応えつつ(下)  松島  暁

●我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(1)  井上 正信

●団100年の「経済史」  大川原  栄


 

労働者性を争う事件で勝訴しました!

京都支部 諸 富  健

1 はじめに
 昨年3月に開催された「雇用によらない働き方」関連事件対策全国会議で報告した居酒屋店長(以下「X1」と言います。)とその妻(店員、以下「X2」と言います。)の労働者性を争う事件について、本年6月22日、京都地裁(裁判官:光吉恵子)で労働者性を認める判決が出ました。労働法制MLで第一報を流しましたが、改めてご報告いたします。
2 事案の概要
 X1とX2は二人で弁当屋をしていましたが、SNSで知り合った被告(以下「Y1」と言います。)から、「居酒屋の2店舗目を出すから俺のところに来ないか?」と誘いを受け、その誘いを受け入れることにしました。X1は2018年7月4日に居酒屋店で勤務を開始し、最初の2か月間は店長見習いとして働き、同年9月から店長となりました。X2はX1に先立つ同年6月、仕事を覚えるために数日間アルバイトとして居酒屋店で勤務し(争いなし)、X1勤務開始後はX1と一緒に出勤、退勤していました。同年11月1日にY1は法人成りしましたが(以下被告会社を「Y2」と言います。)、X1とX2の勤務条件・状況に変化はありませんでした。2019年9月5日、X1が売上げを横領したという理由で契約を打ち切ったため、地位確認及び残業代等の未払賃金を求めて、2020年1月16日に提訴しました。
3 X1の労働者性
 被告らはX1と店舗運営の業務委託契約を締結したと主張しましたが、判決は以下の諸事情を認定してX1の労働者性を認めました。
①X1は店長就任前からY1の指導を受けて店の業務に従事し、その対価の支払いを受けた。
②店長就任後、その職務を行うに当たっても、Y1から店舗運営について具体的な指示・指導を受けていて、Y1から給与支払明細書の交付と同明細書に記載された給与、交通費の支払を受けた。
③Y2に店の経営が引き継がれた後も同様だった。
④2018年末に店舗を閉店し、2019年2月から新たな店舗を開くために同年1月の1か月間準備期間があったが、その間もY1の指示を受けて開店準備のみならずY2が手がける水道工事にも従事し、Y2から給与支払明細書の交付と同明細書に記載された給与、交通費の支払を受けた。
4 X2の労働者性
 被告らはX1がX2を補助者として用いており直接の契約関係はないと主張しましたが、判決は以下の諸事情を認定してX2の労働者性を認めました。
①X2はX1が店長に就任する前からY1の指導を受けて店の業務に従事したことに対し、その対価の支払いを受け、X1店長就任後もY1から直接指示・指導を受けた。
②Y2に店の経営が引き継がれた後も同様にY1から直接指示・指導を受けていたことがあったのみならず、給与支払明細書の交付と同明細書に記載された給与の支払を受けていた。
③新店舗準備期間中や新店舗開店後も同様であった。
5 その他の争点
 労働者性が認められると解雇の有効性が問題となりますが、Y2の主張を認めるに足りる証拠がないとしてX1とX2に対する解雇権行使は無効と判断されました。
 また、残業代等の未払賃金については、X2が独自につけていたタイムシートを採用し、原告らの主張がほぼ認められました(休憩時間30分だけ控除されました)。
6 労働者性が認められた要因
 Y1が署名・捺印している採用内定通知と労働契約書はありましたが、これらはX1が賃貸借契約を締結するために自ら用意したもので、これだけでは不十分でした。ただ、被告らから給料支払明細書が交付され、2019年1月からは源泉徴収までされていることから、これは有力な証拠になると考えました。そして、何よりも大きかったのは、X1とY1との間でやりとりされていたLINEのトーク履歴といくつかの録音データです。LINEのトーク履歴は、X1がY1と知り合ってから解雇されるまで全て残っており、これを見ると入社の経緯から入社後のY1による具体的な指示内容までつぶさに明らかになります。X1は閉店後毎日その日の売上げ等業務報告をしており、それに対するY1の具体的な指示内容も判決で認定されました。録音データでは、店の営業中で客がいるにもかかわらずY1がX1に対して罵声を浴びせる様子、あるいはX1がY2の社員であることを前提とした話しをしたことに対し、Y1がそれを否定することなくX1の発言を肯定したことなどが明らかになりました。一方、被告らは業務委託契約書も作成しておらず、自らの主張を裏付ける証拠をほとんど提出することができませんでした。こうした証拠の差が勝因だったのではないかと考えます。
7 舞台は控訴審へ
 被告らは代理人を替えて控訴しました。こちらも未払賃金の認定に不服があるため(出来高払いでしたが、判決は解雇後の売上げが不明ということで最低賃金を前提に未払賃金を算出しました。)、附帯控訴をする予定です。
 労働者性を認めた一審判決を維持し、さらに未払賃金の点で前進を勝ち取るべく気を引き締め直し、再度皆さまに勝訴のご報告ができるよう全力を尽くします。

 

生活保護引下げ違憲東京国賠訴訟(通称:はっさく訴訟)勝訴判決について

東東京支部  木 下 浩 一

1 本件訴訟について
 2012年12月の衆議院議員総選挙に際し、当時下野していた自民党は生活保護に関し、「給付水準の原則1割カット」をマニフェストに明記し、選挙の結果、自民党が大勝をして政権を奪還、その後、2013年から3回にわたり生活保護費の大幅引き下げを実施しました(以下「本件引下げ」といいます。)。生活保護世帯の96%にあたる200万人以上が対象となり、3年間で、1世帯あたり平均6.5%、最大10%もの生活扶助費が引き下げられ、もともと厳しい生活を送っていた生活保護受給者は、さらに追い詰められるに至っています。
 本件訴訟は、東京都内に住む原告約30名が、本件引下げは違憲違法であるとして、各市区町村に対して同減額処分の取り消しを求めるとともに、違法な生活保護基準を策定したこと自体の厚生労働大臣の過失を問い、国に対して国家賠償を求める裁判です(以下「本件訴訟」といいます。)。
 なお、本件訴訟のことを、通称「はっさく訴訟」と呼んでいますが、これは、第1回目の引き下げが2013年8月1日に行われたことから、旧暦の八月朔日にちなみ、同日を決して忘れないという意味で名づけられたものです。
2 本件判決の内容
 2022年6月24日、東京地方裁判所民事51部(清水知恵子裁判長)は、国賠請求は棄却したものの、本件引下げは厚生労働大臣の裁量権の範囲を逸脱又は濫用するもので生活保護法に反する違法があると判断し、保護費の減額処分を取り消す判決を言い渡しました(以下「本件判決」といいます。)。
 本件判決は、まず、生活保護基準改定についての厚生労働大臣の判断過程の審理判断に関して専門技術的考察を要するとし、また、専門家の審議検討を経て行われてきた「経緯」を踏まえ、専門家の関与のあり方や専門的知見の収集の重要性を指摘しました。その上で、基準改定が基準部会等専門家による審議検討を経ないで行われた場合には、改定が専門的知見に基づく高度の専門技術的な考察を経て合理性に行われたものであることついて被告側で十分な説明をすることを要し、その説明の内容に基づき、統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無が審理判断されるべきであるとしました。
 本件判決は、かかる判断枠組に従い、被告側が本引下げの理由の1つとした「デフレ調整」(物価の動向を勘案して行われた減額調整)について、専門家による審議検討を経ていないことを指摘し、被告側の説明を踏まえた上で、①デフレ調整の必要性についての判断は、食糧費や光熱費等一般低所得世帯の家計に重要な費目の物価はむしろ上昇している等、統計等の客観的な数値等との合理的関連性を欠く、②一般国民の消費実態に代えて物価の変化率による調整を行うとしたことについて、審議会等において示されてきた専門的知見との整合性を有しない、③デフレ調整の起点を平成20年としたことの根拠は結局のところ不明、④減額率を定めるにあたって厚労省が独自に設定した「生活扶助相当CPI」の採用については、同CPIの下落の相当部分がテレビ等の価格下落の影響によるもので、テレビ等の支出額が一般世帯の3割未満にすぎない等生活保護受給世帯の可処分所得の実質的増加の有無・程度を正しく評価できない等とし、厚生労働大臣の判断過程には過誤・欠落があり、本件引下げ全体について裁量権の逸脱・濫用の違法があったと結論づけました。
3 本件判決の影響
 本引下げについては、本件訴訟を含め、全国29の地方裁判所に30の訴訟が提起され、合計約1000名が保護変更決定処分の取消し等を求めています。既になされた地方裁判所の判決は2022年6月24日時点で本件を含め11件であり、その内3件で原告の取消請求が認容されています。
 当初は、2021年2月22日の大阪地方裁判所判決を除き、棄却判決が相次いでいました。言語道断であることに、棄却判決の一部は内容が酷似し、「NHK受診料」という誤字まで同じ「コピペ判決」との疑惑から、司法の責任を放棄したものとの強い批判が噴出し、最高裁長官代理の行政局長が国会で「裁判所の信頼を揺るがしかねないものとして重く受け止める」と答弁するという異常な事態となっていました。
 しかし、その後、2022年5月25日の熊本地裁判決に続き、この東京地方裁判所判決でも原告の取消請求を認容する判決がなされ、初めての連勝となりました。潮目が変わったものと言っていいかもしれません。
4 本件訴訟の今後
 本件引下げから、2022年8月で丸9年となります。本件訴訟の原告の方々だけをみても、高齢の原告団長は亡くなり、病気が悪化して外出できなくなった方もいます。そうした事情を踏まえ、弁護団としては、判決後直ちに、厚労省に対し、控訴せず、直ちに2013年8月以前の生活保護基準に戻すこと 等を求める要請を行ったものの、残念ながら控訴がなされています。
 引き続き、本件訴訟の内外で闘いが続いていきますので、今後ともご支援を賜りたくよろしくお願い致します。

 

支部内で「全員参加型平和主義討論会」を開催しました(後編)

静岡県支部  小 笠 原 里 夏

1 3対3で討論開始
 静岡県支部総会当日、十分な参加者を得て始まった「全員参加型平和主義討論会」の前半、論者6名による討論会では、以下のような論点について、90分弱、熱心に議論が交わされました。
○「恒久平和主義を掲げる日本国としては、ウクライナ戦争をどう受け止めるべきか」
○「ウクライナが自衛戦争を遂行しているときに、軍事的に対抗するなとはどういうことか?という意見に対してどう考えるか」
○「ウクライナ戦争を受けて、日本も自国の軍事力を高め、軍事同盟も強化すべきだとの主張に対してどのように考えるか」
 討論の様子をすべて報告したいのですが、紙面が限られているため、最後の論点についての討論の一部を紹介します。
 「ウクライナ戦争を受けて、日本も自国の軍事力を高めるべきだとの主張に対してどのように考えるか」という点について、軍事力強化派Bグループからは、ロシアが軍事的に劣るウクライナに侵攻したという事実を受け止める必要がある、相手による激しい反撃が予想されればされるほど侵攻の意欲は抑制される、だから軍事力・防衛力を強化していく必要があるし、自国で必要な軍事力を確保できなければ軍事同盟に加盟することが必要である、非軍事・中立化が紛争防止に必要だというのであれば、なぜウクライナ戦争を受けてスウェーデンとフィンランドはNATOに加盟申請したのかという意見が出されました。また、国民の不安に答えるのが政治の役割であり、軍備を拡大して国民に安心を提供する必要がある、国民の不安の声に対して、馬鹿げているとか論理矛盾だといって無視するべきではないとの意見が示されました。
 これに対して軍事力強化を否定する立場のAグループからは、安心と安全は違う、不安を解消するために軍事力を強化しても安全になるわけではない、軍拡による安心は幻想に過ぎないという意見や、既に世界5位の軍事力を持つ状況下で防衛費を2倍にする必要があるのかという意見、反撃のダメージが大きいと予想されれば侵攻のリスクも下がると言うが、太平洋戦争の時に日本がアメリカに挑んでいったことの説明がつかないという意見、ウクライナが弱い国で力の均衡が崩れたから攻められたとみるべきではなく、むしろバイデン政権下で盛んな軍事的支援を米国から得ており、ロシアにとって安全保障上の脅威となったことが侵攻のきっかけとなったととらえるべき、脅威を与えることが抑止ではなく戦争の引き金となったととらえるべきで、日本が防衛費を倍増させることも、中国にとっては軍事的脅威の高まりと映ることになってむしろ戦争を誘発しかねない、軍事的脅威を示すことによって平和を維持するというのは論理矛盾だとの意見が出されました。
 討論にのめり込むあまり、せっかく登壇してくれた若手論者そっちのけで発言しようとする大人げない場面がみられたり、「わたしはやっぱりサイドAの立場で発言したい」と自分の役割を忘れそうになってキャプテンから解任を通告される論者が出てきたりと、エンタメ要素も盛り込みながら(ご本人らは本気)、あっという間に予定された時間が経ってしまいました。
2 「全員参加型」の意見交換タイム
 支部総会参加者には予め評定表を配布し、どちらのサイドに軍配を上げるか、その理由やコメントも記入してもらった上で、後半の意見交換タイムに移りました。
 非武装平和主義を堅持するグループAに軍配を上げた立場からは、現在の自衛隊を前提とすると軍拡の必要はもうないと感じる、軍事的脅威を相手に与えることが戦争の引き金になるというのは理解できる、例え相手が国際法を守らない国であろうとも軍事力に頼るのは平和の決定打にはならない、等の意見が表明されました。
 軍事力強化派のグループBのほうが説得的だったと考える立場からは、一般市民の命を守ることを第一と考えれば、国内が戦争地帯となることを防ぐために軍事力強化をしてもよいと考える、世界に軍事的脅威がある以上、今はBを支持するしかないとの意見、対中国という課題への対策として、軍事力強化は誰でも思いつくわかりやすさがあるが、非武装軍事派は対策の分かりやすさに欠けている、等が出されました。
 サイドA、Bいずれでもないとの立場からは、難しい問題でどちらかに決めかねる、二者択一というのはおかしい、日本は中立であるべきだ、自衛隊が存在する現状維持の下で平和外交を確立すべき、非武装で安心が得られる世界であってほしいが、それを実現する難しさを痛感する等の意見のほか、議論が抽象的、歴史的事実に基づいた議論をすべきだ、一般の人が受け止めやすい理屈や事実を提示する必要がある等の意見も出されました。
 この「評定」の時間では、論者でない出席者も巻き込んで団員間で活発な意見交換ができました。身近な仲間が熱心に討論している様子が、出席者を大いに刺激したのではないかと思います。
3 沈黙しないこと
 正直なところ、討論会については、AもBもどちらも説得力がない(!)等の辛辣な批判が一部あったのも事実なのですが、この難しい問題について、沈黙するのでなく、文字どおり支部全体で議論ができたことには満足しています。今回の討論会を足がかりに、我々団員が、この平和の問題について、社会に対してどのように訴えていくことができるか、検討と取り組みを続けていきたいと思います。

 

沖縄県知事選挙への御支援を訴える

沖縄支部  仲 山 忠 克

1 最大の争点は辺野古問題
 沖縄県知事選挙が来る8月25日告示、9月11日投開票で実施される。現在、3人が立候補を表明しているが、それ以外に参政党が独自候補者擁立を検討しているとの情報もある。いずれにしろ選挙戦は、オール沖縄勢力の推薦する玉城デニー現知事と自公推薦の佐喜真敦氏(前宜野湾市長)との事実上の一騎打ちである。最大の争点は辺野古新基地建設の是非である。
 辺野古新基地建設は現在、キャンプ・シュワーブ沿岸の浅瀬部分の埋立て工事がほぼ完成しているが、それは埋立て総面積の約4分の1、投入予定土砂総量の約1割にすぎない。その後の埋立て工事は、埋立て予定海域の大浦湾の海底に広範囲に存する軟弱地盤の改良工事のための沖縄防衛局による設計変更申請に対して、沖縄県知事の「承認」が必要となるところ、玉城県知事が「不承認」としたことから、ストップした状態である。
 沖縄防衛局が県知事の承認を得るためには、玉城知事が現職である限り、地方自治法245条の8に基づく代執行訴訟を提起し、そこで勝訴する以外にはない。但し、同訴訟が提起されても、設計変更申請は軟弱地盤の安定性につき十分な検討を欠いており承認要件の「災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノ」(公有水面埋立法4条1項2号)とは言えないとの不承認の理由を覆して、沖縄防衛局が勝訴するには極めてハードルが高いと言わざるをえない。仮に今度の知事選挙で自公推薦の候補者が当選すれば、「不承認」は「承認」へと変更され、代執行訴訟は不要となり、法的障害は解消して新基地建設は一挙に加速されることになる。
2 大激戦の選挙情勢
 選挙情勢は、その前哨戦といわれた先の参議院沖縄選挙区の結果が大いに参考となる。オール沖縄の現職・伊波洋一候補が自公推薦の無名の新人候補者に勝利したものの、その票差は僅か2888票である。今年に入って実施された県内4市長選挙でオール沖縄の候補者が連敗してその弱体化がマスコミ等で叫ばれていたが、伊波候補の当選はオール沖縄の底力を発揮して踏みとどまったといえる。しかし、保守政党を名乗り、辺野古推進を公約とした参政党公認候補者が2万票余を獲得した結果として、伊波候補が漁夫の利を得たとの評価もなされている。これらを考慮すれば、知事選挙はまさに予断を許さない大激戦・大接戦となることは必至である。
 日本政府は、民意を無視して強行する新基地建設を正当化しかつ強力に推進するために、今度の知事選挙に尋常ならざる執念を燃やしている。とりわけ辺野古問題が発生した以降、沖縄の地方自治体の首長選挙において、自公勢力の選挙闘争は官邸主導でなされているが、今度の知事選挙はこれまで以上の自公政権丸がかえの選挙戦が展開されることは明白である。これに対抗するためには、玉城再選に向けた全国的な御支援、御協力が不可欠である。
3 玉城再選の意義
 辺野古新基地建設を阻止し、日米両政府にそれを断念させる確かな方途は、玉城知事の再選以外にはない。これはオール沖縄勢力を盤石にし、沖縄県民の米軍基地被害を低減させるのみならず、安保体制のあり様を国民的議論にまで高める役割をも果たすことになる。さらに戦争する国づくりや改憲策動にブレーキをかけるとともに、全国的に展開する市民と野党の共闘を激励し、その存続強化に寄与するという全国的な意義をも有する。
 団沖縄支部は、今度の沖縄県知事選挙の重要性に鑑みて、必ず勝利するとの固い決意を込めて、全国の団員に対して、玉城再選のために物心両面にわたる御支援、御協力をお願いし、併せて沖縄在住の知人に対し玉城再選の御支持を広げていただきますよう切に訴えるものである。
4 カンパの送付先
 沖縄県知事選挙カンパは、次の(1)か(2)のいずれかの預金口座を選択して振り込みをして下さいますようお願いします。
(1)の支部名義の口座への振り込みについては寄付金控除は受けられません。寄付金控除を受けたい方は(2)の口座へ振り込んで領収証を頂いて下さい。
(1)の支部名義口座への入金は、これまでと同様に、支部長個人名義で玉城選対本部と支部名義で沖縄統一連選対(全国からの支援者の受入先)へ分配します。現在までに川崎合同法律事務所から沖縄支部宛にカンパが寄せられ、団神奈川支部からは送金する旨の連絡があったことをお礼を込めて報告いたします。
[振込み口座先]
(1)沖縄銀行二中前出張所
 普通預金 口座番号1394507
 名義人「自由法曹団沖縄支部事務局長 仲山忠克」
(2)ゆうちょ銀行
・ゆうちょ銀行からの振込の場合
 記号17060 番号18756331
 名義人 「玉城デニー後援会」
・他の金融機関からの振込みの場合
 店番七〇八(ナナゼロハチ) 普通預金
 口座番号1875633
 名義人 「玉城デニー後援会」
 なお、寄付金控除にかかる手続きについては、玉城デニー後援会のホームページ( https://tamakidenny.com/donation/ )で確認するか、後援会事務所(電話098-869-3588)に直接お尋ね下さい。

 

全国のみなさんへのお礼・・・仁比そうへい団員の当選

福岡支部  堀  良 一(にひネット)

 7月11日未明、やきもきする気持ちが限界に達しようとする頃、ようやく待ちに待った仁比そうへい団員の参議院議員復活が決まった。
 直後から、にひネットのMLは喜びの声であふれた。
-おめでとう。よかった!徹夜になりましたが、今は何だか脱力感と止まらない涙です。
-弁護士である山添さんやにっひーの議席は宝ですよね!どうか憲法をまもってください。にっひーおめでとう!!!(^^)
-朝6時過ぎに当確が出て、1人家で飛び跳ねました!
-ついさっきまで、比例当選3名確定のニュースに、にひさんは届かず残念な結果だったとばかり思い込んでいましたので、今、にひネットでにひさん当選を知り驚くと同時に大喜びです。おめでとうございました。山添さんとの弁護士コンビでのご活躍を!東京でお会いできるのを楽しみにしています。
-東京は山添さんも当選。自分が投票したお二人が当選してとても嬉しいです。
-今度こそ何としても仁比さんを国会へ!!と、私も、これまでの人生の中の選挙でたぶん一番がんばりました。
-夜明けの朗報に思わずやったーと声が出てしまいました。にひさん、山添さんをと、繋がりのある方に声をかけてきて、良かった~
 2019年との比較では、共産党が448万3411票から361万8342票へと86万5069票減らし、当選者を4人から3人と減らすなかで、仁比さんは個人票を3万3360票から3万6098票に2738票増やし、共産党個人票2位の票を獲得して当選した。
 獲得した票の内訳をみると、共産党が主要活動地域として地域分けした西日本17県では、共産党合計票が2019年から79%に減少するなか、仁比票は93%までの減少に止めた。それ以外の地域では、2019年には仁比票に占める割合が8%と極端に小さかったものを他の主要候補並みに21%に跳ね上げ、共産党上位4人のなかでは割合が一番小さいものの遜色のない票数を獲得した。
 当選の要因は、まず何よりも候補者本人の強い決意と文字どおり死に物狂いの奮闘である。そしてこれに呼応したにひネット事務局の献身的な活動。リーフレットの作成などは、夜遅い時間にLINEのグループメールで頻繁に意見交換を行い、普通の人の普通の感覚を大事にしようと、レイアウト・デザイン・内容のすべてについて、候補者本人も積極的に意見を出して、繰り返し議論していた。
 最終版においては、団通信1782号の池上団員(福岡)や板井団員(熊本)の投稿からも窺われるように、これまでになかったような熱心な票読み活動が行われた。仁比さんの地元北九州市では共産党合計票が2019年の77%という厳しい状況を打ち破り、仁比票を2票だけではあるが逆に増加させるという結果を生んだ。そして、その情熱的な行動のリアルタイムの報告が他の地域を励ました。
 主要地域外で、他の主要候補並みに個人票を掘り起こすことができたのは、なんと言っても全国の自由法曹団員に、仁比そうへい復活の期待を込めて奮闘していただいたことにつきる。団本部が選挙直前の5月集会で山添拓・仁比そうへいのトークライブ企画を集会のスピンオフ企画として位置づけたこと、そこで吉田団長のご挨拶をいただいたこと、団MLで大阪の石川団員や奈良の佐藤団員から、全国からの応援を呼びかけていただく投稿をいただいたこと、実際に全国各地で積極的に動いていただく方が少なくなかったことなどが、大きな力になった。
 にひネットとして、団本部と全国の団員のみなさんに、心からお礼を申し上げたい。
 待ち受けている厳しく複雑な情勢のなかで、山添・仁比の2名のかけがえのない団員議員の存在は、限りなく大きい。
 お二人をおおいに活用しようではないか。

 

こんにちは。にひネットです!

選挙は祭りだ!
 皆さんこんにちは。にひネットです!
 正式名称は「にひそうへい弁護士の政治活動をサポートする連絡会」と言います。2010年の参議院選挙のとき、現職だったにひそうへい団員が落選したことはとてもショックでした。「現職なのになんで?」と。今振り返って考えるとにひそうへい団員の所属する法律事務所の職員なのに「現職だから大丈夫」という勝手な思い込みがあり、積極的に応援行動をしていませんでした。そりゃダメですわね。
 にひネット共同代表の吉野高幸団員(当時北九州第一法律事務所所属)が、その時「選挙お疲れ様のイカの活け造りコースの食事会」を設定してくださいました(のちに私たちの中で語り継がれる「イカ事件」となります)。イカに釣られた私たち。この日からにひネットの正式事務局メンバーになっていました。
 にひネットを大幅にリニューアルして、メンバーも一新。私たちのイカ事件と同じように食事をご馳走になったという堀良一団員もにひネット事務局長として加入。素晴らしく頼りがいのある方で堀団員をリーダーにみんなの気持ちを一致団結させて2013年にはみなさんもご存知の通りにひそうへい団員の当選となりました。西日本を中心に全国の法律事務所の方に「にひ勝利」のメーリスでワイワイ盛り上げていただき、この時の選挙は本当に楽しくて仕方ありませんでした。「選挙は祭りだ!」と思った瞬間でした。
当選したから終わりじゃない!
 「(2013年に)当選したのでにひネット解散ですね」と思っていたら「6年後に向けて活動するんだよ。これから忙しくなるよ!」という嬉しい言葉。
 これまでの記録「ファイティングストーリーにひネット奮戦記」の発行、国会見学、ぞえさんクラブ(山添拓さんを応援する若手弁護士有志の会)とのコラボ企画…などにひ団員のファンを増やす活動をしてきましたが2019年の選挙では残念ながら当選できず…。活動はまだまだ続く…。
2019年からの3年間
 コロナ禍の中での選挙活動はどうなるのかなと思っていましたがこれが案外、リモートでのつどいなど、全国の集まりに参加することが出来て新鮮でした!
 今回は参議院議員山添拓団員の改選と重なり、コラボさせて頂くことも多く、ぞえさんクラブと一緒に戦えたことも大きかったです。にひ団員のご家族で作るファミリーの会作成の応援ソング「そうへいsoul~君の声を聞かせて~」の完成披露、YouTube番組「にひTV」、Twitter、インスタ、facebookも頻繁に更新してきました。中でも1番力を入れたのはリーフレットの作成でした!
友達に手渡せるリーフレットを…。
 前回、2019年の選挙活動の際、友人、とりわけママ友たちにどうしてもにひネットのリーフレットを渡すことができませんでした。どうしても選挙の話を切り出す勇気を持てませんでした。その後悔から、今回は彼ら彼女らにも手渡せるリーフレット、手にとってそのまま置かれてしまうのではなく読んでみたくなるリーフレットを作りたいと思いました。
 昨年の8月末、残暑の中での写真撮影から始まり、秋以降第2弾完成の5月まで、家事、育児の合間を縫って毎週の様にZOOMで会議を重ねました。できるだけ平易な言葉で、できるだけ温かい構図で。「この言い方、党っぽくないかね?」と何度もみんなで確認しながら(笑)少しずつ進めました。
 子供や自分の今の生活、将来が心配…友人たちから聞こえてくるのは、不安と不満です。だけど「どうせ自分の一票では日本は変わらない」。そんな友人たちに「本当にこのままでいいの?」と、自信を持って差し出せるリーフレットができたと思います。
 そして、作り上げた10万部ものリーフレットが、全国の先生方、関係団体の方々の力でものの半月で在庫が尽きた時には、その広がりに感動すら覚えました。
これからの活動
 「わからない」と言っている間に法律を変えられ、ものも言えなくなった国をわたしたちは今、目の当たりにしています。日本がそんな国にならないよう、わたしたちがこれから作り上げる日本の将来のために、無関心な人たち、この事務所に入る前のわたしのような人たちへとさらに広げるために、にひネットは会議と分析を重ね様々な活動ができるようがんばります。これからも全国のみなさんの応援、ご協力、よろしくお願いします!
【にひネット事務局 吉元・久保】

 

 

参議院選挙の結果を踏まえて 

東京支部  木 村 晋 介

団の9条論は「22年体制」に移行できるのか
 今回の参議員選挙結果の最大のインパクトは、9条改憲阻止派議員数が、戦後の改憲阻止運動の直接の目標であった3分の1を割り込んだということにあります。選挙以前になされた世論調査をみてみますと、まずNHKの憲法記念日の世論調査によれば、「9条改正必要は35%、不要19%、どちらともいえない42%」と、必要派がこれまでになく増加しています。また、毎日新聞の5月24日の世論調査では、防衛費を大幅に増やすべきが26%、ある程度増やすべきが56%となっています。これも今までになかったことで、これまでであれば、現状維持が多数を占めていたものです。5月に実施した読売新聞の世論調査では、5月の日米首脳会談で中ロに対する対抗姿勢を盛り込んだ共同声明について、評価するが74%となっています。これらに現れていることのは、何度も危機を乗り越えてきた9条改正阻止運動が、今度ばかりは本当に崖っぷちに立たされたということだと思います。
 今までの9条改憲阻止運動が、(各議院の)3分の1を維持すればよいという「55年体制」に寄りかかっていたのに対し、(もし国民投票を実施されたときには)2分の1を取らなければならないという「22年体制」に移ったということです。団員が何人か当選したからよかったというような、内向きの感慨に浸っているわけにはいかないように思います。
ミッドウエー海戦とノルマンディー作戦もいけないのか
 本誌上で論議を重ねてみて、私は、やはり団員の多くは「非武装平和」論にあるということが改めて確認できたように思います。軍事に対して軍事はかえって国と国民の安全を害することになるから、あらゆる戦争に反対する、という意見がどうやらいまでも団内通説だということです。
 しかし、こんな風に考えてみるのは間違いでしょうか。第二次世界大戦のことです。真珠湾攻撃に始まり、勝ちまくっていた日本軍は、1942年6月、アメリカ海軍を制圧するためにミッドウエー島を攻略しようと最大規模の攻撃を掛けます。しかし、日本はアメリカ軍にコテンパンにやられ、ここから戦況はがらりと変わり、一路日本は敗戦に向かいます。
 ここで、アメリカが「軍事に対して軍事はいけない。外交で」という立場をとっていたらどうなっていたでしょう。軍事的な抵抗はないわけですから、朝鮮半島も中国も東南アジアも植民地として、軍国日本は目標通り大東亜共栄圏を実現し、地球の東半分を支配していたのではないでしょうか。私たちはいまだに軍国主義日本のもとにいることになるでしょう。
 1944年には、ヨーロッパ全体を支配しようとしていたナチスドイツに対しアメリカがリードする200万人の軍勢がドーバー海峡を渡って北フランスに上陸しました。これがノルマンディー作戦で、連合軍は2ヶ月かかってフランスを奪還し、ここからナチスドイツは崩壊することになります。ここで、連合国側が「軍事にたいして軍事はいけない。外交で」という立場をとっていたとすれば、地球の西半分はナチス帝国の支配下になったでしょう。それでいいのか、ということです。
否定できない均衡論・抑止力論
 現代では、核兵器が有ったり、国連が有ったり、条件に違いはありますが、やむを得ざる戦争が有りうるかといえば、有りうるというべきでしょう。ロシアがウクライナを奪取した後、さらに東欧の諸国に侵略を拡大したなら、大規模な反撃(ミッドウエー開戦やノルマンジー作戦の現代版)がやむを得ないものとなるでしょう。おそらくそうはならないと思いますが、そうならないのは何の働きなのか。国際社会の世論でしょうか、国連総会の決議でしょうか。これらは現状ロシアに対してあまり効果を上げてはいないように思います。私はロシアの侵略拡大に効くのは、核を含む西側の軍備の抑止力以外にないと思います(脅威と脅威の均衡による安全保障。大変怖いですが)。軍事に軍事はよくないから武装放棄して外交を、という論理はそのままでは国際社会にも多くの国民にも通用しないこと、安全保障のジレンマを解くカギとして外交に基づく相互的な軍縮の道があること、ここでNGOの力が問われること、などはすでに述べた通りです(本誌1779号拙稿など)。
 いずれにせよ、今の団内の通説だけでは、22年体制(2分の1を説得しなければならない情勢)には全く対応できないと思います。個人の信条として非武装平和が正しいと思う、ということと、政策として国民の多数を説得できる現実的なオルタナティブを示すということは別にすべきだと思います。非武装平和論で9条改正の発議をさせない自信があるというなら、それはそれでいいと思いますが。

 

ウクライナ問題で考えたこと-木村団員の批判に応えつつ(下)

東京支部  松 島  暁

6 ウクライナ危機は欧米のせいなのか(1778号)
 木村さんは、共産党の志位委員長の参院選勝利の総決起集会での発言を引用された上で、ウクライナ危機は欧米のせいだとするミアシャイマー教授の見解に賛意を示したことが、志位委員長の批判する「どっちもどっち」論の域を超えて、西側に主たる責任があるという立場だということになるとされています。
 先ず、志位委員長の発言での「どっちもどっち」論は、ロシアとウクライナとを双方に問題があるという立場のことで、ミアシャイマー教授の主張は、ロシアのウクライナ侵略とプーチンの戦争責任を前提に、ウクライナのNATO化が危機の要因であり、危機の原因をつくったのがどちらか、欧米かロシアかといえば、欧米だとの議論です。ちなみに私は、NATO(欧米)とロシアとは「どっちもどっち」だと考えています。(ウクライナとロシアではありません。)
 なお、政党の委員長が参議院選を前に、ウクライナ情勢についていかなる立場を表明するかは死活的に重要な問題ではあることは理解しつつも、国連憲章と国際法を守り国際世論で侵略を止めるのだという内容では全く不十分かつ非力だというのが率直な感想ですが、志位発言そのものについては、ここではこれ以上触れません。
 さらに木村さんは、「NATOの東方拡大さえなければ、ウクライナ危機は絶対生じなかった、と本当に書いてあるんでしょうか」と記されていますが、そんなこと書いてあるわけがありませんし、そんな乱暴な議論でもありません。しかし、少なくとも私は、NATOの東方拡大がなければロシアの軍事侵攻がなかった可能性は高い、ウクライナがNATOへの加盟申請をしなければ軍事侵攻を回避できた可能性は高い、旧式装備のウクライナ軍のNATOによる近代装備への総取替えや米英軍の軍事顧問団が投入がなければ、プーチンの開戦決断を招かなかった可能性は高いと考えます。ウクライナのNATO加盟・事実上のNATO化という動きがなければ、少なくとも2月24日にロシアが軍事侵攻することはなかったと考えています。
 プーチンのウクライナのNATO化は認めないとの度重なる警告がある以上、アメリカ(NATO)やウクライナ政権中枢部において、このままNATO化を進めれば、いずれロシアの暴発を招きかねないことは当然予測できたはずです。プーチンが本気だとは思わなかったであるとか、不正義の戦争は起こすべきでないから予測しなかったとすれば愚かと言われて仕方がありません(たぶん予測した上での判断・決断だったとは思いますが)。もちろんそれ(ロシアに屈服すること)によってウクライナ側が失うもの-国家としての自立権、ウクライナの名誉など-も多いでしょう。そのうえで、戦争回避という観点からは、上記対応があれば回避できた可能性は高いと考えるということです。
7 独裁国家には遠慮した方がいいのか(1778号)
 木村さんは、「独裁国家には遠慮した方がいいのか」との小見出しのもとで、私の論が「権威主義国家は暴発しやすいので、余りまとまるのはやめておこう、という議論のように思え」とされます。
 木村さんは、「民主国=善→自衛vs権威主義国=悪→暴発」という認識構図を前提とされているのかもしれませんが、権威主義国家が暴発しやすいとは全く考えていませんし、まとまるのは止めておこう等と言ってもいません。私が言っているのは、民主国だろうが権威主義国あるいは独裁国だろうが、それぞれの国には、国益保護のために、ある一線を越えたらば許さないというレッドラインがあるという事実(そのレッドラインなるものが正しくて国際法上是認されるかどうかとは別問題であり)、それを超えることによって起きるアクション(木村さんの表現によれば暴発)については、超える側がその結果についての責任は引き受けなければならないということを主張するものです。
 アメリカにとってキューバに核ミサイルを配置されることはレッドラインを越えることでしたが、キューバ・ソ連はそれを越えませんでした。今回のロシアは、ジョージアとウクライナのNATO化がレッドラインだと何度も表明していたのに、ウクライナ・NATO側がそれを越えたということです。たぶん木村さんは、ウクライナの主権を制限しかねないそんなレッドラインを引くロシアこそが不正義であり悪いのだと主張されるかもしれません。しかし、キューバ危機においても、いかなる国と軍事同盟を結ぶか、その結果、自国に核ミサイルを配備するか否かはキューバの自由で主権的判断だといって核ミサイル配備を強行しようとしたならば、どうなったでしょうアメリカは確実に阻止する、武力を使っても阻止する行動に出たでしょう。その結果起きたであろう事態(核戦争)を考えれば、キューバ・ソ連の判断は賢明だったと言えます。
 また、ナチス・ドイツに対してとった宥和政策が第2次大戦を引き起こしたとして、安易な妥協をしないことがリアリズムだと書かれています。強硬策を主張される論者が自説を正当化するためによく持ち出す論点ですが、第1次大戦の惨禍というヨーロッパの経験、第1次大戦処理の妥当性やナチス台頭の諸要因と各国の政治判断や思惑等々の実証的判断を飛ばし、当時のドイツと現在のロシアを独裁国家という1点で同列に論じ、強硬に対処すべきとすることがリアリズムだとは思いません。
8 ウクライナ戦争はロシアとアメリカの戦争か(1778号)
 外形的にはロシアがウクライナを侵略し、ロシアとウクライナが戦争をしているようにみえるけれど、その実、「アメリカ(NATO)とロシアが、ウクライナを舞台に戦争」をしていると主張することが、ウクライナという国家と国民をプレーヤーから消し去り、その苦悩をネグレクトすることになりはしないかと木村さんは書かれています。
 しかし、現実には、NATO・アメリカからの膨大に軍事支援がなければウクライナ軍のあれほどの善戦はないと思います。また、ウクライナ軍の軍事作戦にはアメリカNATOが収集したロシア軍情報がリアルタイムで提供されていることは広く知られています。さらに、この点の確証はありませんが、アメリカやイギリスの民間軍事会社が相当数現地入りし、ウクライナ軍の軍事作戦を背後から支えているのではないかと推測しています。(ロシア側も民間軍事会社を使っていますが。)
 上記の現実がある以上、ロシアはアメリカNATOと戦争していると見るべきで、木村さんのネグレクト云々の主張は情緒的にすぎると思います。
9 おわりに
 この稿を書いている途中に、深草徹『9条とウクライナ-試練に立つ護憲派の混迷を乗り越えるために』(あけび書房)に接しました(同書を推薦される団員もいらっしゃいます)。そこで展開されている議論のいくつかは木村さんの議論と重なり合うとともに、より先鋭化した書(論争の書であること自体は筆者も自覚されている)ようです。
 特徴は、外交・安全問題を徹底して倫理的・規範的に理解するもので、要は、すべての事態を国際法的に正しいか間違いかで切り分けるという基本姿勢となっています。シンプルで分かりやすい切り分けの結果、筆者の立論が「ネオコン」の議論に限りなく接近してしまっていることに著者自身は気付いていないように思います。
 木村さんの議論が、自由・民主主義・法の支配による世界制覇というネオコンの議論に行き着かないこを望みます。

 

我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(1)

広島支部  井 上 正 信

1 我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返ることの意味
 現在の我が国の安保防衛政策では、台湾有事にどう備えるかということが最もシビアな論点となって、自衛隊、日米同盟の態勢整備が進められています。
 この対中軍事態勢が形成される直接の源流について、6月16日改憲阻止ML03312「対中軍事作戦計画の源流」で詳細に説明しました。今回は、我が国の防衛政策の形成過程を振り返ってみました。長くなりすぎるので、冷戦終結までは簡単に述べます。
 それにより、これから将来どのような方向に向かおうとしているのかを知ることができるし、そこにどのような問題が潜んでいるかも浮き彫りにできるし、私たちが取り組むべき課題も見えてくると考えたからです。
 感想的な総括として、自衛隊と日米安保体制・日米同盟の実態は、常に憲法9条に反する既成事実を先行させながら、9条立法改憲につながる防衛法制の制定となり、徐々に憲法9条を空洞化した歴史であったこと、自衛隊は一貫してその実力が強化され、それに伴い日米の軍事協力の内容も深まり、日米軍事一体化が強化されてきたことが見て取れます。
 若い団員が増えたことから、古い時代のことを経験していないため、すでに古参団員となった私がここでお話しする意味はいくらかでもあるでしょう。
2 冷戦時代の我が国の防衛政策
 自衛隊は1950年に創設された警察予備隊を前進としています。警察予備隊は、朝鮮戦争が勃発した直後の1950年8月に、当時の米占領軍が朝鮮戦争のため朝鮮半島へ根こそぎ動員されたため、米軍基地や米軍の家族、軍属を防護する部隊もなくなるので、急遽占領軍の指令で創設されました。その後警察予備隊は保安隊、さらに自衛隊に組織変更されましが、発足当時から米軍の装備を与えられ、米軍の用兵方法で訓練され、米軍との共同行動をとる軍隊として成長します。
 海上自衛隊は早くから米海軍との共同演習を行い、海上自衛隊はソ連の潜水艦を標的とした対潜部隊として組織され、護衛艦は対潜ヘリ搭載護衛艦(DDH)というわが国独特の駆逐艦となります。
 78年日米防衛協力の指針(ガイドライン)が締結されるまでは、陸自と空自は米軍との共同演習を行っていません。軍事能力がいまだその領域に達していなかったからです。ガイドラインは日米共同作戦計画のグランドデザインというべき内容で、ここから具体的な日米共同作戦計画の作成が進みます。
 ガイドラインにより、日米共同軍事演習を行うことになりますが、共同演習は作戦計画作成のためでもあります。それだけ自衛隊の実力が向上したとも言えます。
 自衛隊が武力紛争において実際に軍事行動をとる場合には、必ず国内法制=有事法制が必要になります。有事法制の制定に向けた動きと、日米共同作計画作りは並行して進められました。1996年7月日米安全保障協議委員会で、日米共同作戦計画の指針を研究協議するため、この下部組織として防衛協力小委員会を設置することに合意し、ガイドライン策定のための日米間で共同作業が進みます。1977年8月福田内閣は防衛庁に対して、有事法制の研究を指示しました。この時全国的に有事法制反対運動が取り組まれます(第一次有事法制反対運動)。
 冷戦時代の我が国が想定した我が国への武力攻撃は、米ソ間の世界戦争での極東戦域における一つの戦場として、北海道へのソ連極東軍の着上陸侵攻でした。それも大隊規模という比較的小規模です。これを迎え撃つため、北海道へは陸自の精鋭部隊が配備されます。主力となるのが機甲部隊、砲兵部隊です。
 この想定を反映させた軍事態勢が、「小規模限定的な軍事侵略に対して独力で対処・排除する」というもので、これを超える侵攻には、自衛隊で持ちこたえながら米軍の来援を待つというものです。
 昭和51年に策定された我が国初の防衛大綱は、基盤的防衛力構想を打ち出しましたが、この防衛態勢を反映させたものでした。
3 冷戦終結後の我が国の防衛政策の変化-その1(安保再定義)
 冷戦終結後初めて作られた防衛大綱が07大綱(95年)です。これとセットになりますが、96年安保共同宣言(東京宣言)が橋本総理・クリントン大統領の首脳会談で合意され、78年ガイドラインの改定を進めることにしました。97年に改訂ガイドラインが合意されます。これらの三文書で合意された内容を、安保再定義と称しています。
 どこが再定義されたのでしょう。安保条約第5条は我が国の施政下の領域にあるいずれか一方に対する武力攻撃があった際に日米の共同防衛、6条は極東の平和と安全に寄与するために日本国内に米軍基地を設置し、米軍が基地を使用できるという二本柱でした。
 東京宣言は、日米安保体制の適用範囲をアジア・太平洋へと拡大し、改訂ガイドラインにおいて、我が国周辺地域で米軍の軍事行動を我が国が軍事支援するということを合意したのです。いわば安保条約5条でもなく、さりとて6条でもない日米共同軍事行動の地理的拡大合意になります。安保条約第5条の事実上の改定に等しい内容でした。
 改訂ガイドラインは周辺事態において日米が共同軍事行動をとるため、自衛隊と米軍の運用を調整するための日米間で調整メカニズム、国内体制を整備するための包括的メカニズムの立ち上げを合意しました。これにより日米の軍事一体化を日米が共同して進める仕組みが出来上がったのです。
 改訂されたガイドラインを実行するため、99年に周辺事態法と翌年に周辺事態船舶検査法が制定されます。
 周辺事態として想定されたものは、表向き朝鮮半島有事での第二次朝鮮戦争ですが、台湾海峡有事も想定されていました。台湾海峡有事を想定したことは隠されていました。このことを面に出せば、日中国交正常化の際に合意されその後発展させてきた日中関係を規定する基本原則に反することになるからです。この点は安保法制法案の国会審議でも同様に隠されています。重要影響事態についての質疑で、台湾海峡有事につき何ら議論がされていないのです。ですから私たちの目には、突然台湾有事が登場したように見えるのですが、すでにこれは97年から始まっているのです。このきっかけになる事件があったことは後の有事法制制定のところで述べます。
 冷戦終結後初めて策定された07大綱には、「小規模限定的な侵略事態へ独力対処・排除」が消されました。つまり極東ソ連軍の一部が北海道へ限定的な武力侵攻をするというシナリオが消滅したのです。これに代えて、07大綱は、(湾岸戦争のような)地域紛争と大量破壊兵器とその運搬手段の弾道ミサイル拡散を「脅威」としたのです。
 我が国に対する主権国家による本格的武力侵攻はなくなったという認識は、その後の16大綱、22大綱まで引き継がれています。22大綱は「冷戦期に懸念されていたような主要国間の大規模な武力紛争の蓋然性は、引き続き低いものと考えられる」と述べています。
 安保再定義は日米安保体制特有の問題ではありません。世界規模で進められた米国を盟主とする軍事同盟の再定義の一部です。
 冷戦時代の日米安保体制、NATOはソ連を仮想敵とした軍事同盟でしたが、ソ連崩壊により仮想敵国は消滅したので、解消しても不思議ではなかったのです。
 しかし米国の軍事同盟政策は、これにより同盟国を支配してソ連崩壊後の米国一極覇権を支える力に利用し、ソ連崩壊により解放された東側諸国の市場を支配することを狙ったものです。
 しかしそれにしても軍事同盟を維持するには、敵となる「脅威」が必要です。ソ連に代わる脅威として登場したのが「ならず者国家」と称される反米的地域軍事強国です。イラク、イラン、シリア、北朝鮮が名指しされています。これらの国家との大規模地域紛争(MRC)を「脅威」としました。
 1991年湾岸戦争が「ならず者国家論」登場の経験となっています。この時米軍は初めてイラク軍による短距離弾道ミサイル攻撃を経験しました。イラクは80年代のイラク・イラン戦争でイラン側へ毒ガス攻撃を行っているので、湾岸戦争でもその恐れがありました。このようなことから、軍事同盟の新しい脅威として「ならず者国家」とのMRC、大量破壊兵器とその運搬手段の弾道ミサイルが挙げられたわけです。
 我が国では北朝鮮が「脅威」の対象となりました。湾岸戦争と並ぶMRCです。米国は北朝鮮との第二次朝鮮戦争を想定し、陸軍50万人、水上艦艇200隻、航空機2000機を動員した米韓連合作戦計画(OPLAN)5027を持っていました。
 92年以降の北朝鮮による核開発が問題となり、94年には北朝鮮の核施設のある寧辺への米軍による空爆作戦がたてられましたが、危ういところで外交的な解決側面に移り第二次朝鮮戦争は回避されました。この時米国は第二次朝鮮戦争を想定して我が国に対して1095項目の詳細な軍事支援[i]を求めてきました。この内容がその後の周辺事態法別表につながります。その後の米朝枠組み合意、六者協議の進展はご承知のとおりです。
 もう一つの「脅威」が台湾有事です。これを裏付けるように第三次台湾海峡危機が発生しました。台湾武力侵攻を想定して95年から96年にかけて中国軍が行った中国軍初の統合演習の最終局面で、台湾の南北周辺海域(基隆と高雄沖海域)へ中国軍が短距離弾道ミサイルを発射したからです。
 米国はこれに対して、2個空母戦闘群を台湾周辺海域へ派遣して、軍事緊張が高まりました。当時の橋本内閣は偶発的な中台武力紛争に発展することを想定し、対中国作戦計画(年度防衛計画)の発動の研究や、沖縄への空自F15部隊の増派、護衛艦派遣などの検討を指示し、米国からは後方支援(敵情報の提供、後送された負傷米兵の治療、補給艦による給油支援など)を求めました。
 この二つの経験から、当時の我が国には米国の軍事的要請にこたえるための国内法制(有事法制)がないと自衛隊による米軍支援ができないとの教訓を踏まえて、有事法制制定の動きとなりました。この当時も団は有事法制反対運動(第二次)を行っています。
 日米安保体制は、これらの教訓を踏まえて、先ほど述べたように96年4月東京宣言(橋本・クリントン首脳会談)、ガイドライン改定へという安保再定義となります。

[1] その内容は、民間空港(新千歳、成田、関西、福岡、長崎、宮崎、鹿児島、那覇)での24時間通関体制、民間港湾(苫小牧、八戸、松山、大阪、名古屋、神戸、福岡、水島、那覇、金武湾、天願)の使用、川上弾薬庫からの弾薬輸送に10トントラック148台、沖縄海兵隊のキャンプと岩国基地でトラックとトレーラー1370台・クレーンとフォークリフト114台、沖縄865個・佐世保240個・岩国228個のコンテナとその輸送、沖縄地区の港湾で11トントラック96台、簡易寝台・毛布など3万セット内2.5万セットは嘉手納用(非戦闘員待避作戦用に)、警察・海上保安庁・自衛隊による米軍施設の警護等々、極めて具体的で生々しい要求。

 

団100年の「経済史」

東京支部  大 川 原   栄

1 団には無用な経済史
 設立100年を迎えた団は、昨年秋に出版事業等を含む記念行事を盛大に行い、その前後における団100年を絶賛する団通信を読みながら、なるほど凄いものだと改めて団活動の歴史に納得・感心した。同時に、この団活動を支えてきた団員あるいは団事務所の経済的基盤等の経済史について、私の記憶する限り、記念誌や団通信において「一言一行も」触れたものはなかった。
2 「所与の前提」としての経済史
 団には「将来問題委員会」というものがあるが、それは後継者養成に関する「ロースクール対策」ということであるとの報告があったことから、なるほど「将来問題委員会」は団の経済的基盤について検討するところではないと納得した。
 そして、団における団員あるいは団事務所の経済的諸問題は、結局のところ「所与の前提」という程度の位置づけであり、それが故に団100年における「経済史」などは、団員とその家族、団事務所事務局員とその家族の生活史等が事実としてあったとしても、さほど検討・議論すべき対象でないことから、100年史等の中に「一言一行も」なかったのだとの理解に至った。
3 「所与の前提」の中身
 「団活動を熱心にやっていれば売上・収入は後からついてくるものだ。」ということが「所与の前提」の基本的内容であり、歴史的にはその理念の下に団員・団事務所・団の諸活動が支えられてきたと思われる。この根本理念が団の経済史の中心にあり、先輩から後輩に脈々と受け継がれ、これは現在進行形でもある。
 団の中心的(中核的)事務所は、各種団体等と緊密な連携関係にあり、その団体等経由での案件や依頼者の獲得(団体自体の案件、団体所属メンバーの個人的案件、団体ないし所属メンバー紹介の各種案件)ができることから、団活動に熱心に取り組めば必然的に案件獲得に繋がることになる。その結果、「売上・収入が後からついてくる」というのも全くもってそのとおりである(これにより事務局がその労働条件等において翻弄された歴史的側面もあると思われるが、それには触れない。)。
 そして、歴史的には、そのような熱心な団活動の成果として個別団員あるいは団事務所に一定の「余力」「蓄積」ができて、新人弁護士の活動や売上に繋がらない弁護団活動、団活動等が支えられてきたのであり(いわば「内部的クラウドファンディング」の実現)、これが団活動経済史の中核だと思われる。
 以前に3年5年ほど経験を積めば「一人前」になったものが、最近は10年ほどかかるようになったとしても、「所与の前提」の根本理念が今も脈々と継続していることに間違いはない。今、団の中心において力を発揮している団員は、今までもそうであったようにこれからも「所与の前提」の下でその活動を維持できるのだから、後輩もまた当然に「所与の前提」を獲得できると思っているのも必然的である。そして、連携している団体等の活動停滞・弱体化等によって案件や依頼者獲得に何らかの影響があったとしても、それはそもそも歴史的に変動してきたものであるから、「所与の前提」にさほどの影響はないと判断・期待しているようにも思われる。
4 「所与の前提」と次の100年
 「所与の前提」で支えられてきた団100年の経済史が、次の100年に向けてどう展開していくのかについては、そもそもそれが「所与の前提」であることから検討・議論する必要性がないのかもしれない。
 団の報告集や団通信を読む限り、団活動は引き続き旺盛であるように思われるが、そこに現れない団活動の底辺部分がどうなっているのかについては、前記の「余力」「備蓄」との関係を含めて少々気がかりではある。しかし、団100年の歴史でもそうであったように、団はこれからの100年においてそこを含めて何とかしていくのだろうと強く期待したいところではある。

TOP