第1785号 8/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●先哲の教えに学ぶ-戦争をなくすために  今村 幸次郎

●我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(3)  井上 正信

●そろそろ左派は経済を語ろう(13)~9条では国を守れない。防衛費2倍に賛成する議論~  伊藤 嘉章

●松島暁さんのリアリズムと非武装平和主義について  木村 晋介

~京都支部特集(その2)~

◆京都支部のご紹介  谷 文彰

◆京都市(国家賠償請求)事件、「和解へ」の報道後、一転和解拒否  塩見 卓也

◆問題だらけの北陸新幹線の延伸計画(敦賀・新大阪間)~後編~  森田 浩輔


 

先哲の教えに学ぶ-戦争をなくすために

東京支部  今 村 幸 次 郎

1 老子の教え
 老子は、「道にもとづいて君主を補佐する者は、武力によって天下に強さを示すことはしない。武力で強さを示せば、すぐに報復される。軍隊の駐屯するところには荊棘(いばら)が生え、大きな戦争の後では、かならず凶作になる」と教えています。
 抑止力強化などといって軍拡競争に走れば、必ず反撃を受けて戦争となる、軍隊を増強すれば経済は荒廃し、人々の生活が困窮する、だから戦争はいけないということです。世界中の為政者に今こそ学んでほしい不変不朽の教えです。
2 ブッダの教え
(1)暴力や殺生はいけない
 ブッダは、いかなる形の暴力も殺生も認めませんでした。ブッダは言います。「じつにこの世においては、怨みが怨みによって消えることはついにない。怨みは怨みを捨てることによってこそ消える」「勝者は怨みをかい、敗者は苦しみを味わう。安らかな人は勝敗を捨て、幸せに生きる」と。
 憎しみが愛と親切さによって静められるというのは、個人レベルの話で、国家レベルではそう簡単にはいかないと思われるかもしれません。しかし、国家とは、個人の集合体で、実際に行動しているのは個人です。個人に当てはまることは国家にも当てはまるはずです。「憎しみに対して親切さで答える」というのは、とてつもない勇気、決断、道徳の力に対する信頼と確信が必要です。相手国に対して、このような態度をとることは容易なことではありません。また、相手国に対して、親切さや寛容さで対応することはリスクを伴うかもしれません。しかし、そのリスクは、核戦争を試すリスクに比べれば、問題にならないくらい小さいものであることは間違いありません。
(2)アショーカ王の政治・外交
 紀元前3世紀に全インドを統一したアショーカ王は、後に仏教徒となり、公に戦争を放棄し、平和と非暴力を基本とする内政、外交を行いました。近隣国が、彼の戦争放棄や平和主義に乗じて攻め込んできた、あるいは、王に対して反逆、反乱があったという歴史的事実は存在しません。ここに現代への教訓があります。真の平和は、このような戦争放棄・非暴力を志向する政治・外交によってもたらされるということです。
 核兵器の脅威による平和維持は愚かな幻想です。武力から生まれるのは恐怖でしかなく、決して平和は生まれません。恐怖から生まれるのは憎しみ、悪意、敵意だけです。それは一時的には相手を押さえ込めるかもしれませんが、いつなんどき暴力として噴出するかもしれません。
 真の平和は、恐怖、猜疑、危険から解き放たれた友好・善隣の雰囲気の中でしか出現しないということではないでしょうか。
(3)約70年前の対日賠償請求権放棄演説
 1951年9月、サンフランシスコ講和会議において、スリランカ(当時セイロン)の故ジャヤワルデネ元大統領は、旧ソ連が日本への厳しい制裁を求める中、自国の賠償請求権放棄を表明するとともに、「憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ」とのブッダの言葉を引きながら、日本の早期の国際社会復帰を訴えました。
 この演説がなければ今の日本はなかったともいわれる歴史的な演説です。ブッダの教えを現実の政治に生かしたリーダーが存在したことは、記憶に留められるべきでしょう。この演説に象徴される考え方が「世界秩序の2国関係の手本」(サンジープ現スリランカ駐日大使)となることが望まれます。
3 戦争をなくすために
 ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射実験、中国の海洋進出、「台湾問題」等々がある中、政治家から、軍事費倍増・軍備増強・核共有・9条改憲が声高に叫ばれています。しかし、「力対力」「軍事対軍事」のやり方は、戦争を抑止するのではなく、戦争の可能性を増大させるだけです。
 今、「戦争を止める」「戦争をなくす」たたかいは重要局面を迎えています。私たちは、文化、芸術、学問、スポーツ、人間の理性・知性を総動員して、「戦争をなくす」取り組みを強めなければなりません。そのために、先哲の教えを振り返るのも有益ではないかと思います。(参考文献:「老子」(蜂屋邦夫訳)、「ブッダが説いたこと」(ワールポラ・ラーフラ、今枝由郎訳)、いずれも岩波文庫。本稿は「働くもののいのちと健康」(2022年夏号)に寄稿した「エッセイ」に一部加筆したものです。)

 

我が国の安全保障防衛政策の形成過程を現在から振り返る(3)

広島支部  井 上 正 信

1 敵基地攻撃=反撃能力保有と自衛隊の変貌
 自衛隊は元来が専守防衛政策により、実際の運用に大きな制限を受けてきました。そもそも自衛隊は、他国領域での戦闘行動を行うことは想定されていませんでした。憲法9条により自衛権行使に地理的限界があったからです。
 そのため自衛隊には他国領域内の攻撃目標のリスト(標的データベース)はありませんでした。また、他国領域での軍事行動を行うための訓練や作戦計画、兵站計画は持っていませんでした。いくら射程距離の長い装備を持っていても、標的データベースがなく、作戦計画もなく、訓練もしていないというなら、他国領域での軍事行動は不可能です。
 他方、米軍は常に他国領域で軍事行動をとることを専門にしてきた軍隊です。ですから米軍には我が国の議論のような敵基地攻撃という概念はありません。これはわが国固有の議論です。米軍にとっては、他国領域で作戦行動をとることは、すべての面で敵基地攻撃になります。
 自衛隊がいわゆる敵基地攻撃=反撃能力を保有することの意味は、これまで専守防衛で他国領域での戦闘行動をとることを想定していなかった自衛隊から、これができるような装備を保有し、そのための部隊編成、部隊運用、作戦計画作成、訓練等のすべての面にわたり大きく変貌することになります。
 すでに自衛隊がそれに向かって変貌を始めていることは、すでに述べたとおりです。陸自の組織変革について一つだけ補足します。
 前号で述べたように陸自は五方面隊に分かれていました。これはわが国へ他国が武力侵攻してきた際に、侵攻してきた地域を担当する方面隊が防衛の主力部隊になるという、典型的な専守防衛の態勢です。陸上総隊を作り、防衛大臣が陸上総隊を通じて全国の陸自部隊を一元的に指揮する体制になったことは、専守防衛の態勢から統合機動運用する体制への変革でした。そのための即応機動連隊には、戦車に変えて機動戦闘車を次々配備されています。機動戦闘車は戦車砲を搭載しながら、装輪車両で、空自輸送機で輸送ができる装備です。
 自衛隊は、防衛大臣が統合幕僚長を通じて統合指揮する体制が作られています。統合幕僚長の任務は、このほかに防衛大臣や総理大臣へのアドバイザーの役割があります。そのため、有事の際には戦闘部隊の一元的指揮を行う任務が十分果たせないとの懸念がありました。
 そこで、統合幕僚長に代わり自衛隊全体を統合指揮する統合司令官を置くことが検討されています。岸田内閣が2022年12月に閣議決定する予定の新たな国家安全保障戦略、国家防衛戦略の中に取り入れられるとの報道があります(2022年6月7日共同通信)。統合司令官設置は、すでに30大綱で、領域横断作戦を行うため「将来的な統合運用の在り方について検討する」と述べていたことを実現させるものです。
 そして統合司令官を置く目的には、中国との武力紛争を想定した日米の共同作戦を迅速・円滑に行うことがあります。
 2018年4月アーミテージ第4次レポートが日本側へ求めていたことです。「日米の作戦協力を深めよ」との標題の中で、日米の結合した統合機動部隊の創設と共に、自衛隊に統合司令官創設を求め、これにより、米軍と自衛隊とが緊密に動くことを可能にすべきとして、日米の統合機動部隊は、台湾、南シナ海、東シナ海での中国との不測の事態に対処できるとその狙いを述べています。
2 我が国の防衛政策の変化が語るもの
 我が国の防衛政策を冷戦時代から冷戦後、そして現在に至る過程を振り返ってみて、いくつかの特徴や問題が浮かび上がっていると思います。
(1)  自衛隊創設以降現在まで、我が国に対する武力侵攻は、米国の軍事戦略とそれにより引き起こされる武力紛争(冷戦時代のソ連、冷戦後の北朝鮮、その後の中国との武力紛争)が我が国へ波及する事態以外には考えられていなかったこと。我が国へ波及するのは、日米安保体制、日米同盟により、我が国と自衛隊が米軍の作戦へ協力し、我が国が米軍の前進基地となっているから。
(2)  我が国の防衛法制、憲法9条解釈は、自衛隊と日米安保体制、日米同盟の実態が先行しながら形成されてきたこと。
(3)  その時々の情勢と米国の軍事戦略に影響を受けながら、日米の軍事一体化が深められてきたこと。そのための制約となる集団的自衛権行使の禁止を乗り越えるため、96年安保再定義以降の我が国の防衛政策は、個別的自衛権行使の制約を徐々に取り払う動きを進めてきたこと。周辺事態法はその最初の国内法制であり、その後の有事法制でさらに踏み込み、安保法制となったこと。
(4)  政府の憲法9条解釈の基本であった専守防衛は、もはや自衛隊の行動を規制する上で限界に達しており、最終的にこれを突破する段階にきていること。
 そのための「仕上げ」が憲法9条の改正であること。我が国の外交防衛政策の基本とされている日米同盟基軸路線により、これらの防衛政策の変化と国内体制の整備が、憲法9条との矛盾をはらみながらも、一貫して進められてきたこと。
(5)  日米同盟基軸路線の結果、我が国の防衛政策では「同盟のジレンマ」の内「見捨てられる恐怖」が支配しており、自主的な防衛政策がとれず米国の軍事戦略を追随し、従属していること。
(6)  これと密接に関連するが、日米同盟の運用は過去の政権交代にもかかわらず変化しなかったこと。
(続く)

 

そろそろ左派は経済を語ろう(13)
~9条では国を守れない。防衛費2倍に賛成する議論~

東京支部  伊 藤 嘉 章

第1 憲法9条では国を守れない。
 当たり前ではないか。9条1項には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。国を守るなどと書いていない。日本はプーチンのような武力の行使をしないと誓い、権力者の手足を縛っているにすぎない。
第2 どうやってまもるのか
 憲法前文②には、「日本国民は、・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。そして、日本はアメリカと安保条約を結び、第5条で「共同防衛」を宣言したのである。
第3 アメリカがあてにならないときのために
 中国やロシアが攻めてきたらどうするのだ。攻めて来られないような強力な自衛隊をつくる。そのためには憲法改正はいらない。防衛予算をGDPの2%に増額する。
第4 防衛費の膨張と円安・インフレ
 もうやめませんか。防衛費を削って保育所をつくれなどのゼロサムゲームのせこい議論は。世の中に金はいくらでもある。財源は、使い道のない金をため込んでいる企業や富裕層から税金として取り上げるとともに国債の大量発行。円建国債のデフォルトはない。政府に国債の償還資金がなければ、国債を保有する銀行が借り換え債を買い続ける。銀行は国債無しで生きていけない。国債というヤク中毒になっている。もっとヤク(国債)をくれと叫んでいる。そして、日銀は高めの指値で国債を買うことを宣言して国債の暴落すなわち長期金利の高騰がないことを証明し実行している。これは黒田日銀の歴史的偉業である。
 自衛のために自衛隊の人員と装備費をGDPの2%、年間10兆円にしてもいいではないですか。しかし、防衛力強化だけでは国は守れない。災害から国民を守るための国土強靭化。食料自給率の向上。国民生活向上のための、科学技術の振興。新幹線や高速道路の交通インフラ整備。将来世代の子育て支援、教育。医療、介護などの国民の厚生のための施策などすべての分野で国庫支出を2倍にする。もちろん司法予算も。100兆円規模から200兆円規模の国家予算に。
 国債の大量発行によって円の信認がうすれ円安が続きインフレが亢進する。いまだに続く給料デフレの終息をはかる。これこそが多くの国民が幸せになれる道ではないか。1985年のプラザ合意の前の1ドル250円くらいの円安になれば、アメリカから小麦や大豆牛肉を買うこともなくなり、中国から野菜を買う必要もなくなり、農業が復活する。円安によって日本国内の労働力が安くなれば、製造業の国内回帰によって、円高で失われた国内雇用が復活する。海産物を外国から買わなくてもよくなり、また林業も復活するかもしれない。
第5 憲法改正に反対する理由
 四度目の唐入りをしないために。古代にあっては神功皇后の朝鮮侵攻、聖徳太子の朝鮮攻略、白村江の戦いという一度目の唐入り。二度目は、豊臣秀吉の朝鮮出兵。三度目は、日清戦争、日ロ戦争、そして1931年の満州事変からの15年戦争。日本は三度の唐入れですべて敗退した。
 日本はアメリカが押し付けた憲法9条によって、ベトナム戦争、イラク戦争、シリア攻撃に参戦しなくてすんだ。聖徳太子でも新羅侵攻をした歴史がある。四度目の唐入りをしないために9条が必要だ。
 どこが攻めて来るのか。そんなことはわからない。しかし、1019年には女真族と言われる刀伊の入寇があった。文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)という元寇があった。攻めて来られないような強力な自衛隊をつくる。そして、敵基地攻撃体制を整えても憲法の許容範囲なのだから、憲法改正はいらない。防衛予算を増強すればよいのです。警察官は毎日拳銃を所持して執務しています。自衛隊が税金泥棒であることはみんなの幸せ。

 

松島暁さんのリアリズムと非武装平和主義について

東京支部  木 村 晋 介

松島さんの依拠される攻撃的リアリズムとは
 松島さんは本誌1782号に、ウクライナ戦争について、ゼレンスキーの責任があるとしています。松島さんの主張を要約すると、(東方不拡大約束があったか否かに関わらず)プーチンが東方不拡大を容認していない以上、隣国ウクライナが自国の安全保障策をたてるにあたってはこのプーチンの態度を前提にするべきで、結局、そこを見誤った指導者はその結果に責任を負うべきだ、ということになります。これがリアリズムの立場だというわけです。これは結局、ロシアの侵略戦争はウクライナのNATO加盟申請に誘因があるという説の再燃です。私は、1778号でこの点に関する主張はしていますので、くり返す必要はないと思います。
 私が注目するのは、松島さんが西側責任論を説くに当たって、「リアリズム」というキーワードを論拠にしていることです。これは、松島さんの今までの論稿からして、国際政治学者ミアシャイマー氏の見解に依拠してのことでしょう(松島さんの1776,1783号の論稿)。私は、松島さんから聞くまでミアシャイマー氏のことは知りませんでしたが、調べてみますと、彼は、国際政治学のリアリズム派の中でも、「攻撃的リアリズム」というかなり特殊な一派の筆頭格のようです。彼の主著「大国政治の悲劇(改訂版)五月書房」を読んで見ました。その主張の特徴はおよそ、国際社会は弱肉強食の無政府状態にある。国家は覇権を目指すべきで、それが生存を保障する唯一最善の方法だ、という剥き出しの覇権至上主義です。ですから国際法とか国連憲章とかには考慮を払いません。普通のリアリズムでは、軍縮や核管理の必要性などが説かれますが、攻撃的リアリズムではそれもありません。一読して、これはプーチンにはとても都合のよい学説だなと思いました。しかし、この論法は「ウクライナのNATO加盟申請があろうがなかろうが、プーチンは覇権拡大のためにウクライナを侵略しただろう」という私見の根拠にもなります。松島さんはミアシャイマー氏の論文を長々と引用されて持論の根拠としているのですから、よほど彼の立場に共鳴したのでしょう。 しかし、ミアシャイマー氏は同著の日本語版はしがきの中で、要旨「日本は中国に脅威を感じているが、国際政治の危険な世界では、パワーを求めてお互いに競い合うほかに生き残る選択肢はない。平和に生きる事に満足している国家も、パワーを求める戦争に巻きこまれる」としています。これに松島さんは共感したのでしょうか。
リアリズムと非武装平和主義は両立できない
 もともと私と松島さんとの論争は、4年前のものを含め、松島さんや団員の多くが支持する非武装平和主義(松島さんの18年5月集会特別報告集p5のほか本誌の論稿)が正しいかかどうかに関わるものでした。ウクライナ戦争にNATOの責任があるかという議論も、「ウクライナが軍事同盟に入ろうとしたことが間違いだ」という非武装平和論の文脈の中で論じられてきました。ところが松島さんはここにきて、「米NATO責任」論を根拠づけるために、盛んにリアリズムの立場を主張され、ついに攻撃的リアリズムの主張を援用されたわけです。
 しかし、そもそもリアリズムというのは、国際関係を性悪説の立場で見る、ということです。「平和を愛する諸国民の公正と信義」には全く期待しないということです。リアリズムの立場は、松島さんと多くの団員の信条であるはずの、平和憲法護持・非武装平和の立場とは180度違うものです。リアリズムはパワーを重視します。安全保障のため核を含む軍備を持つこと、軍事同盟に入ること、などはリアリズムからは当然のことです。リアリズムの立場から「軍事に軍事はいけない」とか「軍事同盟に入るのはよくない」とか「抑止力に頼るのはよくない」とかいう結論は引き出せません。軍備を一方的に放棄したり、軍事同盟を解消する事は、周辺の国に「いつ攻めてきてもよいですよ」というメッセージになる、というのがリアリズムの国際政治観です。
 これに対し、非武装平和主義は、憲法前文どおりの「究極の性善説」「究極のリベラリズム」「究極のアンチ・リアリズム」です。非武装平和主義は「周辺国への緊張関係をなくすために、日米同盟も抑止力も軍事力も捨てようではないか。そうすれば外交交渉によって、ロシアとも中国とも(北朝鮮とも)うまくやっていける」という意見だと思います。これがリアリズムと共生できるはずはありません。一方で攻撃的リアリズムの主張を援用しながら、他方で非武装平和主義を説くというのは自己矛盾です。松島さんの主張を解釈すると「周辺の権威主義国の国際法に反する覇権的行動は攻撃的リアリズムの見地から当然の行為だからしょうがない。日本はリベラリズムで、周辺国の公正と信義に信頼して丸腰外交をしよう」ということになります。これは、リアリズムとリベラリズムのご都合主義的な使い分けに過ぎません。この平和主義は信用を失うでしょう。
 ゼレンスキーがNATO加盟を目指した行為はまさにリアリズムにもとづく行動であり、侵略を受けたことにつきゼレンスキーには全く責任はなく、すべての責任は完全にプーチンにあると思います。また、独裁者が一方的に決めた国際法に抵触する「レッドライン」を受忍する必要は、(攻撃的リアリズムにでも立たない限り)ないと思います(受忍するべきとする松島さんの1783号論稿)。
反米バイアスについて
 もう一つ。ロシアや中国が欧米社会と日本に与えている脅威については松島さんはどのように考えるのでしょうか。権威主義の陣営と自由主義陣営とは当面お互いに脅威を感じながら共存しなければならない時代だと思います。この場合一方(NATO・米)の及ぼす脅威だけを攻撃的なものと評価し、他方(ロシア・中国・北朝鮮)が及ぼす脅威はNATO・米の脅威に対抗するための受動的なもの、と評価する傾向が団内には強くあります。これは、最初からバイアス(反米バイアス)が掛かった、バランスに欠ける議論だと思います(反米バイアスの好例として1781号から1784号までの井上正信さんの論稿、1778号の大久保賢一さんの論稿・これにたいする批判として1780号の拙稿)。米とNATOを攻撃してくれる学説であれば、自分の主義と180度違う覇権至上主義の説でも援用する、という松島さんの姿勢も反米バイアスそのものです。
 厳しい軍事的緊張関係を作り出したのは、陣営のどちらかを問わず、基本的には大国の性だと私は思います。そして世界に及ぼしている脅威という観点で一番大切なのは、現在どの国が国際法・国連憲章に反した行動、力による一方的な現状変更の動きをとっているかで判断すべきでしょう。松島さんは、民主主義と権威主義とで善悪に分けるなといいます。しかし、権威主義国家に国際法・憲章違反が目立つのが現状であり、それが世界秩序を不安定にしています。そこには、「民意」が政治に反映されない国家の怖さがあります。朝鮮戦争やベトナム戦争で核が使われなかった理由の一つに、米国内の反対運動・民意があった。これこそ真のリアリズムだと思います。民主主義が核を止めたのです。常々、日本は民主主義達成度が低い、と嘆く団員が、国際関係になると「民主主義も権威主義も同じ」といいだすのが私にはわかりません。私は、民主制が減退傾向にある中、民主制を広げ守るために我々は努力すべきだと思います(私たちもカンボジアでそのためにささやかな努力をしています)。それがひいては、国際関係を安定させ、安全保障につながるからです。平和と民主主義は一体のものです。リアリズムの中にはこうした考えを否定する傾向があり、松島さんも否定しておられます。それは間違いだと思います。忘れてならないことは、日本は自らではなく、あの戦争の果に戦勝国の手から民主主義を得たこと。そして、多くの人がそれを大切に思い、それを侵略によって失いたくないと思っている事実です。
ウクライナ戦争は米NATO帝国主義の戦争か
 松島さんは、ウクライナ戦争が、ロシア対米NATOの戦いであると繰り返しています。これも、攻撃的リアリズムのミアシャイマー氏が断言しているところですね。そしてその根拠として、米とNATOが武器や情報の支援をしていることを挙げています。しかし、どうでしょう。ゼレンスキーがその民主主義国家を守ろうとしている以上、民主主義国家がこれを支援するのは当たり前ではないでしょうか。ウクライナが人権侵害を続ける独裁国家であったら、ロシアに対する国際的批判もウクライナへのシンパシーはこれほどではなかったでしょう。しかも、武器などの支援と武力の行使は全く違います。武器などの支援は国際法上も戦争には当たりません。また、ウクライナ政府は、欧米の傀儡政権でもありません。米もNATOもロシアと直接的にも間接的にも戦争はしていないのです。松島さんは、「ウクライナへの武器などの支援(国際法上適法)は一切中止しろ」という立場なのでしょう。それは非武装平和主義の立場からでしょうか、リアリズムの立場からでしょうか。ぜひお聞きしてみたいと思います。
 さらに松島さんは1782号で、NATOそのものをどう見るかが重要かつ本質的論点だとされ、NATOは帝国主義的核軍事同盟だとされました。そして、ジェームス・ボンドまで登場させてその根拠をのべられました。その根拠とされた事実については私の認識と違うところがありますが、仮にそれが事実であっても、NATOを帝国主義的同盟というには不足していると思います。私は、帝国主義というのは、他民族支配や実質的に違法な領土拡大を重要なファクターとするものと理解しています。その意味で、ロシアを帝国主義国家と評価することには大いに賛成ですが、NATOが、といわれると理解できません。帝国主義的という言葉の定義もしていただいたうえで論じていただかないと、議論はかみ合わないと思います。
キューバ危機とウクライナ侵略の比較
 松島さんがキューバ危機とウクライナ侵略を比べ、キューバ危機では米がキューバの主権を犯した、キューバとソ連は賢明だったと結論づけていますが、これも反米バイアスそのものです。反論として私の認識だけ述べます。
①   キューバ危機はソ連が「通常兵器と偽って」秘密裏にキューバに、米を狙った攻撃型核ミサイルを現実に配備したことに始まった。米には(プーチンの場合と違い)誰が見てもわかる客観的な脅威があった。ウクライナにはソ連のような背信行為はなく、核の持込みもしておらず、NATOに加盟申請しただけ。しかもロシアが事実上NATOの東方拡大を認めた97年の米ロヘルシンキ会談の共同声明の中で、クリントンは「NATOには、新規加入国に核兵器を配備する意思も計画もない」とロシアに約束している(朝日3月22日夕)。
②   キューバ危機で、米は海上封鎖とキューバ上空に軍用機を飛行させたほかに何ら侵略的な軍事行動は行っていない。ウクライナでは、プーチンは何の事前交渉もなく、核使用の威嚇をして侵略に出た。
③   キューバ危機は、米側のリードで外交交渉が行われ、これによって解決され、戦争に至らなかった。プーチンの戦争は、事前交渉なく開始された。
④   キューバ危機で交渉決裂の場合には、米がミサイル基地を空爆することはあり得たが、一つ間違えば核戦争に進展する可能性もあり、外交的に解決される可能性がかなりあった。核戦争が回避されたのは、相互的核抑止力と「両陣営の賢明さ」によるとされている。ソ連とキューバだけが特に賢明だったわけではない。
⑤   キューバ危機では、米による核脅迫はなかった。
 ウクライナ侵略では、プーチンが一方的に核で脅し侵略した。ロシアに国際法違反が多々あった。

 

~京都支部特集~(その2)

 

京都支部のご紹介

京都支部(事務局長)  谷  文 彰

1 支部活動
 京都支部の事務局長の谷です。何十年ぶりかに京都で総会が開催されることになりましたので、京都支部について簡単にご紹介させて頂きます。
 京都支部は現在73名で、20期以前が5名、20期代が12名、30期代が15名、40期代が5名、50期代が15名、60期代が17名、70期代が4名となっています。40期代が少ないのは他支部も同じでしょうか。
 幹事長は小笠原伸児団員です。支部長という役職はなく、幹事長・事務局長・幹事・会計監査という体制です。幹事の中に事務局を兼任している者がおり、日々の活動の中心はこれらの事務局に担ってもらっています。
 全体での活動ということになりますと、年1回の支部総会が10月にあります(今年は全国総会がその直後にあるので準備が大変そう・・・)。また、支部会議・例会を毎月1回開催しています。最近のテーマは次のようになっており、そのときどきの情勢に即して学者や他支部の団員とも交流しながら取り組んでいます。
・ 1月:公選法学習会(4月の京都府知事選挙に備えて)
・ 2月:京都府知事選挙候補者激励会
・ 3月:京都府知事選挙直前のため例会なし
・ 4月:ウクライナ問題(講師は東京支部の笹本潤団員)
・ 5月:5月集会のため例会なし
・ 6月:維新問題(講師は大阪支部の藤木邦顕団員)
・ 7月:沖縄問題(講師は大阪教育大学教育学部准教授の櫻澤誠先生)
・ 8月:労働問題(講師は龍谷大学)
 また、憲法、労働・貧困、刑事・司法、環境まちづくりの4つのプロジェクトチームがあります。原則月1回の会議を開催し、事務局会議、幹事会でも活動状況を共有しています。街宣の企画や、労働組合や民主団体、平和団体、救援会等の京都府内の各団体との交流は、それぞれのプロジェクトチームが主体となって行っています。
2 その他の活動
 「自由法曹団京都支部ニュース」を年3回発行しています。内容は社会的事件や各団員の活動報告などです。できるだけ幹事以外の団員に投稿してもらえるように工夫しています。
 ホームページ、ブログ、フェイスブックを開設していますが、正直なところ活用できていません。どのような工夫をされているのか、ぜひ経験交流をしたいです。
3 「自由にできる選挙活動」等の選挙活動
 ご存じ(?)、救援会の100問100答と並ぶ選挙活動のバイブル、「自由にできる選挙活動」は1983年に初版が発行されました。民主主義のもっとも基本的な制度である選挙において、制度改悪や弾圧と敢然と闘ってきた京都支部の取り組みを基礎に、「できる活動」に焦点をあてて発行したものです。その後1998年、2008年、2014年に改訂され現在に至っています。
 各首長選挙では投票日の2ヶ月ほど前から法律家選対を開設し、支部団員が分担して民主団体等からの選挙活動に関する問合せに対応しています。このときにも、「自由にできる選挙活動」と同様に、どのようにすればやりたいことが実現できるかという観点からアドバイスをするように心がけています。以前は機関紙・ビラに関する相談が多かったですが、最近はインターネットやSNS、シール投票といった新しいタイプの選挙活動に関する相談が増えてきていますので、支部の中でも知識経験を共有するようにしています。
 それから選挙に立候補する団員も定期的に(?)現れます。その度に全国の団員から物心両面の多大なご支援を頂いており、非常にありがたく、心強く感じています。
4 課題
 そんな京都支部ですが、課題は新人確保です。特に事務局はだいぶ固定化してしまっており、人数的にも近時は厳しく、団全体の課題でもあると思いますが工夫しなければならないところです。

 

京都市(国家賠償請求)事件、「和解へ」の報道後、一転和解拒否

京都支部  塩 見 卓 也

 京都市の児童福祉施設で、施設長が児童虐待を行ったという事実につき、児童の母親から京都市の児童相談所に対し相談があったにもかかわらず、当局が約4か月にわたりその事実につき調査を行わず放置し、事実の隠蔽が疑われる状況にあったことにつき、児童相談所虐待班の職員であった原告が京都市の外部公益通報窓口の弁護士に通報したところ、逆に担当外の児童記録データ無断閲覧やプリントアウト記録の持ち帰り、この問題について職場新年会や組合と当局との交渉で発言したこと、持ち帰った児童記録を破棄したことを理由に、3日間の勤務停止の懲戒処分を受けたという事案で、原告が懲戒処分取消を求め提訴していた訴訟にて、提訴から3年を経た2019年8月8日、懲戒処分を取り消す一審判決を勝ち取り、さらに2020年6月19日、控訴審においても原判決を維持する判決を勝ち取ったことについては、既に団通信でも報告しました。控訴審判決は、2021年1月28日、京都市の上告受理申立を不受理とする決定が出て、確定しました。他方、この事件に関連しては、一審判決前の2019年5月31日に、並行して国家賠償請求訴訟も提訴しておりました。
 この事件は、提訴前から、施設長の児童虐待行為が刑事事件となったことや、外部公益通報窓口となった弁護士が原告の名前を京都市当局に漏らしたこと、母親からの通報が放置されたことについて京都党の村山祥栄議員が京都市会で議会質問を行ったこと、村山議員の質問がきっかけになって懲戒処分ありきの犯人捜しが始まり、その後原告が懲戒されたことなどが、繰り返し新聞各紙で報道されました。懲戒処分後には、自民党京都市議団が京都新聞に全面広告で出した、『市会報告vol.13』に、「一部で主張されているような児童相談所の対応の遅れや隠ぺいはありません。」「職員の不適切な行為については厳正な処分が行われましたが、これは公益通報とは関係ありません。」と記載されていました。本件の懲戒処分が政治案件化していたことを、十分に疑わせるものといえます。
 国家賠償請求事件は、京都地裁第6民事部裁判官の努力によって、長らくの和解協議を経て、和解解決の方向となっていました。和解案では、京都市が原告に対し解決金120万円を支払うことになり、その和解案につき、京都市会の承認が得られれば、2021年12月20日をもって和解解決となる予定でした。そのことは、京都市会に議案が出た段階で、2021年11月17日京都新聞朝刊にて、「京都市養護施設の相談記録持ちだし 内部告発職員と市和解」との表題で大きく報道されました。
 しかし、一転、原告は、京都市との和解を拒否することになりました。理由は、京都市会による和解案の承認に際し付された付帯決議にあります。
 確定判決は、本件懲戒処分理由のうち、児童情報管理システムで担当外児童の情報を閲覧したこと、職場新年会及び職場での組合交渉において、児童の個人情報につき発言したことについては、懲戒事由に該当するような事実自体がないと認定しました。また、確定判決は、児童記録の複写を1部自宅に持ち出し、その後その記録を無断破棄したことについては、懲戒事由には該当する事実があると認定したものの、「本件複写記録の持ち出し行為は、いわゆる公益通報を目的として行った2回目の内部通報に付随する形で行われたものであって、少なくとも原告にとっては、重要な証拠を手元に置いておくという証拠保全ないし自己防衛という重要な目的を有していたものであり、このほかに、本件複写記録に係る個人情報を外部に流出することなどの不当な動機、目的をもって行われた行為であるとまでは認められないのであるから、その原因や動機において、強く非難すべき点は見出し難い」と述べ、この事実を理由に懲戒処分を行うことについては裁量権の逸脱・濫用があるとし、懲戒処分を取り消しました。京都市は、確定した取消訴訟判決の認定に拘束されるのであり(行政事件訴訟法33条1項、最三小判平成4年4月28日民集46巻4号245頁)、取消訴訟控訴審判決の判示内容を尊重しなければならない立場にあるはずです。
 しかし、2021年12月9日、京都市会は、和解を承認する議決に際し、「本件懲戒処分等の原因となった当該児童相談所における児童記録の不適切な閲覧及び処分並びに個人情報の漏洩等に関しては、議会としても、到底、看過できるものではなく、今事件の発生により、本市に対する市民の信頼が失墜したと言える。ついては、二度と同様の事態を発生させてはならず、個人情報の適正な取扱いについて徹底すること。」との付帯決議をつけてきました。
 確定判決は、「京都市児童相談所においては、平成26年当時、職員がその担当外の児童の児童記録データ等を閲覧することは明示的に禁止されておらず、担当者しか知り得ないパスワードの設定も行われていなかった。したがって、担当の児童の児童記録データ等であれば閲覧できるが、担当外の児童の児童記録データ等は閲覧できないという運用はされておらず、業務上の必要があれば担当外の児童の児童記録データ等を閲覧することも容認されていたというべきである。この状況下においては、本件管理基準5条違反の有無は、閲覧の対象が担当の児童のものかそうでないかによって判断するのではなく、正にそこに定められたとおり、閲覧の目的が業務の遂行目的であるかそれ以外であるかによって判断すべきことになる。」と述べた上で、原告の児童記録閲覧は業務遂行目的を有するものであり、懲戒事由に該当しないと判断しています。したがって、確定判決は、付帯決議が述べるような「本件懲戒処分等の原因となった当該児童相談所における児童記録の不適切な閲覧」があったとは全く認定していません。
 また、付帯決議は、「個人情報の漏洩」が「到底、看過できるものではなく、今事件の発生により、本市に対する市民の信頼が失墜した」とも述べますが、確定判決において、原告の行為によって個人情報が漏洩されたという事実は全く認定されていません。
 以上から、付帯決議の述べる内容は、確定した取消訴訟控訴審判決の認定に明らかに反しており、原告の名誉を毀損するものといえます。この付帯決議は、京都市会のHPにも公開されています。そのような付帯決議がついたままで、到底和解などできるはずがありません。
 本件では、懲戒処分取消が確定した後、原告に対し別途、懲戒処分ではない「けん責」がなされたということもありました。国賠事件では、和解拒否の上、このけん責が行政事件訴訟法33条1項に反することや、京都市の担当部局が京都市会に対し説明責任を懈怠し確定判決に反する付帯決議がついたこと、付帯決議自体が京都市会の裁量権を逸脱していること等を理由に、訴えの追加を行いました。国賠事件でも、取消訴訟同様、画期的といえる判決を得られるよう、頑張っていきたいと思います(弁護団は塩見のほか、中村和雄団員、喜久山大貴団員)。

 

問題だらけの北陸新幹線の延伸計画(敦賀・新大阪間)~後編~

京都支部  森 田 浩 輔

(前編は前回団通信を参照)

3 予想される様々な悪影響 その2
~地下を通ることによる環境影響~
 トンネルでの縦断が計画されている南丹市などの山間部には、原生的な自然が残り希少な動植物が生息する「芦生の森」や自然と寄り添う暮らしと地域文化が残る「かやぶきの里」等が含まれており、これらの区域は京都丹波高原国定公園の一部をなしています。アセスの方法書では、自然環境の保全の観点から、自然公園区域等ではトンネル構造とするとしていますが、トンネルであっても約4~7km間隔で幅6m程度の斜坑の設置が必要になるうえ、残土の捨て場や坑口部の工事施工ヤード、工事用道路の設置等が予定されています。これらが与える自然環境への影響は、森林伐採や生息地の分断、工事自体の騒音や車両走行による騒音、工事証明等による動植物への影響等が考えられ、自然と寄り添う暮らしの地域文化も破壊されることになりかねません。
 加えて、計画の大部分がトンネルとなることで地下水への影響も懸念されます。山間部においては、トンネルの影響による水枯れの問題が生じるおそれがあります。現に、すでに工事が完了している福井県敦賀市では、北陸新幹線深山トンネルの影響でラムサール条約に登録された中池見湿地内で水枯れが生じていることも無視できません。また、京都市内を中心とする盆地の地下には、琵琶湖に匹敵する水量があるともいわれる豊富な地下水が存在します。本件計画のトンネルは必要に応じて深度40m以深の大深度地下を活用するとされており、京都盆地の地下全体に広がっていると考えられる地下水への影響は避けられません。盆地の地下水は、京都市民の飲み水、農業、工業等だけでなく、伏見をはじめとする酒造りや豆腐、湯葉の清算、京友禅等京都の食文化・伝統文化とも深く関わっており、本件計画のトンネル設置による影響は極めて深刻なものになりかねません。
 他にも、東京外環道の建設工事において陥没事故が発生したのと同様のシールド工法が実施される予定であることから、本件計画による地下工事においても、地表面の陥没や地下の空洞形成等の影響が懸念されます。
 そもそも大深度地下については、そこでの工事の影響が地表付近には及ばないことを前提として、地上の権利者への補償なしに地下工事ができるとして制度が創られました(大深度地下法、2000年制定)。しかし、東京外環道の事例は、現実には大深度地下における工事の影響が地表付近に及びうることを明らかにしたものであり、その立法事実たる前提が揺らいでいると言わざるを得ません。
4 環境アセスメントの問題
 本件計画に係る事業は、環境影響評価法上の第一種事業に該当するものとして、工事着工に至るまでの各段階において、配慮書、方法書、準備書により機構自らが環境影響評価を行うこととされています。現在、方法書までが策定・公表されており、今後、年内に準備書が公表されるものと予想されます。
 しかし、現在行われているアセスメントでは、①配慮書及び方法書で、ルートが具体的に明示されておらず抽象的であること、②事業を実施しないという「ゼロ・オプション」を含めた代替案の検討、地元住民への説明責任の強化や第三者委員会の設置といった、いわゆる戦略的環境アセスメントの枠組みがとられていないことが問題です。
 ルートの候補は示されているものの、その幅は広いところで10kmを超えています(とくに京都府南丹市~京都府南部にかけてはほとんどルートが絞られていません)。このような具体的なルートが未定の状態は、市民や各関係自治体が十分な意見を述べる基礎が根本的に欠けており、府のアセス専門委員も、「審査のしようがない。事後承諾になるという危機感を持っている」と指摘しています。
5 まとめ
 以上のとおり、本件計画には、経済合理性の見地、環境の保全の見地、また、安全上の見地についてだけでも、様々な問題が懸念されます。これに対して、機構の情報公開及び環境影響評価をはじめとする対応はあまりにも不十分です。
 本件計画については、環境への悪影響の回避・低減策が住民参加の下で十分に合意形成されていないばかりか、その出発点であるルート選定過程における吟味も不十分です。このまま着工に至った場合、日本の経済・社会・環境に深刻な悪影響をもたらすことは容易に想像でき、計画は直ちに白紙にすべきです。
 新型コロナウイルス感染症を経験した社会は大きく変容しました。新幹線を利用した物理的な移動の必要性自体が大きく減退しており、アフターコロナにおいてもこの変化は完全に元に戻るとは思われません。本件計画の大本である、全国新幹線鉄道整備法(いわゆる「全幹法」)は、当時まだ高度経済成長を展望していた1970年に制定されたものであり、その後の社会的・経済的情勢の大きな変化を踏まえた見直しがなされていません。全国各地で起こっている新幹線計画やリニア計画の問題をみても、今こそ新幹線をはじめとした大規模な鉄道整備自体の在り方を抜本的に見直すべき時期だと考えます。

【写真:京都支部の例会企画で南丹市美山町田歌区を訪れ、反対運動を行う住民と懇談したときの様子(2021年8月26日)】

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