第1794号 11/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●五ノ井さんの性暴力事件から自衛隊の実態と「兵士の人権」を考える  佐藤 博文

●残業時間基準以下でも労災認定 飯田労基署 令4.10.27決定  松村 文夫

●四谷姉妹沼津公演 遅ればせの御報告  萩原 繁之

●感想 ~「(学習会)トンデモ校則のなくし方」に参加して~  平井 哲史

●弁護士会、地域で校則問題に取り組もう!  小林 善亮

●「護民官」と「国民の僕」―プロの「目線」  後藤 富士子

●そろそろ左派は経済をかたろう (14)~円安を歓迎し食料安保を推進する議論  伊藤 嘉章

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【京都総会報告(その3)】

■幹事長に再度選任されました  今村 幸次郎

■初心を忘れずに  髙橋  寛

■事務局次長に就任します  久保木 太一

■京都放送労組に学ぶ労働組合のあるべき姿  江夏 大樹

■京都総会プレ企画に参加して~まちづくり運動の現場に立って~  深谷 直史

■団京都総会と諸企画にフル参加して―京都の息吹と最後まで諦めない心意気を感じたくて  守川 幸男


 

五ノ井さんの性暴力事件から自衛隊の実態と「兵士の人権」を考える

弁北海道支部  佐 藤 博 文

事件の概要
 陸上自衛隊東北方面隊に所属していた女性自衛官の五ノ井里奈さんが、部隊で受けた性暴力について、本年6月に退職して7月に実名で告発した。その内容がインタ-ネットやマスコミで報道され、社会に衝撃が走った。
 まずは、彼女が受けた性暴力を、告発事実から確認しておきたい。
 「自衛隊に入隊してからセクハラは日常的に受けていましたが、私が告発を決意したのは、2021年8月3日に起きた性被害でした。訓練場所の宿舎で、先輩の男性隊員3名が、かわるがわる私の首をキメて押し倒し、私の股を広げ、陰部に性器を何度も押し当てるようにして、腰を振ってきたのです。その様子を見ていた男性隊員は他にも十数名いたのにも関わらず、止めてくれる隊員はおらず、笑ってみている状態でした。
 私の被害申告を受けて、自衛隊の総務・人事課にあたる1課が取り調べをしましたが、目撃していた男性隊員は、誰も証言してくれませんでした。このままではいけないと思った私は、自衛隊内での犯罪捜査を専門とする警務隊に被害届を出し、取り調べをしてもらった結果、強制わいせつ罪で検察庁に書類送検になりました。検察官の取り調べでは、「五ノ井さんの証言は真実なものだと思うけど、20人が見ていない、やっていないと言ったら難しくなってくる」と言われました。そして、2022年5月31日不起訴という結果が出ました。」
暴力性・犯罪性
 自衛隊内のセクハラは、巷間で言う「セクハラ」とは違い、暴力性と犯罪性に特徴がある。彼女が「入隊してからセクハラは日常的に受けていました」と言うように、2020年4月の入隊時から「洗礼」を受けていたが、それが部隊内で問題にされることはなく、彼女も問題にしたことがなかった。
 彼女は、2021年8月3日の性暴力を契機に、訓練の責任者である中隊長に訴えた。しかし、実は、同じ性暴力を6月24日に同じ山中の訓練中にテントの中で振るわれていたが、このときはまだ上官に訴えることをしていない。
 彼女の勇気ある告発に共感の輪が広がったが、そのような彼女をして、部隊のセクハラを告発するハ-ドルは、それほど高いものだった。このハ-ドルの前に、精神を病んだり自殺する隊員がいかに多いか、想像に難くない。
集団性と組織的隠蔽
 彼女に対する性暴力は、中隊の山中での訓練中に起き、約50人の隊員が参加していた。この中隊において、彼女への性暴力行為を見ていた男性隊員は加害隊員の他に十数名おり、止める隊員はおらず笑ってみている状態だったという。特別防衛監察は、同僚の女性隊員も被害に遭っていたと公表した。
 深刻なのは、部隊の調べに対して「目撃していた男性隊員は誰も証言してくれない」ことだが、実はこれも自衛隊における性暴力の特徴である。
 第1に、軍隊では「精強さ」が求められ、それが「男性性」と結びつき、「軍事文化」を形成していることである。従って、ハラスメントは女性だけでなく(弱い)男性にも向けられる。市民社会の常識の空洞地帯なのである。
 第2に、集団性である。彼女の性暴力事件を初めて知った時、私は、幹部や先輩達が自分より下の隊員を使った「度胸試し」「悪ふざけ」の可能性があると思った。すなわち、加害者の「私行上の非行」ではなく、中隊ぐるみの「集団犯罪」の可能性があることである。
防衛省の対応
 彼女は、昨年9月18日に警務隊に強制わいせつ罪として被害届を提出したが、福島地検は今年5月31日不起訴処分にした。警務隊は自衛隊内の治安組織であり部隊の方針に反することはせず、検察は警務隊に丸投げなので、予想された結果である。
 これに対し、彼女は検察審査会に申し立て、7月からインタ-ネットを通じて実名で社会に訴えた。「第三者機関」の設置による調査と加害者の処罰を求め、「自衛隊内におけるハラスメントの経験に関するアンケ-ト」を呼びかけたのは、前述した経緯から正鵠を射るものだった。
 オンライン署名は10万筆以上集まり、アンケ-トには146人の回答が寄せられ、8月31日に防衛省に提出すると、防衛省は9月6日、全隊員を対象にハラスメントに関する特別防衛監察を行なうと発表した。
 9月27日、防衛省は、彼女に対する性暴力の事実を認めて謝罪し、10月17日、加害者4人が彼女に直接謝罪した。
問題の本質と今後の課題
 ところで、防衛省が、南ス-ダンPKO派遣の日報隠蔽以来となる特別防衛監察に踏み切った理由は何か。それは、内閣官房や国会に介入させず(前回は国会の追及、大臣や幹部の更迭に発展)省内で片づけるためと考えられる。
 すなわち、防衛省は、全隊員を対象に行なうと大風呂敷を広げたが、実際は隊員の申告に基づくので、上命下服の組織で加害者が上司であるケースが多いため申し出る者がほとんどいないことを折り込み済みだった。こうして、事実上彼女の案件の「早期決着」を図り、組織ぐるみの犯行であり、組織ぐるみで隠蔽したことが致命的な政治問題に発展しないようにしたのである。
 そこで、自衛官の人権弁護団は、そうさせないために、9月13日、「自衛隊ハラスメント特別防衛監察に対する要請書-自衛隊員や家族からの相談や裁判などに基づいて」を防衛大臣宛に提出し、報道機関にも送り、自衛隊内ハラスメントの実態と真の解決方向を示した(同日付け改憲阻止メ-リス参照)。
 10月17日の加害者4人の謝罪で一応の決着がついたが、集団犯罪性(他にも幇助など共犯者がいる)、幹部責任(厳格な懲戒処分)の追及はまだこれからである。

 

残業時間基準以下でも労災認定 飯田労基署 令4.10.27決定

長野県支部  松 村 文 夫

1. 2020年4月会社(飯田)から業務中に飛び出して、車で高速道に乗って北信の山道で自死した吉田午郎(行年34歳)について、労災申請したところ、この10月27日飯田労基署は、労災認定した。
 労災認定では、長時間労働偏重の傾向があり、残業時間が100時間程度にならないと認定されないなかで、これをはるかに下回っても認めた事例として報告したい。
2. 吉田の勤務していた多摩川精機は、国内有数のモーター関係の開発製造をしている会社であるが、吉田は、2017年頃からリニア新幹線に搭載する機器3種類の開発業務を担当していた。
 ところが、2020年3月年度末が納期になっていた機種が最後の振動試験で損壊してしまったことから、吉田は、延長された4月20日納期に間に合わせるべく、4月10日は自ら組立して試験担当者と4回にわたって段取りの打ち合わせをしていたところ、営業担当からは、始業前から昼食時にかけて4回にわたり、「間に合わないのであれば、予めJRに連絡するように」と電話が来ていたうえに、午後上司から「組立は専門部門が行うべきで、自ら組立てることは認められない」と叱責された。その直後に吉田は、会社をとび出して自死してしまったのであった。
3. このような自死当日の経過を見れば、業務が原因で自死したことは明らかであるが、労災認定においては、業務と自死との間に精神障害の罹患を要件として介入させているために、次のような問題が発生している。
① 業務による精神障害(うつ病)の発症は、残業時間が認定基準の100時間を超えると認められやすいが、それ以下の残業時間であったり、残業時間以外の事由による場合は認められにくい。
② うつ病発症前の労働実態だけが判断対象となり、うつ病発症後の過重な労働は判断対象外となり、しかも、うつ病発症と自死までには2週間程かかるので、自死前2週間の過重労働は判断対象外となる。
4. 以上の労災認定基準の考えからすると、本件では、上記した4月10日の出来事が判断対象外となってしまう。
 しかも、本件では、会社によって残業や休日出勤が厳しく制限されていて、吉田の場合は、年度末の3月には、残った休日日数を消化しなければならず、自死直前の1か月はむしろ労働時間が短くなっていた。
 吉田の残業時間は、会社のタイムカードによる算出のうえに、会社から配布されていたPCの操作時刻を考慮して加算しても、最も多い自死5か月前でも68時間で、労災認定基準にははるかに及ばない。
 こうなると、労災認定基準では、長時間残業以外の出来事で心理的負荷の強度「強」をとらなければならないが、これはなかなか認定されないのが実情である。
 結果的には、認定基準に定める出来事のうち「4 仕事上のミス」「15 仕事の変化」「31 上司とのトラブル」についていずれも「中」であるが、総合的に「強」と判断されたのであった。
 最近パワハラを理由とする認定例が増えてはいるが、「強」を立証する証拠を得ることは難しく、本件では、上記31項において「業務範囲内の強い叱責」で「中」にとどまってしまった。
5.団通信でも報告され、私も資料を送っていただいて活用した名古屋高裁令3.9.16トヨタ自動車判決は、残業時間がなくとも労災と認められたのであるが、自死から11年もかかっての逆転勝訴である。
 なお、私が松丸・金枝団員と共に担当した小池労災 も残業時間が最長月52時間であっても、伊那労基署2017年1月20日決定で労災認定されている。
 今後、残業、休日出勤については会社がそれなりに規制しても、ノルマ、納期がかえって負担となってしまって自死に追い込まれるケースが多くなりそうなので、残業時間が短くとも労災認定に挑むことが重要であると考える。
 「働くもののいのちと健康を守る全国センター」は、労災認定基準の改善要求として、「労働時間偏重から総合的な判断へ」「発病後の症状の悪化についての業務起因性を認めること」を掲げているが、本件でも痛感した点である。
6.なお、本件において、労基署が社員からの聴取の場に会社代理人弁護士の立会を認めたことが発覚した。
 調査の過程、内容について、労基署は、私たちが訪れて行っても一切明らかにしないのに、会社に対しては筒抜けにしたことに対して、抗議して来た。労災認定されたからと言って、見過ごすことはできない。
 今後過労死弁護団とともに追及して行きたい。
7.本件は、一由、及川、根岸、金枝の若手団員が分担して吉田の業務、担当製品を分析して、その過重性を明らかにできた。
 私は、電気の交流を直流に転換する装置「インバータ」などと資料に書かれていると、ゲームの「インベーダー」と混乱してしまう程度のレベルであったところ、若手チームで分担して製品ごとにいくつもある納期の定め、遅れを分析したのは、さすがである。
 私は、労災申請書作成では大した貢献ができなかったことから、労災申請後2か月ごとに、遺族と共に飯田労基署に赴いて、署名と共に補充意見書を作成して提出した。その回数は8回、補充意見書7通となった。
 私は、ちょうど30年前の1992年亡林豊太郎団員から引き継いだ飯島事件で、1999年3月長野地裁において、蓄積疲労による自死に労災を適用する全国初の判決をかちとって以来、過労(自)死事件に取り組んで来たが、本件でも高齢ながら貢献できて嬉しくなっている。

 

四谷姉妹沼津公演 遅ればせの御報告

静岡県支部  萩 原 繁 之

 「四谷姉妹」こと、東京法律事務所所属の岸松江団員と青龍美和子団員からなる「阿佐ヶ谷姉妹」トリビュートの弁護士お笑いコンビが、今年5月4日付けの東京新聞1面トップで紹介されてから、半年。僕のFacebook友達の八坂玄功団員によると、今月13日には、中野区でも公演があるとのことであり、徐々にブレイクしつつあるように思われる。
 このようなご時世を踏まえ、4か月前のイベントの御報告であって、大変おくればせではあるが、今年7月16日に沼津で「オリーブ・ジャム」主催の「戦争と平和を考える市民のつどい」で四谷姉妹沼津公演を開催したことを御報告させていただくことにする。
 「オリーブ・ジャム」は、PKO協力法が成立してしまった1992年、既に地元沼津で毎年憲法記念日に憲法集会を開催していて、その原動力となっていた当時染め物屋若主人だった(現行政書士の)Tさんが、「憲法記念日ばかりではなくて、戦争や平和の問題について、継続的に考えるような企画が必要なのではないか。」と言いだし、そういう企画を担う団体として設立した市民グループである。「オリーブ」は平和の象徴、「ジャム」はジャムセッションのジャム、と言うことで、若者受けを狙って僕が命名した。もっとも「オリーブジャムって食べたらまずそう。」と、その後地元の知る人ぞ知る超優良企業の社長になったT氏の妹さんが、創立間もない頃に言ったことを、忘れないが。
 この「オリーブ・ジャム」では、毎年、アジア太平洋戦争の開戦記念日である12月8日と地元沼津が空襲の被害に遭った7月17日の前後にイベントを実施しており、これまでに、小島延夫(但し、立ち上げ前年の1991年だったかも知れない。)、南典男、伊藤和子等などの団員各位や、加藤周一、大槻義彦、弓削達、安斎育郎、高遠菜穂子、安田純平、等の著名な方々をお招きしての講演会、映画の上映会などを開催してきた。
 四谷姉妹沼津公演は、オリーブジャムの企画を協議する会議で、僕がちょこっと話題にしたところ、「現人沼津平和委員会」とでも言うべき年長女性のSさんが、日本平和委員会から情報もあったことや、岸団員も平和委員会の役員をされていることなどから、熱烈に推進論を述べ、実施を目指すこととなった。
 ご両名、どちらかというと青龍団員と、僕とのメールでのやりとりで準備を進め、弁護士さんお二人というのにしては、ずいぶんと良心的なギャランティー(これについて、後述)で、実現することになって当日を迎えた。
 新型コロナウイルス感染症の心配もある中、ご両名には沼津までお運びいただき、漫才のネタと、お二人それぞれの自己紹介と憲法への思いなどが語られた。
 漫才のネタと「世田谷姉妹」トリビュートの呼び込み文句もさることながら、お二人それぞれが、ご自身の人生に引きつけて平和主義条項に限られない憲法の各条項への熱い思いを語っていただいたところに、参加者は、深く共感をしたように感じる。
 公演には、沼津市在住の角田由紀子弁護士も、一参加者として、いつもながら御家族とともにお出でいただき(同弁護士は、講師としてお招きする機会でなくとも、ご都合が良いときには一参加者としてご参加くださっている。ご自身のご都合が悪いときには、御家族の方がご参加くださっている。)、四谷姉妹のご両名も感激されたご様子。
 コロナの関係もあり、懇親にまでご参加いただけなかったのは残念だったが、とても内容の濃い、参加者の共感を呼ぶ、良いイベントになったと思う。
 ところで、今後間もなく大ブレイクするに違いないご両名のためにちょっと心配なことがある。弁護士お二人にしては、ずいぶんと良心的なギャランティーだったのだが、これは、大ブレイクしてしまって引っ張りだこになってしまったら、ちょっと持たないのではなかろうか、ということである。
 八法亭みや奴(「うぶすな亭」とかと改名していませんよね)師匠こと飯田美弥子団員あたりは、持続的な活動を可能にすることも考慮されてか、謝礼の最低額を決めてそれ以下では引き受けないことにしているやにもお聞きする。それは、やむを得ない、是認すべきことだと思う。(そのためも一因となってか、我が地元沼津ではまだ、同師匠をお招きする機会を得ていないけれども。)
 先輩であるみや奴師匠に「芸能活動」についての助言を仰ぐようなことも考えられるのかも知れない。
 四谷姉妹が、みや奴師匠同様、全国で引っ張りだこになる日が近いことを確信していることを述べ、また、我がオリーブ・ジャムの12月の企画は、映画「教育と愛国」の上映会であることをお知らせして、報告を終える。

 

感想 ~「(学習会)トンデモ校則のなくし方」に参加して~

東京支部  平 井 哲 史

 11月5日(土)午後、教育問題委員会が主催した表題の学習会(シンポジウム)に参加しました。司会は小川次長で、パネリストは、大分・楠本敏行団員、福岡・後藤富和団員、立命館大学の学生・長谷夏幹さん、池川友一・共産都議の4人。
1、パネラーの皆さんのお話
 楠本団員は、お子さんが通う中学校で、髪型やシャツ、靴下の長さや色、はては防寒具に至るまでこと細かに定めた「容儀基準」があることに驚き、これを遵守する義務のないことの確認を求める調停をやった経験を紹介しました。
 後藤団員は、LGBTQの生徒から制服で過ごすことが「地獄」だったとの訴えを聞いたのを契機に福岡市で制服を見直す運動を起こし、自身がPTA会長となっていた中学校で校長に問題提起をして、校長の協力も得て、PTA、地域住民、市議会議員、さらに制服メーカーにも働きかけて、ジェンダーフリーの制服導入を成功させた経験を語っていただきました。
 長谷さんは、自身の通う高校で男子の長髪禁止をしている校則に抵抗し、これを変える運動に取り組んだ経験と、その後、各地の生徒とつながり、校則を公開し、改善を求める運動に取り組んでいることを紹介していただきました。
 池川都議は、ツー・ブロック禁止などのトンデモ校則にそうした制限を課す根拠はあるのかを繰り返し都議会でただし、4年でツー・ブロック禁止の廃止など改善をはかったことを報告されました。さらっと報告をされていましたが、議会でとりあげて4年で改善というのは顕著な成果と言えるのではないでしょうか。
2、パネルディスカッションでの指摘
 その後のディスカッションでは、(将来そうした校則のもとにおかれるかもしれない自分の子供を連れて行っていたため詳しくメモをとっていたわけではないのですが)①学校が生徒の意見を聞かず対話が不足している、きちんと聞く姿勢を持って聞くようにしないと意見は出てこない、②学校は変化を嫌い校則を変えたいという動きに対立的になるが、「対立ではなく対話」が必要、③どうしたら校則が変わるのかを理解しないと「やっても無駄」となりかねないので、校則改定のルールの周知が必要、④「生徒のため」と言うのだが、先生が子どもの権利条約や文科省の定める「生徒指導提要」を知らない、などの指摘がなされ、zoom参加されていた佐川民弁護士から福岡県弁護士会としての取り組みや、成見暁子団員から宮崎県弁護士会が作成・配布した校則見直しQ&Aの紹介がなされました。
3 感想
①   「伝統」は都合よくつくられたもの?
 シンポに参加してみて、特に地方のところでは、「校則は伝統」という意識が学校・地域住民の中に強い意識としてあるようだと思いました。ですが、後藤団員が指摘していましたが、校則は、実は時代時代で生徒の「管理」がしやすいように変更されてきているようです。たとえば、「ツー・ブロック禁止」などは、かつての校則にあるわけはなく、入ってきたのは平成年間です。かつて流行った「ルーズソックス禁止」もこの一つでしょう。
②    驚きのダブルスタンダード?
 また、長谷さんが指摘されていましたが、公表されている校則の文言としては「清潔に」などのごく抽象的な文言になっているのに、現場で運用されているものはやたらと細かい規制が書かれているというダブルスタンダードが用いられているようです。楠本団員のお子さんが通う中学校の校則もこの類ではなかったかと思います。ルールとして公表されていないものもルールだと言われたのでは生徒のほうでは詐欺だと思うかもしれません。
③    校則は誰のため?なんのため?
 文部科学省によると、「校則は、学校が教育目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内において定められるものです。児童生徒が心身の発達の過程にあることや、学校が集団生活の場であることなどから、学校には一定のきまりが必要です。また、学校教育において、社会規範の遵守について適切な指導を行うことは極めて重要なことであり、校則は教育的意義を有しています。」とされています。ここから導かれるのは、集団生活をおこなう上での一定のルール、社会規範を身につけるためのガイドラインという位置づけですが、それは生徒の成長を促すためのはずです。それが、忙しくて大変だからというのもあるのでしょうが、「管理のツール」になってしまっているのがあちこちにあります。
 先生自身が子どもの権利条約や生徒指導提要(現場からすればこれらは理想論だとなるのかもしれませんが)を知らないまま「ルールだから」「決まりだから」という態度をとったのでは、囚人と看取のような関係になってしまうなと思いました。改めて、校則は誰のためか、何のために当該条項を置いているのかを見直す作業が、生徒の人格的自律のためにも学校現場で自覚的規律を形成するうえでもとても大事だなと思いました。
④    校則本来の姿を取り戻すための取り組み
 難しいなと感じたのは、実際に、校則を見直し、必要な改善をはかる作業をどう推し進めるかです。後藤団員のような方と学校長がいるというのは、後藤団 員自身が述べていましたが、偶然でしかなく、全国的には、やはり弁護士会のようなところが、意識的に教育委員会と学校やPTAなどに問題提起と懇談をしていくのがオーソドックスなのかなと思います。単位会でなかなかやれない場合も、たとえば団の貧困・社会保障問題委員会が自治体の発行する『生活保護のしおり』についてやったように、校則の点検と、問題提起のための懇談をしてきっかけをつくるということも考えられるかと思います。後藤団員がやられたように、生徒自身や保護者、地域の住民も交えた協議をしていかないとうまく進まないでしょうから、そこは根気とマンパワーが必要になるでしょうけれども、これはある種法教育のテーマにもなるでしょうから、やる意義は高いと思いました。
 後で調べてみたら、文部科学省も、2021年6月8日付事務連絡において、「校則の見直しは、児童生徒の校則に対する理解を深め、校則を自分たちのものとして守っていこうとする態度を養うことにもつながり、児童生徒の主体性を培う機会にもなります。これらを踏まえ、今般、教育委員会や学校における校則の見直し等に関する取組事例をまとめました」として、校則改定の取り組み事例を紹介し、校則の見直しを進めることを全国の教育委員会におろしていましたから、「風が吹いている」ということになりましょう。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1414737_00004.htm
 私の知人で私立学校の理事長になっている方がいますが、その学園では、校則について生徒と先生が一緒になって考える取り組みをしているそうです。確か、テレビ番組にもなっていました。学校現場では、「どこから手を付けたらよいかわからない」という声もあるかもしれませんし、そうした先進的なところの例から学ぶことも今後、やってみてもよいかと思いました。

 

弁護士会、地域で校則問題に取り組もう!

埼玉支部  小 林 善 亮

1 身近にトンデモ校則はありませんか?
 中学校・高校で定められている校則に、ツーブロックやポニーテールなど特定の髪型を禁止したり下着の色を定めたりと、その必要性に疑問を感じざるを得ないトンデモ校則が近年問題となっています。男女別の制服が強制されることについてジェンダーの押し付けや多様性の尊重に反すると批判もされています。
 校則は、実はその法的根拠はあいまいです。裁判例では、学校長が教育目的を達成するために必要かつ合理的範囲において校則を定めることを認めています。不合理な校則は校長の裁量権の逸脱ないし濫用というべきですが、逆に言えば、校長がその気にさえなれば校則は変えられます。学校によっては、既にトンデモ校則や制服の見直しに取り組んでいる学校もあります。
 皆様の地元の地域やお子さん、お孫さんの中学校・高校はどんな校則を定めてるかご存じでしょうか?トンデモ校則は身近にあるかもしれません。
2 トンデモ校則に取り組む意義
 不合理な校則が、生徒の自由を制限する人権問題であることは異論がないところだと思います。背景には学校現場に子どもの権利条約がきちんと位置付けられておらず、生徒を権利主体として認め、その最善の利益を図るとの観点が希薄なことが挙げられます。さらに問題なのが、必要性や合理性が理解できない校則を「規則だから」「ルールだから」と大人から押し付けられ続けることで、生徒たちが「決まっていることには逆らっても仕方がない」とあきらめてしまうことです。トンデモ校則の一番の機能が、「権力への抵抗をあきらめを、若いうちから身体にしみ込ませる」ということにあるのではないかと思ってしまいます。その「教育」の結果が、今の若者の政治離れや投票率の低さなどに表れているのではないでしょうか。
 もし、生徒たちが疑問を感じた校則について、なぜそのルールが必要なのか、必要性があるとしても他のより制限的でない方法はないのか等を検討し、生徒や教員、保護者との合意を形成しルールを変えることが出来たらどうでしょうか。まさに学校現場が民主主主義の学校となりえます。日本全国の学校でこのような経験が重ねられれば、将来の私たちの社会の希望につながるのではないかと夢がふくらみます。
 文科省も批判を受け、必要性のない校則の見直しを具体的な事例とともに各教育委員会に通知しています(平井事務局長の原稿参照)。また間もなく文科省が改訂する予定の生徒指導の教員向け参考書(生徒指導提要)には、初めて子どもの権利条約の説明が記載され、生徒に必要性が説明できない校則については見直しを検討するよう求めています。各学校現場でこれを実現することが大切です。
3 先行する取り組みを参考に踏み出そう
 団の教育問題員会が開催した11月5日のシンポジウム「トンデモ校則のなくし方」では、弁護士会が校則を調査し改善を教育委員会に促した福岡県弁護士会や、宮崎県弁護士会の事例、議会を通じて問題提起をし世論の力で教育委員会を動かした東京都の事例や、保護者・弁護士として校則問題に取り組んだ楠本団員、生徒としてトンデモ校則に取り組み、卒業後もつながりを広げている大学生の経験などが紹介されました(詳しい内容は、平井事務局長の報告をご参照ください。団のHPからシンポの動画も見られます)。
 人権の専門家団体として弁護士会が動くと教育委員会や地元マスコミにもインパクトが大きいとの指摘もありました。各単位会で校則問題への取り組みが行われることがとても重要です。弁護士会の子どもの権利委員会で活躍されている団員もたくさんいらっしゃると思います。ぜひ各単位会で取り組みをお願いします。
 それと同時に、校則問題は各学校の校長が決断すれば変えることができます。新婦人や教職員組合その他の地域の市民団体と共同して、保護者を含めた地元の市民に問題を広げ、地域の運動にしていくことができれば前進も期待できます。校則問題は、政治的な立場にかかわらず、あるいはこれまで政治に関心がなかった若者とも一緒に取り組むことができる課題です。取り組みが広がれば地域の運動の活性化にもつながるかもしれません。
 手間と時間はかかりますが、その価値は十分にあると思います。私も、様々なしがらみから地元の革新懇の事務局をしています。まずはそこで地元の中学校の校則の情報開示請求をするところから始めようと思います。
 また、校則問題のシンポは、団本部の教育問題委員会での若手団員の提起から取り組みが始まりました。団本部の教育問題委員会に教育問題や子どもの権利に関心のある団員にたくさん参加していただき、活動を盛り上げていただくようお願いいたします。

 

「護民官」と「国民の僕」――プロの「目線」

東京支部  後 藤 富 士 子

1 ゼレンスキー大統領の党
 ロシアの侵略に対して頑強な抵抗を示しているウクライナの精神的支柱の1つが、ゼレンスキー大統領の存在といわれている。軍事侵攻開始の当初、米国からキーウを離れるよう勧められたのを拒否して首都に残り、関係閣僚等に指示を出し、国民や世界にメッセージを送り続けた。ブチャの大虐殺についても、現地に出向いて地元民の声を直接聞く。その姿は、「国民と運命をともにする大統領」である。
 彼は、もともとコメディアンで政治経験はなく、素人大統領である。のみならず、2019年の国会議員選挙において、彼が率いる政党「国民の僕」の立候補者の条件の1つが「政治家としての経験のないこと」であったという。「国民の僕」というのは、作品の題名で、ごく普通の高校教師がひょんなことからウクライナの大統領になるという筋書きとか。
 この「素人大統領」は、2019年5月の就任当初、官僚と相当の摩擦があった。政府高官の中には公式の会合の場でさえ、あからさまに大統領を批判する発言をして憚らない者もいた。しかし、人の話によく耳を傾け、最後まで聞いたうえで自分の考えを述べるという具合に意思疎通・意見交換の内実を積み重ねることで、時がたつにつれて大統領に対する評価は信頼に変わっていったという。
 こうしてみると、「政治家としての経験」が、決して主権者である国民の利益になるとは言えないことが分かる。おそらく政治家も「国民(選挙民?)のため」に働くのが自己の使命ないし役割と考えているだろう。でも、それは「護民官」のように「上から目線」なのであって、「国民の僕」という自分を国民の下に置く発想とは正反対のように思われる。
2 若きデジタル担当大臣―ウクライナと台湾
 専門技能を有するプロの場合も、その「目線」は決定的な意味をもつ。
 ゼレンスキー大統領自身が侵攻開始の翌日、スマホを使って政権幹部が大統領府にいることを明らかにし、「ウクライナの兵士、市民はここにいる。そして独立のために戦うのだ」と訴え、その後もSNSを巧妙に活用して情報発信をしている。
 一方、軍事技術的側面をみると、フョードロフ副首相兼デジタル化担当大臣の功績が注目される。彼はゼレンスキー政権で最年少の31歳で、就任当時は行政も政治も何ら経験のない大臣であった。任務である行政サービスのデジタル化について、さまざまな許認可、政府調達の入札、各種証明業務などのオンライン化を進めてきた。今回の軍事侵攻開始後直ちにフェースブック、ユーチューブ、グーグルに対しロシアの動画アップ禁止等を求め、またアップル社に対しても要請してロシアでの商品販売停止にこぎ着けた。侵攻2日後には、イーロン・マスク氏に対し、ウクライナで衛星インターネットサービス「スターリンク」を使えるように要請し、その日のうちに端末機材を発送したとの回答を得、3月1日に機材が到着した。これにより、通常の通信に加え無人偵察機、無人攻撃機等の運用に大きな威力を発揮した。
 また、台湾のオードリー・タンIT大臣の活躍にも瞠目させられる。1981年生まれの彼は、2016年に民進党の蔡英文政権が誕生した際、史上最年少の35歳で、政治経験のないままデジタル担当相に登用された。その仕事ぶりは独特で、自身が出席した行政の会議や、取材を受けた記者とのやりとりをすべてネットで公開している。行政に比べて政策に対する情報量が少ない有権者に判断の材料を提供する。市井の人々との対話を通さない政策は、その内容が劣るだけでなく、人々の協力も得られず推進するのにコストがかかり、結果的に失敗すると熟知しているからだろう。「政府は国民を信頼しなければなりません。でも、国民に政府への信頼を強制することはできません。国民が疑問を抱いた時、政府は『国民は専門家でないから事情がわからないのだ』と開き直ってはいけないのです。・・・政府が、『意見を言う人は、社会を変えたいという善意があるのだ』と考え、話し合いによって政府への参画を求めれば、国民の政府に対する信頼も高まるはずです」という。
3 「裁判官」の起源―「統一修習」の廃止
 1971年に司法修習第23期で裁判官に任官し、定年まで「現場」で職務を全うした森野俊彦弁護士が、「後期高齢者到達の記念」として『初心 「市民のための裁判官」として生きる』を上梓された。「市民のための裁判官」がどういうものか判然としないが、著者が「市民のための裁判官」として生きたことは確かなことと納得できる(皆さん、お読みください)。それは、「現場が好き」とか、私生活でも映画やタイガースファンとかの趣味とか、もっと大きいのは叱咤激励と献身によって著者の生き方を全うさせた夫人の存在などを含めて、著者のキャラクターに依るところが大きいのではないだろうか。
 第8章で故守屋克彦元裁判官(13期)を偲んでいるが、『守柔―現代の護民官を志して』という本が引用されている。「護民官」とは、古代ローマ共和政初期の貴族・平民の対立の中で、平民の生命・財産保護のため設けられた官職である。平民から10人を選出、任期1年、元老院やコンスルの決定に対し拒否権を保持していた。「任期1年」というのを見ただけで、日本のキャリア裁判官とは異質である。
 ところで、憲法17条に基づき制定された国家賠償法1条1項にいう「公務員」に裁判官が含まれると解されている。但し、昭和57年の最高裁判決は、「裁判官がした裁判について、国家賠償法1条1項に規定するところの違法な公権力の行使として国の賠償責任が肯定されるためには、裁判官がした行為に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、これに加え、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とするものと解される。」として、違法判断基準に下駄を履かせている。
 それでもなお、被疑者の接見妨害事件で、「裁判官としてあってはならないともいうべき基本的な法律の適用の誤り」とし、前記最高裁判決の基準を適用したうえで、違法であったとされた例がある(名古屋地裁平成15年5月30日判決)。逮捕された被疑者に対して引き続き勾留の請求がされると、裁判官はその当否を判断するために被疑者に勾留質問をすることになる。この際に、被疑者の弁護人となろうとする弁護士が、裁判所構内で被疑者に書類を渡したいと申し出たところ、担当裁判官は、接見等の禁止がされていることを理由に、この授受を直ちに認めることはできない、文書の授受については接見禁止の一部解除の手続が必要であるという。しかし、弁護人等と被疑者との接見交通を刑事訴訟法81条で禁止することができないのは、法律の規定そのものから明らかなことであり、裁判官としては常識に属し、別の解釈をする余地はない。それにもかかわらず、当該裁判官は、弁護士が法律解釈の誤りを指摘して何度も再検討を求めたのに、誠実に対応しなかった。当該裁判官は、「違法又は不当な目的をもって裁判をした」ものではないから、前記最高裁判決の基準の例示には該当しない。結局、その質の低劣ゆえに「裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使」する結果になったにすぎないのである。
 こうしてみると、専門技能を十分に修得しないうちから「裁判官」になること自体、司法制度として本質的欠陥であることが看取できる。また、裁判官養成方法としてのキャリアシステム(子飼い制度)も、デジタル時代には対応できないのではなかろうか。それでは、どうすればよいか?ロースクールで「法律を道具として使いこなせる法律家」を育て、司法試験に合格して資格取得した後の活動で頭角を現した者を裁判官に登用することである。すなわち、「統一修習」を廃止して、それと連動する裁判官のキャリアシステムを廃止するのである。
 これは、フョードロフ副首相やオードリー・タンIT大臣のように、政治・行政の経験がないのに専門技能に優れた人物が登用されるシステムと比べれば、一目瞭然であろう。そして、政治経験のなかったゼレンスキー大統領の活躍を見ても、権力を行使する立場にある者は「国民の僕である」という「目線」こそが転換されなければならないように思われる。
【参考文献】
倉井高志:世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」(PHP研究所)
石田耕一郎:台湾がめざす民主主義(大月書店)
森野俊彦:初心 「市民のための裁判官」として生きる(日本評論社)
(2022年10月28日)

 

そろそろ左派は経済をかたろう (14)
~円安を歓迎し食料安保を推進する議論

東京支部  伊 藤 嘉 章

第1 円安がとくな理由
 アメリカファーストのトランプが大統領であれば、「なんだ。このドル高円安は。早くもとに戻せ。」と岸田に向かって怒り狂うのではないだろうか。この円安で、日本において一番儲かっているのは、日本政府ではないか。円高の時に買った米ドル建てのアメリカ国債に十分利益がのっているのだから、アメリカ国債を売って利益を確定する。利食い千人力。
 利益の使い道は、のちに述べる円安に対する経済対策、食料安保推進策である。この方法であれば、将来世代にツケをまわすとして財務省や朝日新聞が忌み嫌う国債の発行は必要がなく、また消費増税という悪魔の選択も必要がないのである。
第2 円高ドル安がもたらしたもの
 レーガン政権下で円高ドル安が命じられた1985年のプラザ合意の前は1ドル250円前後で為替相場は推移していた。プラザ合意の結果一挙に円高ドル安が進むと、電力会社では、燃料費が安くなり浮いた利益を何に使うかという議論があった。デパートでは、輸入品についての円高還元セールなどと浮かれていた。
 ところが、円高とは日本の製品が高くなることであり、農産物は海外からの輸入品が入り、国内の農業が衰退していった。国内の給料が高いというので、給料の安い中国や東南アジアに工場が逃げてしまった。産業の空洞化である。製造業が国内で吸収していた500万人の雇用が失われた。
第3 木を見て森をみない議論
 2000年ころデフレが始まったばかりのころ、定額で給料をもらっている会社員、公務員や年金生活者は、収入は減らないで物価が下るから、デフレはいいことだという「よいデフレ論」が語られていた。しかし、デフレが進んだ結果、給料は下がり、年金も生活保護費も減額された。国選弁護人の報酬も調停委員の報酬も減らされてしまった。いいことは何もなかった。
 昔、世界には「良い核兵器」というものがあるなどと、大真面目で議論する勢力があった。その核兵器は、今はプーチンが握っています。
第4 日銀は為替には責任はない
 日米の金利差が円安の原因だとして、利上げを求める議論がある。しかし、今回のコストプッシュインフレは、日銀が目指した景気の向上にともなうデマンドプルインフレ(需要超過インフレ)ではなく、日銀は、金融緩和を継続することとした。
第5 円安に対するあるべき経済対策は
 今回のコストプッシュインフレに対する対策は、ガソリン税の廃止、消費税率の引き下げであるべきだ。消費税率を5パーセントに下げれば、物価が5パーセント下がったと同じことになる。消費税率引下げ分の財源は、もちろん法人税率の引き上げだ。消費税率も法人税率も安倍内閣発足時の税率に戻すにすぎない。円安によって史上空前の利益を計上する企業が続出しよう。法人税引き下げが困難というのであれば、ドル建アメリカ国債を売って、これを円に換えて使う。ドル売り円買いの為替介入となり、急激な円安を少しは緩和することになろう。
 なお補正予算による経済対策は、予備費も含めた29兆円などというせこいものではなく、自民党の若手議員からなる「責任ある積極財政を推進する議員連盟」が提言した「真水の50兆円の経済対策」くらいのバラマキが必要であろう。財源はアメリカ国債を全部売ってもおつりがくる。
第6 食料安保推進策と国土の保全
 そして、恒常的な租税収入の増大をはかるために、今回の円安を千載一遇の好機として、円安を生かして日本経済の構造を変える。
 カロリーベースでの食料自給率38パーセント(2021年度)の日本では、いくら兵器をそろえても、食料が輸入できなければ、腹が減っては戦はできないどころではなく、大勢の国民が餓死してしまう。
 そこで、たとえ、ABCD包囲網によって食糧の輸入がとだえても、今なら勝てると妄想して自存自衛のために戦争をすることのないように、1億3000万人が食っていくための食料を自給する仕組みを作っていかなければならない。まずは、トラクターなどの農機具を政府が補助して生産コストさげて、所得補償政策で生産物を政府が買い取る。次に米の輸出を考える。味が良ければ輸出が可能だ。さらに円安がすすめば、価格競争力がついてくる。平時は米を輸出し、米の生産能力を維持しておいて、有事の時には自国民のための生産に専念する。米は他の穀物に比べて単位面積当たり収穫量が多く、水田では連作ができる。水田には保水力があり、水を張れば表土が風雨で飛散流失することがない。国土保全のためにも水田という農業インフラを守っていく。
 そして日本の農業は自立しなければならない。植物の種子をアメリカ資本に握られてはならない。種子法を復活して種子の開発、増殖を国と都道府県が責任をもって行わなければならない。農業の対米従属から脱して、農業国日本をとりもどすとともに、管理された自然である里山からなる美しい国を作る。

 

京都総会報告(その3)

 

幹事長に再度選任されました

幹事長 今 村 幸 次 郎(東京支部)

 様々なめぐりあわせから、6年ぶりに幹事長に選任されました。これからの1年間、どうかよろしくお願いいたします。
 前回担当した時は、2015年の戦争法(安保法制)強行、2016年からの野党共闘・市民連合運動など大きな動きがありましたが、今回は、さらに、その後の新型コロナウイルス感染拡大、ロシアのウクライナ侵攻、これらを受けての明文改憲、防衛力強化・軍事費倍増・大軍拡、社会保障切り下げ、物価高騰などなど、まさに激動の情勢かと思います。
 この間、団の活動も、オンライン会議の活用等により、全国各地や若手からの積極的な参加が広がってきました。こうした流れをしっかりと引継ぎ、さらに、団活動を活性化させていければいいなと思っています。団長、事務局長、次長、専従の皆さん、そして、全国の団員の皆さんと力を合わせて1年間良い方向に進むよう取り組みたいと思います。
 これから年末にかけて、安保3文書の改定を契機に、敵基地攻撃(反撃)能力保有等が実行に移され、日本を「戦争(実戦)する国」に根底から改造する動きが強められると想定されます。団として、これを阻止するため、団の真骨頂である平和と人権を守る各般の取り組みに、なお一層力を尽くしていかなければならないと考えています。
 話は変わりますが、もうすぐカタールワールドカップが開催されます。史上初のベスト8をめざす日本代表チームの活躍が期待されます。
 報道によると、このカタールW杯では、ドイツ、イングランド、フランス、オランダ、ベルギーなど欧州勢のキャプテンが虹色の腕章を巻いて大会に出場することで一致結束したとのことです。この虹色の腕章には「ワンラブ(OneLove)」という言葉が記されていて、「あらゆる差別に反対」の意味が込められているそうです。
 他方、カタールは、反LGBT法により同性愛を禁止しています。W杯の大会組織委員会も「W杯は政治的発言の場ではない」として、この腕章着用を認めない考えのようです。
 それでも、イングランド代表のハリー・ケイン主将は、罰金や批判を覚悟の上で腕に巻く気構えを見せているとのことです。
 世界は、少しずつかもしれませんが、確実に前に進んでいます。個人が尊重される社会は平和な社会なのだと思います。命の犠牲をいとわない「力対力」「軍事対軍事」の抑止力論に打ち勝つためには、文化、学問、芸術、スポーツ、経済、福祉、人間の理性・知性を総動員してのトータルな取り組みが求められるように思います。
 みんなで知恵を出し合って頑張っていきましょう!

初心を忘れずに

本部次長  髙 橋  寛(東京支部)

[よろしくお願いします]
 このたび事務局次長に就任しました。東京支部の髙橋寛です。
 旬報法律事務所所属で登録は70期です。全国の団員のみなさま、今後ともよろしくお願いいたします。
[団活動とのかかわり]
 私は、弁護士3年目から団東京支部の事務局次長に就任し、弁護士5年目の今年2月に任期を終えました。
 お勤めを終えて少しゆっくりできるかなと思ったのも束の間、団本部からのお声がけをいただきました。とはいえ、当時の団本部組織財務委員長であり、弊所の先輩である今村幸次郎弁護士からお声がけをいただいたこともあり、ありがたくお引き受けすることといたしました(まさかその今村弁護士が幹事長に再登板するとは…)。
 私が初めて団の活動・催しに参加したのは、東京支部の歴史あるイベントである団東京支部ソフトボール大会に、私が大学生だった時に某事務所の助っ人として参加した時でした。
 団とのかなり特殊な出会い方をした私ですが、司法試験合格後、青年法律家協会のメンバーなどで組織する7月集会の実行委員の活動として、団東京支部の総会(2月)や団本部の5月集会に参加し挨拶やカンパのお願いもさせていただき、約5年の月日を経て、団の本流の(?)活動に参加しました。
 現在は、主に団本部の労働問題委員会の活動に参加をしております。
[“初心”を忘れず]
 弁護士になって以降の新人時代から、私は、団の活動には少ないながらも参加しておりましたが、実のところ、他の法律家団体に比べて、私の中で、団は少し近づきがたいようなイメージがありました。
 もちろん、今となっては私の中でのそうしたイメージは払しょくされています。これは、私自身の変化だけでなく、ここ数年における団の良い方向での変化もあると感じます。
 一方で、新人団員の中には、当時の私のように、団に対して少し近づきがたいイメージを持っている団員もいるのではないかと思っています。
 私としては、今持っている気持ちを大事にしつつも、「どうしたら若手が団活動に参加しやすくなるか」「団の将来問題にどう取り組んでいくべきか」ということを考えるうえで、当時の“初心”を忘れずに次長の職務をまっとうしたいと思っています。
[具体的な目標は立てません]
 次長就任に当たっては、何か具体的な目標を立てたほうが良いのかもしれません。
 ですが、私は、あえて具体的な目標は立てないでおこうと思います。これは、私自身の東京支部次長の時の経験を踏まえての決意です。
 詳しくは団東京支部ニュース557号(2020年4月)http://www.jlaf-tokyo.jp/news2020.htmlをお読みいただければと思いますが、私は、団東京支部の次長に就任する際(2020年2月)、①安倍政権の改憲阻止、②東京支部サマーセミナー参加者数50人、③ソフトボール大会決行を目標に掲げていました。
 形式的には、①から③までの目標は実現しましたが、そのいずれもが本意と逸れる形での実現となってしまいました。
 ①については、この3年間で改憲発議はされませんでしたが、当時よりも日本国憲法を取り巻く状況は切迫感を増しています。
 ②については、コロナウイルスの影響での“全面オンラインによって”サマーセミナー参加者数が50名以上となりました。
 そして③については、コロナ禍により、公式の大会とはせず小規模での“エキシビション大会”の開催となりました。
 このように、私が次長就任の際に立てた目標はいずれも妙に本意でない方向での実現となってしまったため、私は、「次に役職者に就任する際には、具体的な目標は立てるまい。」と心に留めておりました。
 具体的な目標は立てませんが、団を盛り立てていけるように、団を愛しつつそれでいて“初心”を忘れずに頑張っていきます。団員のみなさま、今後ともよろしくお願いいたします。

 

事務局次長に就任します

本部次長  久 保 木 太 一(東京支部)

1 自己紹介
 はじめまして。東京支部(城北法律事務所)の久保木太一です。
 前々年度まで東京支部の事務局次長を務めていましたし、また、2017年に安中榛名で開催された五月集会では、全体集会の企画で憲法学習会のデモンストレーションを任され、恐れ多くも壇上で報告しましたので、はじめましてではない方もそれなりにいらっしゃるかもしれません
 これから2年間、本部事務局次長を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
2 私と自由法曹団との出会い
 私の自由法曹団との出会いは、私が弁護士になって1ヶ月弱ほど経った頃でした。弁護士なりたての頃は、いろいろな団体の学習会や新人歓迎会などに手当たり次第参加していたのですが、そのうちの一つが、自由法曹団による「働き方改革」に関する学習会でした。学習会の内容については、すみません、ほとんど覚えていません。「働き方改革」がテーマだったかも定かではありません。ただ、必ずしも労働問題に関心があったわけではない私からしても、とても刺激的な内容で、とても面白かったことはハッキリ覚えています。その後の中華料理屋での懇親会も、最高に楽しかったことを覚えています。
 ヒヨコの刷り込み効果ではないですが、出会いのインパクトは強烈であり、その日、僕は、種々ある法律家団体の中でも、自由法曹団に殉じようと決意しました。
 因果だなと思うのは、私がその学習会で名刺交換をし、懇親会でもたくさんお話をさせていただいた今村団員が、再任の幹事長として、京都総会の壇上で私の隣に立っていたことです。
3 事務局次長に就任した経緯
 上に述べたとおり、自由法曹団に殉じようとは思っていましたので、本部事務局次長もいつかはやるものと考えていました。もっとも、問題は、いつやるか、でした。
 一昨年、東京支部の事務局次長を退任する際にも、本部事務局次長に意欲を見せるような発言をしてしまったために、その直後に(正式ではないかもしれませんが、)就任の打診をいただきましたが、断りました。
 少しお休みが欲しい、とか、子育てが忙しい、とか理由は色々あったのですが、一番大きい理由は、コロナ禍で飲み会ができないのが嫌だ、というものです。個人的には、平場で熱く語り合い、そのまま酒場に舞台を移してさらに熱く語り合うのが自由法曹団の魅力だと考えていますので、せっかく事務局長をやるのであれば、自由に飲み会ができるようになってからが良いと思っていました。
 その観点から、今回打診をいただいた際にも、幾分か緩んだとはいえ、未だコロナ禍での行動制限がありましたので、断ろうと思っていました。
 しかし、わざわざ弊所までお越しいただいた平井事務局長から、憲法9条に現実的な危機が迫っている今の改憲情勢でやらなければいつやるんだという話をされ、降伏しました。改憲問題は私にとって最大の関心事であり、憲法9条を守ることは、団員としての使命だと考えているからです。
4 担当委員会
 先日、執行部の引き継ぎ会議があり、私の担当委員会は、改憲対策(法律家六団体連絡会)、治安警察の2つに決まりました。
 私は弁護士1年目に共謀罪(テロ等準備罪)の反対運動に深く関わりました。弁護士1年目は、裁判所よりも議員会館に行った回数の方が多かった記憶です。
 先ほどのヒヨコの話ではないですが、この1年目の活動もきっかけとなり、私の関心は、国会対策や治安法制等にあります。ですので、私が担当することになった2つの委員会は、ともに私の志望どおりの配属でした。これから次長としてコミットできることを楽しみにしています。
5 趣味など
 最後に、プライベートな話をします。
 私の小さい頃の夢は、海洋生物学者でした。本当は 大学も理系に進学したかったのですが、理数科目の成績が散々でしたので、高校2年生で諦めました。
 もっとも、未だに理系、特に生物分野への憧れが捨てきれておらず、つい先日、生物分類技能検定4級の資格を取りました。ちなみに4級の試験問題は「次のうち、オオカミともっとも近縁な動物を選べ。1クマ、2タヌキ、3テン、4ハイエナ」という感じです。来年は3級(問題のレベルはグッと上がります)が取れるように、3歳の息子と、休日はいつも動物園か水族館か植物園に行き、家でも図鑑を一緒に読んで勉強をしています。
 それから、私が弁護士を志したきっかけは、小学生の頃に見た「最後の弁護人」というミステリードラマ(主演:阿部寛)でした。そもそも、私の母親がミステリー好きで、とりわけアガサ・クリスティの「検察側の証人」などのリーガルミステリーを愛読しており、その影響で息子である私を法曹にさせたがっていたことも、私が弁護士になったことと無関係ではないと思っています。
 そんなこんなで、私の趣味は、ミステリー小説(推理小説)の執筆です。別にプロの小説家になりたいわけではないのですが、ひっそりこっそりネットで小説 を書いています。一昨年は小さな編集社からお声掛けをいただき、一冊電子書籍を出させていただきました。昨年は、日本最大のネット小説の賞レースで最終候補まで残していただきました。最近は多忙で執筆ができていませんが、時間に余裕ができれば、そちらにも注力したいなと思っています。

 

京都放送労組に学ぶ労働組合のあるべき姿

東京支部  江 夏 大 樹

 団総会初日の朝、京都放送(KBS)訪問のプレ企画が開催された。
 KBSへの訪問は、大阪支部の村田浩治団員の提案により、総会間近に電撃的に決定した企画だ。曰く、KBS労組は①KBS構内で働く別会社の派遣社員の直接(有期)雇用、さらには②有期雇用を無期転換するなど、雇用の安定化を勝ち取り、ひいては労組の組織化に大成功しており、KBS労組の手配で放送局内部も見学できるとのことだ。
 派遣社員や有期雇用者が増える昨今、これらの非正規労働者の組織化に大成功しているという話は極めて稀有であり、そこにはどのような秘訣があるのか、探りに行った。
 すると、KBS労組にはプレ企画という限られた時間では語ることのできない波瀾万丈の歴史があったのでその一部を紹介したい(お話をいただけたのは労組副委員長の古住さん)。
 一つ目の歴史に刻まれる闘いは、バブル経済期に会社ごと146億円の根抵当権が設定されていたことが発覚した事件である(146億円根抵当権事件と呼ばれる)。雇用危機に直面した従業員らは、なんと自らが債権者となって巨額の根抵当権の抹消を求め、会社更生法を申請し、結果、労働者の一人の首切りも許さずに、公共電波を司る放送局を食い物にしていた経営陣を一掃したという大事件である。労働者主導で崖っぷちの会社を更生させたとは驚きである。私はこの事件の頃にちょうど生まれた若輩者であるため、全く知らなかったが、まさに労働運動の歴史に残る大事件だ。
 この事件に先立ち、KBS内で2つに分かれていた労働組合も、組織統一に成功した点も素晴らしい成果である。労働者の権利を擁護するためには、労働組合内で分裂せず、一致団結することが望ましいが、これが難しいのが現状だからだ。
 2つ目の闘いは、構内スタッフ(非正規労働者)150名を社員化・直用化し、雇止めを撤回したというKBS労組の取り組みである。146億円根抵当権事件という大事件の終結後も、KBS労組は、KBS構内で働くスタッフの雇用を守る取り組みを間断なく行なっているのである。
 2009年には、KBS構内で派遣社員として働く報道カメラマン2名の雇用継続が窮地に立たされた(派遣元は清算予定となった)際もKBS労組は世論を味方につけながら、見事、2名の直接雇用を勝ち取り、以降、同様の成果をあげているのである。
 現在、KBSで働くスタッフは240名(正社員120人、有期・派遣120名)であり、正社員の組織率が約70%、有期・派遣の組織率が約90%と驚異的な数字を誇っている。とりわけ、若者の組織化にも成功しており、当事者の要求はその当事者が先頭に立つという姿勢のもと、定着が図られているとのことであった。
 正社員意識の強い労働組合が大半の中、直接雇用・無期雇用の課題に取り組み、しかも成果を出している労働組合は全国を見渡しても存在しないのではないだろうか。
 非正規雇用が増加の一途を辿る昨今の情勢において、労働組合運動の再興を考えるにあたっては、KBS労組の長い闘いの歴史と現在の取り組みを学ぶことは必要不可欠だ。
 KBS労組の古住さんが参加団員らにお話していただけた一部しか書けなかったものの、KBS労組の闘いと驚くべき成果が伝わっただろうか。
 私は大学時代4年間を京都で過ごし、競馬番組を見る時はKBSのチャンネルにお世話になっていたが、まさかこのような歴史に残る闘いの舞台であったことは露知らず。
 KBS労組訪問ツアーを企画していただいた村田団員、KBS労組の古住さんはじめ組合員の皆様に感謝を伝えたい。

 

京都総会プレ企画に参加して
~まちづくり運動の現場に立って~

埼玉支部  深 谷 直 史

1 はじめに
 プレ企画が開催されました。今回のプレ企画は、京都のまちづくり運動の現場探訪をするというものです。企画をしてくださった京都支部の皆様、企画担当の皆様に感謝申し上げます。
2 京都府立植物園訪問
 まず訪れたのは京都府立植物園です。お天気は快晴のぽかぽか陽気で、猛暑の夏が終わり秋の深まりを感じました。近くを流れる賀茂川の流れがとても心地よかったです。なからぎ森の会の皆様のご案内のもと園内を見学しました。
 京都府立植物園は京都の北山エリアにある植物園で、金閣寺や竜安寺といった著名な寺社仏閣のほど近くにあります。1924年に開園した、日本最古の公立植物園です。総面積24万平方メートルの園内では、約1万種類の美しい花・木を観賞することができます。また、観覧温室は日本最大級のもので、約4500種類の植物が常時展示されています。自然豊かな場所で市民の憩いの場になっているとともに、植物の生態を研究する学術施設でもあります。
 比叡山を借景にしたバラ園の風景は、まさに絶景でした。
3 京都府の植物園整備計画
 このような素晴らしい植物園が、今危機に面しています。2020年に京都府が「北山エリア整備基本計画」を作り、その一環として、植物園を遊興のできる施設に変えようとしているのです。
 具体的には、大芝生地に野外ステージを設置すること、高さ約20メートルのアリーナの建設などです。
⑴ 野外ステージ建設計画
 植物園の中央広場には、一面に芝生が敷かれた広大なスペースがあります。大芝生地と呼ばれ、子どもからお年寄りまで集まる閑静な憩いの場となっています。園内見学をした日は休日ということもあり、大芝生地では子どもたちが走り回ったり転げまわったりしながら楽しそうに遊んでいました。この広大な芝生ゾーンに野外ステージやイベントスペースを設置するというのです。
 野外ステージが設置されると、音楽ライブなどのイベントが行われことになります。休日になれば、当然に観客も多数動員されることでしょう。静かでリラックスできる市民の場であった大芝生地が、人が多く出入りするような騒がしく、がやがやした場所に一変してしまうのは想像に難くないでしょう。子どもたちが遊ぶスペースもなくなってしまいます。
⑵ 多目的アリーナ建設計画
 園内の植物園会館の2階から見るバラ園の景色は、まさに絶景です。深緑の森に囲まれたバラ園には色合い鮮やかな美しいバラが映えています。背景には、ひときわ大きい比叡山がそびえています。お天気が良い日は、青い空の中に、伝教大師が開山して約1200年にもなる比叡山が雄大に構え、森林に囲まれた色とりどりの花が咲く景色は、何にも代えがたいものがあります。
 「北山エリア整備基本計画」によると、植物園に隣接する京都府立大学の敷地内に高さ約20メートルの多目的アリーナを建設するそうです。アリーナでイベントやスポーツ大会を誘致して、遊興の場にしようというのです。こんなに高い建物が建つわけですから、美しいバラ園の背景には当然そのアリーナが写りこんでしまいます。
 京都が美しい理由は、ただ歴史があるからではありません。乱で町がほぼ焼野原になる、米軍が用地を接収する、地上に鉄道を敷設する計画ができるなど、京都の景観に危機が生じても、その都度府民が立ち上がり景観を保持する不断の努力をした結果が故の美しさでもあります。府民が先祖代々にわたって守り続けていた景観が、アリーナの建設により一気に損なわれてしまいます。財政難を理由に目に見える利益追求をするあまり、償うことのできない事態が生じてしまうのではないでしょうか。
 アリーナが建てられる予定の場所には、現在、京都府立大学の体育館が建っています。とても古い体育館で、私たちが訪問したときは学生たちがクラブ活動で使用していましたが、この体育館は耐震基準を満たしていないそうです。他にも、学生たちが利用する校舎なども築50年近く経つものが多く、多くの校舎が耐震基準を満たしていないのが現状です。多目的アリーナを建設してコンサートやスポーツ大会を誘致するという華々しさと、古くてボロボロの体育館や校舎の様子が対照的でした。教育には金を出さずに派手なことやお金儲けには積極的に予算をつける、学生の活動機会を奪う京都府の姿勢は、まさに新自由主義を邁進する国の姿勢とも重なる面があります。未来の府民のため、子どもたちのため、お金には代えられない無形の財産を守るために政治をしてもらいたいものです。
4 むすびに
 今般の京都府立植物園整備計画は、美しい京都の景観やそれを1000年近くもの間紡いできた府民の努力の歴史を軽視するものです。美自然や学術施設を壊し、多目的アリーナ建設や野外ステージ整備などの営利目的施設を整備する必要性を京都府は説明できているでしょうか。早まった整備計画の強行は、日本の文化を毀損する取り返しのつかない事態を招いてしまうのではないでしょうか。京都府は、一刻も早く整備計画を見直すべきであると思います。

 

団京都総会と諸企画にフル参加して
― 京都の息吹と最後まで諦めない心意気を感じたくて

千葉支部  守 川 幸 男

はじめに
 これまで、コロナ感染のためZoom会議を余儀なくされて来た。便利だし、これまで参加できなかった会議や集会、講演会などに参加できる反面、出歩くのがおっくうになったりサボり癖がついたような気もする。
 そんな中、久しぶりの総会が京都で開催されるので、経費はかかるが、迷わずリアル参加した。これまであまり行かなかったプレ企画や、一泊旅行がないので半日旅行も申し込んだ。そのうち、民放労連KBS労組訪問が費用なしで急遽企画されたので、これも参加した。フル参加は全国で私だけで、かなりハードだったが「完走」した。
 京都の息吹、最後まで諦めない心意気を感じたいと思って参加したが、期待以上であった。
 そこで、総会も含めて簡潔に要点を報告しておきたい。団通信で予習し、帰ってからも資料に目を通したが、一気に詰め込んだから、不正確な点がないか気がかりではある。
プレ企画 ― 歴史都市京都にて、まちづくり運動の現場探訪(10月22日午後)
 もうけのために景観、歴史、文化を壊す勢力との闘いとまちづくり運動は、かねてから京都支部のライフワークのように感じていた。団員が繰り返し市長選、知事選に出馬するのもこれと連動しているのだろう。 
 京都北山エリアの整備計画で樹木が伐採されようとしている府立植物園(宣伝署名活動の最中だった。基本的に食い止めている)と府立大学での1万人規模のアリーナ建設計画、世界文化遺産の仁和寺(加藤登紀子さんも呼びかけ人になって建設反対の署名活動が行われている)と壬生・新撰組屯所(旧前川邸、柱には刀キズがあり、土方歳三による凄惨な拷問現場も残されていた)と、仁和寺と旧前川邸に隣接するマンション建設予定地を見学した。この2カ所は、法的手段を構えたり審査請求を使ったり運動などで現に阻止しているから、計画はあっても遅れ、草の生えた空き地である。
 団通信9月1日号で、森田浩輔さんがこの3つすべてを紹介している。
KBS労組と放送局訪問(23日午前中)
 組合攻撃、組合分裂、倒産攻撃を含めた42年間の闘いである。経営者が会社更生法申請をためらったので組合が申請したり、組合の統一を信じていったん組合を解散するとか、一人の首切りも許さず、毎年ベースアップも獲得して、昨年には146億円の負債が完済されて、現在では非正規雇用なし、という大変な闘いの末、大きな成果を勝ち取っている。私はかってから注目していたが、その諦めない心意気など、期待以上であった。
 団通信10月21日号で村山晃さんが報告している。 
総会議案書に対する批判とウクライナ、9条をめぐる第3分散会でのやり取り(23~24日)
 議案書に対する批判があった。ウクライナ戦争がアメリカの代理戦争であるかのようであるとか、ウクライナの自治権を軽視するかのような表現があるなどである。その後団通信でも批判が続いた。また、国連憲章違反等について単なる枕詞であるという趣旨の批判もあった。後者はそのとおりかと思う。松井芳郎さんの講演や論考もあり、もう少し強調する必要はあったのだろう。
 ただ、前者についてはそう単純ではなく、批判の論調がきつすぎる。紛争の原因論について議論することが「どっちもどっち論」という訳でもないし、ロシア擁護でもないだろう。覇権主義なのかアメリカとNATOの東方拡大なのかは、後者が単なる口実でもなかろうし、両方の要素があるから、一概には言えない。ロシアの責任を問うことが最優先であることに異論はないはずだが、アメリカなどの責任も相当に重い。ウクライナの自治権の尊重と言っても、戦争する国が全体主義化するのは必然だし、武器の供与や人命が奪われている状況を前にどうするのか、悩ましい。逆に、人命第一とはいえ、降伏や停戦が人命や人権を決して保証するとも言えないことはリアルに見ておく必要がある。
 私は、「青年法律家」の7月25日号と8月25日号にこれまでの集大成的な論文を掲載してもらったが、悩みながら迷いながらの論点整理ないし問題提起だった。
 結局は、どうしたら戦争にさせないかの政府の責任の問題に帰着する。
 加えて、日本の法律家の役割は、これに乗じた9条改悪の逆流に抗うことである。同時に、国際法違反を問うたり一定のウクライナ支援は当然としても、乏しい資料でウクライナ情勢を断定的にあるいは一方的に論じるのは慎重にすべきである。
 分散会での発言のうち、石川元也さんと白神優理子さんの発言を紹介しておく。石川さんは、スイスでは4カ国語が、カナダでは2カ国語が公用語とされており、ウクライナにロシア語しか話せない人も多いから、その自治を尊重すべきと言う。白神さんは写真やグラフを活用して憲法学習会を行っているが、韓国の5、000人の墓の写真を見せ、日本では9条があったからこうはならなかったと強調すると言う。
総会決議の一部削除と決の採り方についての意見 
 ジェンダー平等について、自由法曹団ではあまり議論されてこなかったから、決議は時期尚早という意見があった。異論を受けて決議案を一部削除したものの、一定数の反対と棄権があった。性転換手術を要件とする現行法には、手術の負担の重さからも反対する意見があるが、そうすると、そのままの姿で風呂に入って来る心配がある、などという意見もあって議論が長く続いてきた。千葉では青法協千葉支部主催だが学習会も行われた。団でも今後学習を強めて理解を深めることが重要だと思う。
 なお、これまでも気になっていたが、決議について、日弁連の総会や人権大会ほどでなくとも、常幹の議論に加えて総会での討議も重視すべきだと感じてきた。また、石川さんの一声で今回は一本一本決を採ったが、今後もそうするべきであろう。
半日旅行その1―山宣資料室(24日午後)
 実は、山本宣治は宇治花やしき浮舟園の経営者の息子である。ここで昼食を取った。彼は生物学者、性科学者である。私はかつて下元勉主演の映画「武器なき斗い」を見た。
 山宣資料室は、母親が隠しておいたこともあって、多くの資料が残っていた。墓と記念碑も見学した。3月5日の命日には盛大な墓前祭が行われる。
 3、15事件の拷問の実態を議会で告発して右翼に殺された。洋服のポケットから、治安維持法反対の議会演説の草稿が発見された。
半日旅行その2―ウトロ平和祈念館(24日午後)
 宇治市にある。北海道のウトロとは、語源も異なり関係ない。京都飛行場建設に朝鮮人を動員し、約1、300名が劣悪な住環境で生活していたが、日本人の扱いであった。戦後は日本国籍を喪失させられ差別された。また、新しい地権者から立ち退き訴訟を起こされ時効取得を否定されて敗訴した(理屈は何とでもなると思うが、裁判所の形式主義を打破できなかったのであろう)。しかし行くあてもないから、裁判で負けても人道で勝つをスローガンに、多くの支援を受けて執行させない闘いを繰り広げ、韓国政府の多額の財政支援なども得た。現在は市営住宅への入居を勝ち取ったり、建設途上である。さらに、記念館が今年の4月にオープンした。祈念館では短い時間で要領のよい説明があって感動的だった。 
 昨年、ヘイトクライムによる多くの建物への放火事件があり、焼け跡がそのまま残っていた。実刑判決が出たが、元被告人に反省はないどころか、脅しの発言もしている。
 団通信9月11日号で福山和人さんと青龍美和子さんが8月21日の現地調査を報告している。
帰りの綱渡りと反省点
 これまでの数十年、添乗員がいる場合にバスが解散時刻に遅れたことはなかったから、18時13分の切符を買っておいたところ、バスの京都駅6時着予定が遅れて、走って新幹線発車1分前に乗車した。弁当屋さんを目の前にして諦めたが、車内販売があって、しっかりワインを飲んでしばらく眠った。これに乗れないと、内房線の君津行きに乗れず千葉で乗り換えが必要で、深夜帰宅になっただろう。でも添乗員なしで立派なものだ。
最後に
 若い弁護士にしっかりと伝えるのが私の役割と思って参加し報告もした。
 京都の皆さんと懇親の夕べはかなわなかったが、充実した3日間であった。ありがとうございました。

【京都府植物園】

【仁和寺門前の阿吽象】

【ウトロ平和祈念館にて記念撮影】

 

 

 

 

 

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