第1797号 12/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●佐賀県武雄市防災システム住民訴訟の佐賀地裁での勝訴判決報告  東島 浩幸/藤藪 貴治

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コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑰(継続連載企画)

 ●就学中の孫の就労収入の増加を理由になされた世帯分離解除が違法として、保護廃止処分が取り消された判決  髙木 百合香

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●今村幹事長への質問  木村 晋介

●タガが外れた我が国の安全保障防衛政策  井上 正信

●「賢人会議」への要望  大久保 賢一

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【追悼特集】~東垣内清団員(大阪支部)を偲んで~

■ライフワークの「職場の自由と民主主義を守る」闘い  宇賀神 直

■東(とう)先生 おつかれさまでした  戸谷 茂樹

■東垣内先生の思い出  岩田 研二郎

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●刑事・治安警察委員会~委員会名称変更のお知らせ~  小川 款

◆団通信配信版のお薦め  岩橋 多恵


 

佐賀県武雄市防災システム住民訴訟の佐賀地裁での勝訴判決報告

佐賀支部  東島 浩幸/藤藪 貴治

1 概要
⑴ 武雄市が、2020年7月14日、地元ケーブルテレビ会社との間で締結した、「武雄市防災情報発信システム構築業務委託契約」(委託代金5億7841万2120円)は、市議会の承認が必要であるのにその承認手続きが取られていない。そのこと自体が違法であるとして、同契約による公金の支出禁止を求めて提訴した訴訟(原告=武雄市民6名、被告=武雄市長)。
⑵ 2020年度及び2021年度に予算が執行され、上記契約に基づき、地元ケーブルテレビ会社に合計4億0548万6620円が支払われた。それに伴い、請求の趣旨を「被告は小松政に対し、同金額を武雄市に支払うよう請求せよ」と変更した。
⑶ 背景
 武雄市は令和元年夏の集中豪雨にて、床下・床上浸水等の被害を被った。防災情報について、集落内の戸外のスピーカー放送では雨音で聞こえないなどの声が相次ぎ、防災情報システムでの市内全戸への戸別受信機の設置が要望されていた。ただし、①従来から市内のうち3町のみではすでに無線方式で個別受信機が設置されていること、②床上浸水の場合に2階への垂直避難の際に2階に受信機を移動させる必要性があることなどから、無線方式が適切との意見が相当数あった。さらに、2020年3月市議会での予算審議では、市の市長部局は、“有線・無線などの方式や契約内容などは決まっていないが、予算の枠だけ通してほしい、6月議会で改めて(仮)契約について議会の承認を得る”などと説明していた。しかし、2020年6月議会では承認手続きはおろか何の説明もなく、のちに市長部局は、議会の承認(議決)は不要と言いだした。
※(参考)本件の契約上の業務委託料の内訳
①告知放送システム2100万円、②情報伝達システム900万円、③個別受信機(1台1万5000円)1億2900万円、④引込工事費8144万3200円、⑤宅内工事費2億2708万6000円、⑥諸経費5830万円、⑦消費税5258万2920円
2 争点1(本件契約は、市議会の議決が必要な、予定価格1億5000万円を下らない「工事」に該当するか?)
⑴ 原告=該当する。
① 文理解釈が基本であり、「工事」には土木・建築工事に限られず、「電気工事」「電気通信工事」「ネットワーク配線工事」なども含まれる。
② 被告は、建設業法上の「工事」の特殊性をいって、議会の議決の要否をそれに限定するが、そのように解する合理性はない。入札、個別交渉等で対価が決定することは、建設業法以外の「工事」でも、物の売買でも変わりがなく、市議会の関与の必要性があることに変わりはない。
③ 被告は、本件契約の本質をシステム構築であって「工事」ではないと主張する。しかし、そのような解釈を許すのであれば、巨額な工事を伴うものでも他の内容の契約と合体させて、議会の議決を不要とする潜脱を許すことになり、契約の適正性を民主的統制にて担保するという趣旨を没却する。また、本件のシステム構築の内容は特別高度なものではない上、契約代金の大半は工事部分の代金であり、システム構築というのは3000万円=代金額の5.1%に過ぎない。
④ 市当局が契約の段階で改めて市議会の議決を取る旨言明していたし、契約の仕様書にも市議会の議決を要する旨記載されている。
⑵ 被告=該当しない
① 法令上の「建設工事」が弊害の生じやすい類型であり、議会の議決が必要な「工事」もそれに限定されている。本件の工事は戸別への配線の引込等の簡易な工事に過ぎない。
② 本件契約の本質は工事ではなく、防災情報の発信システムの構築であり、そもそも「工事」ではない。
3 争点2(本件契約は、市議会の議決が必要な、2000万円以上の「動産の」「買入れ」に該当するか?)
⑴ 原告=該当する
① 本契約の一内容として、戸別受信機の端末を1億2900万円相当購入することが含まれており、2000万円以上の「動産の」「買入れ」に該当する。
② 上記2⑴③と同じ。
⑵ 被告=該当しない
① 本件契約の本質は、システム構築であって動産の買入れではない。
4 争点3(仮に市議会の議決が必要だとしても、2020年3月議会での予算の承認で代替できるのか?)
⑴ 原告=代替できない。
① 予算の議決時点で、委託料3億3540万7000円、全体事業費(2か年分)6億8690万7000円で個別受信機を設置ということしかわかっておらず、防災情報の伝達方法(有線か、無線か)、戸別受信機の性能・機種、システムの全体像とその内容、代金の適性性を判断する情報など、何も説明も情報もなかった。したがって、契約の議決と同様の資料も何もなく、予算の議決で代替できるものではない。
② 被告のいう最高裁判決は、予算の議決をもって地方自治法96条の契約の議決に代替することを認めるという判例ではない。最高裁の事例は売買代金の適性性の判断の情報・資料が十分そろっている場合の議決であって、本件のように内容についての情報が全くそろっていない場合の議決とも全く異なる。
⑵ 被告=代替できる。
① 仮に、本件契約が、「工事の請負」または「動産の買入れ」に当たるとしても、最高裁平成30年11月6日判決で認められたように、予算の議決で足りるものである。
5 争点4(既履行部分について契約代金を支払ったとしても武雄市に反対給付があるから、損益相殺のため、武雄市には結果として損害はないことになるのか?)
⑴ 原告=損益相殺の対象とならない。
① 有線方式の戸別受信機の取得が無意味である。床上浸水被害に対応する個別受信機としては、1階から2階に持ち運びできるものが指摘されており、実際、令和3年の水害では床上浸水で個別受信機が使えなくなった戸数が70戸以上あった。
② 裁判例上も、市にとって無意味である場合には損益相殺を認めないことはもちろん、東京高裁の裁判例においても、市議会の議決がない件について、損益相殺を認めなかったものもある。
③ 議会の議決が必要であるのに、議会の議決を取らずに締結された契約が履行されたからといって、安易に損益相殺を認めることは、議会の意思の尊重を図る法の趣旨を没却するもので、違法行為の「やった者勝ち」となる。
⑵ 被告=損益相殺の対象となる。
① 武雄市は、支払った金額に見合った対価を得ており、損益相殺の対象となる。
② 有線のシステムは無意味なものではなく、有益なものである。
6 佐賀地裁令和4年11月18日判決(三井教匡裁判長)
【主文】
1 被告は、武雄市長個人に4億0584万6620円を支払え
2 訴訟費用は被告の負担とする
【理由】
1 争点1について
 議会の議決を経るという法の趣旨は、重要な契約について住民の利益を保障するとともにこれらの事務の処理が住民の意思に基づいて適正に行われることを期すところにある。すると、議会の議決が必要な「工事の請負」を建設工事に限定されるべきではない。
 すると、本件でケーブル回線を分配する工事は「工事」に該当し、戸別受信機の設置作業は本件契約の主要な要素を構成しており、契約の付随的な部分とは言えない。
 すると、議会の議決を要する「工事の請負」に該当する。
2 争点2について
 争点1で示した法の趣旨から見て、総額1億2000万円での個別受信機の購入は、議会の議決が必要な「動産の買入れ」に該当することは明らかである。
3 争点3について
 契約の締結等が予算の執行行為であるにもかかわらず、予算の議決とは別に法96条1項5号・8号での議決が掲げられていることからすれば、予算の議決とは別個に行われることを予定していると解される。ただし、予算の審議において、当該契約の適否について審議することが認識され、当該契約を締結することの必要や妥当性についての審査を経て議決がされるのであれば、法の趣旨は満たされる。
 本件では、防災情報システムの概要を説明したにとどまり、戸別受信機の性能や通信方式(有線か無線か)を含めた契約内容、契約金額、契約の相手方の未定であったこと、市の担当者は令和2年6月議会で承認を得る予定と説明していたことから、予算の大枠を決めるために行われたに過ぎない。よって、契約の適否についての議決をすると認識されていたとはいえず、実質的に地方自治法96条1項5号・8号の議決を経たとはいえない。
4 争点4について
 本件小松(市長)には過失の不法行為が認められ、本件契約に基づいた市の支出は相当因果関係のある市の損害と認められる。
 被告は、本件契約の執行により、市には利益があるとして損益相殺を主張する。しかし、有線方式では2階への垂直避難のときに持ち運びできない短所があるなど無線と有線ではシステムの在り方に大きな違いがあり、契約内容も大きく異なるものである。また、すでに市内の3町にすでに導入されていた個別受信機が無線方式であったこと、無線方式を前提とする質問が2020年3月議会でも、9月議会でもされていたことから、本件契約の議決について議案が提出していれば本件契約の締結に係る議決が否決される可能性が相当程度あったというべきである。そうすると、市に利得が生じているということはできない。よって、損益相殺を行うことはできない。
7 評価
⑴ 重要な契約について、最も住民の意思を反映している、住民代表である議会の議決を得るという、地方自治の本旨のうちの住民自治の重要性を確認した判決である。
⑵ 市長も選挙で選ばれるとしても、議会議員は市長と異なり、市内に住民票を有することが資格とされ、真の住民代表である。その上、「権力は腐敗する」という格言からいえば、重要な契約について、市長一人に決めさせるのではなく、最低議会の議決を必要として市長の恣意を防止することが大切である。本件判決は法の趣旨と本件契約の特色から丁寧に認定している。
⑶ 予算審議の際の常任委員会の議長役をしていた委員長代理に原告側証人に立ってもらったことも非常に判決に与える影響が大きかった。
⑷ 市は、予算審議に先立って、地元ケーブルテレビ会社のみから見積もりを徴収し、その額を予算案に記載し、契約内容もそれとほとんど同額だった。最初から、結果が決まっているプロポーザル方式での選考となっている可能性が高い(これは前市長時代から続いている)。
 この点も訴訟で主張し、いかにもおかしいこととの心証をあたえることができた。
⑸ 住民訴訟では高裁で逆転することも多いのでより気を引き締めて控訴審に臨みたい。
⑹ なお、11月22日の被告代理人(市の顧問弁護士)は、市議会全員協議会にて、「訴訟前に『絶対市議会の議決が必要』と進言していたが、軽視された」と述べた。
⑺ 被告は控訴した。しかし、当方は、上記⑹の点は高裁でも強く主張する予定であるし、なぜそこまで無理して市議会無視を決め込んだのかという市政の闇の解明を訴訟外でも市民とともに努力したいと考えている。

 

コロナ禍にまけない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑰(継続連載企画)

 

就学中の孫の就労収入の増加を理由になされた世帯分離解除が違法として、保護廃止処分が取り消された判決

熊本支部  髙 木 百 合 香

1 はじめに
 貧困の連鎖を断ち切るため、生活保護世帯の子どもの就学をどのように保障するかは、生活保護制度の大きな課題です。
 十分な就学保障は、被保護世帯の子どもの就労の選択肢を増やし、将来の経済的自立に大きく役立つにも関わらず、生活保護行政ではそのことが過小評価されてきました。
 世帯内で保護を受けながら就学する「世帯内就学」は、1970年に初めて高等学校まで認められるようになりましたが、大学等(大学、短期大学、専修学校、各種学校をいいます。以下、同じ)の高等教育については、未だ認められていません。大学等への進学率が73%に及び、より良い就労先、就労環境を得るために高等教育を受けることは、もはや珍しいことでも、贅沢なことでもありません。
 にもかかわらず、現行の保護制度では、保護を受けながら大学等に通う「世帯内就学」は認められておらず、わずかに許された方法は「世帯分離」をして働きながら就学すること、つまりその収入を世帯に入れなくても良い代わりに、自らの就学や生活にかかる費用は自ら支弁するという、極めて消極的な就学保障だけなのです。
 ところが本件は、福祉事務所が、世帯分離をした学生の収入が増加したという事象だけを捉え、その極めて消極的な就学すら侵害してしまった事案です。
 いま一度、世帯の自立助長という生活保護制度の趣旨、そして子どもの貧困対策を実質的に実現するための被保護世帯の子どもの就学保障のあり方が問い直されなければなりません。
2 事案の概要
 孫(当時20代)と同居していた夫婦(ともに当時60代。夫が原告)が生活保護を受給するに当たり、看護学校(准看護科)に通学する孫については保護せず自らの収入で就学・生活することとして世帯分離され、2014年7月、夫婦のみ生活保護(医療扶助)が開始しました。
 しかしその後の2017年2月、孫が准看護師の資格を取得して収入が増加したことを知った熊本県玉名福祉事務所長は、孫がまだ看護学校(看護科)就学中であるにもかかわらず、世帯分離を解除し、孫を世帯に編入した上で、「世帯の収入が最低生活費を上回るため」との理由で世帯(夫婦)の生活保護を廃止したのです。
 原告は、審査請求、再審査請求を行いましたが、いずれも棄却されたため、令和2年6月、保護廃止処分の取消しを求めて提訴しました。
 なお、原告夫婦は2017年2月に保護廃止された後も生活困窮は続き、同年10月に再度生活保護の申請を行いました。その際、担当ケースワーカーは、調査と称して原告方を訪問し、自分の部屋にいた孫に「出てきてください」「話をしましょう」と30分以上もドアを叩き続けました。
 このドア叩き事件により、孫は追い詰められて引きこもり、うつになり、1年間の休職、休学を余儀なくされました。
3 関係法令の紹介
 本件のポイントは、世帯分離解除の違法性です。この問題は、生活保護法の中でもこれまであまり争いになってきていませんので、関係法令をご紹介します。
 まず、生活保護法(以下「法」といいます)は「保護は、世帯を単位としてその要否および程度を定めるものとする」と定め(法10条本文)、世帯単位の原則を採用しています。世帯単位の原則は、生活困窮という事象が世帯を単位に起きる点に着目したものです。
 もっとも法は、「但し、これによりがたいときは、個人を単位として定めることができる」(法10条但書)として、その例外を定めています。
 この例外は、厚生省社会局長通知(以下、「局長通知」と言います)により具体化されており、看護学校のような専修学校・各種学校に通う者(以下、「専修学生等」と言います)については、次のように取り扱うと定められています。
 局長通知第1の5「次のいずれかに該当する場合は、世帯分離して差しつかえないこと。」
「(1)(2)略
(3)生業扶助の対象とならない専修学校又は各種学校で就学する場合であって、その就学が特に世帯の自立助長に効果的であると認められる場合」
 この取扱いは、例えば、
 局長通知第1の2「同一世帯に属していると認定されるものでも、次のいずれかに該当する場合は、分離して差しつかえないこと」
「(1)(2)(3)略
 (4)次に掲げる場合であって、当該要保護者がいわゆる寝たきり老人、重度の心身障害者等で常時の介護又は監視を要する者であるとき(下線筆者:世帯分離を行わないとすれば、その世帯が要保護世帯となる場合に限る。)(以下略)」
 とは要件が異なります。
 つまり、専修学校等に通う前者のケースでは、仮に専修学生等の世帯員を分離せず、世帯の収入に合算すれば最低生活費を上回る非保護世帯となる場合でも、要件である①就学、及び②自立助長に効果的という2つの要件を満たす間は、世帯分離して専修学生等以外の世帯員を保護するという取扱いを許すこととしているのです。つまり、前者は、後者の例と異なり、専修学生等の世帯員の収入は不問にして、それ以外の世帯員の収入が最低生活費を下回る要保護世帯であれば、それ以外の世帯員を保護するというものです。
 これは一見、専修学生等の世帯員を優遇する措置のように見えます。しかし、専修学生等の世帯員の収入(せいぜいアルバイトです)が如何ほどあるでしょうか。また、大学生であれば就職活動、看護学校生であれば実習の最中にはアルバイトができず、その時期に備えて、できる時に蓄えておく必要があることも容易に想定できます。学生たちは、生活保護が自分の面倒を看ない以上、将来に備え、できる時に自力で蓄えておかなければならないのです。
 このように世帯分離された学生たちにとって、生活保護は、学費や生活費の面倒を看ない、学校に行きたければ自力で学費、生活費を賄って行くのであれば許すというものです。見方によっては冷徹・無関心な制度なのです。
 ただ、自力で努力して就学できた子ども達が、その後就労できるようになれば、自立して保護を脱却することも期待できます。やる気と能力のある学生の就学は推し進めるべきというのが、子どもの貧困対策という国の目指す政策にも合致します。
 では、このような学生の世帯員に収入があった場合どうすべきか。その取扱いについて、生活保護手帳別冊問答集の問1-47には次のように書かれています。つまり、世帯分離により被保護者でなくなった者の収入は、当然には他の世帯の収入と合算して認定することはできないとされ、「とりわけ『その世帯が要保護世帯となる場合に限る』という要件が課せられていない分離については、世帯分離の趣旨が生かされるよう配慮が必要」と、あえて注意書きがなされているのです。
 一方で、被告が論拠とした通知は次のようなものがあります。
 その一つが、厚生省社会局保護課長通知(以下「課長通知」という)問8の「答」であり、いま一つが別冊問答集の「2 世帯分離」の本文です。
課長通知問8「答」
 「世帯分離要件は、世帯分離を行う時点だけでなく、保護継続中も常に満たされていなければならない」「一旦世帯分離を行った場合であっても、その後の事情の変更により、世帯分離の要件を満たさなくなった場合には、世帯分離を解除し(以下略)」
別冊問答集問1-3
 「世帯分離は(中略)擬制的措置であるので、(中略)世帯全体の生活状態を観察し、分離の結果保護を受けないこととなった世帯員の収入が充分増加した場合等には必要に応じて世帯分離を解除し、保護の停廃止を考慮することも肝要である」
4 主張内容
 本件で玉名福祉事務所は、①世帯分離を解除し、②生活保護廃止処分をしました。
 また、③「世帯の収入が最低生活費を上回るため」という理由で、保護を廃止しました。
 それを受けて原告は次のように主張しました。
 第一に、①世帯分離解除が処分性を有し、法56条違反の違法があるという点です。すなわち、福祉事務所が行った世帯分離解除は、法25条2項に基づく保護変更決定であるということ、そして孫の看護学校就学という世帯分離の要件を満たし続けているにもかかわらず、「正当な理由」なく世帯分離を解除・保護を廃止するという不利益変更がなされたため法56条違反であるということです。
 第二に、②本件保護廃止処分は、①の違法な世帯分離解除処分を前提に行われていること、また孫の必要経費等や将来の就学の見通し、原告世帯の医療費等保護の停廃止に必要な調査検討が行われないまま本件保護廃止処分がなされており、処分庁の裁量権の逸脱・濫用で違法であるという主張です。
 第三に、③「世帯の収入が最低生活費を上回るため」という理由での廃止は、理由付記の程度として不十分であり、手続原則違反であるという主張です。以上の3点が、原告の主張内容です。
5 判決の要旨
(1)争点①について
 熊本地裁(中辻雄一朗裁判長)は、「世帯分離又はその解除は、処分行政庁が保護の要否及び程度を世帯単位で判定、検討することが相当かという観点から行う取扱いであり、」保護の申請者や受給者といった国民の権利義務を形成し、範囲を確定するものではないとして、世帯分離解除の処分性を否定しました。
(2)争点②について
 次に、本件が孫の収入増加に着目して世帯分離解除、保護廃止をなされたものと認め、保護廃止処分の適法性を判断するにあたっては、世帯分離解除の適法性を判断することが必要としました。
 この一項目は、裁判所が本事案や本件廃止処分の実態を的確に把握していることの証であり、重要かつ至極全うな指摘です。
ア 規範
 その上で、次のように規範を定立しました。
 世帯単位の原則の例外として、専修学校等に進学した世帯員の保護世帯からの分離が認められている趣旨は、専修学校等に進学した世帯員の経済的負担を軽減し、引き続き保護世帯との同居を続けながら専修学校等の教育課程を修了することができるようにして、専修学校等の在学中に十分な稼働能力を取得させ、将来的な自立を促進助長することにある。
 このような各規定の趣旨及び文言に照らすと、専修学校等に進学した世帯員の世帯分離又は世帯分離解除をするか否かの判断については、処分行政庁に相応の裁量権が付与されているものの、その判断時における専修学校等に進学した世帯員の就学状況、収入・支出等の経済状況、分離された保護世帯の状況等に基づき、世帯分離又は世帯分離解除を行うことにより専修学校等に進学した世帯員及び分離された保護世帯の将来的な自立の促進助長に効果的であると認められるか否かが検討されるべきであり、その検討過程ないし結果(判断の内容)が著しく合理性を欠く場合には、当該世帯分離又は世帯分離解除の判断は、処分行政庁の裁量の範囲を逸脱・濫用するものとして違法性が認められると解するのが相当である。
 そして、生活保護手帳別冊問答集には、「とりわけ『その世帯が要保護世帯となる場合に限る』という要件が課されていない分離については、世帯分離の趣旨が生かされるよう配慮が必要」と記載されていることに照らすと、他の世帯分離の場合と異なり、世帯分離を行わないとすれば「その世帯が要保護世帯となる場合に限る」という要件が付されていない本件の世帯分離については、専修学校等に進学した世帯員の収入が増えて世帯分離を行わなければ当該世帯員を含めた世帯収入が最低生活費を上回る状態となる場合であっても世帯分離を継続することが可能とされていると考えられる。専修学校等に進学した世帯員の収入が増加したことのみをもって世帯分離を解除することは相当でない。
イ あてはめ
 この規範に基づき、孫の収入や必要な学費、看護学校の性質(准看護科と看護科が同質性・連続性を有する過程である)、そして処分行政庁が原告に渡した書面等にも言及し、「処分行政庁の担当者は、孫の収入が大幅に増額したことを契機に、孫の収入を含めれば原告夫婦への生活保護が廃止できると考えて世帯分離解除をすべきであるとの判断をしたものと推測される」、しかし「長期的・俯瞰的な視点からすれば、(中略)世帯分離を継続することが孫及び原告夫婦の経済的な自立に資する状況にあったことは明らか」、「処分行政庁の担当者は、(中略)孫の収入の大幅な増加という表層的な現象に専ら着目したがゆえに、(孫の世帯分離が)経済的な自立助長に効果的である状況が継続しているかという視点に欠けるところがあったというべき」認定し、処分行政庁の世帯分離解除の検討過程ないし結果は著しく合理性を欠いていたとしました。
 そしてこの世帯分離解除が違法である以上、収入合算は認められず、保護廃止も違法で取消を免れないとしました。
 なお、本判決は、民法上の祖父母と孫の扶養関係は自分を犠牲にしてまでの生活保持義務ではなく、生活扶助義務(自分の腹を満たして後に余れるものがあれば援助する義務)と解されていることを踏まえ、「世帯分離解除により孫が自らの収入で原告夫婦の扶養を強制されるような事態を招くことは相当でないということもできる」とも判示し、扶養義務の点からも孫の就学を後押ししました。
(3)争点③について
 なお、争点②で取消しを認めたため、争点③については「判断するまでもなく」として判断は示されませんでした。
6 本判決の評価
 本判決は、生活保護世帯の子どもの就学保障によって貧困の連鎖を断ち切り、その自立を助長するという生活保護法や子どもの貧困対策法の趣旨・目的を踏まえて、処分行政庁に対して、生活保護世帯の子どもの就学希望を最大限に尊重して、世帯分離という仕組みの適用に万全を期すことを求めたと評価できます。その意味で、生活保護制度だけでなく、子どもの貧困対策の点においても極めて重要な意味を持つものと評価できます。
 「長期的・俯瞰的な視点」や「表層的な現象に専ら着目したがゆえに(中略)自立助長に効果的である状況が継続しているかという視点に欠けるところがあった」という本判決の指摘は、目の前の保護費削減に目を奪われた担当ケースワーカーや福祉事務所の対応を批判し、早急な処分のやり直しと、二度と同じ過ちを繰り返さないことを強く求めていると言えます。
7 さいごに
 熊本県は、控訴期限の10月17日に控訴し、異例にも次のような知事コメントを出しました。
 「生活保護は法定受託事務であり、国は『生活保護におけるこれまでの世帯認定の考え方にそぐわない部分が含まれていると考えられることから、高等裁判所の判断を仰ぐことが適当であり、控訴されるべき』と判断されました。
 私は努力して貧困から脱却しようとする県民を支援する立場から、控訴回避の道を必死に探りましたが、国の判断には応じざるを得ず、断腸の思いで控訴することとしました。
 生活困窮者自立支援法においても、貧困の連鎖を防止するため、生活困窮者世帯の子どもに対する学習支援等の推進が求められており、生活困窮からの脱却を支援することは行政にとって重要な使命です。
 本日、本田厚生労働大臣政務官に対して、私から直接、今後の裁判の動向にかかわらず、生活保護の運用にあたっては、社会の実態に沿った見直しを行われるよう強く申し入れました。」
 熊本県の消極的な控訴ではありますが、控訴審でも、原告、そして生活保護世帯の子ども達の貧困の連鎖を断ち切るため、負けられない闘いが続きます。完全勝利を目指し、弁護団一同全力を尽くしてまいりますので、引き続きのご支援をよろしくお願いします。
(なお、本件の弁護団は、加藤修、国宗直子、阿部広美、中島潤史、髙木百合香(以上、熊本)、尾藤廣喜、竹下義樹(以上、京都)の7名で、加藤、国宗、中島、髙木は団員です。)

 

今村幹事長への質問

東京支部  木 村 晋 介

 本誌1796号に、今村幹事長が、ロシアによるウクライナ侵攻に関する2022年度議案について執筆しておられます。私がお願いした、反対意見に対するレスポンスと思います。感謝いたします。そこで、質問があります。
質問1 「ウクライナ戦争は、アメリカを中心としたNATOがロシアを弱体化するために行っている戦争である」「ウクライナがNATO加盟で力を得ようとしたことがロシアの侵攻の要因である」との評価について、総会では小賀坂執行部提案の通り、承認されたという認識でよろしいでしょうか。かなり特異な情勢認識と思いますので確認したいと思います。
質問2 もしそのような認識であれば、当然アメリカを中心とするNATOに対して戦争を中止するよう求める行動が提起されることになるのではないでしょうか。
質問3 幹事長は情勢認識について「学術的な分析や確定」の問題と、「具体的取組を進めるうえで極めて重要な情勢認識」の問題と分けて論じているようにも思えますが、上記の認識の問題はどちらに属するとお考えなのでしょうか。
質問4 幹事長の論稿は、読みようによっては、小賀坂執行部の提案した議案にある上記の認識は、ウクライナ戦争について様々ある認識の一つとして扱った、とも読めますが、そう理解してもよろしいでしょうか。
 質問は以上です。宜しくお願いします。

 

タガが外れた我が国の安全保障防衛政策

広島支部  井 上 正 信

 11月22日「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」報告書が公表されました。報告書の主要な内容をメモ的に整理すると以下のようなものになります。
中国の軍事力に対抗する脅威対抗型の防衛政策を求める(4頁)
 「5年以内GDP2%以上」は盛り込んでいないが「5年以内に防衛力の抜本的強化」を防衛省作成令和5年度防衛費概算要求の概要を引用して提言(4頁)。
財源問題(17頁以下)
 国債依存を否定し、国民が等しく負担するとして、増税を求める。但し法人増税には及び腰。→「広く国民が負担」消費増税に。
総合的な防衛体制の強化(9頁以下)
 国家の総力(財政、地方公共団体を含む国家組織、経済の軍事化、武器輸出による軍事産業育成、最先端科学技術研究を軍事研究へ組み込む、国民負担増)を挙げた軍事国家体制→国家総動員体制(9頁以下)
自衛隊の強化(5頁)  
 常設統合司令部と常設統合司令官創設 日米共同作戦を円滑に行うため継戦能力の強化 中国との長期間の戦争を想定 敵基地攻撃能力は不可欠、発動の仕組みを作る(自衛隊法、武力攻撃等事態法の改正もあるか?)
 既に岸田内閣は報告書が提出される前から、有識者会議で議論された内容を先取り的に実現に向けた取り組みを進めていました。
 他方で自民党と公明党による「反撃能力」について与党協議が進められており、12月1日の朝日新聞のスクープでは、与党協議の資料を踏まえたと思われる内容が報道されていました。
 ここでは「反撃能力」の保有と実行について私が今考えていることを述べます。
 安保法制により立憲主義のタガが外された結果、「反撃能力」保有と実行の提言は憲法9条、立憲主義はもはや全く意に介されなかった。
 安保法制は、自衛隊創設以来長年にわたり集団的自衛権行使は憲法違反であることを一片の閣議決定でひっくり返して作られた防衛法制でした。これを立憲主義のタガを外したと批判されました。
 今回の「反撃能力」保有と実行を可能にする有識者会議報告書は、長年にわたり専守防衛の下で敵基地攻撃能力保有は憲法上できないこととされていたものを、いともあっさり覆して、「反撃能力」は不可欠だとしました。
 安保法制でいったんタガが外された立憲主義は、今回全く問題にすらされませんでした。有識者会議の議事要旨と報告書には、専守防衛という言葉すら登場していないことがそのことを物語っています。
 そうはいってもさすがに岸田総理は、専守防衛を否定できませんでした。その代わり必要最小限度の「反撃能力」を行使するとして、専守防衛を維持するというのです。
3 必要最小限度の「反撃能力」の行使?  
 必要最小限度の「反撃能力」を行使するとは一体何なのでしょうか。私は理解不可能です。必要最小限という言葉の意味が曖昧、不明確である以上に、抑止力を高めるための「反撃能力」であるにもかかわらず、最初から「必要最小限度」で行使しますよと公表することは、かえって抑止力を失わせることになるからです。
 現に11月30日の与党実務者協議では、反撃能力の行使につき、攻撃対象は具体的に明示しないことを合意しています。この趣旨は、こちらの手の内を相手に晒すことになり抑止力を弱めることになるからです。
 これと同じことで、「反撃能力」の行使を「必要最小限度」にとどめることを最初から公言してしまえば、相手国は安心するでしょう。抑止は効かなくなるはずです。
 専守防衛は自衛隊が憲法違反の存在ではないとの憲法解釈の根拠ですから、政府は専守防衛の旗を降ろすことはできません。そのため岸田総理は必要最小限度の「反撃能力」行使という、支離滅裂な答弁をせざるを得ないのです。
 これではせっかく行使ができる「反撃能力」を保有しても、自衛隊の現場は混乱するでしょう。
4 必要最小限度にとどめることはできない「反撃能力」の行使
 そもそも「反撃能力」が議論されているのは、敵国のミサイルを防衛する(撃ち落とす)ことは困難になっているので、敵国のミサイルを含めた軍事基地を攻撃しなければ我が国を敵国のミサイル攻撃から防衛できないとの論理です。
 こちらから敵国領土内に攻撃を仕掛ければ、敵国はそれを上回る規模で我が国へミサイルや航空攻撃を仕掛けてくることは当然予想しなければなりません。そうすると我が国はさらに敵国領土への反撃能力を行使しなければならなくなります。世論もそれを求めるでしょう。「やられっぱなしではダメだ。もっとやり返せ。」との声が高まるでしょう。
 一旦行使した「反撃能力」は、敵国にとってはわが国を攻撃する口実になります。その結果互いに攻撃のレベルをアップさせ、際限のないミサイル戦争になるでしょう。つまり「反撃能力」の行使には「必要最小限度」はないということです。もし限度があるとすれば、ミサイルの在庫を使い切った時=撃ち方止めです。
 それだけではありません。「反撃能力」の行使は日米が共同して行うことになります。11月25日の与党実務者協議へ政府が示した方針では、「反撃能力」は日米共同対処を明記すると述べています。
 それはそうでしょう。自衛隊には現在でも独自に敵国領土を攻撃できる軍事能力はありません。兵器だけはありますが、敵国領土内の標的のデータはなく、またこれを行使する際の戦闘情報ネットワークもありません。米国に依存するしかないのです。
 米国には「必要最小限度」などもともとそのような考え方はありません。米国の戦争スタイルは、開戦劈頭で敵の防空施設、通信、司令・兵站施設、集結した敵の兵力に対して徹底的なミサイルと航空攻撃を行い、それにより航空優勢を確保してから地上部隊を侵攻させるものです。
 我が国が「必要最小限度」を超えるので、これ以上の「反撃能力」の行使はできませんと言えるわけはありません。そんなことをすれば米軍の作戦計画に穴が開くでしょう。
5 専守防衛を正面から否定する「反撃能力」の保有、行使
 有識者会議で専守防衛を議論しなかったことは当然のことと思われます。専守防衛に反しない「反撃能力」の保有、行使がありえないことは10名の有識者には当たり前の事であったと思います。有識者会議の事務局を担った内閣官房も同様です。
 専守防衛は、我が国が相手の国に対して脅威とならないとの政策をとることで、相手の国も我が国に対する脅威を削減させるという「安心供与」政策です。他方「反撃能力」は、我が国が相手の国に対して脅威となるほどの「反撃能力」を保有することで抑止力を働かせるというものですから、そもそも出発点から専守防衛とはベクトルが正反対方向です。
 私は安保法制により立憲主義のタガが外された結果が今回の「反撃能力」保有、行使をめぐる議論であったと思います。そうであれば、一旦タガの外れた立憲主義を取り戻さなければなりません。そのためには安保法制の廃止と共に、「反撃能力」の保有、行使を認めさせてはならないともいます。
*この論考はNPJ通信へ掲載されたものを転載しました。

 

「賢人会議」への要望

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 12月10日、政府主催の核軍縮に関する「国際賢人会議」のメンバーと意見交換をする機会があった。その際に、以下のような「要望書」を提出たので紹介しておく。結論は、核兵器も戦争もない世界は、全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する土台になるのでその実現に貢献して欲しいというものである。
はじめに
 2018年に開催された賢人会議は、「核軍縮の停滞や核の秩序の崩壊はどの国にとっても利益にならない。『核兵器のない世界』を追求することは共通の利益である」、「核抑止は、安定を促進する場合もあるとはいえ、長期的な国際安全保障にとって危険なものであり、すべての国は、より良い長期的な解決策を模索しなければならない」と提言していました。
 私は、「核兵器のない世界」を一刻も早く実現したいと願っていますし、核兵器に依存しない「よりよい長期的解決策」が必要だと考えています。
 そこで、本日は、「核兵器のない世界」実現の必要性と核兵器に依存しない安全保障政策について、私の考えの一端を述べさせていただきます。
マッカーサー連合国司令官のスピーチ
 1946年4月5日、ダグラス・マッカーサー連合国最高司令官は、連合国対日理事会において次のようなスピーチをしています。
 近代科学の進歩のゆえに、次の戦争で人類は滅亡するであろう、と思慮ある人で認めぬものはない。しかるになお我々はためらっている。足下には深淵が口を開けているのに、我々はなお過去を振り切れないのである。そして将来に対して、子どものような信念を抱く。世界はもう一度世界戦争をやっても、これまでと同様、どうにか生きのびるだろうと。
 彼は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は終末を迎えるだろうと警告していたのです。この警告は、核兵器の使用は「全人類に惨害」あるいは「壊滅的人道上の結末」をもたらすとして、NPTやTPNWなどの国際法規範に継承されています。にもかかわらず、現在、核兵器使用の危険性が冷戦時代よりも高まっているのです。それは、核抑止論に基づき、核兵器を国家安全保障の切り札とする核武装国や依存国が存在するからです。
核抑止論との決別を
 私は、核兵器の存在を前提とし、核兵器の国家安全保障上の必要性や有用性を主張する核抑止論が「核兵器のない世界」の実現を遠ざけている元凶だと考えています。核抑止論者たちは核兵器の効用について「精緻な議論」を積み上げてきたと誇っているようですか、それは、神についていくら「精緻な議論」をしても神の存在を証明したことにはならないのと同様の空虚な営みでしかありません。
 1980年の国連事務総長報告は次のように結論しています。
 核戦争の危険を防止することなしに平和はありえない。もし核軍縮が現実になるものとすれば、恐怖の均衡による相互抑止という行為は放棄されなければならない。抑止の過程を通じての世界の平和、安定、均衡の維持という概念は、おそらく存在する最も危険な集団的誤謬である。
 私はこの結論に賛同します。だから、「核兵器のない世界」を実現するためには「核抑止は、安定を促進する場合もある」という幻想を捨てるべきであると考えています。私たちは、「核抑止論」というレトリックに騙され続けてならないのです。
 では、核兵器をなくせば私たちの任務は完了するでしょうか。その復活を恐れる必要はないのでしょうか。
ラッセル・アインシュタイン宣言
 1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」は、次のように言っています。
 人々は、…滅びゆく危急に瀕していることを、ほとんど理解できないでいます。だからこそ人々は、近代兵器が禁止されれば戦争を継続してもかまわないのではないかと、期待を抱いているのです。
 このような期待は幻想にすぎません。たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、…戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。…製造した側が勝利するにちがいないからです。
 私は、ここに、核兵器を禁止しても、戦争が存続している限り、核兵器はゾンビのように復活するという警告を読み取っているのです。
 宣言は「人類を滅亡させますか、それとも戦争を放棄しますか。人々は、この二者択一に向き合おうとしないでしょう。戦争の廃絶はあまりにも難しいからです」とも言っています。宣言は「近代兵器」を禁止するだけではなく「戦争の廃絶」を提起しているのです。
 核兵器がなくても戦争は可能です。今もそのような戦争は続いています。核兵器廃絶と戦争の廃絶は別問題なのです。だから、戦争の廃絶を棚上げして、核兵器廃絶を求めることは可能ですし必要な営みです。けれども、戦争での紛争解決を容認する限りその復活を覚悟しなければならいのです。核兵器は戦争に勝つという軍事的合理性からすれば「最終兵器」だからです。宣言はそのことを指摘しているのです。
 そこで、想起して欲しいのは、「近代兵器」にとどまらず、あらゆる戦争と一切の戦力を放棄している日本国憲法です。
日本国憲法の平和主義
 日本国憲法9条は次のとおりです。
 第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権、これを認めない。
 全ての戦争を放棄し、一切の戦力の不保持と交戦権を放棄しているのです。その背景にあるのは、原子爆弾が発明され、使用された時代にあって、戦争に訴えることは愚かなことである。文明と戦争とは両立しない。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明を全滅することになる、という思想です。冒頭に紹介したマッカーサーの発想と同様のものです。
 国連憲章は1945年6月26日に作成されています。その時、核兵器の威力は知られていませんでした。日本国憲法は、1945年8月の広島と長崎の「被爆の実相」を知っている人々によって、1946年11月に公布されたのです。
 日本国憲法は、一切の戦力を保持しないとしています。そして、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した、としています。
 核兵器だけではなく一切の戦力を持たずに安全と生存を保持しようという決意なのです。
 それは、ユートピア思想だとしてあざ笑う人たちもいます。けれども、世界には26ヵ国の軍隊のない国があるのです。そもそも、核兵器は人間が製造したものですし、戦争は人間の営みです。ウィルスではないのです。廃絶できない理由はありません。
 私たちは、核兵器使用の非人道性を認識しているがゆえに、核兵器使用や威嚇の禁止にとどまらず、核兵器の廃絶を求めています。けれども廃絶を不可逆的なものにするためには、武力の行使を容認する戦争という制度も廃絶しなければならないのです。戦争をなくさなければ核兵器をなくせないということではありませんが、戦争の廃止は「核兵器のない世界」を実現する上で避けてはならない課題なのです。
 76年前、日本国憲法はそのことを想定していたのです。ぜひ深い関心を寄せてください。核兵器も戦争もない世界は、全人類に恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存できる基盤を提供し、人類はその可能性を全面的に開花させる新たな世紀を築くことになるでしょう。
 賢人会議が、そのような社会の実現に貢献されるよう要望します。      
2022年12月10日

 

~追悼特集~東垣内清団員を偲んで

 

ライフワークの「職場の自由と民主主義を守る」闘い

大阪支部  宇 賀 神  直

1 2022年10月5日、我らの仲間の東垣内清さん(京橋共同法律事務所)があの世に旅立たれた。
 お悔やみを申し上げるとともに、残念な想いがする。
 東垣内さんは1973年4月、15期の弁護士として「東中法律事務所」(現在の関西合同法律事務所)に入り、同時に自由法曹団に入団し、弁護士活動を始めた。1979年5月に永岡昇司さん(19期)と戸谷茂樹さん(22期)と共に京橋共同法律事務所を開設し、59年余の弁護士並びに自由法曹団の活動を行ってきた。それは人の為、世の為の弁護士活動で、その貴方は90歳の生涯を閉じた。
2 彼の弁護活動は何であったろうか
 東垣内さんは、自由法曹団2002年の岡山総会で、古希表彰され、「古希を迎えて」と題して当時の37年間の弁護活動を①労働事件、②憲法裁判、③土地収用と農民の運動、④職場の自由と民主主義の四項目に分けて、その項目の主な事件を東垣内さんらしく分類して書いている。
 労働事件は、弁護士登録の年の7月の福井県武生市の会社倒産、労働者全員首切りの裁判を含む労働争議であり、東垣内さんは、一人で福井に一年余り出張して活動し、労使協定を結び解決した。この事件は弁護士人生の出発点であった。
 次に憲法裁判だが、1965年の参議院選挙での日本共産党個人演説会で、郵便局員の塀本さんが司会の役を担当したことが国公法第102条1項、人事院規則に違反するとして逮捕起訴され、徳島地裁、高松高裁で無罪をとった。東垣内さんは主任弁護人として力いっぱい弁護活動を展開し、最高裁では他の弁護人とともに法廷で弁論を展開したが、結果は残念ながら逆転有罪。
 土地収用は弁護士2年生の時の千里ニュータウンの農地の土地収用事件で、東中光雄弁護士とともに土地収用委員会などでの闘争に参加した。
 次に職場の自由と民主主義の分野では、1973年頃より会社の職場における差別が問題となり、これに対する労働者・市民の運動が展開された。東垣内さんは主任弁護士の立場で活動する中で「思想差別と闘う大阪連絡会議」を結成し、その運動の発展の中で、「職場の自由と民主主義を守る大阪連絡会議」と名称を改め、初代会長に大阪市立大学教授の本多淳亮さんが、その後任に東垣内さんが就任した。この運動については、2001年の自由法曹団大阪支部結成35周年の「自由と人権のために(六)」に東垣内さんが「大阪職自連と団大阪支部、そして私」と題して詳しく書いている。これを読むと、彼の弁護士人生の宝ともいえる彼の活動が読み取れる。
 この年に「大阪職場の自由と民主主義を守る大阪連絡会」は結成26年を迎えているが、東垣内さんは、「大阪職自連の発足にあたり、団大阪支部幹事会に提起して運動の組織化に取り組んだ。大阪職自連の産みの親は団大阪支部であり、会長として本多淳亮先生の後を継いで会長としてささやかな貢献をしている」と結んでいる。
 私が東垣内さんとともに弁護活動をした事件で、部落解放同盟の糾弾闘争による矢田事件に関連した「中之島中央公会堂使用許可取消し処分の裁判事件」がある。昭和44年7月21日午後6時に日本共産党大阪府委員会が中之島中央公会堂において、解放同盟の圧力による「共産党議員の懲罰反対。大阪市会と議会制民主主義を守る決起集会」を行うこととし、大阪市教育委員会から公会堂使用の許可を得ていた。ところが、その前日の7月20日(日曜日)に使用許可の取消し処分を通告してきた。これは部落解放同盟の圧力を受けての処分であることは明白であった。この7月20日には自由法曹団大阪支部は団本部の上田誠吉団長を迎えて集いを開いていた。この席上に許可取消しの書面が届けられて、それに対する裁判対策が求められた。弁護団の編成は、宇賀神が主任として、小林保夫さん、東垣内さんらが担当することになり、徹夜で本訴の訴状、取消し処分の執行停止申立書、疎明書類を作成し、翌日の朝早く裁判所の受付に提出し、担当裁判官と交渉し、地裁で執行停止の決定を得た。大阪市が即時抗告し、大阪高裁と交渉に入り、集会開始の夕方6時直前に、抗告棄却の決定を得て、集会は成功裡に行われた。今でも思い出す光景は、私が高裁の裁判官室に居座り、窓から見える公会堂の入り口を眺めながら、裁判官に抗告却下の決定を求めていて、裁判官も公会堂を眺めていて、時間の経つのを見ていたことだ。こうして集会は成功したが、今後の解放同盟や大阪市当局との闘いを考え、東垣内さんや私たちは大阪市に対し使用許可処分を受けての損害賠償請求の裁判を提訴し、これも年月を要したが勝訴した。
 東垣内さんは、1981年から3年間、団大阪支部の幹事長を務めてくれた。団が好きで、みんなから「東(とう)さん」と呼ばれた。自由法曹団の新年会にも、よく来てくれた。
 ご冥福を祈ります。

 

東(とう)先生 おつかれさまでした

大阪支部  戸 谷 茂 樹

 私と50年余、事務所をともにしてきた東垣内弁護士が2022年10月5日に逝去された。享年90歳であった。
 その晩年は歩行に若干の支障があったが、車の運転には支障がなく、頭脳明晰で認知症を窺わせるような点もなかったから、まだまだ事務所の「後見人」の役割を果たして貰えるのと思っていたのに、片町の現事務所へ移転してからは姿を見ないと思っていたら、突然の訃報であった。事務所員一同も大いに驚き、また落胆したことだった。
 東垣内弁護士は、1932年5月の生れは神戸市だが、広島県豊田郡北方村の育ちで、大学は苦学しながら、京都・立命館大学法学部を卒業し、1963年4月に東中光雄法律事務所(現・関西合同法律事務所)に入所された。その入所早々、福井県武生市で発生した山甚産業の労働組合の活動家・組合員に対する不当労働行為 (解雇、差別事件)に労働者側弁護士として一人で取り組み、その裁判闘争に勝利した。それを手始めに、大阪を中心とする各種の労働事件や、徳島郵便局塀本事件・公務員に対する不当労働行為事件、また大阪の都市近郊農家に対する農地収用事件、更らには「職場の自由と民主主義を守る」ための諸活動にも献身され、その弁護士としての功績には多様なものがある。その事績は、自ら「悔いなきを期す・人生70年 弁護士四十年」と題する大著 (596頁)に纏められている。
 さて東(トウ)先生は、1979年6月に、その当初は永岡昇司弁護士と私の3名で、北河内地域の西側地域を受け持つ民主的地域事務所として「京橋共同法律事務所」を開設したのだった。その顔は、もちろん「トウ先生」だった。
 「トウガキウチ」と発音すると長いこともあり、愛称の意味も込めて、「トウ先生」だった訳である。トウ先生はアイデアマンで、例えば 「京橋共同法律事務所友の会」を創設し、年1回、秋の行楽シーズンには依頼者、相談者の方々を中心に、3台の観光バスを仕立てて、近畿各地の行楽地を訪ねたものだった。ミカン狩り、キノコ狩り、また温泉地などを訪ね、昼の宴会には事務所全員が出演する「寸劇」を披露した。この親睦旅行会は、前後10年程度は続いたであろうか。所員も皆若く、全力投球であった。友の会を通して依頼者、相談者の皆さんとは、末永くお付き合いが出来て、また、その繋がりから各種選挙での支援を依頼する関係も形成された。この「友の会」の活動はその後、全国各地の法律事務所で類似の活動が展開されている。
 さて、トウ先生のなき後、その跡を継ぐ者らの課題は、社会的弱者とされる人たちの権利を守り発展させることで、この課題を実現するのは容易ではないが、所員一同、心して対処していきたい。
 トウ先生 おつかれさまでした。

 

東垣内先生の思い出

大阪支部  岩 田 研 二 郎

 私が、東垣内先生と出会ったのは、43年前の1979年の大阪での司法修習のときで、われわれ33期の修習生が京橋共同で弁護修習となり、東垣内先生の指導をうけていました。恰幅のいい紳士で、見るからに頼もしい先生でした。弁護士1年目の1981年5月に起こった大阪電気通信大学高校の労使紛争・刑事弾圧事件がのちに起訴されて教職員5名の刑事公判が始まりました(団交拒否をする学校法人本部に抗議行動に訪れた組合員と職員の間で、背広の内ポケットから突き出していた録音機を組合員が手にしたことと「盗聴は犯罪や、警察いこう」とその職員を近所の警察署に同行しようとエレベーターに乗せたことが恐喝、逮捕監禁で起訴)
 一審弁護団に私も参加し、東垣内先生の尋問を見せてもらいました。「そのとき、あなたはどこを見ていたのか」と細かくピンポイントに尋問し、「それなら、これだけ離れたところは見えなかったのではないか」と目撃者と称する職員を詰めていくような尋問だったと思います。10期台前半の団員弁護士は、ビラ貼り弾圧事件の刑事事件で、警察官の反対尋問を繰り返しやって、反対尋問技術を磨いたと聞いています。
 東垣内先生のライフワークは、「職場における自由と民主主義の確立」で、職場における思想差別、人権侵害事件を取り扱ってこられました(松下電器人権闘争、日立造船賃金差別、寝屋川大金製作所職場八分、仕事取り上げ、川崎重工賃金差別、武田薬品工業など)。
 団大阪支部の周年誌にも寄稿され、その中に、13歳で終戦を迎える少年時代に軍国主義のもとで成長した自分と母のことを書かれた「愛国心」という文章がありました。
 「国民学校6年生の10月。レイテ沖海戦で神風特攻隊が初出動。米艦隊に体当たりした。このように戦局もいよいよ緊迫してきたある日、僕は母に「特攻隊に入って戦闘機で敵空母の煙突へ突っ込む」と昂然として話した。神国日本への愛国心がそう決意させた。母は私の言葉に何の反応もせず、夕食の準備の手を止めなかった。おそらく「死なせるためにここまで育てたのではない」と内心そうつぶやいていたに違いない。それを言葉に出せない国情であればなお辛かったのではなかろうか。そう気づくには、終戦という日を迎えなければならなかった。」(40周年誌)。
 東垣内先生のその後の平和への強い願いにつながるものとわかります。東垣内先生 ありがとうございました。

 

刑事・治安警察委員会委員会名称変更のお知らせ

刑事・治安警察委員会担当次長  小 川  款

 治安警察問題委員会の名称が「刑事・治安警察委員会」へと変更になりました。
 治安警察問題委員会は、(過去の総会資料において確認できる限り)、1994年の総会時点までは弾圧対策委員会でしたが、その後名称を変え、警察問題委員会、治安警察問題委員会と発展してきました。
 今回の名称変更は、こうした委員会の歴史を引き継ぎつつも、現在取り組んでいる死刑問題や刑事司法のIT化問題をはじめ広く刑事法全般の問題についても取り扱っていくという趣旨での変更となりました。
 今後とも奮って刑事・治安警察委員会へご参加ください。

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