第1813号 6/11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

~特集①~5月集会報告
■五月集会報告(概要)  平井 哲史

■プレ企画 / 新人若手弁護士学習会の感想  深谷 直史

■「セクシャル・ハラスメント」研修について  神原 元

■プレ企画 / 事務局員交流会の感想  中条 哲子

■プレ企画 / 事務局員交流会に参加して  荒木 美紀

■動画用キャラクター決定のお知らせ&動画作成PTへの参加のお願い  久保木 太一

~特集②~LGBT理解増進法案をどうみるか
◆LGBT理解増進法案に関する団内討議について  今村 幸次郎

◆LGBT理解増進法案の成立には反対です①~それは社会の分断をすすめます~  杉島 幸生

◆トランスジェンダー差別問題ー陰謀論に惑わされないために(前編)  太田 啓子

◆心を痛めたLGBT理解増進法案批判のこと  早田 由布子

◆トランスジェンダー女性弁護士に対する殺害予告  宋 惠燕

◆「性的マイノリティの権利擁護の視点から、LGBT理解増進法を考える」  永田  亮

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●「国家安全保障会議が中心となり他国防衛としての防衛出動命令を検討する状況が存在した」(判決原文)と東京高裁  大塚 武一

●「人間の証明」を訪ねて ~秘湯・霧積温泉と鼻曲山(下)  浅野 則明


 

~ 特集 ① ~5月集会報告

 

 五月集会報告(概要)

事務局長  平 井 哲 史

 五月集会に参加された皆様、お疲れ様でした。
 2023年の五月研究討論集会は、プレ企画を含めると5月20日(土)から22日(月)にかけて、福岡県弁護士会館をお借りしておこなわれました。会場・オンライン合わせて370名超と昨年を大きく上回る参加者が全国から集い、各分科会で学び、熱心な討論を繰り広げました。詳細はおって団報にて報告しますが、「やっぱリアルはいい!」という趣旨の感想が多く、来年に向けて弾みがついたと安堵しております。参加された皆様、ぜひ感想の投稿をお願いします。以下、取り急ぎ概略につきご報告します。
【全体会1日目】
 まず迫田登紀子団員(福岡支部)と山添健之団員(東京支部)を議長に選出。開会にあたり岩田研二郎団長より挨拶、次いで地元福岡支部より中村博則支部長から歓迎の挨拶を、福岡県弁護士会 大神昌憲会長より来賓挨拶をいただきました。
 そして、記念講演に入り、その後、今村幸次郎幹事長より改憲問題をめぐる情勢と課題のほか、死刑廃止・再審法改正、差別問題、生保切り下げ等々、本五月集会で討議するテーマに関する基調報告と問題提起がおこなわれ、各分科会にわかれました。
【記念講演】
 前泊博盛沖縄国際大学教授より「安保関連三文書と沖縄~放置国家から法治国家へ」というタイトルで記念講演をいただきました。
 講演は、とにかく面白く、レジュメを少々離れて、琉球の時代からの「日本」による沖縄の位置づけを紹介しつつ、歴代日本政府も問題は解決しようとするのではなく「放置」してきたこと、日米地位協定の問題を指摘し、その沖縄でいま何が起きているのかを部隊編成や装備(すでに弾薬を3倍に備蓄している等)にまで触れて紹介し、「国を守る」と言ったときに守るのは「国民」ではなく「国体」ではないのか、「傍観者的国防論と当事者的非戦論」等々の問題提起も交えて、軽妙な語り口でおこなわれました(団員専用ページに動画をアップしていますのでぜひご視聴ください。)。
【全体会2日目】
 2日目の分科会の後におこなわれた全体会では、特別企画として用意したハラスメント研修(解説とパネルディスカッション風の寸劇。誤解された向きもあったかもしれませんが、あれ台本ありです。)をおこない、その後、岩田団長が石垣島に移住し活動されている元事務局の方へのインタビューを収録した動画を上映。その後、通常の全体会に入り、次の7本の全体会発言がありました。
1.給特法の問題 齋藤 園生団員 東京支部
2.技能実習生の問題 石黒 大貴団員 熊本支部
3.教科書リーフ活用の訴え 長谷川 悠美団員 東京支部
4.再審法改正と死刑廃止に向けて 小川 款団員 千葉支部
5.マイナンバーの問題 永田 亮団員 神奈川支部
6.生活保護引き下げ問題 脇山 美春団員 大阪支部
7.入管法の問題 松本 亜土団員 大阪支部

 次いで、以下の5本の特別決議を執行部から提案・採択しました。
1.「大軍拡」を阻止し、憲法9条を守り活かすために全力を尽くす決議(案)
2.外国人労働者の搾取と人権否定を招く外国人技能実習制度の速やかな廃止と、外国人が孤立することのない共生社会を目指す決議(案)
3.袴田事件再審開始決定確定を受けて、全てのえん罪被害者の救済のために死刑廃止・再審制度の抜本的改革を求めるとともに、一刻も早い袴田事件再審無罪確定を求める決議(案)
4.生活保護基準引き下げ違憲訴訟の大阪高裁判決に抗議し、政府に対し生活保護基準の見直しを求める決議(案)
5.よみがえれ!有明訴訟 福岡高裁不当判決を追認した最高裁決定に断固抗議し、国に対し直ちに真の解決に向けた協議の場を設けることを求める決議(案)
 そして、拡大幹事会に移り、幹事長から5名の新入団員の承認申請があったことの報告と提案があり、承認がなされました。
 最後に、総会開催地の大阪支部から杉島幸生支部幹事長より歓迎のご挨拶、次いで、開催地福岡支部より前田憲徳副支部長から閉会の挨拶をいただき、散会となりました。
【プレ企画・福岡支部企画】
 支部企画は、「学校の現状と子どもの権利の重要性~校則、制服、いじめ問題を通じて~」を行いました。福岡支部から4人の団員が講師に立たれ、ミニ報告と質疑応答をおこないました。詳報は追って感想文が掲載されることになろうと思いますので、そちらに委ねたいと思いますが、それぞれ短時間ですが、大変要領よくまとめられた報告をいただき、参加者からも自身の経験に基づく質問や意見が出され、個人的には出色の出来の企画でした。福岡支部の皆様には感謝申し上げます。
【プレ企画・新人若手弁護士学習会】
 5月集会プレ企画の新人向け学習会では、熊本支部の石黒大貴団員(70期)に、ベトナム人元技能実習生孤立死産死体遺棄被疑事件の最高裁逆転無罪判決獲得のご報告と1審からの弁護活動の経験談をお話しいただきました。石黒団員は、私の同期で、同期団員のLINEグループなどでもこの事件が話題に上がることが少なくなかったため、個人的にも非常に楽しみにしていました。
 石黒団員からは、孤立死産と死体遺棄という従来からあった問題と外国人技能実習制度における女性実習生の妊娠に対する不当な取扱いの問題という二つの側面からお話をいただくとともに、無罪を勝ち取るまでの法廷内外での様々な奮闘についてお話ししてもらえました。特に印象的だったのは、同期である関口速人団員(滋賀支部)のつながりで松宮孝明教授とつながることができ、意見書を執筆してもらえたという点です。同期や団員のつながりの重要性を新人や若手に伝えることができる良いエピソードだったと思います。
 質疑応答も盛り上がり、懇親会にも多数の新人・若手が参加してくれました。次回もまた多くの新人・若手によい学習と交流の機会を提供できるようにしたいです。(担当次長:高橋寛)
【プレ企画・将来問題企画】
 将来問題企画は2部構成で、第1部では、近年、研修所に入る前に’就職先’を決めてしまい、地方に人が来ない問題、団員の事務所になかなか人が入らない問題をどう克服していくのか、どこに突破口を見出すのかを若手アンケートや各地の経験に基づき意見交流をしました。第2部では、法曹人口大幅増の中で広告のうまいところに依頼が集中し、確かなルートを持たず広告もうまくない多くのところは収入を大きく低下させる二極化が進行している状況で、国選事件をとらないなど弁護士会のおこなう公益活動の減退も見られるようになっているという認識のもと、宮崎・成見暁子団員から法曹人口増の弊害問題について問題提起をいただき、若干の意見交換をしました。
【プレ企画・事務局員交流集会】
 事務局員交流会では、全体会で國嶋洋伸弁護士より
 「よみがえれ!有明訴訟~「宝の海」を取り戻す闘い~」の講演と、支援団体の林田さんより現地支援・支援団体の経験からの報告を頂きました。分科会では新人分科会とIT分科会に分かれ、全国各地の団事務所の事務局と交流ができました。
 コロナ禍以降、久しぶりの地方リアル開催で新人事務局含め多数参加してくれました。
 全国の団事務所事務局と交流できる絶好の機会ですので、来年はもっと各地方からの参加者が増えてくれることを期待します。また、「こういった企画をしてほしい!」や「こういう交流会にしてほしい!」等のご意見がありましたら積極的に声をあげて下さい。
【団員有志企画】
 ぞえさんCLUB & にひネットとのコラボ企画と、女性部企画が、それぞれ1日目の夜に開催されました。

【分科会報告1日目~2日目】
*憲法問題分科会(1日目 /2日目)

担当次長  加 部 歩 人

〇1日目
 1日目の憲法分科会では、冒頭約15分、直前に行われた前泊博盛さんによる全体会記念講演に対する質疑応答に続いて、改憲阻止対策本部から4本のリード報告が行われた後、意見交換を行いました。前泊さんには最後まで分科会にご参加いただきました。
 1本目のリード報告は、森孝博対策本部事務局長から、安保3文書の概要についての報告でした。国家防衛戦略の内容が表に纏められていたり、改定後に安保3文書の内容の具体化が急ピッチで進められている様が新聞記事等の出典付で具体的に示されるなど、簡潔でありながら活用しやすい内容の報告でした。
 次に坪田優次長から「立憲主義、民主主義からみた安保3文書」と題して、敵基地攻撃能力に関する従来の政府答弁や武力行使の新三要件との関係など、基本的な論理から安保三文書の違憲性を改めて訴える報告がなされました。あまりこのテーマに馴染みのない参加者にも配慮され、憲法学習会等でまずおさえるべきポイントを明確にした報告でした。
 続いて緒方蘭団員(東京支部)から、「国民生活からみた安保三文書」と題し、改定後安保3文書の具体化のために防衛費がいかに拡大し、国民生活が犠牲になっているかを浮き彫りにする報告がなされました。中でも、いかにして防衛費を確保するのか(決算剰余金の活用、税外収入、歳出削減、増税、国債流用)の解説は、今最もニーズのある内容の報告だったように思います。
 最後に私(加部)から、「ウクライナ侵攻と安保3文書」と題し、ロシア軍のウクライナ侵攻によって生まれ、又は高まったと思われる護憲派・軍拡反対派にとっての「説得のためのハードル」を指摘し、これを克服するための3つの視点について提起させていただきました。個人的には、ウクライナ戦争後、私たち市民があまりにも「国家対国家」「国家戦略」といった概念で戦争や軍事を語り、国家と自らの意識を同化させることに慣らされすぎているという点を強調したつもりです。
 意見交換では、会場とzoomから間断なく発言がありました。軍拡によらない平和構築をどうしたらよいか(どう訴えていけばよいか)、米国からはどのように見えているかといった、リード報告を深める意見が出たり、安保3文書の具体化として経済安保法制や軍需産業支援法が整備されていること、専守防衛からの転換によって自衛隊員や家族の置かれている状況(人権侵害)も見逃してはならないことといった、リード報告を補う意見も出されました。また前泊さんの同席もあり、辺野古・変更工事「不承認」を巡る訴訟支援についての問題提起や、馬毛島基地建設問題に関する取り組みの報告・支援の訴えもなされました。
〇2日目
 2日目の憲法分科会では、1日目の報告・意見交換も踏まえつつ、具体的にどのような学習・宣伝を行えば、大軍拡阻止、実質・明文改憲阻止の大きな運動につなげていけるのかについて、久保木太一次長による学習会の実践例紹介の後、参加者と討議を行いました。
 久保木次長の報告は、図やグラフを多用しながら、安保3文書の問題点を網羅し、平易な言葉で伝える学習会の例を提供するものでした。報告資料は全て著作権に十分配慮されており、団員が各地で学習会を行われる際に是非ご活用ください。
 また久保木次長から、対策本部の「ゆっくり解説動画」の企画の取り組みや、同動画に登場するマスコットキャラクターのコンペを行い、70期以降の若手団員のみの投票によって「ホウ」と「セイ」に決定したこと、また「大軍拡・大増税」阻止に関する学習会の講師活動について団本部で奨励金事業を開始したことが報告され、奨励金の活用が呼び掛けられました。
 その後の討議では、小野純司団員(福岡支部)から、憲法に関心のない方々や、改憲賛成の方まで広く参加してもらうにはどうしたらよいかという問題提起を皮切りに、全国各地で取組の工夫等についての発言が相次ぎました。「学習会の依頼ルートを共有してくことがとても重要」、「例えば若者に人気のポピュラーソングの歌詞を掘り下げて憲法的価値を見出すなど、憲法といわずに憲法に気付くきっかけをつくることを意識している」、「とっかかりは全然勉強にもためにもならないことでよい。とにかく憲法に興味を持ってもらえればと思って、中身のないテーマソングを派手な格好して歌い踊り、ユーチューブで公開したりしている。」、「中国と本当に戦争になったらどうなるのか、経済的な関係などリアルに考えてもらうことが大事。」、「日本のふるまいが周辺国にどのような影響を与えているのかを、相手国のメディアを見て紹介するのも有用。」といったように、実際的なアイディアが披露されました。

 

*刑事・治安警察問題分科会

担当次長  久 保 木 太 一

 死刑問題分科会では、講師として、イノセンス・プロジェクト・ジャパン(旧・えん罪救援センター)で活動している笹倉香奈教授(甲南大学教授)をお呼び、ご講演いただきました。
 イノセンス・プロジェクト・ジャパンには学生も多く関わっており、現在、関西の大学生を中心に、250人を超える学生が登録しているとのことです。そのことからも、冤罪の問題は、政治信条に関係なく、若者でも関心がある問題なのではないかとのことです。
 また、笹倉教授は、SBS(揺さぶられっ子症候群)検証プロジェクトも立ち上げており、すでに関わった10件で冤罪が認められています。それにもかかわらず、検察官はそれらの事件を冤罪とは認めておらず、単に「合理的疑いを超えなかった」としています。
 日本における大きな問題点として、司法の「否定の文化」(司法の無謬性への信仰)があり、冤罪について検証がされず、システムへの反省にも繋がらないということがあります。
 死刑廃止についても、冤罪の存在というのは、死刑廃止理由の中核になると考えられます。
 米国は、民主国であるにもかかわらず、今や数少ない死刑存置国(現在55カ国)として、日本と特殊な共通性があります。
 もっとも、米国では、死刑判決の数もピーク時の16分の1となっており、州レベルで見ても、年々多くの国が死刑廃止、もしくは、死刑の執行停止を宣言しており、死刑廃止に向けた流れがあります。
 米国でも、日本と同じように司法の「否定の文化」がありましたが、冤罪事件の存在が認識されるようになり、1992年には、民間で、ロースクールでの教育と融合したイノセンスプロジェクトなども立ち上げられるようになりました。
 イノセンス団体は、DNA鑑定を用いたことにより、「完全な無実」の証明に成功し、冤罪への認識が低かった司法・社会の状況を一変させます(「イノセンス革命」)。
 現在は第2の波として、検察庁の中にも冤罪究明部門ができており、民間団体とも協力している。これは、イノセンス運動により、検察官の非違行為が主要な冤罪原因のひとつであることが判明し、社会の関心が高まったことが背景にあります。
 アメリカでは、1972年以降で、死刑言い渡し後に雪冤された死刑確定者の数は192名います。このほかにも、執行後に冤罪の可能性が判明した者が20名います。
 アメリカでは、死刑事件についてはスーパー・デュー・プロセスが執られますが、他方、日本では他の事件とは区別して扱われません。ちなみに、スーパー・デュー・プロセスに必要な莫大なコストも、死刑制度の衰退に繋がっていると考えられています。
 アメリカが素晴らしいわけではないですが、アメリカではスーパー・デュー・プロセスの下でも誤判が生じ、死刑冤罪が不可避であることが実証されてしまっています。しかし、日本は、そもそも理想が低く、アメリカのような厳格な手続がなく、その裏返しとして、死刑冤罪事件が発覚しても、反省がありません。
 少なくとも、日本においても、冤罪事件から学び、現状の手続を監視し、誤りが発見された場合には、それをしっかりと検証し、同じ誤りを繰り返さないようにする努力をすることが重要だと思います。それが日本において不可能なのであれば、死刑という刑罰は手続法の観点からも受け入れられないと考えられます。
 笹倉教授の話は、とても分かりやすく、また、冤罪事件の解明と慎重な手続を求めることが、やがて死刑制度廃止の流れになるだろうという具体的なビジョンもあり、今後の活動にとって大変参考になるものでした。各団員からもとても好評でした。

 

*差別問題分科会

担当次長 永 田  亮

 差別問題分科会では、東京弁護士会の師岡康子弁護士を講師にお招きして、「ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを止めるために ~国際人権基準に合致する反差別法制度制定を」と題したご講演をいただきました。
 まず、ヘイトスピーチが歴史的、構造的に社会において差別されてきた人種、民族、社会的出身、国籍、性別、性的指向、性自認、障がいの有無などの属性に基づくマイノリティ集団・個人に対する、属性を理由とする差別的言動、とりわけ差別の煽動を指し、ヘイトスピーチの放置が差別的動機に基づく犯罪であるヘイトクライムに繋がることが述べられました。
 ヘイトスピーチは、マイノリティに属する人々に対しては、平等な人間、社会の一員として認められないことにより、日常的に屈辱感、苦痛、恐怖を感じ、心身を害し、平穏な日常生活を破壊し、実生活に被害をもたらし、人間関係を壊し、黙らせる弊害があること、そして、社会全体においてもマイノリティへの差別・暴力が浸透することで、平等に関する言論を萎縮させ、民主主義をも破壊する結果(ひいてはジェノサイド)を招くものとなります。現在もヘイトスピーチはなくならず、公人による発言やネットでの差別文言の書き込み、選挙に名を借りた差別発言などは続き、ヘイトクライムとして現れた京都ウトロ地区放火事件など、重大な結果を招く状況に至っています。
 また、国際人権基準についても、様々な資料の引用の上で説明がなされ、日本が繰り返し厳しい勧告を受けながらその義務を果たしてきていないこと、移民統合政策指数、ジェンダーギャップ指数など数多くの指標においても差別禁止法が存在しないことにより極めて下位に位置づけられていることも説明されました。国連は「包括的反差別法制定のための実践ガイド」というものも策定しており(現在日本語訳なし)、マイノリティの権利擁護のための様々な施策が具体的に記載され、日本に対しても速やかな差別禁止のための法整備が求められています。2016年にヘイトスピーチ解消法は制定されましたが、明確な禁止規定、制裁規定が必要であり、被害者救済を第一に考えるべきことが課題となっています。
 差別をなくすための法整備の一環として、多くの自治体においては差別解消のための条例が整備され始めていることも紹介され、とりわけ川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例の意義として、包括的な差別的取り扱いの禁止と繰り返された場合の罰則やインターネット上の拡散防止措置が定められていることなどの特徴が説明されました。
 上記の師岡弁護士の講演に加え、外国人差別の問題をテーマとして、熊本支部の石黒大貴団員からベトナム人実習生死体遺棄事件無罪判決について、大阪支部の松本亜土団員から難民認定事件と入管法改悪についての報告がなされました。
 参加者には女性団員や事務局も多く、差別に関する課題についての関心の高さがうかがえました。あらゆる差別のない共生社会を目指してこれから団が取り組みを行って行くにあたっても参考になる分科会になりました。

 

*労働問題分科会

担当次長 坪 田  優

 労働問題分科会では、最初の1時間で南山大学法学部の緒方桂子教授から「職場におけるハラスメントをめぐる問題」について基調講演をいただきました。ハラスメントとは何か、という初歩的に見えつつも正確に捉えることが難しい問題について、これは即ち、職場における有形無形の権力構造下において行われる「承認の剥奪」であり、これによって、他者からの承認を剥奪され社会生活から排除されるのではないかという不安や恐怖を相手に与える行為であると指摘されました。ハラスメントとは、職場における人間関係の間に客観的に存在するものであり、「個人の感じ方」の問題などではないことを改めて認識すると同時に、パワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントを含むあらゆるハラスメントが、いかなる職場や権力関係を伴う人間関係においても生起し得るものであるということ、すなわち我々弁護士も様々な局面において当事者となりうることを痛感しました。  
 また、緒方先生が実際に第三者委員として担当をされたパワー・ハラスメント事案についても、上記のようなハラスメントへの理解の観点から、決定的な出来事がないかのように見える事案においても、当事者間の関係や日常的な行為、所作等、事案を仔細に分析することによって、ハラスメントを認定する道筋があらわれるということを解説していただき、弁護士としてハラスメント事案に取り組む際の重要な視座を与えていただきました。
 そして、講演の後半では、諸外国、特に韓国におけるハラスメントに関する法的規制について、日本の労働法との比較の観点からご紹介をいただき、特に、韓国法においては、パワー・ハラスメントに関する申告を行った労働者に対して、調査期間中の適切な保護措置をとることが使用者の義務とされているといった点が印象的でした。
 分科会の後半の1時間では、緒方先生の講演に対する質疑応答、そして全国各地の団員からの事件報告をしていただく経験交流を行いました。紙幅の関係上、その詳細をご紹介することはできませんが、障害のある労働者の雇用において、使用者に対し、当該労働者の障害の特性に関する理解を深め、その特性に配慮した必要な措置を講ずるなど、当該労働者がその有する能力を職場で発揮する上で支障となっている事情を改善し、合理的配慮の提供が円滑に行われるよう、組織的な職場環境の改善に努めるといった条項を含めた画期的和解のご報告、パワー・ハラスメント事案における労災認定及び使用者との間での勝訴的和解のご報告、また、昨年最高裁の不受理決定によって就労先との直接の契約関係に関する大阪高裁判決が確定した東リ偽装請負事件に関するご報告など、様々な事件のご報告をいただきました。
 緒方先生の基調講演、各地の団員からのご報告いずれも大変充実したものであり、実りの多い分科会とすることができたと思います。来年の5月集会も、引き続き良い分科会とすべく尽力いたします。

 

*貧困・社会保障問題分科会

担当次長 髙 橋  寛

 貧困・社会保障問題分科会では、分科会前半の講演の講師として、北九州所在のNPO法人「抱樸」の代表者である奥田知志さんをお呼びし、社会保障問題への対策のあり方、コロナ禍における問題点、生活困窮者支援における視点などについてお話をお伺いしました。
 奥田さんは、長年生活困窮者支援などに携わってきただけでなく、政府の審議会の委員等も務められたご経験があり、実体験とデータの両方に基づく広い視点でのお話をいただくことができました。
 ハウスレス(住居のない状態、経済的困窮)とホームレス(帰る場所やつながりがない状態、社会的孤立)の違い、「孤立を作らせない」という支援の考え方、コロナ禍において増大した行政による特例貸付とセーフティネットの問題点(ワーキングプアに対する支援)、単身世帯の増加と家族機能の社会化、などなど、60分という限られた時間の中で多くのお話をいただき、今まで意識することができなかった視点を獲得できたとともに、持っていた思考が線でつながるような体験することができました(別の分科会に参加された方は、ぜひ、パワーポイント資料だけでもお読みになってみてください)。
 特に印象に残っているのは、貧しさ(ハウスレス)・さびしさ(ホームレス)が、国による戦争実行の大きな要素になるというご指摘です。
 ご用意できたのが60分という限られた時間であったことが非常に名残惜しく思います。
 分科会後半では、各地の団員からの事件報告や経験交流を行いました。特に、地方における生活保護と自動車保有の問題、各地での生活保護引下げ違憲訴訟の報告と反省や決意表明に関する発言が多くを占め、全国規模で団員が集結することのできる5月集会ならではの機会となりました。
 来年もまた、良い分科会とできるように頑張ります。

 

5月集会プレ企画・新人若手弁護士学習会の感想

埼玉支部  深 谷 直 史

石黒先生のご講演を聞いて
1 プレ企画参加のきっかけ
 2023年3月24日、最高裁で逆転無罪判決が出されました。ベトナム人技能実習生が自宅で孤立出産をしてしまい、死産した双子のえい児の亡骸をタオルで包み、段ボール箱に入れて、その上に別のタオルをかけ、更にその上に手紙を置いて段ボール箱を自室内の棚の上に置いた行為が、死体遺棄罪に問われて起訴された事案です。この無罪判決は、2つの理由で私に衝撃を与えました。
 一つ目は、法律家にとっては周知の事実ではありますが、最高裁での逆転勝訴はかなり稀であるからです。一審、控訴審と有罪判決を受けていながら、最高裁で無罪判決を取ることがどれだけすごいことか、言うまでもありません。
 二つ目は、画期的な無罪判決を獲得した弁護人の先生が、歴戦の大ベテランではなく、司法修習70期という若手弁護士の先生であったからです。私は74期です。4期上の先輩がこのような素晴らしい成果を上げられていることを知って、負けていられないぞと奮起すると同時に、このような「社会を変える判決」を獲得するにはどうすればいいのかを知りたくなりました。石黒先生のお話を是非聞いてみたいと思っていたところ、5月集会でこのような企画があると知って、今後の弁護士活動の指針を得ようとプレ企画に参加しました。
2 プレ企画参加の感想
 石黒先生のお話を聞いて涙を抑えられない団員もいるほど、心打たれる学習会でした。参加者みんな、無罪判決が出て本当に良かった、と思っていました。石黒先生の講演を聞いて、石黒先生には世の中を動かして社会を変える4つの「心」があると(勝手に)感じました。これからの仕事においても大切にしたいと思ったことなので、それを書いていきたいと思います。
⑴    社会に関心を持つ心
 石黒先生が成果を上げられた背景には、外国人技能実習制度の問題点に関心を持たれていたことがあると思います。同制度の問題に全く関心がなければ、日本に来てたまたま逮捕され刑事裁判にかけられてしまった人としか依頼者を見ることができないかもしれません。控訴という選択肢すら思い浮かばないかもしれません。

言うまでもないことですが、外国人技能実習生制度は多くの矛盾を抱える問題だらけの制度です。同制度が現状どのように運用されて、どのような醜悪な人権侵害が行われているのか、それを変えるためにはどうすればいいのか、を常に考えられているからこそ、本件でも一審判決で終わりにするのでなく、3年間という長期間を最高裁まで戦い続けることができたのだと思います。社会を変えるきっかけを見逃さないためにも、様々な社会問題に関心を持つことの大切さを感じました
⑵ 問題点を分析探求し、理不尽な現状に挑戦する心
 会場から、「一審で執行猶予判決がされた事件で、上訴をするのは躊躇するのではないか」、との質問がありました。皆さまも報道などでご存知かもしれませんが、孤立出産に死体遺棄罪が適用されて有罪になった例はたくさんあります。それに加えて、執行猶予判決なので依頼者が直ちに刑務所送りになるわけではありません。上訴をしたとしても、判断が覆る可能性も非常に低いです。依頼者の利益や事件を担当する労力などを考えると、多くの弁護士が上訴をするのにためらいを感じる事案です。
 この質問に対し、石黒先生はこう話されました。「私自身も最初はそう思っていたが、孤立出産事例において死体遺棄罪がどのように適用されてきたのかを調査したら、最後に争点とされていたのは大正時代のことだった。これを知って、『やむを得ない事情で孤立出産をして無罪を主張したかった母親が、100年もの長い間、有罪判決をうけて来たのではないか』、と思うようになった。だから、自分は上訴することに決めた。」、と。前述したとおり、孤立出産事例で死体遺棄罪が適用されて有罪判決が出るケースはたくさんあります。その事象の表面をなぞるだけでなく、真の問題点を発見して探求する心が大切だと痛感しました。
 世の中には声を上げたくても上げられないで苦しみ続ける人がたくさんいます。特に、孤立出産は、母親が孤立しているがゆえに生じています。石黒先生のされていたことは、まさに孤立出産をした母親の「声なき声を聴く」ことであり、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする弁護士にとって不可欠な心構えであると思いました。
 そして、勝率だけで判断するのではなく、理不尽な現状に対し挑戦する心が大事だと感じました。
⑶ 依頼者と向き合い、寄り添う心
 一審判決を受けて、依頼者も当初は控訴をしないと言っていたそうです。つらい、早く国に帰りたいと漏らすこともあったそうです。見知らぬ土地で妊娠をして、何もわからないまま逮捕されて裁判にかけられている依頼者にとって、この刑事裁判がどのくらい苦しいものなのかは明白でしょう。そのような依頼者の気持ちに寄り添い、石黒先生は、無罪を求める署名がたくさん集まっていること、応援してくれている人がたくさんいることを依頼者に伝えたそうです。その後、依頼者は裁判を続ける決心をしました。
 孤立出産をする母親は複雑な事情が絡み合って孤立出産に至っていると、石黒先生は語ります。本件の依頼者も、日本語がほとんどできない、多額の費用をかけて日本に来ている、妊娠をすると本国に帰されるなどの様々な事情があって、誰にも相談できずに孤立出産に至っています。その心情のつらさは、想像を絶するものです。それなのに、日本の法律では画一的に孤立出産そのものを犯罪化していないか、と先生は疑問に思ったそうです。
 決して独りきりの戦いではない、みんなが応援していると依頼者を勇気づけられたこと、終止依頼者の心情に寄り添い続けた先生の弁護士活動が、今回の判決にも繋がっていると思いました。
⑷ 諦めない心
 石黒先生は、「最初は、無罪は無理だと思っていた。だが、何があるかわからないから、やれるところまでやってみようと思って頑張りました。高裁判決で、一定程度成果を得られたこともあって、何とか最後までやることができました。」と語られました。
 刑事事件では、残念ながら、弁護人にとって上手くいかないことが多いと思います。残念ながら、ベストを尽くしても結果に繋がらないことも多いと思います。残念ながら、頑張っても認められないことも多いと思います。私の少ない経験でも、もう刑事弁護辞めたいと思ったことは何回もあります。この事件でも、心が折れそうになる瞬間が何度もあったと思われます。
 それでも、諦めずに、学者の先生から意見書も書いてもらい、市民の方から意見を公募して(アミカス・キュリエの利用)、マスコミの力も借りて、あらゆる力を総動員して裁判を続けてきたそうです。その結果、無罪判決という最高の結末を迎えられることができたのではないかと思います。
 最後はやはり、諦めない心が肝心なのだと痛感しました。
3 まとめ
 以上の4つの「心」が、石黒先生のご講演を聞いて私が(勝手に)感じたものです。つらいときも、諦めそうになったときも、今回の石黒先生のお話を思い出して頑張りたいと思います。そして、「社会を変える」ためにも、日頃から研鑽をして努力していきたいと思いました。

 

5月集会「セクシャル・ハラスメント」研修について

神奈川支部  神 原  元

1 はじめに 
 2023年自由法曹団五月集会において、千葉恵子団員らを中心に「セクシャル・ハラスメント」研修がなされました。千葉団員はじめ関係者の真摯な取組みに敬意を表します。私も加害者層に属する一人として、今後も学び、過去を振り返って自戒していきたいと思います。その上で、当日のチャット欄の議論を含め、若干の問題提起をお許し頂ければ幸いです。
2 「セクシャル・ハラスメント」とは何か 
 まず、「セクシャル・ハラスメント」とは何かについてです。この点、厚労省の指針で均等法11条の「性的な言動」とは、性的な事実関係を尋ねること、性的な内容の情報を意図的に流布すること、性的な関係を強要すること、必要なく身体に触ること、わいせつな図画を配布すること等が含まれるとされているようです。「セクシャル・ハラスメント」をこれと同義に解釈するならば、それは性的な逸脱行為であると理解される可能性があります。
 しかし、私は、これではやや狭いと思っています。たとえば、上智大学のホームページでは「セクシュアル・ハラスメントとは、相手の望まない性的な言動または性差別的な意識に基づく言動をいいます。」とされ、人事院規則の解釈では「「性的な言動」とは、性的な関心や欲求に基づく言動をいい、性別により役割を分担すべきとする意識又は性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動も含まれる。」とされています。自由法曹団は、後者、すなわち、「セクシャル・ハラスメント」に「性別により役割を分担すべきとする意識に基づくもの」を含む解釈に立つべきでしょう。
 たとえば、団内で、「憲法24条の問題は女性部がやればいいじゃないか」との発言がなされたと仮定します。当該発言は性的な関心に基づくものではないとしても、「性別により役割を分担すべきとする意識」に基づくものです。そのような場合、自由法曹団においては、「セクシャル・ハラスメント」であると認定されなければなりません。
3 セクシャル・ハラスメントの認定に被害者の意 思は重要か。
 次に、「セクシャル・ハラスメント」の認定において、被害者の意思はどの程度重視されるべきかという論点があります。一般に「セクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかの判断は、あくまでその言動を受けた本人が不快に思うか否かによります。」(前記上智大学HP)とされており、5月集会の研修も、その前提に立って議論が進められたと思います。しかし、以下の事例はどうでしょうか。
 「元東京都知事の猪瀬直樹氏が、東京選挙区で維新から立候補予定の女性を応援演説した際に、女性の体に複数回触れたことに対し、『セクハラ行為にあたる』とSNS上で批判される事態になっている。」「身体を触られた女性は17日、朝日新聞の取材に対し、『(胸に)当たったわけではない』『肩をポンポンという感じ(の触れ方)なので問題視はしていません』などと話した。」(朝日新聞2022年6月17日)
 ここで、被害者の女性の発言は真意ではない可能性もあります。しかし、机上の想定として、仮に被害者の「問題視していない」との発言が真意だったとしましょう。私はそれでも、本件は「セクシャル・ハラスメント」であり、社会的に批判されるべきだったと考えます。
 なぜならば、「セクシャル・ハラスメント」の本質は、「女性差別」であり、差別は被害者に被害を与えるだけでなく、社会正義そのものに反すると考えるからです。本件で被害者が猪瀬の行為について「問題視しない」という態度を取れば当該行為は、以後、同種の行為について「問題ない」とするよう、被害者側に社会的圧力がかかることにないでしょうか。そうなれば、被害者側は沈黙を強いられ、「セクシャル・ハラスメント」という社会悪が広がってしまうのではないでしょうか。
 このように考えていくと、「セクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかの判断は、あくまでその言動を受けた本人が不快に思うか否かによります。」という一般論についても、もう少し議論が必要だと思っています。

 

5月集会プレ企画・事務局員交流会の感想

福岡 よつば法律事務所  事務局 中 条 哲 子

 事務局員交流会に参加しました。
 有明訴訟弁護団の弁護士國嶋先生と有明訴訟の事務局をしておられる林田さんのお話でした。説明がわかりやすく、また熱い思いも伝わる内容で、すごくよかったです。有明訴訟の話を全体像から細かな点まできちんと聴けたのは初めてでしたし、國嶋先生の話が分かりやすく、福岡に住んでいながら「なんとなく」しか知らなかった有明訴訟のことをおさらいできました。改めて、国がとる態度や行動に対して「おかしい!」「許せん!」という思いがふつふつと湧き上がるお話でした。
 事務局の林田さんの熱のこもった話にも引き込まれました。有明訴訟だけでなく、様々な集団訴訟の事務局をしてこられた方で、これまでの経験・体験からにじみ出る強さを感じました。これまでの自分の生き方に「悔いはない」と力強くおっしゃっていた言葉が印象に残っています。
 後半は事務所のIT化についての交流会でした。集団事務所の方が多かったので、サイボウズやキントーンを使っているところが多かった印象でした。事務員目線の便利なアプリなど情報交換の場にもなる交流会でした。
 また、これから随時導入が進む予定のMintsだけでなく、すでに始まっているweb会議を行う上で困っていることなど、事務局目線での「あるある」についても共有できました。
 私自身、自由法曹団の5月集会(総会も含めて)に、すごく久しぶりに参加させていただきましたが、福岡開催なのに地元福岡市内の事務所の事務局さんの参加が私しかおらず、さみしいなと感じましたが、福岡から東京に行った北村さん含め、全国の事務局のみなさんと交流&懇親できて楽しかったです。

 

事務局員交流会に参加して

熊本 熊本中央法律事務所 事務局  荒 木 美 紀

 私は熊本中央法律事務所事務局の荒木美紀と申します。二十歳の息子を持つ年齢ですが、入所1年のオールドルーキーで、錆びついた頭をフル回転させてメモを取り、言葉の意味を調べ、先輩事務局の方々に教えていただきながら、何とか1年が経ったという感じです。
 今回は新人事務局の交流会ということで、お若い方ばかりだろうと思っていましたが、新卒で入所1ヶ月の方から、同世代で20年以上のベテランの方まで参加されており、様々なお話を聞くことが出来て大変有意義な時間でした。
 同じ法律事務所とはいえ、弁護士や事務局の人数も様々で、仕事の進め方も担当制やグループ制、1ヶ月毎の交代制などそれぞれでした。弁護士30名に対し実働事務局が10名程度という事務所もあり、毎日の電話や来客対応、郵便物の多さを想像するだけでも大変だろうと思います。
 そんな中で私が一番驚いたのは、弁護士への連絡が伝言ノートやメモである事務所が結構あるということです。弁護士や事務局間の情報の共有がタイムリーに行えないというのは想像がつきません。弊所ではチャットワークを利用していますが、それは情報の宝庫です。お客様のお名前や電話番号を入力して検索をかけるだけで、いつどんな相談をされたか分かります。事務局が逐一情報を入力することで、担当や進捗を全体で把握できるので、業務をこなす上で欠かせないツールです。他にもサイボウズやキントーンを利用している事務所もありました。以前はノートやメモを使用していた方も、「もう二度と紙には戻れない」と仰っていました。弁護士のスケジュール管理等も話題にあがり、手書きの手帳を朝から確認していても、予期せぬ来客に戸惑う等の話も聞かれました。
 私が日々の業務をこなす中で困っている事、面白いと思える事が、他の方も同じように感じている事が分かり、私だけではないと勇気をいただきました。
 早口の電話対応や法律用語、相手から話を聞き取っても日本語で言われているのに意味が分からないことが多々あります。裁判所からの電話で「イジハイシの決定書の受領をお願いします」と言われ、頭の中で漢字に変換できなかった事をお話すると、皆さん同じような経験をされているようでした。
 「送付嘱託」「利益相反」「債務名義」・・・ これまでの人生の中では耳慣れない用語の数々ですが、最近少し慣れてきたところです。
 また、面白いと思う業務の第1位は相続調査でした。私も戸籍を辿る作業に慣れてきて面白いと思えるようになってきたので共感できました。原戸籍の読みにくい達筆な文字も漢数字も、なんとか読解し、取り寄せに成功した時の達成感は大きいものです。
 このように同じ仕事をしている者にしか分からない喜びや苦労、困った時の対処法など、色々と伝授していただいた機会に感謝しています。ありがとうございました。次は5年後くらいに大方のことは理解できるようになった頃、また参加させていただきたいです。

 

動画用キャラクター決定のお知らせ&動画作成PTへの参加のお願い

担当次長  久 保 木 太 一

1 動画作成PTとは
 自由法曹団の発信力の強化のために、動画作成PTが立ち上げることとなりました。
 PTの詳細は、余談も含めて、5月集会の特別報告集において報告しましたので、簡単に要領だけ説明すると、
⑴ プロのイラストレーターにお願いし、(「ゆっくり解説」でいうところの霊夢と魔理沙の役割をする)自由法曹団オリジナルキャラクターを作成する
⑵ 動画作成PTでは、動画の字コンテを作成する。5分程度の動画を月に1本作成することを目指す
⑶ 動画の作成自体は外注する
⑷ この動画企画を坂本基金の第一弾企画とする
 というような感じです。
2 動画用キャラクターの決定
 はじめの一歩として、動画で用いるキャラクターを、コンペで決定しました。
 プロのイラストレーター4名に作品を提出していただき、70期以下の団員のみが投票権を持つ形で、Googleフォームのアンケート機能を使って投票を行いました。
 54票の有効投票の結果、イラストレーターの岩間みどり様にデザインしていただいた「ホウ」と「セイ」が1票差の接戦を制しました。
3 動画作成PTにご参加ください
 私も責任を持って立ち上げメンバーの1人となるので、我こそはという方(若手を想定しています(小声))は、ぜひ加わってください。要領にもありますが、動画作成自体はプロに外注でき、また、絵コンテではなく、字コンテ(脚本及び字によるイラスト指示)を作成すれば良いだけなので、負担はさほどなく、かなり楽しい活動になるはずです。
 なお、すでに上記の投票段階で、「関心がある」と答えてくださった若手団員の方も複数いました。
 6月末か7月上旬頃に最初のキックオフミーティングをリアルとZOOMの併用で行う予定ですので、ご関心のある方は、下記までご連絡ください。

 

~特集 ②~LGBT理解増進法案をどうみるか

 

 LGBT理解増進法案に関する団内討議について

                               幹事長  今 村 幸 次 郎

1 情勢と課題 
 ご案内のとおり、G7広島サミット直前の本年5月18日、自民・公明の与党は、2021年5月14日に超党派議員連盟が合意したLGBT理解増進法案(超党派議連案)に修正を加えた同法案(与党案)を国会に提出しました。この修正に反対する立憲・共産・社民は、同日(本年5月18日)、超党派議連案を対案として国会提出しました。こうした動きに対して、維新・国民両党は、同月26日、与党案に一部修正を加えた独自法案を国会に提出しました。
 団は、この問題について、LGBTQの当事者など「多様な人々が平等に社会の中で暮らしていけるよう包摂された社会作りが重要である」との立場から(2022年総会議案書78頁)、「法整備を含め、人々の様々な性のあり方がありのまま尊重され、性のあり方によって個々人が差別されることなく、安心して生活できる社会の実現」に向けて取り組むこととしております(同年10月24日付総会決議)。
 他方で、トランスジェンダー問題をめぐっては、総会参加者から、性自認にしたがった処遇を法的に求めることから生じうる公衆トイレ・公衆浴場等の利用調整の課題等に関する団内議論が不十分である旨の指摘もなされているところです。
 そこで、団本部としては、今回のLGBT法案に関連して、現在国会に出されている3法案の問題点と課題等を学習したうえで、上記の指摘も踏まえた団内議論を行い、22年総会方針に沿う形で同法案に関する意見表明を行いたいと考えています。
2 進め方
(1)LGBT理解増進法案学習会
 来る6月13日午前10時から、団本部において、一般社団法人fair代表の松岡宗嗣さんを講師にお招きして、今国会に出されている3法案について解説していただき、質疑応答、意見交換したいと思います。講演の後、超党派議員連盟の宮本岳志衆議院議員(日本共産党)から国会情勢等に関する報告をいただきます。詳細は、永田次長の別稿をご参照ください。
(2)6月17日常任幹事会
 6月17日午後1時からの常任幹事会では、こうした議論・検討等を踏まえた常任幹事会決議案を提案させていただき、常任幹事の皆さんでの討議をお願いしたいと考えております。3法案の法案要綱、関係資料、常幹決議案は、事前に常幹MLに送信しますので、ご検討のうえ討議して頂ければと思います。
3 トランスジェンダー問題について
(1)   LGBTをめぐる問題の中で、特に議論になりがちなのがトランスジェンダーに関するものかと思われます。
 団では、総会での議論状況を踏まえ、本年2月1日、大谷大学講師の西田彩先生を講師にお招きし、「トランスジェンダーについて考える学習会」を開催しました。その中で、私たちは、性自認とは、本人の自由意思で選択・変更できるものではなく、ましてや、他者によって「矯正」することのできないものであることを学びました。そして、トランス当事者の方は、各自、性別移行のプロセスを経たうえで、性自認に基づく社会生活を行っているのであって、「今から女」といえば直ちにすべてのことを認めなければならないというものではないことも、この講演から学びました。そもそも、今国会に出されている3法案は、いずれも「理解増進法」であって、行政や事業者や学校に対して、具体的な措置を命じるものではありませんし、身体的特徴に基づく区別の全てを禁止するものでもありません。
 したがって、この種の法案が通るだけで、「取り扱いの区別のすべてが許されなくなり、社会が危険にさらされるというのは、よく言って大げさ、悪くすればデマゴギー」(齊藤笑美子「『性自認』問題の論争点と論争のあり方(法と民主主義・23年5月号)」)ということになります。
(2)他方で、トランス当事者の方(性別適合手術を受けていない・受けられない当事者のうち、性別移行した生活を営んでいるトランス女性の当事者)は、この問題が議論されるたびに、「男性器」「身体男性」という言葉を繰り返し強調され、その尊厳を奪われ深く傷つけられているという現状があります(西田講演レジュメ90頁など)。
 大阪弁護士会の仲岡しゅん弁護士も、「(トランスジェンダー女性に関して)トイレや風呂ばかりをクローズアップする議論は、性別移行の困難さや、そこに生身の人間の人生が存在することへの想像力を欠くものと感じます」と述べています(自由と正義・23年5月号)。
 団内でこの問題について討議する場合も、この点には十分留意したいものです。
(3)そのうえで、指摘されている「性自認の尊重に関する多くの女性の懸念」といったものに対応した議論が必要という意見については、議論を拒絶するということではなく、この点も含めた丁寧な議論が必要だと考えています。
 この問題については、今回の3法案はいずれも理解増進法であり、この種の法律が通ると取り扱いの区別がすべて許されなくなるものではないということを基本に、今後、身体的特徴に基づく区別を行う場所や場面、区別を行う目的、区別が必要とされる理由、区別的措置の相当性、施設の利用自体が阻害されないかどうか等を考慮して、対立を先鋭化させないように、個別具体的、技術的に解決していくことが望ましいと思います。
 よろしくお願いします。

~注記~
本特集の原稿は、太田団員・宋団員による緊急投稿以外は、仲岡弁護士に対するヘイトクライム事件の前に執筆・投稿されていたものです。

 

LGBT理解増進法案の成立には反対です①
~それは社会の分断をすすめます~

大阪支部  杉 島 幸 生

1 3つのLGBT理解増進法案が提出されました
 現在、国会には、自公案、立共社案、国維案という3つのLGBT理解増進法案(増進法案)が提出されています。微妙な違いはありますが各党とも増進法の成立をめざすことでは共通しています。マスコミの多くも早期成立を求めています。しかし、これには多くの女性たちから女性の権利を侵害するのではとの不安の声があがっています。ところが、その声がまともに取り上げられることはほとんどありません。それどころか、声をあげた女性たちは、法案の早期成立をめざす一部の人たち(以下、推進派)から、差別主義者、トランスヘイターなどと厳しく非難されています。私は、こうした状況のまま増進法を成立させれば、女性たちが懸念する事態が生じる恐れは充分にあると考えています。また増進法を根拠に女性たちを非難する態度が強まれば、社会の分断が進んでいくとも考えています。このまま増進法案を成立させるべきではありません。
2 身体が男性であるトランス女性はどこまで女性なのでしょうか
 女性たちの不安は、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)のうちのトランスジェンダー、とりわけ男性から女性へのトランス(移行)を求める「トランス女性」に向けられています。トランスジェンダーと聞くと、多くの人が、自分が認識している性(性自認/性同一性)と身体の性の不一致(身体違和)に苦しみ性別適合手術などの医学的介入を求める人たち(性同一性障害=GID)を思いうかべると思います。しかし、トランスジェンダーの中には、身体的違和は弱く身体はそのままに他方の性で生きたいと考える人たちもいます。つまり男性器のある「女性」、女性器のある「男性」として生きたいと考える人たちがいるということです。女性たちの不安は、こうした身体が男性であるトランス女性をどこまで「女性」として処遇すべきなのかというところからきています。
3 女性たちの不安は当然のことです
 推進派は、男女の区別は生物学的に決定されていると考えることは誤りであり、性別は、その人の認識する性(性自認)によって決定されるとしています。この立場からは、「性自認」が女性であるなら男性器はそのままでも「女性」だということになります。これを徹底すれば、これまで女性専用スペースと考えられてきた公衆浴場や更衣室、女子トイレなどにも男性器のあるトランス女性が登場してくることが想定されます。LGBT先進国といわれる諸国では、実際にそうしたことが生じています。ある女性は「心が女性、体は男性が同じトイレに入ってくることは私も怖いと感じる」とツイートしていました。別の女性は、「多くの女性たちにとってペニスを公衆浴場で目にすることや、男性に見える人が女性トイレや更衣室にいること自体が恐怖なんです」とツイートしています。男性の身体と女性の身体の非対称性や、性被害の重大性を考えれば、当然のことだと思います。女性専用スペースを不安なく利用したい、こうした女性たちの声を無視するようなことがあってはなりません。
4 そこからは理解や共感は生まれません
  ところが推進派は、こうした声をあげる女性たちを差別主義者、トランスヘイターなどと非難しています。先の二つのツイートも定型的なトランスフォビアと非難されていました。トランス女性を女性として認めないことであり、その性自認を否定するものだということのようです。しかし、それは推進派の立場からの一方的な非難にすぎません。女性専用スペースに男性器のあるトランス女性がいることへの不安や恐怖を口にすることを差別だとして非難することは、女性たちに沈黙を強いることと同じです。ここでは「差別」という強い言葉がそのための武器となっています。しかし、その沈黙は非難をおそれてのことでしかありません。沈黙しない女性たちは、よりいっそう差別主義者と非難されるか、あたかも存在しないかのように無視されることとなります。そこから理解や共感が生まれることはありません。生まれるのは反発と分断です。
5 それは誰にとっても得るところがありません
 たとえ厳しい意見の対立があったとしても、対話を重ねることができるなら少しずつでも相互理解が進んでいくことが期待されます。しかし、異論をもつ者を差別主義者などと決めつけ対話を拒否するのではそれを期待することはできません。不安の声をあげる女性たちのほとんどは、職場や学校など、女性専用スペース以外の多くの日常生活上の場面では、トランス女性とともにあることを当然の前提としていました。そうした場面をどう広げていくのか、そのために社会は何ができるのかと問題設定がなされたのであれば、対話をすすめる余地は充分にあったはずです。推進派の頑なな態度がそれを困難にしています。
 ジェンダー法研究者である齋藤笑美子氏はその論文(「『性自認』問題の論争点と論争のあり方」・法と民主主義・2023年5月号)において「今般の議論で、困難を助長しているのは、区別が行われる理由を議論することを許さない傾向があるからである(これはSNSの世界をウオッチして感じた話で、幸いにして私が属する学界のことではない)。これでは混迷は深まるばかりで、理解増進すら進まないという事態が招来され、誰にとっても得るところがない」と述べています。まさにそうした事態が起きているのだと思います。
6 さらなる分断をすすめます
 推進派の中には、差別主義者と議論することは、その言い分にも一理あると思わせる効果を生み出すとして対話の拒否を呼びかける人がいます(対話の拒否)。そこには自分の正しさを絶対視する独善的な態度が見て取れます。しかし、これだけでは自らの正しさを確証することはできません。そこで、社会は特権を持つ者と持たざる者に構造的にわかれており、特権者は当事者の声に寄り添い差別の構造とたたかわない限り特権者でありつづける(マジョリティ特権論)、特権者からの問題提起は構造的差別が組み込まれた偽りの問題であって、当事者の生きづらさを語ることこそが「正義」である(当事者中心主義)という「理論」がもちだされることとなります。トランス女性を女性専用スペースに受け入れようとしない女性たちは、その性自認を問われない特権者であり、特権者から出された偽りの問題について対話をする必要などないというわけです。ここからは対話を通じて自らの正しさを検証しようという態度はでてきません。この考え方は、トランスジェンダーとそれ以外の市民を、差別者と被差別者という永遠の対立関係に位置づけたうえで、トランスジェンダーの権利を常に上に置こうとするものであって、ときに対立しながらも、対等平等の市民としてともに社会を形成していくという思想とは無縁です。かつて部落解放運動のなかに、部落民以外は空気を吸うように差別意識をもっている、なにが差別なのかは差別された者にしかわからないのだから、差別者が差別者でなくなるためには自分たちの言うことに従わなければならないという部落排外主義が持ち込まれ、市民の中に分断と混乱が生まれました。推進派の主張はその再現です。それはさらなる分断を進めます。こうした態度は厳しく批判されなくてはなりません。
7 ともに生きる社会のために             
 なるほど「特権者」であることへの「罪の意識」や、トランスジェンダーの生きづらさへの共感から推進派に賛成する人たちもいることだと思います。しかし、男女の身体の違いを無視し、女性たちの不安に耳を傾けない推進派の態度は、私たちの日常的な生活感覚とは大きく齟齬しています。それが社会全体のものになるとも、長続きするとも思えません。推進派は、SNS上でトランス差別的言説が拡大しているなどと言いますが、それは推進派の誤りがそれだけ多くの人の目に明らかになってきたということなのであって、差別の拡大とは違います。今後、女性たちの懸念するような事態が生じてくれば、その反発は、トランスジェンダーと言われる人たちに向きかねません。私はそれを心配します。トランス当事者の中にもそう考える人たちがいます。そうならないためには、増進法を拙速に成立させるのではなく、いったん立ち止まり、トランスジェンダーとそうではない人たちが、ともに生きる社会とはどういうものなのか、私たちはどういう社会をめざすのかを丁寧に議論することがぜひとも必要です。              

 

トランスジェンダー差別問題
ー 陰謀論に惑わされないために(前編)

神奈川支部  太 田 啓 子

1 一部弁護士にもみられる差別言説
 今国会で審議されているLGBT理解増進法案は、審議するごとに自民党の修正により内容が後退し、野党提出法案を含め3案が並ぶ混迷状態にある。とはいえ、自民党修正案も「性的指向並びに性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」ことを基本理念と謳うものであり、条文案を見ても、なんら、性的マイノリティの人権保障のためにマジョリティの人権保障が後退させられる要素などない。
 ところが、昨今、LGBT理解増進法案に絡めたトランスジェンダー差別言説が、団員含む弁護士の間でさえ見受けられる。これに強い危機感をもって本稿を書くことにした。
2 陰謀論の蔓延
 数年前から主にTwitterで蔓延しているトランスジェンダー差別言説は、端的にいうと陰謀論に基づいている。
 例えば、「LGBT理解増進法ができると性自認が女性だと自称しさえすれば女風呂にも更衣室にも男性器をもつ者が公然と入ることができるようになる。これは女性の安心安全を脅かす」「トランス女性は女性トイレを使っていいと公認することになる。そうすると、トランス女性を装って犯罪者が女性トイレに入りやすくなり、女性の安全が脅かされる」などがその典型である。
 このような言説を根拠にして法案に反対する意見は、トランスジェンダー当事者の現状やリアルな日常生活を知らない、あるいは知ろうともしないで、現実離れした陰謀論を根拠にした差別的言説である。
 トランス女性の多くは、以前から、当事者個々の具体的状況と、その女性用スペースの性質との相関関係により、周囲に見咎められる等の社会生活上のトラブルを起こさないか見極めながら、状況に応じ多目的トイレ、女性トイレ、男性トイレを使っている。たいていの当事者は自分がどう見られるか、女性スペースにいることを見咎められるような状況ではないか慎重に見極めようとしていて、どんな状況でも女性トイレを使いたいとこだわっているのでは全くない。不審がられ、トラブルになるのは通常避けたいからである。浴場は個室トイレと違い全裸になるところなので、場所の性質が異なる。女子トイレであれば周囲から「女性」とみなされ、特段不審に思われないため女子トイレを使ってもトラブルにならない状況のトランス女性も、男性器があれば女性浴場にあえて入りたいとは通常思わない。あえて入りたいと述べるトランス女性が仮にいても、それは大勢の意見ではあり得ない。
 従って、「LGBT理解増進法ができたら、性自認は女性と言いさえすれば、身体状況がどうであれ女風呂を使えるようになり、女子トイレの利用を公認することになる」というのは何重にも誤った言説なのである。ところがこのような言説を、肩書を明らかにした上でSNSで公然と述べる弁護士がいて、その肩書が差別的言説に一定の信用性を与えてしまっていることは極めて深刻である。
 本当に女性の安全を守りたいと思うのであれば、むしろ、「性犯罪目的で立ち入った人が「トランス女性」と自称さえすればそれだけで警察はひるんでしまい何もできない」という弁明を使って性犯罪を企図する者を抑制するため、それは誤解だと積極的に拡散すべきであろう。何度も性被害を経験し、性暴力に強い恐怖心をもつ当事者の一人としては、性暴力を恐れる女性の不安をいわば利用してトランスジェンダーへの偏見と憎悪が煽られることは耐え難い。
3 深刻な悪影響
 このような差別的言説はインターネット、特にTwitterに蔓延しており、そのような言説を目にした当事者を自殺したいとまで追い詰めるほどの深刻な現状がある。また、報道によれば、トランス女性である仲岡しゅん弁護士(大阪弁護士会)は、6月3日、「男のクセに女のフリをしている」「チャンスあったらメッタ刺しにする」などの殺害予告を受けたとのことである。差別的言説によってトランスジェンダーへの偏見と憎悪が煽られた延長として、このような深刻なヘイトクライムが現実に発生している。このような差別的言説に加担する弁護士が現実にいることは極めて嘆かわしく、恥を知るべきである。
 次回の原稿で、差別的言説への処方箋として、トランスジェンダー当事者のリアルを知るための資料を紹介する。(後編へ続く)

 

心を痛めたLGBT理解増進法案批判のこと

東京支部  早 田 由 布 子

1 衝撃的な街頭宣伝 
 5月下旬の平日昼頃、都内の駅前を歩いていたとき、LGBT理解増進法案反対を掲げる人たちが街頭宣伝していたのを見て衝撃を受けました。50代前後の女性(に見える方)たちで、口々に「女性トイレに男性が入ってきますよ!」という扇動的なフレーズとともにビラまきをしていました。繁華街ではなく、住宅街の中にある比較的大きな駅です。
 彼女らは、トランス女性(出生時に男性と割り当てられたが、女性として生きる人)が女性トイレを使用することに反対し、LGBT理解増進法が成立すればトランス女性が女性トイレを使用することを止められない、性犯罪が増えると訴えていました。
 トランス女性に犯罪者のレッテルを張り、差別感情がむき出しになった街頭宣伝であり、トランス当事者がこの街頭宣伝に遭遇したらどれだけ傷つき精神的に圧迫されるでしょうか。非常にショッキングでした。
2 LGBT理解増進法案はそのような法律ではない
 今国会で成立が目指されているLGBT理解増進法案は、自民党の修正によりその内容が後退しましたが、「性的指向並びに性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」ことを基本理念としています。反対論者から言われがちなトイレや風呂の話題は法文上何も出てきませんし、本法案とは無関係です。
 そもそも「不当な差別」(差別に不当でないものなどありませんが)は、憲法14条のもとでも許されていません。公衆トイレや公衆浴場、はたまた女性スポーツのあり方など、現在議論の俎上に挙げられているものがいくつかありますが、一つ一つについて丁寧な議論が必要です。場面によっては「区別」が生じることもあるでしょう(私も、男性の身体的特徴のある方が公衆の女性風呂を利用することにはにわかに賛同しかねますが、そのような主張をしている方を見たことがありません)。しかし、「差別」と「区別」が異なることは私たち法律家にとっては常識ですが、法律になじみのない方にとってはそうではありません。私たちが、憲法14条のもとでもLGBT理解増進法(あるいは差別解消法)のもとでも合理的な区別はなしうること、それと「差別」は質的に全く異なることを説明すべきなのではないでしょうか。
3 「理解増進」は不十分だが
 反対論者からたびたび聞く言葉は「心が女性/男性って理解できない」というものです。理解できると思うほうが傲慢ではないでしょうか。理解できても理解できなくてもそこに当事者は存在し、個人として尊重されなければなりません。「理解できない」という言葉は、当事者にとって刃です。
 出生時に女性/男性と割り当てられたが男性/女性として生きることを望む人たちが現に社会に存在すること、その方々がどんな困難と遭遇しているのか、性別適合手術を受ける人もいるが身体的負担も大きく受けられない人もいること、個人として尊重されなければならないこと・・・これらについての理解を増進することが重要であり、この法律案の規定するところです。
 当初目指されていた「差別解消」から「理解増進」に後退したこと、当事者の権利が規定されていないことは不十分です。その他にも当事者から指摘されている問題点は多々あり、もともとの差別解消法を成立させるべきです。しかし、不十分なものであっても法律があることで、少なくとも自治体での取り組みが変わるでしょう。
 女性トイレ問題を中心として「不安感」が叫ばれていることは、トランスジェンダーに対する理解が不十分であることを意味し、LGBT理解増進法の必要性も示していると考えます。
4 一部の「詳しい人」だけの問題ではなくなった
 4月の統一地方選挙の際にも、「女性の安全が脅かされる」という文脈で女性トイレ問題について選挙演説を行う候補者(私が見た方は全員男性として届出)が複数いました。その批判対象は多様性を重視する政策を採る、リベラル・左派に分類される政党や政治家で、我々自由法曹団員にも親和的であろう方々です。ジェンダー問題については一部の詳しい人に任せようという向きが自由法曹団内でもあると認識していますが、関心の高まりから、詳しい人に任せていい問題ではなくなりました(もとからですが、あえて、そう言います。)。
 私が本年度委員長を務める第二東京弁護士会「両性の平等に関する委員会」は、本年5月31日付で「全ての性の平等に関する委員会」に名称を変更しました。私はトランスジェンダーについてまだまだ不勉強で、この投稿についても不十分な点が多いであろうと思いますが、「全ての性の平等」をめざし、さらに勉強していきたいと思います。
 自由法曹団にも、女性差別問題を含めたジェンダー問題について団全体として取り組むよう求めます。

 

トランスジェンダー女性弁護士に対する殺害予告

神奈川支部  宋  惠 燕

 トランスジェンダーであることを公表している仲岡しゅん弁護士に対して、2023年6月3日から、殺害を予告する脅迫が多数回に渡って送られています。「男のクセに女のフリをしているオカマ野郎をメッタ刺しにして殺害する」といった差別用語とともに、残忍かつ陰湿な内容で殺害を宣言する、これはまさにトランスジェンダー当事者に対するヘイトクライムです。いま、この原稿を書いている最中も、仲岡弁護士宛に身の毛もよだつような脅迫が次から次へと届いています。
「私とあんたの楽しい楽しい鬼ごっこの始まりだよ。
 もう工事は終わってるの?まだなら私があんたのを切ってあげるよ。縦に切り割いた後切り取ってあげるよ、取ったのは持ち帰って後で焼いて食べさせてもらうから。他にも色々あんたと遊ぶ方法考えてるんだ、メッタ刺しはやめておくかな(笑)」
 ここにある「工事」というのは、性別適合手術のことを指します。性別適合手術を終えてないのなら、生きたまま、男性器を縦に切り裂き、それを焼いて食べると脅迫をしているのです。
 近年、特にインターネット上でトランスジェンダー当事者に対する差別発言が溢れています。女性の安全を守るという大義名分の下、トランスジェンダー女性に対する不安を煽り、男性器の有無によって女性として分類・仕分けして、これに該当しない当事者を排除しようという動きもあります。しかし、このように、マイノリティに対する不安を煽り、憎悪を引き起こす言動は、ヘイトクライムにとどまらず、引いてはジェノサイドまで惹起しかねない危険な行為です。
 ちょうど100年前の1923年9月、関東大震災において、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを信じた一般人が、多くの朝鮮人を虐殺しました。虐殺の背景には、日本人の朝鮮人に対する差別的感情があったということが現在では広く知れ渡っていますが、当時は、
 朝鮮人に対する不安感、朝鮮人は犯罪者予備軍であるかのように煽る新聞、朝鮮人を二流の「日本人」(当時は朝鮮半島は植民地だったので朝鮮人には日本国籍がありました)とみなす風潮から、朝鮮人を排除することは差別ではなくむしろ正当化される時流がありました。中には「国を守るため」に殺害したものだから国から報奨金がもらえると考えて、自ら警察に朝鮮人の殺害を申告した者もいたそうです。また、たとえ殺人罪で起訴されても、刑事の法廷においては、笑いが起こるような、人間を殺害した事件を裁いているとは思えない雰囲気があったといいます。
 この朝鮮人に対する差別の構造は、今のトランスジェンダーに対する差別と同じではないでしょうか。トランスジェンダー当事者を「女性を守るため」という大義名分の下、犯罪予備軍のような扱いをし、世論の不安感を煽り憎悪を植え付ける。そして、これは差別ではなく合理的な理由があるのだと主張する。
 しかし、このような言説が放置されているからこそ、トランスジェンダー当事者に対するヘイトクライムが起こるのです。日本社会が、関東大震災時の朝鮮人虐殺と同じ轍を踏むことにならないように、私たち団員は、トランスジェンダー当事者に対する差別を決して許さず、この卑劣なヘイトクライムを根絶すべく立ち向かわなければなりません。

 

「性的マイノリティの権利擁護の視点から、LGBT理解増進法を考える」

差別問題委員会 担当次長 永 田  亮

1 広島G7サミット開会に先立ち、性的マイノリティの権利擁護のための法制度の必要性が世間を騒がせました。2023年2月、岸田首相秘書官が性的マイノリティに対する差別発言を行ったこと、その後に岸田首相が多様性が尊重される社会の実現に努力する考えを表明したことなど、性的マイノリティの権利について社会に注目が集まっていた中で、日本を除いた「G6」とEUの駐日大使が連名で、性的マイノリティ(LGBTQ)の人権を守る法整備を促す書簡が岸田首相に出されていた、ということがきっかけとなります。国連人権理事会から、マイノリティのための権利擁護の法整備を求める勧告が繰り返し行われながらもこれを無視し続ける日本に対し、国際社会から厳しい目が向けられています。
2 本年2月に自由法曹団は、西田彩先生を講師にお呼びして、トランスジェンダーについて考える学習会を実施し、性的マイノリティとりわけトランスジェンダー当事者が、社会の中でどのような立場に置かれているか、人としての尊厳がどれだけ奪われているかについて詳細に学ぶ機会を持ちました。人権擁護に取り組む自由法曹団としても、2022年10月24日の京都総会で採択された「多様な性のあり方の尊重を求め、すべての人が平和に安心して生活できる社会の実現を求める決議」を踏まえ、性的マイノリティの当事者の苦境や人格への侵害を真摯に見つめ、それを解消していくための取り組みを進めていく必要があります。
3 今、国会にはLGBT理解増進法案という名称で、3つの法案が審議されています。2016年の差別解消法案以降、継続的に性的マイノリティの権利擁護のための法整備が議論されていますが、与党をはじめとした保守派の反対により実現に至っていません。今通常国会において提出されている法案は、超党派合意案(立憲・共産・社民)、与党修正案、維新・国民案の3案になります。
 それぞれの法案には多くの違いがありますが、例えば超党派合意案では定義として「性自認」とするものが、与党修正案では「性同一性」、維新・国民案では「ジェンダーアイデンティティ」と表現されたり、超党派合意案では基本理念として「差別は許されない」としていたものが、与党修正案、維新・国民案では「不当な差別はあってはならない」とされ、超党派合意案で記載されていた「調査研究を推進」が、与党修正案、維新・国民案では「学術研究を推進」に変更される、維新・国民案では「すべての国民が安心して生活することができるよう留意する」が追記される、などさまざまな点で異なる内容となっています。
4 先の福岡5月集会の差別問題分科会で学んだように包括的な差別禁止規定が求められる状況において、「理解増進」にとどまるいずれの法案にも不十分な点があるとはいえ、性的マイノリティが法的に全く保護されていない現状のままでいいと言うこともできません。
 今まさに心が切り刻まれるような状況にある性的マイノリティの権利擁護と、すべての人が安心して生活することができる共生社会の実現のために、我々法律家は、どのような法文が望ましいか、どのような法文は認めるべきではないか、誠実に向き合い検討する必要があります。
 国会は会期末が近づいていますが、自由法曹団の弁護士として、3法案の具体的な内容と問題点を学ぶべく、差別問題対策委員会は、緊急の学習会を企画しました。一般社団法人fair代表理事の松岡宗嗣さんをお招き(Zoom)して、3法案の違いと問題点、今後の課題について解説していただきます。また、お忙しい中ですが、超党派議連の共産党の宮本たけし議員からもZoomでの参加になりますが国会情勢等のご報告をいただけることになりました。詳細は以下のとおりとなります。
 性的マイノリティの方々も包摂して、安心して暮らせる社会の実現のため、3法案をしっかりと学ぶとともにどのような社会を目指すか、一緒に考えましょう。

 

【~緊急企画~LGBT理解増進法案学習会】
《日 時》2023年6月13日(火)午前10時00分~
《会 場》団本部+Zoom
《講 師》講演(Zoom):松岡宗嗣さん(一般社団法人fair代表理事)
     報告(Zoom):宮本たけし議員(共産党、超党派議連)

 

「国家安全保障会議が中心となり他国防衛としての防衛出動命令を検討する状況が存在した」
(判決原文)と東京高裁

群馬支部  大 塚 武 一

 現在安保違憲訴訟は、22の裁判所、25の訴訟が、地裁、高裁、最高裁に係属しています。国は、法廷で、憲法問題の認否を徹底的に回避する手法をとりつづけ、まともな認否をしない中、ほとんどの裁判所は、憲法証人や内閣法制局元長官他を採用する、というせめぎあいが現在までつづいています。
 群馬の高裁判決は、5月25日に言い渡されました。高裁での課題は、権利侵害は、防衛出動の対象となるべき「特定の事象」の存在が認められなければ判断できないとの一審判決をいかに超えるかです。そこで私たちは、この具体的な「特定の事象」を国の安全保障の司令塔である国家安全保障会議の動きを正面に据え、弁護団で分担して地道な調査を行いました。その到達点が、憲法学者青井未帆教授の証人尋問でした。青井先生に安保法制施行後の2017年に、早速、国家安全保障会議が動き出していることを具体的に語っていただき、例えば、深夜に開催された四大臣会合を行政開示文書で明らかにするなど、先生の臨場感豊かな証言で、すでに日本が存立危機事態と重要影響事態のシミュレーションを想定していた事実を裁判官に知ってもらい、さらに関心を持ってもらうこころみを行いました。日米の軍事のトップが直接会談をしていた事実と法廷で新事実を明らかにすることに成功しました。最後に先生は、日本の自衛隊が「戦後、はじめて・・・外国を防衛するために防衛出動を実際に検討した」ことを重ねて指摘し、安保法のこのような具体的危険性が判明した以上、憲法判断をとせまりました。東京高裁(4部)は、青井先生の証言の迫力と多くの事実の重みに耐えきれなかったのか、以下のような認定をしました。

 「なるほど、証拠・(省略)・及び弁論の全趣旨によれば、平成29年にいわゆる北朝鮮危機につき、河野統幕長が、平成29年7月28日にペンタゴンに赴き、ダンフォード議長と面談し、同会議で、ダンフォード議長は、「『政治決断』が下される状況になれば、事前に知らせる」と述べ、河野統幕長は、ここで言う『状況』を軍事力の行使と理解したこと、河野統幕長は、前記会談直後から、統合幕僚監部に命じ、アメリカ軍が軍事行動に踏み切った場合に自衛隊が現行法制でできることや指揮命令系統をシミュレーションしたこと、この間も、河野統幕長は、ダンフォード議長と電話で連絡を取り合っていたこと、同年8月18日、今度はダンフォード議長が防衛省を訪れ、河野統幕長と会談し、その内容は、日米どちらかの攻撃は双方への攻撃と同じとするものであったこと・・・・河野統幕長は、退官後、朝鮮半島危機の当時、自衛隊在勤中もっとも戦争を身近に感じた、戦争になる可能性は6割以上あると思っていたなどと公表したことが認められ、これらの事実によれば、平成29年下期には、国家安全保障会議が中心となり、他国防衛としての防衛出動命令を検討する状況が存在したことが認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない」と理由中の判断の限りですが、一定の成果を勝ちとりました。但し控訴審判決は、他方で、「閣議決定及び立法行為であり・・・人格的利益が侵害されることはできない」等と言い放って強引に控訴棄却としました。現在、私たちは、この壁をどう突破するか、連日のように討論をかさねています。
 全国の状況を一つだけ報告させていただきますと、山梨弁護団の控訴審と福島弁護団の仙台高裁では、いずれも長谷部恭男証人が採用され、証言台に立っていただきました。長谷部教授は、「・・・(戦争という)甚大なそして回復不可能な損害が予想される場合、いわゆる予防原則に基づき国家賠償法上の違法性を認めるべきだ・・・」と裁判所に強くせまりました。両事件が全国の訴訟の最大の山場となっている状況と思います。
(以上、群馬から全国の団員のみなさんに上告審で頑張ることの決意を披露し報告といたします。)

 

「人間の証明」を訪ねて~秘湯・霧積温泉と鼻曲山(下)

京都支部  浅  野  則  明

霧積温泉と鼻曲山を訪ねる 
 私は、登山が趣味で全国あちこちの山々に登っているのですが、2013年秋に群馬県の裏妙義山に登ったことがありました。このとき、すでに長野新幹線が開通しており、信越本線は横川駅で寸断されていました。裏妙義山は横川駅から歩いて登ることのできる山ですが、登山口に向かう途中で「霧積温泉」の案内看板を見つけて「人間の証明」のことを思い出し、いつか霧積温泉の金湯館に泊まってみたいと思ったのでした。
 それから9年が経過した2022年11月、そのチャンスが巡ってきました。ちょうど紅葉の時期を迎えていたことから、神奈川県支部の中野直樹団員、京都支部の村松いづみ団員らと一緒に、二百名山の荒船山(1422.5m)とセットにして、森村氏が登ったという鼻曲山に登るという計画を立てました。もちろん、泊まる宿は、霧積温泉の一軒宿の「金湯館」です。
 移動日となった初日は、世界遺産の富岡製糸場や「アプトの道」の一部であるめがね橋周辺を見学し、日本秘湯を守る会会員の宿である下仁田温泉「清流荘」に泊まりました。翌日は快晴の下、内山峠から荒船山に登りました。荒船山から下山して金湯館に向かう途中にあるドライブイン付近で宿に電話をかけ、宿の手前にある駐車場まで迎えに来てもらう連絡をしました。マイカーでは宿まで行けず、その駐車場までしか行けないのです。金湯館に向かう道は舗装されているものの、日はもうとっぷり暮れて真っ暗で、カーブも多くて離合するのも苦労する山中の道で、本当にこの道でよいのかと心細い思いで走行しました。小一時間ほどかかってようやく駐車場に到着しました。すでに宿の車が迎えに来てくれており、これに乗って10分ほどで宿に着きました。
 宿では、離れの建物(新館)の部屋に案内され、もうストーブとコタツがありましたが、カメムシもたくさんいました。秋になって気温が下がってくると、カメムシは冬眠場所を探し始め、暖かい場所を求めて人家にやってくるためです。早速、温泉に入ることにしましたが、お風呂はぬるく、何時間でも浸かっていることができそうでした。湯温は40℃ということでしたが、もう少し低いように思われました(表示は38.9℃)。1分間に300ℓの豊かに溢れ出る湯量は、明礬(みょうばん)重炭酸土類を含み、透明無色の肌ざわりがよく、熱くない天然温泉(カルシウム硫酸塩温泉)として親しまれています。お風呂上がりは楽しみにしていた夕食です。部屋食で、山菜やもみじの葉っぱの天ぷら、山女魚の塩焼き、刺身こんにゃく、豚汁などが出されました。もちろん、ビールの提供もあって、風呂上がりの一杯は五臓六腑に滲みわたり、まさに幸せの瞬間(とき)でした。
紅葉の鼻曲山登山
 翌朝、朝食をいただいた後、金湯館の近くにある鼻曲山登山口から出発しました。中野さんは、登山用のザックと靴を車内に置いて来てしまったため、翌朝、再度駐車場まで戻り、山道を登り返すことになりました。私と村松さんらは先に出発することにしました。
 出発したときはまだ雲がたくさんかかっていましたが、緩やかな山坂を登って行くと紅葉の樹林が広がっていました。太陽の光が乏しかったため、紅葉の色彩の艶やかさは帰りを待つことになりました。やがて登山道は落葉した枯れ葉で覆われるようになり、尾根に出ると歩きやすい道となりました。なだらかな登山道は深まる秋に彩られていて、ただ感嘆するだけでした。時間の経つのも忘れるくらいの軽い足取りで進んで行くとやがて急登となり、これを登り切ると山頂手前の鼻曲峠に出てきました。森村氏はこのあたりでお弁当を食べたのではないでしょうか。
 その後はなだらかな稜線を進んだ後、息を切らせながら最後の急登をこなすと、鼻曲山山頂(大天狗)に着きました。すると、遅れて出発した中野さんが追いついてきて、なかなかの健脚ぶりを見せてくれました。大天狗からの眺望はイマイチだったことから、ちょっと先にある展望のよい小天狗に行くことにし、ここでランチタイムにしました。
 森村氏と同じように、金湯館で作ってもらったおにぎり弁当を食べました。その弁当の包みには、今もなお西條八十の詩文「麦稈帽子」が印刷されていて、包みの中には海苔で包んだ拳大のおにぎり2個と昆布の佃煮と梅干しが入っていました。森村氏は、わずかな日だまりの中で食べた冷たい弁当をやさしく包んでいた麦稈帽子の詩は冷え切った身体を心の底から温めてくれるように感じたと言います。私は、快晴となった空の下で、森村氏の味わった気持ちを確かめるように、おにぎりを頬張りました。小天狗では、八ヶ岳連峰の眺望を楽しんでから往路を戻りました。復路では太陽の光が燦々と降り注いでくれたので、紅葉がまるで錦絵のように見事でした。
金湯館の昔話
 下山後、金湯館に戻ると、宿のおばあちゃんが玄関にいて話しかけてきました。昔話をたくさんしてくれ、森村誠一氏のことも話してくれました。おばあちゃんは、久しぶりにたくさん話ができたのか、うれしくなって売り物のタオルをくれました。宿の経営者(若い婿さん)に駐車場まで送ってもらい、その車中では金湯館の歴史や昔偉人達が訪れたことや泊まった部屋のなどを教えてもらいました。
 霧積温泉の発見は1200年代と伝えられていて、その当時、山中で猟師の連れた犬が傷を負い、水溜まりに傷口をつけていたので、猟師が不思議に思い、その水を調べたところ、温泉と判明しました。犬が発見した温泉として、暫くは「犬の湯」と呼ばれていましたが、「犬の湯」が名を呼び違えられたのか、「入りの湯」とされ、現在では霧の多い土地柄か「霧積温泉」と名を改められています。
 霧積温泉は、軽井沢が開かれる以前の避暑地として、その名を馳せていたようで、42軒ほどの建物があったそうです。しかし、賑わった霧積温泉の宿も、明治43年に起こった山津波でほとんどの建物が流されてしまい、金湯館のみがその難を逃れました。金湯館は明治17年創業で、政財界では勝海舟、尾崎行雄、西郷従道(西郷隆盛の弟)、文壇では与謝野晶子・鉄幹、幸田露伴、山口誓子、川田順、西條八十、岡倉天心などの重鎮も訪れていました。そして、伊藤博文を筆頭とするメンバー30人ほどが来訪し、明治憲法草案を起草したと言われており、今も本館には明治憲法起草の部屋(2階の角の1号室)が残っていて、泊まれるそうです。当時、明治の人々の背丈に合わせて建てられたため、天井はかなり低く、現在では背の高い人は廊下を歩く際に頭を前屈して歩かれるくらいです。また、昭和48年に改築されるまでのけやきの廊下は「鴬張り」と呼ばれて、人が歩くたびにぎしぎしと音を立てていたそうです。
 このような金湯館はまさに秘湯であり、昭和56年まで電気も電話も通じていませんでした。明治から昭和11年まではランプだけ、その後はランプと水車による発電、昭和30年からは、ディーゼルエンジンを導入して、自家発電をしていたそうです。
 森村氏が最初訪ねたときにはまだ電気も電話も通じていなかったことになります。当時の金湯館の様子は、都会で生活されている人にはおよそ想像がつかないくらい、現世ではありえない桃源郷のような生活をしていたのです。そして、母屋は明治16年の建物を残し、平成になって新館を増築したそうです。現在でも里から10㎞あまり山奥に入るなか、民家も外灯もありません。都会の喧騒から抜け出したて山奥にある金湯館は、山や自然を愛する人にはお薦めです。また、昔、西條八十が麦わら帽子を落とした場所のことも教えてもらったので機会があれば行ってみたくなりました。(終わり)

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