第1815号 7/1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●入管法改悪阻止に向けた闘い~新たな闘いにむけて~  松本 亜土

●トランスジェンダーとスポーツ(前編)  渥美 玲子 

●大阪教育集会(2023年6月4日開催)の報告~小学校社会科・小学校道徳にみる教科書検定・学習指導要領の問題(後編)  原野 早知子

●衆議院外務委員会での穀田恵二議員による長射程ミサイルに関する質問(後編)  井上 正信

●韓国の反核運動の紹介―「民衆法廷」と「米国法廷訴訟」の準備―  大久保 賢一

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~5月集会報告 ③~
■「学校の現状と子どもの権利の重要性 ~校則、制服、いじめ問題を通じて~」のインパクト  平井 哲史

■五月集会全体会のハラスメント研修について  山口 真美

■事務局交流会・全体会 感想  小林 真実子

■事務局員新人交流会 感想  山崎 雪野

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入管法改悪阻止に向けた闘い~新たな闘いにむけて~

大阪支部  松 本 亜 土

1.  はじめに
 国会に法案が提出された2023年3月以降、入管法改悪法案の阻止に向けて、入管分野の弁護士と市民が協力し、国会議員も巻き込み、社会運動を作り上げた。入管分野は、日本に住む多くの人にとって、興味関心をもてない分野であり、偏見も多いところである。だからこそ、法案阻止のためには、法律の専門家の弁護士のみならず、一人でも多くの市民、そして国会議員との連携が不可欠であり、一丸となった闘いがはじまった。
2.  議員会館への訪問
 自由法曹団の国際問題委員は、2023年4月4日に改悪の阻止に向けて国会要請を企画した。改悪入管法の資料をもって政党を問わず、法務委員の事務所を訪問したが、入管法に関しては、対応も党によって如実に違っていた。自民党や日本維新の会は、「ポストに投函しておいて」と議員の部屋への訪問さえ受け入れてもらえなかったことが多かった。議員会館で対応していただいた野党の議員や秘書からは、「今年は議員会館周りに来たり、FAX送ってくる人は2年前に比べて少ないよね。自民党は良くも悪くも世論を見てるから」と言われた。この情報は、私の国会要請での大きな収穫であった。すぐに東京の入管分野で日々奮闘している弁護士らに共有した。
 その後、参議院の仁比聡平議員を訪問し、入管法の問題点を説明した。仁比議員は、一つ一つの問題点をじっくり聞いてくださり、大変充実した意見交換会が開かれた。今回の入管法改悪阻止運動では、国会議員への理解・共感を得ることも欠かせない活動だと実感した。
3.  社会運動への発展
(1)社会運動を巻き起こす工夫

 法案の阻止は、世間からの共感を得られなければ難しい。そのためにはメディアが有効な手段の一つである。とはいえ、世間から関心を持たれなければメディアも取り上げにくい。
 しかし、私たちには、法案の採決までにじっくりと作戦を立てていく時間は残されておらず、入管法が国会で審議されているときは、とりあえず足をとめないこととした。大きなデモが終わったその日に、先輩から、「今から反省会をして次の日程を考えよう」と言われたときは、頭が真っ白になったが、送還対象となる依頼者たちを思い出し、足を止めるわけにはいかず、すぐに次のデモの準備に取り掛かった。
 私自身、「デモ」や「集会」という言葉は過激なイメージがあり容易に参加しやすいものではなかった時代もあったので、今回の法案の阻止に向けた取り組みの際は、若い世代にも気軽に参加してもらえるよう「キャラバン」、「アクション」という言葉を使い、誰でも気軽に参加してもらえるような企画にした。
(2)近畿弁護士会連合会主催の入管法改悪デモの開催
 多くの先輩弁護士と一緒に、市民を巻き込んだデモや集会を企画した。たとえば、近弁連主催で、大阪弁護士会館を出発地点とするデモと集会を開催し、私もコ-ルの担当をになった。このデモと集会には約300名の参加があった。
 弁護士と一般人が一緒に声を上げるということに大きな意味があると感じた。弁護士と市民が一丸となって法案の反対の声を上げることで、世間には真剣さをアピールできる機会にもなったと思う。
(3)サウンドデモの開催
 また、これまでのデモとは異なったもので、かつ通りがかりの人にも入管法を知ってもらい、SNSで拡散されやすいデモとして、サウンドデモを思いついた。ミュージックサウンドは、縦横幅がそれぞれ約2mの大きな機械で、ガンガンに音楽を鳴らし、「入管法改悪反対」などの簡単な言葉をコールした。
 すると、若いカラフルな髪色の少年や女子高生ぐらいの集団、通りすがりの若者から、「入管法改悪反対!」と信号待ちで手を挙げリズムにのってもらえた。
 入管法は馴染みがないうえ、歩行者に法律の問題点を知ってもらうのは困難であるが、ミュージックを通して、若い世代にも入管法改悪が問題になっていることをリズムと簡単な言葉を使うことで、何かしらの関心を持ってもらえたら嬉しい。
4.  入管闘争の新たな始まり
 私は、参議院で採決がされるかもしれないと言われていた日に、参議院の法務委員会を傍聴した。
 目の前で採決がなされようとし、藁にもすがる思いで傍聴席に座っていたところ、委員長の解任動議が出され、流会になった。その後も採決がなされようとされた日の朝に法務大臣の問責決議案が提出された。しかし、翌日に否決され、強行採決で可決された。
 採決の結果は変わらなかったが、委員長の解任動議が出てから可決までの間、全国の弁護士と諦めずに法案の立法事実に関する問題や入管内の処遇問題を調査し、記者会見などをしてメディアにも取り上げてもらえたことで、これまで社会には明らかになっていなかったいくつもの事実を明らかにすることもできた。
 法案は成立したが、これまでに明らかになった立法事実が崩壊している点や入管の処遇問題については、今後も追って追及していく所存である。
 法案が成立しても、決して終わりではない。私たち弁護士がここで諦めると難民の人の生命や身体が脅かされることになる。とりあえずは、施行される1年後を目指し、そして仮に1年後施行されたとしても必ず裁判で救済するとともに、今度こそは「改悪」ではなく、「改正」に向けて全力を尽くしたい。

 

 トランスジェンダーとスポーツ(前編)

 愛知支部  渥 美 玲 子

 トランスジェンダーの問題は、世界的な運動になっており、かつ日常生活に密接に影響する問題なので、具体的に議論しないと、解決の方向性が見えてこないと思う。
 このたび、イタリアでトランス女性がスポーツ競技に参加したことが結構話題になっていたので、少し調べて見た。
1,ヴェレンティーナのこと
 2023年3月12日、イタリアのマルケ州の州都アンコーナで、「室内競技マスターズチャンピオンシップ」が開催され、50歳から54歳までの女子を対象とする200メートル走の競技が行われた。優勝したのは、ヴァレンティーナ・ペトリロというトランス女性だった。しかし,観客は2位のクリスティーナ・サヌッリに対して「BRAVA!!(素晴らしい)」と声を上げて賞賛し拍手をした。実際サヌッリの記録は「女性」としては新記録だったので、ペトリロがいなければ、まさに優勝に値するものだった。サヌッリはペトリロと一緒に表彰台に上がったが、下りた後に「ペトリロの体が男性なので不平等を感じた。私達は今、不当な差別を受けている。この競技は不公正だ」と吐露したという。映像で見るとペトリロは2位や3位の女性に比べて頭ひとつ位身長も高く、体格はまさに男性である。なお、ネット情報によれば、ペトリロは「8度目の金メダル」とされているが、参加履歴が分からない。
  ここまでのことであれば、主催者がトランス女性の参加を認めたときから予想できたことではある。
 実は、この競技において、ペトリロは女性専用の更衣室では無く、ペトリロ専用の更衣室を与えられていた。しかし、競技の後にペトリロは「女性専用の更衣室を使えなかったのは、ナチズムだ。ヒトラーが1936年にユダヤ人に対して差別したのと同じレベルだ。アンコーナでは、恐ろしい体験をした。これは公正ではない。伝染病で隔離されたのと同じだ」という趣旨の発言をしたという。なお、1936年とは、ベルリンオリンピックの際、ヒトラーがユダヤ人差別をしたことを指すと思われる。
 シス女性がトランス女性に対して「私達のスペースの更衣室に入らないで」という要求をしたことは「ナチのユダヤ人迫害と同じだ」という批判である。このような批判の仕方はペトリロだけではない。
 ところでペトリロはイタリアでは有名人らしい。
 イタリアには「5ナノモル~トランス女性のオリンピックドリーム」という映画があるが、「彼」はその主人公である。
 この映画の紹介によれば、ペトリロは、1973年10月に男性として生まれ、名前は「ファブリッツィオ」だった。バレー、サッカーなどのスポーツに夢中で、11歳のときにナポリ近郊の町の大会で1位になったのを契機に、特別なトレーニングにはげむようになった。14歳の時に眼病のスターガルト症候群に罹患し、20歳から視覚障害をもつ男性アスリートして競技会に参加するようになった。その後、視覚障害者5人制サッカーチーム等に所属し、2014年には視覚障害5人制サッカーのイタリア代表チームに所属した。2015年9月から視覚障害者枠陸上競技に参加し、3年間で11の国内タイトルを獲得した。2018年10月のイタリアのイェーゾロ(イタリア、ベネト州のベネツィア近くのリゾート地)で開催された選手権大会には男性枠で参加した。
 「彼」の男性枠での参加はこれが最後だった。「彼」は「欠損した男性」ではなく、いわゆる典型的な男性としてのシンボル(仕事や家族、スポーツ選手としての成功)を持っていたと紹介されている。
 しかし、成績が振るわなくなったので引退を考えていた頃、「グルッポ・トランス」という活動団体に会い、トランス女性となってアスリートとして再生することを決意し、キャリアの締めくくりとして女性になることを決断した。そして、名前も「ファブリッツィオ」から「ヴァレンティーナ」に変えた。
 2019年1月からホルモン治療を開始し、1ヶ月後にテストステロン値が、2015年国際オリンピックの委員会の基準値に達し、女性参加資格を得た。性適合手術は受けていない。
 2019年から女性枠で走るようになった。このとき「彼女」は、46歳だった。 
 2020年9月のイタリアのイェーゾロで開催されたパラリンピック公式戦女性枠で出場し、100M、200M、400Mの競技で金メダルを獲得した。そのため東京パラリンピックの代表選手となった。しかし、イタリア政府は、2021年9月の東京パラリンピックの女性枠への出場を阻止したという。その理由は、テストステロン値が基準を満たしていなかったらしい。
2,オリンピック・パラリンピックの参加基準
 オリンピックでは、2000年にIOCが、女性選手の性別を確認する検査を廃止し、2004年に、トランス女性が参加できる一定の基準を策定した。なお、従来は、男性が女性として参加することを禁止していたため、女性が参加するためには医師による厳しい身体検査があったが、廃止されたという。
 その後、参加基準は数回改定され、日本スポーツ協会の資料によれば、2019年12月現在では以下のようになっている。
 第1に、性自認の宣言(但し、宣言後4年間は変更不可)
 第2に、トランス女性(MtF)では、出場前最低1年間血中テストステロンの濃度レベルが1リットル当たり10mml以下であること。女性カテゴリーで競技を希望する期間中を通じてテストステロン濃度が1リットル当たり10ナノモル以下であること。
 なお、性自認が男性のトランス男性(FtM)は参加制限はない。
 以上のとおり、トランス女性については、「性自認」は宣言のみで足り、「性自認」を客観的に検証しないこと、また過去1年間の血中のテストステロン濃度のみで判断されるので、それ以前のテストステロンが体内で分泌されていたことは無視されていることが、問題点となった。
 いうまでもなくテストステロンは、男性ホルモンのことであり、このホルモンは筋肉量と強度を保ち、骨密度を高め、脂肪細胞を縮小させるなどの作用があり、また体毛、声変わりなど男性の2次性徴を発現させ、いわゆる男らしい身体を作る作用をもつ。妊娠6週目から24週目にかけて胎児にテストステロンが多く分泌され、体内の男性内生殖器の形成作用がある、また、いわゆる性欲や性衝動は,テストステロンの作用だとも言われている。なお、女性も男性の5%から10%と少量ではあるが、テストステロンを分泌しているという。
 またテストステロンは、ドーピング検査の対象物質であるが、ドーピングとは「スポーツにおいて禁止されている物質や方法によって競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち勝利を得ようとする行為、意図的であるかどうかにかかわらずルールに反する様々な競技能力を高める方法や、それらを隠すこともドーピングという」とされている。
 従って、ドーピングがあればフエアなスポーツが成立しなくなると言われている。
3,トランス男性について
 上記のとおりトランス男性については女性枠への参加は全く制限されていない。
 このことは、第1に、トランス男性の性自認が男性であってもまったく問題視されていないこと、第2に、トランス男性となって男性ホルモン投与の治療を受けていても問題視されないということである。
 実際トランス男性が男性枠で競技に参加しようとして、その参加を制限されたという話題はない(と思う)。トランス男性は、そもそも生来的に骨格や筋肉において女性の身体を持っているので、男性枠での参加は身体能力において劣るからであろう。
 日本の女子サッカーチーム「なでしこジャパン」に所属していた女性の何人かは、引退後、トランス男性となって男性として社会生活をおくっているが、そのうち数名は「女子サッカーチーム」に所属してプレーを続けているそうである。
 結局、トランス男性が女性枠に参加するには、性自認を問われることもなく、テストステロン値も問われることもないという状況であるから、「トランスジェンダー」 とされる最も重要な指標である「性自認」は、問題とされないということが分かる。
 このようにスポ-ツの女性枠には、「トランス女性」,「トランス男性」、「シス女性」の3者が参加可能なのであり、上記2種類については、長年あるいは数年にわたり男性ホルモンである「テストステロン」を分泌または投与されてきたことが特徴的である。(つづく)

    

大阪教育集会(2023年6月4日開催)の報告
~小学校社会科・小学校道徳にみる教科書検定・学習指導要領の問題(後編)

大阪支部  原 野 早 知 子

 大阪教育集会では、社会科について平井美津子さん(中学校教諭)が報告した。また、道徳の検定については、楠晋一弁護士が報告した。両報告はぜひ情報共有すべきものなので、紹介する。
1 小学校社会科-これでもかと教えこませる領土問題
 小学校5年生の教科書で、領土問題(竹島、北方領土、尖閣諸島)が取り上げられる。
 記述内容は3社とも共通しており、キーワードは「日本固有の領土」、「不法占拠」(竹島が韓国に、北方領土がロシアに)、「領土問題は存在しない」(尖閣諸島)の3つである。
 中学校においても、地理・歴史・公民の各分野で同様の内容が教科書に掲載され、小・中学校を通じ、子どもたちは繰り返し教えられることになる。
 一方で、教科書には韓国・ロシア・中国の主張は記載されていない。日本政府の主張だけを何度も教えられれば、子どもたちは、多角的な視点から考えることができず、周辺国に対し不信感や敵対的な感情だけを抱くことになりかねない。
 筆者ら弁護士グループでは、中学校の公民教科書を読み比べてきたが、領土問題については、数十年前(弁護士らが生徒だった当時)と比べ、明らかに教科書が詳しくなっている。また、「固有の領土」、「不法占拠」、「領土問題は存しない」という用語は、国際政治上の思惑を含んだ複雑な概念であり、中学生にすら理解困難と思われる。(実際、平井さんが中学1年生に「小学校で領土問題やった?」と質問しても「覚えてない」と答えが返ってくるそうである。領土問題を学ぶには、少なくとも先に歴史の学習が必要なので、分からない・覚えていないのも当然である。)
 難解でしかも一方的な内容を、小学生から中学生にかけて、何度も繰り返し教えることには意図を感じざるをえない。ちなみに国旗国歌についても、小学校・中学校で同様の内容が重ねて教えられている。
 「固有の領土」、「不法占拠」、「領土問題は存しない」という領土問題のキーワードは、検定合格のために教科書会社が載せるようになったものである。何れも政府見解であり、背景には、「政府見解を記載すべし」との2014年検定基準が存在している。
2 小学校道徳にみる教科書検定-キーワードにとらわれる検定
 道徳の検定を見ると、検定自体が、「キーワードのあるなし」しか見ないものとなっている。
 道徳には定義や公式もなければ、通説もない。道徳教育を専門とする検定委員といえども専門外の記載内容について全体から学習指導要領の合致については評価できない。そのため、徳目に関するキーワードが欠落していると、「学習指導要領の内容に示す項目との関係が明示されていない」「学習指導要領に示す内容に照らして、扱いが不適切である」といった検定意見をつけて、修正を求めている。
 そのために、教材がとんちんかんな内容になってしまう例もある。
 「100メートル走のタイムが伸び悩んでいる主人公が、タイムが伸びる友人に秘訣を聞くと、練習前の準備、練習後のケア、自宅での早寝早起き、好き嫌いしない、食べ過ぎないという心がけだった。」という教材がある(ひみつのトレーニング・光文5年)。
 これに「節度、節制」の扱いが不適切との検定意見がついた。(検定意見はこれだけである。)
 道徳の指導要領解説には、「この段階では,危険から身を守り,自分だけでなく周囲の人々の安全にも気を付けることを指導することが求められる。」とされている。
 そこで、教科書会社は、練習前の準備に「運動場に危険なものがないか確認する」という内容を入れ、ストーリーのつじつまを合わせるために「転がっている石につまずいて転んだときに人のせいにした」というエピソードを書き加えて合格させた。
 書き加えた部分は、短距離走のタイムを上げるための工夫とは全く関係がない。この修正は滑稽ですらあるが、簡便にすぎる検定意見に対し、教科書会社が指導要領解説(「解説」は指導要領以上に法的拘束力が不明なものである)から推測や忖度を図るさまは、書物と学習内容への統制として、そら恐ろしいと言わなければならない。
 道徳教科書の検定では、いわゆる愛国心に関して、「地域」について取り上げた教材に、無理に「国」・「日本」を入れ込む修正が行われたことが報道された。これら修正に、愛国心の強化・押しつけの面があることは間違いない。同時に、「国」がキーワードだからと、「地域」を「国と地域」に機械的に修正させる「キーワード検定」の側面も見ておくべきだろう。
 検定が国による統制であることは間違いないが、極めて形式的で、意味のないものとなっているのが実態である。
3 教科書検定・学習指導要領をめぐっての課題
 教科書をめぐっては、育鵬社等いわゆる「つくる会」系の教科書の採択阻止が課題となってきた。現在も重要な課題であることは間違いない。しかし、運動の成果もあって「つくる会」系教科書がシェアを失う一方で、教科書全体が学習指導要領と検定に縛られ、似たような内容になりつつある。
 大阪教育集会では、教科書編集者である永石幸司さんからの報告もあった。教科書は企画から現場に渡るまで5年かかる。価格は文科省により極めて低廉に抑えられているが、検定に合格し、採択されなければ採算は取れない。検定制度が存在する以上、教科書会社は検定に合格するように教科書を作らざるをえない構造になっている。
 平井さんからは、法的拘束力のない「指導要領解説」が検定意見のベースになり、教科書作成の現場に大きな影響を与え、教える内容も教え方も画一化された方向に進んでいることが指摘された。しかし、戦後の出発点では、学習指導要領自体が、現場の工夫を大前提とする手引き的なものと位置づけられていたという。現状は、「政府見解を記載せよ」との検定基準とも合わせ、教育内容に対する国からの統制が全般的に進行していると言わなければならない。
 家永教科書裁判は「戦争を明るく書け」と言われたことから始まった。現状はその前に回帰しつつあるのではないか。今年度は中学校教科書の検定があり、来年度に採択が実施される。今後を見据え、検定の実態を知らせるなどして、制度全体への問題提起を行っていく必要がある。

 

衆議院外務委員会での穀田恵二議員による長射程ミサイルに関する質問(後編)

広島支部  井 上 正 信

 これまで目にすることができなかったこれらの文書を読み解けば、様々なことが分かってきます。
 まず、我が国の防衛政策の特徴を示していると思います。30大綱策定経過の中で、すでに安保三文書の内容を相当程度先取りしていることが指摘できます。30大綱、2020年12月18日菅内閣閣議決定では、未だ敵基地攻撃能力保有、行使の政策決定はなされていない段階です。安保三文書は自らを戦後の我が国防衛政策の大転換だと評しています。その意味は、30大綱では未だ決定できなかった敵基地攻撃能力の保有・行使を採用したことです。
 しかし、すでに30大綱策定経過の中で、敵基地攻撃を想定した戦闘構想=長射程火力戦闘を創り、そのための各種装備の開発を事実上決定しています。その結果安保三文書の内容は、30大綱の内容を敷衍するものになっているのです。
 我が国の防衛政策の特徴の一つに、まず自衛隊の現場(日米同盟の現場も含みます)での既成事実を先行させ、その次にこれを政府の防衛政策に反映させ、さらに国内防衛法制の制定、改正につなげ、これにより憲法9条の事実上の改悪、解釈・立法改憲が進み、行き着く先には憲法9条明文改憲となってゆくことを指摘できます。
 歴史的に振り返れば、1976年8月から日米防衛協力の指針策定作業が始まり、栗栖統合幕僚会議議長(当時)が、「奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動命令があるまで動けない、自衛隊は超法規的な行動に出ることもある」といわゆる「超法規的発言」を行い解任されたことをきっかけに、1978年7月福田内閣が有事立法研究を指示します。有事立法は日米防衛協力の指針を実行するための国内法制として位置づけられたものです。同年11月に初めてとなる日米防衛協力の指針が作られました。その後の日米同盟は次第に日米軍事一体化を深め、1999年には周辺事態法が制定され、2003、2004年に有事法制が制定されます。
 自衛隊の海外活動では、湾岸戦争を契機に、海自掃海艇部隊がペルシャ湾でイラク軍の機雷を掃海し、その経験を踏まえてPKO協力法が制定されました。
 掃海母艦を含めたわずか6隻の掃海部隊という小さな艦隊の海外派遣が、その後の自衛隊海外活動を拡大し、国内法制整備を行うという、大きな転換のきっかけになったのです。
 2002年12月から始まった日米の防衛政策見直し協議(DPRI米軍再編と称されるもの)の結果、日米同盟をグローバルな軍事同盟にすることを合意しました。それまでの国内防衛法制では集団的自衛権の壁を乗り越えることができず、そのことが日米同盟での日米軍事協力に「切れ目」ができるので、切れ目のない日米同盟にするために既存の防衛法制の改正を含めた安保法制を制定します。存立危機事態での日米共同軍事行動は、個別的自衛権と集団的自衛権の「切れ目」を取り払うものでした。
 しかし、安保法制を制定しても、自衛隊と米軍による共同軍事行動には大きな制約があり、それを突破するために安保三文書が閣議決定されます。安保三文書閣議決定後の総理記者会見で、岸田総理は、安全保障法制が理論的、法制面で整備され、安保三文書でそれを実行できるようになったと述べたことは、これを意味しています。
 その結果、安保法制で自衛隊が可能となった米軍との共同軍事行動は、米軍への後方支援、米軍部隊の防護に止まっていましたが、安保三文書により日米共同の敵基地攻撃ができるという、正真正銘の集団的自衛権行使の仕組みが作られたのです。
 安保三文書の内容は、憲法9条の専守防衛を否定するもので、安倍内閣による7・1閣議決定に続く閣議決定による解釈改憲になります。それでも政府は、憲法9条の明文改正がないため、専守防衛、「必要最小限度」の武力行使という看板は下ろせません。
 衆議院憲法審査会では2023年4月6日、同月13日と2回にわたり、自民、公明、維新、国民の各党から、憲法改正条文案が提案され議論されています。憲法改正問題でどこに焦点を合わせているのかが分かると思います。憲法9条明文改正の背景には、これまで述べたような既成事実の積み上げによる、憲法9条の事実上の改悪、解釈改憲、立法改憲の積み重ねが背景にあります。
 30大綱以降に進められてきた、南西諸島有事を想定した自衛隊の防衛態勢、我が国の防衛政策、日米同盟の運用の実態がこれらの直接的な背景となっています。
 今私たちにとって重要な問題の焦点は、憲法9条明文改憲に反対することだけではなく、それ以上に現時点で重要なことは、我が国のこのような防衛政策の大転換を許さない、自衛隊の南西諸島防衛態勢に反対することだと思います。
 元内閣法制局長官であった阪田雅裕弁護士は雑誌岩波4月号に「憲法9条の死」という衝撃的なタイトルの論文を掲載されました。しかし、憲法9条を護る、憲法9条による我が国の安全保障政策を実現させようとし、安保三文書を実行させないとの国民運動がある限り、憲法9条は決して「亡くなる」ことはありません。

 

韓国の反核運動の紹介―「民衆法廷」と「米国法廷訴訟」の準備―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

韓国の反核運動の現状
 今、韓国で、2026年のNPT再検討会議に向けて、米国の原爆投下の法的責任を問う「民衆法廷」と「米国法廷訴訟」の準備が進められている。「平和と統一を拓く人々」(Solidarity for Peace and Reunification of Korea・SPARK )のコ・ヨンデ共同代表は、「韓国の原爆被害者の悲しみを抱えながら、核対決がなくなった朝鮮半島と核のない世界を願い、来年の広島討論総会と2026年のニューヨーク民衆法廷に向けて、米国法廷訴訟に向けて、一歩一歩進んでいきます」としている。
 韓国での反核平和運動の状況を知っておくことは、「核兵器のない世界」を実現しようとする私たちの基本的任務であろう。ここでは、なぜ、韓国の被爆者がそのような運動に取組もうとしているのか、現在の準備状況、今後のスケジュールなどを紹介しておく。
ある韓国人被爆者の決意
 韓国原爆被害者協会ハプチョン支部長のシム・ジンテさんは、この民衆法廷運動に参加する動機を次のように語っている。
 私の両親は「日本帝国主義強制占領期」、広島に強制的に徴用されました。両親と私は被爆したけれど、九死に一生を得て祖父のいる韓国に戻ってきました。
 私は、原爆被害者協会の支部長として、被爆者の人生の苦難を見守ってきました。戦犯国である日本に強制的に連行された韓国人がどうして爆死し、原因不明の病気に苦しみながら死んでいかなければならないのか、原爆を投下した米国に問いたいのです。
 米国政府と日本政府から何の説明もありません。韓国政府は最低限の道義的責任を果たしていません。
 「被害者はいるが、加害者がいない」という現実は、どうしても納得できいなのです。加害者の責任を究明し、被害者の心の澱みを晴らすために、民衆法廷に参加することを決めました。原爆の後遺症を知っている一人として、これ以上地球に核兵器が存在しないようにしなければならず、核兵器を「スクラップ」にして、「核兵器」という名称さえこの世でなくさなければならないと思います。
 「核のない平和な世界」を創るために余生を掛けます。米国に対しても訴訟を起こそうと思っています。
私の迷いと決意
 「戦犯国」日本の構成員である私は、このジンテさんの決意をどう受け止めればいいのかを自問している。
 私の中では「お気持ちは判りますが、米国相手の訴訟は無理ではないですか」、「私たちも検討しましたが、無理だと結論しています」、「法廷闘争よりも、政治的・社会的運動が必要ではないですか」、「米国で運動の広がりをつくる展望はあるのですか」、「被爆者に韓国人も日本人もないのだから韓国人ということを強調することは無用じゃないですか」、「日本の被爆者運動との連帯はどのように考えているのですか」などという疑問が消失していない。そもそも、米国の法廷で、米国の実体法と手続法に依拠して、裁判をする資格も能力も持ち合わせていない。
 けれども、ジンテさんの心からの叫びに接するとき、「何かしなければ」という気持ちが沸々と湧いてきてしまうのである。「身の程知らず」、「分をわきまえろ」などというもう一人の自分の声も聞こえてくるけれど、そうなってしまうのである。そして、その気持ちは、コ・ヨンデさんの次のような言葉を聞いてしまうと、更に強まるのである。
ヨンデさんの主張
 今、朝鮮半島は、超攻撃的な核戦略と戦力が鋭く対立する核対決の場になっています。いわゆる新冷戦対決の震源地となっています。ソウルとピョンヤンが第2の広島になってもおかしくないほど核兵器使用の脅威が高まっています。
 日本は平和憲法を無力化し、敵基地攻撃能力の保有と行使を宣言し、対立を煽っています。
 多数の韓国国民は韓米核同盟が韓国の安全を守ってくれる、北朝鮮の国民は核兵器が体制を守ってくれると固く信じています。しかし、核対決の果てには、民族、更には人類のすべての生命と資産を飲み込むブラックホールがあるだけです。
 私たちは、核同盟と核兵器という神話にとらわれ、民族と人類を対立と戦争に終末にと追いやる大多数の政治指導者たちに対抗して、民族の生活を平和と繁栄の土台の上に乗せるため、努力しなければなりません。
 私はこのヨンデさんの呼びかけに「同志」を見出している。では、何から始めるかである。
第1回国際会議
 「民衆法廷」などの準備のために、三回にわたる国際会議が予定されている。第1回目が、6月7日・8日にと韓国で開催された。第1セッションのテーマは「韓国被爆者の立場から見る広島・長崎原爆投下の政治的・軍事的意味」、第2セッションは「1945年当時の条約国際法から見る広島・長崎への原爆投下の違法性」、第3セッションは「1945年当時の慣習国際法から見る広島・長崎への原爆投下の違法性」である。
 私は、この第1セッションの討論に参加する機会があった。イ・サムソン翰林大学名誉教授の「広島・長崎への米国による原爆投下の軍事・政治的意味~韓国の視点から~」という報告についてコメントし、「原爆投下の政治的・軍事的意味」を深めるという役回りである。
私の報告の結論
 私の報告の結論を紹介しておく。
 東アジアの未来にとって、日米同盟が大きなカギとなる。「東アジアの大分断体制」の解消は、日米同盟の在り方にかかっているので、それは、米国政府の変化なくしてありえない。
 米国政府を変えるには、米国の市民社会を変える必要がある。では何から始めるか。核兵器への正しい理解をしてもらうこと。核兵器の非人道性を理解してもらうことである。
 アメリカ社会でも、原爆投下が何をもたらしたのか、原爆投下は正当化できるのか、倫理的・道徳的に許されるのかという問いかけが行われ、政府の嘘を見破り、自らの蒙を啓いていく努力が行われている。
 唯一の原爆使用国である米国の「核兵器観」が転換することは「核なき世界」実現のための極めて重要な一歩である。米国にも反核運動が存在していることに着目し、それとの連帯が求められている。
 韓国の市民社会による反核運動が米国での影響を発揮し、米国の市民社会の「核兵器観」に変化が生ずれば、それは米国政府の「核兵器観」の転換につながり、更には日本政府の変化に繋がることになるであろう。もちろん、このような変化が一朝一夕に生ずることはないであろうが、核兵器を廃絶するためには不可欠な営みである。
今後について
 会議の後、コ・ヨンデさんたちと話す機会があった。「少しはお役に立てましたか」と聞いたら、「大いに役立ちました」と応えてくれた。外交辞令ではなさそうだった。
 ちなみに、SPARKは尹政権下では「反政府的立場」である。3300人のメンバーと19の支部があるという。会費は月額1万ウォン(約千円)でそれ以上は能力に応じで任意の額を払えばいいそうである。
 来年は、広島で、韓国人被爆者の実態、ニュルンベルグ憲章に照らしての原爆投下の違法性、東京地裁「原爆裁判」判決の意義と限界などのテーマでの会議が予定されている。別れ際に、「来年、広島でお会いしましょう」と言われて、思わず「はい。了解です」と答えてしまったけれど、お役に立てるかどうかは本当に心もとないのだ。
 けれども、彼らの想いが「心の澱み」の解消だけではなく、「核兵器のない平和な世界」の実現であることを知っているからには、可能な協力は「戦犯国」の法律家の義務だと思っている。「核兵器のない世界」は、市民社会の多様な運動と世界規模での協働が不可欠である。
 国内での市民社会の協働に止まらず、韓国の反核平和団体との協働が求められている。

(2023年6月15日記)

 

~ 特集 ③ ~5月集会報告

 

「学校の現状と子どもの権利の重要性 ~校則、制服、いじめ問題を通じて~」のインパクト

東京支部  平 井 哲 史

 福岡五月集会では支部企画として、団員、そして単位会として取り組んでおられる校則問題、そしていじめの問題について、4人の団員からミニ報告と質疑応答をおこないました。
 後藤富和団員からは、自身がPTA会長をしたときに「男子」「女子」で分けられている制服が苦痛だと訴えるトランスジェンダーの子の声を聞いて、校長先生と協力して2年がかりで「誰でも選べる制服」を実現していった過程が報告されました。昨年11月に子ども・教育問題員会でおこなった「トンデモ校則」シンポでなされた報告の短縮版でしたが、パワーポイントでよく整理をされていて、すっと頭に入ってくる内容でした。「すごいな」と思ったのは、一人の生徒の声を聞いてすぐに行動に移したところです。学校でいろいろ問題があると聞いても、「じゃあ変えようか」とはすぐにはなりません。PTA会長の立場にあったり、校長先生に恵まれたという好条件があったことをご本人も述べておられましたが、そうだとしても、それで「やろう」と思い、行動に移したところは素晴らしかったと思います。
 佐川民団員からは、福岡県弁護士会としての校則改善に向けた取り組みの報告がされました。「福岡は大変ですね」という感想が会場から出ましたが、実に微に入り細に入りの福岡県内の公立校の校則は「やりすぎ」感が満載でした。古い話になりますが、私は中学以外は制服がなく、その中学でも裏地に虎や龍の刺繡を入れてリーゼントで登校している生徒もそううるさくは言われていなかったので、そうした私の個人的経験からすると「異常」というほかないものです。社会の規範を身に着けたり、ルールを守る癖をつけるための校則やその運用は否定するものではありませんが、佐川団員から紹介された県内公立校の校則はまるで刑務所のそれでした(中 には刑務所でもそこまでうるさいことは言わないだろうというものもありました)。それを単位会あげて改善していこうとしている県弁護士会の取り組みには学ぶところが多いと思いました。
 東敦子団員からは、単位会の取り組みの一環としておこなった街頭調査から浮かび上がってきた「不満はあるけど聞いてくれない」、「本当は嫌だけど言えない」といった生徒の声を紹介いただき、改革の必要性が訴えられました。実は東団員自身の学校とのやりとりの経験が一番面白かったのですが、ここは紙上での再現紹介は困難です。
 最後に、迫田登紀子団員から、学校でのいじめの問題と裁判の実践による到達点はどこまできたのかをごく簡潔に報告いただきました。この迫田団員の報告だけで学習会1回分は優に持てそうな内容で、大変もったいない気もしましたが、まるでこの問題に携わってこなかった身としてはさわりとしての紹介でも内容が濃く、大変得をした気分になりました。
 実践の下地があるからなのでしょうけれども、この支部企画は大変よく準備がされたもので、「さすが五月集会」と思うものでした。ご準備いただいた福岡支部の皆様に感謝申し上げます。
 後日談になりますが、久保木次長のところにも私立高校の校則に関する相談が寄せられていると聞きました。全国見渡した場合に、そうした相談事例や単位会で取り組んでいることなどあろうかと思います。過度な校則による縛りは人権侵害となりますしし、こうした問題を生徒が自ら考え、意見を言うようになっていくことは主権者として成長していくことにもなるので、言ってみれば一石二鳥の取り組みになるかと思いますので、私も今後意識的に取り組みに参加するようにしていこうと思いました。

 

五月集会全体会のハラスメント研修について

東京支部  山 口 真 美

 団通信1814号で研修を担当した千葉団員から「五月集会全体会2日目のハラスメント研修、いかがでしたか?」という投げかけがあったので、団通信に投稿してみようと思い立ちました。
 私は、五月集会のハラスメント企画は、ハラスメント被害を受けたことのあるすべての被害者へのエールだと受け止め、企画していただいて本当によかったと思いました。
 パネルディスカッションの最大のテーマは、「ハラスメントが発生した際に、その場にいた周りの人がどうすればハラスメントを止められるか、それを一緒に考えよう」というものでした。
 団通信を読んでいる女性のほとんどが人生のどこかでハラスメント被害を受けたことがあると思います。私もそうです。ハラスメントは、自由法曹団が出した「ハラスメント防止宣言」にあるように、それを受けた人の「人権と尊厳を損なう行為」です。にもかかわらず、どうして周りの人はそれを止めないのだろうと常に疑問に思っており、自由法曹団のように「人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(団規約2条)ことを目的とする団体でさえ、ハラスメントをその場で止めるという気風が必ずしも確立していないことをとても残念なことだと感じてきました。
 今回の研修が、ハラスメントは発生したその場で周りの人が止めなければならない問題であることを指摘し、周りの人なりの止められない理由を考えた上で、それをどう克服するかという道筋や考え方を示してくれたことはとても重要なことだと思います。
 「ハラスメントは、なぜ、その場で止めなければならないか」という理由について私は次のように考えています。
 第一に、その場でハラスメントを止めることが最大の被害救済だからです。被害者は、周りの雰囲気を考えて我慢したり、立場の違いがあって言い出せなかったり、自意識過剰だと言ってかえって非難されたりすること を恐れたりして、その場ではハラスメントを指摘することがなかなか難しい状況におかれることが多いです。そして、後になっても、その場をやり過ごしてしまったことを後悔したり、そんな自分自身に対する自責の念に駆られたりして苦しみます。まして後から問題にすることにすれば、自分自身の尊厳を傷つけた言動を繰り返し多くの人に自分自身で伝えざるを得ない状況に追い込まれ、繰り返し深く傷つくことになります。そのすべてを回避できるのが、その場でハラスメントを止めることです。そして、止めてくれる人が周りにいたことで被害者は自信を取り戻し、自らの尊厳を回復することができるのです。同じ五月集会の労働分科会で講師をされた緒方桂子先生の言葉を借りれば、「剥奪された『承認』を取り戻すこと」を意味するでしょう。被害者にとってこれ以上の救済はありません。
 第二に、ハラスメント加害者にとってもその場で指摘を受けることが最も効果的に問題点を理解し、考える機会を与えるものとなります。加害者に誰かの人権と尊厳を傷つける行為を続けさせないことは加害者自身の尊厳をこれ以上損なわないことでもあります。
 第三に、そうしたことの積み重ねがハラスメント根絶の気風を作り上げることにつながります。
 すべての団員がお互いに尊重され、ともに活動していくことは、自由法曹団がさらに豊かに発展していくためにとても大切なことです。
 五月集会の全体会でハラスメント研修を企画してくれた千葉恵子団員、山田聡美団員、髙橋寛団員、辻田航団員、緒方蘭団員、平井哲史団員、そして執行部のみさんに心から敬意を表したいと思います。

 

事務局交流会・全体会 感想

東京合同法律事務所事務局 小 林 真 実 子

 事務局交流会の全体会で行われた、國嶋洋伸弁護士、有明訴訟を支援する会事務局の林田さんによる講演を通じて。私は、事務所に入所して1年未満ですが、事務所の所員として重要なことを学んだと思います。
 有明訴訟で論点となっている国営の諫早干拓事業について、私が生まれるより前から問題になっていた事。また、海の生態系が破壊され、漁業者の生活が追い詰められた結果、自ら命を絶つ人もいることなど。この問題について知らないことが多かったです。その一方で、被告側である国の対応には、ある種のパターンが見えてきたように感じました。
 有明訴訟の中で、農水省が干拓の正当性を主張する際に以下のような説明があったと紹介されました。「開門すれば、災害対策に穴があく」、「干拓した場所を海に戻せば、農業が立ち行かなくなる」など。
 本来、政策とは、このような二者択一、どちらかをとれば片方が損なわれるという二元的なものではないはずです。が、諫早干拓の事例でそうした農水省の弁明が行われていると聞いた時、国からの説明がこれでまかり通ってしまうことが珍しくないという点に、危機感を覚えました。今回の学習会で取り上げられた農水省の態度は、沖縄米軍基地問題や、原発問題のパターンとそっくりだからです。
 私の個人的な体験の話になりますが、中学生の時、沖縄へ修学旅行に行った私は辺野古でホームステイを体験しました。その際、美容室を営むご夫婦のお家でお世話になったのですが、食事中に同級生から「辺野古米軍基地の建設について反対ですか? 賛成ですか?」という質問が出てきました。それに対してご夫婦は、「そういったことは話せない。もし言えば、逆の意見の人が店に来なくなるから」と答えました。
 当時の私たちは、「米軍基地がある沖縄県に住む人々なら、盛んに問題を議論しているだろう」と思い込んでいました。実際は、一度問題が持ち込まれたら、そこに暮らす人は生活の一つ一つに気を配り、住民同士の分断を常に突きつけられるというのが現実でした。
 以上のことを思い出した時、干拓の周辺地域でも同様のことが起きているのではないかと想像しました。
 諫早干拓の例をはじめ、国側は「暮らしや仕事に影響はない」「防災・安全保障に必要不可欠なものだから」という一点張りを様々な問題を通じて続けており、国民への説明義務は失われつつあることが再認識させられました。また一方で、政治について関心が持てない、理解が難しいという人が少なくないのも、現代の特徴のひとつだと思われます。
 「政府が必要だと言うのなら、必要なのだろう」「自分たちの生活を良くするためなら、仕方ないのかもしれない」といった、具体性を欠いた意見。学生時代、まわりの生徒からこうした言葉が出るのは、珍しくなかったです。しかしこのように国の主張の一点だけを見つめていては、科学的根拠や問題の複雑さを見失ってしまうことが分かりました。もし国が対応を改めなければ後にどのような影響があるのか、と想像することが重要だと思います。
 学習会の終盤、國嶋弁護士が有明訴訟の弁護団として活動する中で、自由法曹団の役割について次のように語りました。「原告の要求だけが通れば良いという原理で動かない。分断を生まず、被害者や悩みを抱えた人を残さず。漁業者に限らない全ての人にとっての解決を目指す」。この団の指針について、私は修学旅行の体験を踏まえたうえで感銘を受けました。
 今後、自由法曹団の弁護士とともに事務局として相談者の方々に寄り添う時、事件に関わる人の声に耳を傾けること。また、活動と学習をする際には広い視野を持つこと。全体会で学んだこれらのことを、業務中の姿勢として大切にしたいと思います。

 

事務局員新人交流会

名古屋南部法律事務所事務局 山 崎 雪 野

 コロナが流行し始めの頃に入所して、気が付けば3年。この3年間は、ほぼ他の事務所の方と交流する機会がなく、稀に交流があったとしても、マスクで顔半分が覆われていることや、リモート越しの小さな画面からご挨拶をさせていただきましたりと、「はじめまして」が何らかのバリア越しでの対面が多かった3年間でした。
 長かった3年間でしたが、やっとコロナの感染状況も落ち着き、制限も緩和され、5月集会の対面交流も再開しました。私にとっては4年目で初めて、全国の法律事務局の方々との交流です。全国各地の法律事務局の皆様と、やっと対面交流が出来ました。まだマスク越しではあるものの、全国各地の法律事務所から事務局が一か所に集まることが数年ぶり、私にとっては初めての機会で、正直、少し緊張しました。しかし、経験年数の高い事務局の方が、年数の浅い事務局が話しやすいよう、丁寧に司会進行してくださり、私自身も、日ごろの業務や活動の悩みを自然と話すことができました。有難うございました。
 さて、交流会内では様々な日頃の業務内容が話題にあがりました。ひとつひとつ業務にも地域柄があり、そこも語ることができるのが、この交流会の醍醐味とも言えましょう。東西でも、弁護士と事務局の人数割合がちがうことや、人間性も異なるなどの話題が上がりました。一番話が盛り上がったのは、弁護士宛に架かる電話の伝言メモについてです。電話の伝言メモを、皆様の事務所ではどのような手段でお伝えしていますか?この交流会に参加された事務所の多くは、サイボウズなどの共有アプリを使って伝えているとのことでしたが(ちなみに、弊所もサイボウズを利用しています。)、中には、手書きで電話内容を伝えているという事務所も。デジタル化が進み、スマホやタブレットを使ったアプリツールで何かを伝えるという手段が主流になっています。しかしながら、いまだに手書きでのスケジュール管理や、手書きの電話メモを弁護士に渡しているという事務所があり、少し衝撃を受けました。デジタル化が進む一方、情報が手元に残る形式も、調書や判決といった大事なきまりを紙媒体で残しているような、この業界の大切な文化なのかもしれないのでしょうか。
 また、日ごろの業務で一番好評だったのが、相続調査業務でした。事前のアンケート内でも、戸籍取り寄せや相続関係図作成作業が一番楽しいと答えている方が多数いらっしゃいました。法律事務の仕事は、複雑で堅い仕事が多く、一つの手続きや作業を理解するのに時間がかかることが多いです。そんな中でも、相続調査業務は、比較的簡単な作業です。交流会参加者のお言葉にもありましたが、他人の人生を紐解いていくことができ、人の人生史を間近で見ることができるので、皆さんにとっては仕事もしつつ、息抜きのような楽しさもあるでしょう。中には、壮大な関係図となるため、悲鳴も上げたくなる戸籍取り寄せ作業もあるかもしれませんが、その関係図が完成したら、まるで、1話だけでは終わらない長編ドラマや漫画の最終回のような達成感があるかもしれません…。
 そのほか、今回の新人交流会では、東京から熊本まで、各地の法律事務業務についてお互いに共有ができました。参加された皆様は、いかがだったでしょうか。コロナ禍でなかなか参加することができず、気が付けば4年目となってしまった私でしたが、同じ経験年数の方や、同じ世代の方と、日ごろの業務の悩みを打ち明けることができて、良い機会でした。今回の交流会で出会った皆様、また会うことが出来ましたら、お話ししましょう。
 今後も、よろしくお願いします。

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