第1817号 7/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●同性婚について   渥美 玲子

●「赤い傘」をたたむことはできるのか~売買春の非犯罪化運動について考える~  杉島 幸生

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~5月集会報告 ④~
■差別問題分科会に参加して  松村 隆志

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●疑問だらけの「単独親権」制  後藤 富士子

●「広島ピジョン」は平和をもたらすのか
―「広島サミット」は核兵器国間の対立を深めているー  大久保 賢一

●国家防衛戦略(NDS)の反撃能力は台湾有事での対中国軍事作戦のためだ(上)  井上 正信

●関東大震災100年企画~学習会とフィールドワークにご参加ください  金 竜介

●白い子羊の群れを求めて~鈴鹿の竜ヶ岳  浅野 則明


 

同性婚について 

 愛知支部  渥 美 玲 子

LGBT運動の大きな柱の1つは同性婚だと思われる。
 同性婚については、世界的にみると主に欧米圏で認められているに過ぎず、イスラム圏やロシア、アフリカ諸国等では、まだまだのようで、世界の人口に占める割合は20%に満たない。また「同性婚」とは言っても、正確には異性婚とは同等ではない制度の国もある。イタリアでは「同性婚」は認められていないので紹介したいと思う。なお、イタリアでは、「同性愛」は一般的に「GAY」と表現されており、レスビアンも含む概念である。
1、イタリアの同性カップル法
 イタリアは、カトリックの総本山であるバチカンがあるため、イタリア人の日常生活は教会と深いつながりがあり、婚姻は「秘蹟」の一つとして教会の管轄下にあった。
 1947年12月に制定されたイタリア憲法第7条では「国家とカトリック教会は、各自その領域において独立・最高である。両者の関係はラテラノ条約により規律される」等と規定されている。
 なお、ラテラノ条約は1929年ムッソリーニ政権下で締結され、このときにバチカン市国が認められたという。
 1984年2月に締結された政教条約の第8条では、「教会法の規範に従って結ばれた婚姻契約は、関連する証明書が市庁舎に公示され、市民権登録に記載されるという条件のもとに国法上の効力を承認する。主任司祭またはその代理人は、挙式後直ちに契約当事者に対し、夫婦の権利及び義務に関する民法典の条文を朗読して婚姻の国法上の効力を説明し、つづいて婚姻証明書の正本を2部作成する」などと詳細な手続きが規定されている(海外の宗教事情に関する調査報告書より)。
 このような手続きで行われる婚姻は「matrimonioマトリモニオ」と呼ばれる。
 イタリアでは、2016年5月に「Unione civile(ウニオーネ・チビレ)」という法律76号法が制定された。英語的には「シビル・ユニオン」と表現されている。
 この「シビル・ユニオン」は「民事的結合」と翻訳されて分かりにくいが、要は、「婚姻」は教会法の規範によるものであり、他方「シビル・ユニオン」は「市庁舎における手続き」のみで効力を生じ、教会での挙式や教会法は関係がないということである。
 「婚姻」と「シビル・ユニオン」との相違点は大まかに以下のようである。
第1に、シビル・ユニオンは同性のカップルの場合をいい、婚姻は異なる性によるカップルによる。
第2に、シビル・ユニオンは「公示」手続きは不要であるが、婚姻は公示することが必要である。
第3に、カップル間の権利義務は似ているが、シビル・ユニオンでは、養子縁組をすることができないこと、誠実義務(貞操義務)がないことが特徴的である。
第4に、婚姻しているカップルが離婚したい場合には6ヶ月から12ヶ月の別居の後でしか離婚請求できないが、シビル・ユニオンの場合には市庁舎に対してすぐに離婚請求することができ、3ヶ月後にはカップルを解消することができる。
2、「親になる権利」
 2023年3月20日、性的少数者の支援団体がミラノのスカラ座前広場でデモや集会を行い、同性婚カップルに対し親になる権利を認めるよう要求した。
 女性の同性カップルであれば、精子の提供をしてくれる男性がいれば、カップルの女性本人が妊娠し出産することができ、まさに「実子」として出生届を提出することができるので、このような要求はない。
 しかし、シビル、ユニオンでは養子縁組が認められておらず、「卵子」を持たないため妊娠出産することができない男性カップルにとっては、第3者の女性が妊娠し出産する必要がある。
 ところでイタリアでは2004年に「生殖補助医療法」として40号法が成立し、代理母出産が如何なる方法であれ禁止されており、違反した場合には3ヶ月から2年の懲役と罰金刑を受けることになっている。
 従って、男性カップルは、同性婚が認められている外国に行って婚姻手続きをし、さらに代理母出産が許されている外国に行って、子を作っているのが実情だという。
 そこで同性婚カップルが外国での代理母出産で生まれた子どもの出生届を、イタリア国内にて出すことになるが、届出用紙には「父親」と「母親」と記載する欄があるため、男性カップルは「母親」欄の記載ができない。この点について、ローマやミラノでは出生届に「親1」「親2」という記載欄を設ける制度を導入したが、デモのあった1週間前に内務省が、ミラノ市に対して、この制度の撤廃を求めた。そのため男性同性婚のカップルが、これに抗議してデモをした。実際、このデモでは市長に対して「僕は母親ではないと、私達の子どもに説明せよ」と訴えるものであった。なお、結婚(matrimonio)という言葉は「Mater(母)」から派生した言葉である。
3、代理母出産
 代理母出産が考え出されたのは、そもそも子宮を持たない女性のための救済措置であって、男性の為ではないとされている。
 代理母出産は、代理母となる女性に対し妊娠という健康上大きな負担を掛け、また出産という命に関わることを女性に強いることであり、女性の身体を商品化し女性の尊厳を否定するものである。女性の体を工場に喩え、子どもを子宮で製造し、できた製品(子ども)を工場から搬出して依頼者に売るということから「人身売買」だとの意見もある。
 実際、代理母契約をした女性は中絶することができるのか、妊娠中に着床前診断を受ける義務があるのか、着床前診断で障害が判明した場合代理母には中絶する義務があるのか、出産した子に障害があった場合依頼者が子を引き取らないことができるのか、代理母は出産した子を養育する義務や権利があるのか、代理母が出産により死亡した場合や死産だった場合契約はどうなるのか、子どもの出自を知る権利をどのように保障するのかなど様々な問題が生じている。
 ウクライナでは、外国人との商業的代理出産が許可されているため、ロシアやジョージアなどと共に国際的な代理出産の拠点の一つになっており、費用も比較的安価ということで「ウクライナは世界の赤ちゃんオンラインストアになった」とも言われているが、2014年のウクライナ紛争以降、避難してきた若い女性が金を得るため業者と契約する事例が増加し、他方、引き取り手がウクライナに入国することが困難になったため捨て子が増えるという問題も起きている。
 またインドでは、代理母出産は禁止されていなかったが、「商業的な代理出産は、貧しく教育を受けていない女性を、富裕層による搾取の危険にさらしている」と女性人権活動家から非難されており、2019年には商業的な代理出産を禁止する法律が可決されたという。この中には、ゲイの依頼による代理母出産を禁止する内容も含まれているという。
 代理母出産を仲介する業者が跋扈し、海外に依頼すると費用はアジアでは100万円からロシアやアメリカでは600万円から1000万円位が相場であり、大きな「レインボービジネス」の市場が存在するという。
 なお、日弁連は2000年3月に「生殖医療技術の利用に対する法的規制に関する提言」を出したが、その中では代理母出産を禁止するよう提言している。

 

「赤い傘」をたたむことはできるのか
~売買春の非犯罪化運動について考える~

大阪支部  杉 島 幸 生

1、売買春の非犯罪化運動を知っていますか 
 団員のみなさん、とりわけ女性団員のみなさんは、一部のフェミニストと言われる人たちが、「セックス イズ ワーク」をスローガンに売買春を非犯罪化(法規制の撤廃)せよと主張していることを知っているでしょうか。それをかかげる運動団体(「SWASH」など)も存在しています。そんな主張や運動があるなんて知らない。多くの団員がそうではないかと思います。そういう人は一度、「セックス イズ ワーク」でネット検索してみてください。ごく普通にそうした主張がなされていることを知ることができます。けして珍しいことではありません。
2、それは、すでに「市民権」をえています
 バイデン政権の圧力をきっかけに、LGBT理解増進法制定の機運が高まり、6月に同法は成立しました。このときLGBTの権利推進を進める人たちは、積極的に院内集会や国会前集会を開催してきました。紹介した写真は、そのひとコマです(「HuffPostJapan」のHPから)。ぜひ写真にある横断幕左下のマークに着目してください。LGBT運動のシンボルであるレインボーフラッグの真ん中に「赤い傘」が置かれているのがわかります。この「赤い傘」は、売買春の非犯罪化を求めるセックスワーカー運動の国際的シンボルです。LGBTの集会に、なぜ「赤い傘」があるのかと思う人もいるでしょう。しかし、それは驚くようなことではありません。集会で中心的な役割をになった「トランスジェンダージャパン」の共同代表であり、トランス女性として集会発言もしている畑野とまと氏(写真左端の人物)は、「SWASH」の中心的活動家です。売買春の非犯罪化は彼女の持論です。またトランス活動家の推奨本である「トランスジェンダー問題」(ショーン・フェイ著/明石書店)でも、売買春の非犯罪化はトランス解放のための不可欠な環であり、これに反対する人はヘイターだとされています(第4章)。国際的にも国内においても、セックスワーカー運動とトランス運動は手をとりあって進んできました。その「赤い傘」の旗が院内で掲げられ、立憲、共産、社民などの国会議員がその旗の前で賛同のアピールをするのですから、売買春の非犯罪化の主張や運動はすでに「市民権」をえているといえます。
3、ぜひとも説明していただきたいと思います
 例え意図したものではないとしても、こうした集会への賛同・参加は、売買春の非犯罪化の動きを後押しするものとなります。もちろんトランス権利運動に共感して集会に賛同する人たちがすべて売買春の非犯罪化に賛成しているわけではありません。そうしたことを知らない人のほうが多いように思います。しかし、政党や国会議員がそれを知らないはずはありません。売買春の非犯罪化に賛成するにしろ、反対するにしろ、政党や政治家がこうした集会に参加するのであれば、その点を明らかにしておくべきです。LGBT運動が盛り上がっているからと、なんの説明もなしに「赤い傘」のもとで行われている運動に加わる態度は私には不誠実なものに思えます。集会に参加した政党や政治家にはぜひとも説明していただきたいと思います。
4、それほど単純なことではありません
 セックスワーカーはすでに存在している。セックスワーカーであることは彼女らの権利である。彼女らは社会の偏見にさらされ苦しんでいる。その自己決定を尊重しスティグマをなくすためには売買春を非犯罪化しなければならない。これに反対することは、その苦しみに心を寄せない態度であり、それは頑迷な家父長制主義者か特権的立場からセックスワーカーを見下す差別主義者のものだ。非犯罪化論者の論理は概ねこのようなものだと思います。
 確かに、セックスワーカーと言われる人たちの人権が侵害されているならその救済を考えなくてはなりません。しかし、売買春の非犯罪化だけがその解決方法ではないはずです。仮に日本において売買春の非犯罪化が実現すれば、職安や生活保護申請の現場で担当者から売買春への従事を迫られるということもありえます。女性たちへの搾取や性加害がより拡大するのではないのかなど、予想されるリスクについての検討も必要です。売買春の非犯罪化を実現したドイツなどでは、貧困層や移民女性が集中的に売春に従事させられており、レイプや暴力が常態化しているとの報告もなされています。非犯罪化論者はそんなことを求めてはいない、それは外国のことで日本ではそうではないですませることはできません。また「性」という人格の核心に触れるものを商品化することが許されるのかとという、そもそも論についても充分な議論が必要です。セックスワーカーの権利を保護する。ものごとはそれほど単純ではありません。
5、私たちは「赤い傘」をたたむことができるのでしょうか
 日本でそれがただちに政治課題になりはしないと思います。しかし、ドイツ、オランダ、スイス、ニュージーランドなどではすでに非犯罪化は実現しています。議院会館内に「赤い傘」が掲げられ、その前で国会議員がスピーチをする時代です。SWASH代表者は立憲の参議員候補でした。こうしたことからすれば今後、日本でも売買春の非犯罪化が政治課題となることが充分に予想されます。
 セックスワーカー運動を進めようとする人たちは、セックスワーカーの苦悩や生きづらさを前面に出してくることでしょう。それは一面の真実であり、それなりの共感を生み出します。後は反対者に特権的立場からセックスワーカーの尊厳を傷つける差別者だとか、頑迷な家父長制主義者などのレッテルをはりつけ、ノーディベイトを決め込むことができればしめたものです。実際に生じる被害については、外国のことだとか、特殊な事例だなどと矮小化し、無視すればいいのです。そんな馬鹿なことあるわけないと思われる人も多いかと思います。しかし、私にはそうは思えません。そのとき本当に「赤い傘」をたたむことができるのか。私はそれを本気で心配しています。

 

~ 特集 ④ ~5月集会報告

 

5月集会差別問題分科会に参加して

大阪支部  松 村 隆 志

1 はじめに 
 私は、福岡での5月集会1日目に差別問題分科会に参加しました。ちょうどLGBT理解増進法案が審議され、性的少数者に対する差別について団内でも活発な議論がされていたことから、私自身も差別問題について関心を持たなければならないと思い参加したのです。
 同分科会では、師岡康子弁護士から「ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを止めるために~国際人権基準に合致する反差別法制度制定を」をテーマにお話しいただきました。
2 師岡弁護士の報告内容
 師岡弁護士からは、まず、「ヘイトスピーチ・ヘイトクライム」とは、「差別的言動・差別犯罪」であって、本質は憎悪ではなく差別なのだとお話がありました。
 憎悪には、「偏見→偏見による行為→差別→暴力行為→ジェノサイド」という階層構造があり、ヘイトスピーチを放置することは、マイノリティに属する人々に対して日常的に屈辱感・恐怖を感じさせ、日常生活を破壊するといった害悪を与えることはもちろんですが、社会全体に対しても、言論を萎縮させ民主主義を破壊し、暴力行為やジェノサイドを引き起こし、特に人種差別は排外主義や戦争に直結するとの害悪があります。国際社会では、1950年代のネオナチ旋風を契機にこの認識が広く共有され、1965年の人種差別撤廃条約の締結につながりました。
 欧米各国では、人種差別禁止法や性的マイノリティに対する差別禁止法等が制定され、イギリスの「平等法」のように、複合差別に適切に対応するため包括的差別禁止法を制定する国家もあるとのことです。これらの差別禁止法の重要な要素としては、①差別の疎明がなされた場合の立証責任の転換、②司法へアクセスしたことを理由とする制裁の禁止が含まれています。
 日本においても、在日コリアンに対するものを中心に、ヘイトスピーチや、脅迫・放火等のヘイトクライムが繰り返されていますが、人種差別禁止法が制定されず、条約上の義務が履行されない状態が続いていました。2016年にようやく、人種差別撤廃条約の義務履行の一部と位置付けて「ヘイトスピーチ解消法」が制定されましたが、ヘイトスピーチが人種差別であると認め、差別を許さない姿勢を明確にしたことには意義があるものの、禁止規定も制裁規定もなく実効性が極めて弱い等、不十分な内容となっています。ヘイトスピーチ解消法制定後は同法の定義に抵触する内容のヘイト街宣は減少したものの、公人やテレビ・ネットでのヘイトスピーチは止まらず、ヘイトクライムは漸増・過激化の傾向にあります。
 地方自治体では、先進的取組みとして、川崎市において包括的な差別撤廃基本条例と人種差別的言動を禁止する条例が制定されており、日本で初めて差別を犯罪とした画期的な内容となっています。この流れに続いて相模原市でも罰則付きの差別禁止条例の制定が進められているとのことです。
3 師岡弁護士のお話を伺って
 私は、師岡弁護士のお話を伺って、差別を禁止する取り組みにおいて日本の立ち遅れた現状を改めて認識し、すぐにも改善されるべき問題であると感じました。
 誰しも、人種や性別など、自分の意思や努力によってはどうしようもない事柄によって、不利益を受けたり蔑まれたりすることがあってはなりません。ただ、自らが属する集団・属性への親和性とそこに属さない人々に対する排他性は人間に備わった本能のようなものであり、私自身を考えても偏見や差別感情が決してないわけではありません。
 重要なのは、差別は許されないことだと繰り返し教育を行うこと、偏見や差別感情を言葉や行動として示してしまい被害が生じたときには、被害者を救済し、加害者に罰則を科すことにより、そのような差別的言動を予防することだと思います。そのためには、禁止規定や罰則規定のある人種差別撤廃法や性的少数者への差別禁止法の制定が不可欠です。
 残念ながら、先般のLGBT理解増進法の制定過程を見ても、国政においてすぐに適切な立法がなされることは期待できそうもありません。ただ、そのような中で、川崎市に続いて相模原市において罰則付きの差別禁止条例の制定の動きがあることは非常に重要であると思います。
 障害者差別解消法の制定についても、多くの地方自治体で先行して障害者差別禁止条例が定められ、法制定の機運が醸成されました。地方自治体で条約に即した条例を制定する動きが続けば、国政でも法改正や新法制定の機運が高まるのではないでしょうか。
 今後は、それぞれの地域で、差別禁止条例の制定の動きを支援していくことが重要であると感じました。

 

疑問だらけの「単独親権」制

東京支部  後 藤 富 士 子

1 「離婚罰」? 
 現行の父母の「共同親権」制は、昭和22年の民法改正で導入された。民法818条は、第1項で「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」とし、第3項で「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」としている。父母の一方が親権を行うことができないときには他の一方が行うが(818条3項但書)、やむを得ない事由があり自ら親権を辞退する場合でも家庭裁判所の許可が必要である(837条1項)。
 また、親権喪失については、実体的にも手続的にも厳格な制限がある。①虐待、②悪意の遺棄、③親権行使が著しく困難または不適当であることにより子の利益を著しく害するときに、法定された請求者の請求により、家庭裁判所が親権喪失の審判をすることができる。この審判は、「しなければならない」のではないうえ、①~③の事由が2年以内に消滅する見込みがあるときにはできない(834条)。「子の福祉」の後見的役割を負う家庭裁判所でさえも、父母の親権を剥奪することには抑制的である。
 ところが、父母が離婚する場合には、必ず父母のどちらか一方の単独親権になる(民法819条1~3項)。この「単独親権」制は絶対的であり、例外が認められていない。共同親権の例外が限定的であり、親権喪失審判も極めて抑制的であるのに比べると、「単独親権」制の絶対性は際立っている。法解釈論に引き直すと、「離婚」が法定の親権喪失事由になっている。
 婚姻中に共同親権者であった父母の一方が、離婚によって親権を喪失するというのは、まるで離婚に対する制裁ではないか。これは、明らかに「離婚の自由」を侵害する。国家は、法律婚の解消を困難にして、国民を「法律婚」の枠内に閉じ込めようというのだろうか。
2 父母が単独親権を争うと「裁判官が決める」?
 協議離婚の場合にも、単独親権者を決めなければ、離婚届が受理されない。父母の協議で決められないときに、父または母の請求によって家庭裁判所が協議に代わる審判をすることができる。裁判上の離婚の場合、裁判所が離婚判決の中で単独親権者を決める。
 「子の福祉」にとって単独親権制に問題があるにせよ、父母の自由な意思に基づく合意により単独親権者が決まるなら、法的争いは生まれない。しかし、共同親権者であった父母の一方が離婚により親権者でなくなるのだから、協議は難航する。そうすると、最終的に家庭裁判所が決めることになる。
 私が最も納得できないのは、当該子の養育に何の関与も責任ももたない裁判官が、いかなる条理に基いて、親権喪失事由のない親から親権を剥奪できるのか?という点である。
 ちなみに、日本の裁判官は官僚制度の下にあり、養成制度に照らしても適任とはいえない。それを補完するために家裁調査官制度があるが、その調査は父母のどちらか一方を親権者から排除することを目的に行われるから、親権喪失事由がない親の親権を剥奪することに平然としている。裁判官も調査官も、「法律に従っただけだ」というのだろう。これでは、良心をもたない「官吏」そのものである。
3 「家制度」の名残でも「母系」ならいいのか?
 日本国憲法24条により「家父長的家制度」が廃止される前は、父母の婚姻中であっても単独親権制が採用されていた。しかも親権者について第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」とされていた(旧第877条)。つまり、親子関係は、常に「家父長的家制度」の下にあったのである。
 ところで、「選択的夫婦別姓」論は、96%の妻が夫の氏に改姓している現実を「女性差別」と捉え、「家父長的家制度」の名残からの脱却を志向しているように見える。しかし、婚姻により夫婦のどちらかが旧姓を失う法制度自体を、女性差別と断じることはできない。むしろ「夫婦同姓の強制」(民法750条)に代わるべき制度は、婚姻によって姓が変わらない制度、すなわち夫婦別姓を原則とする「選択的夫婦同姓」である。この制度になれば、「両性の平等」が貫徹され、「家父長的家制度」とも無縁になる。
 単独親権制についても、同じことが言える。「家父長的家制度」から脱却するには、単に「家父長制」を克服するだけでは足りない。仮に単独親権者が母であっても、単独親権制自体が「両性の平等」と両立しないからである。実際、単独親権者が母である割合は、夫の氏を称する妻に匹敵する。「選択的夫婦別姓」論者から「単独親権制」を否定する声が聞こえないのは、「母系」なら「女性差別」ではないからであろう。
4 「排除」から「共生」へ―「男女共同参画社会」に向かって
 絶対的単独親権制を廃止して、離婚後も共同親権を原則とすれば、「両性の平等」が貫徹されるだけでなく、「子の福祉」のためになすべき方策を離婚とは別の手続で追求できる。
 共同親権者であった父母の一方を親権者から排除するためにエネルギーを費やすことは、有害無益である。単独親権制は、離婚に際し、父母の評価を「オール・オア・ナッシング」に帰結させる。しかし、実在する父母に、そのような評価は不自然である。むしろ、共同親権制の下で、「1:9」「3:7」「5:5」など実情に応じて「共生」する方策を講じれば足りる。
 このような法的手続にすれば、子自身の意向を反映できるようになるメリットも大きい。「父母のどちらが単独親権者として適格か」ではなく、「どうするのが子の最善の利益に適うか」を検討する土俵ができるからである。それは、親世代の「男女共同参画」の実践になり、かつ子世代に「男女共同参画社会」のバトンを渡していくことになるはずである。(2023年7月10日)

 

「広島ピジョン」は平和をもたらすのか
ー 広島サミット」は核兵器国間の対立を深めている ー

埼玉支部  大 久 保 賢 一

井上寿一氏の「広島ビジョン」礼賛 
 井上寿一学習院大学教授が、6月17日付「毎日新聞」の「近代史の扉」欄で、「100年前の国際会議と類似」と題して「広島サミットの成果」を論評している。先月開催されたG7は、さかのぼると1921年のワシントン会議にたどり着く。その会議と比較して広島サミットの意義を論ずるというのである。その結論は、ワシントン会議で共有された協調の精神は、20年代の平和をもたらした。ウクライナ戦争が続く中、広島サミットの協調の精神が試されている、というものである。
 そのキーワードは「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(広島ビジョン)である。ワシントン会議は、第一次世界大戦後の国際的な緊張緩和化の中で海軍軍縮と軍事費の削減をもたらした。「広島ビジョン」はウクライナ戦争など国際緊張が続く中で、核軍縮・核不拡散の意思を表明した。その歴史的意義は大きいというのである。
 要するに、広島サミットは「広島ビジョン」を発出しているので、100年前のワシントン会議と同様の「歴史的意義」を持っている。ワシントン会議は「協調の精神」で平和をもたらした。広島サミットも「平和をもたらす」かもしれないというのである。「広島ビジョン」礼賛である。
私の違和感
 私は、この論稿を読んで根本的違和感を覚えている。その理由は、「広島ビジョン」は、核兵器の不使用の継続、核戦争に勝者はないこと、核不拡散・核軍縮、透明性の向上などには触れてはいるけれど、核兵器に依存し続けることを宣言し、核廃絶には触れていないので、「核兵器のない世界」を遠ざけてしまう極めて危険なものだと評価しているからである。この文書には「核兵器依存宣言」以上の意味はないという評価である。
 さらに、中国やロシアにはNPT6条の義務を指摘しているけれど、自分たちは何かするとはしていない。北朝鮮には核兵器を捨てろと言っているけれど、自分たちがそうするとはしていない。イランには核開発するなと言っているけれど、インド、パキスタン、イスラエルにNPT加入など呼びかけていない。インドは会議に招待している。そこには、自分たちの価値観と違う国との協調を求める姿勢はない。世界を自分たちの都合に合わせようとする身勝手この上ない「協調精神」があるだけである。典型的ダブル・スタンダードである。しかも、核兵器国間の対立が煽られているのである。
 にもかかわらず、井上氏によると「広島ビジョン」は「歴史的意味」があることになるのである。なぜ、そのような結論になるのか、彼の論理を検証してみる。
声明の欺瞞をあげつらうな
 井上氏は、「広島ビジョン」はロシアの「核の恫喝」を非難する意図があるかもしれないけれど、声明の欺瞞をあげつらうよりも重要なことがあるとしている。氏は「声明の欺瞞」を認めた上で、もっと大事なことがあると言っているのである。
 氏は次のように言う。
 8月6日の広島平和記念式典に首相が初めて参加するのは1971年だ。それまで参加しなかったのは、米国の核保有を批判することにつながりかねなかったからだ。原水禁運動は分裂していた。ソ連や中国の核実験に対する評価をめぐる対立だった。原爆投下の正当性をめぐっての日米間の論争もあった。このような「唯一の被爆国」の戦後史の曲折は、私にとって同時代史だった。子供心に不思議なこともあった。大学で学ぶと、核兵器はパンドラの箱から飛び出したようなもので、削減や不拡散は可能でも、廃絶は不可能と理解するに至った。戦後史の延長線上において、G7の首脳が、資料館を訪れ、被爆者の証言に耳を傾けることを想像するのは困難だった。けれども、「広島ビジョン」は、ウクライナ戦争などの国際緊張の中で、核軍縮・不拡散の意思を表明している。これは、ワシントン海軍軍備制限条約が、海軍軍縮にとどまらず、軍事費の削減をもたらしたことと類似するような歴史的な意義を有している。
氏の言説へのコメント
 氏は、核兵器はパンドラの箱から飛び出したようなもので、削減や不拡散は可能でも廃絶は不可能だとしている。けれども、核兵器は、米国はもとより連合国や枢軸国から亡命した科学者たちの研究と技術の成果であって純然たる人工物である。であるがゆえに、その廃絶は、物理的には決して不可能ではない。政治的意思でそれを作り使用したのと同様に、廃絶の意思を持てば廃絶は実行できるのである。氏が不可能と理解するのは、そのことを知らないか、何かの都合で認めたくないからであろう。
 現に、ピーク時の1986年には7万発あった核弾頭は、現在、1万2千発台になっている。残っている核弾頭よりも廃棄された方が多いのである。廃絶が不可能というのはデマゴギーである。そもそも、「広島ビジョン」も核兵器のない世界は実現するとしているのである。ただ、今はやらないとしているだけである。
 また、「広島ビジョン」が軍縮や軍事費の削減に役立っていないことは、この間の日本政府の行動と国会の状況を見れば明白である。政府は、わが国を取り巻く安全保障環境は厳しいとして、自衛隊の強化だけではなく、国を挙げての防衛力の強化を主張し、そのための法案と予算とを提案し、自民党・公明党の与党とそれに同調する政党はそれらを成立させている。中国、ロシア、北朝鮮に対抗するための「抑止力」と「対処力」を強化するというのである。この国では「先軍思想」がはびこり、「国家総動員体制」が進行しているのである。氏は、それらの現実を無視しているのである。
 結局、井上氏は、核兵器廃絶を不可能とし、政治情勢を無視しながら「広島ビジョン」を美化しているのである。そもそも、「広島ビジョン」は軍縮のためのものではなく、「抑止力」としての核兵器を維持するための宣言なのである。岸田首相は、広島出身を言うけれど、「核の傘」は中国・ロシア、北朝鮮の核に対抗する「護身術」だとしているし、米国との拡大核抑止体制の強化を主張している人である。その人が主導した「広島ビジョン」が核軍縮に役立つかもしれないなどという言説は陰謀論かフェイクでしかない。
まとめ
 氏は、100年前のワシントン会議と関連条約を引き合いにして、「広島サミット」の成果を論証しようとしたけれど、それは無意味な試みであった。
 さらに、私は「ワシントン条約は1920年代の平和」をもたらしたという物言いにも異議を述べておく。この条約の成立は1921年、発効は23年である。満州事変の勃発は31年である。日本は、32年にはこの条約から脱退し、33年には国際連盟を脱退している。このような経過に照らした時、「20年代の平和」という用語を使用する感覚が理解できないからである。
 大日本帝国は、この間、植民地支配を継続するだけではなく、国内外で着々と侵略の準備を整えていたことは史実である。にもかかわらず、氏は、「平和な時代」というのである。であるがゆえに、「広島ビジョン」が「平和をもたらすかもしれない」などという言説を流布できるのであろう。
 私は、このような言説を看過したくないし、それを掲載する『毎日新聞』の姿勢にも幻滅している。両者とも「死神」の手先のように見えてしまうからである。この国は私が自覚しているよりも危険な状況にあるのかもしれない。(2023年6月17日記)

 

国家防衛戦略(NDS)の反撃能力は台湾有事での対中国軍事作戦のためだ(上)

    広島支部  井 上 正 信

はじめに
 私は安保三文書閣議決定以降、日弁連憲法問題対策本部、二弁憲法問題委員会、兵庫県弁護士会憲法委員会の会内勉強会で安保三文書について説明する機会がありました。
 そこでは憲法9条と平和主義、平和国家の在り方を根本的に変えてしまうことへの危機感と、安保三文書の内容を理解する上での困難さ、市民へどのように分かりやすく話せるのかとの問題意識を共有しました。
 市民にどのように分かりやすく語り掛けるのかということについては、それぞれの方の経験と知恵に基づく工夫があるでしょう。その前にまず、安保三文書をどう理解するかを考えてみました。
 国家防衛戦略(以下NDS)は、我が国の「戦後の防衛政策の大きな転換点」であると述べています。これこそが、NDS,防衛力整備計画を理解するキーワードと言えます。過去の防衛政策を定めた防衛大綱、とりわけ25大綱、30大綱とどこが大きく異なっているかを調べれば、「転換」の具体的な意味が分かるはずです。また、これにより自衛隊の在り方と日米同盟が大きく変化することになります。
 結論から先に述べれば、反撃能力の保有です。
 25大綱、30大綱はいずれもこの能力について「検討の上措置をする」と述べながら、保有には踏み込めませんでした。
 イージスアショア配備断念直後から自民党内で敵基地攻撃能力保有論が高まり、政府に対する圧力を強めました。それでも2020年12月18日閣議決定(菅内閣)では、反撃能力保有までは踏み込めませんでした。わずかに12式ミサイルの能力向上と、イージスアショアの海洋配備型を決定しただけでした。
 NDSは単に反撃能力保有を政策決定したばかりか、これを軍事的抑止力の中心に位置づけています。それだけ大きな転換と言えます。
 ではなぜ安保三文書でこれまで乗り越えられなかった反撃能力保有とそれを軍事的抑止力の中心に位置づけることになったのでしょうか。
 これについても結論から言えば、イージスアショア配備断念により高まった敵基地攻撃能力保有論の流れと、2021年3月から高まる台湾有事への危機感が重なった結果です。
 その二つの流れを年表風にまとめたものを以下に示します。
 敵基地攻撃能力保有論と政府に対する圧力の高まり
前史
2003.7新世紀の安全保障を考える若手議員の会緊急声明
専守防衛の考え方を再構築、敵基地攻撃能力
保有、集団的自衛権憲法解釈変更
2002.10朝鮮半島核危機を背景
2006.7 安倍官房長官、額賀防衛庁長官が敵基地攻撃
能力保有を主張
2006.7北朝鮮7発の弾道ミサイル発射を背景
2009.4 安倍晋三、山本一太、前原誠司、浅尾慶一郎(民主)が主張
2009.4北朝鮮人工衛星打ち上げ  
2009.5第2回核爆発実験を背景
2009.6、2010.6 次期防衛計画大綱への自民党提言で具体的な能力保有を提言
2017.3 自民党安全保障調査会緊急提言を安倍首相に提出
朝鮮半島情勢の緊迫化を背景
2018.5 自民党政務調査会提言「新たな防衛計画大綱及び中期防衛力整備計画の策定に向けた提言
「敵基地反撃能力」保有の検討の促進を求める
 以上は北朝鮮の核、ミサイル脅威への対抗策として敵基地攻撃能力保有を求めるものでした。
イージスアショア断念以降
2020.6.15 河野防衛大臣、陸上イージスシステム断念
2020.8.4  自民党政務調査会「国民を守るための抑止力向上に関する提言」
 多様なミサイル脅威に対抗するため、米国のIAMD(統合防空ミサイル防衛の略語)との連携を確保して総合ミサイル防空能力を強化することと併せて、敵基地攻撃手段の保有を提言
2020,10.23  自民党国防議員連盟「新たなミサイル防衛に関する提言」
 車載移動式発射台のみならず、その関連施設・機能(弾薬庫や車両基地、司令部・通信機能であろう)への攻撃、衛星コンステレーションの導入、日米間での目標探知を含む情報共有のためのデータリンクを含む指揮統制機能の整備、敵防空網制圧(SEAD)や警戒監視要領や戦闘機による援護要領という、戦闘機・爆撃機による敵領土への攻撃の方法までも検討することを求める。
2020.12.18 「新たなミサイル防衛システムの整備等及びスタンド・オフ防衛能力の強化について」を閣議決定(菅内閣)
 12式ミサイルの能力向上を決定するも敵基地攻撃能力保有には踏み込まず
2021.12.6 第207国会での岸田総理所信表明演説で、「敵基地攻撃能力を含めあらゆる選択肢を排除せず現実的に検討」と、国会所信表明演説として初めて敵基地攻撃能力保有に言及。
2022.1.7 2+2共同発表文
 ミサイルの脅威に対抗するための能力を含め、国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意を表明
2022.1.17 第208回国会(通常国会)での所信表明演説
「『敵基地攻撃能力』を含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討します。」
2022.4.27 自民党政務調査会、安全保障調査会連名の提言「新たな安全保障戦略等の策定に向けた提言」
敵基地攻撃能力を「反撃能力」と言い換え、その攻撃対象を相手国の指揮統制能力等まで含める
2022.5.23 日米首脳共同声明
ミサイルの脅威に対抗する能力を含め、国家の防衛に 必要なあらゆる選択肢を検討する決意を表明
5 台湾有事への危機感の高まり
2013.12  国家安全保障戦略閣議決定
2014.7.1 自衛権行使要件解釈変更閣議決定
2015.4  新ガイドライン合意対中国日米共同作戦計画のグランドデザインを合意
2015.9  安全保障法制制定
新ガイドラインを実行するための国内防衛法制
法案国会審議では中国脅威論、台湾有事論を全く議論せず
2018.12 30防衛大綱、中期防閣議決定 新ガイドラインを実行する国内防衛政策
2021.3INDPACOM司令官デビッドソンの上院軍事委員会での証言
「台湾は中国の野心の一つであり、この10年、実際には6年先にはこの脅威が現実のものとなる。」
2021.3.16 日米安全保障協議委員会(以下2+2)共同発表文
台湾海峡の平和と安定の重要性を強調
2021.4.16 日米首脳共同声明
台湾海峡の平和と安定の重要性
2021.6.1 自民党政務調査会外交部会の台湾政策検討プロジェクトチーム「第一次提言」
「(台湾海峡の平和と安定は)我が国の存続に死活的な意味を持つ。」とし、「台湾の危機は我が国自身の危機である。」 台湾有事=日本有事論を展開
2021.7.5 麻生副総理「台湾有事は存立危機事態に当たる可能性がある。」
2021.12.1 台湾でのシンポへオンライン参加した安倍元首相は「台湾有事は日本有事、日米同盟有事」と発言
2022.1.7 2+2共同発表文で台湾有事で日米が共同対処するところまで踏み込み(第4パラグラフ)、対中国日米共同作戦計画策定を進めることを合意(第8パラグラフ)
2022.5.23 日米首脳共同声明
台湾海峡の平和と安定の重要性を再度確認
 以上の二つの流れの年表を重ねてみれば、2021年3月以降にわかに高まってきた台湾有事への軍事的備えこそが、敵基地攻撃能力保有へと大きく踏み込んだ理由であったことが読み取れると思います。

(続く)

 

関東大震災100年企画~学習会とフィールドワークにご参加ください

東京支部  金 竜 介

 虐殺の歴史を否定する社会に抗するために私たちは学び、行動する
 関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒をいれた」等のデマが流布したことなどにより、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起きました。政府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(2008年3月 内閣府中央防災会議)」は、朝鮮人らの虐殺犠牲者数を、震災死者数(約10万人)の「1~数%」に当たると指摘しています。虐殺が揺るぎない事実であることは、多くの学者、市民の調査によって明らかにされています。「こん棒で頭を破られ顔からえり首へかけて血を流した一人の〇〇が竹やりを持った大勢の人々に囲まれていた。私はただぼうぜんとして見送った」「『〇〇人が行ったぞ!捕えろ!!』と闇をつらぬく聲に僕の心はおどった。そして聲する方へ駆けだした。『殺してしまえ!殺してしまえ!!』と川をとりまいた大勢の人が各自の武器を出して何やら黒きものをたたき、突いている。やがて黒きものは鳶口によって道路へ引き上げられた。僕は前へ出て見た、その黒きものは人である」。震災後に子どもたちが書いた作文には、朝鮮人が暴行されている様子が生々しく書かれていました(〇〇は当時の出版の際に検閲で伏せ字にされた箇所)。
 こうした虐殺は、官憲主導下に組織された自警団によって行われたものです。しかし、政府は、いまだに虐殺への政府の関与を認めておらず、真実究明のための調査すら行おうとはしません。また、小池都知事は、「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」と述べ、虐殺の有無について明確な認識を示そうとせず、虐殺犠牲者を悼む式典への追悼文を2017年以降、拒否し続けています。
 こうした政治の態度に後押しされるように、いま、朝鮮人虐殺を否定・正当化するフェイク言動が盛んになっています。
 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺の真実を学ぶのは、単なる歴史の勉強ではありません。100年前の日本で起こったことが再び起こるかもしれない現代において、私たちが何をすべきかを考えるために必要だからです。

●関東大震災100年・朝鮮人虐殺問題を考える学習会(8月3日)~講師加藤直樹さん
 ジャーナリストの加藤直樹さんを講師に学習会を開催します。
 「九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響」「トリック ~『朝鮮人虐殺』をなかったことにしたい人たち」の著作で知られる加藤さんは、これらの出版をしたのは、朝鮮人虐殺の歴史が日本人の記憶から消えかかっていると感じたからだといいます。
 インターネットで「朝鮮人虐殺」を検索すると「朝鮮人の放火や暴動は事実であり、朝鮮人殺害は正当防衛だった」という荒唐無稽な「虐殺否定論」の言説が目に入ってくる今日、当時の公的資料や地域で集められた聞き取りなどを丹念に収集して分析した加藤さんのお話をぜひ聞きにきてください。
《日 時》 8月3日(木)午後6時00分~
《会 場》 団本部+Zoom
《講 師》 加藤直樹さん(ジャーナリスト)

●フィールドワーク企画 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年~歴史を繰り返さないために事実を語り継ぐ(8/28)
 市民グループ「ほうせんか」が2009年9月に完成させた「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」が荒川堤防下に建っています。この場所は、日本の民衆だけでなく出動してきた軍隊が機関銃で韓国・朝鮮人を殺害した場所の一つ、かつて「四ツ木橋」という木橋が架かっていたたもとの近くです。
 また、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」の市民たちは、毎年9月に虐殺された朝鮮人らを静かに追悼するための式典を開催しています。
 政府や都知事が真実を伝えようとしない中、こうした人たちの粘り強い活動によって、犠牲者たちの記憶が語り継がれていきます。
 自由法曹団本部、東京支部と在日コリアン弁護士協会の共催で、フィールドワークを企画しました。「絶対に同じ過ちを犯してはならない。 悲惨な事実を忘れず伝承するのが今を生きる私たちの責務だ」との思いで活動する人たちの話を虐殺の現場を歩きながら聞く取り組みです。
《日 時》8月27日(日)午後1時00分~(午後4時解散予定)
《会 場》①ほうせんかの家に集合(東京都墨田区八広6-31-8)
追悼碑前にて西崎雅夫さんのお話(一般社団法人ほうせんか理事)
 河川敷を移動しながら虐殺現場の説明
②横網町公園  関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑
宮川泰彦さんのお話(9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会実行委員長・自由法曹団団員)
③東京都復興記念館 見学
※ 終了後、両国駅付近で懇親会を予定しています

 

白い子羊の群れを求めて~鈴鹿の竜ヶ岳

京都支部  浅  野  則  明

鈴鹿山脈 
 鈴鹿山脈は、岐阜県及び三重県と滋賀県との県境沿いに位置する山脈で、一般的には関ヶ原の南に位置する霊仙山から鈴鹿峠(あるいは油日岳)までの山の繋がりです。北部と南部は石灰岩質のなだらかな山であり、御池岳や藤原岳山頂付近にはカルスト地形も見られ、6月~9月はなぜかヤマビルの活動が活発です。他方、中央部の竜ヶ岳南面から入道ヶ岳にかけての範囲は花崗岩質で鋭い山容となっています。最高峰は御池岳(1247 m)ですが、最も有名な山は御在所岳(1212m)で、三重県側の菰野町の中腹には湯の山温泉があり、山頂付近までロープウェイが結んでいます。また、御在所岳の藤内壁はロッククライミングの名所となっています。
 「鈴鹿セブンマウンテン」と呼ばれる山(藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、鎌ヶ岳、入道ヶ岳)があり、これは1964年(昭和39年)に鈴鹿セブンマウンテンの登山大会が始まったことにちなんでいます。これらの山は大方三重県側から登ることが多いのですが、最近では滋賀県側から登る「鈴鹿10座」(藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳に加え、御池岳、天狗堂、銚子ヶ口、日本コバ、イブネ)というのも制定されています。これらの山々は、大方登山口から3時間もあれば山頂に到達することのできる低山ですが、アルペンチックなところがあって、人気があります。
子羊の群れとは
 皆さんは、「子羊の群れ」と聞いて何を連想しますか。実は、その正体はシロヤシオという花です。シロヤシオ(白八汐)は、主に太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹で、枝先に5枚の葉が輪生状に付くことから、別名としてゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも呼ばれます。シロヤシオの花は、毎年5月~6月に見頃を迎えます。鮮やかな緑色をした葉に寄り添って鈴なりに咲き誇る真っ白な花のコントラストが実にきれいです。ちなみに、シロヤシオの花は敬宮愛子内親王のお印に用いられています。
 このシロヤシオの木がたくさん植わっているところとして、竜ヶ岳(1099m)が有名です。山頂付近はなだらかな斜面で笹に覆われており、眺望は抜群ですが、その少し低いところにシロヤシオの樹木が点在していて、花が満開の時期になると一斉に純白に染まります。その様はまるで白くふわふわとした子羊たちが山野を駆けているようなに見えるのです。この景色が見たくて、毎年5月中下旬頃になるとたくさんの登山者が竜ヶ岳に登ってきます。
今年はツツジ系の花いいと聞いて
 実は、シロヤシオは、毎年豊富に花を咲かせるわけではありません。当たり年とそうでない年があるのです。私も、この十数年にかけて竜ヶ岳に登っていますが、当たり年が少なくなってきたような気がしています。しかし、今年はツツジ系の花がよいというネット情報が流れてきました。4月初め頃からミツバツツジ、4月下旬にはアカヤシオ(アケボノツツジ)がたくさんの花をつけており、いよいよシロヤシオの番となってきました。もちろん、天気がよい青空の下で、白い子羊の群れを見ることに限ります。そんな週末の日が来ないかと心待ちにしていました。
滋賀県側から登る
 竜ヶ岳の登山口は、三重県側の宇賀渓と呼ばれるところにあり、そこから遠足尾根、金山尾根、中道登山道の3つが主要ルートになっています。5月20日(土)は天気予報もよく、大勢の登山者が登ってくることが予想されたので、私は敢えて滋賀県側の太尾尾根から登ることにしました。焼野というところに車を置いて登ることにしました。私の他には車はありません。午前8時半、空は曇っていて青空は全くありませんが、天気予報を信じて昼前から晴れてくることを期待して登り始めました。前日の雨で樹木はまだ濡れていましたが、新緑の輝きがあって瑞々しい景色が展開しました。途中で男性単独者に追い抜かれた他は登山者に会うことはありませんでした。白谷越という難所を越えガレ場も慎重に通過し、午前11時いよいよ竜ヶ岳への急登にとりかかりました。自然林の中の急登なので眺望はなく、汗がひたたり落ちてきます。ところが、標高800mを越えたあたりから晴れ間どころかガスが出てきました。何とか急登を登り切り、笹原に出てきたところ、ガスの帳に覆われています。所々にシロヤシオの木があって、近づいてみるとたくさんの花をつけていました。山頂に向かう笹原の中の道はガスのため視界20mくらいでしょうか。しかも、遮るものがないためかなりの強風が吹いてきています。ガスと強風の中を歩き、午後12時15分ようやく山頂に着いたものの、お目当ての景色は全く見えません。晴れるんじゃなかったのか!と天気予報に文句を言っても始まりません。この日は、もう晴れそうにもないので、昼食も摂らずにそそくさと下山することにしました。下山後は、永源寺温泉「八風の湯」で冷えた身体を温めました。
再度チャレンジする
 白い子羊の群れを見たい思いをあきらめきれなかったことから、何とか予定をやり繰りして5月23日(火)にリベンジすることにしました。この日の天気予報は正午頃から晴れでした。そこで、県境にある石榑峠(標高700m)から、コースタイム1時間余りで最短の表道登山道からアプローチすることにしました。今は石榑トンネルが開通しているのですが、以前は国道421号線がこの峠を越えていました。トンネル手前に分岐があり、うねり曲がった酷道を30分ほど走ると石榑峠に着きました。この時期の週末はたくさんの路駐車がずらりと列を作っているところですが、平日かつお昼前ということもあって、峠直下に車を駐めることができました。峠に着いたのはもう正午を回っていましたが、今回は天気予報が当たり、晴れ間が出てきていました。1時間ほどの登りでしたが、次第に晴れ間が広がってきて、山頂に到着したときは、快晴になっていました。お目当ての景色はどうか。山頂から見下ろした草原には、子羊たちが群れていました。しかし、以前に見た景色とどこか違う気がして仕方がありませんでした。地面の笹が枯れているのです。以前は緑鮮やかなじゅうたんにシロヤシオの木が林立し、白い花がついてふわふわとした子羊さんが群れていたのですが、今はじゅうたんが茶色くなってしまっています。最近の山のヤブが枯れてなくなっているのですが、笹枯れがこのように進行しているとは思ってもみませんでした。子羊さんたちも食べるものがなくなってしまい、悲しんでいることでしょうか。またいつかはササが再生することを願ってやみません。

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