第1819号 8/11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●残暑お見舞いと九州ブロック総会の感想  岩田 研二郎

●大井川の「命の水」を守れ  上村 拓夢                         

●「謝罪」の意義とは  笹山 尚人

~8/3 関東大震災100年企画学習会の感想~
●北海道のブラックアウトと流言―「流言飛語」は場所を選ばず  田中 貴文

●地方団員は問う「常任幹事会は面白い?」(前編)  鈴木 雅貴

● 「1789-バスティーユの恋人たち―」を観る!!  大久保 賢一

●安保三文書による自衛隊の変貌 国土防衛・専守防衛型から他国攻撃型へ(上)  井上 正信

●東北の山―花トレッキングに憧れた秋田駒ヶ岳(前編)  中野 直樹

●大阪総会に是非お越しください!!  辰巳 創史

●次長日記(不定期掲載)  久保木 太一


 

残暑お見舞いと九州ブロック総会の感想

団長  岩 田 研 二 郎

 全国的な酷暑の中、みなさん休んでおられますか?身体が資本のこの仕事、少しさぼっても、何よりも自分と家族の命と健康をまもりましょう。
 7月28日、29日に、長崎で開催された九州ブロック総会(団員20数名が参加)にお招きいただきました。長崎での人権活動を知るために、その先頭に立つ、団員ではない若手の今井一成弁護士に報告をお願いし、長崎のカジノ開設反対運動(IRコンサルタント料差止住民訴訟)、安保法制違憲訴訟、弁護士会の死刑廃止
 決議の苦労話など生き生きとした報告をいただきました。団員でない弁護士に報告してもらうという柔軟な発想とそれを提案した成見暁子さん(宮崎県支部)のネットワークに感心しました。今井さんには、「ぜひ入団を」と私からもお願いしてきました。
 沖縄の加藤裕さんによる辺野古基地訴訟などの報告、東京支部の塚本和也さんによる鹿児島の馬毛島基地建設問題への取組みとともに、メイン企画として、長崎平和委員会の冨崎明さん(長崎大学)による「安保法制下、九州で進む米軍と自衛隊の一体強化」の実態報告の内容には驚きました。
 台湾有事に備えるとの理由で南西諸島、とりわけ宮古、石垣、与那国の先島諸島がクローズアップされていますが、実は、長距離ミサイル基地とされる先島諸島とともに、九州にある自衛隊基地の部隊や装備が次々に増強されていることが詳細に報告されました。中国を対象とし、日米の水陸両用作戦拠点(海兵隊)として海上自衛隊の山口県岩国航空基地、長崎佐世保基地が加わり、部隊として、長崎大村の自衛隊の水陸機動連隊、後方支援部隊、大分湯布院の砲撃部隊、大分玖珠の強襲車両部隊で構成される自衛隊の水陸機動団が、米軍の海兵沿岸連隊に編入されます。福岡築城航空基地、宮崎新田原航空基地、鹿児島鹿屋航空基地の日米共同利用のための強靭化が進められています。佐賀空港へのオスプレイの利用問題は、自衛隊基地には使わないという約束をふみにじるもので、東島浩幸さん(佐賀支部)らが弁護団を作って差止訴訟を起こそうとしています。
 報告を聞いて「戦争をする日本」は、沖縄や南西諸島の話ではなく、九州全土、そして本州の岩国基地まで米軍の戦略と一体化していることを知りました。もっと深いところでは全国の自衛隊が米軍と一体化していることを改めて知りました。
 私たちは、この具体的な事実をもって安保三文書の危険性を訴えていかないといけないと思いました。
 各支部報告も、福岡家裁書記官のパワハラ公務災害という珍しい事件、鹿児島の大崎再審事件、熊本の世帯分離解除による生活保護廃止事件、宮崎で勝訴した生活保護基準引き下げ事件、大分の伊方原発差止訴訟や9条キャラバンの沖縄訪問など各地の若手、ベテランの団員の活躍が報告。
 懇親会でも、お子さんを連れてこられた熊本の高木百合香さんから「将来の団員予定です」とお子さんを紹介されるなど和気あいあい。久しぶりのリアルのブロック総会の楽しさを感じました。
 夏休みもあと半分あります。家族との思い出をつくる貴重な時間です。
 私も長崎の後に足を延ばした五島で撮影した清楚な教会と青い海の写真を整理して過ごします。

 

大井川の「命の水」を守れ

静岡県支部  上 村 拓 夢

1 はじめに 
 リニア中央新幹線は、全国新幹線鉄道整備法に基づいて計画された、東京都を起点、大阪市を終点とする新幹線鉄道で、東海旅客鉄道(JR東海)が営業主体・建設主体に指定され、工事実施計画が国土交通省によって認可されたものです。
 リニア新幹線のルートについては、当初、3ルートが検討されましたが、最終的に最も距離が短く経済合理性が高いとされる南アルプスを貫く直線ルート(南アルプスルート)を採択した整備計画が決定されました。
 2013年9月、環境影響評価法に基づくアセスメント手続きの中で、事業主体であるJR東海は、リニア中央新幹線の南アルプストンネル工事により、大井川の河川流量が、多いところで毎秒約2トン減少するとの予測結果を公表しました。かかる毎秒2トンという水量は、大井川流域の住民約63万人の生活用水に相当するとてつもない量です。JR東海が主張する対策が奏功しなかった場合、大井川流域における生活用水、農業用水等の水利用に大きな影響を及ぼし、「命の水」として大切にされてきた大井川に依拠して暮らす人々の生活が脅かされる恐れがあります。
 そこで、2020年10月、農業従事者や流域住民らが中心となり、JR東海に対し、人格権に基づくリニア建設工事差止請求権を行使すべく、静岡地方裁判所に提訴しています。
2 南アルプストンネル工事により生じる減水問題
 JR東海が工事を予定するリニア新幹線南アルプスルートは、山梨県内の富士川水系、静岡県内の大井川水系、長野県内の天竜川水系の3つの水系を貫く全長約25キロのトンネル掘削工事を要するものです。かかる25キロのうち、静岡県内を通る10.7キロは、静岡県最北部に位置する南アルプスを、大井川の本流と支流が存在する地下約400メートル地点において、トンネルで貫通することになります。
 大井川は、静岡県中部に位置し、その源流を静岡、長野及び山梨県の3県境に位置する間ノ岳に発し、静岡県中央部を南北に流れて駿河湾に注ぐ、流域面積約1280平方キロメートル、延長約168kmの一級河川です。江戸時代には、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と称えられたほど、水量の多い川でした。そのため、大井川には、数多くのダム等の取水施設が建設され、その水は、人口約62万人分の水道用水として、流域1万2千haの農地の農業用水として、また約400の企業により約900本の井戸が掘られてその地下水が利用されるなど、幅広く利用されてきました。そのため、この恩恵に与る人々は、この水を「命の水」と呼んで大切にしてきたのです。他方で、多くの利水権が設定されたことから、次第に水量が減少し、慢性的な水不足の状況にあるというのが実情です。2001年から2020年までの20年間に、22回の取水制限が、特に2016年から2020年までの5年間に8回もなされるなど、水不足が常態化しています。このような状況にある大井川ですから、もはや1滴の水さえ失うわけにはいきません。
 ところが、JR東海によるトンネル工事によって、この水が毎秒2トンも減少してしまうというのです。トンネル工事により、南アルプス山体に存在する、地下水を大量に貯めていると考えられる地層(破砕帯)が切断されます。JR東海は、トンネル掘削工事における工法について、山梨・静岡県境の断層帯の掘削により大量の突発湧水が発生する可能性があるため、仮に、静岡県側から下り勾配で掘削すると、湧水によりトンネルが水没する可能性が高く、作業員らの安全確保が困難であるとして、山梨県側から上り勾配で掘り進める計画を決定しました。つまり、トンネルは、山梨県側を下側、静岡県側を上側にして南アルプスを貫通しますので、先進坑(トンネル掘削の際、本坑に先立ち、並行して掘削される坑道)と呼ばれるトンネルが貫通するまでにかかるとされる約10カ月の間に、静岡県から山梨県側に、湧水が流出することになります。JR東海は、かかる流出量を約500万トンと推計しています。南アルプス山体が蓄える湧水は、大井川の水を涵養していますので、これが山梨県側に流出してしまうことで、大井川の水が減ってしまうのです。
 JR東海は、対策として、2018年10月に「原則としてトンネル湧水の全量を大井川に流す措置を実施する」ことを表明しました。ところが、2019年8月、「先進坑がつながるまでの工事期間中、山梨、長野両県へトンネル湧水が流出し、一定期間は水を戻せない」ことを明らかにしたため、静岡県との間で議論が紛糾しました。
3 国土交通省有識者会議の欺瞞
 国土交通省は、2020年4月、リニア中央新幹線静岡工区について、それまで静岡県とJR東海との間で行われてきた議論等を科学的・工学的に検証し、JR東海の工事に対して具体的な助言、指導等を行っていくため、学識者等で構成される「リニア中央新幹線静岡工区有識者会議」を設置しました。同会議は約1年8か月にわたって計13回開催され、「トンネル湧水の全量の大井川表流水への戻し方」「トンネルによる大井川中下流域の地下水への影響」について議論がなされた後、中間報告がとりまとめられました。
 開催された各会議において、様々な専門分野を持つ個々の委員からは、JR東海の工事計画に対する懸念、疑問等を投げかける発言が相次いだものの、最終的には、様々な問題点はあやふやにされる形で中間報告が取りまとめられてしまいました。その背景には、リニア計画を推進する側、工事計画の認可主体である国土交通省からの独立性が担保されていない、およそ中立公正とはいえないこの会議の存立基盤にあるものと考えざるを得ません。
 かかる中間報告では、JR東海が、工事によって県外に流出する湧水の全量を大井川に戻すこと、工事期間中も含めてトンネル湧水をすべて戻さなければ全量戻しにはならないこと等が一応明確にされました。もっとも、これは、あくまでJR東海が主張する数々の対策が奏功するという仮定の基に成り立つ話です。そして、その方策についての具体性・実現可能性は、およそ乏しいものと言わざるを得ないものなのです。現に、差止訴訟において、原告弁護団は、個々の対策の具体的内容について釈明を求めていますが、JR東海側は何らこれに応えていません。ところが、JR東海側は、差止訴訟においても、有識者会議における議論を通じてリニア工事による諸問題への懸念は払しょくされ、問題ない計画であることが確認された、との姿勢を示しています。
4 南アルプスの生物多様性は「人類の宝」
 リニア工事により、南アルプスの生物多様性が脅かされることも大きな問題です。南アルプスには、約500種の高山植物が確認され、また絶滅危惧IB類に登録されるヤマトイワナが生息する等、稀有な生態系を有しています。そのため、貴重な動植物が生息するユネスコエコパークにも登録されています。南アルプストンネル掘削工事に伴い、沢の水量が減少したり、水質が悪化するなどして、南アルプスに生息する生態系へ悪影響が及び、生物多様性が大きく損なわれることが懸念されています。
 南アルプストンネル工事静岡工区では、360万立方メートルという、東京ドーム約50杯分という膨大な残土が発生すると試算されています。現在のJR東海の計画では、その残土全てを、水源地である大井川上流の河畔に存置することになっています。残土のなかには、重金属等の有害物質を含む要対策土が含まれますが、これについても、残土置き場に積み上げるというのです。有害物質の流出の懸念については、遮水シートで遮蔽するという計画になっていますが、遮水シートの性能・耐用年数等は一切明らかにされておらず、およそ具体的なものではありません。残土から流出した有害物質が、流域住民の生活用水、農業用水等に流入したり、周辺の生態系を破壊する恐れは何ら払しょくされておらず、大きな問題をはらむ計画であることは明らかです。
5 終わりに
 南アルプスが誇る貴重な水資源・生態系は、現在の静岡県や周辺自治体の住民らだけのものではなく、過去から受け継がれてきた全人類の悠久の宝です。わずかな移動時間短縮のために、生物が生きていくうえで欠かすことのできない「命の水」が失われ、南アルプスの自然が破壊されるリニア計画が、人類の歴史に大きな禍根を残すものになることは明らかではないでしょうか。
 差止訴訟において、原告弁護団は、工事による権利侵害の蓋然性立証という高い壁を課され、これを乗り越えなければなりません。しかし、ただでさえ慢性的な水不足に悩まされている大井川流域の水利用の状況に鑑みるならば、毎秒2トンという、JR東海が自認する量の減水が生じる時点で、住民らの水利用に大きな影響があり、これを用いて平穏に生活する権利が侵害されることは明らかといえます。弁護団は、人類の宝である大井川の水を、南アルプスの自然を守るべく、引き続き闘っていきます。

 

「謝罪」の意義とは

東京支部  笹 山 尚 人

1、二つ連続しての謝罪 
 私は、福島原発被害弁護団に所属し、弁護団の事務局長として、福島原発事故の被害者の権利実現の活動に参加しています。
 当弁護団担当事件は様々ありますが、2022年6月に最初に解決した「避難者訴訟第一陣」に続き、今年3月、「南相馬訴訟」と「いわき市民訴訟」の対東電関係が終結しました。「避難者訴訟第一陣」と「南相馬訴訟」は被告が東電のみであるため事件としては全体終了となりますが、「いわき市民訴訟」は、あわせて国も被告としており、国に対する関係では仙台高裁で敗訴し、当原告側が上告しているため、事件としては継続しています。
 当弁護団は、2022年6月5日、「避難者訴訟第一陣」の原告団に対し、東電に謝罪を行わせました。「南相馬訴訟」も「いわき市民訴訟」も東電に対する関係では事件終了となりましたので、東電に対し、両事件についてそれぞれの原告団に対し謝罪するよう要求しました。
 交渉の末、2023年7月16日に南相馬市において「南相馬訴訟」の原告団に対し、翌17日にいわき市において「いわき市民訴訟」の原告団に対し、東電はそれぞれ謝罪することになりました。
 謝罪の場においては、両日とも、東電復興本社の高原一嘉代表が、自ら謝罪の言葉を述べるとともに、東電の代表者である小早川智明代表執行役名義の謝罪文を代読し、参加した多数の原告団に対し、深々と頭を下げました。謝罪文では、それぞれの裁判で確定した仙台高裁判決の内容を真摯に受け止め、発生させた被害に対し、心から謝罪するという内容です。
 この謝罪文については、弁護団のTwitterやFacebookで紹介するとともに、弁護団のホームページでも公開していますので、良かったらご覧ください。
2、Twitterに寄せられたコメントからの問題意識
 この謝罪について、上記SNS発信をしたところ、Twitter上では様々なコメントがつきました。Twitterのような匿名性の高いSNSでは、無責任な言動も含め、様々なコメントが不特定多数の人から寄せられることがありますが、それは発信内容がSNS上に広がっているということを意味することであると考え、コメントの内容はあまり気にせず、コメントが多数つくこと自体を肯定的に受け止めています。
 ただ、そうは言っても今回のコメント内容を見るに、こうした公害事件における、加害企業による被害者への謝罪ということをどのように意義づけるか、については、改めて考える必要があるように思われました。
 コメントでよく見られたのが、「事故から12年も経ってからの謝罪、遅すぎるではないか」「社長が来て謝罪するべきだ」「土下座させるべき」「謝罪文の内容にも真摯な反省はうかがえない」「一方で汚染水も流そうとしている、こんな不誠実な東電が反省なんてしていない。こんなものはただのポーズ」といった内容でした。
 これらのコメントは、表現の是非はともかく、当たっている面があるとは思います。
 それなら、こんな謝罪に意味があるのか?という疑問が湧きます。
 しかし、当弁護団では、東電に謝罪させることにこだわってきました。最初に謝罪させた「避難者訴訟第一陣」に続き、今回の二つで、合計三回、各原告団に謝罪させています。
 一方、世の中全体を見渡すと、私の認識不足かもしれませんが、東電は、私たちの原告団に対する三回の謝罪と、自死事件の個別原告への謝罪を除き、福島第一原発事故について、被害者に対し謝罪を行ったことはないはずです。これまで多数の裁判事件が確定していますが、それらの原告あるいは原告団に対しても謝罪は行っていないはずです。
 この現状に照らし、当弁護団が謝罪にこだわることについて、改めて考えをまとめ、意見を表明して、原発事故問題はもちろん、様々な権力に対峙する被害者救済運動のあり方について見解を深める場になればと思い、この投稿をすることにしました。
 なお、ここで表明する見解は、私個人の考えで、弁護団の見解ではありませんので、それはお断りしておきます。
3、「謝罪」の意味とは
 Twitterのコメントにあるような、謝罪における不十分さは確かにあります。ここで言う「不十分」とは、事故の責任と引き起こした被害の内容に照らし、加害企業としての東電が、本来行うべきと考えられる謝罪の姿勢、内容、時期、方法といった点についてです。
 不十分な謝罪なら、胸がムカムカするだけだから、はじめからないほうが良い。あるいは、被害者が納得いく謝罪を実現させるよう、運動を強化し、働きかけ続ければ良い。そういう考え方もあるでしょう。
 しかし私は、その考え方は違うと考えています。
 「謝罪」とはなんのためにさせるのでしょうか。私は、「公害」被害を回復し、被害者の生活や事業を再建し、二度と同じ「公害」を発生させないために、加害企業にその責任があることを加害企業自身に表明させ、その表明を社会で共有するため、と考えています。
 なぜそう考えるか、その謝罪をさせる必要性はなにか。以下詳しく述べます。
(1)まず第一に、日々不正義と闘っている団員の皆さんにとっては当然のことかもしれませんが、「謝罪」や「責任を取る」ことは、勝手には実現しません。Twitterでは、「大人は、子どもが悪いことをしたら叱り、謝罪させ、二度としないと誓わせる。そんな当たり前をなんで東電はできないの?」というコメントがありました。しかし、大人の集まりである企業などでは、内部の個人個人がどう思っているかとは別に、組織として、「悪いこと」について謝罪する、なんて容易に実行できません。まして公害を引き起こす巨大な企業や、国は、権力や財力を用いて、自らが固執している結論を、理屈が通らなくとも実現していく存在です。だから、東電は、「ご迷惑をおかけしました」とは言いますが、それが自分たちの過ちによるとは言わないし、責任を痛感しているという類いの言葉は決して発しません。
 ですから東電の当弁護団担当の原告及び原告団に対する謝罪は、全て弁護団から謝罪を要求して、粘り強い交渉の末、東電が応じて実現にこぎ着けています。
 つまり、社会の道理も、大企業の経済原理の前では、残念ながら被害者の要求なくして実現はしない。これは、階級社会の摂理というべきものかもしれません。
(2)第二に、東電や、その問題の事業である原子力発電事業は、今後も存在すべく動いているという事実です。福島第一原発事故を契機に、我が国は原子力事業そのものをやめていくという道筋には残念ながら踏み出していません。それどころか、今国会の改正法にあるように、現在の政府は、原子力事業を推進する立場です。となると、同じ事故、あるいはもっとひどい事故が発生する可能性が、今後も存在し続けます。
 そうなると、原子力事業そのものに向き合う社会運動も必要になります。
(3)第三に、福島の復興には、国と東電の力が必要だということです。
 福島では、第一原発、第二原発は廃炉となりましたが、原子力発電所のあった場所を別の用途に活用できるようになるまでは、100年とも言われる長い年月が必要で、その期間、廃炉作業が安全に遂行されることが是が非でも必要です。目の前に原発がある地元地域の自治体とそこに住む住民にとっては喫緊の課題です。
 また、避難を余儀なくされた地域は、地域社会そのものがなくなってしまいました。しかし現在、なんとかもとの故郷を復興しようという地元の懸命な努力は続いています。とりわけ福島第一原発周辺の12町村と呼ばれる地元地域の自治体の首長、議員、そして地元の住民の皆さんの復興への尽力には、誠に頭の下がるものがあります。
 安全な廃炉と地域社会の復興を成し遂げるには、財政的にも、技術的にも、国や東電に、地元の意向に沿うように協力させることが必要不可欠です。そのためには、批判し、正させることはありつつも、国や東電との関係で、彼らの言い分もあっての、一定の信頼関係を保有しての協議や共同も必要になります。
(4)以上を踏まえれば、被害者の被害の内容を告発し、その内容を認めさせ、それを引き起こした責任と、二度と同じ過ちを繰り返さないということについて、東電自らが表明する謝罪が行われること、それを社会が共有することが、廃炉を安全に実現させ、福島の社会を復興させるために東電に力を出させる根拠として機能するわけです。
(5)そのためには、東電の立場、発言できる限界にも配慮が必要になります。ここで東電の株は、過半数を国が出資する原子力損害賠償・廃炉等支援機構が保有している事実、つまりは東電は、事実上の国営企業であるということも注目しなければなりません。東電は、国の意向に反することはできないのです。22年6月17日の最高裁判決によって国の責任が否定されている現在、国は福島第一原発事故に自らの責任はなかったという開き直った態度をとっているのが現在の力関係の現実です。それを無視してこんなのは謝罪ではないと言ってみても、それではなんらの謝罪も実現しません。
4、謝罪を実現した今後
 私たち弁護団では、以上の意味に照らして、原告団の意見や思いに寄り添いつつ、東電にできることの限界を見据えつつ、可能な内容の謝罪の実現を目指し、東電と協議を重ねて、謝罪にこぎ着けた、と私は理解しています。
 謝罪の意味にてらせば、謝罪は、今後のための足がかりですから、これだけで終わってその後の手当がなんらなければ、意味がなくなってしまいます。したがって全ては今後にかかっています。謝罪を生かして、東電に何をさせていくか、そのために国からどこまで引き出せるか。そのための政治的要求と、その実現のための交渉、社会運動が大切になってくるわけです。
 私たちは、そのために、いわき市民訴訟の対国の関係の最高裁闘争をもって、国の責任を明確にする、22年6月17日の最高裁判決を覆す判断を得ることが重要と考え、活動しています。
 同時に、被害者である原告団とも協議しながら、地元住民の要求と、その実現のための東電や国との交渉、その力とするべく地元自治体や地元住民との連携協力も、大切と考えて活動しています。
 原告団と共同して、弁護団では謝罪を生かしていくための活動に尽力します。
 全国にいる原発事故被害者のみなさん、訴訟団のみなさんにも、ともに活動していくことを呼びかけ、賛同していただけることを願っています。

 

8/3 関東大震災100年企画学習会の感想
 北海道のブラックアウトと流言―「流言飛語」は場所を選ばず

北海道支部  田 中 貴 文 

 2018年9月に「北海道胆振東部地震」で震度5強を体験した。地震直後に全道が停電(ブラックアウト)となり、そのまま3日間ほど電気のない暮らしをした。仏壇のローソクを点し、入院中に買った乾電池式ラジオを聞きながら、心細く過ごしていた。食糧が尽きかけたころに電気が回復し、電気のありがたさを痛感したことを覚えている。
 当時、私はガラケーだったのですが、スマホを持っている妻の「ライン」とやらには、いろんな人から、さまざまな地震に関する「情報」が次々に流れてくるらしく、「後〇時間たったら断水になる」「携帯電話の電波塔が倒壊して携帯電話が使えなくなる」「〇時には本震が来る」「本震に備えて〇〇に自衛隊が集まっている(これは自衛隊の家族からの情報なので間違いないという注釈付)」などなど、そのたびに妻が大騒ぎしていたのを思い出す。ラジオではそのようなことは何も報道されず、そのようなことは一切起こらなかったのですが・・・。これがまさに「流言」なのかと思った。人は情報が遮断されて恐怖・不安に陥ると「流言」を信用しやすくなる。悪い噂は早く伝わる(Bad news travels fast)と言うが、まさにそのとおりであった。
 スマホなどない時代であっても、恐怖・不安などの社会心理が蔓延している状況のなかでは、「不逞朝鮮人が火を点けて回っている」などの「流言」も、直ちに「正しい情報」として伝わっていったのだと思われます。講師の加藤直樹さんの、差別意識、豆腐屋の親父の原体験(戦争体験)、権力(行政)の3要素に分析した話はとても説得的で分かりやすかった。
 関東大震災の時に起きたような朝鮮人虐殺や社会主義者狩りは、当時は北海道では起こらなかったのですが、恐怖・不安の社会心理が蔓延するような自然災害が起これば、現代でも、条件さえ揃えば関東に限らず全国どこでも朝鮮人虐殺や社会主義者狩りのようなことは起こりうる可能性があります。「関東」大震災に伴う流言飛語だから、自分の住む地域とは関係ないというのは大きな誤りだと思います。

 

地方団員は問う「常任幹事会は面白い?」(前編)

福島支部 本部次長  鈴 木 雅 貴

1 常幹は面白い? 
 23年4月から次長に就任し、常幹、5月集会(福岡)、事務局会議、委員会活動(担当:原発問題委員会)等、充実した日々を過ごしています。
 4月常幹は、私が次長になって初めての常幹ということもあり、オンライン(ZOOM)参加ではなく東京会場で参加しました。
 3名のゲストスピーカーによる特別報告がありました。
① 日野町事件-再審開始を維持した大阪高裁(伊賀興一団員) 
② 袴田事件-再審開始を維持した東京高裁差戻審決定(笹森学団員)
③ 元技能実習生孤立出産最高裁無罪判決(石黒大貴団員)
 いずれの報告も、裁判闘争の最前線からのもので大変興味深く、口頭報告だからこそ伝わる臨場感や感動がありました。
 常幹では、こんなに刺激的で面白いことを取り上げているのかと感じました。今後、常幹冒頭に実施されるゲストスピーカーの氏名とテーマは、常任幹事以外の皆さんにもお知らせするようですので、興味のある報告だけでも視聴してみてください。
 常幹終了後、近くの居酒屋で懇親会が開催されました。一人一人が発言をして、4月常幹の感想や団活動について熱く盛り上がりました。私がこのとき発言した内容は団通信に投稿しています(1810号「事務局次長就任のあいさつ~後編」1項)。
2 常幹で得た知識は実践に活かせる!
 7月常幹では特別報告として、「道警ヤジ訴訟札幌高裁判決について」(齋藤耕団員)、「入管法改悪とのたたかい」(高橋済団員)がありました。
 いずれの報告も大変勉強になり、後日、私が参加している弁護団事件(福島原発・生業訴訟)の取り組みにも活かすことができました。
 7月常幹後、生業訴訟の会議にて、マスコミ向け勉強会を開催するかどうかが議論になりました。
 「入管法改悪とのたたかい」において、「月1回程度のメディア・記者勉強会を実施した。マイノリティ問題は、メディアを使わないと社会に浸透・普及しないという問題意識を持って実施していた。」という報告があったことを紹介し、生業訴訟でもマスコミ向け勉強会をすべきと意見したところ、実施することに決まりました。
 8月2日に記者レクを実施しました。生業訴訟の基本的な事項を質問する記者もいれば、かなり専門的な質問をする記者もいました。記者の関心を知ることができ、勉強になりました。記者レクは今後も継続していく予定です。
 このように常幹では、弁護団活動に直結する有益な情報を得ることもできます。
3 一人ひとりの発言の機会を確保するオンライン分散会の実施
 常幹では、ZOOMのブレイクアウトルームの機能を使い、オンライン分散会を実施しています。
 参加者を10名程度のグループに分け、分散会の司会は次長が務め、各自から自己紹介をしてもらい、できる限りビデオオンで互いに顔と名前がわかるようにして、テーマについて、できる限り全員が発言しやすいように配慮しています。
 分散会では、様々な意見が聞けたり、結論は同じでも理由付けが異なったりするので理解が深まります。また、発言の機会があることで、議題への関心が高まり、より常幹に集中できる効果があるように感じました。
 終了後、司会を務めた次長から、分散会で出た発言が紹介され、全体で共有します。
 オンライン分散会は、そこでの発言が全体にダイレクトには伝わらないという制約がありつつも、一方通行の情報伝達会議化を防ぐ重要な役割を果たしています。
 常幹には、常任幹事以外の団員も出席し、意見を述べることができ(規約8条)、実際の運用においてもそのようになっています。
 そのため、全団員の皆様におかれましては、常幹に気軽に参加して、良い刺激を受け、日々の活動に活かしてもらいたいと思います。(後編に続く)

 

「1789-バスティーユの恋人たち―」を観る!!

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 7月26日。東京宝塚劇場で「1789-バスティーユの恋人たち」という宝塚歌劇星組公演を観た。生まれて76年、宝塚歌劇とは全く縁のない生活を送ってきた私としては、何とも刺激的な3時間だった。これは埼玉弁護士会憲法委員会の企画だ。この企画に参加しようと思った動機は、何といっても、そのテーマである。1789年というのはフランス大革命の年だ。バスティーユというのはフランスの要塞であり監獄である。フランスの民衆がその監獄を襲撃し、武器・弾薬を奪い、政治犯を解放した事件は、フランス革命のハイライトだ。その革命を背景にした「恋物語」を連想させるネーミングに魅かれたのだ。革命と恋は、多くの物語のテーマだし、私もそれは嫌いではない。社会変革と身を焦がすような恋愛。きっと、あなたも気にかかるテーマであろう。ということで、事務所の村山志穂を誘って参加したのだ。
恋物語
 (以下、ネタバレを含む)。物語は1788年のフランスの農村で始まる。王の命令で税金を滞納している農民が射殺され、孤児となった兄がパリに行くことを決意する。それが主人公のロナンだ。彼が実在の人物かどうかは知らないけれど、バリでは、カミーユ・デムーラン、マクシミリアン・ロペスピエール、ジョルジュ・ダントン、ジャン・ポール・マラーなどの実在の人物との交流が始まる。
 他方、フランス王家も描かれ、マリー・アントワネットやルイ16世、その弟のシャルル、国務大臣ネッケルなどが登場する。そして、ヒロインは、アントワネットとルイの子どもの養育係のオランプである。ちなみに、彼女の父親はバスティーユの管理人なのだ。彼女が実在の人物であるかどうか、私は知らない。王の命令で父を殺されたロナンと父とともに王家に仕えるオランプの「決して一緒になれない運命」にある二人が「バスティーユの恋人たち」である。そのきっかけが、アントワネットの不倫話というのだから、なかなか面白い設定になっている。
 なお、ロナンは、民衆がバスティーユに押し掛けた際に、オランプの父を説得し、父を民衆側に立たせるのだが、自身はその命を落とすことになる。オランプは、王家への忠誠とロナンへの愛との間で深い葛藤に悩むが、その葛藤を解消するのは、アントワネットの「愛する人のところに行きなさい」という一言であった。アントワネットも、フランス王の后であり、三人の子どもたちの母ではあるが、スウェーデンの将校と恋をしていたのである。けれども、彼女は、民衆の蜂起を見て、フランス王の后として王と王家の子どもたちを選択するのである。(この歌劇では、ギロチンの模型は出てくるけれど、王族の処刑は描かれていない。王がギロチンの模型について語るシーンは暗喩的で、心憎い仕掛けになっている。)
 ロナンとオランプの恋物語に止まらず、アントワネットの心情を重ねることによって、この物語の深みが増している。「さすが、宝塚」である。
革命物語
 恋物語だけではなく、革命物語も描かれている。ロナンの妹ソレーヌがバリに流れてきて娼婦になっている。彼女は「こんな私にどんな生き方ができるのと」と兄に言う。いささかステロタイプかとも思うけれど不自然ではなかった。貧困と差別に苛まれた女性が「身を売る」ということは今でもありうることだからである。妹がロナンの仲間に大事にされていたというのもうれしかった。
 陰謀家であるルイ16世の弟は、カミーユやロペスピーエールたちは、プチブルの出身で、頭でっかちで、本当の苦労は知らないとして革命派の分断を図るけれど、それは功を奏していない。ロナンも彼らとの違いを意識しつつ、彼らが「俺たちは兄弟だ」と言ってくれることを信頼しようとする。この歌劇は、フランスの旧体制を撃ち破りたいという情熱を持つ青年たちを好意的に描いているのである。
 民衆がなぜ蜂起しなければならなかったのか。なぜ、王家を打倒し新しいフランスを創ろうとしたのか。王家との対象で描かれている。
 王家では、王妃は不倫をしている。弟は兄の王座を狙っている。民衆を暴力で押さえつけるか、それともうまいこと説明してなだめるのかでの対立もある。秘密警察も登場するけれど、何となくピエロ的な存在として扱われている。演出家の遊び心かもしれないと思いつつも、日本の特高警察の行状を知る私としては笑っているだけでは済まないところでもあった。王家や王党派の「神から権力を授かった」とする奢りと強欲、民衆の蜂起を前にして王家を見捨てて逃亡する貴族たちの振る舞いは冷ややかに描かれていた。
 革命はその生命と生活を理不尽に奪われる者たちが、奪う者たちの支配を打倒するための命をかけた戦いである。立ち上がる側も受けて立つ側もその全存在をかけての闘争である。その間で右往左往する存在ももちろんあるし、むしろ多数かもしれない。
 それは、古今東西問わず、世界のあちこちで起きた史実である。今も、革命という形ではないけれど、ウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンのロシアの侵略を受け、「To be or not to be」というシェイクスピアの言葉を引用しているという。
 歴史は、そのようにして、進むのであろう。
歌と踊り
 ストーリーはこのようなものだけれど、宝塚歌劇を啓蒙芸術としてみるのは野暮であろう。ソロもデュエットもトリオもカルテットも合唱も素晴らしい。趣向を凝らした群舞も何とも華やかだ。パレ・ロワイヤルでの市民たちの歌と踊りはエネルギッシュだ。王党派との立ち回りもある。鳥の羽を頭につけた短いスカートの踊り子たちのラインダンスは、中学時代の修学旅行で見た日劇でのラインダンスの以来の衝撃だった。
 私は、2010年、NPTの再検討会議でニューヨークを訪れた時、ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を観たけれど、この公演はその時の感動を明らかに凌駕するものだった。宝塚は日本語、ブロードウェイは英語なので、宝塚の方が親しみやすかったのであろう。
最後に
 すごいと思ったのは、フランス人権宣言の朗誦があったことだ。私も、それを黙読したことはあるけれど、朗読したことはない。この歌劇の中でいくつかの条文が読み上げられていた。
 人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。
 すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。
 あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。
 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。
 すべての人は有罪を宣言されるまでは無罪と推定される。
 などのフレーズが、力強い声で語り掛けられていた。
 松元ヒロさんの憲法前文の暗唱もすごいけれど、タカラジェンヌたちの朗誦も涙がにじむくらいにうれしかった。
 このような素晴らしい企画を実現してくれた憲法委員会のみなさん、とりわけ、幹事の長沼さんと高鹿さん、本当にありがとうございました。

 

安保三文書による自衛隊の変貌
国土防衛・専守防衛型から他国攻撃型へ(上)

広島支部  井 上 正 信

1 総合ミサイル防空能力から統合防空ミサイル防衛(IAMD)へ 
 自衛隊にはこれまで、そして現在でも、敵国領域への攻撃能力はありません。敵基地攻撃能力の行使には、射程の長い装備を持っているだけでは不可能です。敵領土を攻撃するためには、標的の把握とその属性(位置情報、軍事的役割・機能や標的の堅固さなど)、攻撃の優先度などを探知する情報活動・監視活動・偵察・ターゲッティング(ISRT)と、情報分析、作戦計画立案と目標割り当て、攻撃実行、攻撃の成果の評価(BDA)という一連の作戦の流れ(オペレーションサイクル 団HP団員専用ページ内の団通信掲載資料に掲載されている資料参照)が不可欠です。このオペレーションサイクルには、各種センサー(衛星、無人・有人偵察機、早期警戒機、特殊部隊の潜入やスパイといったヒューミント)からの情報とそれを基にした部隊への指揮統制、射撃管制といった、統合された戦闘情報ネットワークが不可欠です。
 自衛隊は創設以来憲法9条との適合性を説明するため、我が国への攻撃を排除することに任務を限定され、防衛力行使は敵領域ではできない(自衛権行使の地理的限界)とされていたため、今に至るまで他国領域を攻撃するための他国領域内でのターゲッティング能力や、偵察監視能力、陸・海・空それぞれの部隊をネットワークで統合する戦闘情報ネットワークは備えていません。いずれも米軍頼みです。
 しかし反撃能力の保有・行使を可能にすると、自衛隊の役割・任務がこれまでの国土防衛・専守防衛型とは根本的に変わりますし、米軍との共同作戦においても、自衛隊の役割は大きく変わり、部隊レベルでの作戦行動において自衛隊は米軍の戦闘情報ネットワークに組み込まれてしまいます。日米の軍事一体化というよりも融合と表現したほうが適切かもしれません。
 このことを最も象徴する作戦構想が統合防空ミサイル防衛(IAMD)です。IAMDは米軍が世界規模で同盟国、友好国の軍を組み込もうとしている戦闘システムです。この戦闘概念は、積極防衛(ミサイル防衛)、敵領域への攻撃、消極防衛(被害の最小化と復旧の迅速化 レジリアンスの強化とも称される)の三要素で構成されています。
 防衛省、自衛隊は30大綱策定以前から米国が提案するIAMDについて、研究を行っています(防衛研究所平成28年度特別研究成果報告書「米国におけるIAMDに関する取組」、2017.12防衛研究所紀要第 20 巻第 1 号「米国における IAMD(統合防空ミサイル防衛)に関する取組み」、2018.8海上自衛隊幹部学校戦略研究会「IAMDについて」参照)。いずれ自衛隊にも導入が必要になるとの考えからです。
 防衛省・自衛隊は30大綱でこれを導入しようとしたのですが、敵基地攻撃能力保有の政策決定がなされていなかったため、IAMD自体の導入は断念しました。それに代わるものとして30大綱に総合ミサイル防空能力という概念を導入しました。IAMDと大変紛らわしいものです。
 総合ミサイル防空能力は、既存の航空自衛隊(弾道ミサイル迎撃を含む)が有している早期警戒システム(JADGEシステム)を進化させて、三自衛隊を統合する射撃管制を含む戦闘情報ネットワーク構築を目指すものです。しかしこれには敵領域への攻撃が含まれていません。
 安保三文書により反撃能力として敵領域への攻撃を可能にしたことから、総合ミサイル防空能力という紛らわしい概念は不要になり、ストレートに統合防空ミサイル防衛(IAMD)という米軍の戦闘概念を導入しました。
 IAMDのもとでは、これに組み込まれる米国の同盟国軍は、あたかも一つの部隊のように、指揮統合された作戦を行うことになります。
2 反撃能力保有で自衛隊の組織、任務、役割が大きく変化
 長射程ミサイルや敵領土を攻撃可能な爆撃機を保有することは、反撃能力保有のごく一部の要素に過ぎません。これを運用するための軍事的能力を備えなければ、いくら反撃能力ができる装備を揃えてみても、宝の持ち腐れとなります。安保三文書で反撃能力行使を可能にしたことから、自衛隊はこれまでの国土防衛のための専守防衛型から他国攻撃型の軍隊へと変貌します。その際の主要な戦場は南西諸島が想定されています。
 国家防衛戦略(NDS)、防衛力整備計画で防衛力の抜本的強化として七分野を挙げています。このいずれの分野も、自衛隊の在り方を根本的に変革させるものとなっています。以下七分野について主として防衛力整備計画によりその中身を簡単に説明します。
(1)   スタンド・オフ防衛能力
 多種類の長距離ミサイルの取得を述べます。12式ミサイル能力向上型(射程1000㌔と推定、ファミリー化による地発型・艦発型・空発型を開発)、島嶼部防衛用高速滑空弾(弾道ミサイル技術を使った極超音速滑空弾で、能力向上型は射程2000キロと推定)、垂直発射管(VLS)を備える潜水艦発射型長距離ミサイル、新型地対艦ミサイル、極超音速巡航ミサイル(射程3000キロと推定)などです。さらに、輸送機搭載システムの開発整備も述べています。これはすでに米軍が開発済みのもので、長距離対艦ミサイルLRASMを輸送機のコンテナに搭載し(1コンテナ当たり6発ないし9発を搭載、輸送機には複数コンテナを搭載)、輸送機から投下して発射するもので、ラピッド・ドラゴンと称されています。
 これらの装備を運用するためのISRT能力が必要です。これまでの防衛省、自衛隊の防衛関係文書では、ISR(情報収集、警戒監視、偵察)という用語は常に使われていましたが、これにターゲティングのTが加わったのは初めてです(防衛力整備計画4頁)。反撃能力の行使に不可欠だからです。
 ISRTのため、衛星コンステレーション、無人機、目標観測弾(大型の高速滞空型無人偵察機のこと)の整備と、収集した敵情報の情報分析・指揮通信機能の強化、各部隊への目標割り当てを含む一連の指揮統制を一元的に行うとしています。これは前項で述べたオペレーションサイクルのことです。
 中国との長期間のミサイル戦争を想定すれば、大量のスタンド・オフミサイルの在庫が不可欠です。雑誌「軍事研究」誌に掲載されたある軍事専門家の論文では、500発のトマホーク巡航ミサイルでも、1週間で使い果たすとしていますし、2023年1月にCSISが公表した台湾有事シミュレーション報告書にも、中国との戦闘で、米国が保有しているすべてのRLASMは450発で、1週間以内に使い切ったと推定しています。
 防衛力整備計画は、スタンド・オフミサイル等を保管するため火薬庫を増設すると述べています。青森県むつおがわら市と大分市に大型弾薬庫を設置、今後10年間で全国に弾薬庫を130棟整備する計画です(2023.3.3共同通信、同2.18しんぶん赤旗)。生き残り性を高めるために全国に分散された弾薬庫へ大量のスタンド・オフミサイルを保管するというのです。(次号へ続く)

 

東北の山―花トレッキングに憧れた秋田駒ヶ岳(前編)

神奈川支部  中 野 直 樹

 ムーミンは、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンが描いたファンタジー児童文学の作り出したキャラクターだ。ムーミン一家がムーミン谷のなかまたちと共生するゆかいな生き方は、大人も癒される世界。
 東北に、このムーミン谷の愛称で呼ばれる超人気スポットがある。秋田駒ヶ岳の馬場の小路と呼ばれるルートだ。
複雑な火山地形 高山植物の宝庫
 秋田駒ヶ岳は、岩手県(雫石町)と秋田県(仙北市)の県境に聳える。近辺には、たつこ姫の伝説を秘めたカルデラ湖である田沢湖、田沢湖スキー場、乳頭温泉郷、武家屋敷の街並み・角館などの観光地がウエルカムをしている。
 秋田駒ヶ岳という山頂はなく、最高峰の男女岳(おなめだけ 1637m)、男岳(おだけ)、女岳(めだけ)、小岳、横岳などの総称である。1970年に女岳が噴火し、西斜面に溶岩が流れ出している。外輪山や火口丘、カルデラ湖が複雑な地形を形成し、地図をにらんでいてもどんな構造になっているのかイメージがもてない。
 「花の百名山」では選外となったが、田中澄江さんは「新・花の百名山」で秋田駒ヶ岳を選び、8月、「乾性、湿性の花が、私が一つ一つ見ただけでも百種類以上咲いていた」と書いている。
 2022年6月25日、京都から新幹線を乗り継いできた村松いづみ、浅野則明弁護士、花岡路子(京都第一法律事務所事務局)と田沢湖駅で合流した。つい1か月半ほど前、佐渡島・金北山で強風に吹かれて撤退したメンバーだ。乳頭温泉郷で2泊して、チングルマ繚乱するムーミン谷トレッキングすることを夢にまでみてやってきた。
晴天日数ランキング最低
 花期に照準を合わせてきたのだからその点は申し分ないだろう。佐渡島での体験が生々しい4人は、ただただ天候が心配だった。それには理由があった。この6月末は、全国的に太陽に照らされ、気温が上がる予報だった。ところが、秋田駒を含む秋田のピンポイントに気圧の谷がかかり、雲が元気になるという。
 レンタカーを借りた後、田沢湖に向かったが、風が湖面を揺らし、遊覧船も欠航だった。湖上に立つ黄金色のたつこ姫像は雲の下でも輝いていたが、私たちの関心の秋田駒ヶ岳は雲に包まれ、チラリとも見えない。足元にたくさんの魚が寄ってくるが、ウグイだ。田沢湖にはかつて世界でここにしか生息しないクニマスという固有種が棲息していた。戦前、富国強兵を進める国は、軍需産業を支える電力をつくる水力発電のために田沢湖の水を増やすことを目的に、雄物川の源流の1つである玉川の水を人為的に田沢湖に引き込んだ。玉川温泉で知られているとおり、玉川には強酸性の温泉水が混じっていることから、田沢湖の水はたちまちに酸性に汚染され、クニマスは絶滅してしまった、という歴史がある。
 乳頭温泉郷の宿に向かう途中の桜並木の幹は全面苔に覆われて緑色になっていた。そのことを話題にして地元の高校生と話をして、秋田だけが天気が悪いね、と言ったところ、高校生は、秋田は全国で一番晴天率が低い県だとの話をされた。その後にインターネットで調べると確かに、秋田県の晴天率は全国最低で、晴れ日数の全国平均212日に対し、153日である。
国見温泉
 秋田駒ヶ岳への登山ルートは、もっとも手軽なのが車で駒ヶ岳八合目(1305m)まで行くコース、やはり足で歩かねばという方は、乳頭温泉郷から八合目まで約3時間歩くコース、田沢湖スキー場から登るコースがある。私たちは、車で秋田駒ヶ岳の山裾をぐるっと左に半周して、岩手県側の国見温泉から登るコースを選んだ。
 このコースは、上り道端の高山植物を観ながら1時間ほどで尾根道に出て、左手に田沢湖を見下ろしながら、正面に横岳を眺め、途中から左方向に馬場の小路に入って、そして待望のチングルマなどに彩られたムーミン谷を満喫しながら、急登を経て、男女岳に登り、そこからコマサクを楽しみながら横岳の大焼砂稜線道を下り、国見温泉の下山道に向かう、という、ながら、が連発する花トレッキングとして魅力満載である。もちろん、晴れれば、という前提条件付きである。
 26日(日)、国民休暇村の朝の窓外、雨は降っていないもののガスがかかっていた。何度見ても変わらない天気予報は、午後雨だった。8時に車を運転しはじめ、9時少し前に国見温泉登山口駐車場に着いた。お天気がかんばしくないせいか、駐車の車は少なかった。
 国見温泉には石塚旅館と森山荘がある。冬は雪に閉ざされ、5月中旬から11月中旬の期間営業。石塚旅館は日本秘湯を守る会会員であり、森山荘は、ペットが入れる露天風呂が用意されている。
花のお迎え
 雨は降っていないが、どんよりと曇り、山は雲のなかである。備えあれば憂いなし、とレインウエアーを準備して、9時15分登り始めた。
 道端の樹木下に、4~6枚の葉が輪生した真ん中に、4片の白い花弁をつけたゴゼンタチバナの群落が明るい雰囲気をつくっている。実は白い片は、花弁ではなく、真ん中の花を包む苞が変化したものらしい。線香花火がはじけるような白い花が咲いたマイヅルソウ、赤いがくと真っ白い釣鐘の花が鮮やかなアカモノなどにカメラを向ける。頭の上には、こちらは釣鐘型の先が朱色の花が鈴なりにぶら下がるサラサドウダンツツジが木全体を赤く染めていた。(続)

 

大阪総会に是非お越しください!!

大阪支部  辰 巳 創 史

 今年度の団本部総会は、「大阪」で行われます。自由法曹団の長い歴史の中でも、大阪で総会が行われたことは一度もないそうです。意外な感じがしますが、大阪には数百人規模で泊っていただけるような温泉旅館があまりありません。コロナ禍がなければ大阪なんか候補地にすらならなかったはずです。そういう意味でも大阪での総会は最初で最後かもしれません。
 プレ企画は、「維新政治とは何か。なぜ支持されているのか。」「維新の教育問題」をテーマに準備を進めております。維新は、もはや大阪のローカル政党にとどまらず、「第2自民党」として、野党第二党の地位を伺い、改憲をゴリ押ししようとしています。是非、多くの団員にプレ企画からご参加いただき、「維新問題」をともに考えたいと思います。
 大阪では、IR・カジノ用地の借地契約における賃料が安すぎるとして、契約の差し止めを求める住民訴訟に支部団員が弁護団として取組んでおります。この住民訴訟については、適宜団通信で報告させていただいていますが、住民のいのち・くらしよりも大型開発推進に躍起になっている維新政治を大阪総会で実感していただければと思います。
 総会の会場となっている天満研修センターは、大阪の下町にあります。半日旅行で見学を予定している大阪コリアタウン歴史資料館も大阪の下町にあります。人情あふれる大阪のくらしぶりにも触れていただければ幸いです。
 総会でお会いしましょう。

 

次長日記(不定期掲載)

東京支部 久 保 木 太 一

1 「うる星やつら」のススメ
 少し前になるが、アニメ「うる星やつら」の第2期の放送が発表された(来年予定)。
 何を隠そう、私は高橋留美子先生の大ファンであり、初恋の人は「めぞん一刻」の七尾こずえである。高橋留美子先生がフランスの芸術文化勲章が贈られたこととともに、「うる星やつら」のアニメの続行が決まったことは、私にとって嬉しい知らせだった。
 「うる星やつら」のアニメ(リメイク版)は、Netflixを始め、各動画サービスで見ることができるので、世代の方も、そうでない方も、是非ともチェックしていただきたい。
 ところで、「うる星やつら」のあらすじはご存じだろうか。
 宇宙人である鬼族が、地球を侵略しかけるところから、話は始まる。圧倒的な軍事力を持つ鬼族にとって、実力で地球を侵略することは容易である。しかし、それでは面白くないので、地球を侵略するかどうかを「鬼ごっこ」で決めることとする。すなわち、鬼族の代表であるラムちゃんを、地球人の代表である諸星あたるが制限時間に捕まえる(角を掴む)ことができれば、地球人の勝利で、鬼族は侵略を諦める。ラムちゃんが逃げ切れば、鬼族の勝利で、地球は侵略される、というルールで対決するのだ。
 その結果、諸星あたるがラムちゃんの角を掴み、地球人が勝利し、地球は侵略を免れると同時に、諸星あたるがラムちゃんに惚れられてしまう、というのがストーリーの始まりなのである。
 高橋留美子先生らしいハチャメチャなコメディ設定である。しかし、私は、アニメの第1話目を見ながら、考え込んでしまった。
 実際の国同士の戦争も、人の殺し合いではなく、「鬼ごっこ」で勝敗を決められないのだろうか、と。
2 戦争の手段
 それはあまりにもふざけた考えなのかもしれないが、私には、国同士の争いの「ために」、市民が殺されていくということも同じように「ふざけた」もののように思える。
 現在のロシア・ウクライナ戦争を見ていると、戦争とは国と国との「本気の戦い」ではないのではないかと疑問に思う。敵国の士気を下げるためにあえて無辜の市民を殺してみたり、国際社会によく見えるための工夫をしてみたり、言い方は悪いがまるで「プロレス」である。
 日本の広島と長崎に原爆が落とされたのも、戦略上の必要性によるのではなく、冷戦後の社会を睨んだプロモーションの一環であるという話もある。
 不謹慎な表現だが、なんだか「寒い」。
 それなのに、なぜ戦争の手段は殺し合いと決まっているのだろうか。それは人類の真理であって、今後何百年、何千年にわたって変わらないことなのだろうか。
 まさか「鬼ごっこ」で勝敗を決めろとまでは思わないが、別の、人命が失われない勝敗決定の方法はないのだろうか。
 たとえば、野球で決めるのはどうか。それだと参加できる国があまりに少ないか。だとすれば、サッカーで決めるというのはどうだろうか。それだと南米やヨーロッパに有利だから不公平だということになるのだろうか。
 では、軍事力を持っているアメリカや中国に有利な現在の戦争の「システム」は果たして公平なのだろうか。
3 これは日記なので
 何を狂ったことを書いているのかと思われるかもしれない。たしかにこれが論説文だとすれば完全に「狂っている」し、私を次長に選任し、果てにはこんな原稿を団通信に掲載した執行部の責任も問われかねない。
 しかし、これは日記である。無責任な随想でも許して欲しい。
 ただ、他方で、ロシアのウクライナ侵攻を目の前にして、なぜ市民が血を流さなければならないのか、それはやむを得ないことなのか、ということは常に考えていたいと思う。
 日本の大軍拡の問題もそうである。兵器が人殺しのための道具であるということは、一瞬たりとも忘れてはならないと思う。

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