第1822号 9/11 

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

~大阪支部特集②~
◆団大阪支部は実戦部隊  辰巳 創史

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●オープン例会『誰のための司法か~團藤裁判官の残した疑問』開催報告  遠藤 正大

~学習会報告~
●関東大震災100年・朝鮮人虐殺問題を考えるフィールドワーク報告  安原 邦博

●与那国・石垣・宮古の自衛隊基地視察報告①  赤嶺 朝子

●共同親権制度の拙速な導入に反対して下さい  太田 啓子

●新事務所で子どもたちの声を楽しむ  渡辺 和恵

●平和へ 今こそ外交を―元外務審議官田中均氏へのインタビューを読む―  大久保 賢一

●日米共同演習について  井上 正信

■バービー会のお知らせ~ジェンダーについて考えよう~  湯山 薫

■「豊田誠弁護士を偲ぶ会~その遺志を継承し未来を語る」のご案内 豊田誠弁護士を偲ぶ会~その遺志を継承し未来を語る開催実行委員会

■事務局通信 団長日記 ③(不定期掲載)


 

秋の団総会開催地~大阪支部特集 ②~

 団大阪支部は実戦部隊

大阪支部 事務局長 辰 巳 創 史

 自由法曹団大阪支部は、研究会でもなければ、評論家の集まりでもありません。
 現実に発生している人権侵害、悪法、不合理とたたかう法律家の実戦部隊です。普段は、それぞれの団員が、依頼者に寄り添って事件活動や弁護団活動を行い、法律家としての専門性や技術を磨いて腕を撫しています。
 いざ、団員の力を結集すべき事態が発生した場合には、それぞれの得意分野に応じた特殊能力を発揮して、事態を解決する「アベンジャーズ」として集まります。
 大阪では、「維新の会」が勢力を拡大し、「身を切る改革」を騙って弱者を切り捨てつつ大型開発・企業誘致を推し進めようとしてきました。その象徴が「都構想」でしたが、団支部は市民と共同してこれを阻止しました。
 維新の会は、今度は「万博誘致」「IR・カジノ誘致」を打ち出し、幻の「経済成長」を市民に演出しています。
 団大阪支部は、昨年3月14日に桜田照雄阪南大教授を講師に迎え、「大阪カジノ・IR問題学習会」を開催しました。これは、単に知識としてカジノ・IR問題を知ろうということではなく、たたかいに備えて物資を蓄える作業です。そして、昨年5月15日に、カジノ誘致の予定地である夢洲の現地調査を行い、マスコミも同行させ、団員6名が参加しました。これも、単なる現地の見学ではなく、予定戦場の威力偵察です。
 これらの準備を経て、今年の1月16日には、IR用地の借地権設定契約の締結の差止め等を求める住民監査請求を行い、ついに戦端を開きました。続けて、同年4月3日には住民訴訟を提起して本格的な戦闘に突入しました。弁護団9名は、全員支部団員で、全員実働です。ベテランから中堅若手まで幅広い世代で構成され、それぞれが一騎当千の実力ある団員で、まさに「アベンジャーズ」です。IR・カジノに反対する市民と共同して、弁護団を中心に団支部全体でカジノ阻止に取り組んでいきます。
 10月の団本部総会は、大阪で行われます。プレ企画では「維新問題」を中心とした企画を用意しています。多くの団員にご参加いただくことを楽しみにしております。

 

オープン例会『誰のための司法か~團藤裁判官の残した疑問』開催報告

北海道支部  遠 藤 正 大

1 開催までの経緯 
 2023年7月14日(金)に青年法律家協会北海道支部と合同で表記の例会を開催しました。
 今回の例会は、NHKのドキュメンタリー番組『誰のための司法か~團藤重光 最高裁・事件ノート』の制作関係者等から、番組作成の経緯や裏話、いわゆる「團藤メモ」が示す司法権の独立の実像等について講演して頂くことを目的としたものでした。
 例会は、上記番組の放送を見て深い感銘を受けた団員の提案で実現し、会場参加とウェビナーを併用したオープン例会として実施しました。また、事前の広報活動では、裁判官にこそ参加してもらいたい企画であるとの思いから、札幌高裁の事務局長と面談して各裁判官へのチラシの配布をお願いしました。
2 例会の概要
 当日は、講師として、上記番組の制作者である小林亮夫さん(NHKチーフディレクター)、法社会学の専門家である佐藤岩夫さん(東京大学相談支援研究開発センター特任教授)、團藤裁判官の遠縁にあたり團藤文庫の設立・管理に携われた福島至さん(龍谷大学名誉教授)の3名をお招きし、パネルディスカッションの形式で行われました(小林さんのみオンライン参加)。
 例会の会場参加者は24名で、ウェビナーによる参加者は50名でした。会場には、裁判官と思しき参加者はいませんでしたが、匿名で参加可能なウェビナー参加者の中に心ある裁判官も含まれていたことでしょう。
3 講演内容の概要
⑴ 團藤メモを公開したことについて
 まず初めに、番組作成の経緯と関連して、團藤メモを公開したこと評議の秘密(裁判所法第75条)の関係性がテーマとなりました。 この点について、福島さんは、團藤裁判官自身がメモはいずれ世に出る、出すべきものであるという思いでメモを残したのではないかというお話しをされました。
 他方、佐藤さんは、裁判官の評議が秘密とされることの趣旨は、司法権・裁判官の独立を守ることにあり、大阪空港公害訴訟が大法廷に回付された時のように、司法権の独立が侵された時は、その過程を公開することの意義は評議の秘密よりも重要であることを指摘されました。
 小林さんからは、ドキュメンタリーの放送後の感想をご紹介いただき、團藤メモを公開したことへの批判はなかったことから、むしろ視聴者の方が評議の秘密に優越する価値についての見識を持っていたのではないか、というご意見をいただきました。
⑵ 司法権の独立が繰り返し侵されていることについて
 次に、砂川事件や平賀書簡事件等、明らかにならないまま葬られているものも含めて、司法権の独立を侵す介入が繰り返される法曹界の構造がテーマとなりました。
 この点について、佐藤さんから、大阪空港公害訴訟当時、司法権内部でも裁判所の位置づけとして、統治機構の一部としての役割と人権擁護機関としての役割のいずれを重視するかのせめぎ合いがあったのではないかというお話がありました。また、行政からの過度な司法への介入を避けるために、自己防衛的に裁判所が行政に対して抑制的な判断をしている可能性も指摘されました。
 会場の参加者からは、現在でも、元最高裁判事の多くが、退官後、大手法律事務所に就職していること、その大手法律事務所の顧問先に多くの大企業が存在していることから、裁判所が国の機微に関する事項に踏み込まない、踏み込みにくい傾向があるのではないかという意見もありました。
⑶ 司法を歪めることのないようにするため必要なこと
 会場からの質問により、司法の判断が歪められないためにはどうすればよいかということもディスカッションのテーマとなりました。参加者の中には原発訴訟や同性婚訴訟等の国の保守層と対立する訴訟に加わる弁護士も少なくありませんでした。
 この点について、小林さんは、根本は民主主義の問題なので、有権者が主体的に関わっていくこと、声を上げ続けることが大切だというご意見でした。
 また、佐藤さんからは、個々の裁判官は、大半が真摯に裁判に取り組んでいる一方で、司法の統一性について疑念が示されました。すなわち、裁判官の独立を重視すると、司法権は本来的に非統一的なものとなるはずであるが、日本の司法においては判決の統一性、透視性が重視されており、裁判官のダイバーシティが重要であるという指摘がなされました。
 福島さんからは今回のドキュメンタリーを、見ただけでなく教育に活用すべきであること、司法権の独立がナマの事件でどう扱われているかをより具体的に見ていかなければならないというお話しがありました。
4 まとめ
 2時間の予定時間に収まりきらない程濃密な内容でした。参加者からは好意的な感想が多く集まり、時宜を得た企画だったと思います。

 

学習会報告・ 関東大震災100年・朝鮮人虐殺問題を考えるフィールドワーク報告

大阪支部  安 原 邦 博

 8月27日(日)に、LAZAK(在日コリアン弁護士協会)との共催で、関東大震災100年・朝鮮人虐殺問題を考えるフィールドワークをおこなった。参加は、団とLAZAKから計30名弱あった。
 京成押上線・八広駅からすぐの荒川沿いにある、ほうせんかの家に集合した。ほうせんかの家は、旧四ツ木橋が架かっていた位置のほど近くで、民家の並びに追悼碑とともに建っている資料館である。旧四ツ木橋は、関東大震災が起こった際、付近の被災者が荒川をわたって東に逃げるための要所であったとのことで、それ故、自警団がこの旧四ツ木橋に検問所を設け、震災初日の1923年9月1日の夜から、朝鮮人と判断した者の虐殺を始め、その河川敷に大量の死体を積み、そして埋めた場所である(その後、当時の官憲が犠牲者の遺体を掘り返して別の場所に隠匿したため、遺骨の行方は不明である)。震災当時、朝鮮人、中国人、社会主義者らが各地で虐殺されたが、その現場の一つである。
 当地の虐殺についてのお話を、ほうせんかの家を管理運営する「一般社団法人ほうせんか」の西崎雅夫氏からうかがった。夕立があったために、お話の大半は旧四ツ木橋から30メートル程南に架かっている木根川橋で雨宿りをしながら聞いた。いくつも教えていただいた虐殺の証言から一つを紹介する。当時小さい子どもであった方(日本人)が、震災初日、家族で避難していたが、自分もきょうだいも小さく、夜、それ以上進むことができなかったため、旧四ツ木橋の下に蚊帳を吊って家族で野宿をしていたところ、いつのまにか退職警察官の父親がいなくなり、心細い思いをしていたら、橋の上で尋常でない騒動が始まり、何が起こっているのか全くわからない母親ときょうだいとで震えて怯えているうちに、橋の上から血が流れてきて、さらに仰天していたら、父親が蚊帳に戻ってきて、「朝鮮人をやっつけている」などと誇らしげに言ってからまた出ていった、とのことである。私たちがそのお話を聞いた時はちょうど、激しい夕立のために雨宿りをしている木根川橋の橋桁、橋板の隙間から雨水が流れ落ちてきていた。震災初日の夜、旧四ツ木橋の上ではどれだけの血が流れたのであろうか。
 親が子に「やっつけている」などと嬉々として語るというのは、やはり、当時、「自警」などとして虐殺をおこなった者らとしては、「朝鮮人が攻めてくる」等の流言飛語を信じて正当防衛のつもりであったのであろう。そのため、朝鮮人と目される者が畑等に逃げ込めば鳶口で切りつけるし、池に逃げ込めば猟銃で撃ったのであろう。軍隊も朝鮮人を土手で並ばせて機関銃で撃ったというのであるから、群衆は、それを見て自己の正義をさらに確かめたのであろう。実際は、自分たちで勝手に敵としての「朝鮮人」を作り上げ、敵なので殺していいと勝手に決めつけ、さらに皆殺しにしないといけないとまで勝手に思い込むという、何重もの妄想のもと、何もしていない人たちをわざわざ捕まえて手当たり次第に殺しまくるという、恥ずべき非人道的犯罪をおこなっているのに。
 このような事件が歴史として残ると困る者らが2017年頃から標的にしているのが、このフィールドワークで次に訪れた、両国駅近くの横網町公園に設置されている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の碑(1973年設置)である。この追悼碑に関する話は、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長の宮川泰彦団員からなされた。東京都の歴代知事は、毎年9月1日に追悼碑前で執り行われる追悼式典に追悼の辞を送り続け、小池知事も就任初年度の2016年には同様に追悼の辞を送っていた。しかし、2017年以降、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する「そよかぜ」と称する団体が追悼碑撤去を求める「真実の慰霊祭」を始め、それと軌を一にして、小池知事は追悼の辞の送付拒否を始めた。小池知事はその理由として、「犠牲となったすべての方々に哀悼の意を表しており、個々の行事への送付は控える」などと述べている。しかし、関東大震災時に群衆と官憲に虐殺された者らは、震災による建物倒壊や火災を生き延びたにもかかわらず、人の手によって皆殺しにされているのであり、死亡した経緯、つまり追悼すべき内容が全く違う。それ故、東京都も、1973年以降、自らがその内容の決定に関与した追悼碑(「関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言飛語のため六千人余にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました」と記されている)を所有し、毎年、追悼の辞を送っていたのではないか。しかるに2017年から突如として「震災の犠牲者は全員追悼しているので虐殺された人についてさらに追悼するのは二度手間」かのようなことを述べて憚らないこと自体、やはり、関東大震災時の虐殺をなかったことにしようとする動きと言わざるを得ないであろう。
 非常時の群集心理による凶行をこれ以上歴史で繰り返させてはならない。そのため、戒めとなる事実をなかったことにする者らの「策動と流言飛語」を断じて許さないことが必要である。

 

与那国・石垣・宮古の自衛隊基地視察報告①

沖縄支部  赤 嶺 朝 子

 南西諸島では自衛隊配備が進んでいる。その現状を視察するために、団沖縄支部の企画で、去る6月30日から7月1日に、団員5名で与那国島、石垣島、宮古島を訪れた。那覇から与那国島へ直行し、島内を視察し、夕方石垣島へ移動し、ミニ講義を受けて宿泊。翌朝石垣島を視察し、その後宮古島に移動、午後島内を視察し、夕方那覇に戻るという濃密な強行スケジュールであった。
与那国
 与那国には元々自衛隊基地はなかったが、2008年9月、与那国防衛協会の要請を受けた町議会が自衛隊誘致決議を行ったことから誘致が本格化する。当時の村長は、「人口減少対策」と「島の活性化」を目的に誘致を表明。2016年3月、沿岸監視部隊が開設された。同基地は、与那国近海を通過する艦船を警戒監視するのが主任務である。
 島内の案内は、与那国島出身で石垣島在住の宮良純一郎さんにお願いした。まず日本最先端の岬にある西崎展望台(天候次第で台湾島が見える)より、自衛隊基地の位置関係を説明頂いた。展望台からは、久部良岳と与那国岳が見え、その間に巨大レーダーが確認できた。高さが異なるレーダーが5本林立し(遠目からだと2、3本に見える)、中国国内の通信を傍受できる機能を持っているとのことである。
 与那国駐屯地は、久部良集落の近くに位置し、野生の馬が生息する南牧場のすぐそばにある。駐屯地正門前の広大な牧草地周辺はミサイル基地予定地となっている。また、正門から真正面に見えるカタブル浜は元々港湾計画があったが、特に進んでいなかった。ところが、最近
 港湾計画が急浮上していることから、軍港として使用されるのではないかと危惧しているとのことである。
 祖納周辺にある浦野墓地には、軍神として奉られた大桝家の墓がある。墓の敷地内には、大舛松市大尉の栄誉を称えた墓碑(誰が建てたか不明とのこと)と、ひめゆり学徒の途中で戦死した妹の墓碑(きょうだい兄弟が建立)がそれぞれ建立されている。同じ墓地内にある戦争を賛美する墓碑とそれと反対の墓碑、ご両親の思いや戦争の現実を突きつけられ、暗澹たる気持ちになった。
 現場視察の他に、宮良さんがイソバの会の住民らとの懇談会の場を設定してくれ、配備前と配備後の生活への影響について話を伺った。
 配備前後で生活に大きな影響を及ぼしているのが家賃の高騰。このままでは地元の若者がアパートを借りることができない状況に陥っているとのこと。また、配備前の島内の人口は約1600人、配備後の現在も同数程度、そのうち自衛隊関係者が約250人のため、自衛隊関係者以外の人口は減少しているとのことである。配備後に実施された訓練では、役場と自衛隊が連携して行われていたが、その実態は、役場が自衛隊の「指揮」下に置かれ、実質的な軍政の始まりであった。「人口減少対策」と「島の活性化」を目的とした自衛隊誘致であったが、それとは反対の状況に陥っていると指摘されていた。
 人口が少ない与那国町だからこそ、自衛隊配備による矛盾や地元への影響が見えやすかった。
(②へ続く)

 

共同親権制度の拙速な導入に反対して下さい

神奈川支部  太 田 啓 子

1 法制審の現状
 8月29日、法制審議会家族法制部会において、「家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(1)」(以下「たたき台」※1)が提示された。概要は以下である。
①協議離婚の場合、父母の協議で共同親権か単独親権かを決める。
②裁判上の離婚では、裁判所が父母の一方又は双方を親権者と定める。
③共同親権下でも、「監護・教育に関する事項」は父母いずれかが単独で決定できる
④「監護・教育」以外の親権行使で父母の意見が割れた場合は、家裁が親権を行使できる親を選ぶ
⑤一定の場合、親権者の定めをしなくても、協議上の離婚をすることができるものとする
 2月にパブリックコメントが実施され、個人・団体から8000通を超える意見が寄せられたが、内容は8月29日まで明らかにされなかった。ようやく明らかになったのは、個人から寄せられた意見は、「今のままの単独親権制度がよい」という乙案支持のものが、共同親権導入の甲案支持の2倍もあった。DV加害者と離婚後共同親権とさせられてしまうことを懸念する切実な声が多数寄せられたということである。
 ところが法務省はこれを隠したまま、「今のままの単独親権制度がよい」という多数の乙案支持意見を無視して強制的共同親権導入を柱とする「たたき台」を作成し、公表した。この一連の流れは、パブリックコメントを行った趣旨を没却する大変問題があるものだ。審議会の議事録の公表も遅延し続けており、8月31日現在で、6月20日以降の3回分の議事録が未公表である。手続上のこのような問題は、当初から「共同親権導入ありき」で審議が進められているという強い懸念を裏付けるものといえよう。
2 共同親権の何が問題なのか
 父母のどちらかが共同親権に同意しなくても、裁判所が共同親権を命じることができるということは、医療や居所など子の重要事項について、都度共同で意思決定しなければならないということである。「共同親権にしよう」という合意をできないほど関係性が悪い父母が、個別事項について円滑な共同意思決定ができるはずがない。新たな紛争再燃のリスクが高いのは自明ではないだろうか。
 よく、「別居親が子に会えないのはおかしいから共同親権にすべき」という意見もあるが、これは親権と監護を混同したものである。民法766条はもとより非親権者が監護に関わることを想定しており、実務でも、別居親が面会交流調停を起こせば、家裁は原則として、同居親に強く面会の実施を促す。もちろん、家裁の判断が適切と考えられないことは個別事案によってはあり、DV被害者が子と別居させられてしまうこともあるし、家裁手続には時間がかかりすぎ、人的物的体制の強化こそ必要だ。本当に別居親と子の交流を重要と考えるなら、関係性に問題を抱える父母間の子と別居親が安全に交流できるよう、公的予算を導入して支えるべきだ。「共同養育」を国家レベルで推進した海外の先行事例の問題にも学ぶべきである。そのような議論が全くないまま、「会えないのがかわいそうだから共同親権に賛成」というのはあまりに理屈がおかしい。
 「協議であれば対等に話し合い、共同親権に適さない事案は排除できる」などというのも幻想である。現状、「養育費は0円でいいということに合意するなら離婚届に判を押してやる」といわれ、とにかく縁を切れるならそれで仕方ない、と協議離婚している母親はどれだけ多いだろう。今後、「共同親権でいいということに合意するなら離婚届に判を押してやる」といわれ、とにかく離婚できるならそれでいいと「協議」で共同親権に応じるDV被害者、という事案が多数生まれるだろう。
3 どういう紛争が増えるか
 現状、離婚後も、離婚に納得していない元配偶者が、元配偶者が会いに来ないなら大学の学費を払わないと言い張ったり、合意された面会条件を変更しようと頻繁に法的手続を起こしてきたりという、「離婚後の嫌がらせ」(post separation abuse)は、離婚事案関連でよく見聞きすることだ。そういう当事者が今後「共同親権者」になることを最も懸念する。どういう紛争が起きるだろうか。
 例えば、離婚後に他方が再婚する時、再婚相手と子の養子縁組には、共同親権者である実父母双方の承諾が必要となる。再婚を快く思わない元配偶者は、その養子縁組を拒否できる。子の居所も実父母双方が共同で決定しなければならないなら、一方が、転職、実家の近くに住みたい等の理由で子連れで転居することについて他方が反対できることになる。一方が子の歯列矯正をしたいと考えても、他方は「そんな金は無駄だ」と拒否できる。都度家裁に持ち込むなどおよそ非現実的だ。家裁に持ち込む時間的、金銭的余裕が無い側、多くは母親が、元夫の意向に反する選択をとれなくなるだろう。
 「監護・教育に関する事項」は「単独で決定」できるので、同居親だけでなく別居親も単独で行うことができる。教育方針の違いから亀裂が深まって離婚する父母は多いのに、離婚後にそれぞれの考えで「単独で決定」できるなどというのはどれだけの混乱を生むだろう。例えばその日の体育のプールの授業を許可していいかどうかはどちらとも単独で決定できるのか。親権者も監護権者も決めずに離婚するということが可能ということになるが、父母とも子の保育園のお迎えに行って「子どもを連れ帰る」と主張したらどうなるのか(早い者勝ちだろうか)。
 実際には、子と同居する親が、元配偶者に連絡をとるのが怖いなどの理由で共同決定の打診自体を諦め、そもそもその選択を諦めるしかなくなるということも多く起きるだろう。これは子の福祉にかなうだろうか。
4 共同親権については、以下の発信なども参考にして頂ければと思う。是非、1人でも多くの弁護士に、共同親権の拙速な導入に反対する声をあげてほしい。年内には民法改正の要綱案が出てくる可能性がある状況である。

共同親権を正しく知ってもらいたい弁護士の会 https://note.com/kyodo_shinpai/

https://www.kidsvoicejapan.net/

ちょっと待って共同親権プロジェクト https://www.youtube.com/watch?v=6hkL1MhcGuw

 

新事務所で子どもたちの声を楽しむ

大阪支部  渡 辺 和 恵

 48年間在籍した共同事務所を退職して5カ月。姉夫婦の営む小学校前の実家の文房具店・書店を分けてもらって新しく事務所を開いている。(なにわぐりーん法律事務所)48年間の地域共同事務所で味わった人との関りとは違った味を楽しんでいる。
 1つはこの小学校の子どもたちとの出会いである。ある日子どもたちが先生に付き添われて来店した。壁ひとつなので隣の店の声は私の事務所に筒抜けに聞こえる。私は77才のこの歳になっても、「国連子ども(18才)の権利条約NGO大阪」の活動に20年来参加してきて、子どもの生の声、ありのままの姿にいつも関心がある。店をのぞくと、5・6人の子どもたちが「街のお仕事調べ」の企画で、年1回訪問してくれているとのことである。姉夫婦が子どもたちの質問に一つ一つ答えていく。
 「このお店に商品は何種類ありますか」「鉛筆の濃さも幅はいくらありますか」「このお店で帽子・黄帽(通学用)・赤白帽(体操用)・水泳帽はみんな売っているんですか」など、一人一人が紙に書いた文章を読み上げて質問してくれる義兄は毎年この企画を喜んでいて、簡単なパネルまで作って説明していた。
 私の子どもの頃は、子どもが毎朝来て何か買ってくれるので、母子(4人)家庭の生計はこどもからもらう日銭で維持されてきた。私はその手伝いをしてから登校していた。今は百円ショップで文房具をお母さんが買って子どもに持たせるとのことで、子どもたちは文房具店に入るのは日常ではない。だけど何やら一杯品物が並んでいる興味をそそる店であるらしく、その質問は的を得ていた。今は街中に文房具店がない。書店も町からなくなった。ある有名人が図書館ではない街の書店の魅力を書かれているのを読んだことがある。
 私は、小学校1年からタブレットを1台卓上に置いて授業をする時代だと、先のグループで聞かされていたので、子どもたちが「街のお店を訪問して話を聞く」というリアルな街の姿を知る企画をしてくれた先生に感謝するばかりである。子どもたちはこの訪問で何を感じてくれたかしら。義兄から「二宮金次郎さんの銅像が学校の庭にあるよね」と声を掛けたら、皆が知らないという。スマホならぬ本を読んで町を歩いたらダメですという時代だから、先生たちは説明しないし、子どもたちは知らないらしい。後日、「おじさんが言った通りあったよ」と報告してくれた子どもがいたという。
 大国小学校は、そのホームページによれば、1904年(明治37年)3月16日開校している。亡き母も卒業生だから、創立100年以上になる。戦後、皮革産業で栄えたこの街は、解放同盟の蛮行が吹き荒れ、当時、その真っただ中にあった私の属した共同事務所はこの闘いの中心になった。そして今、街は定着して人が住む場所ではなくなり学童数も減った。
 そろそろ落ち着いたので、真ん前にある大国小学校を訪問し、校長先生にご挨拶せねばと思っている。義兄は私に「街のお仕事調べ」に来年は私も1枚加えてもらったらと、アドバイスをしてくれた。小学生に「弁護士」なるものをどう紹介しようか、今から楽しみにしている。
 いよいよ故郷に帰った私の弁護士活動が始まる。

 

平和へ 今こそ外交を
―元外務審議官田中均氏へのインタビューを読む―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 全国革新懇ニュース451号(2023年7・8月合併号)が、元外務審議官田中均氏へのインタビュー記事を掲載している。田中氏は、1947年生れ、京都大学やオックスフォード大学で学び、外務省でアジア大洋州局長や審議官(政務)などの要職を務めた方である。私は、そういう方が、全国革新懇ニュースに登場されていることに何とも言えない感覚に襲われている。そこで、ここでは、田中氏の意見を紹介し、コメントしながら、その複雑な気持ちを整理してみたいと思う。
岸田政権の防衛力の大幅増強への疑問
 田中氏は、「核を持たない日本にとって、価値観を共有する米国との同盟関係は重要です」、「自らの防衛力を整備することにも異存ありません」としている。彼は、日米同盟を前提とする自衛力保有論者なのである。政府で仕事をしていたのだから、当然と言えば当然であろう。けれども、「いま岸田政権が進めている、いわゆる敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有などの防衛力の大幅増強、防衛費のGDP2%の倍増は疑問」だというのである。
防衛力の大増強への疑問
 田中氏の疑問は二つである。一つは、「プライオリティ(優先度)が違っていないか」ということである。日本の経済指標はG7中で最下位水準なのに、なぜ、防衛費に2%使われて、科学技術や教育振興に使われないのかという疑問である。第二は、「なぜ、防衛費に2%が必要なのか説明がない」ことである。軍事大国にはならないとして、専守防衛を掲げてきたこととの整合性を国民にも海外にも説明しなければならないのに、それをしていないというのである。私は、そもそも、軍事費に予算を費やすことに反対だけれど、氏の疑問は無理もないものだと思う。2%はNATO加盟国の軍事費レベルだと言われても、それは説明になっていないからである。
専守防衛政策の大転換
 田中氏は、「敵基地攻撃能力の保有は、明らかに専守防衛政策の大転換」だという。にもかかわらず、変更していないと強弁してすすめていることも大問題だとしている。この指摘はそのとおりだと思う。大転換があるにもかかわらずそれがないように振舞うのは政府のウソだからである。
ロシアのウクライナ侵略から学ぶこと
 田中氏は、ロシアのウクライナ侵略は絶対に許せないとしたうえで、ウクライナを見て「核兵器を持っていなかったから侵略された」などというのは暴論だとしている。そして、 日本が学ぶべきことは、「ロシアの侵略を止められなかった外交の失敗」と「戦争を起こさせない外交を進めなければならない」ということだとしている。
 私も、ロシアの軍事行動は「侵略」であり、「戦争犯罪」を伴うものであって「絶対に許せない」と思っているので、氏の指摘に同意する。そして、核兵器がなかったから侵略されたという議論は暴論だという意見にも賛成である。
日本が米戦略の最前線になる
 田中氏は、中国と米国の関係については次のように言っている。
 中国の東アジアでの軍事力増強に米国の中距離ミサイルは対応できていない。だから、米国は、日本への中距離ミサイルの配備は大歓迎だ。日本は、相手国の攻撃着手を把握する能力は十分ではないので、米国の情報・指揮能力を大前提にすることになる。これは、米国の戦略の一環として日米が包括的な抑止力を持つということであり、日本が米戦略の最前線になるということである。冷静な議論を欠いた軍事力への熱狂は国を滅ぼしかねない。
 氏は、日本は米国の対中国包囲網を分担させられ、しかも、最前線とされているのだ。冷静さを欠く軍事力依存は、亡国への道だと警告しているのである。米国との同盟関係は重要だとする氏が、米国の思惑を冷静に分析しているのである。傾聴のうえ、肝に銘じておきたいと思う。
大きな構想を持った外交を
 田中氏は、「外交は、国内の不満を相手にぶつけることではない。話し合う土俵をつくり相手の脅威をなくしていくことだ」としている。その観点からすると、G7サミットは、「NATOと日本が一体となって、世界の分断を深めることになりかねない」としている。私も、日本は、米国と価値観を共有する同盟国として、米国の「民主主義国」と「権威主義国」との分断を推進していると思っているので、氏のこの憂慮に共感する。
 そして、田中氏は、次のように論を進める。
 中ロに原因があるけれど、経済制裁や「デカップリング」政策は世界の分断につながる。大きな経済力を持った中国を孤立化させることはできず、グローバルサウスを巻き込んで世界が2分化される。それは、世界の平和と経済にとって大きなリスクをもたらす。分断を深めることは日本の利益にもならない。
 これもそのとおりだろうと思う。
 では、中国とはどのように関わるのか。氏は、次のように言う。
 中国は、大きな問題を抱える国だが、話し合うことが大事だ。日本は、抑止力の構築とともに外交で中国の行動を止める覚悟が必要だ。防衛力を増やすだけでは、核兵器を持った中国やロシアは抑止できない。
 抑止力や防衛力とは軍事力の別の言い方である。氏は、軍事力の構築は否定せず、外交力も必要だとしているのである。外交力を否定する人はいない。ただし、そのためには、それ相応の実力も必要だというのが大方の意見である。衣の下に鎧は着ておこうというのである。そういう意味では、氏の意見に新味はない。結局、どの程度の軍事力、防衛力、抑止力なのかという問題なのである。つまるところ、GDP2%は大きいのか小さいのかということになるのである。
 けれども、私は、田中氏の意見は貴重だと思っている。岸田政権の大軍拡に反対しているからである。今、求められていることは、敵基地攻撃能力を確保するための大軍拡に反対することだからである。
結論
 田中氏はインタビューの最後で次のように言っている。
 いま、日本は平和国家として、分断ではなく包含した地域の平和の枠組みの大きな構想をもって外交を進めて欲しい。かつて、日本は、北朝鮮の核問題の6ヵ国協議で積極的な役割を果たした。米中対立を激化させるのではなく、中国を軟着陸させていく方向に舵を切る。そのために、米国に追随するだけではなく、意見する能力、外交力が求められている。
 「分断ではなく包含を」ということに異議はない。包含は包摂ともいわれている(英語ではinclusion)。分断は対立の固定化であり、それを武力で解決しようとすれば戦争になることは容易に想定できることである。氏の見解は、日本政府の世界の分断を容認する姿勢に対する異議申立として評価しておきたい。
 また、北朝鮮問題では、朝鮮戦争の終結が求められているけれど、6カ国協議の再開も視野に置かれるべきであろう。
 そして、「米国に追随するだけでなく」という物言いには、氏の経験からして、「追随する事態」が存在していたことへの反省が込められているのであろう。自主的外交が必要なことは当然の理である。
 ところで、日米同盟をなくし、非核、非同盟、中立の日本を目指すことを目標の一つとする「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(革新懇)の機関紙に、日米同盟は重要であるとする元外務省高官が登場することは、何を意味しているのであろうか。
 革新懇という共産党系の組織が、そのウィングを広げたことは大いに評価したいとは思う。また、田中氏が登場したことも英断だと思う。けれども、このようなカップリングが成立したことは、この国が大軍拡の嵐の只中にあるからだとも思うのである。危機的状況であるがゆえに、左右の良識派が共同している構図なのかもしれないのである。いずれにしても、大軍拡を止めるためには、このような連帯が求められているのであろう。このインタビュー記事に「いいね」を送ることにする。

(2023年8月9日記)。

 

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