第1823号 9/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●サカイ引越センター残業代訴訟東京地裁立川支部判決のご報告  村松 暁

●与那国・石垣・宮古の自衛隊基地視察報告②  赤嶺 朝子

●映画「福田村事件」。是非、劇場に足を運んでください  神原 元

●台湾有事での邦人退避(避難)  井上 正信

●内藤功著『自衛隊違憲論の原点』に学ぶ  大久保 賢一

◆学部生・ロースクール生・受験生向け企画のご案内 将来問題委員会


 

サカイ引越センター残業代訴訟東京地裁立川支部判決のご報告

東京支部  村 松  暁

1 事件との出会い 
 ある日の相談で、サカイ引越センターで働いていた引越作業員兼ドライバーから、給与明細を見せられた。みると、基本給がわずか6万5000円で他の手当もついているものの、給与明細に記載された残業時間が80時間を超えているのに、残業代は6万円程度しか払われていなかった。なぜ残業代がこれほど安いのか不思議に思った。調べてみると、基本給以外の5つの手当について、出来高払制賃金(労働基準法施行規則19条1項6号)と称することで、残業代の削減を狙っていることに気づいた。
 簡単にいえば、次のとおりである。
 まず、残業代は、1時間あたりの賃金(①)×適用割増率(②)×時間外労働等の時間数により算出できる。月給制では、1時間あたりの賃金額(①)は、月給額÷1年間における1か月平均所定労働時間により算出され、適用割増率(②)は、実務上、125%と解釈されている。これに対し、出来高払制では、1時間あたりの賃金額(①)は、概ね出来高払制の賃金総額÷総労働時間数により算出され、適用割増率(②)は、実務上、
 100%部分のない25%と解釈されている。この適用割増率の違いや、総労働時間数=所定労働時間数+時間外労働数であることも踏まえれば、出来高払制による残業代は、月給制などによる残業代と比べ、計算上、極めて少ない金額となる。

 典型例としては、一般に、契約件数・契約高に応じて定められる営業社員の歩合給や、売上額の一定割合と定められたタクシー運転手の出来高給などが挙げられる。
 しかし、引越作業員兼ドライバーは、会社からの指示を受け個別具体的な引越等作業に従事するのみで、営業社員やタクシー運転手のように何らかの労働給付の成果を観念することは難しい。また、労働量等何らかの労働給付の成果を観念したとしても、サカイ引越センターの給与体系では、労働量等に本当に対応した仕組みになっていないのではないかと疑念を覚えた。
 これでは、出来高払制賃金に該当するとは言えず、不当に残業代をカットするべく、出来高払制賃金を用いているのではないかと考えた。そこで、元従業員3名の原告らとともに、適切な残業代の支払を求めるべく、2019年2月、東京地方裁判所立川支部にて訴訟を提起したのである。
2 2023年8月9日東京地裁立川支部判決
 サカイ引越センターでは、この出来高払制賃金該当性の問題のほか、着替え時間を労働時間として扱っていなかったこと、1年単位の変形労働時間制を採用していることなどの問題があり、争点が多岐に及んだが、原告らの粘り強い取り組みや諸団員を含む多くの方々のご協力を得て、主張立証を重ねてきた。
 2023年8月9日午後1時10分、東京地裁立川支部民事第1部にて、前田英子裁判長により判決が言い渡された。原告3名併せて、残業代等約950万円(請求額約1200万円)、付加金約620万円もの全面勝訴判決であった。裁判長が判決主文を読み上げたときの身震いを、今でも忘れられない。
 裁判所は、一番の争点であった出来高払制賃金該当性について、「労基法27条及び労基法施行規則19条1項6号の『出来高払制賃金その他の請負制』とは、労働者の賃金が労働給付の成果に応じて一定比率で定められている仕組みを指すものと解するのが相当であり、出来高払制賃金とは、そのような仕組みの下で労働者に支払われるべき賃金のことをいうと解するのが相当である」と判示した上で、手当の対象である売上額、作業件数等が、会社の配車係の指示によるもので、原告らの労働給付の成果(作業量等)と必ずしも連動しないこと、原告らの自助努力が反映される賃金であったとは言い難いことなどを指摘して、問題となった5つの手当全てについて、出来高払制賃金に当たらないと判示した。そのほか、着替え時間5分間も労働時間と認定するなど時間外労働についての争点は一部を除き概ね原告の主張のとおり認定したほか、1年単位の変形労働時間制も「特定」の要件をみたさないものとして無効と判示した。
3 判決の意義
 裁判所は、基本的に、労働実態を正しく捉え、出来高払制賃金該当性判断を中心に、適正妥当な判断を下した。
 その結果、本来、出来高払制賃金にあたらない手当を、出来高払制賃金と称して、計算上、残業代の支払額を低くして、若者等の労働者に長時間の時間外労働をさせてきたことが明らかとなった。このようなサカイ引越センターの行為(給与体系)は、割増賃金の支払によって時間外労働を抑制し、労基法を遵守させるとともに労働者への補償を行うという、労基法37条の趣旨に反するものといわざるを得ない。裁判所は、この点について明言しなかったものの、付加金の支払いを命ずるなど、サカイ引越センターの給与体系の問題性を厳しく判断したことが窺える。
 今回の判決は、当然原告3名に限られず、そのほかの数千人規模の従業員(元従業員も含むとさらに増えると考えられる)にも影響を及ぼすほか、サカイ引越センターのみならず出来高払制賃金を用いている多くの会社にも影響を及ぼすものである。(前の裁判長の時に、和解の打診があったが、本件は原告3名だけの問題ではなく、制度の改善が必要であることから、原告・弁護団は、和解を拒否して、勝訴判決を得ることに全力を注いだ。)
 弁護団としては、今後の東京高裁でも東京地裁立川支部判決を維持・発展するために尽力していくほか、多くの従業員(元従業員も含む)からの新規相談を受け付けて、原告を増やし、2陣訴訟、3陣訴訟などと訴訟提起をしていき、サカイ引越センターに給与体系の見直しを迫っていきたいと考えている。
 団員の皆様におかれては、出来高払制賃金を用いた残業代カットの問題性を広めて頂けると幸いです。(本件を担当したサカイ残業代訴訟弁護団は、三多摩法律事務所の小林克信弁護士、高畠健人弁護士と私の3人です。)

 

与那国・石垣・宮古の自衛隊基地視察報告②

沖縄支部  赤 嶺 朝 子

石垣島
 次に向かったのが石垣島。到着後は、石垣島の平和と自然を守る市民連絡会の藤井幸子さんから、自衛隊配備現状報告を伺った。陸上自衛隊石垣駐屯地は、沖縄県内の最高峰於茂登岳のふもとに位置する。同駐屯地は、23年3月に開設し、地対艦誘導弾部隊、中距離地対空誘導弾部隊、警備隊が配置され、主に台湾有事を想定し、対中国戦に備えた特殊部隊配置である。
 石垣への配備は2015年ころから開始する。同年に防衛省から石垣市に陸上自衛隊配備の打診があり、防衛省は平得大俣地区にある市有地及びその周辺地を候補地とした。翌16年1月に配備候補地周辺の公民館は防衛省と石垣市議会に対し、配備撤回を要請したが、石垣市議会は配備を求める決議を可決した。18年に「石垣市住民投票を求める会」が1万4263筆の署名で平得大俣への配備の賛否を問う住民投票を請求したが、議会はこれを否決。沖縄県環境影響評条例の適用を避けるために(同条例は19年3月末までに着工すれば適用除外となっている)、わずか入り口部分のみの工事を着手し、アセスを逃れた。
 「石垣市住民投票を求める会」は、自治基本条例の住民投票条項を根拠に、住民投票実施を求めて石垣市を被告に義務付訴訟を提起したが、一審・控訴審・最高裁(21年8月)いずれも住民敗訴。21年6月には、石垣市議会は、与党議員から自治基本条例の住民投票条項を削除する改正案が提出され、10対8で可決した。2021年4月には住民投票の権利があると当事者訴訟を提起し、現在係属中である。
 また、自衛隊配備の要請決議をした石垣市議会であったが、22年12月、安保関連3文書に関し、石垣駐屯地に反撃能力を持つ長射程ミサイルを配備することは到底容認できないとする意見書を可決した。
 配備による水への影響もある。基地内の排水が民有地に垂れ流され宮良川に流れ込むことが判明した。取水される飲料用地下水及び農業用水への影響について全く不明のまま配備が強行されている。市民の命、産業にかかわる重大問題だと指摘していた。
 配備後は、勤務外に迷彩服で移動する隊員(迷彩服のまま保育園にお迎えも)、駐屯地前には銃を携える隊員、戦後78年基地のなかった島で異様な光景を目の当たりするようになったとのことである。また、駐屯地周辺をはじめ北部や市内各所で軍事車両が走行し、訓練の際にトイレを貸す予定になっている公民館の館長には訓練の詳細が知らされていないとのことである。
 翌日、駐屯地を視察。バンナ公園の展望台から、石垣新港地区旅客船ターミナルなどがある南ぬ浜町に迎撃ミサイル「PAC3」が展開されているのを確認できた。駐屯地外での展開である。駐屯地の一部はまだ工事中で、駐屯地のすぐそばにはパイナップル畑が広がっていた。駐屯地の排水は、近くを流れる沢に流される構造になっていることが確認できた。(③へ続く)

 

映画「福田村事件」。
是非、劇場に足を運んでください

神奈川支部  神 原  元

 映画「福田村事件」(森達也監督)。
 あまたある朝鮮人虐殺事件のうち、「被害者が日本人である事案」をあえて選んだとの点に疑問を抱きつつ、とにかく観てみようと思って劇場に足を運びました。
 結論から言えば「合格点」(不遜な言い方ごめんなさい)。
 前半のダラダラは、私にはちょっと退屈。しかし、後半、朝鮮独立運動に対する日本軍の暴虐、官憲によるデマ拡散、社会主義弾圧に触れることで映画はとても盛り上がります。歴史的にみても、朝鮮人虐殺事件との関連で押さえるべき「ツボ」は全て押さえた映画です。そしておぞましい虐殺事件のシーン。虐殺を煽る人、止める人、傍観する人。全体にエンターテイメントとしてとても成功した映画ともいえると思います(ただし、あの性描写が必要なのか疑問)。
 被害者となった行商人たちのいくつかの台詞に、涙がでるほど感動しました(ネタばれを防ぐため、ここには書きません)。対して虐殺側はなんと愚かで浅ましいことか。ヘイトスピーチや差別の問題を思うとき、現代に通じる風景として実感をもって見ることができるでしょう。
 私の思想を形成した映画の一つに「プラトーン」(オリバーストーン監督 1986年)があります。ベトナム戦争における「住民虐殺」のシーン。虐殺を止めようとするエリアス軍曹(ウィリアム・デフォー)と、バーンズ曹長(トム・ベレンジャー)の殴り合い。若かった私は、当時このシーンを観て「自分は虐殺を止める側に立てるだろうか」と自問したものです。
 いま、映画「福田村事件」を見た人たちの間に「自分は虐殺を止める側に立てるだろうか」という自問自答が静かに広がっています。この映画のメッセージをどう捉えてどう活かしていくかは、「これからの問題」でしょう。
 このような映画が「ヒットした」という事実を作ることはとても重要です。朝鮮人虐殺を描く映画は、もっと沢山作られるべきだからです。
 是非、多くの団員が劇場に足を運び、この映画を断固絶対に「ヒット」させましょう。

 

台湾有事での邦人退避(避難)

広島支部  井 上 正 信

1 8月8日の新聞報道で、麻生太郎自民党副総裁が7日に訪台することを知り、嫌な予感がしていました。数々の失言がある麻生氏であるし、2021年7月5日には「台湾有事は存立危機事態に当たる可能性がある。」と発言し、台湾有事=日本有事論を煽っていたので、台湾で厚遇されて調子に乗り、台湾有事=日本有事論をさらにエスカレートさせる発言をするのでは、との予感がしたからです。
2 麻生氏は台北市内で開催された講演で、「日本、台湾、米国をはじめとした有志の国に、非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ。」と、戦争を辞さない覚悟で抑止力を強めることを述べたことが、8月9日朝日新聞で報道されました。
 8月10日の中国新聞では、この麻生発言が「政府内部を含めて調整した結果だ。」と鈴木馨祐自民党政調副会長の発言を引用していました。決して麻生氏の個人的な思い付き発言ではないようです。安保三文書が述べる抑止力論の正体を率直に述べたものでしょう。抑止が破綻した時には武力行使をしないのであれば、抑止力は単に「張り子のトラ」になるからです。
 8月8日付日経新聞電子版では、「自民党の麻生太郎副総裁は8日、台湾の蔡英文総統と台湾総統府で会談した。台湾有事への危機感を共有し、邦人保護の問題に対処する必要性を確認した。」と報道しています。
 麻生氏が蔡英文台湾総統との会談で、在台湾邦人保護問題を話し合ったことに注目しました。なぜなら、戦争が始まる場合、戦地に滞在する邦人の避難は、外交上の重要な課題であるし、実際にはとても困難な課題となることは、これまでの武力紛争で経験していることだからです。ごく最近では、アフガニスタン内戦やスーダン内戦での邦人避難活動が記憶に新しいものです。このような戦地からの邦人退避は、NEO(非戦闘員退避作戦)と称する軍事作戦でもあるのです。
3 国家安全保障戦略では、「在外邦人等の保護のための体制と施策の強化」という項目が設けられていますし、国家防衛戦略では自衛隊の任務として、「在外邦人等を迅速かつ的確に保護し、輸送する。」ことを挙げています。
 台湾有事での邦人避難問題は、麻生氏の個人的な思い付きではなく、安保三文書の閣議決定後、政府レベルで台湾有事を想定した在台湾邦人の避難について具体的な方策を検討しているはずです。それは対中国日米共同作戦計画の策定と一体となって進められているでしょう。
 実は過去日本政府内で密かに朝鮮半島有事を想定した、朝鮮半島からの邦人避難、大量の避難民が押し寄せてくる事態での具体的な対処を研究したことがありました。政府内ではこの時と同様の研究が進められていると思われます。
 この時の研究で作成された内閣安全保障室や防衛庁(当時)の極秘、取扱注意文書(複数)が私の手許にあります。いずれも橋本内閣時代のもので、1996年4月に日米安保共同宣言(東京宣言)が橋本総理とクリントン大統領との間で合意、公表されたことが出発点です。共同宣言は新たな日米防衛協力の指針策定を合意していました。この日米防衛協力の指針の一つのテーマが朝鮮半島からの邦人退避でした。
 安保共同宣言発表の翌月(1996年5月)橋本総理は内閣安全保障室・危機管理室へある指示を出します。我が国に対する重大な危機が発生した場合やその恐れがある場合において、我が国としてとるべき必要な対策について具体的に検討・研究せよというものです。
 橋本総理の指示を受けて始まった検討・研究の中間報告文書である「緊急事態対応策の検討の状況について(内閣安全保障室・危機管理室1999年6月4日作成)」によると、①在外邦人等の保護②大量避難民対策③沿岸・重要施設の警備等④対米協力措置等の4グループ(WG)で検討されました。
 WG1の検討・研究の結果自衛隊法改正法案が98年4月に国会へ提案され、99年5月可決成立したと述べています。これは自衛隊法第100条の8と周辺事態法に対応する自衛隊法第100条の9です。在外邦人避難のために航空機だけではなく、自衛隊の艦船も利用できるようにしました。
 97年9月27日に調印された改訂日米防衛協力の指針では、「日米両政府は、自国の国民の退避及び現地当局との関係について、各々責任を有する。」と書き込まれています。朝鮮半島からの邦人避難で米軍の協力を当てにしていた日本政府は、ずいぶん期待外れの内容であったようですが、WG1の検討・研究の結果がこの短い一文に反映されています。
 極秘の印がある「今後の緊急事態対応策の検討について」(内閣安全保障室1997年8月7日)には、当面の検討の進め方として、「新『指針』の策定を考慮し、これに関連する事項については(97年)9月半ばに区切りをつけることを目標に作業を促進。」と述べています。
 つまり、内閣安全保障室がこの文書を作成した翌月には改訂日米防衛協力の指針が合意されることが既に予定されているので、改訂ガイドラインの内容に関連する事項は一区切りをつけ、その後は改訂ガイドラインで設置される日米の協議機関(包括メカニズム、調整メカニズム)に委ねるという意味と考えられます。
4 96年4月安保共同宣言により、周辺事態での日米共同作戦計画の概要を合意する改訂日米防衛協力の指針が策定され、それを実行するための国内法制である周辺事態法が99年に制定されます。
 WG4は周辺事態での我が国による対米支援を検討・研究したものです。先ほどの「緊急事態対応策の検討の状況について」では、WG4の検討状況について、①米軍による我が国施設の使用②米軍に対する物品・役務の提供を中心に検討を行ってきていると述べています。
 99年5月に自衛隊法が改正された際に、それと同時に周辺事態法が制定され、その別表で自衛隊による米軍への後方支援の具体的な事項が定められ、周辺事態法に対応する日米物品役務融通協定(日米ACSA)も改訂されています。
 このように橋本総理の指示により4つのWGが行った検討・研究の成果は、その後の我が国の防衛法制に反映され、日米の軍事的協力関係がより深まっているのです。
5 台湾有事の際の在台湾邦人の避難、大量の避難民の到来を想定した具体的な対応策が政府部内で密かに検討が始まっていると考えてよいと思います。その検討・研究は、対中国日米共同作戦計画に組み込まれたものとなりますし、既存の国内法制で対応できなければ、防衛法制(安保法制)等の改正をにらんだものになるはずです。
 どのような検討・研究を行っているかは国民の目から隠されていますので分かりませんが、これを考えるうえで、橋本内閣時代に行われた検討・研究を振り返ることが有益と思われます。この中で、WG1では極めて具体的な検討を行っています。
 極秘の印がある防衛庁作成の「自衛隊機及び艦船の輸送能力」では、ケースAを念頭(どのようなケースかは書かれていません)に、C-130H輸送機、C1輸送機、政府専用機の1機当たりの輸送能力を基に計算したり、自衛隊艦船の輸送能力を3万人と見積もった入りしています。艦船の甲板へも収容すればこれの2.5倍と見積もります。
 しかし台湾有事での自衛隊の作戦行動を考えると、南西諸島へ自衛隊の能力のかなりの部分を緊急展開させて対中国軍事作戦を遂行するでしょうから、自衛隊が在台湾邦人の退避に向けられる能力は極めて限定的でしょう。
 取扱注意の印のある運輸省(当時)作成の「民間航空機・船舶による在外邦人等の救出について(1996年6月18日)」は、現行法制上民間航空や民間船舶運航事業者に対し、邦人等の救出のために輸送命令等が発せられないので、チャーター契約等で確保する、任意の協力を得るうえで相当額の保険の付保や損失補償の検討等、不測の事態の際の保険で担保されない損害にどう対応するのか等の国内法制上の問題点を指摘しています。
 取扱注意の印のある海上保安庁作成の「海上保安庁の船舶による在外邦人等の救出について(1996年6月18日)」は、法的論点の整理を行っています。その中で海上保安庁法第25条の軍隊機能禁止規定に抵触する可能性を挙げています。
 極秘の印がある防衛庁(当時)作成の「自衛隊艦艇の派遣の検討に当たって考慮すべき事項(1996年7月17日)」は、在外邦人救出のための自衛隊艦艇を派遣することを前提にして、自衛隊法改正の立法措置、自衛隊法第100条に基づく受託輸送として実施との二つの選択肢を挙げています。
6 今後マスコミに台湾有事の際の在台湾邦人の避難について具体的な報道がされることがあるでしょう。その際には、国家安全保障局、警察庁、防衛省、外務省、国土交通省、海上保安庁などの関係各省庁での検討・研究が進んでおり、それと共に対中国日米共同作戦計画作りが進展していると判断すればよいでしょう。
 有事法制(安保法制)を除く国内法制は、いずれも平時を想定した法制度ですから、台湾有事での在台湾邦人の避難問題は、平時の国内法制で対応がむつかしい場合が出るはずです。また有事法制(安保法制)では十分な対応ができない場合も想定されるでしょう。
 在台湾邦人だけではなく、中国本土に滞在する邦人の退避も問題です。それ以上に、戦場となる南西諸島の住民避難をどうするのか、それすらまだ何らの解も持ち合わせていません。
 法律家の立場からは、そのための国内防衛法制(安保法制)などの関連国内法制の改正問題が浮上する可能性を考えておく必要があるでしょう。あらたな戦争法反対運動が必要になるからです。

 

内藤功著『自衛隊違憲論の原点』に学ぶ

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 内藤功弁護士が『自衛隊違憲論の原点』(日本評論社)を上梓した。帯には「今こそ立ち止まり、耳を傾けるべき伝説的弁護士からのメッセージ」とある。本書は、自らの「戦争体験」とその自省を記した第1章、映画「憲法を武器として―恵庭事件 知られざる50年の真実」の稲塚秀孝監督との対談と恵庭判決の背景につての第2章、恵庭事件での「自衛隊の実態」についての弁論を収録した第3章という構成になっている。
 先生は、1931年3月生まれだから、既に92歳であるが、現在も日本平和委員会代表理事として平和運動の最前線で活動している。私は、先生から「平和のために」という言葉を添えて本書の贈呈を受けたので、そのお礼を込めて、15歳年下の私が、先生のメッセージをどのように受け止めたのか、その感想を綴ることにする。
私の「戦争」
 先生は、1945年4月3日、14歳の時に海軍経理学校に入学している。軍人になろうとしたのである。その年の3月10日には東京大空襲があったし、戦艦大和の沈没は4月7日である。教官に「お前らの乗る軍艦は全部なくなった。お前らは特攻隊要員になるかもしれんぞ」と言われたそうである。そして、「対戦車肉薄攻撃訓練」も受けたという。棒の先に付けた地雷をもって敵戦車に突撃し、戦車の前に棒地雷を投げ込んで退避するという自爆攻撃の訓練である。けれども、先生は「後悔したこともなければ、逃げ出したいと思ったこともない」と述懐している。
 その先生も、「新型爆弾」(原爆)の投下を知ったころから、「覚悟」の上で軍人になったつもりだけれど「気持ちが揺らぎ始めました」と言う。そして、8月15日は、「最初は無念と安堵が交錯していたけれど、徐々に安堵の気持ちが大きくなった」そうである。14歳の少年の偽らざる気持ちなのであろう。私の14歳はそのような極限状況とは無縁の中学生だった。もう15年早く生まれていれば、同様の体験をしたのかもしれない。どのような時代に生を受けるかによって人生はかくも大きく変わるものなのだと改めて思う。
 ところで、先生は「軍人になることを志願した」のだから自分にも「戦争責任」があるとしている。「侵略戦争の末端を担ったものの責任」だというのである。そして、「何も知らされていなかった、だまされていたのだからやむをえなかったではすまされない」ともしている。ここには深い自責と自省がある。時代が違うとはいえ、私にも真剣な自責や自省が求められているような気がしてならない。
 この章は「私は命ある限り、日本国憲法を武器として平和を守るための運動に全力を注ぎたい。それが、私の戦争責任を完全に償うことである」と結ばれている。私は、過去の「戦争責任」を問われることはないだろうけれど、新たな戦争が勃発するならば、その戦争についての責任の一端は背負わなければならないであろう。新たな戦争を阻止しえなかった責任である。人類が絶滅しないためにもその自覚は必要であろう。
 そして、「憲法を武器として平和を守る」という課題では、私は先生と「同志」であり続けたいと決意している。
恵庭事件のこと
 恵庭事件とは、1962年、北海道の野崎兄弟が、自衛隊の演習に抗議して、自衛隊の通信回線を切断してしまい、自衛隊法違反で起訴された事件である。被告と弁護団は、自衛隊は憲法違反の存在だからその通信回線を切断することは違法ではないので無罪だと主張した。裁判では自衛隊の実態についての審理が行われ、裁判官は検察官の論告求刑をさせなかった。そして、本当に無罪判決だったのである。けれども、その理由は、通信回線は「防衛の用に供する物」に該当しないということであった。自衛隊違憲判決が出るのではと期待されたけれど、そうはならなかったので「肩透かし判決」と言われた。それはともかくとして、自衛隊の通信回線は「防衛のための物」ではなく、切断した犯人は「無罪」という何とも不可解な判決が出たのである。
内藤先生の推論
 先生は、この判決の背景について、「現在の推察」として次のように言う。
 裁判所と検察側の上層部との間で、「この判決は憲法問題に触れない。しかし、無罪にしよう。そうすれば被告側は控訴できない」、「検察もしないということで幕を引いてしまおう」という「三方一両損」の考え方の合意をしていたのではないかと思う。裁判所は憲法問題に取り組まなくてもいい、検察側は違憲判決を避けられるからホッとする。弁護側も違憲判決は取れないが、無罪確定だから文句は言えない。
 なるほど、「三方一両損」とは言いえて妙である。私には、先生の推論について確定的な意見を言う能力はない。けれども、それはありうることだとは思っている。当時の「砂川事件」での田中耕太郎最高裁長官の動き、「長沼事件」での平賀健太氏や飯守重任氏(田中耕太郎の弟)の動き、最近では、最高裁での福島原発事故裁判での国の責任の否定、沖縄米軍基地裁判での司法判断などを思い浮かべれば、司法は「国策事件」において政治権力に抵抗しない、との結論を導き出せるからである。
司法消極主義
 このような司法の状況は司法消極主義といわれる。平和的生存権などを法的価値として政治権力を制約する判決は可能である。基本的人権を擁護することが司法の役割だとする思想からすれば、それをしない司法を消極的と批判することになる。私もその評価に同調する一人である。では、なぜ、日本の司法はそのような消極主義に陥るのであろうか。言い方を変えれば、なぜ、司法は政治権力と対抗しないのか、政治権力は司法権力を巻き込みながらその意思を貫徹できるのかということでもある。
「三権分立」の効用と限界
 マルクスとエンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』(1845年~1846年)でこう書いている。
 王権と貴族とブルジョアジーが支配を争い合い、従って支配が割れているような時代と国においては支配的な思想として諸権分割の説が現われ「永遠な掟」だと称される。
 私は、これを三権分立(立法、行政、司法の分割)についての評価だと受け止めている。フランス人権宣言(1789年)は、「権力の分立が定められていない社会には、憲法はない」としている。日本国憲法もこの三権分立を統治機構の基本としている。現代日本でも、諸権の分割は「永遠な掟」とされているのである。
 けれども、そのシステムが機能せず、政治権力と司法権力が一体となって、政治的決定を優先し、個人の権利(地方自治も含む)を劣後させる場合があることは、先に見たとおりである(他にないということではない)。これらの事例では、米国の意思や電力資本の利益が優先されていることは明瞭である。司法は、政治部門の政策選択を何も咎めないどころか、むしろ合法化しているのである。王権を米国、貴族を世襲保守政治家や官僚、ブルジョアジーを独占資本と置き換えてみると、「諸権分割の説」の馬脚がよく見えてくる。
 三権が一致団結して守ろうとする利益は存在するのである。それが司法消極主義の原因である。その利益とは何か。現代日本では、米国の都合と独占資本の利益である。
 このことを踏まえた上で、内藤先生の恵庭事件での最終弁論を聞いてみよう。
恵庭事件の最終弁論
 本書で最もスペースが割かれているのは、恵庭事件の最終弁論である。先生は、この弁論の目的は、「自衛隊が米国の戦略に従属し、その下で、核武装、海外侵略の道を歩む危険がある軍隊であることを明らかにする」ことだとしている。私は、この弁論の証拠に基づく事実の整理と論理の構成に、まさに「伝説の弁護士」の面目を見出している。この弁論が行われたのは、1967年1月だから、半世紀以上昔である。にもかかわらず、この弁論は現在にも通用するのである。いくつかのポイントを紹介しておく。
自衛隊はアメリカン・コントロールにある
 この弁論の主たる目的は「自衛隊は米国の戦略に従属している」ことの論証である。先生は、自衛隊を統制できるのは、日本の文民や国会ではない。米軍の指揮官だとしている。「シビリアン・コントロールにあらずしてアメリカン・コントロールにある」というのである。
 ところで、この弁論とまったく同様の結論を示している学説がある。古関彰一『対米従属の構造』(みすず書房・2020年)である。そこにはこういう記述がある。
 日本国民は、帝国憲法下では主権者ではなかったが、日本国憲法の下では主権者になった。しかし、指揮権は海の向こうの手の届かないところにある。「手の届かないところ」という点では、帝国憲法下も日本国憲法下も変わることはない。シビリアン・コントロールという言葉があるが、対米従属化で自衛隊は、アメリカン・コントロールの下にある。
 この本では、内藤先生の弁論は引用されていないので、古関さんは別ルートで同一の結論を導いているのであろう。私はこの二人の結論に同意する。そして、「アメリカン・コントロール」からの脱出の方策を考えたいと思っている。「核とドルの支配」の下で生きるのは嫌だからである。
自衛隊の核戦争訓練と核武装の可能性
 この弁論は、自衛隊が、核戦争に対応するために編成され、核兵器使用を想定した訓練が行われていることに触れている。そして、証人として出廷した自衛隊幹部も、限定的核兵器使用が全面核戦争へと発展する可能性を否定していないそうである。私は、これらの事実を、本書に接するまで知らなかった。核兵器廃絶など言いながら、何とも「灯台下暗し」だったと反省している。当然、現在も行われているだろうけれど、この弁論のように事実を立証できるだけの情報は私にはない。何とも歯がゆいし何とかしなければとも思う。
 更に、先生は自衛隊法87条にも触れている。同条は「自衛隊は、その任務の遂行に必要な武器を保有することができる」としている。これでは自衛隊はいかなる武器も保有できることになるという指摘である。現在、日本政府は、自衛のためであれば、核兵器の保有も使用も憲法上許容されるとしているので、その政府解釈とこの自衛隊法の条文によれば、自衛隊は核兵器も保有できることになる。その選択を米国が認めるかどうかは別論として、非核三原則を放棄し、核不拡散条約(NPT)から脱退すれば、憲法上も自衛隊法上も制約はないことになる。それが、「核なき世界」をライフワークとする首相がいる「唯一の戦争被爆国」の現状である。
自衛隊はアメリカに従属した海外派兵、侵略の軍隊
 先生は、自衛隊の性格について、作戦運用面、編成装備面、教育訓練などの側面から分析している。こういう分析には、元「海軍軍人」だった経験が生きているようである。これらの多面的分析に基づいての結論が、米軍指揮下での海外派兵、侵略の軍隊だというのである。
 「敵基地の破壊」の必要性についての証言も紹介されている。「敵基地攻撃」は半世紀以上も前から想定されていたのである。詳しいことは、ぜひ、本書を手に取って欲しい。なるほどそういうことかと納得できるであろう。ここでは、「軍事力の無限界性」についてだけ触れておく。先生はクラウゼビッツの次の言葉を引用している。
 一方の暴力は、他方の暴力を呼び起こし、そこから生ずる相互作用は、理論上その限界に達するまで止むことはない。…これが無限界性である。
 これは、殺傷と破壊のための道具は果てしなく開発され続けることになるという指摘である。「平和を望むなら戦争に備えよ」との格言に従えば、「平和を望むなら核兵器に依存せよ」ということになるという予言であろう。その予言どおり、現代の国際社会では核兵器は必要であり有用だとされている。そして、それだけではなく、「致死性自律型兵器システム」なども開発されている。軍事力が「無限界」であることは事実が証明しているのである。
 核兵器使用が「全人類に惨害をもたらす」ことは核不拡散条約(NPT)で確認されている。「核戦争に勝者はない。核戦争は戦ってはならない」ということは「核のボタン」を持っている諸君も承知していることである。にもかかわらず、核兵器は存在し続け、核戦争の危機が高まっている。それは、核兵器が「平和の道具」だとされているからである。そして、人類は「絶滅危惧種」であり続けている。
まとめ
 日本国憲法が誕生した時、政府は「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂えているのである。ここに、本章(2章・9条のこと)の有する重大な積極的意義を知るのである」(「新憲法の解説」)としていた。
 憲法9条は「核のホロコースト」を経験した人類が、その生き残りのために必要な法規範として編み出したものである。核兵器に頼る平和は「壊滅的人道上の結末」を想定しなければならない。日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義」に人類の安全と生存を委ねている。
 先生は、私たちにどの道を選択すべきなのか、その人生をかけて問いかけているのである。

(2023年9月9日記)

 

学部生・ロースクール生・受験生向け企画のご案内

将来問題委員会

 ここ数年、以前よりも団事務所の採用選考の応募が減り、新入団員の減少にもつながっています。一つの要因として、就職活動が前倒しになり、弁護士の業務について詳しく知る前に、手近な大規模事務所に入所する受験生が増えていることが考えられます。
 修習生、受験生、ロースクール生に団や団員の活動を知ってもらい、団事務所に入ってもらうには、早期に学生の段階からつながりを作り、団員の活動を伝えることが重要です。
 将来問題委員会では年2回、学生向け企画を実施してきました。
 今月も「いじめ問題」をテーマにして企画を行います。学生と話していると興味関心の高い分野です。
 ぜひ、周りの学生、ロースクール生、受験生にお声掛けください。特に、エクスターンシップの受け入れをしている事務所は、エクスターンシップ生に声をかけていただきたいと思います。
 今回もZoomで全国どこからでも参加できます。
 どうぞよろしくお願いいたします。
《企画の概要》
2023年9月26日18時から Zoomまたは東京法律事務所にて対面
テーマ 学校でのいじめ問題と弁護士
講師:迫田登紀子団員(福岡支部)

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