2025年10月23日、「共同親権Q&A形式の解説資料の再検討と更なる充実を求める意見書」を発表しました

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共同親権Q&A形式の解説資料の再検討と更なる充実を求める意見書

2025年10月23日
自 由 法 曹 団

 2024年5月17日、離婚後共同親権の導入を含む「民法等の一部を改正する法律」が成立し、「父母の離婚後の子の養育に関する民法等改正法の施行準備のための関係府省庁等連絡会議」及び同幹事会において、共同親権について「Q&A形式の解説資料」の作成が検討されてきた。そして、令和7年8月27日の第5回幹事会において提出された「Q&A形式の解説資料」が法務省のホームページに掲載されている。
【法務省ホームページリンク】
Q&A形式の解説資料(民法編) Q&A形式の解説資料(行政手続・支援編)
 同「Q&A形式の解説資料」については、一定程度、DV被害者への配慮についての立法過程における指摘の反映が見られる。しかし、離婚事件実務の観点から精査したところ、なお不適切な点は残るため、以下のとおり不適切な点を指摘し、再検討と更なる充実を求めるものである。

 

第1 民法編について
1 応答義務があるのかについて回答になっていない

 「父母相互の人格尊重・協力義務」の3つ目の項目(「Q&A形式の解説資料」(以下同じ)3頁下段)では、子が被災した場合において、別居親から同居親に対して問い合わせがあった場合に、人格尊重義務・協力義務の内容として応答義務があるかが問いになっている。
 しかしながら、結局、応答義務の有無について回答されておらず、曖昧となっている。人格尊重・協力義務違反は親権者変更、親権喪失や停止の審判において考慮されるような効果があるとされており(同7つ目の項目(5頁中段))、同居親としても関心が高い。とすれば、応答義務の有無があるかないかについては明確にしなければ、いたずらに不安を与えることになる。したがって、「子の安全性等に配慮して適切な時期に応答することが望ましいが、事情によって応答しないことがあったとしても必ずしも人格尊重・協力義務に違反するわけではない」といった明確な回答が必要である。
2 客観的証拠の必要性ではなく立証責任について言及すべき
 「家庭裁判所が親権者の指定又は変更についての判断をする際の考慮要素」の9つ目の項目(9頁)では、単独親権の定めを求める際にDⅤや虐待の客観的証拠が必要かとの問いに対して、客観的な証拠の有無にかかわらず、諸般の状況が考慮される、他方でDⅤや虐待の主張が認められない場合もあると回答されている。
 しかしながら、そもそも、同4つ目の項目(7頁上段)において、新民法第819条7項の規定は、当事者の一方に各考慮要素についての立証責任を負わせる趣旨のものではないとしており、立証責任自体を否定している。とすれば、客観的証拠が不要であることは当然であり、むしろこの点を再度指摘する必要がある。また、「主張が認められず」との記載は、なお立証責任をDⅤ被害者に負わせていると読めるため、なおDⅤ被害者に不安を抱かせるおそれがある。立証責任が無いことを明確にすれば、問いに対する回答になっており、「他方で」以下は不要と思われる。
3 高葛藤のケースなどでは単独親権になると明記すべき
 「家庭裁判所が親権者の指定又は変更についての判断をする際の考慮要素」の10個目の項目(10頁)では、高葛藤のケースや、父母の一方が相手方と「関わりたくない」「口も聞きたくない」などの感情的な主張をしたケースにおいては、単独親権の定めになるかという問いに対して、父母の協議が調わない理由等の事情を考慮して共同親権の行使が困難である場合は単独親権とするなどと回答する。
 しかしながら、父母の協議が調わない理由等が高葛藤や「関わりたくない」「口も聞きたくない」と主張するケースと問題設定しているのであるから、端的に新民法第819条第7項に定める「父母が共同して親権を行うことが困難」な場合の例示であるとして、「その場合には単独親権とされる」と回答すべきである。現在の記載のままでは、「関わりたくない」「口も聞きたくない」との主張がある状況であってもなお裁判所が共同親権と定めることががありうるような誤解を受ける。
4 父母の合意が無い場合に共同親権となる場合の例が不適切である
(1)「家庭裁判所が親権者の指定又は変更についての判断をする際の考慮要素」の11個目の項目(12頁上段)では、父母の合意が無い場合に、裁判所が共同親権とする場合が例示されているが、いずれも不適切である。
(2)一つ目の例は、「同居親と子との関係が良好でなく、別居親が養育に関与することで子の精神的安定が図られる」場合とされている。
 弁護士としての経験からすれば、依頼者のケースが「法務省が出している例に上げられた事例にあてはまる」と主張することは基本的な弁護手法である。したがって、Q&Aに現在のような記載がある以上、共同親権を求めるために別居親が同居親と子の不仲を主張立証することが横行することは目に見えており、この結果、紛争が激化する。「同居親と子との関係が必ずしも良好ではない」との表現も曖昧であり、曖昧な主張が横行して紛争が激化することは実務家として容易に予想できる。手続における紛争の激化により、親権の共同行使に必要な最低限の信頼関係さえ損なわれるという不毛な事態を招来する現在の記載は改められるべきである。
 また、共同親権は、子の重要事項について共同で親権を行使するというものであって、必ずしも「養育」に関与するものとはなっていない。「養育」に関与するのであれば、面会交流の方が親和性が強いが、共同親権と面会交流が別であることは、本「Q&A形式の解説資料」6頁中段の項目でも明らかになっている。したがって、共同親権者であれば養育に関わることができるような現在の記載は共同親権と養育を混同しており、再度整理して検討する必要がある。いずれにしても、共同親権を強制する場合の例としては理由にならない。
 さらに、同居親が共同親権を拒否しているにもかかわらず、別居親を関与させることで、同居親の精神的安定性は害されるため、子の精神的な安定が図られるケースという例が想定できない。
(3)二つ目の例は、同居親による子の養育に不安があり、関係機関による支援・関与に加え、別居親の関与があった方が子の利益にかなう場合とされている。
 しかしながら、これについても上記と同様に別居親による主張立証による紛争の激化が強く予想される。また、被害者がDⅤや虐待により、精神的に不安定になって、子の養育行動を阻害される状態になっている事例も少なくない。このような状態で別居親を関与させることはいうまでもなく逆効果である。DⅤや虐待の証明は困難であり、子の養育に不安があるという事実が認定された上で、DⅤや虐待の事実が認定されなければ、被害者は極めて甚大な被害を受けることになる。したがって、このような例はDⅤや虐待の被害者に強い不安を与える。
 また、同居親が共同親権について拒否しているにもかかわらず、別居親が関与することは相当困難であり、同居親を精神的に不安定にし、子に悪影響となる可能性が高い。
 さらに、支援を受けるとされている「関係機関」とはいかなる団体を指しているのか不明である。現時点で、共同親権が未施行である以上、共同親権のサポートをする機関はないと思慮される。少なくとも関わり方や支援の方法も不明であるにも関わらず、関係機関による支援・関与に加えてとされても、考慮しようがない。
(4)三つ目の例は、父母間の感情的な問題と、親子関係を切り分けることができる場合とされている。
 しかしながら、共同親権について拒否しているにもかかわらず、感情と親子関係を切り分けることが出来る場合を容易には想定できない。切り分けることが出来るのであれば、そもそも共同親権に合意すると思われる。
(5)四つ目の例は、支援団体等を活用して子の養育について協力することを受け入れることができる場合とされている。
 しかしながら、まず、「支援団体等」とはいかなる団体を指しているのか不明である。この点は上記「関係機関」と同様である。当然、支援の方法、関与の仕方も分からない中で、支援団体の協力を受けてなどと記載されても、考慮のしようがない。
 また、このような場合、実務的には、調停委員による共同親権の説明が当然行われていると思慮されるが、調停委員の説明等を受けているにもかかわらず、共同親権について拒否している同居親が、受け入れることができるという場合を想定できない。
(6)五つ目の例は、当初は高葛藤であったり、容易に合意ができない状態にあったりしたが、調停手続の過程等で感情的な対立が解消され、親権の共同行使をすることができる関係を築くことができるようになった場合とされている。
 しかしながら、感情的な対立が解消されているのであれば、上記と同様調停委員の説明により、共同親権に合意していると考えられ、共同親権を拒否しているにもかかわらず、感情的な対立が解消されているという場合が想定できない。
(7)以上より、いずれも適切な例とはいえず、再考が必要である。
5 高葛藤の場合が「父母が共同して親権を行うことが困難」と言えるのではないか
 「家庭裁判所が親権者の指定又は変更についての判断をする際の考慮要素」の12個目の項目(12頁下段)では、高葛藤である場合で、父母が共同して親権を行うことが困難な場合はどのような場合かという問いに対して、感情的な対立があっても、相互の人格を尊重し、子の養育のために最低限のやり取りができるケースでは共同親権とすることがあり得るとする。
 しかしながら、そもそも、共同親権について合意がない場合である前提を失念している。上記のとおり、調停において、調停委員が共同親権について説明し、最低限のやりとりをすることを伝えた上で、最低限のやりとりもしたくないために共同親権になることに合意しないのであるから、当該ケースを想定することができない。
 端的に、高葛藤であれば全ての事案で「父母が共同して親権を行うことが困難」であるという前提に立つべきである。
 高葛藤であっても共同親権と定めることがあり得るという記載のままでは、高葛藤によって親権の共同行使は無理だと主張する当事者に対して、「それでも、こうすればできるのではないか」などと無理を強いる運用に繋がりかねないことを強く危惧する。
6 第三者に不測の不利益を与える恐れがある
 「親権の行使方法等」の5つ目の項目(17頁下段)では、新民法824条の2第1項、2項の例外事由が無く、一方の親が他方に無断で子を代理した場合について、「共同の名義」で代理権を行使した場合は民法第825条で救済されるが、「単独の名義」で代理権を行使した場合、相手方に父母の一方に権限があると信ずべき正当な理由があるときは、民法第110条により保護されるとする。
 しかしながら、例えば、預金の解約は財産の管理として共同親権の対象となると思われるが(パンフレット4頁)、同居親が単独名義で行使した場合、銀行等は共同親権か否か知り得る立場にないにも関わらず、正当な理由がない限り、保護されない。すなわち、払い戻しをしたにもかかわらず、預金の請求をされる恐れがある。この点について、次項の項目で親権行使の相手方は「情報を知り得る立場にはない」としており、知らなければ民法第110条の「正当な事由がある」と考えるべきであり、その旨を記載する必要があると考えられる。
7 損害賠償義務の記載はDⅤ被害者に不当な不安を与える
 「親権の行使方法等」の8つ目の項目(18頁後段)では、子の転居等を新民法824条の2第1項、2項の例外事由がないにも関わらず、一方の親が他方に無断で行った場合について、親権者の指定、親権喪失、親権停止の審判で考慮される可能性があるだけではなく、損害賠償義務が生じることがあるなどと記載する。また、次項において、急迫の事情としてDⅤや虐待からの避難が上げられる。
 しかしながら、DⅤや虐待の証明は容易ではない。本改正が当事者に立証責任を負わせるものではないと解説されているものの(4頁下段~5頁上段)、不法行為法においては、やはり、DVや虐待の立証責任を負わされる可能性があり、DⅤや虐待の被害者に強い不安を与える。
 このような解説がされれば、法律相談において、弁護士はDV被害者に対して、「子連れ別居は損害賠償義務が生じる可能性がある」との説明を強いられ、DV被害者の退避を躊躇させ、DV被害を拡大させる悪しき解説と言わざるを得ない。
 人格尊重・協力義務違反の場合については、不法行為責任について言及がなく、前後の解説で整合性もない。
 そもそも、損害賠償義務等が生じうるというのはオブザーバーとして参加している最高裁が例を挙げたのか不明である。議事概要を見る限りでは全く見当たらず、裁判例の検討もなく解説に入れているとすれば、検討が不十分と言わざるを得ない。
 以上より、「また、他方の親権に対する侵害の程度によっては、損害賠償義務等が生ずることもあり得る。」との一文を削除することを強く求める。
8 急迫の事情に当たるかが不明である
 「親権の行使方法等」の9つ目の項目(19頁)では、「子の利益のために急迫の事情があるとき」とはどのような場合かという問いに対して、「父母の協議や家庭裁判所の手続を経ていては、適時に親権を行使することができず、その結果として、子の利益を害するおそれがあるような場合をいう。」とされ、DVや児童虐待からの避難、子の緊急の医療行為、入学手続きの期限が迫っている場合が挙げられ、父母間の深刻な意見対立等により、父母の協議や家庭裁判所の手続きを経ていては適時の親権行使ができないというような事情がある場合も当たり得ると回答する。
 しかしながら、具体例も3つしか挙げられておらず、範囲が不明と言わざるを得ない。まず、我々実務家からすれば、法律上の「急迫」とは全く異なる概念であり、具体的な定義が無ければ実務の対応において混乱が生じることになる。これでは、参議院附帯決議で定められた「具体的な類型等」が挙げられたとは言えない。
 特に、立法過程において医療関係者から懸念が寄せられた、「急迫の事情」にあたり得る医療行為とは何か不明であるという問題意識に応える具体的な例示が全くないのは大きな問題である。「子に緊急の医療行為を受けさせる必要がある場合」のみでは、およそ医療関係者に対するガイドラインたり得ない。
 したがって、更なる検討が必要である。
9 日常の行為の範囲が不明である
 「親権の行使方法等」10個目の項目(20頁上段)では、「監護及び教育に関する日常の行為」について、日々の生活の中で生ずる身上監護に関する行為で、子に対して重大な影響を与えないとしている。
 しかしながら、パンフレットと異なって、例示もなく、全く範囲が不明と言わざるを得ない。これでは、参議院の附帯決議で定められた「具体的な類型等」が挙げられたとは言えない。実務では、どのような場合が「重大な影響」があるといえるのかが争われるにもかかわらず、これについての具体的な説明がない。
 医療行為については、「重大な影響を与えない」といえるかどうかによって、親権の共同行使の必要性が分かれる以上、どのような医療行為が「重大な影響を与える」といえるのかについてのわかりやすいガイドラインが必要である。これがなければ現場は慎重になり、訴えられないように萎縮せざるを得なくなり、「念のため共同親権であれば父母双方の同意が必要」という運用をせざるを得なくなることが予想される。これによって子が必要な医療を受ける機会を逃してしまうことを強く懸念する。このような事態を避けるために、明確なガイドラインたり得る記載が必要である。したがって、少なくともパンフレットで上げた例は記載すべきであり、更なる検討が必要である。
10 学校から審判の示唆をすることが適切か議論の余地がある
 「親権の行使方法等」19個目の項目(24頁中段)では、学校教育における「監護及び教育に関する日常の行為」に該当しない行為について、それぞれの親権者から矛盾する意思が示された場合の学校の対応について、特定事項に関する親権行使者の指定の審判等の方法を教示する方法が考えられるなどと回答する。
 しかしながら、一般的な審判までに要する期間の長さからすれば、多くの場合が、学校が審判の方法を教示したとしても、審判を待っていては必要な対応を決めるのに間に合わないと思われるのであって、このような方法は適切な方法とは考え難く、適切な行動とは言い難い。
 このような記載はいたずらに学校現場に混乱を生じさせ、ひいては子の利益を損なう懸念がある。

第2 行政手続・支援編
1 弁護士に押し付けることは不適切である
 「総論」の3つめの項目(2頁下段)では、学校や教育委員会、医療機関等は、親権者同士の意見が食い違っている場合のように、個別・具体的な事案の対応において困った場合には、どこに相談したらよいかという問いに対して、個別・具体的な事案については、弁護士に相談する等されたいと回答する。
 しかしながら、「急迫の事情」や「日常の行為」について、ほとんど具体的な例が示せていないにもかかわらず、弁護士に相談されたとしても、弁護士の側でも明確な回答をしようがない。
2 高等学校等就学支援金については親権者との定めを改めるべきである。
 「学校関係」の5つ目の項目(8頁下段)では高等学校等就学支援金について、離婚後の父母双方を親権者と定めた場合、支援の認定においては、父母双方の収入を考慮することになるかとの問いに、DVや児童虐待等により接触すると危害が及び可能性がある場合、失踪していて連絡が取れない場合等以外は、父母双方の収入を考慮するとしている。 
 しかしながら、DVや児童虐待の場合に、連絡が取れないといえなくても、現行法においては、支援金を受けられていた世帯が、共同親権となることにより支援金を受けられなくなる。そもそも、DVや児童虐待の場合に共同親権となっていること自体が極めて問題である。また、文科省から、「また、高等学校等就学支援金については、親権者等の収入に基づき受給資格の認定等を行っておりますが、共同親権の制度導入後も支援を必要としている高校生等にしっかりと支援が届けられるよう、取り扱いにおいて配慮すべき事項等について検討してまいりたいと考えております。」(令和6年7月8日議事概要)としている。にもかかわらず、これまで受けられていた世帯が支援金を受けられなくなることは、支援が必要な世帯が支援金を受けられなくなることを意味しており、全く意見が反映されていない。法の改正も含んだ検討を進めるべきである。

第3 最後に
 以上見てきたとおり、共同親権とすると、「日常の行為」や「急迫の事情」が曖昧であり、同居親の親権の行使が強く制限され、学校や第三者、特に医療機関が、単独での親権行使を認めることに躊躇する可能性があり、子の利益に重大な影響を与える。したがって、本改正が子の利益である以上、共同親権とするのは、十分な協議、やり取りが可能な父母に限定すべきである。
 特に父母の合意が無いにも関わらず、裁判所が強制的に共同親権とすべき場合については、真に共同して親権を行使できる父母かどうかを見極め、適切に判断すべきである。
 よって、自由法曹団としては、共同親権Q&A形式の解説資料を再検討し、必要な補充訂正をし、さらなる充実を求めるものである。

以上

 

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