2026年7月付、「学習指導要領改訂に関する意見書」を発表しました
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学習指導要領改訂に関する意見書
はじめに
自由法曹団は、基本的人権をまもり民主主義を強め、平和で独立した民主日本の実現に寄与することを目的として、1921年に設立された、現在全国で約2000名の弁護士を擁する任意団体である。自由法曹団は、これまでも法律家の観点から教育に関する問題に取り組んできた。
現在、文科省中央教育審議会では、次期学習指導要領への改訂に向けて、検討が進められている。本意見書は、憲法を中心とする法的観点から、現行学習指導要領(主として社会科)の不十分な点を明らかにして、次期学習指導要領に盛り込むべき観点を指摘するものである。
学習指導要領について、文科省は「法的拘束力」を有するとの立場であるが、これに対しては教育現場の自主性や柔軟性を損ない、ひいては子どもの学習権保障の見地から問題であると強く批判されている。仮に学習指導要領に法的拘束力を認める立場に立った場合でも、以下の点が銘記されなければならない。
即ち、学習指導要領はあくまで最小限の大綱的基準を定めたものあり、定められた内容及び方法を超える教育をすることは明確に禁じられていない限り、許容される(学習指導要領の基準性)。また、学習指導要領の記述の仕方も様々なものがあるところ、その一言一句が拘束力を持つと解することは困難であり、「理念や方向性のみが示されていると見られる部分、抽象的ないし多義的で様々な異なる解釈や多様な実践がいずれも成り立ち得るような部分は、指導の例を挙げるにとどまる部分等は、法規たり得ないか、具体的にどのような内容または方法の教育とするかについて、その大枠を逸脱しない限り、教育を実践する者の広い裁量にゆだねられており、少なくとも学習指導要領に違反したと断ずるためには、そのような広い裁量の範囲をも逸脱していることが認められなければならない」(七生養護学校「こころとからだの学習」裁判・東京高裁2011(平成23)年9月16日判決)。
学習指導要領改訂にあたっても、この「教育を実践する者の広い裁量」が確保されなければならない。
現在、学習指導要領は教科書検定や学校における指導内容に事実上大きな影響を与えている。学習指導要領に憲法についての正しい理解に基づく記述がなされていることは、子どもの学習権保障の見地から極めて重要である。その観点で本意見書を参考にしていただけると幸いである。
本意見書は第1で、社会科の「目標、見方・考え方」等の総論について検討し、第2で個別論点(憲法、平和主義、人権、労働者の権利、性教育)について論じる。
第1 「社会・地理歴史・公民における目標、見方・考え方 高次の資質能力のあり方等」について
1 中教審社会・地理歴史・公民ワーキンググループの論点設定
(1)中教審社会・地理歴史・公民ワーキンググループ資料「社会・地理歴史・公民における目標、見方・考え方」
「高次の資質能力の在り方等について」で、ワーキンググループ(WG)は次の3つの論点を提示した。その後のWGで各論点についての方向が示された。以下の検討は、2026年1月28日付WG資料に基づいているが、WGの議論は続いており、学習指導要領案にいたるまでに変化することもありうる。
論点1 目標の在り方について
基本的な考え方では、「学問的な知見に基づく社会的事象に関する概念を理解し、確かな情報に基づき、適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に着けるとともに、資料や概念に基づき、課題発見・解決できる力や自らの考えを批判的に捉え直す力を養うことによって民主的で持続可能な社会の創り手を育成する」などとしている。
論点2 見方・考え方の在り方について
各科目・分野の見方・考え方について、その構成の在り方や内容についてどのような見直しを行うべきかというのが、論点2の設定であった。1月28日資料では、本質的な意義を端的に示す観点から「対象」と抽象的な「視点」と「方法」を示すこととし、「高次の資質・能力」においては、具体的な「視点」と「方法」は一体的に記載することとするとある。
論点3 高次の資質・能力のあり方について
各分野・科目における高次の資質・能力の在り方についてどのように考えるか。
1月28日資料では、「①社会科の目標や本質的な意義(見方・考え方)から演繹的に導かれる側面 ②個別の学習内容をより深く習得するために帰納的に導かれる側面の両面から検討を行う。」とあり、総論的整理も検討途中である。
2025年12月17日時点のWGの論点提示では、論点1「目標」、論点2「見方・考え方の在り方について」、論点3「高次の資質・能力のあり方」とされていた。しかし、2026年5月13日のWGに示された同年2月2日WG資料では、「高次の資質・能力」という用語が学校現場に単に「レベルの高い高度な資質・能力」としてとらえられるという懸念があり、学習指導要領を告示する段階ではさらに適切な用語とするか、または告示文の中ではあえて用いないという考えも提示された。同じく2月2日WGの資料では、教科書会社から「そうした高次の資質・能力をつかみやすい教科書は具体的にどのようなものかイメージが湧きにくいという声もあることが紹介されている。自由法曹団としても、社会・地理歴史・公民WGグループの検討方向で「目標」「見方・考え方」「高次の資質能力等の在り方について」という論点整理がわかりにくいとの観点を持っていた。同WGグループで紹介された意見は、団の観点とも共通するものである。
(2)WGの論点整理では、社会科について見直しを必要とする理由が示されていない。ただ、2025年12月17日WG資料 各論の論点2において、教育課程企画特別部会の論点整理において、見方・考え方の側面①「各教科の学びの深まり」は、「中核的な概念等」(高次の資質・能力)による資質・能力の構造化によっていっそう具体的に示し、「見方・考え方」自体は、側面②「各教科を学ぶ本質的な意義の中核」に焦点化してより端的に示していくこととする方向で検討すべきこととされたとあり、教育企画特別部会の論点整理がすべての教科・分野を通じて見直しを要求する根拠となっている。そのため、引き続き社会・地理歴史・公民WGでも「目標」「見方・考え方」「高次の資質・能力」という観点での議論が続くが、2月2日のWGの資料をもって5月13日の検討資料に提示されたように学校現場や教科書会社から、特に「高次の見方・考え方」とは何かという観点からの意見が寄せられているようである。
学習指導要領は文科省の立場によれば現場での授業や教科書作成について、少なくとも大綱的基準としての拘束力があるとされており、そうであるならば、その策定・改定には何らかの立法事実が必要である。それが不明確なまま改定を議論するのは、教育現場および児童生徒と関係なく学習の目標と内容が改定されることであり、民主主義国家の政策立案としては問題がある。一方、政党状況が複雑化するなかで、学習指導要領が政治的宣伝やかけひきの道具となることは望ましくない。政治からの介入を防ぐためにも、学習指導要領全体についての改定の必要性、特に社会科について改定を必要とする理由を明らかにすべきである。
2 「中核的な概念」と「高次の資質・能力」
同論点「1.前提」で従前の指導要領で見方・考え方は側面①各教科等の学びの深まりを示す側面②各教科等を学ぶ本質的な意義の中核を示すとして説明されてきた。これを教育課程企画特別部会の論点整理において、側面①は「中核的な概念等」(高次の資質・能力)による資質・能力の構造化によっていっそう具体的に示し、「見方・考え方」自体は側面②「各教科を学ぶ本質的な意義の中核」に焦点化してより端的に示していく方向で検討すべきこととされたとある。WGの検討もこの論点整理に従っているが、何をどう変える提起なのか不明である。
12月17日WG資料では、総則・評価特別部会での議論を紹介し、その注で「論点整理では『知識及び技能』の深まりを示すものを『中核的な概念の深い理解』、『思考力、判断力、表現力等』の深まりを示すものを『複雑な課題の解決』と仮称し、それらをまとめて『中核的な概念等』と呼んでいたが、その後の総則・評価部会において、新たな用語が増えることを避けるため、現行でも用いられている言葉として「高次の資質・能力」とよぶこととされた。」とある。WGの検討もこの論点整理に従っているが、前記のように学校現場や教科書会社からはわかりにくいという意見が出ているようであり、このような意見を無視するべきではない。
同12月17日WG資料では、論点3の説明に教育課程企画特別部会論点整理p12を引用し、知識及び技能と思考力、判断力、表現力等の関係が図式化した説明をしている。その例として知識及び技能では比例・反比例の理解、一次方程式の解き方などがあげられ、思考力、判断力、表現力等では、二つの数量の変化・対応関係を見出し、式やグラフを用いて考察するや現実の事象にある二つの数量の関係を関数と仮定して処理したり、その結果に基づいて判断するという説明があがっている。この関係からすると知識・技能はその教科・分野の基礎的な学習項目であり、思考力、判断力、表現力等とは知識の応用のことを言っているとも考えられる。それであれば、そのように整理すればいいのであって、項目の呼称と整理が大変わかりにくく、教育現場からも疑問がでるのではないかと思う。教育学的知見として共有されている概念であったとしても、パブリックコメントを求めるのであれば、一般人の理解可能な表現にすべきである。教育の政治からの独立は重要であるが、教育無償化が進行している現在、一部学界にのみ通じる議論で学習指導要領を改定することは、国民に対し閉ざされた議論で小中高すべての教育の内容を決めようとしているという批判を招き、政治の介入をもたらす危険がある。総選挙後の情勢の中で、自民・維新+参政党が日本人ファースト、安全保障を考えた教育内容を要求する可能性があり、特に社会科では注意が必要である。
3 各論点の各論的問題点
(1)論点1 社会科のあり方
1月23日WG論点整理では基本的な考え方について
「学問的な知見に基づく社会的事象に関する概念を理解し、確かな情報に基づき適切かつ効果的に調べまとめる技能を身につける」
「資料や概念に基づき、課題発見・解決できる力や自らの考えを批判的に捉え直す力を養うことによって民主的で持続可能な社会の創り手を育成する。」
としている。
総論的には賛成できるが、SNSなど現代社会では何が確かな情報なのか、概念規定も複数ありうるので、資料の正確性をどう担保するかを併せて考えるべきである。「自らの考えを批判的に捉えなおす力を養う」ことは必要であり、賛成である。
柱書では「教育基本法等の理念を踏まえつつ」としているが、特に社会科では憲法・教育基本法の理念を踏まえつつとしてほしいところである。教育基本法のどこを理念とするかが問題であり、教育目標の一部を入れると、愛国心強調になるので注意が必要である。
現行の「グローバル化する国際社会」と言う記載について、「持続可能な社会の形成」に置き換える提案がされている。(中学校・分野別目標柱書、高校地理歴史科目標柱書、高校公民科柱書も同様)
グローバリズムがアメリカ資本の世界的進出の代名詞のようになっている現状では、これを「持続可能な社会の形成」に置き換えていくことは賛成である。ただし、反グローバリズムをいう政治勢力には、「日本人ファースト」のために反グローバリズムを唱える集団もあるので、単純な反グローバリズムを中教審が支持しているかのような表現をしない方がいい。
論点整理は「持続可能な社会の形成に向けて」主体的かつ協働的に生きるについて、平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力とある。単なる触れ込みに終わらないように、各項目でこの観点が活かされなければならない。
(2)教育の目標に「愛国心」を掲げるべきでない
ア 現行学習指導要領
現行の学習指導要領では、社会科の目標に「我が国の国土や歴史に対する愛情,国民主権を担う公民として,自国を愛し、その平和と繁栄を図ることや,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める」として、「自国を愛し」との文言が記載されている。各科目の目標にも同様の記載がなされている。
イ 「愛国心」を教育目標に掲げることは不適切である。
当然であるが、人が何を愛するか、愛着を持つかは個人の思想良心の自由の範囲であって自由である。このことは未成年者であっても同様である。愛国心を持つことを殊更に押し付けることがあれば、それは思想良心の自由を侵害することになる。
教育活動において「自国を愛する」ことが目標に設定されると、愛国心を持っていない者は教育成果を十分に獲得できていない者とされかねない。また、「自国を愛する」との目標がどの程度達成できているのか評価することにすらつながりかねない。愛国心を持っている人であっても、その愛国心の心情やあり方は人それぞれであって特定の定義づけや方向性を強制できるもののではない。教育活動として一定の愛国心を持つことを要求することになれば、特定の方向付けをされた愛国心を持つように誘導される危険がある。さらに、学校には、外国籍の子など、日本以外の国にルーツを持つ児童・生徒もいる中で、日本に対する愛国心を持つことを目標にされることは個人の尊厳(アイデンティティ)との関係でも問題が生じうる。愛国心を持つことを教育の目標に掲げることは不適切である。
ウ 教育基本法の趣旨にも反する
学習指導要領の教育の目標に「自国を愛し」との文言が記載されたのは、2006年に改訂された教育基本法の教育の目標に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」(2条5号)が記載されたためである。
しかし、教育基本法改訂の国会審議では、政府は愛国心を教育することについては極めて慎重な態度を示していた。
国会審議においては,戦前のように国を愛する心を強制するのではないか等,愛国心教育についての危惧が質問に立った議員から再三にわたり表明されていた。
これに対して政府は,国を愛する態度の養い方として,「歴史的な事実を教える,積み重ねることによって,今先生のおっしゃったような,結果的に国を愛する態度が養われてくると。」(平成18年11月22日伊吹文明文部科学大臣答弁)等,愛国心そのものを教えるのではく、事実を教えることを積み重ねることで結果的に国を愛する態度を養う旨を再三にわたり答弁していた。
さらに政府は,「具体的に愛せ愛せと言えば愛するかというと,そういうものではないわけでございますので,そういった教え方をするようなことはないと思っております。また,そういったことのないように指導もしていくつもりでございます。」(平成18年6月5日小坂憲次文部科学大臣答弁)として,愛国心そのものを教え込むことについては,否定的な見解を表明していた。
教基法2条5号の国を愛する態度を溜養することの意味については、当時の安倍晋三内閣総理大臣 が次のとおり答弁していた(衆議院教育基本法に関する特別委員会2006年 6月5日)。「国を愛する態度を涵養していく、あるいは国を愛する心でもいいんでしょうけれども、それはどういうことかといえば、……(中略)……それは人それぞれなんだろうというふうに思いますし、その発露の仕方はいろいろあるんだろうと、このように思うわけでございます。」
愛国心は人それぞれであって、教育活動の目標に掲げて一定の方向に誘導していくべきものではない。教育基本法はこの点を踏まえて、「我が国と強度を愛する・・・態度を養うこと」と記載し、心の在り方そのものではなく「態度」という外部に現れる要素を、教えるのでなく「養う」(涵養する)との記載にしたというのが政府の説明であった。
現行学習指導要領はこの点を捨象し、「自国を愛し・・・自覚などを深める」と、心の在り方そのものを教育の対象としてしまいかねない記載をしている。これは、教育基本法の趣旨にも反する記載である。
よって、教育目標からこの「自国を愛し」との記載を削除すべきである。
(3)知識および技能
WGは、知識の概念としての習得や深い意味理解を促す観点から「社会的事象に関する概念の理解を重視する」方向で見直すとしている。12月17日WG資料の注では「ここでの概念の理解とは、学習する知識を統合して、到達する理解をいう。すなわち指導における単元(内容のまとまり)の知識の獲得目標となるもの」とある。何を言わんとするのかわかりにくい。例えば議会制民主主義という概念を理解するのに、身近な合議体や選挙の経験から議会制民主主義の合理性や必要性を理解するなどと意図するところを例示すべきである。
高校段階について収集した情報の「妥当性を吟味する観点」を入れることが検討されている。SNS情報のことを考えれば賛成である。
(4)思考力 判断力 表現力
「自らの考えを客観的に捉え直す力の観点を追記する方向で見直してはどうか。」について、方向としては主権者教育でもめざしている観点であり必要である。
(5)学びに向かう力、人間性など
「学びの主体的な調整」とは何か。わかりにくい。
(6)教科・分野別目標のイメージ
中学校 分野別目標のイメージで現行指導要領の「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の国土や歴史に対する愛情、国民主権を担う公民として自国を愛し、その平和や繁栄を図ることや、他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚を深める。」は基本的に維持されている。
地理的分野では、「世界の諸地域の多様な生活文化を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深める。」として、世界の多様な生活文化の尊重が強められた。
しかし、歴史的分野では「国民としての自覚、国家及び社会ならびに文化の発展や人々の生活向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を尊重することの大切さについて自覚などを深め、国際協調の精神を養う。」とあり、人物中心の歴史に傾く可能性がある。社会構造の歴史的変化の観点が薄まり、古代社会、封建社会の構造的問題点を無視して、支配者中心の史観にならないかという懸念がある。
公民的分野で「国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ることや各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。」は、高校地理歴史科・公民科の目標にすでに盛り込まれているが、中学社会科の目標にも加える提案がされている。ウクライナ・ガザ・べネズエラ・イラン問題があるなかで賛成である。
4 論点2 社会科の見方・考え方の在り方
WG資料は、新たな見方・考え方について、側面2の「各教科を学ぶ本質的な意義」と言う観点を踏まえ、各分野・科目の本質を示す事項に焦点化して端的に示す。
従前の見方・考え方で示していた側面①の「各教科等の学びの深まり」を促す事項については高次の資質・能力の中において構造化の中で内容に即して具体的に示す。分野・科目間の統一はしない。必要に応じてそれぞれの「見方・考え方」を相互に参照する。
としている。
5 論点3 社会科等の高次の資質能力のあり方について
公民的分野の「知識及び技能」
(1)人間の尊重と日本国憲法の基本原則
同項(ウ)「日本国憲法が基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本的原則としていること」と(エ)日本国および日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為が並列されている。象徴天皇制も国事行為も憲法の定めるところであって、天皇制が日本国憲法によらず所与の制度であるかのような印象を与えるのは正しくない。
(2)民主政治と政治参加
国民主権、民主主義、基本的人権の尊重は日本国憲法に発することを基本に、政治は国民の生
活と人権を発展させるためにあることを掲げた上、現代社会に起こる対立と合意、競争と格差是正、個人の尊重と公共の福祉をどう調和的に進めるのかという提起をしている。現在ある制度の理解と民主主義に則った施策や立法が必要であることを目標とすべきである。
第2 憲法について
1 憲法教育の重要性
(1)立憲主義に基づく憲法の理解
憲法は、国家権力を縛り、国民の権利・自由を保障するために存在する(立憲主義)。
現代社会において、人権が守られ、健全な民主主義が機能するためには、主権者である国民自身が「憲法とは何か」、「なぜ憲法が必要なのか」ということを理解している必要がある。
多数派の論理の名の下に、公権力の行為によって少数者の人権が侵害される危険性は常に存在する以上、憲法に関する理解は、個人が自身の自由と権利を守るために不可欠なものである。
しかし、現在、多くの国民にとって憲法は学校の教科書の中にあった遠い存在にすぎず、現実の社会生活や政治参加において、憲法を使うという感覚は希薄であるといわざるをえない。
(2)不十分な主権者教育
2016年に選挙権年齢が18歳に引き下げられ、主権者教育の重要性が唱えられてから約10年が経過した。しかし、主権者教育が選挙等の制度に関する学習に偏重し、主権者の根幹にある憲法に関する理解が乏しいことは否めない。選挙制度の理解や投票はもちろん重要だが、主権者であれば、政治や社会問題といった実体面の理解も必要である。
現実の政治や行政のあり方に対し、批判的な思考で臨み、おかしいと感じたらおかしいと声を上げる感性やスキルを身につけることこそが、人権保障や民主主義の維持・発展につながるのである。
日本に民主主義を根付かせ、維持・発展させるためには、市民一人ひとりが憲法を理解し、活用できるようになる教育が不可欠である。
2 現行学習指導要領の記述の問題点
現在の小学校・中学校・高等学校の学習指導要領やその解説における憲法に関する記述には、以下のように不十分な点が多く存在する。
(1)大日本帝国憲法の評価の問題
中学校や高校の社会科目の学習指導要領においては、大日本帝国憲法の制定をもって「立憲制の国家が成立」したとか、「アジアで唯一の立憲制の国家」になったなどいった記述がある。
しかし、大日本帝国憲法は、主権が天皇にあるため神権主義的な色彩が極めて強く、国民の権利は「法律の範囲内」でしか認められないという、外見的立憲主義にとどまるものであった。実質的に権力を制限し人権を保障するという近代立憲主義の要請を満たしていたとは言い難い。
大日本帝国憲法を手放しに「立憲制」と評価することは、立憲主義の本質的な理解を妨げ、戦前の体制を正当化しかねない。
大日本帝国憲法については、形式的な制度の成立だけでなく、その実質的な内容や限界、そして近代立憲主義に基づく日本国憲法との違いを、明確に教える必要がある。
(2)天皇に関する教育の過度な重視
小学校社会科(第6学年)において、憲法学習の記述の順序は従前から「国家の理想」→「天皇の地位」→「国民としての権利及び義務」とされており、最も重要な個人の尊重や人権よりも、天皇に関する指導が優先されるかのような記載となっている。国民主権を基本原理とする日本国憲法の教育においては、「国民としての権利及び義務」が優先されるべきことは明らかである。
また、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」との記載は、日本国憲法や国民主権を当然の前提とする主権者教育の観点から、疑問が残る。
天皇に関する教育を過度に重視することは、国民主権を基本原理とする日本国憲法の理解を妨げ、誤ったメッセージを生徒に与えかねない問題がある。
(3)立憲主義の説明のわかりにくさ
立憲主義について、中学校や高校(公共)の解説では、「法に基づく政治」「法の支配」といった言葉で説明されているが、「公権力を制限して人権を守る」という立憲主義の核心部分が端的に説明されておらず、非常に分かりづらい。
「法に基づく政治」という表現では、国民が法に従うことのみが強調されかねない。また、高校公民科の解説では、立憲主義の説明において、国家組織や政府の行為を規定する側面ばかりが記述され、なぜそれが必要なのかという目的意識がわかりづらい。
公権力を制約することで基本的人権を守る、という立憲主義の核心をより平易かつ明確に記述すべきである。
(4)表現の自由をはじめとした自由権の軽視
学習指導要領全体として、民主主義の根幹ともいうべき「表現の自由」等の自由権についての記述が極めて少ないのは、重大な欠陥である。
現行の学習指導要領では、小学校で自由権には触れられず、中学校の解説や高校(公共)でようやく触れられる程度であり、扱いは小さい。
小学校の段階から、自分の意見を表明することの重要性や、それが公権力によって妨げられないことの意義を、より具体的に学ぶべきである。
(5)憲法と政治参加の結びつきの弱さ
日本国憲法は、参政権(15条)や請願権(16条)、表現の自由(21条)など、国民の政治参加を保障する規定を置いている。
しかし、憲法と政治参加の結びつきについての記載は、現行学習指導要領全体を通しても、高校(公民)に「よりよい社会は,憲法の下,個人が議論に参加し,意見や利害の対立状況を調整して合意を形成することなどを通して築かれるものであることについて理解すること。」とあるのみであり、十分なものではない。
現行の学習指導要領では、政治参加にとっての憲法の保障の重要性を、具体的に理解することができない。
なお、憲法と政治参加の結びつきを含む政治教育においては、教育現場の萎縮が生じるため、政治的中立性を過度に強調すべきではない。生徒が政治参加を理解するためには、現実の具体的問題を学ぶことが不可欠だからである。
(6)違憲審査制の記述の薄さ
法令や公権力の行為が憲法に違反していないかをチェックする「違憲審査制」は、最高法規である日本国憲法の重要な機能である。
実際に人権が侵害されたとしても、救済を求める方法を知らなければ、人権は画餅に帰してしまう。
しかし、違憲審査制については、高校(政治・経済)の解説のみで触れられている。
現行の学習指導要領では、実際に憲法違反があった際にどう対処すべきか、裁判所がどのような役割を果たし得るのかという実践的な知識が身につかない。
3 改善の方向性
上記の問題点を踏まえると、学習指導要領は以下の方向性で改善すべきである。
まず、憲法は国民が守るべき道徳規範ではなく、公権力を制約し国民の権利を守るという立憲主義の意義を、小学校段階から分かりやすい言葉や比喩を用いて教えるべきである。その上で、大日本帝国憲法と日本国憲法を安易に連続したものとして扱うのではなく、その根本的な原理の違いなどを明確に記述すべきである。
また、学習指導要領の記載順序を見直し、「天皇」偏重の記述から、「基本的人権」を最優先とする構成へと改めるべきである。特に、民主主義を支える基盤となる「表現の自由」や憲法と政治参加の結びつきについては、現代社会における意義を含めて手厚く扱う必要がある。
そして、憲法違反と思われる事態に直面した際、どのような手段をとることができるのかといった観点から、実際の違憲判決なども紹介しつつ、違憲審査制の仕組みも実践的に取り上げる必要がある。
この点、主権者教育に関連して、7月15日の社会・地理歴史・公民ワーキンググループで提示された「とりまとめ案」において、指導上の留意事項として「教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で児童生徒を指導すること。」との記述がなされている。
しかし、主権者教育は、単に政治の制度や仕組みの知識を習得させるだけでなく、児童・生徒自身が主体的に政策選択をなしうる力量を獲得することが目的である。したがって、教員には、異なる見解のなかで、表面的な「中立」を堅持して、児童・生徒を政治問題に触れさせないようにするのではなく、むしろ、異なる見解に関する資料を積極的に提示するなど、多様な意見が交わされる自由な空間を作り出すことが求められる。そのような空間をつくるために、教員には様々な指導上の工夫が期待される。例えば、教員が、論争的課題において自らの見解も一つの意見として提示し、検討や批判の対象と位置づけ、児童・生徒に自由かつ自発的な議論を促す指導は、児童・生徒の学習権を保障するためにも当然に行われるべき指導である。児童・生徒に議論を呼びかけながら、教員による見解の表明を許さないとすると、児童・生徒との信頼関係を築けず、人格的接触の下に営まれる教育それ自体が成立しない事態を招きかねない。教員自身が意見を述べることすら許されない授業の雰囲気の中で、生徒間の自由な発言による価値の探求という目的が達成されるはずがない。上記の「とりまとめ案」の記述は削除されるべきである。
4 平和主義について
(1)現行学習指導要領における平和主義の記述
日本の学習指導要領における「平和主義」の扱いは、小学校から高校まで段階的に深化するように構成されている。
教育基本法第1条において、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」が学校教育の目的として掲げられており、小中高の学習指導要領(社会科)においても、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成という点がまず掲げられている。
そのうえで具体的な内容を見ると、小学校では、国際連合への協力や他国への援助を通じた日本の国際貢献について理解し(第6学年の内容)、平和を願う日本人としての自覚を育むこと(第6学年の目標)に主眼が置かれている。
中学校では、日本国憲法の平和主義を基礎として、日本の国際社会での具体的な役割について多角的に考察、構想し、表現すること等に主眼が置かれている。
さらに高等学校においては、国際平和と人類の福祉に寄与しようとする自覚を深めることに向けて、現代の諸課題を追究したり解決に向けて構想したりする活動を通して、国際平和と人類の福祉に寄与する日本の役割について多面的・多角的に考察、構想し、表現することを身に付けることができるよう指導することが求められている。
(2)現行の記載を維持し、その趣旨を発展させるべき
これらの記述は、日本国憲法第9条が目指す「武力によらない平和構築」や「対話による紛争解決」を子どもたちが主体的に学ぶための重要な法的・教育的足がかりであり、その文言自体は積極的な意義を有するものとして評価できる。
当団はこれまで、学習指導要領の改定や特定の教科書(育鵬社版など)の採択問題において、憲法の基本原則である国民主権・基本的人権・平和主義の形骸化や、「愛国心」の押し付けによる思想・良心の自由の侵害に対して強く警鐘を鳴らし、反対運動を展開してきた。
現在の教育現場を巡る最大の危機は、現行学習指導要領に書かれた「平和主義」や「国際貢献」の文言が、政府の進める軍事化政策(安保法制や抑止力論の肯定)の文脈に沿って歪曲・安易に矮小化される恐れがある点である。一部の教科書等で見られるように、憲法9条の精神である戦争放棄・戦力不保持を「理想論」として退け、例外であるはずの自衛隊の存在や日米安保条約の「抑止力」ばかりを過度に強調するのであれば、子どもたちに「力による平和(武力的対抗)」を無批判に受け入れさせることにつながりかねない。
世界情勢が不安定化している今だからこそ、求められるのは「軍事力による抑止」の肯定ではなく、非暴力によって戦争の連鎖を断ち切るという、戦後日本の歩みが証明してきた平和主義の理念を正しく伝えることである。
以上の観点から、現行学習指導要領における平和主義に関する記載は、今後も断固として維持すべきものであり、国家の軍事化や排他的なナショナリズムの潮流に合わせて後退あるいは改変させることは断じて許されない。
世界情勢が不安定化する中、平和主義に基づいて国際関係や問題解決を考える視点はますます大切となっている。その趣旨を真に「発展」させるためには、単なる条文の暗記にとどまらず、「力による抑止」の相対化と平和構築の多角的な考察を促す教育内容の確保が不可欠である。
具体的には、自衛隊や日米安保を唯一の安全保障策として教えるのではなく、非軍事の国際貢献や民衆レベルの連帯が果たしてきた役割について、子どもたちが多面的・多角的に考察・構想できるようにすることである。日本が戦後一貫して「一人も殺さず、一人も殺されず」に歩んできた平和主義の実績にこそ光を当てるべきである。
激動する国際情勢のなかにあって、次代の社会の形成者たる子どもたちが、憲法の掲げる恒久平和主義の理念を正しく学び 、対話と協調による問題解決の視点を養うことができるよう 、現行学習指導要領の平和主義に関する記載を堅持し 、その趣旨を真に発展させる改訂を行うことを強く求めるものである 。
第3 人権について
1 人権に関する教育の重要性
人権は、人々が人権尊重の理念を深く理解し、それを実践することで社会に根付いていくものである。教育基本法及び現行の学習指導要領では、教育の目標は「人格の完成を目指し,平和で民主 的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」国民の育成とされている。
人権教育は国際社会においても重要な課題と位置付けられている。国連は以下の通り人権教育を定義づけている。
「人権教育には、人権という普遍的文化の構築するために行う あらゆる学習、教育、研修又は情報に関する取組が含まれる。」「人権教育とは、以下を育成する、生涯にわたるプロセスである。
(a) 知識及びスキル:人権について学び、日常生活で人権を行使するス キルを身に付ける。
(b) 姿勢:人権尊重の姿勢、価値観及び信念を進展又は強化させる。
(c) 行動:人権を擁護し、促進する行動をとる。」
(以上、国連人権教育のための世界計画・第4フェーズ(2020年~2024年の行動計画)
日本においても、2000年に人権教育及び人権啓発の推進に関する法律が制定され、「国民が、その発達段階に応じ、人権尊重の理念 に対する理解を深め、これを体得することができるよう」に行われなければならないとされた(3条)。また、2022年にこども基本法が制定され、こどもに関わる政策の基本理念として、「全てのこどもについて、個人として尊重され、その基本的人権が保障されるとともに、差別的取扱いを受けることがないようにすること」と定められた(3条1項)。さらに同法に基づき2023年12月に閣議決定された「こども大綱」では、「全てのこども・若者に対して、こども基本法の趣旨や内容について理解を深めるための情報提供や啓発を 行うとともに、こどもの権利条約の認知度を把握しつつその趣旨や内容についての普及啓発に民間団体等と連携して取り組むことにより、自らが権利の主体 であることを広く周知する」ことが定められている。
文科省においては、2004年に「人権教育の指導方法等の在り方について 〔第一次とりまとめ〕」を公表し、以降も第三次にわたる取りまとめを行うなど、人権教育を推進してきた。
2 現行の学習指導要領の問題点
前記のような、人権教育の重要性についての国際社会の共通理解や政府・文科省の推進の立場にもかかわらず、現行の学習指導要領には人権に関する記述は極めて限られている。
小学校では、「人権」を正面から取り上げた記述はほとんどない。
小学校第6学年の社会科において、憲法について「国民としての権利及び義務など国家や国民生活の基本を定めていることや,現在の我が国の民主政治は日本国憲法の基本的な考え方に基づいていることを理解する」とあるが、「国家や国民生活の基本」の一内容との位置づけにとどまっている。人権は個人の尊厳を確保するためのものであるにもかかわらず、「国家」や「国民生活」などという集団的な視点から人権の学習が始まるのは、人権が個人の幸福や自由を確保するものであり、子ども自身も権利主体であるという点を理解することが難しくなってしまう。
また、現行の学習指導要領では、人権についての学習の前に、小学校第1学年から、道徳の学習が始まっている。道徳の学習では、「節度・節制」(例えば第1学年の道徳教育では「わがままをしないで,規則正しい生活をすること」)、「規則の尊重」が扱われる。
人権について学習したり、権利感覚を身に付ける前に、まず我慢することや規則に従うことが強調されることで、人権意識が育まれることが阻害される懸念がある。
中学校社会科の公民分野の学習指導要領では人権についての記述がいくつかある。
例えば、公民科の目標において、「個人の尊厳と人権の尊重の意義、特に自由・権利と責任・義務との関係を広い視野から正しく認識し、民主主義、民主政治の意義」を学ぶとされている。しかし、そこで強調されているのは、「人間の尊重」との概念である。
例えば、以下のような記述である。
「(1)人間の尊重と日本国憲法の基本原理
対立と合意、効率と公正、個人の尊厳と法の支配、民主主義などに着目して、課題を追究したり解決したりする活動を通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 次のような知識を身に付けること
(ア)人間の尊重についての考え方を、基本的人権を中心に深め、法の意義を理解すること。」
「人間の尊重」は、小学校の学習指導要領の解説によると、道徳教育を貫く精神であり「生命の尊重,人格の尊重,基本的人権,思いやりの心」などとされる。
このような学習指導要領の記載は、人権が個人間の「対立」を生じさせるもので「解決」(調整)が必要であったり、「思いやりの心」をもって譲り合うことが必要であることなどが念頭に置かれていると思われる。
しかし、本来人権とは、権力の不当な介入から個人を守るための理念であり、他者への配慮や思いやりとは異なるものである。人権について主張をすることは、人権が保障されていない客観的状況や制度的問題を改善することで、主張した者だけでなく、同じ立場の他の者の人権状況も改善することにつながる。人権を主張することについて、他者との対立を生じさせたり、他者への配慮や思いやりが必要との教育は、児童・生徒が人権を矮小化して理解してしまう恐れがある。
高校の学習指導要領では、人権は、「公共的な空間における基本原理」の一内容として、「人間の尊厳と平等,個人の尊重,民主主義,法の支配,自由・権利と責任・義務など,公共的 な空間における基本的原理について理解すること」とされる(公共 内容)。そして、解説では、この項目は,個人の尊重,民主主義,法の支配,自由・権利と責任・義務など日本国憲法の基礎にある考え方の理解を基に,各人の意見や利害の対立を捉え,それを公平・公正に調整するための基本的原理を考察」する等とされている。ここでも、自由や人権が、「責任や義務」と対立的に位置付けられ、さらに人権の主張が個人間の意見や利害の対立として調整の対象とされている。これでは、人権の本質的な理解、権力の介入に対する権利であること、生まれながらに保障されるべきものであり、社会の構成員の配慮や思いやりによって保障されているものではないこと、人権を主張し、社会の状況や制度の改善を図ることは自己だけでなく他者の権利保障にもつながることなどを十分に理解することが困難と言わざるを得ない。
3 あるべき学習指導要領改善の方向性
現在、検討されている学習指導要領改訂の議論においても「人間の尊重」の概念が維持されてしまっている。例えば、中学校の社会科公民分野においては、記載される「知識・技能」の案として「人間の尊重についての考え方を、基本的人権を中心に深め」との現行の文言がそのまま検討されている。
国連が指摘している通り、知識やスキルだけではなく、子どもの価値観を発展させ、豊かな人権感覚に基づく行動をとることができるようになることを人権教育の主要な要素とすべきである。小学校の段階から、自己が権利の主体であることを理解し、実践できるようになることを目指し、学習の内容が検討されるべきである。そのために、意見表明権など子どもの権利を規定している、子どもの権利条約を学習指導要領でも明確に位置付けることが必須である。子どもの権利条約の学習を通じて、子どもたちが自分が権利の主体であることを理解することが期待される。
さらに、憲法の人権の正確な理解のために、他者への配慮や思いやりや義務を強調するではなく、権力の介入から個人の尊厳を守るためのものであるとの本質や、権利主張が他者の人権の保障にもつながることなどを理解させることが必要である。このような人権の理解にあたっては、特定の校則の是非について考える等、身近で具体的な課題を取り上げるなどの工夫が考えられる。
また、子どもたちが人権について深く理解し、実践するためには、社会科の学習だけではなく、すべての教科において人権尊重の理念が貫かれていなければならない。さらに、教職員の人権を含め、学校全体で人権が保障される運営がなされていることが必要である。
第4 労働者の権利について
1 労働者の権利の教育の重要性
(1)人権としてのワークルール
働くことは、多くの人が経験する人間の基本的な営みである。憲法で保障される「勤労の権利」は、単に働くことが保証されるだけではなく、法律で定められた最低限の基準を充たす労働環境が確保されること、言い換えれば「人間らしく働く」ことが保障されていなければならない。
これを保障するのが、憲法27条や同条を受けて制定された労働基本法をはじめとする労働者保護法制である。
ところが、現状ではまだこの「人間らしく働く」という労働環境が十分に保証されているとは言えない状況である。
厚生労働省が実施している総合労働相談には直近5年間、連続して年間120万件を超える労働相談が寄せられている。
精神障害による労災の年間の認定件数は、2014年、15年のころは500件前後であったが、10年間で増加を続け、2024年に1000件を超えた、ここ6年は請求件数、認定件数ともに過去最多を更新し続けている。多くの職場で、労使ともにワークルールについて適切な知識がないためトラブルが発生したり、労働者が追い詰められている状況が伺える。
ワークルールは多くの人にとって、とにかく身を守るために必要な知識。どんな権利があるのか、どんな働き方は理不尽なのか、おかしいと思ったときはどんな手段があるのか、などなど。
「働くことの大切さ」だけでは、「やりがい搾取」から身を守れない。
権利を守るために知識が必要。知識がなければ身を守れない。但し知識だけでも不十分。実際に使えるようにすることが必要。このスキルを学び身に着けることが将来の人権保障の大前提となる。
また、ワークルールの知識を身に着けていることは、持続可能な働き手を確保するとの経済の観点からも労働者の権利の学習は必要である。
ワークルール教育については、厚労省もモデル授業案を策定するなど推進している。日弁連は2017年にワークルール推進法(仮称)の制定を求める意見書を発表している。日本労働弁護団もワークルール教育推進法案を発表し、ワークルール教育の授業案を策定し公表している。超党派の非正規対策議連がワークルール推進法案の提出を準備している。学齢期からワークルールを学ぶことの必要性は、もはや異論がないところというべきである。
(2)ワークルール教育の不十分さ
ところが、現在の学校教育ではワークルール教育が十分になされているとはいえない状況である。
連合が行った20代の意識調査によると、ワークルールについて学習する機会があったという者は35.9%にとどまっている。厚労省や日本労働弁護団の授業案策定の取り組みなどで、以前よりもワークルール教育に取り組む実践例は増えているとは思われるが、まだ一部の学校にとどまっていると思われる。
2 現行学習指導要領では不十分
現行の学習指導要領の記載を見ると、小学校のころから、働くことが社会的責任であることが強調されている。例えば、以下のような記載である。
(道徳〔第5学年及び第6学年〕「働くことや社会に奉仕することの充実感を味わうとともに,その意義を理解し,公共のために役に立つことをすること」)
働くことが「社会に奉仕すること」と同列に扱われ、「公共のために役に立つこと」とまとめられている。個人が働くことが、結果として社会の利益となることは望ましいことではあるが、その面ばかりが強調されてしまうと、前述の「人間らしく働く」ことの保証が大前提となっている点の理解がおろそかになる恐れがある。現行学習指導要領では、小中高で一貫して「キャリア教育」が重視されており、働くことを通じて社会の役に立つことを繰り返し学習することが予定されていることからも、この懸念を強く感じざるを得ない。
この点、大きな問題は、肝心の労働者の権利に関する記述が極めて不十分なことである。
例えば、中学校では労働三権についての記述(公民「勤労の権利と義務,労働組合の意義及び労働基準法の精神」)はなされている。また、高校では「雇用と労働問題」について,「仕事と生活の調和という観点から労働者保護立法についても扱うこと」と記載されている。
なぜ、労働者の権利が保証されなければならないのか。単に「仕事と生活の調和」(ワークライフバランス)というのみであると、労働者側の都合の「調和」のためのように読めてしまう。しかし、過酷な労働環境は、過労死や精神疾患の発症など働く者の命や健康を蝕む人権侵害であり、労働者にはそのような環境から自らを守る権利があることをきちんと理解できない恐れがある。
3 より具体的な学習が必要
働くことは多くの人が行う基本的な営みである。周囲の人と協働して、よりよい職場環境を実現し、自らの人間らしく働く権利を確保するためには、知識、問題解決のためのコミュニケーション力や対応力など多岐にわたる力が必要となる。労働法制の基本的知識+具体的に職場でのトラブルを想定した事例検討やロールプレイ、相談窓口の利用方法など知識を「使える」ようにすることが大切である。
これについては、厚生労働省も、「『はたらく』へのトビラ~ワークルール20のモデル」とのモデル授業案を作成している他、日本労働弁護団も労働法の学習の指導案や授業で使用するワークシートなどを発表している。これらのモデル授業も、ワークルールの基礎知識や、働いていれば直面する可能性が高い具体的な場面(賃金未払いや労働時間、ハラスメントに関する問題等)において、問題点を考察し、さらに解決のための方法にまで触れられている。必要な知識を理解するとともに、このような具体的な場面で活用・表現できる力を育むことをより重視することが必要である。
具体的な問題において解決の方法を検討する力を育むためには、特に労働組合の意義と役割について学習することが必須である。労働組合は、労働者の権利を確保するために憲法で保障された組織である。労働者の権利の知識はまずは、個人を守る知識だが、職場環境や労働条件を改善するためには、一個人の権利主張だけでは不十分な場合が多い。周囲の者と協働して問題解決を図るスキルを身につけなければ、使える知識とはならない。一人では自己主張が苦手な者や、労働者が主張しづらい職場や人間関係であったとしても、労働組合のように他の者と協働して問題解決を図る知識とスキルを身に付けることができれば、問題解決の力を育むことにつながる。
労働者の権利について必要な知識を理解し、さらにそれを具体的場面で使えるスキルを身に付けるという点では、現在ワーキンググループで検討されている学習指導要領の改定案では、未だ不十分である。
2026年2月27日に開催されたワーキンググループにおける、中学校公民的分野「(1)市場の働きと経済」の高次の資質・能力の検討において、「勤労の権利と義務、労働組合の意義及び労働基準法の精神」は単なる「知識及び技能」に位置付けられ、労働者の権利に関わる知識は「統合的な理解」までは求められる項目となっていない。
「思考力、判断力、表現力等」において、「雇用と労条条件の改善について多面的・多角的に考察し、表現する」と記載され、同「総合的な発揮」において、「経済活動と個人の尊重を両立させることが重要」との視点が指摘されたことは、自らが権利主体として自己や周囲の職場環境を改善するためのスキルを身に付ける方向と読め、一定の評価はできる。
将来の労働者として、より良い労働環境を実現する主体となる力をはぐくむためには、より明確に、様々労働者の権利やワークルールについて「統合的な理解」を求めることを明記すべきである。また、知識や技能を踏まえた「思考力、判断力、表現力等」や同「総合的な発揮」においても、例えば「職場のワークルールや労働条件の改善のために具体的な改善のための対策を主体的に考察し表現できること」等、学んだスキルを具体的場面で活用できることを目指すことを明確に打ち出すべきである。
第5 性教育について
1 人権とジェンダー平等を基盤とした性教育の重要性
現在、子どもたちはスマートフォンなどを通じてインターネットやSNSのアダルトコンテンツに容易にアクセスできる環境にある。こうした環境に晒された子どもたちは、SNSを通じた性被害のリスクや、意図しない妊娠、誤った認識や価値観を学習して性加害を誘発するリスクに晒されている。
このような状況は深刻な社会課題であり、その防止のために学校教育が担うべき責任は大きい。このような環境におかれた子どもたちは、学校教育を通じて、科学的に正しく、人権やジェンダー平等に基づく、性の知識、態度、スキルを身に着けるための包括的性教育の重要性は極めて高くなっている。
国際的には、ユネスコなどが中心となり、国際セクシュアリティ教育ガイダンスが2008年に作成され、2018年に改定されている。SDGsが掲げる人権やジェンダー平等を基盤とした内容となっており、8つのキーコンセプトを含む教育内容を、子どもの発達段階に応じて、繰り返し学習するカリキュラムベースのガイダンスとなっている。日本政府は国連子どもの権利委員会など複数の国際機関から包括的性教育を実施するよう繰り返し勧告等を受けている。
2 現行学習指導要領の記述の問題点
学校での性教育は、1980年代後半のエイズ問題に端を発して実践が広がり、文部科学省や教育委員会も積極的な姿勢を見せていたが、2000年代前半に亡安倍晋三氏ら自民党議員がバッシングを繰り広げたことで、著しく抑制されることとなった。
2010年代後半からは性的少数者の権利、性の多様性の文脈から、徐々に性教育の必要性が社会的に認知されるようになってきたが、現在の小学校・中学校・高等学校の学習指導要領やその解説における性教育に関する記述は極めて不十分である。
その原因として挙げられるのは、いわゆる「歯止め規定」の問題である。「歯止め規定」とは、小学校の理科の学習指導要領における「人の卵と精子が受精に至る過程は取り扱わないものとする」との記述、及び中学校保健体育の学習指導要領における「妊娠の経過は取り扱わないものとする」との記述である。高校生の学習指導要領においても性交を教える記載はなく、逆に保健体育においては「妊娠のしやすさを含む男女それぞれの生殖に関わる機能については、必要に応じ関連付けて扱う程度とする。」との記述があり、生殖の学習について抑制的に取り扱うこととされている。こうした学習指導要領の規定は、教育現場においては性交を教えてならないという禁止規定として事実上運用されてきた。東京都立七生養護学校での性教育実践に対する攻撃がその代表例であるが、教員に対する処分まで行われた(その後の裁判では処分の違法性が認められた)。
歯止め規定を無くし、人の性に関して生殖を含めて科学的に学習する機会を保障するとともに、改訂後のガイダンスを踏まえれば、人権やジェンダー平等の学習が求められておる。子どもたちが前述の深刻な社会課題を認識し、人権やジェンダー平等に関する知識、態度、スキルを身に着け、克服していくためには必要不可欠な学習である。
3 改善の方向性
上記の問題点を踏まえると、学習指導要領は以下の方向性で改善すべきである。
国際セクシュアリティ教育ガイダンスに基づき、学習指導要領の中に体系的に包括的性教育を位置付けるべきである。また包括的性教育の妨げとなる「歯止め規定」を削除すべきである。
例えば、理科や保健体育においては人の生殖について科学的に学習し、人権やジェンダー平等については社会科の中で、その歴史的経緯や現代的な課題を学習するといった内容である。
ところで、これまで性暴力の予防のための特別な授業として実施されてきた「生命(いのち)の安全教育」については、学習指導要領に記載することとし、内容面も拡充して「性的同意」を含めることを検討するという文部科学省の記者会見報道(2026年2月20日付け)がある。この方向生は歓迎すべきことである。しかし、歯止め規定が残ったままでは、不同意性交罪や不同意わいせつ罪における、性交やわいせつ行為については学校教育の中で子どもたちが学習することは事実上困難であり、性的同意の学習もまた事実上困難となる。また、性被害から学習を導入することは、子どもたちに性にネガティブな印象を植え付ける可能性もある。国際セクシュアリティ教育ガイダンスは性に対するポジティブなアプローチが重要だとしており、やはり国際セクシュアリティ教育ガイダンスを踏まえた学習指導要領の内容とするべきである。
また、こども家庭庁は、プレコンセプションケア(性別を問わず、適切な時期に、性や健康に関する正しい知識を持ち、妊娠・出産を含めた将来設計や健康管理を行う取り組み)を5か年計画で推進していくことを公表している(2025年5月22日公表)。しかし、すでに一部の教材の問題が指摘され、プレコンセプションケアが誤った出産奨励政策ではないかと批判の声が上がっている。SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ、性と生殖に関する健康と権利)を取り込んだ学習内容となることが極めて重要である。
以上
