2022年5月23日、侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案の拙速な衆議院可決に抗議するとともに、参議院における否決及び廃案を求める決議

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侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案の拙速な衆議院可決に抗議するとともに、

参議院における否決及び廃案を求める決議

 

1 侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案

 2022年5月19日、侮辱罪の法定刑引き上げを含む刑法等の一部を改正する法律案(以下「本法案」という)が衆議院本会議において可決された。本法案における侮辱罪の法定刑引き上げは、従来「拘留または科料」であった侮辱罪の法定刑に「一年以下の懲役若しくは禁固若しくは三十万円以下の罰金」(なお、「懲役若しくは禁錮」は同法案によって「拘禁刑」とされる)を付加することを内容としている。
 政府は、本法案の審議において、繰り返し、処罰範囲の変更がないことを強調し、正当な言論活動への影響がないかのような答弁を繰り返した。しかしながら、2022年4月21日付「侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案に反対し,廃案を求める」声明において述べ、以下でも述べる通り、本法案の危険は、純粋な厳罰化の問題だけにとどまらない。法務委員会における議論の中でもその危険が解消されたとは言えず、慎重な審議が必要である。

 

2 身体拘束の危険及び処罰対象の拡大

⑴ 刑事訴訟法は、「三十万円…中略…以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪」について、①逮捕の要件として、「定まった住居を有しない場合又は正当な理由がなく…出頭の求めに応じない」ことを定め(刑事訴訟法199条1項但し書)、②現行犯逮捕の要件として「住居もしくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡する恐れがある場合」ということを定め(刑事訴訟法217条)、③勾留の要件として、「定まった住居を有しない」ことを定める(刑事訴訟法60条3項)。
 したがって、現行の侮辱罪の法定刑であれば、これらの要件を満たさない限りは身体拘束の危険がないが、本法案により、法定刑の引き上げがなされれば、侮辱罪においても有罪判決確定前に長期にわたる身体拘束の危険が生じる。この点ついて、衆議院法務委員会附帯決議においては、政府答弁を経て、「四侮辱罪による現行犯逮捕に係る制限が法定刑の引き上げにより外れたとしても当該現行犯逮捕が可能な場合は実際上は想定されないとする政府統一見解を捜査機関に周知徹底すること。」という一定の手当こそ行ったものの他の危険についての懸念は払しょくできていない。

⑵ また、刑法は、「拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯」を特別の規定がなければ処罰しないものとしている(刑法64条)。この規定も、現行の侮辱罪の法定刑であれば適用されるが、本法案により法定刑が引き上げられれば、適用がなくなり、結果として、これまで処罰されなかった侮辱罪の教唆者及び従犯が処罰される危険がある。しかしながら、衆議院法務委員会において、これらについて、詳細な検討がなされたとは言えない。

 

3 正当な言論への影響

⑴ 2022年4月21日付「侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案に反対し,廃案を求める」声明においても述べた通り、侮辱罪や名誉棄損罪の原型は政府批判を封ずるための讒謗律であり、政府に不都合な言論の取り締まりに濫用され、本質的な表現の自由を脅かす危険を内包している。そして、名誉棄損罪においては、事実の公共性,目的の公益性,真実の証明等により処罰対象から除外され得ることとされている(刑法230条の2)が、侮辱罪においては同様の規定が存在しない。したがって、侮辱罪においては、公共性や公益性の高い政治的発言等においても、「侮辱」という構成要件に該当すれば、取り締まりの対象となりかねない。上記の通り、侮辱罪の法定刑が引き上げられれば、身体拘束や処罰対象に関する要件が緩和されることになると同時に、捜査機関としての取締り活動が活発化することも考えられ、侮辱罪を通じて、政府に不都合な言論を封殺しようという動きが強まりかねない。そして、こうした取り締まりの危険が高まれば、政府に不都合な言論は委縮せざるを得ない状況に追い込まれ、表現の自由に対する深刻な影響を及ぼしかねない。

⑵ 衆議院法務委員会における政府答弁は、侮辱罪の処罰対象行為の範囲が変わらず、正当な言論活動を処罰対象とするものではないこと、正当行為(刑法35条)によって、違法性が阻却されることなどから、表現の自由を委縮させることはないとするものであった。しかしながら、「侮辱」という構成要件の曖昧さやこれまでに法務委員会内で示された裁判例等の少なさからも侮辱罪の処罰範囲を画することは難しいことは明らかである。それにもかかわらず、その「処罰対象行為の範囲」が「変わらない」としても意味はなく表現活動を萎縮させる危険は払しょくされない。また、正当行為(刑法35条)は、事例ごとの判断による部分が大きく、名誉棄損罪のおける刑法230条の2の規定に比しても明確であるとは言い難いため、表現活動の萎縮の危険を払しょくするものではない。また、同委員会は本法案附則に基づく3年経過後の検討にあたり、「侮辱罪への厳正な対処が図られることにより自由な表現活動が妨げられることが内容、当該罪に係る公共の利害に関する場合の特例の創設についても検討すること」とする附帯決議を採決しているが、一度、表現活動が委縮される事態に陥れば、委縮効果は継続するものであり、検討は直ちになされるべきである。

 

4 インターネット上での誹謗中傷

⑴ 国際的な潮流においても、名誉棄損等については非犯罪化を検討すべきで刑法の適用は最も重大な事件にのみ容認されなければならないとして、拘禁刑は適切な刑罰ではないとされており(国際連合市民的及び政治的権利に関する国際規約 自由権規約委員会第102会期 自由権規約19条1項に関する一般的意見34)、現行の侮辱罪規定自体が国際動向に反するものである。それにもかかわらず、政府は、法定刑の引き上げを行おうとしている。

⑵ この点、政府答弁では、インターネット上の誹謗中傷の社会問題化を法定刑引き上げの理由として掲げる。しかしながら、侮辱罪の法定刑を上げることが最適な対策とは考えられない。すなわち、現行の侮辱罪について、過去5年間は拘留の適用が存在せず、科料においても年20~30件ほどしか用いられていない。政府答弁によれば、処罰対象行為に変化はないのであるから、法定刑を引き上げたからと言って、それのみにより処罰件数が増えることはない。また、刑の上限という意味でも、現行において拘留が用いられていないにもかかわらず、拘留よりもさらに重い罰金や拘禁刑が必要であるという合理的な根拠が見いだせない。結局、法定刑を引き上げれば、違法行為の抑止につながるというのは抽象的な想定に過ぎず、上記の危険を有する法定刑の引き上げを行う立法事実たりえない。むしろ、法定刑の引き上げは、本来意図しない濫用行為(例えば、企業が正当な言論・報道活動に対して,「名誉棄損」を理由とした巨額の損害賠償請求訴訟を行う事案において告訴告発が乱発される等)を招く危険がある。法定刑の引き上げは、主眼とすべき、インターネット上の誹謗中傷への対策としては不適切でありながら、濫用の危険を招きかねないものである。

⑶ そもそも、インターネットにおける誹謗中傷を無くすには,当該誹謗中傷に狙いを定めた対策が必要である。例えば、インターネット上のSNSサービス等の運営者や管理者において、発信者情報の保存を義務付け、誹謗中傷が行われた際には確実に発信者を特定し対応を可能とすること、明らかな誹謗中傷を指摘を受けながら放置した運営者管理者に対しては、徹底した民事上の賠償責任を課すことができるようにすることなど、インターネット上の誹謗中傷の特性、現行の各種法令の不備を解消することこそが効果的かつ具体的な効果が見込める対策であり、上記のような抽象的な想定に基づく対策よりも先行して検討されるべきである。

この点、衆議院法務委員会の附帯決議においても、インターネット上の誹謗中傷の防止及び誹謗中傷による被害が生じた場合の迅速かつ確実な救済を図るための施策の総合的な推進、被疑者(加害者)の特定についての被害者の負担軽減、損害賠償命令制度の対象事件拡大、裁判費用の支援など適正な被害回復のための方策の検討及び措置が掲げられている。しかしながら、なぜ、これらの施策を先行させず、刑事罰を先んじて、引き上げるのか、合理的な理由が存在するとは考えられない。

 

5 結語

上述の通り、侮辱罪は、その創設過程に鑑みても、政府に不都合な言論の取り締まりに利用される危険を内包しており、非常に慎重に議論されなければならない類型である。法定刑の引き上げは、純粋な厳罰化の問題だけではなく、身体拘束の危険及び処罰対象者の範囲の拡大、表現活動に与える委縮効果の点で深刻な影響を及ぼす。一方で、その目的とするインターネット上の誹謗中傷への対策としてはあまりに抽象的な理由に基づくものであり、不適切である。自由法曹団は、これらの問題が存在するにもかかわらず、衆議院法務委員会においては十分な検討を行うことなく、衆議院本会議において拙速な審議可決したことに対して断固として抗議するとともに、続く参議院においても、同法案の成立に反対するとともに廃案とすることを求める。

以上

 

2022年5月23日

自  由  法  曹  団

2022年5月研究討論集会

 

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