第1767号 2/21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●強盗致傷被告事件での無罪判決のご報告  丸山 幸司

●敗訴≠負け  清田 美喜

●平和と人権を危うくする経済安保法制  吉田 健一

●2022年度防衛予算の分析―台湾有事を想定した中国との武力紛争への備えの視点から(上)  井上 正信

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑭ (継続連載企画)
●女性による女性のための相談会参加報告  金子 美晴

●差別問題委員会の提起について  杉島  幸生

●「不寛容」を克服する意味  小賀坂  徹

●~随想~「死もまた社会奉仕」  白石 光征

■幹事長日記 ⑨(不定期連載)    小賀坂  徹


 

強盗致傷被告事件での無罪判決のご報告

茨城県支部  丸 山 幸 司

1 事案の概要
 さる2022年1月11日、強盗致傷被告事件で無罪判決を得たのでご報告する。
 公訴事実とされたのは、2013年12月19日午前2時30分ころに茨城県石岡市の民家で発生した事件(被害金額約200万円、全治2ヶ月間及び6週間の傷害)、2014年4月24日午後10時40分ころに茨城県笠間市で発生した事件(被害金額4192万円相当、全治2週間の傷害)の2件である。
 立証構造は、「共犯者」2名の証言と若干の補強証拠。直接証拠である「共犯者」の証人2名はかつて被告人と同じ山口組系暴力団組織に所属していた者であるが、本件事件後、被告人の所属する組織が神戸山口組の傘下となったため、袂を分かつ形になっていた。
 私は、2020年1月10日に、本件の被疑者国選弁護人に選任されて弁護活動を始めたが、当時の被疑者は既に別件の窃盗等事件により有罪判決を受け、控訴中であった。しかし、被疑者は当初より、本件については全く関与しておらず、山口組と神戸山口組の暴力団抗争が背景にあり、自分は引き込まれたのだと説明していた。私は被告人の弁解を前提として、特にアリバイ立証に重点を置いた弁護活動を始めた。
2 アリバイの証拠収集と起訴
 被疑者は、県内では有名な暴力団構成員であった。私は、当初「どこかで見たような名前だな」くらいに受け止めていたが、後にあまりの有名人ぶりに気づき驚いた。
 被疑者の主張するアリバイは、つくば市の飲食店で飲んでいたということであったが、既に6年前の事件でもあり、調査した飲食店には記録が保管されていなかった。携帯電話のデータについても、機種変更等で全て不存在、運転代行会社への総当たりも空振り、関係者への聴き取りでも思うような成果はあげられなかった。
 最終的に手がかりになったのは、ETCカードの履歴だった。ETCカードの履歴によると、被告人が高速道路を利用し、つくば市内のICで下りた記録が存在した。これによって、被疑者は、犯行当日、つくば市の飲食店にいたことを確信することができ、その裏付けをもって同店の店員と面談し、証人として出廷してくれるよう約束を取り付けた。
 被疑者から聞いた取り調べの様子からは、捜査官がアリバイについて非常に気にしていることが伺えた。しかし、私は、アリバイ潰しを恐れていたし、被疑者の事案の読みからすれば、検察が起訴することも必至であったため、あえて起訴前は検察官との交渉を一切行わなかった。予想通り、検察官は上記2件を起訴した。
 ただ、実のところ、さらに逮捕・起訴される可能性のある2件の強盗事件が存在していた。これら2件について結局起訴されることはなかったが、「共犯者」2名が同様に実行した別の2件について、なぜ被疑者の関与がないのかという疑問は最後まで氷解せず、この点も無罪判決に影響したと思われる。
3 複数選任は同期の弁護士に
 私は、起訴後、多数の刑事事件を経験している同期の弁護士に協力を依頼し、2名体制にしてもらった。多忙な中で十分な成果を上げるには、仕事のしやすい体制は必須であるが、意思疎通し易い同期の弁護士に協力してもらえたことが、結果的には成功した。相弁護人は、被告人との頻回な接見を継続している私を気遣い、自ら積極的に証拠開示請求、公務所照会等に取り組んでくれ、公判の冒頭陳述、検察側申請証人の2人の共犯者の反対尋問、弁論で大きな役割を果たしてくれた。
 この事件の起訴前後で私が最も苦労したのが、被疑者(起訴後の被告人)が要求した多数回の接見であった。無罪判決という最高の結果が出てみればこそ必要な苦労だったと回顧できるものの、各回30分以上(長いときは2時間)の接見を2年間、週2回ほどこなしたので、通算で200回ほど接見したことになる。「こんな事件、受けなければ良かった」と何度も思ったが、多数回の接見は、被告人を精神的に支え弁護活動に必要な情報を得た。
4 判決と教訓
 判決は、共犯者の証言の信用性を否定し、検察官立証が不十分であることを指摘するものだった。
 判決は、検察官の主張について、「共犯者」の証言内容は、いずれもこれを裏付ける客観証拠が存在しないこと、証言内容が曖昧で、「共犯者」2名の証言が整合しないこと等を具体的に指摘し、虚偽供述を行う動機の不存在についても否定した。補強証拠についても、信用性を否定した。
 このように、本件は検察官の立証不足を指摘した判決であり、本来であれば起訴されるべきではなかった事件だということができよう。検察官は、予断にとらわれず、被告人の弁解にも耳を傾け、公正に事件処理することを改めて心がけてほしい。
 私が最大限の労力を注いできたアリバイ立証については、判決の中では触れられなかったが、結論には一定の影響を与えたはずであり、当たり前のことに最大限の力を尽くすことの大切さを痛感させられた事件となった。

 

敗訴≠負け

福岡支部  清 田 美 喜

1 はじめに
 九州朝鮮高校無償化裁判は、2021年5月27日、最高裁からの上告棄却・上告不受理決定により敗訴が確定し、終結しました。同年7月17日、裁判を総括する集会が朝鮮学校(ウリハッキョ)で開かれ、弁護団からの出席者は全員発言の機会をいただきました。
 私は、発言を準備するにあたり、法律論が通じなかった状況で、法律論で正しいということの意味を考えましたが、どうしても答えは出ませんでした。いくら、いかに自分たちが法的に正当かということを力説しても、自分たちの存在が否定されたような気持ちで打ちひしがれている子どもたち、保護者、裁判闘争で疲れ切った支援者(弁護団含む)、そして誇りをもって学校を守ってきた関係者、誰よりも、差別や危険と闘いながら原告となってくれた若者たちたちの「なぜ?」への答えにはならないのではないかと感じていました。
 私自身が「なぜ?」への答えを法律家として持たないなら、差し出せるものは大人としての愛情と真心しかないと思いました。弁護団として死力を尽くした今、私たちに恥ずかしいことは何もない、ただ日本社会のなかのひとりの大人として、話したいことを話そうと決めました。
 今号の団通信への寄稿のため手を入れ直す中で、日本軍性奴隷被害者として裁判を起こし、敗訴された宋神道ハルモニ(故人)の、「オレの心は負けていない」という言葉を改めて思い起こしました。生きて会うことはかなわずとも、その言葉、闘いを真摯に受け止める人、記録する人々がいれば、故人が忘れられることはなく、未来の人々を導いてくれます。聞き手が誠実に謙虚であればこそ、苦しい言葉も開かれる。それが「語りが被害を解放する」ということなのだと、先輩団員の方々から繰り返し説かれた言葉の意味をようやく、感じています。
2 発言概要
 안녕하십니까.(アンニョンハシムニカ、こんにちは。)
 これまで長い裁判闘争をともに闘い、今日この場にお集まりいただいた皆様に、改めて感謝と尊敬の思いをお伝えします。私もほかの先生方と同じように、法律論からなる発言を用意しようと思いましたが、この数年間、朝鮮学校(以下、「ウリハッキョ」といいます。)を無償化から除外したことが差別であると繰り返し法律論を書いてきて、それでも負けてしまった今、私は本当に空っぽで、何も新しく伝えられる法律の言葉を持っていません。そこで、この数年間で私が感じてきたことを、今日は二つ、お話ししようと思っています。
 一つは、嫌なこと、不当な扱い、権利の侵害に毅然とNOを言うことは、実はとても勇気のいる行動だということ。提訴に至るまでに、原告、保護者、学校関係者にも多くの葛藤があったこと。みなさんは十分すぎるほどそのことを分かっておられると思います。
 今回の無償化裁判で原告のみなさんは、国と裁判所に対し、「自分たちが受けているのは差別だ。許されないことだ。朝鮮学校にも無償化法を適用しなければならない」とはっきりと意思表示をしました。裁判ではその声を受け止め、真摯に向き合ったのは大阪地裁のみでした。一方で、原告のみなさんが差別にNOと言ったことが、日本中、朝鮮半島、さらに世界に届いていることは、地域や国を超えた支援・連隊の広がり、繰り返される国連勧告などから明らかです。
 弁護団もまた、原告の言葉から多くを学んできました。私は、ある原告の方の意見陳述の作成を担当したことで、1945年の解放直後、日本から朝鮮半島へ帰ろうとした人々を乗せた船が沈み、故郷に帰れないまま無念の最期を迎えた方々がいたこと、その方たちが北九州の霊園にまつられ、毎年慰霊祭が行われていることを知りました。その時初めて、無償化の問題に本気で取り組むには、法律のことだけ分かっていてもだめだ、在日朝鮮人の歴史、民族教育の歴史を知らないと、本当に中身のある書面が書けないと思いました。そこから手当たり次第に学び、学校行事にも足を運ぶことで同年代の仲間たちともつながっていきました。
 原告と直接弁護士としてふれあう機会がなかったら、今ここまで深くウリハッキョに関わっていたかは分かりません。改めて原告のみなさんの勇気と、その決断を見守ってくださった保護者の皆様に、感謝と敬意を表します。
 二つ目は、なぜウリハッキョがこんなにも攻撃されるのか、という問いに対する私なりの考察です。私は以前から、ウリハッキョは建設当時から在日コミュニティの中心であり、結節点であること、日本政府はそのことをよく分かっていて、在日社会の分断・弱体化の意図を持って、ことあるごとにウリハッキョを差別するのだと考えてきました。その考えは一層確信に近付いています。それに加えて、日本の心ない市民、彼らを利用する日本政府は、自分たちの見たいもの、押しつけたいものをイメージ化し、それを「思想教育」とか「反日」と呼んでウリハッキョに押しつけている、決してウリハッキョの中身を見ようとしない、そうしたかたくなさがあると感じるようになりました。
 私はウリハッキョをウリハッキョたらしめているのは、愛だと思っています。先生の愛。建設した1、2世の愛。共和国から送られてくる教育援助金の愛。ウリハッキョに子どもを送る親の愛。子どもたち自身の愛。今日こうして集まっている私たちも、ウリハッキョを愛しています。ウリハッキョは、在日朝鮮人として愛され、在日朝鮮人として人を愛し、自分自身をも在日朝鮮人として愛することができる、日本でただ一つの環境です。
 もちろん私は、ウリハッキョが完璧な理想の世界だと言いたいのではありません。学校にも、学生たちにも、様々な困難、葛藤、苦しみ、衝突、いろいろあると思います。しかし、それでも学生たち、そしてウリハッキョは日々愛情に支えられ、守られています。
 ウリハッキョを差別し、攻撃する人たちは、あえてそのことを無視し、別の論理をつぎはぎしようとしているように感じます。いつになったらその人たちがウリハッキョを正面から見てくれるのかは分かりません。だからこそ多くの人に語りかけ、ウリハッキョでの民族教育が、つまるところ在日朝鮮人の在日朝鮮人への愛情なのだというシンプルなことを知ってもらいたいと願っています。ウリハッキョを正しく知る人、ウリハッキョを愛する人を増やすことが、今の私の目標です。
 ここで行われているのは、当たり前のこと。当たり前だけれど、とても大切なこと。まだ学生だった原告たちは、その当たり前を守るために立ち上がったのだと。
 どうか、帰ったら、一人でも新しい人に、そのシンプルなことを伝えてください。シンプルで小さなことの繰り返しが、いつか社会を動かします。私たちは訴訟を通じ、たくさんの経験と仲間を得ました。小さくこつこつと、隣の人から社会を変え、大きな潮目が来る時を待ちましょう。
 ご静聴감사합냐다.(カムサハムニダ、ありがとうございます。)
3 無償化弁護団の今後について
 自由法曹団からは、総会報告への原稿依頼をたゆまずいただき、心ある多くの団員の励ましや、お力添えを頂戴してまいりました。不本意な結果ではありましたがご報告とともに、改めて感謝申し上げます。
 当弁護団の方針としては、訴訟が終わっても弁護団は解消せず、相変わらずzoomとリアルで集まってやいのやいのと話しては、福岡、山口での高校無償化の実現、幼保無償化排除阻止、補助金停廃止問題、ヘイトスピーチ対策、学校教育の充実を目指す活動など、多方面の課題に取り組んでいく予定です。既に一定の成果を上げている取り組みもあれば、社会の無関心を反映し遅々として進まない取り組みもあります。私自身は、無関心は差別に加担することだと、改めて警句を発し続けることが当面の課題であり、自身もそのことを顧みなければならないと感じています。
 ところで、団通信や、総会報告等で、原稿依頼をいただくことは、我々の取り組みを団員のみなさまに知っていただく貴重な機会となっています。すべての地域の最高裁判決が出そろい無償化裁判は終結しましたが、九州山口ではウリハッキョとともに歩む団員が、日々何かと闘っております。ぜひ、今後も、当弁護団に原稿依頼をいただければ幸甚です。2000字以内に収まるかは、…鋭意努力します。
 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

平和と人権を危うくする経済安保法制

東京支部  吉 田 健 一

経済面に及ぶ日米同盟強化
 政府は、日米同盟を強化し敵地攻撃能力を保有する動きを具体化する一方、経済面でも経済安全保障の体制づくりを急速に進めている。台頭する中国に対抗するために同盟国との関係強化を進めるバイデン米政権との間で、昨年4月の日米共同声明でも、今年1月7日の日米安保協議会(「2+2」)共同発表でも、軍事・経済にわたる積極的な役割を約束しているのである。
 経済安全保障は、「国の独立、生存、そして繁栄を経済面から確保していくこと」とされているが、米中対立が激化するもとで、中国に対する依存度の高い日本の脆弱性が前提とされている。2020年12月にまとめられた自民党の「『経済安全保障戦略』の策定に向けて」では戦略的な自律の確保、不可欠性の維持強化等が強調されている。「事」が起これば中国に依存しなくとも・・・という方向ではないかと考えられる。そもそも、気候危機や食料危機はもとより、食の安全や仕事の確保など国民の生活やいのちに直結する経済政策をなおざりにしたうえ、日米同盟の強化のもとで求められる「経済安全保障」を最優先にすること自体が問題である。実際、準備されているのは、半導体など重要物資や先端技術、さらにはサイバー攻撃などに対する安全の確保のための法制度である。しかも、それは同時に軍事利用と一体化して進められるものであるのみならず、刑罰をもって情報を管理・保全し、国民を監視する制度を伴うものであって、国民の生活や人権にも重大な影響を及ぼすことになる。
 岸田政権は経済安全保障担当大臣を新設し、経済安全保障を推進する関係閣僚会議、さらには経済安全保障法制に関する有識者会議をおいて、急ピッチで議論をすすめ、去る2月1日には有識者会議が「経済安全保障法制に関する提言」をとりまとめた。2月中にも法案提出できるよう準備していると報じられており(2月6日付朝日新聞朝刊)、急を要する事態となっている。以下、とりあえず、危惧される事態を指摘して、問題提起したい。
国民に対する監視と秘密保護法制の危険
 有識者会議が提言している制度の骨子は、次のようである。
① サプライチェーンの強靱化~重要物資を指定して、民間事業を支援するほか、外国による市場介入や貿易なども対象とし、その安定供給を確保(輸入・販売)する措置をとる。
② 基盤インフラの安全性・信頼性の確保~サイバー攻撃に対するセキュリテイ確保のため、エネルギー、情報通信、金融、運輸など重要部門に対する設備導入について事前計画の届出などを義務づけ、審査し、問題があれば変更・中止を勧告する。
③ 官技術協力~先端的な重要技術の研究開発のために、産学官の共同を進める。行政機関や関係者による協議会を設置し、シンクタンクも活用する。
④ 特許出願の非公開化~安全保障が著しく損なわれるおそれがある発明などの開示を禁止し、非公開による損害補償制度をつくる。
 これらそれぞれに情報の保全・管理などについて、秘密漏えい禁止など処罰規定を設ける。
 すでに、経済安保法制として、昨年成立した土地利用規制法案が位置づけられているが、同様に、罰則を伴う規制と国民を監視する体制が強化されることになる。
 実際、公安調査庁は、技術者や留学生をはじめ、様々な取引や投資をも対象に経済安保を阻害する動きについて情報を調査・収集するとして、パンフレットまで発行しており、国民監視の動きを具体化している。
 他方、研究・開発、物資確保、発明などに関しては、処罰を伴う情報管理、秘密保護法制が拡大され、民間・学術研究部門まで広く対象とされることとなる。秘密保護のもとで、有害・危険物質、不正などに対する内部告発、外部からの批判が封じられたり、知る権利、表現の自由、学問の自由が侵害されるおそれもある。
戦争する国づくりと一体の動き
 経済安保の名のもとに設けられる諸制度は、軍事面でも一体のものとして、運用されることとなる。経済同友会は、防衛技術の研究開発をタブー視しないよう学術界に要請している(2021年4月「強靱な経済安全保障の確立に向けて」)。
 すでに2020年4月には、国家安全保障局(NSS)において経済分野を専門とする「経済班」が発足しており、経済と外交・安全保障が絡む問題の司令塔がつくられている。2021年度には、防衛省にも、先進技術を含む経済安全保障全般に関する各種情報の「収集・分析」と「保全」の双方を所掌する体制を整備するため、「経済安全保障情報企画官」が新設されている。 
 今年1月7日の日米安保協議会(「2+2」)共同発表でも、軍事関連の物資供給を確保することをはじめ、極超音速技術に対抗する協力、新興技術に関する共同の研究・開発、情報の保全強化(秘密保護)などが約束されているのである。
 経済安保の名のもとに先端技術の研究などに関して学術研究者に対する協力がいっそう求められるもとで、軍事研究に協力しない立場を明らかにしてきた日本学術会議にも揺さぶらりがかけられることになりかねない。
 このように経済安保の名により軍事が優先されて、戦争する国づくりが加速され、そのもとで自由と人権が危機にさらされることになる。
早急に求められる取り組み
 経済安全保障法制の問題点、危険な側面を早急に広げ、その動きに歯止めをかける必要がある。戦争する国づくりを許さず、改憲を阻止するためにも、重視して取り組むことを求めたい。

 

2022年度防衛予算の分析―台湾有事を想定した中国との武力紛争への備えの視点から(上)     

広島支部  井 上 正 信

第1 16か月予算による大幅な軍拡予算
 防衛省が2021年12月に作成した、「令和4年度予算の概要」では、2022年度本予算を「16か月予算」として編成したと説明しています。その意味は、2021年12月の補正予算の4か月(2022年3月末まで)と2020年度本予算12か月を合算したという意味です。
 これを防衛省では、防衛力強化加速パッケージとネーミングして、2021年12月補正と合算して6兆1744億円、対GDP比1.09%、令和2年度補正と令和3年度本予算の合計よりも10.7%も増額したと自慢しています。財政危機と消費税増額、格差と貧困の拡大の中で、軍拡予算をこのように自慢する防衛省の感覚には、いささかあきれてしまいます。
 おそらく2022年1月7日に予定されていた日米安全保障協議委員会(2+2)、1月22日に開かれる日米首脳電話会談に向けた、対米アピールの意味を込めたのでしょう。しかし防衛予算の大幅増額をこれほど誇らしく説明したことの意味は重要と思われます。「防衛力強化加速パッケージ」と防衛省が自らネーミングした意味は、台湾有事を想定した日米同盟の軍事態勢を急速に構築すること、そのための自衛隊の態勢を整備することを狙っていると思われます。いま米国が我が国に対して最も求めている内容です。
 以下、台湾有事を想定した中国との武力紛争への備えの視点から、この16か月予算の分析を試みます(分析というよりも内容の整理ですが)。予算の分析は私にとって大変地味な作業で、これまであまり手掛けたことはないので、不十分なものですが、それでも、現在の我が国の防衛政策がどこに向かっていこうとしているのかを、いくらかでも描けたと思っています。
第2 南西諸島防衛態勢の強化
 台湾有事への備えとして、自衛隊の南西諸島での軍事態勢の強化が進んでいます。これは自衛隊独自、単独での態勢ではなく、米海兵隊、米陸軍の対中軍事態勢と連携することを前提にしています。
2 南西諸島有事での緊急展開部隊と島嶼奪還部隊
 台湾有事から波及する南西諸島有事では、南西諸島の島嶼部へ事前配備された緊急展開部隊と、南西諸島の一部が中国軍に占領された場合の島嶼部奪還作戦部隊が必要です。
 沖縄本島配備の陸自第15旅団は、真っ先にその任務にあたる部隊です。これに加えて、陸自は2018年に組織の大きな変革を行い、5個の方面隊を一元的に指揮する陸上総隊を創設し、陸自の基幹部隊である師団、旅団の半数を機動師団、機動旅団へ再編し、新たに水陸機動団を新編しました。平成の大改革と称されており、その目的が南西諸島有事への備えです。[i]むろん第15旅団は機動旅団へ編成される予定です。
 機動師団・旅団へは、戦車に代えて、戦車砲を搭載した16式機動戦闘車を配備します。機動戦闘車は装輪走行で、戦車よりも早く、市街戦に使え、C135輸送機で空輸できます。22年度防衛予算ではこの機動戦闘車33両(237億円)を取得します。
 南西諸島有事では、兵員や兵站物資の輸送がカギを握ります。佐賀空港へのオスプレイ配備の造成工事(30億円)などを予算化しているのはこのためです。南西諸島の島嶼部の港湾の水深が浅いことから、海自の大型輸送艦は運用できないため、中・小型輸送艦を取得(102億円)します。
 後方支援基地として、佐世保の崎辺東地区へ大型船舶が接岸できるバースや支援施設を整備(86億円)します。
 馬毛島についても、単なる米空母艦載機の離着艦訓練基地にとどまらず、陸・海・空自衛隊の総合的な基地にして、訓練、装備の備蓄、輸送を含む兵站基地、南西諸島有事の際の後方支援基地とする計画です(施設整備費3180億円)。[ii]
3 スタンド・オフ、敵基地攻撃兵器
 中国との武力紛争・戦闘では、南西諸島を防衛拠点として、そこから中国海軍艦船と航空機を攻撃し、それに対する反撃を排除することが重要です。
 そのための自衛隊の作戦構想がクロスドメイン戦闘です。米海兵隊の遠征前方基地作戦と米陸軍のマルチドメイン戦闘と連携します。自衛隊のクロスドメイン戦闘と米陸軍のマルチドメイン戦闘は、後継の図のように、ほとんど同じです。違いは、マルチドメインの方は、敵領土のミサイル基地を攻撃していることが、自衛隊のクロスドメインには含まれていないという点です。クロスドメインの図は防衛白書掲載のものですから、いまだ敵基地攻撃を行うとの政策決定を行っていない以上、自衛隊はできないからです。敵基地攻撃を実施すると政策判断すれば、全く同じ作戦構想となるでしょう。
 これらの作戦では、電子戦、スタンド・オフ攻撃、敵基地攻撃、対艦・対空戦闘能力が必要です。
 陸自電子戦部隊は現在熊本の健軍師団へ1個部隊を置いていますが、新たに新潟県高田市、鳥取県米子市、鹿児島県川内市へ編成されるほか、与那国駐屯地、対馬駐屯地等へ電子戦部隊を配置するための施設整備(61億円)を行います。2023年には与那国島へ電子戦部隊を配備する予定です。
 電子戦部隊には、移動式の電子戦用車両(ネットワーク電子戦システムNEWS)が配備されます。これにより、敵の人工衛星を無力化したり、敵部隊や敵領土のレーダー、通信システムを妨害して、味方の作戦行動を支援します。
 電子戦には地上配備のもの以外にも、スタンドオフ電子戦機の開発(190億円)を行います。
 スタンド・オフ電子戦機は、中国領域より離れた空域から、中国領土へ設置された防空レーダー、通信システムの機能を阻害して、中国領土内での一時的な航空優勢を確保しながら軍事施設への攻撃(敵基地攻撃)を支援します。
 スタンド・オフ攻撃を行うため、南西諸島へ配備されている12式地対艦ミサイルの射程を900キロまで伸延し、地上発射型に加えて、空中・海上発射型にするための改良(393億円)を行います。最終的には射程1500キロまで伸延する計画です。
 南西諸島の陸上へ配備された改良型12式ミサイルは、そのまま中国本土の軍事施設を攻撃できます。航空機や艦船から発射すれば、中国軍のミサイルの射程外から、中国本土の軍事施設を攻撃できます。
 スタンド・オフ攻撃のための新たな装備である、「島嶼部防衛高速滑空弾」の開発(145億円)「極超音速巡航ミサイル」の開発(40億円)を進めます。
 「島嶼部防衛高速滑空弾」は、あたかも島嶼部防衛用の印象を与えますが、その実態は、弾道ミサイルの先端にある弾頭部が高速で滑空して標的を攻撃するもので、迎撃が困難で、射程によっては中国本土を狙うものになります。北朝鮮が発射実験している変則軌道の弾道ミサイルや、中国軍が配備しているDF17弾道ミサイルと同じ性質のミサイルです。
 極超音速巡航ミサイルは、中国やロシアが配備しているといわれていますが、迎撃が困難な敵基地攻撃手段です。この二つのミサイルは、ステルス形状をしており、敵レーダーでも捕捉しにくいものになりますので、余計に迎撃が困難になります。
 南西諸島島嶼部の拠点防衛用の短距離対空兵器として、陸自近距離地対空誘導弾と空自防空誘導弾をファミリー化(共通仕様)により効率的に開発(18億円)します。
 ステルス性能と無人攻撃機との連携した作戦が可能な、次世代国産戦闘機FX開発も、敵領土を攻撃できる有力な装備です。このための開発予算として1001億円が計上されました。
 F35A 8機(768億円)、F35B 4機(510億円)を取得します。
 F35は、レーダーでは捕捉しにくいステルス性能の優れた第5世代戦闘機です。長射程ミサイルを搭載したF35は、敵領土内での防空レーダーを回避し、敵防空システム(防空レーダー、防空ミサイル、通信システム)を攻撃し(敵防空網制圧 SEAD作戦と呼びます)、敵領域内での航空優勢を確保する能力があり、いわゆる敵基地攻撃兵器の最たるものです。また、多機能先進データリンク機能(MADL)があり、敵のミサイル、攻撃機を探知し、味方の戦闘情報ネットワークへデータを中継し、他の戦闘アセットとの統合した戦闘が可能です。F35Bは、宮崎県の新田原基地へ配備される計画です。これは南西諸島有事を想定した配備です。
 自衛隊が保有するF35A,Bは米空軍や海兵隊のF35と共同戦闘を行うことを可能にします。米軍の戦闘情報ネットワークに組み込まれての一体的な作戦行動です。
4 中国との戦闘で優位に立つための宇宙作戦
 日本を含む先進諸国は、宇宙は戦場と位置付けて、宇宙での軍事作戦で優位に立とうとしています。米国は第6番目の軍種(陸・海・空・海兵・沿岸警備隊の5軍種以外)として、宇宙軍を創設しています。その元で宇宙作戦を担当する機能統合軍として宇宙軍を設置しています。自衛隊は、宇宙作戦を強化しつつあり、米宇宙軍との連携を深めています。米宇宙コマンド(カルフォルニア)には、自衛隊から空自2等空佐の連絡員(連絡将校)が派遣され常駐しています。
 自衛隊は、現在1個宇宙作戦隊がありますが、第2宇宙作戦隊を新編し、第1宇宙作戦隊と合わせて宇宙作戦群とします。人員も70人から120人へと増員します。
 宇宙作戦群が行う宇宙状況監視(SSA)のため、SSA衛星(宇宙設置型光学望遠鏡)の整備(39億円)、SSAレーザー測距装置の取得(190億円)、SSAシステム等の整備(77億円)を行います。
 自衛隊宇宙監視隊が得た情報は、米宇宙軍と共有し、日米共同で宇宙作戦を遂行する体制を作りつつあります。
 衛星コンステレーションは、敵の移動式ミサイル発射機を探知・攻撃、敵の極超音速滑空ミサイルの探知・迎撃のために必要なシステムです。2020年6月30日に閣議決定された「宇宙基本計画」では、衛星コンステレーションの開発を米国と連携して進めるとしています。衛星コンステレーションは、ミサイル防衛と敵基地攻撃には必要な装備という位置づけです。
 2022年1月7日2+2共同発表文で、「閣僚は、低軌道衛星コンステレーションについて議論を継続することも含めて(中略)一致した。」と書き込んでおり、既に日米間では衛星コンステレーションについて共同作業が始まっていることを述べています。
 これに資するための技術開発として、極超音速滑空兵器の探知・追尾に係る調査研究(3億円)、そのためのAI技術に関する研究(1億円)を行います。   (続く)

ⅰ全国防衛協会連合会「陸自平成の大改革」より
ⅱ馬毛島における施設整備(防衛省)

 

コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ⑭ (継続連載企画)

女性による女性のための相談会参加報告

東京支部  金 子 美 晴

1.参加のきっかけ
 東京新宿の歌舞伎町にほど近い場所に位置する、新宿区立大久保公園。ここで、2021年12月25日と26日、2022年1月8日と9日に、「女性による女性のための相談会」が参加されました。年末年始にも同じ大久保公園で年越し村が開催され、そこにも女性スペースが設置されたので、年末年始で合計6日、女性のための相談会が実施されたことになります。
 私は12月26日と1月8日に参加しました。きっかけは、団東京支部のメーリングリストで、法律相談の女性弁護士不足との情報を見つけたからでした。
 2020年の年末年始にも年越し村で法律相談員を募集する呼びかけを見ましたが、そのときは行動に移すことはしませんでした。
 しかし、2021年の暮れになってもコロナは一向におさまらず、それどころか社会の閉塞感は増すばかりで、生活に困窮する人の情報も後を絶ちません。そんな中、女性相談員が不足しているという情報に背中を押され、今年こそは参加してみるかと、思い立った次第です。
 この相談会については、団通信の第1736号(2021年4月1日号)にも、青龍先生による詳しいご報告があります。設立経緯や参加メンバーなどのことはこのご報告に譲ることにし、純粋に、参加した感想を書きます。
2.参加者への配慮
 相談会は、2021年3月と7月にも行われ、今回で3回目とのこと。
 実行委員会による配慮がなされていると思った第一の点は、参加するボランティアスタッフに、事前に心構えを持ってもらうための動画レクチャーが準備されていたことです。当日の相談は、労働、生活、家庭・家族、心と体の健康、妊娠・出産など多岐にわたることが予想されるため、あらかじめ、どのような相談の方にあたっても、聴く姿勢を保ち、場合によっては生活保護同行支援などに移すよう方向性が示されていました。
 また、セクシュアルマイノリティに対する配慮レクチャーもありました。相談会のネーミングが「女性による女性のための」となっていますから、ともすれば、「トランス女性(MtF)は含まれないという意味?」と疑問を呈される方もいたかもしれません。しかしこのような事前レクチャーをすることにより、トランス女性の方を含むセクシュアルマイノリティで悩む方にも安心して相談できる体制を作ることができたと思います。
 配慮がなされていると思った第二の点は、テント同士がくっつき、円状に配置することで、中の様子は外側から見ることができないようになっていた点です。屋外のテントでこのように一つのスペースを作った状態をあまり見た記憶がないので、入り口から中に入った瞬間別世界に入ったようで、とても新鮮でした。
 第三の点は、真ん中のテーブルスペースにまったりできるような配慮があったこと。ほとんどの人は単独で来られていたようですが、そこに座って、相談者同士、交流している姿も見受けられました。お正月開催ならではのお雑煮まで用意されていたり、託児コーナーも設置されていたことも、優しい配慮だと思いました。
3.参加者
 私が参加した12月26日と1月8日は、いずれも底冷えのする寒さでした。特に1月8日は、前日に東京で大雪の降った日。大久保公園の地面もアイスバーンに覆われていました。しかし朝は会場前から行列ができてきました。それだけ、天候の良し悪しにかかわらず、必要性を感じる方が多かったということです。実行委員会の発表によると、連日100人前後が訪れました。ちなみに、当日のスタッフも毎日100人近くが集まっていたということで、フォローの厚さが伺われます。
 法律相談では、必ず弁護士の他に、区議会議員やケースワーカーなど、他の専門分野の方と2人1組で相談にあたります。私が法律相談を担当した感触では、「一筋縄ではいかない方が多い」という印象を受けました。
 今いるところを明日にでも追い出されそうだという人や、後数ヶ月で住む場所がなくなりそうだという人がいました。
 また、精神面で病気を抱えている方も多く、就労できないという人も複数いました。生活保護をアドバイスしようとしても、一度生活保護を受けてグループホームに入ったが、あまりの自由のなさにグループホームを逃げ出して今に至るため、再度の生活保護は受けられないと仰っている方もいました。困窮していて生活保護を受給できなかったら、正直なす術がありません。私は最近外国籍の方の仮放免者の支援をしています。その方々に通ずるものがありますが、就労ができずかつ生活保護が受給できなければ、文字通り生活できません。
4.おわりに
 これからも、社会全体が先行きの見えない状態になっています。そんな中一人ではどうにもできないような困難の糸を少しずつときほぐす手伝いをする。それが今回の相談会だったのではないかと思います。これからも継続してもらいたいと思います。

 

差別問題委員会の提起について

   大阪支部  杉 島 幸 生

1、それは差別の解消につながるのでしょうか
 1月常幹の議事録に「差別問題委員会」のことがありました。議事録からは具体的なイメージを持てませんでしたが、もしそれが「差別とたたかう」という統一スローガンのもとに団内外の「差別」に対抗しようとするものであるなら疑問を感じます。差別とたたかう。とても大切なことです。しかし、原因も構造も異なる様々な差別に、こうした方法で対抗することは有効なのでしょうか。別の問題を引き起さないでしょうか。一月常幹に参加していませんでしたので、的外れなのかもしれません。でもこんなことを考える団員もいることを知ってください。
2、「差別とたたかう」がもたらしたかつての混乱
 「差別とたたかう」というスローガンは昔からありました。しかし、これはいくつかの市民運動に混乱をもたらしました。
 例えば障害者運動です。私は学生時代に障害者共同作業所でボランティアをしていました(もう40年近く前です)。当時は多くの障害者が家族によって隠され、家庭の中に閉じこもっていました。作業所は、彼らが地域社会と結びつく拠点でした。ところが「障害者」と「健常者」を区別することが「差別」であると主張する人たちからは、「差別」だと批判され、活動への妨害もうけました。彼らは、今でいう支援学校・学級の充実を求める運動にも反対しました。このときのスローガンが「差別とたたかう」でした。自分たちの「差別」の考え方を絶対視する彼らの議論は市民のなかに混乱をもたらしました。
 このスローガンが混乱をもたらした典型が部落解放運動でした。私の大学では部落解放同盟の指導をうけた一部学生が人権講座を牛耳っていました。彼らも「差別とたたかう」ことを掲げました。これは、自分たちこそが「差別」を理解しているという考え方と結びつくことで学園支配の道具となりました。自分たちに同調しないことが差別だ、差別者でないなら自分たちに従えというわけです。彼らは反対者を「差別者」と認定し糾弾しました。その胡散臭さに、ある者は無関心となり、ある者は反発や敵意を持ちました。こうして「差別とたたかう」ことは、差別解消とは逆の効果を生みました。また彼らは学生を「差別/被差別」に色分けしました。それは自分も「差別者」なのだと思い悩やむ学生を生みだしました。こうした学生が「差別者」の重荷から解放されるためには、彼らに従うか、「差別/被差別」の枠組みから抜け出すことが必要でした。これも「差別とたたかう」ことが生みだした混乱でした。
3、それは、たまたまのことなのでしょうか
 これらは障害者運動や部落解放運動の中でたまたま起きた昔話なのでしょうか。私には、そうではなく、「差別とたたかう」というスローガンに内在する問題があるよう思えます。
(1) そう簡単なことではありません
 「差別とたたかう」には、なにが差別なのかを認定できなければなりません。しかし、それはそう簡単なことではありません。例えば部落解放同盟に反対することが差別であると主張した人たちは、本気でそう考えていたはずです。彼らにとって私は「差別者」でした。当然私は、それを受け入れることはできません。作業所のように、ある人にとって差別をなくす取り組みが、別の人には差別だと受け止められることもありえます。こうしたとき「差別」かどうかを誰がどうやって判断できるのでしょうか。自分にはそれができる、自分は間違えないと考えることは、とても危ないことです。
(2)解決の道筋を見えにくくしないでしょうか
 社会には様々な「差別」があります。様々な差別ごとに様々な原因や構造があり、その解決の道筋も様々です。あらゆる差別に適用できる統一理論などありません。個別的な問題の構造を考えることからではなく、「差別」という視点から始まる議論はどうしても主観的抽象的なものになりがちです。それは解決の道筋を見えにくくするのではないでしょうか。
(3)「差別/被差別」の分断線をつくりだしてもいいのでしょうか
 「差別とたたかう」ことは、その数だけ市民の中に「差別/被差別」の分断線をつくります。しかし「差別者」も同じ市民であり、連帯すべき相手です。ある場面で差別をしてしまった人が、別の場面では差別とたたかっていたり、差別に傷つく被害者であることなど、いくらでもありえます。市民の中に「差別/被差別」という分断線を持ち込むことは、その連帯を困難にします。あなたは差別者だけど、私と連帯してください。そんなことができるほど私たちは、強くも、賢くもありません。
(4)心のあり方に踏み込むべきではありません
 差別そのものをなくすことを目標とすれば、差別とのたたかいは「差別者」が悔い改めるまで続きます。それは心のあり方を強制することと紙一重です。人は、自分こそが正しいと確信するとき、正しくないと考える者に対して残酷になりがちです。私たちが、そうならない保証はありません。「差別者」だからといって傷つけていいわけではありません。またどんなに「正しい」ことであっても、それを強制する権利など誰にもありません。私たちは、人の心のあり方に踏み込むようなことはすべきではありません。
4、私たちの進むべき道
 「そんなことはもうわかってますよ」というのであれば結構なことです。しかし議事録からはそうはうかがえませんでした。また最近、団外のMLやSNSで、本来なら連帯すべき人たちが、それぞれの「差別とたたかう」立場から非難を繰り返し、互いを「差別主義者」などと決めつける場面を見かけます。団だけがそれと無縁でいられるとは思えません。差別をなくすためには、迂遠ではあっても、これまで団がそうしてきたように、それぞれの問題群ごとにその構造を研究し、解決の道筋を市民とともに試行錯誤をしながら一歩づつすすんでいくほかはないように思います。これも差別とのたたかいです。そして、これが団の進むべき道なのではないでしょうか。

 

「不寛容」を克服する意味

神奈川支部  小 賀 坂  徹

 私自身も執行部に入るまでそうだったので偉そうなことはいえないが、総会議案書を丁寧に読み込んでいる団員は多くはないのかもしれない。今年の総会議案書の第1章「私たちを取り巻く情勢の特徴と課題」では、「私たちが取り組むべき課題」の冒頭に気候変動問題を取り上げた。そして先日、その最初のとっかかりとして高橋敬幸団員(日弁連副会長)を講師とした勉強会を開催し、今後の取り組みのきっかけとしたいと考えている。
 さらにその第1章の末尾には、団創立100周年にからめて、次の言葉で締めくくった。「団の誕生した年の翌年3月、全国水平社が結成されている。日本の人権宣言といわれている水平社宣言の最後の一節を、団の100年の節目に、改めてここに記したいと思う。」「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
 ここに引用した水平社宣言の末尾のフレーズはあまりに有名で、しかも今でも人の胸を強く打つ。しかし、水平社宣言の神髄はその前のパラグラフに表れていると思う。宣言の中段では「ケダモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝ぎ取られ、ケダモノの心臓を裂く代償として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった」とし、「そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を縛る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。水平社は、かくして生まれた」と続けられ、そして末尾のフレーズに繋げられているのである。
 壮絶な差別を受けてきた被差別部落民であるからこそ、人の世の冷たさや人間を縛ることの痛みを誰よりも知っているのであり、だからこそ人間の尊厳が守られる意味を誰よりも分かっている。誰よりも差別の苦しみを知っているからこそ、誰に対してもその苦しみを与えてはならないことを体感している。だからこそ「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という言葉に格別に意義を見出すことができると思うのだ。つまり部落解放の課題はすべての人間の尊厳の回復でしか達成できないことを高らかに謳っているのだ。「吾らは人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す」とする水平社の綱領は、そのことを端的に示している。水平社宣言が日本における人権宣言といわれる由縁もここにある。そもそも「水平社」という名称そのものが、特定の差別の解消を超えた普遍的平等を志向していることを体現している。
 差別されてきたからこそすべての人の尊厳を希求する(人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す)という到達点は、まさに人間の美しさを表現している。
 川崎での在日朝鮮人に対するヘイトスピーチと闘い、自らもそのターゲットとされた崔江以子(チェ・カンイジャ)さんは、在特会の中心メンバーに手紙を渡し、その中に自分の携帯電話の番号を記し、「話し合いましょう」と書いた。彼女の勇気と覚悟に奮える思いがしたが、このことを知った時に、真っ先に水平社宣言を思い出した。そう、これこそ現代の水平社宣言ではないかと思ったのだ。ここにも人間の美しさを感じた。
 あるいは、新大久保の在特会のヘイトデモに対し、それを歩道から整然と取り囲み、「仲良くしようぜ」という多数のプラカードを掲げていたカウンターデモの映像にも奮えるような美しさを感じた。
 これに対し、例えば部落解放同盟朝田派の部落排外主義に依拠した「差別糾弾闘争」は、その真逆にある。「差別は空気を吸うように広がる」「足を踏まれた痛みは、踏まれた者にしか分からない」、だから部落民以外の誰もが差別者であって、その差別者認定は解放同盟だけが行い得る(しがたって部落民であっても解放同盟に従わないものは「糾弾」の対象となる)。解放同盟が差別者と認定した者に対しては、その者が差別者であることを自認し、自己批判するまでは、暴力を中核とする糾弾闘争をやり続ける。ここでの差別の自認や自己批判とは、解放同盟への絶対的服従の宣誓を意味している。ここに窓口一本化(解放同盟を通さない限り、同和関連予算の執行ができない)などの同和行政を巡る利権の独占等も加わって、地域によっては行政をも屈服させた解放同盟による支配が貫徹しているところさえあった。こうしたやり方が差別の解消に逆行することは火を見るより明らかである。この「糾弾闘争」は、「部落は恐い」「部落と関わってはならない」という意識を醸成し、そこから「逆差別」という言葉も生まれた。だから団がこのような剥きだしの人権侵害と果敢に闘ったのは必然であった。このことは「団百年史」142頁以下に詳細に記載されている。
 「足を踏まれた痛みは、踏まれた者にしか分からない」という物言いは、その痛みが苛烈であればあるほど抗い難い様相を呈してくる。しかし、私たちの先達はすでに100年前に、苦しみながらもそのことを克服していたのではなかったか。
 「差別を許さない」「差別を憎む」ということは、「差別をなくす」「差別を解消する」ということと同義でなければならない。「排除」でなく「共生」と「連帯」でなければならない。「レイシストしばき隊」という名称に私はセンスを感じるが、例えば仮に彼らが物理的にしばき始めたとしたら話は変わってくる。そうなれば単なる分断の助長である。
 すべての差異を認めて人々が共生すること、これが差別解消の方向性であろうと思う。でも私は「だからある程度のことは大目にみるべきだ」と主張したいのではない。批判は有効であり、重要である。批判の中でこそ、問題の本質や深刻さを顕在化することができ、克服の展望を見出すことができると思う。しかし、批判の目的が「共生」でなく「排除」であったとするのであれば、それは差別の解消とは逆行し、かえって分断が生み出されることにはならないか。差別的事象に対し、的確に批判すると共に、どのように共生できるのかを同時に考えなければ、問題の本質的解決にならないのではないだろうか。これは「不寛容」の克服という課題である。このことは、公正と自由は常に同じ地平に両立していなければならないと言い換えてもいい。不寛容は議論を委縮させ、問題の潜在化を助長させることに繋がっていく。
 「自分と違う他者」に触れた時、忌避と攻撃といった方法をとることはありがちだ。でもそれだけでは問題の解決にはならないと思う。自分と違う他者を受け入れ、違いを尊び、その中で問題の克服を図ること、それこそが肝要だと思う。「自分と違う他者」をありのままに認めるべきだというベクトルは、常に自分にも向けられなければならない。「寛容」はあらゆる行為の中で、最も能力と資質、そして何よりも努力を必要とするものだ。だからとても難しい。このことには大いに異論があるだろうし、特に当事者にそれを求めることは酷であり、非現実的であることもあろう。しかし、問題の本質的解決のためには、あらゆる場面で私たちはそのことを想起し、あるいは自戒する必要があるように思う。
 誤解のないよう念のためいうが、私は差別に寛容であることを求めているのではない。差別は人の心の内面にのみ存在するのでなく、それを生み出す構造と仕組みがあり、そしてそれによって利益を受ける者が存在している。差別の克服の本質的課題は、こうした構造や仕組みを打破することにある。ここに躊躇はいらない。この腑分けもとても重要だと思っている。
 少し話はそれるが、誰もが自分の属性から逃れられないこと、このことが現実社会を生きにくくする大きな要因となっている。メタバース(仮想世界)に入り込み、そこでアバター(分身)を作って生活すれば、こうした属性から完全に自由な自分を創造でき(しかもアバターをいくつ作るのも自由である)、実に理想的で居心地のいい時空間を創出することができる。そしてもはやその傾向に抗うことはできないだろう。不寛容な社会はさらにそれを助長していく。
 でも、同じことをユニバース(現実社会)の中で実現することはできないだろうか。いや実現しなければならない。多くの人々がユニバースへの関心を完全に失って、主たる生活の場所をメタバースに求めることになれば、民主主義は完全に崩壊し、ユニバースは強者のみが支配することになる。そしてメタバースに安息の地を求めた者も、結局はテックジャイアントの支配から逃れることはできないのだ。
 だから自分の属性に苦しむ社会でなく、誰もが自分の属性に誇りをもって生きることのできる社会を作り上げていかなければならない。現代社会における差別克服の課題は、現実社会に人々を留めおくことができるのか、民主主義を維持することができるのかという様相をも帯びている。
 「自分と違う他者」をありのままに認めること、言うは易く行うは難しい。しかし単なる理想郷でなく、現実に実現できる目標として掲げていけば必ずや実現することができるのだと思う。
You may say I’m a dreamer. But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us. And the world will be as one.

 

~随想~「死もまた社会奉仕」

東京支部  白 石 光 征

 石原慎太郎氏が2月1日死去したというニュースを聞いて、咄嗟に浮かんだのが石橋湛山の「死もまた社会奉仕」と題する一文だった。
 「山形有朋公は、去る(2月)1日(石原氏も同じ日)、八十五歳でなくなられた。先に大隈候を喪い、今また公を送る。維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。しかし先日大隈候逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければなるぬ。」(「石橋湛山評論集」岩波文庫)
 この一文は、1922(大正11)年2月11日号の「東洋経済新報」に載ったものであるが、これを初めて読んだ佐高信さんは、「その峻烈さにとびあがった。『死もまた社会奉仕』と言い切るとは、と呆然としたのである。」と書いている(「湛山除名」岩波現代文庫)。
 私は、とびあがらなかったが、人の死をその人の生きた社会において客観視しその政治的社会的な意味の本質をズバリ表現して発表するなんてすごいなと強く印象に残った。湛山にしてはじめて言えたのだと思った。
 それから45年経った1967(昭和42)年10月、かの「政敵」吉田茂が亡くなった。そのとき湛山は何と言ったか。以下は、佐高さんの本からの孫引である。(要約すると私感が入るからそのまま引用する。)
 「そのとき湛山は『死もまた社会奉仕なり』の一文を想起し、『軍閥、藩閥の巨頭である(山県)公の死は、憲法の発展のために好ましいというのが、私の一文であった』と注釈をつけつつ、『自由主義者の心がまえ』と題して、次のように述懐している。
 『先日、吉田茂氏が亡くなったとき、新聞社から注文されたので、若干の感想を述べたが、このままではぐあいが悪いということで、発表は取りやめになった。かえって、石橋に迷惑をかけることになろうとの、私に対する好意から取りやめになったと聞いている。
 私は、別段、吉田さんの悪口をいったつもりはない。人が死んだ場合、弔意を表するために、事実を誇張して褒めたり、偉くもないのに偉いと褒めたりするようなことは、私にはできない。同時に、功績があったものを、好き嫌いの感情をまじえて、それを没却するようなこともしたおぼえはない。どこまでも冷静に判断して、その人の真の値うちを明らかにする、また大勢に順応して心にもない言動はとらない。これが今日まで守り続けてきた私の信念である。吉田さんの場合も、それ以外の何ものでもない。ところが世間一般がそうではないから、私の言に意外の感じをいだくのである』」
 石原氏と言えば、「政治家としての数々の問題発言を忘れるわけにはいかない。『三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している』『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは、ババァなんだそうだ』『(東日本大震災は)やっぱり天罰だと思う』。人権意識の低さにあきれかえることが何度もあった」(2月2日付「天声人語」氏)。そればかりでなく、再軍備論者であり憲法改悪を執拗に主張してきた。
 石原氏は、山県有朋に匹敵する絶大な権力を振ってきたとは言えなかろうが、平和、民主主義、人権といった「憲法の発展」には害悪を垂れ流し続けた。
 例によって新聞は、「罪」の面も一応は書いているが、提灯持ちに偏りがちである。「どこまでも冷静に判断して、その人の真の値うちを明らかにする」記事はどれほどあるか。
 湛山は、戦前はジャーナリストとして、戦後は保守党にあってリベラルな政治家として、自由主義に徹し、気骨ある言動で一貫してきた。
 翻って、現今のジャーナリズム、政界をみるに、「湛山」を求めるのは、木に縁りて魚を求めるようなものか。社会の健全な発達を阻害し負の遺産を刻んできた人物の死去に際し、「死もまた社会奉仕」と題して一文を草することのできるジャーナリストを求めるのは幻想なのか。
 久しぶりに「湛山」本に眼を通し、いろいろ考えさせられた1週間であった。(なお、一言、「湛山」本のなかでは佐高さんの上記著作が私には一番面白かった。)

(2022.2.8記)

 

幹事長日記 ⑨(不定期連載)

幹事長  小 賀 坂  徹

 メタバースは少々唐突だったかもしれないが…
 今回私の書いた「『不寛容』を克服する意味」という原稿は、少し唐突だったかもしれないがメタバースの問題も含め「差別の克服」ということについて、個人として思っていることを書き綴ったものである。これを書いた動機の一つは私が欠席した1月常幹での「差別問題委員会」設立に関する議論にあった。後から議事録を読んだだけなので不正確かもしれないが、ここで表明されていた委員会への「慎重意見」(反対意見ではない)の多くは、委員会の活動が新たな分断を招くことにならないかということへの「懸念」だったように思う。それがまったく理由のないものでないことは、私の原稿に触れた通りであり、その「懸念」が現実化するようであれば、そもそも差別の解消そのものに対する桎梏となっていくのだと思う。
 しかし、そのことが団として差別解消に向けた活動をすることに消極であることの理由とはならないと思っている。現に少なくない団員が全国で果敢にこの問題に取り組んでいるのであり、その知見を団内で共有することには大きな意味がある。「懸念」があるとすれば克服すればいい、あるいは克服しなければならないのであり、その克服こそが差別問題の解決の道筋であると思うからである。
 それにしても他者への寛容を貫くということは難しい。「寛容」という言葉が不適切であれば、自由な議論の保障といってもいい。議論に一定の「節度」が必要であることは当然だが、少なくとも団内の議論は風通しのいいものであってほしいと切実に思う。頼りない幹事長で恐縮だけど、私自身様々なことに迷い、戸惑うことばかりで、現在の自分の意見に絶対的な確信を持っているなどということはほとんどない。だから異なる意見を多く聞きたいというのは本音なのだ。一部のメーリングリストにおけるいくつかのやり取りが、この原稿を書いたもう一つの動機となっている。とても難しい問題ではあるが、様々な意見を聞きつつ、そして悩みながら進んでいくしかないんだろうなと思っている。

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