第1692号 / 1 / 11

カテゴリ:団通信

【北海道支部特集】
*民事裁判のIT化問題の緊急性を訴える  高 崎   暢
*結審迫る!北海道建設アスベスト訴訟  吉 田 玲 英

●「川崎ヘイトデモ裁判」代理人就任のお願い  神 原   元

●朝鮮半島~ウエイトレス事件と冷戦の遺物  笹 本   潤

●自民党大岡敏孝衆議院議員を公選法違反で告発  玉 木 昌 美

●家族を想うとき、そして21Lessons  伊 須 慎 一 郎

●『東大闘争から五〇年、歴史の証言』を読んでください  永 尾 廣 久

●現代刑事司法史に刻まれた、怪物の足跡 石川元也先生の新著・「創意」を推薦する  伊 賀 興 一

●そろそろ左派は経済を語ろう 9 ~ハイパーインフレという幻想  伊 藤 嘉 章

●百、二百、三百一筆書き(3)  中 野 直 樹

 


 

【北海道支部特集】
 民事裁判のIT化問題の緊急性を訴える  北海道支部 高 崎   暢

1 加速する動き
 二〇一八年六月五日に閣議決定された「未来投資戦略二〇一八年」でも民事裁判の全面的IT化を「世界で一番企業が活動しやすい国の実現」のための政策と位置づけ、昨年一二月上旬、政府骨子案がまとめられ、今年三月に最終方針を決めると複数の新聞が報じた。
一方で、民事裁判手続等IT化研究会(以下「研究会」という)は、同一二月、報告書をまとめ、これに基づき、今年二月の法制審議会総会で諮問がなされ、四月以降民事訴訟法部会で実質審議が始まろうとしている。
 日弁連は、二月末までに、研究会の報告書に対する会内とりまとめを行い、日弁連の意見書を作成する予定である。
 最高裁は、「フェーズ1」(ウェブ会議等を活用した争点整理手続の運用)については、今年二月から、知財高裁、八高裁所在地の地裁(東京地裁では二一か部、大阪地裁で一二か部)で行われ、五月には五地裁(横浜、さいたま、千葉、京都、神戸)を追加する。

2 二〇一九年団総会議案書
 議案書には、「裁判手続等のIT化は、国民の裁判を受ける権利やプライバシー権を侵害する恐れや、公開原則の点等から様々な問題があり、拙速な制度変更を許されない。今後、団において、情報を収集し、意見を述べていかなければならない。」と書かれている。
 しかし、この間、「団通信」では、一六三九号(二〇一八年七月二一日付)で、守川団員(千葉)が、「団本部と各地での至急の検討を」と呼びかけて以来、二〇一九年一二月二一日(一六九〇号)まで、一本の原稿も掲載されていない。これは、自戒を込めてであるが、ⅠT化問題の流れに後れを取っていないだろうか。今からでも間に合う。至急、総会議案書の実践として団の意見書をまとめるべきである。

3 今回の動きの問題点
 結論的に言えば、今回の民事訴訟の改正が、政府=行政権の主導で進められている点である。司法改革における司法の役割が十分に果たされていないことである。一方で、今回のIT化問題には、司法の充実という視点がきれいに抜け落ちている。
 その上、この問題に関し、日弁連でもそうであるが、多くの会員(団員)の議論が大幅に遅れているということである。特に、地域司法を担っている支部会員(団員)の中での議論が不十分である。それは情報が行き届いていないことがひとつの原因である。
 さらに、IT化問題にはこの国の民事裁判を本質的に変える恐れがある。そして、憲法で保障された裁判を受ける権利が果たして守られるのか、直接主義や公開主義に抵触しないか等々、たくさんの重要な問題点や疑問点あるいは悩みが存在する。だからこそ、今早急に議論をしなければならない。制度が出来上がってからでは手遅れである。
 その議論を全国的に巻き起こすためにも、自由法曹団の意見書が必要不可欠である。

4 隠されたもうひとつの意図
 政府骨子案を報じた一二月八日の朝日新聞は、「日本語で書面が作成されていれば、訴状の提出から口頭弁論や証人尋問、判決までの手続きをオンライン化し、裁判の効率化を目指す。実現すれば国内外のどこにいても訴訟を進める『日本の司法制度の国際競争力を高める効果がある』(政府関係者)と見込む。」と、一〇日付では、「政府が民事訴訟の全面オンライン化を目指す背景には、日本の民事司法が海外から敬遠されている現状を変える狙いがある。先行しているシンガポール(注一)や韓国(注二)、欧米などに後れを取っており、経済界からの要請も強かった。」と、更に、一四日の朝日新聞は、「時間がかかると言われてきた民事裁判の審理を半年以内に終わらせることを目指す新制度の導入を、法務省が来年二月の法制審議会に諮問する。」と書いた。
 この一連の報道を見れば、政府の目論見は、民事裁判のIT化だけではない。司法の国際化や民事司法のさらなる迅速化を意図したものである。
 一四日の記事には、裁判迅速化法によって、「すべての民事裁判の提訴から判決や和解までの期間は九ケ月。証人尋問をした場合は結審まで一年四ケ月を要した」(最高裁のまとめ)を掲載している。これを「半年で終結」させる立法事実はあるのだろうか。そのようなことをすれば裁判は今よりラフになり裁判に対する国民の信頼は後退するのではないか。
 裁判のIT化は、国民の「裁判を受ける権利」の保障を充実させる方向でのみ用いられるべきである。
 注釈は筆者が記載したものである。
注一 人口五六〇万人。表現の自由の保障が充分ではない国家体制。
注二 IT化のシステムやインフラの改善を一〇年かけて行っている。

 

 

結審迫る!北海道建設アスベスト訴訟   北海道支部 吉 田 玲 英

1 アスベスト被害と建設アスベストについて
 アスベスト(石綿)は、髪の毛の五〇〇〇分の一という極めて細い繊維で、熱・摩擦・酸やアルカリなどの薬品にも強く、丈夫で変化しにくいという特性を持っています。また、安価で、その上耐火性・断熱性・防音性・絶縁性・耐薬品性等の優れた特質を持つことから、アスベストは私たちの生活のあらゆるところで使用されてきました。
 アスベストに発がん性があることは、国際的には一九五〇年代から指摘されていましたが、日本は一九七四年に世界最大の石綿輸入国となり、一九六九年から一九九三年までの二五年間、毎年二〇~三〇万トン台もの大量輸入を続けました。
 アスベストの潜伏期間は非常に長く、わが国では二〇〇六年に使用が全面禁止となりましたが、その後も中皮腫の死亡者数は増え続け、二〇一五年以降毎年一五〇〇名以上が中皮腫で亡くなっています。
 アスベスト関連疾患で労災支給となった労働者の五〇%以上は建設業に従事しており、建設労働者は業務上最もアスベスト被害を受けた労働者といえます。

2 建設アスベスト訴訟の概要
 建設アスベスト訴訟は、建設現場で働いていてアスベストにばく露し中皮腫や肺がん等の疾患に罹患した労働者が、アスベストについての規制を怠った国と、アスベスト建材を製造・販売し莫大な利益をあげた建材メーカーに対する損害賠償を求めて提訴した裁判です。
 札幌地裁では、二〇一一年四月二五日に第一陣、二〇一四年六月一二日に第二陣が提訴しました。患者単位での原告数は合計四〇名です。札幌以外では、東京・神奈川・大阪・京都・福岡で建設アスベスト訴訟が提訴されており、患者単位で七〇〇名以上もの原告による集団訴訟となっています。

3 裁判の現状と現時点での課題
(1) 国の責任は、アスベストに関する規制を怠ったという規制権限不行使に基づく国家賠償責任です。アスベストの発がん性についての知見が確立した時期や、どのような規制をいつからすべきだったか等が問題となりました。責任の存否については現在一一連勝中で、すべての訴訟において国の責任が認められています。現在の主な課題は、国が責任を負うべき期間(=規制権限を行使しなかったことが違法となる期間)はいつからなのか、現場での作業実態は労働者とかわらない一人親方に対する国の責任の有無、そして喫煙者に対する賠償額の減額などです。
(2) 企業責任は、アスベスト建材を製造・販売し莫大な利益をあげた建材メーカーの不法行為責任です。これまで、どの建材がどの労働者との関係でアスベストのばく露原因となったのか因果関係が不明であるとして、なかなか企業責任が認められずにきましたが、二〇一六年一月二九日の京都地裁判決ではじめて企業責任が認められたのを皮切りに、控訴審では五件中四件で企業責任が認められるに至り、大きく流れが変わりつつあります。
(3)  北海道訴訟は、二〇一九年一一月一日(金)に第一陣訴訟の控訴審、一一月八日(金)に第二陣訴訟の期日がありました。どちらの訴訟も既に終盤に差し掛かっています。第二陣訴訟は、今回の期日で結審の予定でしたが、被告企業の書面提出が間に合わず、二〇二〇年三月一一日の次回期日で結審することとなりました。第一陣訴訟は、一一月一日から裁判長が交代し、長谷川恭弘新裁判長のもとで審理を進めることとなりました。一一月一日の期日で裁判所から双方に釈明があり、二〇二〇年三月一一日、六月三日まで期日の予定が入れられました。原告団・弁護団としては、六月三日の期日で結審できるよう、裁判所への働きかけを強めてまいります。
 全国六か所で提訴された建設アスベスト訴訟のうち、高裁判決がまだ出ていないのは札幌高裁のみとなりました。他の五か所はいずれも上告審へ移行しており、札幌高裁の判決を待たずに最高裁が判決を出す可能性もあります。こちらも、早期解決を向けた最高裁への働きかけを行ってまいります。
(4) 訴訟に参加していない潜在的な原告や、そもそもアスベスト被害を受けていることを認識すらしていない(元)労働者も多数いることが予想されます。アスベスト被害を風化させず、社会に訴え続けていくため、二〇二〇年三月、全国で建設アスベスト訴訟の第三陣一斉提訴を行うこととなりました。関東を中心に数百名規模の提訴を行います。道内では現在一四名が提訴の準備を進めております。

4 さいごに
 建設アスベスト訴訟もいよいよ大詰めにさしかかろうとしています。国の責任はもはや争いがたく、建材メーカーの責任も認められる流れができたといえます。札幌高裁でも、これまでの高裁判決の流れに沿った、そしてさらに進んだ判決を勝ち取ることができるよう全力で取り組んでまいりますので、今後ともご支援いただけますようお願いします。

 

 

「川崎ヘイトデモ裁判」代理人就任のお願い   神奈川支部 神 原   元

1 四四〇万円の訴状とその内容
 川崎のレイシスト四名から四四〇万円の損害賠償を請求する訴訟が、私一人を被告として提起された。二〇一六年六月五日に川崎市中原区で企画されたヘイトデモが市民の抗議によって中止に追い込まれたことについて、私が不法行為の責任を負うというのである。
 訴状では、彼らのデモは「ヘイトデモ」ではなく「反日デモ」であった等が縷々述べられ、デモに対する「カウンター」によって自分たちのデモが中止になったことにより「表現の自由」が侵害された等と主張している。
 原告らの代理人は、京都弁護士会の江頭節子弁護士である。

2 裁判に至る経緯
 川崎市の特に臨海部には在日コリアンが集住する地域がある。川崎市は他民族の共生を図る多文化共生の政策をとってきた。この川崎市にヘイトデモが押し寄せてきたのは二〇一三年頃からである。
 原告Iは、「行動する保守運動」と称する運動体に参画する活動家である。「行動する保守運動」とは桜井誠(元在特会会長)を代表とする団体であり、その参加団体である在特会のデモでは、「朝鮮人は出ていくべきゴキブリ」「朝鮮人首吊レ 毒飲メ 飛ビ降リロ」「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」等と書かれたプラカードを掲げたり、過激なコールが頻繁に行われている。
 原告Iは、二〇一三年五月一二日より二〇一六年一月三一日にかけて、川崎市内において、合計一一回のデモを主宰した。彼らの攻撃が、在日コリアンの集住地区である川崎市桜本を襲ったのは、二〇一五年暮れであった。原告Iは、二〇一五年一一月八日に企画された「川崎発!日本浄化デモ」と銘打たれたデモを主宰し、「日本を貶め、日本人の先祖を貶めるザイニチを日本から叩き出せ~!」「犯罪を犯し、反日行為を繰り返すザイニチの特別永住権など剥奪してやるぞ~」等のシュプレヒコールを行った。このデモに対しては地元住民の抗議が強く、事前に知った住民の呼びかけにより、市内外から約三〇〇名の人々が集まり、桜本の街の入り口に立ち、デモの進入を防いだ。
 彼らは、二〇一六年一月末、桜本地区へ「川崎発!日本浄化デモ第二弾!」を予告した。これに対し、「ヘイトスピーチを許さない」かわさき市民ネットワークが結成された。そして同月三一日の桜本でのデモ際には、ヘイトスピーチに反対する約五〇〇人もの人々が集まった。このデモの出発地点において、原告Iは、「さあ、そこにいる長期旅行者さん(注:在日コリアンのこと)も兵役義務を負っているんだよ。韓国では自分の国のことは『ヘル朝鮮』と言っているそうじゃないか。帰ればいいんだよ、おまえら。一匹残らず叩き出してやるからよ。」と演説し、他の参加者は、「朝鮮人はわが国にとって敵であります。敵に対して出ていけだの、死ねだの、何を言ってもこんなものは差別には当たりません。こんなヘイトスピーチなんて言葉に惑わされてはいけません。みなさん、堂々と言いましょう!朝鮮人は出て行け。朝鮮人は出て行け、ゴキブリだ!ゴキブリ朝鮮人は出て行け。」等と演説した。デモ参加者が掲げたプラカードの中には「在日は大嘘つき」、「帰れ、半島へ」などと記載されたものがあった。
 三月二二日、桜本地区に住む在日コリアンの住民が、参議院法務委員会で意見陳述をした。意見陳述は、「私が生まれ育ち暮らす川崎市では二〇一三年から一二回にわたりヘイトデモが行われてきました。」「私たちの街、桜本は、日本人も在日もフィリピン人も日系人も、誰もが違いを尊重しあい、多様性を豊かさとして誇り、共に生きてきた街です。その共に生きる人々の暮らしの場に、その思いを踏みにじるかのようにあのヘイトデモが行われました」等と訴えるものであった。
 五月一五日頃、原告Iは、本件カレンダーにて、二〇一六年六月五日に「川崎発!日本浄化デモ第三弾」を実施すると予告した。その直後である五月二四日、衆議院本会議にて、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(以下「ヘイトスピーチ解消法」)が成立した。仁比聡平議員は「審議に当たって川崎・桜本を視察して感じたのは、桜本の街での共生の取り組みがどれだけの苦闘の上に作られていったか、ということだった。」「だからこそ、その玄関口に蹂躙してくるヘイトデモに対する住民の皆さんの怒りや恐怖は大きかったのだと肌で感じることができた」「六月五日に予告されているデモだが、(中略)「日本の浄化」などとうたって告知しているというのは、ヘイトデモの宣言そのものだ」等と述べた。
 五月二七日、私は、川崎市桜本に事務所を置く社会福祉法人の代理人として仮処分申立を行った。六月一日、川崎市長は、原告Iに対して、同市の公園の使用を不許可とした。六月二日、横浜地方裁判所川崎支部は、原告Iに対し、桜本地区の近隣を徘徊し、大声を張り上げ、街宣車あるいはスピーカーによる演説を行うなどの行為をさせない仮処分命令を下した。
 原告Iが率いたデモ隊は、六月五日、デモの場所を桜本地区から川崎市中原平和公園前に出発地点を変更して「川崎発日本浄化デモ第三弾」を行った。デモ隊は、「超汚染人(ちょうせんじん)」「超銭神(ちょうせんじん)」「基地外(きちがい)朝鮮人」「暴れるな朝鮮人」等のプラカードを掲げた。このデモに反対する市民ら約一〇〇〇人が集まり、プラカードを掲げたり、あるいは「ヘイトデモ中止!」と声を上げたり、道路にシットインをするなどして抗議した。また、川崎区桜本に居住する在日コリアンの女性は、原告Iに共生の理念を共有することを呼びかける手紙を手渡した。手紙には「Iさん。私たち出会い直しませんか。加害、被害の関係から、今この時を生きる一人の人間同士として出会い直しませんか。加害、被害のステージから共に降りませんか。」等の記載があった。このような多くの人々の抗議と、情理を尽くした説得により、原告Iはデモを断念したのである。
 なお、本年一二月一二日、日本で初めてヘイトスピーチに刑事罰を定めた「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が成立している。

3 「川崎ヘイトデモ裁判」に対するご支援のお願い
 以上のとおり、本件原告Iらが川崎市で展開してきた一連のデモは、紛れもない「ヘイトデモ」であり、多くの市民から強い反発を受け、強い抗議と説得を受けたものであって、最終的には原告I自らの意思によりデモは中止になったのである。
 それにもかかわらず、仮処分の申立人代理人で、人々の運動を見守っていた弁護士に対し、「共謀」等と言いがかりをつけて、裁判を起こしてきた。弁護士の職責の一つは現場の運動を見守ることであり、このような訴訟が頻発すれば、デモや集会、基地反対運動やマンション建設反対運動など様々な運動を見守る弁護士の活動が萎縮する。そこで、本件訴訟に対して毅然とした対応がとられなければならない。
 多くの皆様に代理人になって頂き、ご支援を賜りたいと希望しております。
 連絡先 武蔵小杉合同法律事務所 FAX 〇四四―四二二―五三一五

 

 

朝鮮半島~ウエイトレス事件と冷戦の遺物  東京支部 笹 本   潤

 二〇一八年四月の板門店宣言以後、南北朝鮮の平和のプロセスが進みつつあったが、現状はなかなか進んでいない。いろいろな障害が考えられるが、そのうちの一つは朝鮮国連軍の存在であり、もう一つは、韓国の国家情報院(元KCIA)に着目している。朝鮮国連軍の問題については、団通信に以前投稿したので(一六七二号二〇一九年六月二一日号)、ここでは国家情報院の問題に関連して未解決のウエイトレス事件を取り上げる。

ウエイトレス事件とは
 二〇一六年四月、北朝鮮のウエイトレス一二人がソウルに集団脱北したと韓国政府により報道された。北朝鮮は、これに対してウエイトレスたちは韓国によって拉致された、と反論した。国連人権理事会や条約機関でも議論は平行線だった。民弁のウエイトレス事件チーム(代表ジャン・キョンウ弁護士)は、国連人権機関にも通報し事実を明かにしようとした。国連人権理事会の北朝鮮の人権問題の特別報告者キンタナ氏もこの事件に注目した。そこで韓国と北朝鮮の弁護士が、IADL(国際民主法律家協会)とCOLAP(アジア太平洋法律家連盟、笹本事務局長)に合同調査団の派遣を要請し、私は、調査団メンバーとして、インドとイタリアの弁護士とともに、ソウルとピョンヤンで現地調査活動と報告書作成を行った。
 この事件の背景としては、二〇一六年にパククネ大統領の時代に、国会議員選挙の際、保守党(セヌリ党)は自党に有利にするために、この問題を政治利用した疑いがかけられていた。ソウルに大量の脱北者が来たという報道は、北朝鮮にハードな政策を取ってきた保守党にとって追い風になるからだ。また国家情報院(元KCIA)は、軍事政権の時代から諜報活動の中心であり、一九八〇年代の金大中氏の東京のホテルからの誘拐に関与したし、最近でも北朝鮮からの脱北者を保護センターに数ヶ月拘束する中で、自白を強要し北朝鮮のスパイに仕立て上げるという工作活動をしてきた。

ソウルと平壌におけるインタビュー
 ウエイトレス事件は、そのような政治利用だったのか、自白の強要で脱北者に仕立て上げられたのか、南北朝鮮でこの三年間マスコミにおいても議論されてきた。IADLとCOLAP調査団は、韓国では警察にガードされていたため、一二人のウエイトレスは会えなかった。しかし、脱北者保護センターから四ヶ月ぶりに出てきた直後にインタビューしたメディア(JTBC)の記者を通して、事件直後のウエイトレスたちの証言を聞くことができた。韓国に入国した一二人のウエイトレスたちは、その前の勤務先であった中国のレストランで、行き先を告げられずに韓国に連れてこられた。しかし、それ以外の七人のウエイトレスは、途中で気づいてピョンヤンに逃げ帰った。ピョンヤンでは、その逃げ帰った七人のウエイトレスたちのインタビューをすることができた。また韓国に連れて行かれたウエイトレスの親たちにもインタビューすることもできた。
 七人のウエイトレスとのインタビューは、一人一時間以上かけてほぼ丸一日時間がかかったが、どのウエイトレスの証言も細かい事実や雰囲気の描写が体験に基づいていると感じられ、リアリティがあった。彼女たちの証言によれば、働いていた中国のレストランに来た韓国から来た人物と彼女らのマネージャーとの会話内容から、ウエイトレスのリーダーが彼女たちを韓国に連れて行くことを察知し、短い時間の中で何とか七人だけには伝えることができ、一緒に逃げ出してきた経緯が語られた。そして危険を伝えきれなかった他の一二人のウエイトレスたちがミニバンに乗せられて連れ去られてしまった。 
 私たち調査団は、彼女たちの証言や、韓国の記者に語った証言内容を検討した上で、韓国の国家情報院による拉致があったと認定した。韓国の国家人権委員会の報告書はそこまでの事実認定はしなかった。私たちの調査報告書は韓国メディアにも大きく取り上げられた。

この問題を通じて
 私は単に「北朝鮮だけでなく、韓国も拉致をした」と言いたいわけではない。拉致はいずれにせよ重大な人権侵害であり、誰がしようと許されない。それよりも国家情報院(元KCIA)によるこのような諜報活動が続いている限り、韓国の政権が変わろうと、韓国社会に根深い北敵視政策が作られ続けていくことが重大な問題である。
 朝鮮半島の南北分断は、朝鮮民族にとって悲願であるとともに、日本の九条や平和運動にも大きな影響を及ぼす問題である。この分断に象徴される冷戦構造が残っている限り、日米政府と韓国保守層による北の敵視、軍事力増強路線は変わらないであろう。南北分断の解決は、日本と北東アジアの平和の問題そのものでもある。今後とも、この事件の展開とその背景に注目していただきたい。(ウエイトレス事件についての報告はインタージュリスト二〇〇号参照。最終報告書は、IADLのホームページに掲載)

 

自民党大岡敏孝衆議院議員を公選法違反で告発  滋賀支部 玉 木 昌 美

 滋賀一区の大津市民七二名は、滋賀一区から選出された自民党大岡敏孝衆議院議員(三期目)を公選法第一九九条の五、一項及び二四九条の五、一項に該当するとして以下の事実を告発する告発状を大津地方検察庁に提出した。四名の団員が告発人らの代理人となった。
 被告発人大岡敏孝議員は、大岡敏孝後援会の代表として、令和元年一一月四日夜、大津市内のホテルで「大岡としたかを囲む会」のパーティーを会費一口一万円で開催したものの、これに滋賀県知事、国会議員、県議、市議らと大津市内の学区自治連合会長合計六二名を来賓として無料で招待し、滋賀一区の選挙区内にある大津市内一七学区の自治連合会長ら三四人に対し、料理や酒を無料で提供し、その飲食代相当の寄付をしたものである。
 告発人らは、二〇一九年一一月一六日付京都新聞が詳細に事実経過を報道したのでそれに依拠して事実を把握した。それによれば、大岡敏孝議員は、無料招待の事実を認めたうえで、「三、四年前、県選管に問い合わせた。パーティーの原価に見合う首長らのあいさつや、政策立案のための地元との意見交換があれば、(無料招待は法的に)問題ないと私が判断した。」と説明したが、県選管は「大岡氏側からの問い合わせ記録は残っていない」としたうえで、「個々の案件に『(法的に)絶対大丈夫』という判断を伝えることはしない。参加者との意見交換の対価として、会費が無料になるという理屈はあまり聞かないし、大岡氏のケースは同法(公職選挙法)に抵触する恐れがある」としている。
 大岡議員は翌一七日記者会見を行った。京都新聞は、一一月一八日付で、その内容を報じたが、県議二人、市議一五人、自治連会長一七人の計三四人は支払わず、飲食の場にいたことを認めた。大岡議員は相変わらず、意見交換論の持論を述べたものの、一人一人と十分に対価がある意見交換をしたとは証明できず、疑念を持たれても仕方がない、とした。
 報道によれば、大岡議員も飲食の無償提供の基本的事実関係については認めている。記者会見してマスコミに説明しており、これを否認して争うことはできない。
 また、県選管に問い合わせたかどうかも不明であり、仮に問い合わせたとしても県選管が大丈夫とアドバイスするはずもないことも明瞭となった。大岡議員は「私が判断した」と説明したが、公選法違反に当たらないと正当化できる事情は何もない。「今後はやらないようにする。」と弁解したが、違法な行為をやめるべきは当然である。次回以降やめても、今回の違法行為を否定できるわけではない。
 今回の飲食のもてなしは有権者である地元の有力者に対し、近づく総選挙を意識して料理や酒の飲食を提供するものであり、事実上買収に近い行為であって悪質である。また、大岡議員が代表を務める後援会が主体となった組織的な犯行である。しかも、今年だけではなく、昨年も一昨年も同様のパーティが開催され、違法行為が毎年の恒例行事になっていたことも判明した。
 現在、安倍首相が五〇〇〇円の安い会費の前夜祭に続き「桜を見る会」に大量の後援会員を招待していたことが明らかになって国民の大きな怒りを買い、安倍首相は参加名簿など文書を廃棄し逃げ回っているが、滋賀県の市民も大岡議員の違法なパーティーに対しても大きな怒りのもと今回の告発を歓迎する声が強い。
 告発状を提出後、記者会見を行ったが、多くのマスコミ関係者の取材があった。NHKを含む四社ではニュースとして放映されたようであり、翌日の新聞が取り上げた。大岡議員は、後日無料で招待した自治連会長から会費を徴収し、「疑念は解消している。」と説明した模様であるが、会費を後日徴収しても当然のことながら違法な行為を正当化することはできない。
 今回の取組みは、数名の市民と私の話から一気に進めたが、告発人三〇名を集めるという目標が高島市からの一〇数名の参加もあって短期間で七二名と倍以上となった。
 尚、告発の資料は、新聞記事のほかは自治連会長に渡された六点の資料である。受付カード兼領収書には会費欄に一万円の記載があるが、そこに「御招待」の大きな印鑑が押捺されている。
 今後、市民運動とともに検察庁に働きかけ、きちんとした捜査をさせていくつもりである。

 

 

家族を想うとき、そして21Lessons  埼玉支部 伊 須 慎 一 郎

 二〇二〇年の年明け、ケン・ローチ監督の「家族をおもうとき」を観ました。実態は労働者でありながら(いや、通常の労働者以上に厳しい拘束下にあり、業務上の裁量は一切ない)フランチャイズ契約で独立の事業主とされ、あらゆる経費負担を押し付けられている配送業のドライバーの父。交通費も自腹の介護職の妻は一日八時間労働をゆうに超える時間外労働を強いられる。そのため、家庭でも子(兄・妹)とコミュニケーションを図る時間もなくなり、家族がバラバラになりかけ。それでも父は・・・・・。
 私たちが普段から相談を受けている非雇用化の問題が「単独で」映画にまでなる状況。グローバル経済のもと、人間を搾取する働き方が世界中で猛烈に広がっていることが分かります。働き方改革というスローガンのもと、新たな労働者搾取のたくらみが進む日本も他人事ではありません。実際に、労働相談の中にも昔ながらの業務委託契約を悪用した偽装請負の事案が増えているように感じます。私たちは、個別事件の解決も非常に重要ですが、これまで以上に非雇用化のリスクを社会に広く訴え、細切れにされている労働者の組織化を、地域の労働組合と共同しながら進めていかなければ大変なことになるのではないか、と危惧します。
 さらに、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は著書「21Lessons」の「雇用」「搾取から存在意義の喪失へ」の論述の中では、資本主義経済の発展にとって必要不可欠な存在である労働者(しかし、搾取される存在である)が、AIのさらなる進化により、労働者に代替し、労働者が資本主義経済のもと、その存在意義の喪失とたたかう必要が出てくるのではないか、そして労働者階級がなくなってしまえば労働組合への組織化がどうしてできるのか、労働組合への組織化もままならないなか、その存在意義を政治的影響力にまで変えることがどうしてできるのかという、途方もない難題を示しています。
 ここまでくると、あまりにも問題が大きくなってしまい、自分自身、何ができるのか思いつきません。しかし、現実の社会には「家族を想うとき」の父のように、家族のために、非雇用化の道を選び(そう仕向けられているのかもしれません)、その道から逃れたくても逃れられないで苦しんでいる大勢の働く生身の人間がいます。私たちは、個別の相談・受任事件を通じて、非雇用化の問題をあぶりだし、繰り返し、繰り返し、社会に非雇用化のリスクを訴え、地域での組織化の成功例などを学び、実践力を積み上げていく必要があると思います。
 過去に、二〇〇八年のリーマンショックを契機とした派遣切りのあらしが吹き荒れたとき、団員が違法な派遣切り事件を担当し、全国各地で裁判闘争を展開しました。その際、団員が全国から集まり、個別事件を踏まえた実践的な議論をしたことがありました。そこで、是非とも、非正規労働者の問題(労働契約法一八条、二〇条、派遣先のみなし雇用など)も含め、非雇用化の問題につき、全国から個別の事件を持ち寄り、裁判対策だけでなく、裁判外での組織化の問題も含め、実践的な討論の場を持つことができればと考えています。
 今年も一年、よろしくお願いします。

 

 

『東大闘争から五〇年、歴史の証言』を読んでください  福岡支部 永 尾 廣 久

 今から五〇年前に東京大学で何か起きていたのか、それは何を目ざしていたものだったのか、そして、そのとき関わった東大生たちは、その後をどう生きてきたのか、討論集会(一月一〇日に東大山上会館で開催)での発言と、三四人の寄稿による貴重な証言集です。
 このとき集まったのは、全共闘と対峙しながら東大を変革しようとした人たちで、東大闘争を安田講堂攻防戦と直結させて考える、俗世間にある間違った見方を否定します。
 東大闘争は、そのとき東大に在学していた東大生(院生もふくむ)が空前の規模で参加したものです。一部に暴力行為・衝突がたしかにありましたが、それでもメインはクラス討論やサークルでの討論が生きていました。リコールが成立したり、代議員大会が成功していたのは、きちんと東大生たちが議論していたということでもあります。「民青」が東大を暴力的に支配したから全共闘が敗退したということでは決してありません。宮崎学の『突破者』に出てくる「あかつき部隊」が民青側の東大闘争の主役だったなんていうこともありません。この本には写真が何枚か紹介されていますが、それは基本的に東大生たちがきちんと討議していた状況をよく反映したものです。
 そして、安田講堂前の広場を学生を埋め尽くしたのと同じように、秩父宮ラグビー場での画期的な大衆団交によって確認書が結ばれました。この確認書は、大学の自治は教授会の自治だという古い考え方を改めて、学生をふくめた全構成員による新しい大学自治のあり方が示されたものとして、画期的な意義をもっています。この点については、藤本斉団員が確認書は今もそれなりに生きていることを本書できちんと明らかにしています。今では国立大学まで私立大学と同じように採算本位でモノを考えるようになり、学生の大学運営への参加が弱まっていますが、全構成員の自治を認めた確認書の原点にぜひ戻ってほしいものです。
 そして、闘争を経た東大生たちが、その後の人生をどう生きていったのかにも注目したいところです。医師として地域医療の現場を担い、支えていった人、社会科教師として民主主義や暴力の問題について生徒たちと一緒に考える教育実践を続けた人・・・。文部官僚になって活躍していた途中で病気で亡くなったけれど、前川喜平氏に「河野学校」の卒業生だと名乗らせるほど影響力を与えた人もいます。東大闘争がそれぞれの人生に何をもたらしたのか、私もセツルメントとアイちゃんを紹介しています。
 川人博団員は、東大闘争を世界的な動きのなかに位置づけるという注目すべき視点を提起していて、目を開かされます。川人ゼミの卒業生には団員も少なくありません。
 この本を読んで、東大闘争とは東大全共闘が担っていたものという間違った思い込みをぜひ捨て去ってほしいものです。三五〇頁、二五〇〇円(花伝社)と、分厚くて少し値のはる本ですが、全国的な「学園紛争の頂点」と位置づけられることの多い東大闘争について多面的な様相を知ることのできる本として、強く一読をおすすめします。少なくとも、全国の公共図書館と大学図書館には一冊常備してほしいものです。
 団員の皆さん、ぜひ手にとって読んでみてください。あまり売れていないようですので、よろしくお願いします。

 

 

現代刑事司法史に刻まれた、怪物の足跡 石川元也先生の新著・「創意」を推薦する
                                  大阪支部 伊 賀 興 一

一 石川さんがこの度、新著を出版された。日本評論社刊「創意・事実と道理に即して 刑事弁護六〇年余」と題されたこの本は、石川先生の六〇年余の弁護活動、日弁連の委員会活動などを話題に、全編インタビューに石川さんが答える、という手法で編集されている。話し言葉で実に読みやすい。私も一気に読み終えた。この本での第一印象は、石川さんのバイタリティーはまさに「怪物」の一言に尽きる。
 戦後刑事司法の現場で縦横に関わられた弁護活動の内実を闊達に語っておられる。戦後刑事司法は、七〇年余を経て今日、進化しているといえるのか、疑問の声も多い。そんな刑事司法の中で弁護士としてどう戦っていくのか、まさに石川さんの足跡は確かなたたかう方向を示すものとなっている。
 ぜひとも自由法曹団員には一読してほしい。

二 この本はERCJ選書の五冊目として出版された。すでに承知の方もおられると思うが、ERCJ選書発刊の辞には「我が国の刑事司法や少年司法の時宜的なテーマに関する研究や、これらの分野に関わってこられた実務家、研究者および市民の方々のドキュメンタリーを、ハンデイーな読み物として提示しよう」という目的が明らかにされている。団体名は少し長いけれど紹介しておく。特定非営利活動法人(NPO法人)刑事司法および少年司法に関する教育・学術研究推進センターが発行者である。まさに誇らしい選書である。
 これまでの発刊分を紹介しておこう。
 石松竹雄著 気骨 ある裁判官の足跡
 守屋勝彦著 守柔 現代の護民官を志して
 小田中聡樹著 気概 万人のために万人に抗す
 環 直彌著 一路 法曹の世界を生き抜く

三 この本は、読むものをして戦後の大事件・松川事件や吹田事件の弁護の現場にいざなう。
 インタビュアーを務められた斎藤豊治さんや岩田研二郎さんによると、石川さんの記憶力に舌を巻いたようである。インタビューの原稿に石川さんが資料チェックを加えられたこの本は、松川事件や吹田事件の勝利を勝ち取った当時の弁護団や被告人、また支援者たちの奮闘と心意気が手に取るように伝わる。
 世界的にも著名な政治的謀略事件、そして冤罪事件である松川事件の最高裁判決が七対五(大法廷が一二人構成になった経緯も数奇である)の首の皮一枚の破棄差戻判決だったという事実も、検察が隠匿していた諏訪メモが顕出されてもなおの結果であったと石川さんは語る。刑事裁判における大きな壁を痛感させられる。
 石川さんの著したこの本は、松川事件、吹田事件のみならず、戦後刑事司法史を考えるうえで、貴重な材料を提供してくれる、という点でも秀逸である。

四 私は弁護士登録の年、この本でも紹介されている大阪市窓口一本化違法確認訴訟の控訴審弁護団に加えてもらった。その弁護団会議に初めて出た時、石川さんという大先輩の強烈な印象がいまだに脳裏に焼き付いている。
 一審敗訴後の控訴段階での弁護団会議に何もわからず参加した。原判決を乗り越えるにはどうするか、という極めて深刻な議論。まだ記録も見ていない状態で、私を含めて三人の新人弁護士は発言することもできず席に座っていた。突然石川さんが「弁護士たるもの、会議に出たらなんでもいいから考えたことを発言するもんだ」と怒り出した。初対面の新人弁護士に対してもこんなことを要求するんだ、と驚き、やむなく、何かを質問した。そうすると石川さんは、すかさず、「ただ知らないことは調べてくるもんだ、質問は発言のためにするんだ」とさらに一喝され、どう対応していいか、戸惑った経験がある。でも、このおかげというか、その後今日まで、出席した会議で発言しないで聞くだけの参加はしないように努めるようになった。

五 石川さんは、戦後刑事司法史において語られる多くの著名事件に弁護人として加わっておられる。時代の反映でもあるが、同職としては、その経験の豊富さ、成果の巨大さはうらやましい限りでもある。ただ、その時代に生きたとしても同様の結果と経験を誰でもが手にすることはできないだろう。石川さんだからこそ勝ち取った裁判所の理解・了解という面が見え隠れするからである。
 単なる迫力ではない。突出した理論の提起でもない。石川さんの流儀がこの本にはあふれている。この本の表題「創意」とは、課題、論点に対するあくなき追求心だと私は評価している。近年、特に若い弁護士の中で、立派な理論的に優れた発言をしようとして、逆に発言を控えるという傾向があるとの指摘がある。これは由々しきことであろう。弁護士たるもの、思い付いたことでも弁護団会議で述べることを躊躇せず、打開策をみんなで獲得する、という石川さんの流儀は、学ぶところが大きい。
 本書が団はもちろん、その枠を超えて広く読まれることを薦めたい。

 

そろそろ左派は経済を語ろう 9 ~ハイパーインフレという幻想 東京支部 伊 藤 嘉 章

1 はじめに 税制についての基本的な考え方
 杉島先生の「そろそろ〈左派〉は、「そろ左派」理論から卒業しよう」(一六八五号)を忘れていたわけではありません。
 愛知・西浦総会の旅行記が終わったので、反論させていただきます。
 消費税のような、逆累進となる苛斂誅求の税はやめる。税金はあるところから取る。法人税を増税する。役員、従業員の懐が痛むわけではない。但し、中小零細企業には累進税率を下げるなどして調整する。所得税の累進税率をあげる。最高税率が適用されていた松本清張は晩年になっても創作意欲は衰えず、「神々の乱心」は未完に終わった。

2 15兆円の填補財源は
 二〇一九年の一般歳出は、一五兆円が国債で賄われている。しかし、三大都市圏環状道路の完成、整備新幹線の延伸、大型コンテナ船の港の築造は必要不可欠の公共事業です。
 そこで、法人税、所得税の引上げ、不公平税制の是正によって十五兆円を捻出すれば、財務省設置法第三条の「財政の健全化」すなわち、財務省が悲願とするプライマリーバランスの黒字化が実現します。

3 さらなるばらまき
 しかし、ここで満足してはいけないのです。教育の無償化、子育て支援、難病の克服のための病院の設立、首里城の再建によるテーマパーク化。やることはいくらでもあります。 

4 インフレはなぜ起きるのか。なぜ起きないのか
 「そのときどきの市場が必要とする流通貨幣量を越えて市場に貨幣が流入することで貨幣の減価が生じ、その反面として物価の上昇が生じるのではないかと考えています」とあります。森田成也著「新編マルクス経済学再入門」上巻・二〇一九年発行・八九頁にも同旨の説明があります。
 しかし、このような単純な貨幣数量説でインフレが説明できるのでしょうか。二〇〇一年末には四八〇兆円であった一三八行の預金残高は、二〇一九年九月末には、一・五六倍の七五五兆円に増えていますが、インフレにはなっていない。

5 国債発行による公共事業はインフレをもたらすか
 また、杉島先生は「公共事業の実施で手持資金を得た民間企業が経済活動を活発化させていけば、それにつられて経済全体が動き出していくことが予想されます」といいます。
 これは、望むところではないですか。ミッシング・リンクの高速道路の築造、中央分離帯がなく危険な片側一車線対面交通道路の四車線化など、道路工事が毎年継続するのであれば、土建業者も新たなユンボ購入などの設備投資をします。
 それでも、現在公共事業の予算規模は五兆円です。国債増発よって公共事業費を倍にしても、国内の企業の売上の一千四百兆円の一%にも満たないのです。

6 長期停滞
 しかも、日本の資本主義は長期停滞しています。「今日の長期停滞は、資本主義システムが二〇世紀の半ばに技術革新の一定の飽和状態に達したことによって起こったものと考えられる」(大月書店・本田浩邦著「長期停滞の資本主義」一二頁)。

7 経済の金融化
 さらに「現代資本主義の下では、資本のますます多くが、モノづくりに係わる現実資本ではなく、架空資本の形態で「価値増殖」するようになっている。…大企業の多くは、利潤と内部留保の多くを、他企業の買収を含む証券に振り向けて持ち株会社化し、さまざまな金融子会社を傘下に抱え、利潤の多くを金融的利得の形で獲得している」(「経済」二〇一九年一一月号・一一八頁・高田論稿)。

8 過剰流動性はインフレにならなかった
 一九八五年のプラザ合意によって急激な円高になり、不況対策として、日銀が公定歩合を二・五パーセントに下げ、これが二年四ケ月続いた。この過剰流動性は、不動産、株に向かっただけで、卸売物価、消費者物価には影響しなかった。

9 インフレマネーは国民のためにばらまく 
 貸出余力を有する銀行による市場への貨幣の投入(民間ルート)が、企業による「ものつくり」ではなく、株式、不動産、証券投資などの金融市場のカジノ化の一層の進行にならないように、市中銀行の日銀当座預金としてブタ積みになっている四〇〇兆円のインフレマネーを、国債に振替えて(政府ルート)、国が国民の幸せのためにばらまく。東海道新幹線建設には世界銀行から融資を受けたという。今では、日銀に四百兆円の金が寝ているのです。これを使わないのは、いかにももったいない。今では、ただ同然の利息で使えるのです。

10 ハイパーインフレが起こる場合 超過需要と供給制約
 財政フアイナンスがハイパーインフレとなるのは、需要、供給の両面からみると、次のような場合である。
 「まず第一に 経済全体に「超過需要」をもたらす何らかの構造が存在している場合。第一次世界大戦後の欧州では、職をもたない帰還軍人の生活保障を政府がおこなうことで過剰な需要の発生につながった。戦争中の軍事支出が過剰需要を生んでいた。
 第二に、何らかの理由による「供給制約」が存在していることである。日本のような先進工業国においては、戦争や自然災害がそういった前提の一つになり得る。仮に戦争や自然災害が深刻な供給制約をもたらしたとしても、一定の時間が経てばその制約を解消できる見通しがある場合には、その帰結は大きく異なってくるだろう。たとえば、毀損した供給能力を回復させるための技術力や人材が維持されているかどうかも大きな要素となるはずである」(森田長太郎著「経済学はどのように世界を歪めたか」二四三頁から)

11 国土強靭化と個人国債
 台風十九号が猛威をふるった。八ケ場ダムを造っておいてよかったとどれだけ多くの人が思ったことだろう。これから河川の護岸工事、電線地中化工事に莫大な金がかかります。
財源は個人向け国債で
 「それは、未来への贈り物。KOKUSAIにはAIがある。個人向け国債」(財務省ユーチューブ動画から)
 個人向け国債の購入は、すでに市場に存在する預金という貨幣を国債に振替えることになる。そして、財政出動によって国の支払先である企業、従業員の預金という貨幣に移動するだけであり、インフレマネーが増えることはありません。

12 左派は財務省の軍門に下ってはならない
 しかし、財務省は、ユーチューブの他の動画中の「国の支出と収入の内訳」では、三分の一は「将来世代の借金となる公債金に依存」と、巧みに二枚舌を使っています。
 「財政破綻というと、かつての中南米やギリシャなどの事例に照らして「通貨の暴落」、「預金封鎖」、「社会保障のカット」ということがイメージされやすいが、こういった事象は今後も日本においてはまず起きないし、国家信用の失墜とほぼ同義であるところのハイパーインフレという経済現象が発生することも考えられない。この点に関して、有象無象の「日本破綻本」の類が主張するような結論は明確に誤りである」(森田前掲書三四二頁)。         

 

百、二百、三百一筆書き(3)  神奈川支部 中 野 直 樹

雪倉岳への道
 白馬岳山頂から名残惜しく、後ろを振り返ると、黒部湖が青く光を発している。赤牛岳の背骨の線が黒部湖に急下降している。その右手に、自立した存在をアピールしているのが黒部五郎岳だ。美しい円錐と頂上の大きな口を開けたカールが見事な容姿だ。私はまだこの山を踏めていない。
 三国境は右に向かうと昨日登ってきた白馬大池に下る道。登山者のほとんどはそちらに向かった。私たちは左手に進んだ。大きな尾根の白い砂礫の道を歩む。白馬岳は尾根の陰に隠れたが、西側にごつごつした丸頭の旭岳から長い尾根が延びている。祖母谷温泉から黒部峡谷鉄道の終点欅平に続く清水尾根だ。この登山道は登りのコースタイムが一〇時間以上、下りでも八時間以上という超ロングコースだ。浅野さんは下ったことがあるという。
 だだひろい尾根の途中に鉱山道への分岐があった。ガスが出ているときには見失いそうな分かれ道だった。避難小屋を過ぎる頃には淡い霧に包まれたが、雪倉岳への登りにかかると真っ青な空が戻ってきた。一一時過ぎに雪倉岳山頂(二六一〇m)に到着。私もそうだったが、この山の存在を知らないでのほほんと山好きを自称している方のなんと多いことか。雪倉岳は二百名山に名を連ねている。標高二六〇〇mの北限となる。さらに滋賀県にある雪野山(三〇四m)をはじめとして雪の字の付く山として一番のっぽだそうだ。人気抜群の大雪山にも負けない取り柄をもっている。
 山頂には今夜同宿となるであろう方が数組いた。ここで昼食をとることとなり、湯を沸かしてラーメンを食べた。

朝日小屋への道
 雪倉岳から朝日小屋まで三時間四五分のコースタイムである。地図を見ると全体として平坦そうな道なのだが、途中で出会った方は、最後に地獄の坂道が待っているよ、とありがたくもない忠告をくれた。あいにくガスが濃くなり、背景となる白馬岳も剱岳・立山も姿を隠し、めざす朝日岳も顔を出さない。
 ひたすら足元を見ながら歩くことに倦んできたときに、目の前に右肩から下のガスがとれた山が見えた。朝日岳かと早とちりをしたそれは赤男山だった。この山腹を巻く水平道は、常水と名付けられた水場を過ぎて、小桜ヶ原の湿原の木道となった。百花の時期は過ぎていたが、桃色の猫じゃらしのようなカライトソウ、危険な紫色のトリカブト、しおれかけているハクサンフウロがカメラのレンズを誘う。
 朝日岳山頂へ向かう登山道との分岐を過ぎたあたりから、地図には、大きくアップダウンを繰り返す、とコメントがついている。いよいよ地獄の坂道か、と気合を入れ直した。なるほどぐっと下がってまた登り返しとなったが、その繰り返しはなく、いつ地獄がくるかと考えているうちに、朝日小屋がすぐそこに見えた。地図に「水」と書かれた位置と実際の場所がかなりずれていることにも気づいた。このあたりの地図は添削が必要だ。

残照の道
 一五時五五分、朝日小屋到着。朝日小屋は外装リフォームをしたばかりのようで、付近にはヘリ運搬用に梱包した足場資材がまとめてあった。この小屋は、女主のおしゃべりと手作り食事が人気の繁盛店だそうだ。浅野さんは以前白馬岳に登った後泊ろうとしたが、予約ができず断念。今回念願がかなった。受付で主の元気はつらつの迎えを受け、九五〇〇円を支払った。部屋は畳敷きでふとんもゆったりとしている。部屋の中央にザック置き場として金属製の棚が置いてある。なかなか効率的だ。さっと着替えて、缶ビールを仕込んで外に出て乾杯した。
 夕食は二回転で、到着が早かった私たちは一六時四〇分から食卓に座った。なんと食前酒として赤ワインが提供され、主の音頭で乾杯した。以下、「手づくりの心を込めて作るお夕食」のメニューは「鶏の甘酢あんかけ、富山湾からホタルイカの沖漬け、これぞ富山おでん、富山といえば昆布じめ、長いもサラダ、つるっと冷たい茶そば、ちょこっとデザート、ほっかほか富山米」である。あちこちから家での食事よりも品数が多く、美味いとの声が聞こえた。私たちも愉快になり、ビールでまた乾杯。
 外はまだ明るいが霧の中だった。食事に満足して部屋に戻った。浅野さんはいつも寝つきがよく、布団に横になるとすぐ寝入ってしまった。こうなると呼びかけても起きない。私はカメラをもって外に出た。小屋の側には朝日岳方角に向かって小さな鳥居があり、朝日神社との表札が立っていた。大概の高山には、歴史的に麓の人々が祠を祀り、崇める対象としてきているが、白馬岳や雪倉岳にはこの祠がなかった。視界を閉ざしていた霧が空の方から切れ始め、西側には霧の中から夕陽が輝き始めた。反対の東に目をやると、朝日岳が姿を現し、緑の樹間をジグザグと上る登山道が夕陽に照らされた。それを眺めている私の姿が山裾に漂う霧に光輪を頭に載せた影として映った。ブロッケン現象だった。その右手には、谷間をうめた真っ白い雲海の上に、今日歩いてきた白馬岳そして雪倉岳の山肌と稜線の山道が残照をうけ朱に染まっていた。美しい。これを見そびれた浅野さんを思い、少し得した気分になった。(続く)

 

 

 

 

 

 

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