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第10、「国民の司法参加」について

1、国民の司法参加拡充という基本的方向性について

 中間報告は、国民の司法参加拡充の必要性を強調し、その具体的な在り方について「裁判手続、裁判官の選任過程並びに裁判所、検察庁及び弁護士会の運営など様々な場面を念頭に置き、国民の司法参加に関する我が国のこれまでの経験や参加の対象となる手続等の性質をも踏まえつつ、適切な参加の仕組みを総合的・多面的に検討していく必要がある。」としています。この方向性については私たちも重要だと考えます。今後審議会がさらに具体化し、最終報告において具体的な提案を行うことを望みます。以下では、訴訟手続への参加を中心に私たちの意見を述べます。

2、訴訟手続への参加について

 (1) 国民の訴訟手続への主体的・実質的参加の方向性は重要
 訴訟手続への国民の参加について中間報告は、「陪審・参審制度にも見られるように、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容の決定に主体的・実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも、必要であると考える。今後、欧米諸国の陪審・参審制度をも参考にし、それぞれの制度に対して指摘されている種々の点を十分吟味した上、特定の国の制度にとらわれることなく、主として刑事訴訟事件の一定の事件を念頭に置き、わが国にふさわしいあるべき参加形態を検討する。」と述べています。
 審議会によるヒアリングの中で最高裁は、陪審制はおろか参審制導入に対してすら反対し、参審員に評決権を与えない名ばかりの国民の司法参加しか提案しませんでした。このような最高裁の姿勢に、今の裁判所の国民に背を向けた非民主的・官僚的性格が如実に現れていると言えますが、その点で審議会が中間報告において、最高裁の考えを否定し、国民が主体的・実質的に司法に参加する方向を明確に打ち出したことは高く評価します。今後この方向で具体的な参加形態を検討することを強く望みます。

 (2) 陪審制を基本にして国民の司法参加の具体化を図るべき
 ただ中間報告では、委員の間に意見の対立があったためか、残念ながら陪審制導入を明確に打ち出されていません。これまでのとりまとめでも「欧米諸国の陪審・参審制度をも参考にし、それぞれの制度に対して指摘されている種々の点を十分吟味した上、特定の国の制度にとらわれることなく、(中略)わが国にふさわしいあるべき参加形態を検討する。」とし、佐藤会長も記者会見で「陪審制や参審制などの長所短所を検討しながら、よりよき制度を作っていきたい」と述べたように、制度の内容は具体化されておらずそれは今後の審議にかかっています。私たちは、佐藤会長が記者会見で、国民の判決への関与は「中途半端な関与であってはならない」「国民の参加が形式的なものとなってはならない」と明言していることろを審議会全体としても貫き、国民の司法参加をより徹底した制度である陪審制の導入を基本に据えて今後審議し、その実現を提言することを求めます。
 これまでの審議を通じて、陪審制が国民の司法参加という点で最も徹底した制度であり、かつ、現時点で充分導入可能であることが明らかになっており、様々な技術的な問題は今後の検討課題とした上で、陪審制を基本にして制度の具体的内容を検討すべきだと考えます。
 第1に、そもそも司法制度改革審議会は国民の司法参加を充実・拡大するための改革を行うことがその重要な任務のひとつであり、その意味からもより国民の司法参加を徹底した陪審制を基本に据えなければなりません。例えば審議会設置法第2条1項は、審議会の所掌事務について、「二十一世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的施策について調査審議する。 」と定め、「国民の司法制度への関与」を調査審議すべき重要課題として挙げています。
 また、衆議院法務委員会附帯決議4項は、「審議会は、その審議に際し、法曹一元、法曹の質及び量の拡充、国民の司法参加、人権と刑事司法との関係など司法制度をめぐり議論されている重要な問題点について、十分に論議すること」として、国民の司法参加の課題の重要性を強調しています。
 また、審議会自らが委員の全員一致で取りまとめた論点整理でも、Vの 2 の「(4) 国民の司法参加」において、「主権者たる国民の公的システムへのかかわり方も多面的な広がりをみせようとするなか、司法の分野においても、主権者としての国民の参加の在り方について検討する必要がある。」として、国民の司法参加の重要性を強調しています。
 さらに引き続いて、「現在、我が国では、調停委員、司法委員、検察審査会等の国民の司法参加制度があるものの、司法の中核をなす裁判手続そのものへの参加はかなり限定的である。司法を国民により身近で開かれたものとし、また司法に国民の多元的な価値観や専門知識を取り入れるべく、これら現行制度の在り方について見直すことはもとより、欧米諸国で採用されているような陪審・参審制度などについても、その歴史的・文化的な背景事情や制度的・実際的な諸条件に留意しつつ、導入の当否を検討すべきである。」としています。
 審議会が行った4回の地方公聴会でも、第1回の大阪では公述人6人中3人が陪審制に言及し、第2回の福岡では6人中4人が、第3回の札幌では1人が、東京では2人が陪審制に触れているように、陪審制導入を求める意見が多数ありました。このことは国民が陪審制に寄せる期待・関心がいかに強いかを明確に示すものです。
 第2に、これまでの審議の中で出てきた反対理由はいずれも陪審制を導入しない理由とはならないと考えます。
 審議会の中で、「日本人の国民性」や「陪審員の負担が大きい」などを理由とする反対意見がありましたが、そのような理由は国民の司法参加の実現にとって非本質的なものであり、そのような反対意見の存在によって「意見の一致をみない」として陪審制導入を先送りしたならば、自らが取りまとめた司法改革の理念にも背くことになり、審議会の存在意義すら疑われることになります。
 また、最高裁や法務省が主張していた陪審制導入に当たっての技術的な問題は、陪審制導入を決定した上でその実施のための準備過程において克服されるべき問題ですし、十分克服可能です。

 (3) 行政事件や社会的強者との民事事件にも国民の司法参加を実現すべき
 また中間報告は、訴訟手続に対する国民参加を検討する対象について、「主として刑事訴訟事件の一定の事件を念頭に置き」としていますが、これが国民の司法参加を刑事事件のうちのさらに一部に限定するという趣旨であれば問題であるといわざるを得ません。
 本意見書において再三述べてきたように、現在の裁判には、刑事事件に限らず、国や地方自治体を被告とする行政事件や国家賠償事件、大企業や病院等の社会的強者を相手とする労働事件、医療過誤事件などにおいても大きな問題があります。刑事事件において被告人は、憲法上無罪が推定され、検察官が合理的疑いを入れない程度にまで高度に有罪を立証しなければ無罪としなければならないにもかかわらず、実際には、捜査機関が捜査段階で作成した調書や捜査資料を鵜呑みにし、公判においても警察官などの検察側の証人の証言をたやすく信用し有罪としています。憲法上の原則が逆転し有罪が推定され、被告人に無罪の立証責任があると言われるほどです。国や地方自治体、大企業などが相手となっている事件においても同様です。これらの事件では証拠の偏在があるにもかかわらず裁判所はそれを無視して市民・労働者・患者の側に重い立証責任を負わせ、しかも、国や地方自治体、大企業などの証拠や証言をいとも簡単に採用して極めて不公正な事実認定を行っています。また法律解釈や法的価値判断においても、社会的強者に有利な見解を取ることが度々あります。これらの事件において社会的弱者の側が勝利する比率が極めて低いのはそのことを裏付けています。
 こうした裁判所の偏頗な事実認定や法的判断の原因については本意見書の第6「裁判官制度の改革について」で述べていますのでここでは繰り返しませんが、これを抜本的に改革するためには、中間報告も指摘するように、「裁判の過程がより国民に開かれたものとなり、裁判内容に国民の健全な社会常識が反映される」制度を導入することが必要だと考えます。
 従って、国民が訴訟手続に主体的、実質的に関与する範囲を刑事事件のうちの一部に限定することなく、刑事事件全体はもちろんのこと、行政事件や民事事件についても導入すべきです。そしてその場合の具体的な形態については、陪審制を基本にすえできる限り広い範囲で訴訟手続への国民の主体的・実質的参加を実現すべきです。
 なお、陪審制の導入が現在の裁判の在り方を抜本的に改革する有効な方策であることは、最高裁が陪審制を初めとする国民の訴訟手続への参加に対して激しい敵意を抱き反対していることからも裏付けられます。審議の中である委員から厳しく批判されたように、最高裁は、「裁判は多数の者の利害や感覚によって左右されるべきものではなく、論理と証拠に基づいた理性的かつ合理的な判断でなければならない」などと述べ、自分たち職業裁判官のみが合理的な判断をなし得るのであり、一般の国民にはそれは不可能だと言わんばかりの意見を表明しています。また最高裁は、陪審制は誤判の危険性が強い、「陪審員の判断はしばしば不安定であり、かなり高い比率で誤判が生じている」と非難する一方、現在の職業裁判官による裁判を「真実を解明し、その結果を国民の前に明らかにすることが期待され、それに向けて審理と判断が行われている裁判」などと手放しで自画自賛しています。ここには、現在の裁判に対する多くの国民からの批判に耳を傾ける姿勢も、現在の裁判所・裁判官のあり方を改革しようという問題意識も微塵もありません。最高裁は現在の裁判のあり方の維持・存続に汲々とし、そのために陪審制どころか参審制にすら反対しているのです。こうした国民の司法参加に消極的な最高裁の姿勢は、国民の司法参加を重要な審議課題とした司法制度改革審議会設置法2条1項や国民の司法参加について充分に議論することを求めた衆議院法務委員会附帯決議4項にも反するものです。また最高裁のこのような姿勢に、大多数の国民から遊離し、行政や大企業など社会的強者に偏する今の中央集権的官僚裁判官制度の問題点が如実に現れていると考えます。この事実からも、法曹一元とともに陪審制を導入し、現在の国民から全く遊離した官僚裁判官制度を抜本的に改革する必要性が明らかになったと言えます。

3、その他

 中間報告は、検察官による公訴権行使に民意を反映させるため検察審査会の機能の拡充について提案しています。この点は重要であると考えますが、より抜本的制度として大陪審(起訴陪審)の導入も検討されるべきであると考えます。
以上